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はじめに前回の内容を補足します。
明言することにちょっと抵抗があったのであいまいな表現になってしまったんですが、もともと自然崇拝思想をもっていた日本文化に、異文化からの自然崇拝がとりいれられたという部分についてです。
私が言いたかったのは、日本にもともとあった自然崇拝思想とは別に、朝鮮から日本神話のもとになる人々が入ってきているということです。
その人々が、日本に点在する神社や古墳と深く関わっているということです。
つまり、歴史に残っているのは朝鮮から入ってきた文化で、日本古来の自然崇拝は形としてはほとんど残っていないか忘れ去られてしまっている可能性があると私は見ています。
ですが、もともと日本人は自然崇拝的思想を好みましたから、異文化であってもそれは徐々に日本に根付いていったんだと思います。
私は天皇家がもともとは異文化出身の人達であるとまでは言いませんが、リーディングで見る限り、そういった雰囲気は感じられます。
ただ、ここでフォーカスしたいのは天皇家についてではなく、現存している神社という自然崇拝の象徴の中に、異文化からの影響が存在しているのだということです。
(前回の話の続き)
我々はよく、何かが良いとか悪いとか、二極的な見方を好みますよね?
誰にでもそういった経験はあると思います。
ですが、物事の真実は、そういった二極的な見方とは別の所にある気がします。
これは、バシャールが言う「物事に意味はない」といった考え方に似ている気がします。
それ自体に良い悪いはなく、それを決めた時点でそうなる(現実化される)とでも言いましょうか。
今回お話した能古島の歴史についても、それ自体に良い悪いもないと思います。
本来のエネルギー的側面(土地から龍、龍から地球意識といった非物質的なエネルギー的側面)とは別に、その地にまつわる人々の歴史があり、大本の存在とは分離した状態で物事が進められていく。
そのこと自体に良い悪いもないのだということです。
あとで詳しく見てみると、この地に宿った「龍」というのは、B.C。2~3世紀頃にエネルギー体としてこの地に実際に「やってきて」いると感じられます。
ちょうど、今回お話した、朝鮮からたくさん人々がやってきた頃です。
その時期に、人ではない高次の存在が、もしかしたら人を介して、この地にやってきているということです。
ですが、高次の存在とは全く別のレベルで、我々はああでもない、こうでもないといろんな人生を送ります。
そしてそういったなかでも、我々は自然崇拝という形で高次の存在と昔ながら触れ合ってきたと感じます。
それが、直接的には山や川、海、等を通して、間接的には、神社などの象徴を通して感じられるということなのかもしれません。
さらに、人によっては、あらゆるものは自分であるといった体験をする人もいるかもしれません。
そういった気付きを秘めつつ日常生活を淡々と過ごしていく中に、自分らしさを思い出させてくれるきっかけがあります。
それが、ある時は、人との出会いであったり、またある時は場所であったりするのかもしれません。
オフ会で美容師をされておられる方に再会したんですが、その方と、日本人の多くは自分らしさを忘れているという話になりました。
日々の生活にロボットのように埋没しすぎていて、自分らしさを見失っているような状態です。
その美容師の方はいわゆる霊能力者で、本業の美容師の仕事とは別に無料で霊能相談やヒーリングをされているらしいんですが、その方がいわゆる心霊現象が映ったビデオを見せてくれました。
皆にその方が撮られたというビデオをぜひ見てほしいというのです。
その映像に映っている中には、非物質的エネルギーが原因であると思われるものが確かにありました。
しかし、私が直感的に感じ取ったのは、それとは別のところにあります。
その方はよくUFOを見られるんですが、その方の魂の遍歴が非常に多岐にわたると感じられること(シリウス、プレアデス、アークトゥルスなどの多次元的宇宙存在としての経験)、そしてその方は、何らかの形でご自分の魂とのつながりのある存在をご自身が引き寄せていること、見せていただいたビデオには、ご自身の守護神的な龍神が現れていることなどを感じました。
この方にフォーカスしていくと見えてくる白い二つの球体。
それは、この方の魂の故郷のようでもあり、また横に並んでいる様子は無限大∞のようでもあります。
無限大∞の領域は、人間の非物質的エネルギーフィールドでもあります。
自分らしさを思い出すきっかけ。
いたるところにあるんだなと思います。
それを、今回のオフ会を通して感じた次第です。
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