1章 フィルとの出会い




<1章 友人、フィルとの出会い>


フィルとはバリ島で知り合った。大学の休暇に訪れたバリ島の革製品ショップで店員をしていたフィルと出会った。私はインドネシア語が話せない。フィルは日本語が話せない。それで、英語で話した。フィルはバリ島の隣のロンボク島出身で、バリ島に出稼ぎに来て1年半経ったところだった。後で本人からきいたのだが、フィルは私と出会ったとき、「英語が話せる日本人と知り合えてよかった。親しくなって日本のことを教えてもらおう」と思ったそうだ。私もフィルに出会ったとき、「英語の話せるインドネシア人と知り合えてよかった。インドネシアのことを教えてもらおう」と思った。偶然、よく似たことを思っていたわけだ。

初めてインドネシア旅行の割には、友達からインドネシア情報を仕入れただけで、ガイドブックを持っていなかった。今では必ず旅行に持参するガイドブックの必要性がわかっていなかった。現地に着いて、観光や食べ物等わからないことだらけで困ってしまった。そんなとき、ちょうど良いタイミングで出会ったのがフィルだった。フィルに、おすすめのレストランをきくと、知り合いの経営しているレストランに連れて行ってくれ、やきそばをごちそうしてくれた。インドネシアの経済状態をよく把握していなかった私は、フィルの好意をそのまま受けた。

フィルと打ち解けるのにそう時間はかからなかった。一人で旅していた私にとって、言葉が通じて親切なフィルの存在は心強かった。フィルは、高校卒業後、ロンボク島で公務員をしていたが、単調な仕事にあきてやめてしまったという。就職難のインドネシアで惜しいことをしたが、そのころのフィルは、次の仕事が簡単に見つかると考えていたそうだ。首都ジャカルタなら良い就職先があるかもと、単身でジャカルタに渡った。だが、現実は甘くなく、理想の仕事は見つからず、映画館でもぎりの仕事をして食いつなだという。給料が少なく生きていくのがやっとだったそのころ、バリ島には良い仕事があるときき、やってきたという。

バリ島に来てもう1年半も経っていたので、フィルはバリ島に詳しく、友達も多かった。フィルの勤め先の革製品ショップの店長はバリ人で、店長の奥さんは日本人だった。名前は恵美子さん。バリ島に6年程住む恵美子さんから現地の情報をたくさん得られた。まじめでよく働くフィルを、恵美子さんは信頼していた。優しくて誠実で安心と恵美子さんは私によく話していた。バリ島で日本人女性をかもにしてジゴロとして生計を立てる男性は少なくないときいたので、私はインドネシアの男性を警戒していた。だから、フィルに対しても警戒心を持っていた。でも、恵美子さんの話をきいたり、フィルの仕事ぶりを見たりして、警戒心は薄れていった。

フィルは時間ができると、よく、どこからか借りてきたバイクの後ろに私を乗せて、バリ島の各地に連れて行ってくれた。11世紀頃の古代遺跡ゴア・ガジャ、キンタマーニの名で知られるバトゥール山、聖なる泉のわく寺、ティルタ・エンプルのあるタンパシリン、海に浮かぶ岩の上にたつタナ・ロット寺院、藝術の村、ウブドなど主な名所にはほとんど連れて行ってくれた。舗装されていない泥道を片道2時間バイクで走ることもあったが、嫌な顔ひとつしなかった。フィルは私の通訳兼ガイド、そして、頼りになるボディー・ガードだった。


バリ島には大きく分けるとふたつの季節がある。東からの季節風の影響を受ける4~9月の乾季、西からの季節風の影響を受ける10~3月の雨季だ。私が訪れたのは雨季だった。雨季といっても日本の梅雨のように一日中雨が降り続くというのではなく、一日に数回スコールがある程度だ。だが、バイクで移動中にスコールがくると、大変だ。強雨の中を走るのは、寒い上に、危険だから、よく雨宿りした。雨宿りの場所は、椰子の木の下だったり、沿道のわらぶき屋根の家の、のき下だったりした。二人で雨宿りしているときに、突然ぬうっと水牛が顔を出して、とびあがったこともあった。大きな葉を傘代わりにして、走っていくバリの人たちの姿をながめながら、いい傘だねえと話すのも楽しかった。


rain



観光地からの帰り道、デンパサール周辺をバイクで走っていたとき、突然スコールにふられたことがあった。フィルは、近くに住む友人宅で雨宿りさせてもらおうと私に提案した。一度現地の人のお家に行ってみたいと思っていたので、私は即提案を受け入れた。フィルの友人の家は、小さな中庭を囲んで建つ長屋のうちの一棟だった。玄関を入ると6畳ほどの広さの部屋が1つ。部屋はそれだけだった。夫のイッスさんは仕事で不在だったが、妻のスミヤティさんが心よく迎えてくれた。

家に入るときは、靴をぬぎ、床にじかに座った。スミヤティさんは、コーヒーを出してくれた。雨で服が濡れ、寒気さえ感じていたので、暖かいコーヒーは格別おいしく感じた。到着したときは家にいたこどもたちは、私達が家に入ると、はずかしそうに家の外に走っていった。雨のかからない軒下にいて、窓からそっと家の中の様子をうかがっている。そして、私と目があうと、歓声をあげて顔をひっこめるのだった。


cafe


スミヤティさんは、始終笑顔をたやさなかった。心から歓迎してくれていることが伝わった。フィルの通訳のおかげで、会話ははずみ、雨がやんでもしばらく話をしていた。夕食を食べていくようスミヤティさんは熱心に勧めてくれたが、いくらなんでも厚かましいと思いおいとますることにした。

どういうわけか、スミヤティさんと気があった。波長が合うのだ。フィルの通訳なしには、会話ができないのだけど、通訳さえしてもらえれば、えんえんと話し続けることができた。スミヤティさんも私を気に入って、毎日家においでと熱心にさそってくれる。それで、フィルにスミヤティさんの家に連れてきてもらうのが日課になった。始めは、はずかしがっていたこどもたちもしだいに慣れて、スミヤティさんと話していると、私の膝にのってきたりした。

スミヤティさんとは、よく市場にも行った。しだいにフィルの通訳なし話すようになった。それはそうだ。フィルには仕事がある。そうそうつきあっていられない。それに、私たちの話すことといえば、料理のことやキュートな男の子の話など、フィルには興味がないことばかり。いいかげん、奉仕通訳にもあきるだろう。

スミヤティさんと市場で食事の材料を買う。そして、スミヤティさんの家で料理を作る。スミヤティさんはインドネシア料理。私は、日本料理。私が作った日本料理は、興味津々で集まってくる近所の人たちの口にも入った。


nabe


こうして、1ヶ月はあっという間にすぎてしまった。帰国の前日、スミヤティさんの家にお別れに行った。スミヤティさんは、私の着ているTシャツがほしいと言った。「こんな着古したTシャツをなぜ?」ときくと、「思い出にしたいから」という。「このTシャツを着るたびにあなたを思い出すわ」そう言って、私を固く抱きしめた。

私はTシャツを脱いでスミヤティさんに渡し、かわりにスミヤティさんのTシャツをもらった。涙が出た。

帰国の日はフィルがタクシーでNGURA RAI空港まで送ってくれた。ホテルから空港までのわずかな時間に、フィルは歌を歌ってくれた。私の知らない潜水艦の歌だった。ちょっと音程は外れていたけど、フィルの気持ちは心にストンと伝わった。

このときの訪問をきっかけに、私はインドネシアをよく訪れるようになった。世界各地を旅したが、同じ場所に何度も足を運んだのはインドネシアくらいだった。自分でもなぜこんなにインドネシアに惹かれたのかわからなかった。インドネシアには、マジックがあるというが、もしかするとインドネシアを好きになるマジックにかかったのかもしれない。

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