inacchiのトレード日記
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久しぶりにこちらにカキコを。早川圭さんが興味深いことを言っていたので、久しぶりにコメントしてみたたと同時に、こちらでも書いてみようと思います。最近、システムトレードがはやっています。私も、いろいろな紆余曲折があって、ようやく自分流を確立することが出来つつあります。●資金量にあわせた検証作業を行う●小さなロットで仕掛けることが重要だと自分なりに気づいてからは迷いがなくなったのですが、ブログを見ているとまだまだ「迷える人たち」が多いような気がします。そもそも、確率論と統計学の違いが分かっていない発言が多々見られます。それは非常に危険なのですが、典型的には●少ない資金でシステムトレードを始める(例えば、100万円)という行動にそれが表れています。まあ、確率論と統計学は、基礎の部分でもほとんどの人が間違ったことを言っているという、数学の中でもとくに難しい分野だと思いますので、仕方ないのかもしれませんが。多分、「平均」と「期待値」の違いを説明することが出来るのはどのくらいいるかも怪しいと思います。一応、参考までに、以下のページをご覧ください。期待値の定義平均の定義早川圭さんのブログに書いてあった、機械的投資による株式投資を薦められているKAPPAさんが言っているのは全て統計学のほうですね。私が実施しているシステムトレードも、「期待値」ではなくて「平均」です。統計学と確率論をつなぐ肝となる概念は、「全事象が分かっていること」と「無限回の施行を行うこと」です。でも、現実の世界でこの2つが同時に満たされるなんてありえないから、「統計的有意性」で妥協していることになります。実際、現実の株式投資の世界では、期待値という概念は見えないのです。だから、バリュー投資などの有意性やシステムトレードの有意性なども、厳密な「確率論」を適用すると、全て棄却されてしまうのです。もう一方の「統計学」にしても、「統計的有意性」で妥協している以上、その有意性を決定する閾値次第でどうにでもなってしまうのです。だから、「ピーター・リンチが本物かどうか見極めるには70年の成績が必要」といっても、確率論的観点からは「厳密には無限の年数が必要」ということになるのです。統計学の見地からは、それこそ学者の解釈に委ねられてしまいます。極端な話、「ピーター・リンチという人物は、私の研究成果(例えば、効率的市場仮説)にとって不都合なサンプルだから」という本音から、「まだまだ本物というには早すぎる」ということを、統計的有意性の閾値を変えるだけで結論付けることも可能なのです。しかし、実際にそんなことを言ってもしょうがないと思います。人生は有限ですし、確率論や統計学にそのような欠陥があるのですから、そこは一定程度の妥協が必要ということになります。経済学の世界の学者というのは少なからず、このような統計的有意性を自分の都合の良いように解釈する傾向が強いので、注意しないといけないません。
2006年08月24日
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