うそ 0
ものがたり 0
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ナンテン先週変形性膝関節症の手術をしてその後のリハビリ目的で入院してきた女性は91歳だったがハキハキしていてすこぶる元気で老人とはとても思えないたたずまいだった。11月8日NHK放送の「ときをかけるテレビ:きんさんぎんさん100歳のとき」では約30年前放送された100歳になっても元気で活躍していたきんさんぎんさんの生活ぶりの再放送だったが、お二人は双子の姉妹で当時100歳以上の人は珍しく4000人位だったが今は99万人ですぐ10万人になろうとしているとのことだった。日本人は確実に長命化しており、生まれる子供の数は年々減少して子供や若年者が減少して高齢者が急激に増えている超高齢化社会になりつつある。今までは生まれた子供を立派な社会人に育てた後は役目を終えて静かに消えていくのが高齢者の人生と考えられてきたが、現在の年齢別人口構成分布をみると、高齢者や老齢者は次世代にバトンを渡す役目だけでなく、れっきとした社会の一員であり、自分達の生活の質を高めることを考えてもよい世代と位置付けられるのではないかと思えてきた。市の広報では手芸教室、書道教室、合唱クラブ、読書クラブ、英会話、体操クラブなど様々な習い事の誘いをしている。昔は「年寄りの冷や水」と言って、年寄りは若い人がやるようなことをするべきではないと戒めていたが、最近の趨勢は、年寄りでも何でも貪欲に学んで人生をエンジョイしていこうという空気になりつつある。齢をとったら若い人たちに養ってもらうという考え方も改めていく必要があると思った。齢をとることの意味が変わり、老年者の役割も変わってきているなとつくづく思った。
2024.11.12
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秋茄子の花と実りつつある小秋茄子 水もしたたる秋茄子 本日の6時35分からのNHK俳句のテーマは秋茄子だった。今までよく知らなかったが今年は一旦実が成り終わり、茄子の花が咲かなくなったら剪定すればまた花が咲いて実が成るということを知って、実際に剪定してみたら、美味しい秋茄子が次から次に実って凄いなと思っていたので、たまたま俳句でもそれをとり上げていたので我が意を得たりと番組が終わってから私も庭に出て写真撮ったのが上の写真である。入選作に 亡き夫(つま)の切り戻したる秋茄子(あきなすび)があった。私も高齢でいつ亡くなるか分からない状態になってきているので、夫が剪定した茄子に秋茄子が実った時、既に夫が亡く、ふっと悲しい思いになった奥さんの気持ちが伝わってきて泣けた。また 秋茄子や衰え知らぬ母なりき という句もあった。おそらくお母さんはかなりのご高齢だと思う。秋茄子ももう枯れる頃なのに今も元気に次々に艶艶した秋茄子を実らせている。その元気な秋茄子が衰え知らない母みたいだとうたったのだ思う。剪定しないと一旦花を咲かせて実が成ったナスの樹はそのまま枯れていく。ところが剪定してやると新たな枝を伸ばして花を咲かせ、茄子を実らせていく。人間が発見したことだと思うが凄い発見だと思った。
2024.10.13
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千日紅「未病息災を願いますー姿勢が気になったら」という番組をEテレ(教育放送)9月8日の日曜日午後7時から観た。猫背の治し方についての解説であった。猫背の治し方については多くの本も書かれており、色々難しい体操の教授もある(例ー何歳からでも丸まった背中が2か月で伸びる―安保雅博、中山恭秀 著等)が簡単なことではないと思っていた。背中が丸まったり腰が曲がったりするのは加齢に伴う骨の変化で仕方のないものと思っている人が多く、いくら本を読んで実践しても簡単に治るものではないと私も思っていた。しかしこの番組はすごく簡単なこと3つを提案しており、もしかしたら治るかなと思えた。この番組の基本精神は背骨の変形は背筋の衰えからきており、背筋を鍛えることによって少しずつ猫背が治っていくというものである。そこで背筋を鍛える3要素は1.鏡やガラスドアに映る自分の背中や腰が曲がった姿を仕方のないものと思わず、少しでも背中を真っすぐにしようと努力することである。2.壁に手をついて片足を後ろに引いて10秒間数え、反対側を10秒間してこれを10回を1セットとして1日3セットする。3.両手を肘を曲げた姿勢で胸の高さに上げ後ろに引っ張り肩甲骨を寄せるようにして10秒間保ち、これを10回して1セットとしてこれを1日3回するというものである。凄く簡単で誰にもできると思った。猫背が気になっている人は実行してみたらいかがかなと思った。
2024.09.11
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塀の陰の枯葉の間でそっと咲いていたツユクサ毎週土曜日は朝6時35分からの「キソ英語を学んでみたら世界とつながった」を観ている。小中学生及び一般が対象だが英語の勉強より世界中の生活状態を知るうえで大変参考になる番組である。本日は以前放映したものの再放送だったが、1991年6月に旧ユーゴスラビアから独立したスロベニアについての話題だった。スロベニアは日本の四国位の大きさだが鍾乳洞が多く、風光明媚な国である。その国の美しいブレッド湖の中心にあるブレッド島にある聖マリア教会での結婚式についてのクイズだった。そこで結婚式を挙げるには新郎は新婦を抱きかかえて99段ある石段を上がらなければならないとのことだった。写真でみたが気の遠くなるような石段だった。私は勤めで20段くらいの階段を上がるのに誰も抱きかかえないで自分だけで上るのにかなり息がきれてハーハーする。それを女性を抱き抱えて99段も上がるとは正気の沙汰ではない。今でなく若かった時の私でも途中でへたってしまっただろうと思った。そこで結婚式を挙げる新郎は体を鍛え、新婦はスリムになるよう努力して式に臨むとのことだが、かなりの難行だと思う。でもその難行を乗り越えて見事にカップルになった御両人には心からの祝福を送りたい。
2024.08.10
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丹精こめて咲かせた朝顔日曜日は6時35分からのNHK俳句を楽しみに観ている。本日は西山睦先生担当週で保育園と幼稚園機能を合併した保育園を設立した元園長がゲストで子供目線で見た多くの名句が紹介された。その番組の途中で数分間俳句同好の高校生グループ等の紹介番組が挿入されたが、その中である女子高校生が先輩の俳句甲子園提出句「新涼やきらいなやつの良いところ」に感銘を受けたと述べていた。私も感銘を受けたのでここにとり上げさせていただく。夏も盛りを過ぎて秋風が吹いてきた頃、新学期も始まろうとしている時、嫌いなやつだなと思っていた人間にふっと好ましい所がみえて、あいつもそれ程悪い人間ではないのだな、と思えた瞬間を読んだ句だと思う。倫理的には人を差別することなく、全ての人を同じように愛しなさいと教えられるが、卑怯な人やずるい人、横柄だったり、怠け者だったり、攻撃的だったりすると心の中では嫌いになる人もいると思う。でもある時の振る舞いをみたら「意外といいやつじゃん」と思える時があり、人間理解が深まった句と言えよう。この句をみて反対の句が浮かんだ。「熱風に大好き人のやなところ」大好きで憧れていた人がいたが、この暑い盛りに、嫌なことをしているのを目撃して戸惑っている句である。「あばたもえくぼ」という言葉があるが、一旦好きになってしまうと少々なことでは嫌いにならないかも知れないが、何度も嫌なことをする人は結局嫌われ人になっていくのだと思う。一つの俳句から色々なことに思いをはせた。俳句とは「古池やかわず飛び込む水の音」のように自然の一こまを切り取って句にする場合もあり、人間の心の動きを句にする場合もあるのだなと思った。人間の心の場合は「人を憎んだり、嫌ったりしてはいけないのだ」と心に縛りをかけないで、あるがままの気持ちを詠めばいい句になるのだなと思った。
2024.07.14
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衛星放送の朝7時15分から朝ドラ再放送「まんぷく」、7時半から朝ドラ「ブギウギ」を観るのが楽しみである。まんぷくでは発明家萬平さんがいよいよ即席ラーメンの開発に取り組んでいるところだが、お湯をかければすぐ食べられるラーメン、そこに到達するまでに、スープ、麺、乾燥、麺の再生と様々な研究を繰り返しているが失敗の連続である。今食べているインスタントラーメンがこんなにも試行錯誤の研究の末に出来上がったのかと改めて思う。今日放送分では義兄の真一さんがエジソンの言葉「100万回の失敗は、失敗したのではなく、そのやり方では成功しないことを100万回見つけだしたことで新たな発見なのだ」を萬平さんに贈って励ましていたが、何万、何千回という試行錯誤の末に出来上がったのがインスタントラーメンなのかと思い、昨日セブンイレブンからどん兵衛を買ってきて食べた。この中に萬平さん達の苦労が詰まっているのかとしみじみ思いながら食べた。それにしても皆さん演技が上手で一つの製品を作り出すまでにはこんなにも苦労を積み重ねなければならないのかということがよく理解できた。それに続く「ブギウギ」では子供を産んだばかりの福来スズ子が羽鳥善一が作曲した「東京ブギウギ」を東京日劇で初公演した場面を本日放送していた。戦後物心両面で落ち込んでいた日本人の心を東京ブギウギわくわく♪♪と躍動させるメロディで音楽の偉大さを改めて思い知らされた。スズ子の子供、愛子の父親愛助は愛子が生まれる直前に結核で死んでしまい、スズ子は音楽活動と子育て両方で目いっぱい頑張らなければならず、今後の展開が案じられる所である。これも脚本、演劇陣いずれも素晴らしいドラマで、出勤前に活力を貰っている。
2024.02.09
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昨年10月から朝ドラ「まんぷく」の再放送が始まった。5年前に毎回欠かさず見ていたのに今回も7時15分には何があっても遅れないで必ず観ている。インスタントラーメンを発明した安藤百福さんと奥さんの仁子さんをモデルにした作品で前回放映時も視聴率が高く評判の高かったドラマである。モデルがあってもなくても、モデルがドラマチックであってもなくても作品の良さは脚本で決まる。本作品の脚本は福田靖さんが担当した。この作品を描くにあたり、遺族や子孫にインタビュうーを重ねて構想を練ったとのことである。ドラマでは立花萬平と福子夫妻の波乱万丈の人生が描かれている。萬平は発明の才があり、幻灯機や根菜裁断機を発明し、結婚後は終戦後身元証明に困っていた人達の為に印鑑を作った。その後製塩業、総合栄養食品ダネイホンの製作、販売、を行い、事業が成功して軌道に乗りかけていた時、若手社員を定時制高校に入れてやってそのお金を全額出してやったことが脱税容疑となり、GHQに逮捕され獄中生活を送った。獄中生活は戦争中も同僚に裏切られてて入所し、戦後は社員が不発弾を使ったとして逮捕されており、3回も刑務所に入れられている。脱税の時は追徴課税もかけられ、会社も家庭も絶対絶命だったが、弁護士の必死の働きで会社を売り、マスコミで不当課税、不当逮捕を訴えてくれて、やっと釈放された。その後は池田信用組合の理事長になるが8年目に万能調理器を開発している会社に融資を重ね、折からの不況と重なって信用組合が危機に落ち入り、理事長を辞め抵当に入れていた自宅を失い、借家住まいになってしまった。という所で先週は終わっていた。3度も刑務所に入り、その都度不死鳥のようによみがえってきたのは奥さん福子の変わらぬ笑顔と支えがあったからだと思う。これからインスタントラーメンの発明の話が始まっていくのだと思うがまだまだ難関は続くのだと思う。萬平さんの不撓不屈の精神とそれを支える福子の物語は毎回ハラハラさせられるが結局夫婦で力を合わせて解決しており、夫婦の力は偉大だと改めて感じている。脚本家福田靖さんが天下に誇れる素晴らしい作品を描いてくれて心から感謝している。
2024.01.21
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クリスマスホーリー土曜日に鶴瓶さん司会番組で元気な100歳の女性を観た。もう40年くらい前に金さん、銀さんの二人の双子姉妹が100歳になり、随分話題になった。まだその当時は100歳は珍しく二人がお雛様のように並んで貴重な存在として何回も何回も紹介されていたが、もう人生終局でここまで生きてきた人がいるのだという珍しい見本の紹介のようだった。所が今は違う、100歳以上の人が何万人もいるようになった時代である。土曜日に観た女性はお惣菜を作って売っているお店の窓口で品物を売り渡す花形売れっ子ガールをしており、仕事を終わってからは趣味の世界でスケジュールがいっぱいになっていた。謡曲では大劇場の発表会で主謡を演ずるほどの腕前で毎日夜遅くまで楽しんでいる。友達が大勢いて仲間との旅行も好きで、山梨県の富士が見える高級ホテルに旅行したりしている。旅行での大きな楽しみの一つは麻雀で夜が更けるのも忘れて楽しんでいるとのことだった。私はマージャンができないのでその楽しさはあまりよく分からないが、彼女は勝負は2の次、勝っても負けても夢中になれるとのことだった。金さん銀さんの時代とはかなり違ってきた。100歳でもこんなに活動的な女性がいる時代になってきたのだと思った。私は103歳の女性を受け持ったことがあるが脳梗塞で鼻管栄養の方だったがその方も脳梗塞発作前までは元気で活躍していたとのことで、時代は変わってきているなと思った。
2024.01.15
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3年前の今頃の武田神社の紅葉、今年は温暖期が長くまだしっかり紅葉していなかったので3年前に撮影したものを使わせて頂いた。毎週土曜日朝6時35分からの世界探訪番組「基礎英語を学んでみたら世界とつながった」という番組を観るのが楽しみである。世界のあらゆる国を訪問してその国の暮らしぶりを紹介してくれる番組である。11月18日の土曜日はマルタ共和国の紹介だった。ご夫婦と双子の娘さんの4人で街の紹介や自宅での暮らしぶりを紹介していただいた。娘さんは学校でダンス部、機械体操部に所属して楽しそうだった。昔城壁で囲まれていた遺跡や、風光明媚な環境、のびのびと育っている子供たちなど素晴らしい国なのだなと思ったが詳細は知らないので調べてみた。地中海中心部にあるマルタ島、ゴゾ島、コミノ島などからなる島国で面積は316㎢で日本の約1,250分の1で東京23区の約半分の小さな国で人口は44万人とのことだった。新石器時代から人間が生活しており、共和制ローマ時代に地中海貿易で繁栄した。第一次、第二次大戦ではマルタ沖で海戦がしばしば勃発し、戦後イギリス領になったが、1964年にイギリスから独立し1974年に共和制に移行した。エネルギー資源がなく石灰石産出位で食料自給率は20%位である。食料水は近くのイタリア半島から輸入している。労働者が勤勉で貿易を中心にした経済で電子、繊維、観光が主な産業である。教育は無料にして将来経済成長を支える人材育成に励んでいるが、現実は15歳以上の労働人口で小学校などの初等教育のみで終わる人が全体の53%で識字率は92.4%で7.6%の人は字が読めないのである。調べてみたら結構大変な国なのだなと思った。テレビに登場した家族は家の大きさなどから見て相当恵まれた家庭だったのだなと思った。日本に生まれ、日本で育ち、日本で働かせてもらっているのは幸せなのだなと思い、地球の果てなどで暮らしている人たちに対し、同情、同苦し、援助ができる人間でありたいと思った。
2023.11.20
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アメリカフヨウ庭の端にあるススキ教育テレビ今朝6時20分から5分間の「何分の1」という番組を観た。今日のテーマは30分の1で日本国民約1億2千万人の30分の1,つまり410万人が何らかの精神疾患を持っており、会社や学校を休んだり閉じこもりになったりして辛い毎日を送っているという内容であった。たった5分間の番組なので詳しい分類などなされていなかったがこの中には認知症は入っていない。認知症だけでも600万人以上おり、これだけで20分の1を占めている。この両者を合わせると約1千万人で12分の1になり、12人に一人は精神疾患か認知症ということになる。今朝のデーターは老人の認知症は含まないそれより若い人達の精神疾患ということになる。一人の30歳代くらいの女性の1日の生活を追いながらナレーションが流れていた。朝起きた時が一番つらいとのことだった。それでも食事を作らなければならないが自ら作る気力はなく、買い置いたものを食べたり弁当箱に詰めたりする。会社には行きたくないが嫌々ながら出勤する。嫌いな人と話すのは恐怖感を感じ、ミスを繰り返して怒鳴られる。ストレスがたまり、それが段々積み重なって頭痛とか眠れないとか閉じこもり等にになってしまった。そういう状態は一人で解決するのは難しい。今の世の中には心理療法士とか作業療法士とかいて、助けになってくれる。その人たちの力を借りた方が良いという内容だったが具体的にどうしたらよいかということは5分間の番組の中では語られていなかった。そこを私が補足したいと思う。体調が悪い、やる気が起きない、眠れない、食欲がない、人と話すのに恐怖感がある、ストレスが溜まって狂いそうだなどの症状がある人は精神科クリニックを受診するのがいいが、精神科の名がつくと抵抗感があるので内科クリニックでもいいと思う。そこで自分の症状を話すと薬を処方してくれることもあるし心理療法士などを紹介してくれることもある。あるいは精神科クリニックを紹介してくれるかもしれない。薬で良くなることもあるし、心理療法で良くなることもある。放って置いたらどんどん悪くなってしまうことが多いので、家の近くでよいので信頼できそうなクリニックを受診して相談して頂きたいと思う。
2023.10.09
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毎週日曜日朝6時35分からのNHK俳句を楽しみに観ている。最初の頃は自分でも作って応募していたが入選にも殆ど入らないのでこの頃では応募は止めて聞くだけにしていることが多い。はがきやインターネットでの応募は毎週8000通から10000通あるということでその中で入選するのはかなり難しい。毎週講師兼選者は異なり、今週の講師は高野ムツオ先生だった。リベート形式で二組に分かれてお互いの句を批判する様式で兼題は「噴水」であった。 投稿者の中で一位になったのは「噴水のなかで時間が混ざり合ふ」であった。噴水を観ていると過去、現在、未来の様々な状況が浮かんでくることを詠んだものとしてすばらしかったとのことだった。また投稿を再開して一度は入選なり、特選なりに選ばれたいものだと思った。
2023.07.23
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今朝のテレビ画面を撮影した「キソ英語を学んでみたら世界とつながった」という番組がある。教育テレビで毎週土曜日朝のラジオ体操直後の6時35分から7時までの25分間だが実に意義ある楽しい番組なので毎週楽しみに観ている。テレビのない人でもhttps://www.nhk.or.jp/school/eigo/kisoseka/をクリックするとご自分のパソコン又はスマホで今までの番組がまとめて動画で見れるのですごいと思う。本日訪ねた場所はスエーデンのストックホルムだったが毎回世界を訪ねてくれる。スイス、ポーランド、オーストラリアなどよく知られた国もあるが地中海のマルタ共和国などあまり知られていない国も訪ねてくれる。世界中の国々をその国の人達によって紹介してくれるので世界旅行したような気分になれる。その国の生活が良くわかり、日本よりずっと貧乏な国と思っていたら日本よりずっと豊かな生活をしていることが分かったこともある。きょうの番組スエーデンではリサイクル精神が行きわたっていてゴミの収集場所があちこちにあり、ゴミを燃やしてエネルギーにしてバスを走らせているとのことだった。各国の人達皆さん明るくてとても戦争など起こしそうもないが、現実には紛争が起こっている。でもこのような世界がつながる番組を各国で放送すれば世界の友好と平和に貢献するだろうなと思った。
2023.07.08
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昨日の朝6時35分からの「基礎英語を学べば世界が分かる」を観た。世界各国の家族を紹介している番組で昨日はサン・マリノの家族の紹介だった。サンマリノ共和国は世界で5番目に小さい国でイタリアに囲まれていて面積は61.2平方メートル、東京山手線で囲まれた範囲の広さとのことだった。人口は33,614人、安い法人税はあるけれど所得税、消費税はなく、外国人が買い物しても税金がかからないとのことだ。観光がメインでワインやチーズなども作っている。平均寿命が男女合わせて83歳で日本、スイス、と並んで世界一である。夫婦と二人の子供のいる家庭を紹介してくれたが、家も立派で皆さん楽しく生活しているようだった。街の様子も活気があり、子供達もサッカーをしたりしてすくすくと育っており、羨ましいと思った。昨年始まったロシアのウクライナ侵攻は11カ月になるがまだ解決の兆しがない。根底にロシアが領土を広げたいと言う野望がある。サンマリノのように小さな国でも幸せに暮らしている。領土が広ければよいというものではない。領土に固執しているからロシアは第2次世界大戦でかすめ取った北方4島を日本に返還しようとしない。領土の広い狭いは幸せには関係しないことを昨日のテレビを観て強く感じた。ロシアは早急にウクライナ領土占領を止めて、撤兵すべきだと考える。
2023.01.22
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この寒さで殆どすべての植物が枯れてなくなっても厳然と緑を保って生き続けている彼岸花の葉の時期-秋の彼岸の頃には真っ赤な彼岸花を咲かせる。(1/16撮影)英雄たちの選択「森鷗外」をみた。鴎外は島根県津和野町に1862年2月に生まれ、お家のために教育ママ、教育祖母に幼少時から徹底的に仕込まれ、幸いそれについていける才能と忍耐力があり、成績優秀で飛び級してさらに2歳年齢を偽り12歳で東大医学部に合格して落第者が半数近くいる中で優秀な成績で卒業して陸軍省に入り衛生学を学ぶために5年間ドイツ留学し、最後は軍医総監医務局長という最高の地位についた。ドイツ留学時代のことを書いた「舞姫」を皮切りに「イタ・セクスアリス」「山椒大夫」「高瀬舟」など数多くの小説を書き、小説家としても大成功した人だ。60歳で結核から腎臓を悪くして亡くなっているが、その時の辞世の言葉が上記「死とはすべてのことの中断である」だったとのことで、墓には出生地と実名 森 林太郎だけで今までの経歴など書くなと言われた。その真意については専門家は薩長支配階級に対する反発心とか、お家のために一生生かされてきて自由がなかったことに対する反省など色々言われている。もともと学業優秀だっただけに自尊心が強くドイツ留学時代も同じドイツ留学生との間で軋轢があり、小倉に左遷された時も上層部を恨んでいた。評論を読むと死の直前まで、家族を含め彼の周りの人達は皆お馬鹿さんだと心の中では軽蔑していたのではないかと言われている。それらの情報を踏まえて「死は全てのことの中断である」の意味を改めて考えると、私は自尊心の塊で、思いあがっていた鴎外の一時的な休戦宣言ではないのかと思った。番組の中で「沈黙の塔」という作品の紹介があった。私は無料図書館「青空文庫」で読ませていただいた。友人から教えてもらったのだが凄い図書館があったものだと驚嘆している。方法は簡単で、まず検索で「青空文庫」と入れて、その画面を出し、人名索引、書名索引のどちらかを選んでその書名「沈黙の塔」を探してクリックすればすぐ読める。プリントアウトもできるのである。本屋に行ったり図書館に行かなくて居ながらにして無料で自分の読みたい本が読めるのである。ボランティアが運営しているとのことだが凄いことを始めたものだと思った。「沈黙の塔」の内容は自然主義文学や社会主義文学を読む人は捕らえられて沈黙の塔の中で殺されるがそれは不法であり、馬鹿げたことであるという内容である。この作品を書く前に明治天皇暗殺計画があったとして幸徳秋水ら24名が死刑判決され、判決から6日後12名、7日後1名が死刑執行された。無政府主義者や社会主義者や博愛主義者を根絶するために当時の政府が捏造した事件と言われているが、その事件を批判した小説が「沈黙の塔」だった。鴎外は当時陸軍省の軍医としてトップの立場にあり、政府の内情も知っていたはずだが、何も出来ずにむざむざと13名を処刑させてしまった。政府に対し発言することもできたかもしれないのにその流れをせき止めることができず、忸怩たる思いだったと思う。それを小説に書き、わずかながらの罪滅ぼしをしたのかもしれない。外から見ると軍医としても小説家としても最高位に上った人だが、死という最後の瞬間を迎え、成就できたこともあるが、何も出来なかったこともあり、無念ではあるが、一度ご破算にしようという気持ちだったのではないかと思う。ご冥福を祈るばかりだ。
2023.01.18
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数年前から6時25分から10分間のテレビ体操をしている。その内容は最初の6分は準備体操のようなみんなの体操で後半の4分がラジオ体操第一と第2を日替わりでやっている。夏の間は6時25分に起きるのは易しいが、冬の間は6時25分はまだ暗く、かなり寒いので起きるのが大変だがそれでも曲りなりに続けてきた。しかし今日は日曜日ということもあって油断があったのか、起きようとしたら6時35分頃で間に合いそうもないので諦めた。月に1~2回そういうサボりがある。健康維持の目的で始めたが効果があるかどうかは分からない。腰痛があり、首を後ろにそらすと痛い。上向きに寝ると左上腕が痛いので横向きでしか寝れない。頸椎のヘルニアではないかと思っているが、加齢に伴って色々なところに障害が起こっている。テレビ体操でそれらの障害を予防することはできなかったが、今後も体操は続けようと思う。目に見えて健康になったとか、ヘルニア予防になったとかの効果は認められないが、それをしていなかったらもっと老化が進んだかもしれないので、体操は続けようと思う。
2023.01.08
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今朝7時15分からのBSテレビのテーマは「見た目を気にするコンプレックス」だった。二人の女性坊さんと二人の男性坊さんの説法があった。一人の女性坊さんは子供の頃は口が大きいことを気にしていた。落語家になった時師匠から口が大きいことはそれだけ皆に色々なことが大声でしゃべれていいことだと言われてふっ切れたとのことである。坊さんになった時頭をつるつるに剃ってしまった時「若い娘がツルツルでは恥ずかしくないか」と言われたことがあるが、夫は「全然恥ずかしくない、その姿を好きだ」と言ってくれた。人の反応は10人10色、悪く言う人もいればよく言う人もいる。一人でも最愛の人から「いいよ」と言われれば満足だ。人目を気にすることはないと説法してくれた。もう一人の女性坊さんは布施の話をしてくれた。見た目より心の美しさの方が大切だ。見た目は遺伝子の関係もあり、容易に変えられない。心の美しさは誰でも7つの布施をすれば得ることができると経文に書いてある。一番目は目による布施、2番目は声による布施、3番目は振る舞いによる布施、4番目・・・云々と7つあるが誰にもできる布施で他人に対して目や言葉や振る舞いで慈愛ある行動が出来ればコンプレックスなんか吹き飛んでしまうと説いていた。男の坊さんのお話はお二人とも大体同じで、見た目のいい悪の基準、つまり背が高い低い、鼻が高い低い、勉強ができる出来ない等の評価の基準は時代や好みによって変わってくる。例えば勉強ができる出来ない等はエジソンやアインシュタイン等の伝記を読めば偉人の多くは学校で勉強ができない人が多かった。鼻が高かろうが低かろうが学校の成績が悪かろうが、それは他人から見た判断基準である。自分がどうなのかが問題だ。他人と比較した自分でなく、自分はどうなのかを確立する必要がある。体を鍛え本を読み、奉仕活動をする中でコンプレックスは消えていくものだという説法であった。生涯でコンプレックスを感じたことのない人はいないと思う。お坊さん達のお話にもあったが100人いれば百人が目指すものも好みも違う。他人を見て自分にないものがあったり、逆に自分にあるものがなかったりするのは当然である。その原則に立って死ぬまで自分を高めるための努力をしていくことが大切なのだなと思った。
2023.01.07
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今朝7時15分からの「10人のお坊さん」のテーマは「過去の思い出に苦しむ」でした。自分が未熟なために犯した失敗や、「ああしておけばよかったのにそれをしなかったために今の惨めな自分がある」など過去に捉われて惨めな気持ちになっている人達に対する説法でした。4人のお坊さんが回答していました。あるお坊さんは「過去に拘るというが仏法上は過去も現在も未来も同一である。現在の地面に立っている自分が過去も未来も統括しているのである。過去を切り離すことはできない。嫌な事ばかり思い出さないで楽しいことも思い出して、楽しく暮らすことが大切だ」と説法していた。ある坊さんは「なんとか嫌なことを思い出さないようにする方法はないか」の質問に対して、「思い出したくないと思えばなおさら追いかけてくる。自然のままがいい。良い思い出も悪い思い出も自由に出入りできるようにした方がよい」と述べていた。ある尼さんはウサギとカメの話をして「能力的には勝っていたウサギが負けた原因は油断でありカメを馬鹿にしていたからである。それを反省して今後の人生の糧にすればいい。その嫌なことから逃げるのでなく迎い入れて敗因をよく検討すれば無駄ではない」と語っていた。お坊さんたちにも過去の苦い思い出はあると思う。現在はそれを克服した状態なのだと思うが、それを克服するまでには様々な戦いがあったのだと思う。あるお坊さんは過去なんてないんだ。過去も現在も未来も一緒と述べていたが、一緒でも何でも過去のことは取り返しができない。後悔の念はずっと続いている。それを解決するのは簡単ではない。お坊さんの話などを参考にして、自分なりに解決していく問題だと思う。ある友人は「過去のことには一切かかわらないことにしている。前を向いてこれから先のことを考えながら生きている」と言っていたが、前向きで建設的な生き方だと思った。
2023.01.06
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今朝7時15分からの「10人のお坊さん」は「なぜ生きるのか」がテーマだった。ある60歳台女性の投書に対する回答形式で数人のお坊さんが説法して下さった。投書の内容は「20年間親の介護で辛いながらも生き甲斐を感じていた。所が先日その母親が亡くなってしまい、気が抜けたみたいで生きる意味が分からなくなった。兄も突然死んでしまい孤独状態で何のために生きているか分からない。今すぐにでも死んでしまいたい気持ちだ」というものだった。3~4人のお坊さんが回答してくれたが「お釈迦さんがこう言っている」など宗派の創始者の言葉を引いて説明してくれていたがあまりよく理解できなかった。あるお坊さんは「好きなことを見つけなさい。それに打ち込むことが出来ればそれが生きている意味ですよ」と説明していた。あるお坊さんは「自分であれこれ考えても解らない、自分が親しくしている人の方が貴方のことをよくわかっているかも知れない。その人に相談することによって生きる意味が分かってくるかもしれない」と述べていた。ある坊さんは「生きると言うことは一瞬、一瞬なのですよ。親が亡くなって20年間尽くしてきただけに心に空白が出来たかも知れないが、それは長い目でみた生きる目的で、実際は一瞬、一瞬に生きているので一瞬一瞬に楽しいことを思い描いていくことが生きるということですよ」と述べていた。ある坊さんは「生きるとは人のために布施すること、人のために何等か役立つことをしていく。そのように経典に書いてありますよ」などの回答だったが質問者の60歳台女性は分かっただろうか?親の介護は人のために生きていて生き甲斐を感じていたのだと思うが、その対象が死んでしまい生きる目的がなくなってしまったとのことだが、ボランテアで清掃や花植え運動に加わることも人のためになる行いである。自分に興味があり自分が楽しくなることを見つけ出すことが生きる目的につながるのではないかと思った。
2023.01.05
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いよいよ今日から正月気分でなくなり通常番組になるのでBS7時15分からの懐かしの朝ドラ『本日は晴天なり』だと思ってスイッチを入れたら『10人のお坊さん』をしていた。それは視聴者の悩みに応じて各宗派のお坊さんが回答してくれる番組だった。今回は40歳代の女性の方の質問で「会社では一生懸命仕事しているのに後から入ってきた女性が自分より先に役付きになった。美人を鼻にかけて気に食わない人で自分よりずっと仕事ができない人なのに私より先になった。一生懸命仕事しているのに自分は評価されないのが悔しい」というものであった。各お坊さんの回答はほぼ似たような回答で「仕事は人に見せるため、評価されるためにしているのではない。結果的に給料をもらうためかもしれないが、会社のためであり、人々の生活を豊かにするためであり、製品を使った人々に喜んでもらうために仕事しているのだと思う。良い評価という報酬を期待しての行動はそれが報われなかった時には必ず不満になり、不幸を感じてしまう。他人や会社に対しての行動は他人からの報酬を期待していたら幸せになれない。一番身近で見ている自分自身が満足する仕事をしていれば幸せになれる」というものであった。要は「幸せになりたかったら全ての行動は人様の為であり、それによって何かお返しを期待してはならない」というものであったが質問者は納得したであろうか?「ばかばかしい、何かしてやるのは返礼を期待するのは当たり前ではないか!!」と思ったかもしれない。「お坊さんの回答は高尚すぎて理解できないところもあるが、なるほどと思えることもある。気に食わない後輩が先に昇進したからといっていきり立つことはない。普段通り自分の満足できる仕事を続けよう」と怒り狂うことなく平常心を心がけるかもしれない。坊さんたちは長い年月修行を重ねて今の境地に到達したのだと思われるので、一般の人達がすぐ理解できたり、採用したりできないこともあるかもしれない。しかし聞く耳を持つことによって怒り狂って不幸な日々を過ごさなくてもよくなるかもしれない。15分番組だったがNHKも味な番組を企画したものだと思った。
2023.01.04
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昨夜テレビを何気なく観ていたら宇宙飛行士になりたい人たちへのインタビューが耳に入ってきた。50歳代の母親が星を好きで宇宙飛行士になりたくて応募したが書類審査で落とされて代わりに大学生の息子に夢を託したケースがあった。子持ちの30歳代の女性も子供の頃から宇宙飛行士になることを夢見ていて応募、50人の枠に入ったら旦那さんが協力してくれて、訓練の日には旦那さんが子供を見てくれて全面的にバックアップしてくれた。なんて素晴らしい旦那さんなのかと思った。様々な予備選挙をパスした人が50人枠に入り、その50人が一緒に体力強化運動や精神力強化訓練などを経て最終的に数名選ばれる試験に臨むことになる。いずれにしてもそれほどまでして宇宙飛行士になりたい人がいるのだなと思った。自分はなりたいとは一度も思ったことがなかったので、人間にはみなそれぞれなりたいものがあるが、他の人はそれほどそれになりたいと思ってはいないものだなと思った。人は生まれて成長していく過程でそれぞれ将来なりたいものを思い描く。会社員になりたい子供もいれば電車の運転手になりたい子供もいる。野球選手やサッカー選手を夢見る子供もいる。看護師や保育士、学校の先生などを夢見る子供もいる。映画スターや歌手などになりたいと思っている子供もいる。医師や弁護士や政治家になりたいと思っている人もいる。しかし昨夜のテレビ番組では宇宙飛行士になりたいと思ってもなれる人はほんの一握りで他の人はなれない。この現実をどう考えたらいいのかと思った。昨日のテレビでは宇宙飛行士の最終試験に落ちた人は「同じ目標を持っていた50人の仲間と色々訓練を受けたことは忘れない。この経験を実社会の中で生かしていきたい」と述べていたが、誰でもが思った通りの職業につけるわけではない。願い通りの職業につけた人は幸運だが、惜しくも落選した人は再度挑戦するか新たな進路を見つけていくことになる。正月にあたり自分のなりたい職業や進路についてもう一度よく考え、選抜試験がある場合は、それに落ちた場合についても考えを巡らせておく必要があると思った。
2023.01.03
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「鎌倉殿の13人」は源頼朝に始まった権力闘争の歴史で、共に戦ってきた同志であれ身内であれ権力を脅かす恐れのあるものは容赦なく滅ぼしてきた物語であった。殺戮の連鎖を三谷幸喜の脚本で一回一回手に汗握るような場面の連続で視聴者を引きつけてきて18日の最終回はどうなることだろうかと大きな期待がもたれたが全くの期待外れだった。北条義時の軍が後鳥羽上皇を含む3人の上皇を島流しにした承久の乱は日本の歴史始まって以来の大事件だったがそれを最終回の中にいれ、殺戮を繰り返してきた義時の最期もこの回にいれ、北条政子が生き残って尼将軍として君臨していくことも詰め込んであれもこれも最終回で纏めようとしておりかなり無理があった。三谷幸喜氏は脚本家のプロで最終回は難しいことを熟知しているはずだが総花的で全然面白くない最終回になってしまった。62歳で亡くなった北条義時の最期に焦点を合わせた方が良かったかも知れない。あれもこれもとなると結局何も伝えられず「鎌倉殿の13人」そのものの評価につながってしまう。朝ドラ「ちむどんどん」の最終回も総花的で全然面白くなかった。最終回は極めて大事で、全てを詰め込むのでなく、欲張らないで一つのことに焦点を合わせた纏め方の方がよいと考える。
2022.12.20
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今夜の「英雄たちの選択」は鎌倉幕府第3代将軍 源実朝が実朝の兄である第2代将軍 源頼家の子 公暁に実朝の右大臣就任祝賀式典が行われていた鶴岡八幡宮で暗殺された経緯であった。亨年28歳であった。実朝には子供がなく、都の後鳥羽上皇の子供を第4代将軍として迎え、自分は後見人になる予定でその準備が着々と進められていたさなかでの大惨事であった。時の最高権力者の将軍が易々と暗殺されたとは警備はどうなっていたのかと思う。番組では北条義時を始め東国の御家人達は天皇家でなく頼朝の血筋の中から次の将軍を決めるべきだとの考えがあり、実朝と御家人達の考えがかけ離れていたことが悲劇の原因になっていたのではないかと結んでいた。テレビの「鎌倉殿の13人」では公暁の乳母の夫三浦義村がしきりに「北条一族が公暁の父頼家を殺したのだ。本来なら公暁が将軍になるべきだ」とたきつけて実朝を殺させ最後には公暁を自らの手で殺している。三浦義村という男はあらゆる場面で北条義時と密通しており、この時も公暁をたきつけておきながら最後には最高権力者の義時に忠誠心を示すために公暁を殺している。令和の時代でも安倍元総理暗殺という大事件が起きた。実朝は神事の最中、安倍元総理は選挙の応援演説の最中でいずれも警備の隙を狙っての暴挙で痛ましい事件であった。和歌をたしなみ誠実な人柄だった実朝が殺されなければ日本の近代化が早まり、人殺しを日常的に行っていた武家政治はもっと早く終了したかも知れず残念でならない。
2022.12.07
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パンク町田さん今日の朝6時35分からの武井壮さんが司会をしているNHK俳句のゲストはパンク町田さんだった。私は初めて見たがどんな動物も手なずけてしまう有名な人とのことである。俳句は全く素人とのことだが、本日はタヌキがテーマでパンクさんもタヌキが外来の動物に押されて住むところが少なくなっていることを俳句に読んでいた。動物に対する愛情が並々ならない人だなと思った。この世の中にはすごい人がいるものだと感嘆した
2022.12.04
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三重県の友人が送ってくれた世界一美味しいみかん本日の「英雄達の選択」は福沢諭吉であった。福沢は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の言葉で有名だが、最初に福沢の簡単な年表を記す。1835年大阪で生まれるが、1年後父が病死して母と5人の子供は大分県中津に移住。5歳から漢学を学び始め15歳で殆どの漢学書を読破。19歳で長崎で蘭学を学び、その後大阪に移り、緒方洪庵の適塾に入門。22歳で適塾の塾長になった。1868年23歳の時、学問に秀でている者として江戸に召集され、小さな蘭学の私塾を創設した。それが後に慶応義塾大学となったものである。江戸に出た時最も驚き落胆したのは、外国人の会話はオランダ語でなく英語だった事である。普通の人間なら、あんなに夢中になって勉強してきたオランダ語が通じないとなれば失望落胆して消えてしまったかもしれないが、福沢は違っていた。心を入れ替え今度は1から英語の勉強を習い始めてそれをマスターしてしまったのである。そして1860年(25歳)には幕府の船、咸臨丸で勝海舟、ジョン万次郎などと共に、アメリカに渡ったのである。それから1867年まで、イギリス、フランス等のヨーロッパとアメリカの間を何度か行き来して見識を深めた。1872年「学問のすすめ」刊行1882年日刊新聞「時事新報」発刊1886年婦人論を執筆し男女平等を訴えた1901年2月3日脳溢血の再発で68歳の生涯を閉じた。本日のNHK衛星放送での「英雄たちの選択」では、福沢がイギリス遊学中オランダ人からイギリスの議会制民主主義の講義を受けて感銘をうけ、日本の政治もイギリスの民主主義を見習うべきだと思うようになった所にスポットが当てられた。福沢が外遊から帰ったら日本は大変な事になっていた。禁門の変以降大変革が起ころうとしていたのである。長州攻めの時、福沢は幕府軍は何としても長州を制圧してその後幕府が生まれ変わって幕府の力で封建制を一変させるべきだとの意見書を幕府に提出した。しかし第15代将軍徳川慶喜には既に戦う気力がなく、大政奉還し、薩長による新政府が成立してしまい福沢にとっては残念な推移であった。その後明治新政府が動き出し、国会開設の機運が盛り上がってきた。福沢は新政府の要人井上馨に呼ばれ、政府の意見を伝える新聞の発行を依頼され、協力することになる。しかし明治14年の政変で福沢が主張してきたイギリス型議員内閣制を取り入れようとしていた大隈重信が伊藤博文や井上馨の反対にあって追放されてしまったのである。伊藤や井上は福沢の言うように民衆に力を持たせることは危険極まりないと強硬に反対したのである。そして政府中枢からはずれた大隈が立憲改進党を結成して福沢に一緒に戦っていこうと要請した。ここで大隈と共に政治活動をしていくか、大隈の要請を断って在野の道を歩むのかのどちらを選択するかの設問が出された。福沢は政治に対する明確なビジョンを持っていたので、大隈の要請を受け入れて共に政党人として戦って欲しかったが、政治の真っただ中で戦う勇気がなく、大隈の要請を断ってしまった。そして結局伊藤や井上らを中心に制定された大日本帝国憲法はドイツ型の中央政権制の強いものであった。福沢は野にあったが、政府に反対の意見を持っている危険人物として密偵に監視され、東京からの追放も検討されていた。憲法制定の時、華々しく名を馳せた伊藤や井上とは対照的に密偵に監視されながらひっそりと暮らしていた福沢は、戦後の民主主義時代になって蘇り、死してその名はいやが上にも高まっている。
2022.11.30
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朝ドラ再放送『本日は晴天なり』の本日放映分で昭和20年8月15日正午に天皇陛下のお言葉が放送された。雑音や音量の関係などであまりよく聞き取れなかったが、多くの国民は「戦争を終わりにする」という意味だったのではないかと受け止めたが、各地で混乱が起きた。「今まで命がけで戦い、命を落とした者も限りない。もっと早く終結していたら死なないで済んだ者もいる」「一億玉砕で負ける時は全員死ぬつもりだった。生き残ってもこれから何をしたらいいのか分からない」放送局を占拠して銃を突きつけてあくまで戦争を続けると放送をしろと迫る軍属もおり、緊迫の一日だった。その日以後については我々も知っている、何もない焼け野原に立った私たちの先輩が奇跡の復興を遂げて経済大国になり、世界を驚かせた。8月15日以前は毎日、空襲、無差別爆撃を受け、住民は燃え盛る炎の中で苦しみ、恐れおののきながら多くの人達が死んでいった。むごいことである。戦況有利者が既に勝敗は決まっているのに無数の飛行機で焼夷弾を落とし町ごと燃やしてしまうとは人間のすることではない。今ウクライナで同じ事が行われている。死傷者をこれ以上増やさないためにもプーチン、ゼレンスキー会談を実現して、一刻も早く戦争を終わらせて人命を救ってもらいたいと思う。今から77年前日本は大変な目に遇った。地獄の状態だったと思う。決してあのような悲惨な戦争を二度と起こしてはならないと思う。その主因は満州国支配固執とそれに伴う経済封鎖だったと思われるが、欲にかられたことが発端だったと思う。自国の利益のみを考えた政策は必ず争いを起し、武力闘争に発展することもある。自国と他国の共存共栄を第一義に考えて外交政策を行ってもらいたいと願うものである。
2022.10.28
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朝ドラ「ちむどんどん」が本日最終回を迎えた。主人公暢子の妹歌子が高熱で意識不明になり、兄のニーニー(賢秀)も千葉から駆け付けるが、最後はどうなったかもわからないままで40年後を迎え、歌子は元気でここ10年病気したことがないと言い、元気な子供達に囲まれていた。ナレーションで暢子の沖縄のレストラン「ちむどんどん」も大盛況で皆さんハッピーエンドで終結していた。羽原大介氏脚本の沖縄復帰50年を記念した作品だが、ストリーの整合性や笑いを取ろうとするあまり、ニーニーの常識を超えた演技などで様々な批判が寄せられた。最終回だけ見ても病弱だった歌子が相思相愛の智と結婚した直後なのに瀕死の重病になり、死んだのか助かったのか分からないまま40年後になり歌子は生きていて子持ちになっていた。この物語のこの場所に歌子の病気は何の意味があったのだろうかという疑問と40年経つと本当に皆さんハッピーエンドになるのだろうかという疑問が残った。元農水省副大臣の磯崎陽輔氏が「ただ終わったというだけで何の共感も得られなかった作品だ」としてNHHに反省を求める文章を公表しているが、その思いを持った人は磯崎氏だけではないと思う。朝ドラ選定については何年も前から検討委員会が開かれ、原作者や脚本家が選定されると聞いている。今回選定された脚本家羽原大介氏は以前好評だった「マッサン」を手掛けた人で必ずしも選定ミスではないと思うが朝ドラといえば沢山の俳優を使い舞台装置も大掛かりになる。そんな大仕事を羽原氏一人に任せきっていなかったのかと思った。朝ドラは毎日毎日、日本中の各層、各年代の人達が楽しみに視聴する大イベントである。どうしたら面白くなるか羽原氏を支えるドラマ作家群や配役陣が視聴者の声を聴きながら作戦会議を開いて練りに練って良い作品を作ってくれたらよかったと思った。本作ほど大勢の人の意見が出た作品は少ないと思う。NHKはこの批評なども参考にして次作以降、素晴らしい作品を作ってもらいたいと願う。
2022.09.30
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チェリーセイジ本日朝6時35分から7時までのNHKのEテレNHK俳句を視聴した。本日の季題は「天高く」で入選作の発表の前に俳人有馬朗人(ありま あきと)さんの句が紹介された。有馬さんは俳人の他に、物理学者で東大総長も歴任し、参議院議員にもなり、小渕内閣で文部科学大臣も歴任された方で多角的才能の持ち主だったことも紹介された。本日紹介された有馬さんの句は「いずこにも龍いる国の天高し」だが意味が分からなかった。解説を聞いたら中国を旅した時、お祭りにも龍が出てくるし、お寺にも公園にもあらゆる所に龍が出てくる中国の空は晴れ渡っていたということらしい。これが優れた句かどうかは未熟者の私には分からないが解説を聞いていると心の広い方だったのだなと思った。世界各地を旅行しており、中国にも50回くらい行っているとのことだった。有馬さんは異国の地でその国についての句を詠むことが多く、その旅行先の国を称える句が多いとのことである。現在尖閣諸島問題などで日中の関係はあまりよくないが、旅はまた別であり、俳句も別だと思った。政治的思惑は異なっても市民との心の交流、その国の歴史などを大事にした方だったのだと思った。世界80か国以上を旅している友人がいるが、彼はブログで各国を紹介している。俳句にしろ、川柳にしろ、短歌やブログにしろ、旅した国の印象を詠むことは、自分の感動を他人にも知ってもらうことになり、国際交流の役割を果たしていると思った。
2022.09.18
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庭のイベリス日曜日に「鎌倉殿の13人」を観た。頼朝が梶原景時に命じて上総介広常(かずさのすけひろつね)を謀殺した場面である。上総介と言えば頼朝にとって大恩の人であり鎌倉殿を支える大黒柱の人である。上総介は頼朝の父義朝の御家人だったが1159年の平治の乱で義朝が平氏に敗れた後平氏に従っていたが頼朝が石橋山の戦いに敗れて没落の危機にありながら安房で再挙した時2万の兵を率いて参戦してくれたおかげで頼朝は鎌倉殿の地位を得られたのである。今度謀叛人の棟梁として上総介を暗殺したが、謀叛人どころか命を救ってくれた人である。木曽義仲を討つという頼朝に対し同じ源氏同士で殺し合いをするのに反対の御家人はそれまでにも頼朝に不満を持っていたので団結して頼朝を失脚させようとした。その時北条義時等の計らいで上総介に反乱軍の党首になってもらうことになった。そして圧倒的な勢力になった反乱軍が頼朝の御所を攻めようとしたとき総大将の上総介の一声で頼朝の首は助かったのである。頼朝にとってはお世話になった人ではあるが御家人としての勢力が群を抜いて大きいこと、頼朝は朝廷と連携して平家打倒を目指していたが上総介は朝廷はどうでもよく、頼朝を棟梁に東国の独立を考えており、意見の違いはあったが頼朝を支える気持ちには変わりなく、最後の段階で頼朝の命を救ってくれた大恩人には変わりないのである。今回の謀叛騒動の責任をとってもらう形で上総介を謀殺したのである。大軍をもつ上総介に力ではかなわないので1人で御所に来させてそこで殺してしまったのである。今まで何度も助けてもらい常日頃も一緒に酒を飲んだりして付き合っていた上総介を殺してしまう頼朝の残忍性、冷血性が恐ろしくなってしまいその夜は眠れなかった。鎌倉時代は自分が殺さなければいつか自分が殺されるという時代だったのかもしれないが、恩義ある部下を謀殺する頼朝の冷血さには戦慄した。
2022.04.19
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今朝の「マー姉ちゃん」の場面はマー姉ちゃん達の疎開先福岡市が空襲を受けた場面であった。B29という爆撃機軍団から200発近い焼夷弾が落とされた。家々を焼き払い人々が苦しみ悶えながら死んでもいいという作戦だったのだ。爆弾に直撃されて死んだ人もいれば火事の炎で焼かれて死んだ人もいた。街に住んでいる人達を皆殺しにしようとした米軍兵士達。家を焼かれて焼け死んでいく人達の苦しみは想像できなかったのであろうか?もはや人間ではないと思った。酷いことをしたものだ。戦争とはそういうものなのかも知れないが、最高司令部の作戦で勝つためには手段を選ばず獣以下の動物になってしまっていた。焼夷弾を落とされて負傷しながら逃げ惑う町民の姿をみて涙が止まらなかった。戦争は人間を人間でない獣以下にしてしまう。戦争だけは何としても避けなければならない。一時の感情に走ってはいけない。自国、他国の民衆のことを思い、辛抱強く対話を続けてもらいたいと思う。
2022.01.20
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毎朝7時15分から朝ドラの再放送「マー姉ちゃん」を観ている。マー姉ちゃん一家は福岡、東京、そして疎開で再度福岡と住居が変るが心温まる近所付き合いがあり、妹のまち子はのらくろの田川抱月に師事し、姉のまり子は菊池寛の小説の挿絵を書いたりして社会にも溶け込み楽しく暮らしていた。今放送している場面は太平洋戦争終盤で空襲警報が鳴り続ける中でまち子が畑を耕して野菜を作ったり、新聞社の絵画関係の仕事での収入で何とか暮らしていた。まり子は挿絵を描いていた頃に原稿を取りに来ていた毎朝新聞の社員と結婚したがその東郷新八郎は招集を受け外地で従軍していた。そして先週の放送で東郷がインパールで戦死したとの毎朝新聞からの内報があった。周りでは悲しんでいるがまり子は「私は信じません。新八郎さんは生きています」と信じようとしない。「絶対帰ってきます」と言い張る。女中だったお千代の夫も戦死したと通知を受けていたがそのお千代さんにも「死んだなんて信じてはだめよ」という。信じる者は救われるというが、事実は事実である。ずっと信じていればその間は幸せかもしれないがいつまで信じ続けることが出来るだろうか?願い事をする時に「必ずその願いは叶う」と信じることが大切で「叶わないかもしれない」と思ったら叶わない。信ずれば叶うと言うのは「信ずることによって叶わせる不思議な力が働く」ということだと思うが、世の中には事実というものがあり、絶対無理な願いというものもあるのではないかと思っている。今後どのような展開になるのか案じている。
2022.01.17
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水曜日午後7時から「東大王」というテレビ番組があり、昨日は東大生が選んだ今年期待の100人が番組の中で取り上げられていた。1位は殆どの人が予想したと思うがアメリカ大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手だった。2位はなんと電気自動車テスラ会長のイーロン・マスク氏や話題を集めた日ハム新庄監督、アメリカ大統領バイデン氏等を抑えて岸田総理が選ばれた。新しい資本主義を標榜してどのような経済体制を構築していくか興味があり期待しているとの声が多かった。東大受験して3回も不合格になったという秀才型でなく努力型の真面目な政治家として評価するという声もあった。東大生が世界の100人の中で大谷に次いで2番目に岸田総理に期待しているとは想像もしていなかったが、岸田総理の責任は重いと思う。今迄はコロナが静まっていたので岸田総理の大きな失態はなかったが今オミクロン株がどんどん増えている現状があるので腕のみせどころである。介護や医療関係者の給料を上げることを実行しているがそれ以外のサラリーマンの給料をどのようにして上げていくかもポイントになると思う。本人は真面目で不正はしないと思うが過去の総理の隠蔽とかごまかしの答弁に対してどのように対処していくかも難問である。努力型政治家として誠実で誤りのない回答をだしてもらいたいと思う。
2022.01.13
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パーキンソン病で入院している患者さんの家族からテレビを観させてやりたいがいかがでしょうか?と聞かれた。いつもぐでんと寝ているだけなので見る力があるか分からないのでどうかなと思ったが、刺激になって脳が活性化したら嬉しいので是非設置してもらいたいとのことで借入れ許可したが事務所でその費用を聞いたら1日200円で月に6000円~6200円かかるとのことだった。かなりの大金である。医療費の1割負担でもその位の支払いの人もいる。生活保護の人はテレビは無理だと言われる理由が分かった。料金は高いけれど生活保護以外の人は殆どテレビを観ている。入院していてリハビリや入浴以外の空き時間の退屈しのぎには最高の娯楽になるのではないかと思った。先日の私のブログでテレビの番組内容に関しお笑い芸人さんばかりが出ているのは検討して頂いた方がよいと書いたが、入院している人達には番組内容にかかわらずテレビが観れることが生き甲斐かも知れない。そしてむしろお笑い番組の方を楽しんでいるかも知れない。テレビ番組は観る人のおかれた状況によって良し悪しはきまるので一概に批判できないなと思った。それはそうと高い金を出してテレビを借りることになったパーキンソン病の方が実際にテレビが観れるかどうか気がかりだが、少しでも活用できるように配慮していきたいと思う。
2022.01.11
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先日家に来た親戚の人が「最近のテレビ番組は面白くなくて殆ど見ない」と言っていた。そう言っている人は他にも大勢いて私もそのうちの一人である。朝ドラとか衛星放送の「英雄たちの選択」「クイズ番組」の特定の物などは観るが他はあまり見ない。新聞のテレビ番組の時間表をみると3時間番組、4時間番組などがずらりと並んでいる。3時間も4時間もテレビを観ている暇人がいるのだろうか?と思う。新聞の時間表に書いてある内容説明もごちゃごちゃ一杯書いてあって何を放映しようとしているか分からない。出演者は殆どお笑いの人達だ。テレビ局や製作者側の意図はなんだろうか?と思う。恐らく市場調査して売れる番組を作っているつもりだと思うが果たして本当に売れているか厳密に調査して番組内容を再検討してもらいたい。お笑いの人達も厳しい修行をして芸を磨いてきた人達だと思うが製作者がその人達を使えば番組が面白くなると思っているとしたら極めて皮相的な見方だと思う。テレビは大衆娯楽の中心として長い間国民を楽しませ、癒し、教養を身につけさせ、経済の活性化にも役立ってきた。しかし近年のテレビをみるとドタバタ騒ぎが多く、癒すどころか却って悩ますことになっていないだろうか?と思う。テレビの管轄は総務省となっているが国で放送内容の規制はできない。言論統制になり憲法違反になってしまうのであくまで自主管理、自主規制して頂くしかない。テレビ局各局は視聴者の意向などもよく調査して、テレビのあるべき姿をよく検討して人々を幸せにするよき番組を制作してもらいたいと切に望むものである。3時間番組、4時間番組は儲かるのかもしれないが視聴者の意向も考え、通常は1時間以下、特別の場合には高々2時間位の番組にすべきだと思う。
2022.01.06
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NHK大河ドラマ「「晴天を衝け」が昨日で終了した。モデルになった渋沢栄一が幕末から昭和まで生き抜いて経済界から政治、国際交流分野などあらゆる分野で波乱万丈に大活躍した物語だった。明治維新スタート時の混乱の様子などはあまり知られていなかったことも多く勉強になった。渋沢栄一は昭和6年11月11日に91歳で亡くなっているが、満州事変が起きた直後で平和主義者だった彼は日本のやり方に憤慨していた。日本軍の中国でのやり方やアメリカ移民した日本人が働き過ぎてアメリカ人の職を奪ってしまうなどの理由でアメリカが日本人の移民を禁止しようとした動きに対して渋沢はアメリカまで行ってそれを話し合いで解決しようとしたがその願いは叶わなかった。しかし各国との友好を最も大事にしており、アメリカの支配層や日本の政界と太いパイプを持っていたの渋沢が亡くなるまでの間に戦争に至らないような布石をいくつも打ってくれていたら日米開戦は阻止できたかもしれないとも思ったが、如何に渋沢でもあの頃の戦争への流れは阻止できなかったかも知れない。その渋沢をイケメン俳優吉沢亮が演じたが全くのミスキャストだと思った。渋沢はイケメンではない。もっと深みのある男だった。メイキャップ担当もずさんだった。渋沢が年取っていくにつれて吉沢も年取って行かなければならないのに何時までも年取らない吉沢のままだった。渋沢の若い時は吉沢でもいいが年取ってきたらもっと皴のある大人の役者を配するべきだったと思う。どうしても吉沢一人でやり通すのだったら吉沢に皴とかシミとか腰がまがるとか加齢によるメイキャップを施すべきなのに吉沢の顔はずっとツルツルのままだった。演出者はあんな杜撰なメイキャップでいいと思ったのだろうか。吉沢だけでなく他の役者も年齢相応に変装されておらず中学の学芸会なのかと思った。渋沢栄一の人生物語は面白かったが役者が役どころに応じて年取った姿、形にならなければいけないのに一向に年取った姿にメイキャップされておらず、メイキャップ担当係零点の作品だと思った。
2021.12.27
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すずらん浪花千栄子をモデルにした朝ドラ「おちょやん」の今週分は主人公千代が道頓堀喜劇で苦楽を共にしてきた夫一平が新人の劇団員と浮気して子供が出来たことで絶望の果てに芝居を止めて消息不明になってから1年後に物語は動き出した。命をすり減らしながら共に喜劇に尽くしてきた一平に裏切られ、もう役者は金輪際しないと心に決めて社会の裏側でひっそりと暮らしていたがラジオのホームコメディ「お父さんはお人好し」の母親役に誘いがかかったのである。父親役の花菱アチャコが戦争中防空壕で千代に会ったことが忘れられず行方不明だった千代を探し出してくれるようにNHKのスッタッフにお願して捜索してもらった結果京都に住んでいたことが分かったのだ。アチャコや脚本家の熱心な誘いで「もう役者は止めたので」と断り続けていた千代が考え抜いた末にお引き受けすることになりそのラジオドラマがスタートした。その後についてはそのドラマが大評判で映画にもなりその後舞台やテレビなどでも大活躍の大スターになった。アチャコが熱心に誘ってくれても一平の事や自分にできるだろうかとの不安もあって最初はけんもほろろに断っていたが、思い切ってOKしたことでその後の人生は大きく開いていった。芝居を又始めれば嫌でも一平のことを思い出すので芝居は絶対やらないと決めていたがそんなことは吹き飛ばしてしまうような目をみはるような大活躍に繋がっていった。千代は不幸な生い立ちだった。幼い時に母親に死なれどうしょうもない父親に育てられていたがその父親が後妻を貰ったが身重の後妻と折り合いが悪く追い出されるように奉公に出された。奉公先で必死で貯めたお金は父親がむしり取っていく。人間の屑のような父親だと思うがよく千代のような気立ての子供が生まれたものだと思う。そのような不幸な生い立ちの千代だが一平と結婚し離婚がなければ家庭劇の団長の妻として役者の面倒を見ながらそれなりの人生を送ったのではないかと思う。ところが全く予期しなかった一平が浮気して子供まで出来てしまって失意のどん底に突き落とされた。そのままだったらとんでもない父親やだらしない夫と関わり不幸な一生で終わったかも知れない。しかし花菱アチャコに声をかけてもらい予想もしなかった大舞台で活躍することになり本当に良かったと思う。自分の努力もさることながら他人の援助などがキッカケで大きく人生が開けることもあるものだなと思った。
2021.05.01
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チロリアンランプ(アブチロン)山梨甲斐市から見た本日の富士今夜の「英雄たちの選択」は渋沢栄一が使えた最後の将軍徳川慶喜だった。二心殿と言われコロコロと態度を変えた彼の本心はどこにあったのか分からない面もあるが大政奉還し、徳川の世を終わらせ新しい時代への橋渡しをした人物として評価できると思う。戊辰戦争の初戦である鳥羽伏見の戦いで兵力的には幕府軍の方が優勢だったが戦い慣れしていなかった慶喜は大阪をすてて海路江戸に逃げ帰ってしまった。大将を欠いた幕府軍は敗退し一気に新政府軍の体制が固まっていくことになったが、先見の明があり知性抜群と目されていた慶喜は自分が敗退した形をとりながら新しい時代への橋渡しをしたのではないかと思った。日本史上慶喜ほど人物像がはっきりしない人はいないと言われていたが、謹慎がとけた後の悠々自適の生活状態を見るに、先の先を読み最後は勝利した賢い人物だったのではなかろうかと思った。
2021.04.21
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トキワマガリバナ世の中に不満を持ったり可哀そうな人々の命を救ってやりたいと思っても多勢に無勢でどうしょうもないと思って世を過ごしてきた人達が圧倒的に多いと思う。今朝、英雄たちの選択「渋沢栄一」の再放送を観た。栄一は21歳の時農家の倅なのに農閑期に江戸に出て剣術修行などをしながら仲間たちからの影響で尊王攘夷思想に凝り固まり、24歳頃には尾高惇忠、渋沢喜作らと60人位の仲間を集めてまず高崎城を襲って武器を調達して、横浜に進軍し外国人居住地を焼き払いその勢いで長州軍と連携して幕府を倒す計画を立てて、当に高崎城に突撃しようとしていた前夜(正確にはその前の夜か数日前かは不明だが当に突撃しようとしていた時)従兄弟の尾高長七郎も仲間に入れようと誘った時長七郎は猛然と反対した。「恐らく横浜にたどり着く前に高崎城で全員撃ち殺されるだろう、撃ち殺されなくても全員捉えられて打ち首になるだろう。止めた方が良い」しかし頭に血が上っている栄一達が聴くわけがない。自分体の後ろには沢山の同志達もいる、今更止めるわけにはいかない。しかし長七郎は必死だった。栄一始め何十人と言う若者たちをむざむざ死なせたくない。夜中じゅう口論は続きお互い殺し合いをする寸前までになった。しかし長七郎は自分の命はなくなってもいいから何んとしても栄一達を救いたい一念で多勢に対して一人で一歩も引かなかった。そしてとうとう根負けした栄一達が高崎城襲撃を諦めたのである。長七郎がいなかったなら栄一は死んでいただろうし明治以後の活躍はなかった。人の運命は分からないものである。その後栄一と喜作は謀反準備罪で捕らえられるのを恐れて京都に逃れたところで江戸にいた時に交流があった一橋家の家臣平岡円四郎に呼ばれて一橋家の家臣にならないかと言われた。栄一は悩みに悩んだ末に「自分達の命や別件の殺人事件で捕らえられている長七郎を救うことにもなるかもしれない」と思って自分達が倒そうとしてきた幕府側の一橋慶喜の家臣になることにして命がなくなるどころかその後の大活躍につながっていくのである。本人の努力もさることながら運がなければこんな人生は歩めなかったとしみじみ思った。
2021.04.14
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ツリガネソウ今朝「おしん」に関する話題の再放送があった。脚本家橋田壽賀子さんが「おしん」の構想を各放送局にもちかけたが何処も相手にしてくれなかった。当時高度経済成長期で人々は金持ち気分に溢れておりそんな貧乏たらしい暗いドラマを観る人はいないと端から全部断られた。それでも3年間粘りやっとNHKで採用してもらい日の目を見ることになった。蓋を開けてみたら出演者の熱演もあって驚異の視聴率で関係者はびっくりしてしまった。日本だけでなく外国でも視聴率が高く、特にイランでは90%以上の視聴率で放映の時間になると通りには誰もいないという現象が起こっていたとのことである。当時イランはイラクとの戦争で疲弊し生活が苦しかった。特に女性は虐げられておりおしんは当に自分達と同じだと思って応援し励まされていたとのことだ。あんな苦労をしていたおしんが大人になるにつれて魚屋などの商売をして自立成功していく姿に励まされたイラン人は多く、日本に働きに来たり永住したイラン人も多かった。日本に住んでいるイラン人のインタビューもあったがおしんの影響は計り知れないと述べていた。「どんなに貧乏で辛くても目的をもって頑張れば必ず幸せになれる」という確信が出来たとのことである。小林綾子や泉ピン子の話等もあってあまりにも感動して涙を拭いたちり紙がテーブルの上に山と積まれてしまった。
2021.04.10
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ムスカリ脳卒中には大きく分けて脳出血、くも膜下出血、脳梗塞がありますが、今回は脳出血について説明します。今脳出血の71歳の男性を受け持っています。交通事故で頭部打撲して脳挫傷挫後の経過観察中に脳出血を起こし、救急病院で手当てを受けた後リハビリ目的で当院に転院してきました。転院時は食事が食べられないので鼻から管を入れて栄養しており、動くこともしゃべることも出来ない状態でした。重症で回復は極めて困難と思われました。しかしリハビリしながら時間の経過と共にまず最初に口から食べられるようになり、次に何とか喋れるようになり今は歩行練習をするまでに回復してきました。本を読むのを好きで私が回診の度に何らかの本を読んでおり、昨夜当直だったので夜回診してみたら他の患者さんは皆寝ていたのに本を読んでおり並外れた読書量に驚嘆しています。今朝テレビを観ていたら3年前脳出血で倒れた加山雄三さん(83歳)が芸能活動を再開したと報じていました。脳梗塞は太い血管が詰まることが多く、麻痺はそのまま改善せず大きな障害がずっと続くことが多いですが脳出血例では上記2例のようにリハビリで殆ど元通りまで改善する例が多いと感じています。加山雄三さんについては詳しいことは分かりませんが私が診ている症例は被殻出血でした。脳出血は脳内の0.2mm以下の細い血管が破れて出血する病気ですが出血部位によって視床出血、被殻出血、尾状核出血、内包部出血、脳幹部出血、橋出血、小脳出血などに分類されますが二つ以上の部位が出血することもあります。最も多いのが視床と被殻出血だと思います。治療は出血当座は止血剤などを使いますがその後は血圧管理とリハビリになります。予防は血圧が上がって出血することが多いので血圧を上げないようにすることが必要です。また動脈硬化を予防するために野菜や果物を積極的に食べることも重要です。急激な興奮やストレスで血圧が上がって血管が破れることもあるのでカッカとしない平穏な気持ちで生活する心構えも必要だと思います。日頃から規律正しい生活と適度の運動も必要だと思います。脳出血を起こしてしまったら上記2例のように随分良くなる症例もあるので諦めずに気長にリハビリすることが必要だと思います。
2021.04.02
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ガーベラ今、朝ドラでおちょやんが放映されているが実在モデルの浪花千栄子さんと脚本との違いについて書いてみたいと思います。浪花さんは1907年生まれで1973年に消化管出血で66才で亡くなっています。養鶏業を営んでいた家に生まれ幼い時母親が亡くなり父親が再婚して継母とうまくいかず8才で奉公に出されますがここから現実とは違っています。ドラマでは奉公先は岡安という芝居茶屋でごりょうさんもその旦那も母親のお家さんも皆さん親切で子供の様に可愛がってくれます。しかし実際の奉公先は弁当屋さんで岡安とはま反対の職場で主人のお母さんが特に厳しく虐待に近い扱いを受けていたようです。お金を盗んだ疑いをかけられ折檻されてトイレで死のうとしたこともあります。奉公にに出る前から弟の世話などで学校には行っておらず奉公先で勉強しようにも場所がなくてトイレの中で勉強したそうです。その奉公先でのお金も父親に全部巻き上げられたみたいでひどい父親だったのは現実もドラマもあまり変わらなかったようです。その後作り酒屋などにも勤めたようです。18才で村田英子一座に入り芸能活動を始めたのはドラマと同じです。1930年(23才)に松竹家庭劇に加わり二代目渋谷天外(ドラマでは一平)と出会って結婚し天外と1948年松竹新喜劇の旗揚げをしますが、天外が新人女優と浮気して子供まで生まれたということで1951年(44才)に天外と離婚して松竹新喜劇も退団します。それまで天外をずっと支えてきたのに天外の行動に心が痛み退団後は消息が分からなくなってしまいました。しかし花菱アチャコさんが浪花さんと是非共演したいと探し回りやっと探し当ててNHKの「アチャコ青春手帳」と言う番組で共演して人気が出て、続いて「お父さんはお人よし」でも共演してそれが映画化もされて一躍有名女優になりその後、映画、テレビで活躍することになります。テレビドラマでは浪花さんの何歳頃まで描写してくれるのか分かりませんがドラマでは分からない浪花さんの壮絶な人生がありました。映画「大奥で」は徹底した虐め役の悪役を演じましたが自身が虐められたそのままの姿だったかもしれません。素晴らしい作品の数々を残しましたがそれは生まれついての即妙の演技力もさることながらそれまでの苦労の人生から学んだことも多かったと思います。ドラマではその苦闘をどの程度まで表現してくれるか楽しみです。
2021.03.30
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庭の白いチュウリップ(少し黄色が入っている)が咲き始めた。NHKの朝ドラ再放送の「澪つくし」が本日をもって終了した。千葉県銚子市の300年続いた醤油醸造の老舗入兆の11代当主坂東久兵衛の妾の子かおるは外川の漁師吉武惣吉と熱愛の末結婚するが結婚3年目に惣吉は海で遭難して行方不明になってしまう。死んだと思ってかおるは2年後入兆の番頭梅木健作と結婚して双子を授かる。所が惣吉は外国船に救助され記憶喪失でフイリッピンで暮らしており遭難4年後日本に帰り記憶が戻る。死んだと思った惣吉が帰ってきて梅木もかおるも苦しむ。かおるは惣吉に「今は梅木の妻です。諦めて下さい」という。惣吉はかおるの幸せを考え身を引く決心をして軍務で国外に去って行く。そして太平洋戦争に突入し梅木も召集を受けフィリッピンで戦死する。内地では銚子爆撃で久兵衛もその再婚妻(以前は妾だった)るいも死んでしまった。焼け野原で入兆再興を胸にかおるは戦地から帰ってきた久兵衛の長男英一郎と共に醬油生産の仕事に励んでいたが、そこに戦地から不死身とも思える惣吉が帰還した。梅木が助かり惣吉が戦死したなら悲しいことは悲しいがそれまでの梅木との幸せの生活を続けられるが反対になってしまってかおるは苦しむ。そして本日の最終回で惣吉は「10何年間ずっと待っていたが気持ちは変わっていない。結婚してくれないかと迫る」がかおるは「今は入兆を立て直すことが最も大事なことです。家を空けることは出来ません」と断る。しかし惣吉は自分の家族との話し合いで「決してあきらめない」といい家族も応援する雰囲気だった。かおる側も英一郎は再婚を勧めており、今後の進展の可能性を残した終了の仕方であった。これまでの朝ドラだと大体最終回は無理して終了させようとしてどたばたと終了させて不満が残る幕切れが多かった。このドラマも壮大なドラマだったが最終回はやはりドタバタ終了になるのではないかと懸念したが余韻を残した見事な終わり方だと思った。惣吉と結婚するとなると双子の子供達はどうなるのかとか様々な問題はあるがそれは視聴者の想像に任せてよいと思われた。人生でも華々しい人生を歩んできた人でもその終了があっけなくて割り切れない終わり方もあるが、それは何時人生が終わるのかが分からないからに他ならない。それでも余韻を残した終わり方もあるのではないかと考えてみた。家庭とか地域に貢献するような生き方をしていたら死んでもその気持ちは余韻として残るのかなとちらっと思った。
2021.03.27
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庭のツバキ 太神楽、花模様の変化はウィルスの感染によるものと言われている。今日の「澪つくし」では死の床にある坂東久兵衛の娘律子が看病してくれている妾腹のかおるに対して「あなたは少しも変わらないわね」という台詞があった。そう言われてみるとドラマとはいえ様々な逆境や女中のハマなどからのいじめに対して悲しむことはあっても捻じ曲がることはなく誠実一筋に生きてきた。ドラマでなく実際の人間ではどうだろうか?虐められたり、差別されたり、父親に勘当されたり、夫に死なれたり、最初に妊娠した子を流産したりしたら天を恨み、自分の不幸を嘆き、自分を不幸にした人を恨み人間が変ることが多い。立場が変って落ちぶれた坂東家の正統のお嬢さん律子に対しては哀れみの感情を抱くかもしれない。もちろん実人間でもかおるの様に心がぶれず誰に対しても常に誠意を尽くして生きている人もいるかもしれないが、一般的には不親切にされたら「なにお!」と思い、自分が高い立場になったら昔威張っていた人をさげすんで哀れむようになることが多い。かおるにはそれが一切なく変わらぬ気持ちで人に接し困難に挑戦してきた。「事実は小説よりも奇なり」と言われるように現実には小説以上に凄い人がいたり凄いことが行われることもあるが、人の生き方は小説化されなければよく見えないことが多いので小説を見習ったりしながら私たちは生きているのかもしれない。かおるの生き方を見習って自分の生き方や日々の生活を見直さなくてはと思った。
2021.03.26
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庭の芝桜今「澪つくし」の再放送は大詰めで今週は1日2回分を放送して今月一杯で終わることになっている。昨日今日の放送分では銚子大空襲でかおるの両親坂東久兵衛もるいも犠牲になってしまった。最初焼夷弾を落として家を焼き明るくなったところで一斉砲撃を行い容赦なく人々を殺していた。日本各地で同じような爆撃を受け、甲府も空襲を受けた。子供の頃の記憶で唯一残っているのは防空壕から出て東の空を見たら真っ赤に燃えている光景だった。戦争というものは恐ろしいものである。人間の良心を麻痺させ爆弾を落として敵国民を焼き殺すのである。もし日本が逆の立場だったら戦争の名のもとに同じようなことをしたかもしれない。両国間で解決が難しい問題が生じても辛抱強く話し合い武力衝突は絶対してはならない。武力衝突を決めるのは上層部だが犠牲者は一般人民である。人民が苦しみながら死んでいく姿を想像して欲しい。仏教国ミヤンマーは今軍部がクーデターを起こしデモをしている民衆に銃を向けて多くの犠牲者が出ている。仏教の教えを思い出してもらいたい。何があっても民衆を殺してはならない。ミヤンマーはもとビルマといって「ビルマの竪琴」などで日本とも関係の深い国である。人間の良心に帰り、軍政を解き平和的解決を望むものである。内戦にしろ対外戦にしろ戦争は絶対起こしてはならない。
2021.03.25
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「澪つくし」は昭和60年4月から10月までNHK朝ドラとして放映されたものだが現在衛星放送で朝7時15分から再放送されている。ドラマは千葉県銚子市の醤油屋の主人の二号さんの娘かおるを中心に描かれている。醤油屋とは犬猿の仲の戸川の漁師の網元の息子吉武惣吉とお互い愛し合うようになり、艱難を乗り越えて惣吉と結婚するが結婚3年目で惣吉は遭難者を助けようとして自らも犠牲になり死んだとして2年後かおるは醤油屋の番頭梅木健作と再婚して双子の子供を授かる。ところが死んだと思われていた惣吉が記憶喪失で4年後にフィリッピンから帰って来る。かおるの揺れる心はいかばかりか想像すらできない。配役陣は沢口靖子、津川雅彦、加賀まりこ、草笛光子、川野太郎、柴田恭平、明石家さんま などそうそうたるメンバーで、特にさんまは力がないくせにほらばかり吹いて醤油屋入兆と漁師の吉武家を渡り歩くラッパの弥太郎を演じており、少しもかっこよくない汚れ役だが見事に演じていたと思う。脚本はジェームス三木、プロデューサー中村克史、演出 重光亭彦 等で製作者、脚本、演出、出演者が一体になった見事な作品でよくどこれほどの作品が制作できたものだと感心している。本日放映では醤油屋坂東家の長女として生まれて傍若無人な律子から「軍人にむいている」と言われて発奮して陸軍少尉になった小浜と律子は後に親の大反対を押し切って結婚するがその小浜が2.26事件に巻き込まれていくところを描いていたが、当時の農村部の貧しさや皇道派、統制派などの陸軍内部抗争やクーデター計画など時代背景も見事に織り込んで壮大なドラマになっている。揺れるかおるの心は惣吉に行くのか梅木に残るのか分からないが本日分の最後で軍隊に呼び出された惣吉がフィリッピンに行くように命じられそうなのでそうなればかおるは梅木の所で観念して暮らすようになるのかもしれない。いずれにしても純愛を貫く、壮大なドラマでよくもこんなドラマが作れる人達が日本にいたものだと感心しながら観ている。
2021.03.09
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今夜テレビで広末涼子のファミリー・ヒストリーを観た。彼女は金物屋さんの娘だがその父方、母方のルーツを国会図書館などで調べて曾祖父母から広末涼子までの流れを示していた。かなり広範囲の家系図で父方母方が入り乱れて複雑だった。曾祖父母が離婚して曾祖母は塩尻のお寺に祖父を預けた。お寺を継ぐかと思ったが仏教は分からないからと農学校に進み工場に勤め旭川、横浜と転勤し最後は高知に移って金物屋を始めた。その金物屋は戦争で焼け野原になったが復興して再建した。途中で父の代で火事になり今はスーパーマーケットなどが入っているビルになっているとのことだった。人のルーツを訪ねて行くのは大変なことだが、掘り起こしていくと広末涼子と言う人が生まれるまでには大勢の人達が関わっており、それぞれの人に様々なドラマがあり、色々な人にお世話になって今の彼女がいるのだなと思った。それを知ってか知なくてか彼女は高知のお祭りには郷土に帰って積極的に踊りなどに参加して高知家の子供としてのふるまいをしている。郷里の人達との触れ合いは和やかで美しいものだと思った。番組中ビデオなどを見ながら彼女は涙していたが不思議な縁を感じ感謝の気持ちに揺り動かされたのだと思う。広末涼子は有名人だが、有名ではない無名の人でも同じことでそのルーツを調べると様々な人とのつながりが明らかになっていき神妙な気持ちになるものだと思った。私達は決して一人でこの世に存在したのではない。様々な人がとんでもない苦労をしながら生き抜いてきた中で生まれ、育てられてきた存在である。そのルーツに感謝し、報いていく人生でありたいと思った。
2021.02.15
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今朝、再放送だが二つの魂の触れ合い 山中伸弥と平尾誠二を観た。二人の馴れ初めは週刊誌の対談だが山中は自らもラグビーをしていて平尾に憧れていたこともあり初めて会った時からお互いを尊敬しあう友情を感じた。山中はips細胞でノーベル賞をとった男である。平尾はラグビー日本代表選手、代表監督を勤めた男で胆管がんで53歳で亡くなったが今でもラグビーのみならず各界で慕われている男である。山中は平尾との交流の中で様々な啓発を受けて自分が研究で行き詰ったり、研究員達の指導で困った時には平尾の言葉を思い出して対応してきた。山中は平尾が亡くなってから彼の思い出や彼から受けた教訓などを本にまとめている。平尾は同志社大3年連続日本一に貢献し神戸製鋼6連覇にも貢献した。彼はresillience レジリエンス つまり復元力の塊で追いつめられても跳ね返すばねを持っておりそれを信条にしていたがそれ以上に彼のチームが勝ち続けられたのはその人柄である。彼は常に感謝の心を忘れず、先輩にも後輩にも感謝しそれに報いていた。だから同じように彼も皆から感謝され尊敬されていた。山中は専門は違うが平尾の人格に敬服し尊敬していた。ノーベル賞を取って偉ぶっている人と思っていたが平尾の人格に触れ生徒のように素直に学ぼうとしていた姿はさわやかだった。自分も医学者のはしくれなのに大親友平尾を救えなかった悔しさや苦しみが伝わってきた。その為にもips細胞を使って平尾のように既に進行がんになった人でも助けられる道を切り開こうとしている山中は真剣である。きっと山中は平尾の敵を取ってくれると信じている。山中は平尾の葬儀で弔辞を読んだが、こんなにも固いきずなで結ばれた友情があるのかと感動した。
2021.02.11
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今朝のテレビ「グレートトラバース」の山梨県の黒岳から撮影した夕方の富士をテレビ画面から撮影今朝、英雄たちの選択「伊能忠敬」を観て改めてその偉大さに敬服した。貧農の倅ながら18歳で千葉県佐原市の酒造りその他の大店に婿入りした。そこで商売に精出しながら興味のあった天文学や暦、地理などを趣味として勉強し、やがて37歳で名主となってからは必要に応じて測量の勉強もしていた。名主時代浅間山が噴火し食料も不作で全国で大店を狙う打ちこわしが勃発していた。伊能家は大店のお金持ちで絶好の攻撃対象と目されていた時、伊能店主は藩のお侍にお金を渡して警備をお願いするか貧民に金品を渡して味方につけるかの選択に迫られたが伊能は後者を選んだ。しかも商人には米などの物品を支給し、貧民にはお金を渡して経済が回るようにした。結果的に貧民が味方になってくれて打ち壊しからは免れた。51歳の時家督を娘婿に譲り当時40億円位あった資産の内かなりのお金を隠居料として自分が自由に使ってよいお金として確保し、勉強のために江戸に出てきた。そしてかねてから勉強したかった天文学所に弟子入りした。その時の師匠は高橋至時で31歳、自分より19歳も年下だったが師と仰ぎ天文学や地理を教えてもらった。4年後には蝦夷地(北海道)の測量を任されその正確な地図は幕府の目に留まることになっていく。その測定に要した日数は180日でお金は1800万もしくはそれ以上かかったが8割は自腹で恐らく隠居料から出したと思われる。師匠の高橋至時は39歳の若さで亡くなってしまったが伊能は60歳で幕臣に任ぜられ以来14年間4万キロを自らの足で測定して歩き、74歳で死亡したが3年後の今から200年前弟子たちによって日本最初の正確な日本地図が完成し現在地理学の基本になっている。地図を作ったことは知っていたが佐原時代に一揆の恐怖にさらされた時、困っている人たちに金品を配ったことに感銘した。しかも一律に配るのではなく、その困っていることに応じてお金や物品を支給した才覚は素晴らしくこういう人が現在に生きていて総理大臣になってくれたらよかったなと思った。
2021.01.20
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今朝テレビで北野武のファミリーヒストリーを観た。たけし自身は自分の両親と兄弟のことくらいしか知らなくてその先の事、祖父母とかその先の先祖などについては全く知らないと言っていたがNHKが詳しく調べてくれて特に母さきが娘時代奉公先でトイレ掃除をさせられていた下りを見せられ涙ぐんでいた。母さきは息子の武に自分は師範学校を出たと言っていたが全く違っていたので驚いていた。しかしトイレ掃除しながら先輩に自分の分のお饅頭を渡して裁縫を教えてもらい、読み書きもひそかに勉強して子供に教えられる力を持っていたので師範学校だか女学校を卒業したということは疑わなったとのことである。母親の口癖は「お金はどんなに貯めても誰かに盗られてしまえば一文無しの貧乏だが、教育はだれも奪い取ることが出来ない。だから本当の財産は学問だ。勉強しなさい、勉強しなさい」だったとのことである。子供は5人兄弟で姉は女学校に行かせ、兄2人と末っ子の武全て大学まで行かせた猛烈な教育ママだった。(もう一人の兄については注力散漫でしっかり記憶していなくて済みません)大学は工学部機械科が良いとのことで兄たちは全員工学部で武も明治大学工学部に合格して3年生まで在学した。母親が工学部機械科に拘ったのは我が家はペンキ屋で景気の波に左右されたり仕事があったりなかったりで収入は定まらないが、機械科なら船舶でも会社でも工場でも必ずどこかで雇ってもらえる。食いっぱぐれがないというのがその理由であった。農家の小作人の娘として生まれたさきは負けじ魂で5人の子供を立派に育て高等教育を授けた。たけしはその母の子供でよかったと心から尊敬し、感謝していた。しかしその母を途中で裏切ることになる。たけしは工学部3年生になった時工学部は自分に向いていない、だからといって何をやりたい訳ではなかったが大学を退学する決意をする。母親は烈火のごとく怒った。せっかく念願の工学部に入れたのにそれを止めてしまうとは到底許せなかった。もう家には絶対帰ってくるなと勘当を言い渡した。一文無しになったたけしは浅草のストリップ劇場のエレベーター係としてその日の生計を立てていた。そしてしばらくしてツービートという正統派漫才を結成したが全然注目されずその日の食べ物にも困るような生活をしていた。しかしそのなけなしのお金で古本を買って本は一杯読んでいたとのことである。やがて「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の不真面目漫才が大うけして信じられないような売れっ子になり今では押しも押されぬ大タレントになり、機械技師になって貰う給料の何十倍もの収入を得るまでになったが母親はふざけた漫談で金儲けする息子を最後まで許していなかったようである。それでもタケチャンマン人形や好きなタレント1位の新聞記事の切り抜きを大事に取っていたのをみると自分の期待に反した息子だがその息子の場違いの成功を心の底では認めていたのではなかろうか。この母ありてこの子ありで母親の存在感は大きかったが父親の影は薄い。浄瑠璃の師匠うしと武の母さきはさきの奉公先のお嬢さんが浄瑠璃を習うことになり、さきの奉公先でお嬢さんの先生であるうしとさきは出会うことになった。うしは自分と愛人との間の子供をさきに紹介して結婚させるが間もなくその夫が死んでしまい未亡人になってしまったさきにうしは今度はうしの弟の子供を紹介して再婚させる。それがたけしのお父さんである。漆職人だったが後にペンキ屋になり生計を立てていたがお人好しで酒を飲んだら性格が変わり子供たちにはあまりよい父親ではなかったようだ。飲んだくれの父親をみてたけしの兄は母親さきに「なんであんな父親と結婚したのか」と聞いている(銀河テレビ たけし君ハーイより)。でもそんな父親でも夏休みの間にたけしの学校の教室の壁をきれいにペンキ塗りしてくれたこともあり、それなりに父親としての自覚もあったのではないかと思われる。冗談や馬鹿なことばかり言っているたけしだがその生い立ちや大学3年時の退学決意、勘当されて一文無しで苦労していた時代を知り親しみが増した。母親の力は偉大なことを改めて思い知り、誰にも人知れぬ歴史があるものなのだなと思った。
2020.12.30
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本日山梨県敷島町から見た富士山朝ドラエールがいよいよ終幕を迎え、フアンは一抹のさみしさと終わり方への願望などを色々述べている。大変な苦痛を経験してきた村野鉄男が作詞家としては成功したが失恋した後のフォローがなく可哀そうだ。最終段階で娘の華の恋愛や結婚に時間を割きすぎてバランスを欠く。村野鉄男や別れた彼女がどうなったのか描いてもらいたかったなどの感想もあり、脚本家の構想の中でフアンはやきもきさせられてきた。思い入れの登場人物にこうなって欲しい、ああなって欲しいなどの願いが様々に込められるものだと思った。私は志村けんさんが演じた小山田耕三さんについて書きたいと思う。モデルは管弦楽団などを結成して指揮したり大学や高校、中学の校歌などを数多く作曲し、作詞が北原白秋等で赤とんぼ、野ばら、からたちの花、この道、ペチカ、待ちぼうけなど数多くの名曲を作曲した山田耕筰さんと言われている。小山田はコロンブスレコードに古山祐一を入れてくれたが古山の得意の青レーベル(西洋音楽)ではなく赤レーベル(歌謡曲)に配属させ、随分辛い目に合わせた先輩として描かれており小山田は古山の才能に嫉妬し自分を脅かす存在になるのを恐れていたと描写されていた。実際は古関裕二は山田耕筰の作曲教科書でひたすら独学で勉強して曲作りを学び、山田耕筰を師と仰ぎ私淑していた。しかし後年山田耕筰のふしだらな女性問題や金銭問題を見聞きして尊敬できないと思うようになり神のように崇めていた人だけにその落差が大きかったと思われる。脚本家は古関の回顧録などから山田耕筰像を描いたのかも知れないが、実際はどういいう方だったのか分からない面もある。山田耕筰さんは日本の音楽界にあってはとびぬけた才能の持ち主であり、極めて大きな業績を残した人で、作曲家の父とも言われた人である。しかしどんなに偉大な人でも私生活で尊敬できない面があったりするとこのような描かれ方をすることもあるのかなと思った。
2020.11.23
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作曲家古山祐一と声楽家古山音の夫婦を中心にしたドラマで古山は戦時中戦意を鼓舞する軍歌を沢山作曲しその歌で勇んで戦地に出陣した若人達の命を奪ったとして戦後随分苦しんだ。しかし友人達の励ましで立ち直り、その後「鐘のなる丘」や「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」など名曲を次から次に作曲していくいきさつがドラマチックに演じられ心の苦しみから抜け出す様子が見事に描かれていた。脚本が素晴らしく笑いと涙があり、ビルマのインパール作戦で恩師藤堂先生が戦死する場面など社会性もあった作品だったと思う。出演者もその役柄に合わせて自然に演技しており、毎日が待ちどおしかった素晴らしいドラマだったと思う。11月30日からは新しいドラマが始まるとのことだがエールに負けないような作品になってくれることを願う。
2020.11.21
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