今が生死

今が生死

2013.04.21
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カテゴリ: スポーツ
今日は朝6時30分頃ゴルフに行く予定があり、朝が早いので気にしていたからか、早く起きたのに支度でもたもたしていてスタート時間を過ぎてしまい、一緒に回る人が怒って家まできて、慌てて少しでも早く行こうと思ってタクシーで待ち合わせ場所に着いたら、ゴルフバッグを自分の車の中に入れたままだったので、タクシーでそれを取りに戻ろうか、ゴルフ場でクラブを借りようか迷ったが、それなら先日買ったクラブを試すことが出来ない。どうしよう、どうしようと苦しみながらうろうろしていたら目を覚ました。夢で良かった。でも夢の中でもその待合い場所の周囲は激しい雨が降っていたが、実際も激しい雨音がしていた。

でも約束なのでセーターを着て雨合羽を着て出かけた。その車中NHKの第2放送で1928(昭和3)年8月2日、アムステルダム五輪の三段跳びで優勝し、日本人初の金メダリストとなった織田幹雄選手の話をしていた。

広島出身の人で骨皮筋えもんと言われた位やせ細っていて家が薬局だったので太る薬を飲んだけれど太れなかったが走ることが好きで中学時代陸上の選手だった。その頃広島に有名なスポーツ家が講演にきて日本人は跳躍が苦手だとの話をした。その人の前で走り高飛びをしたらいい成績を出し、その人から褒められて日本を代表する選手になれるかもしれないと言われた。それをきっかけにして本格的なトレーニングを開始し、三段跳びで、日本代表となり、アジアや国際大会に出場するようになった。アムステルダムの前の五輪にも出場したが入賞はできなかった。外国人の体力、パワーを見せつけられ怖気ついたが絶対金メダルをとる気持は失わなかった。

でも激しい練習を毎日繰り返しても記録は伸びなくて世界記録には程遠く失意にくれることもあった。所がある時、上に高く跳ねることによって遠くまで飛べるのではないかと気づき以来道を歩いていても木の枝があれば飛びつき、高い塀があればそれを越えようと飛び上がり、事あるごとに跳ねていたので、周りからは気でも狂った人間ではないかとみなされていた。でもそのおかげで痩せこけた織田青年はオリンピックで世界一の記録を出すことが出来たのである。

執念はすごい。織田青年のためにお母さんはずっとどこかに願をかけて断ちものもしていたらしい。これを聞いているいるうちにゴルフ場に着いた。前半は雨が激しく降っていたのでスコアはあまりよくなかったが後半は雨も上がったのでそこそこのスコアだった。

私は練習場にはよく行くが、実際にコースに出ると少しも上手になっていない自分に失望しつづけてきた。織田さんの話を聞いてこれではいけないと思った。やせ細って体力が全くなかった青年が世界一の記録を出したのである。次元が違う話だが、自分だって諦めないでヒントを掴んで頑張れば進歩があるかも知れないと思った。





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Last updated  2013.04.21 20:22:47
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