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源と次元についての考察です(私個人の主観的事実であることをご了承下さい)
。
まずは、源からお話したいと思います。
「すべてなるもの」(=源)は、究極的な存在であって、いかなる存在にも認識(見ること)できませんが、直観的にその存在を知る(わかる、感じる)ことができます。
それはあらゆる次元を超越しています。
それどころか、あらゆる意識を超越しています。
ですから、あらゆるところに存在していると考えることもできますし、あらゆるものに宿っていると考えることもできます。
源は、あなた自身です。
あなたはまぎれもなく、源それ自体であり、あなたの内面に源が存在していると考えることもできます。
それ以上の感覚的な情報のやり取りを「本来の自分」としていたのですが、その多くが欠落してしまいました。
その感覚的情報は、まだ私には表現できないものなのかもしれません。
私は「本来の自分」と私が呼ぶ存在とコンタクトをしているわけですが、こんな話をしました。
我々はよく、どの存在がどの意識レベル(フォーカスレベル)にいるとか、そういう思考をすることが多いと思います。
なぜなら、それが自分とその高次の位置関係というか違いを把握する一つのメルクマールになると考えられるからです。
しかし、「本来の自分」によれば、自分は自分だと言います。
どのレベルにいるとか、そういったことはあまり問題ではないのだと。
たとえばこういうイメージをもっていただけたらと思います。
今、我々が自分だと感じている自分というのは、潜在意識下で、別の側面をもった「自分」と情報の交流があります。
情報をわかりやすく光の玉であらわしてみます。
その情報は、エネルギーであり、別の無数の光の玉とつながっています。
その情報は、それぞれが意志を持っていて、思考することができます。
ですが、あくまですべての情報は、「自分」という枠組みに存在していて、他の「自分」とは一応分けて考えることができます。
しかし、本当は、そういった「自分」という枠組みすらなくて、すべて一つの巨大なネットワーク構造になっています。
ですから、私が「本来の自分」から情報を引き出したとしても、それは当然のことながら、よりアクセスしやすいフォーカス35辺りから「自分」につながり、「本来の自分」から情報を引き出します。
どこからどうつながらろうが問題ではなく、すべては一つの情報ネットワークを構築していると考えることができます。
そのように考えると、そもそも意識レベルというものを問題にする必要がなくなる、こういうことを「本来の自分」は私に告げてきている、そういうお話です。
では、我々の考える「次元」とは、いったい何を指しているのでしょうか?
とっかかりとして、私は「本来の自分」に、いわゆるフォーカスレベルとの関係を聞いてみました。
今からお話することは、すべて我々の認識レベルの問題と密接にかかわってくるとお考えください。
「本来の自分」によれば、すべてのフォーカスレベルは、「あなた自身の内面からきている」と言います。
我々は、自分の内面と外面を区別して認識しますが、本来は一体であって、その大本は自分自身の内面にあると言います。
内面にある、あるポイントと我々が認識したものを、フォーカス○○と我々が認識している、こういった話です。
では、こういったラベリングには意味はないのかというと、そういうわけではなく、自分との関係で意味を持ってきます。
ですから、すべてのラベリングは、相対的なものであって絶対的なものではないということになります。
「本来の自分」に、次元とは何かを聞いてみました。
すると、「次元とは、ある観念によって作り出されたリアリティ(現実世界)である」と定義しました。
観念は、それ自体が固有の意志を持っていて、思考します。
その観念は、あらゆるところに無数に存在していて、それの無数の観念が多くの人の共有思念としてトータルセルフのレベルで合意されています。
ですから我々は、パーソナリティレベルではなく、トータルセルフのレベルでの合意に基づき、この現実世界に生まれ、そこでの次元を存在している、こういうことになります。
意志をもった観念には個性(信念)があります。
その個性はどこからきているかというと、我々自身の内面からきています。
たとえば、「現実世界は強固である。」といった信念です。
たとえば、リンゴを手に持った時には実感が確かにありますよね?
ですが、その強固さというのは、もとをただせば、観念であり個性(信念)なんだということです。
それらに、生まれる前から合意の上、我々は今ここにいる、こういうことみたいです。
現実世界を生みだす観念が、我々の内面からきている以上、究極的には現実世界は我々の内面が生み出しているということになります。
ですから、我々は同じ次元を共有しているようでも、人それぞれ次元というのはまちまちであって、それはなぜかというと、人の観念を通すためのフィルターが異なっているからです。
ですが、生まれる前からの合意により、ある程度の共通世界を認識できているということです。
私は「本来の自分」に、振動数について聞いてみました。
バシャールなんかは振動数で次元を把握していますから、バシャールに一定の信頼性を置いている私もそれに洗脳されているわけです(笑)。
「本来の自分」は、こんなたとえをしました。
たとえば、鳥には必ずくちばしがあります。
くちばしがあれば、それはほぼ例外なく鳥であると考えられます。
ですが、くちばしだけを見ていては、鳥がいったいどんな形をしているのか、どんな動きや生態をもっているのか、まったくわかりませんよね。
「振動数」もそれと同じだというのです。
「振動数」は、次元との関係で見れば、くちばしのようなものです。
多くの場合、鳥がどんな形態・生態をするかを決めているのは、「観念」だと言います。
つまり、次元とは、有機的な観念の複合形態に対する合意から生まれてきている、こういうことになります。
それが、我々の住む現実世界ですと、トータルセルフレベルでの合意に基づいているのだということです。
ですから、我々とは全く異なる観念体系に基づいた、全く別の枠組みのリアリティ(上の文脈で述べてきた「次元」)
も無数に存在していることになります。
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