3章 友人捜しの旅 バリ島にて


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何度かロンボク島を訪れ、友人フィルの故郷レンダンナンカにも足を運んでいたものの、私のインドネシアでの主な滞在地はバリ島だった。ロンボク島とバリ島の良さを比べることはできない。どちらも良い所だと思う。だが、私のインドネシア人の友人の多くはバリ島にいる。だから、バリ島にいるほうが彼らと交流できた。

だが、ある時期をきっかけに、私はインドネシアを訪れることができなくなった。仕事が忙しくなり、休暇が取れなくなったのだ。今振り返っても、ため息が出るような生活だった。連日の残業。土日を返上しての出社。きちんと休めるのは月1日くらいになってしまい、インドネシア旅行はおろか、日本で友達に会う時間さえも取れなくなってしまった。

そんな生活をしている間にインドネシアの友人と連絡が取れなくなってしまった。私は引越しをした。この引越しをきっかけに、インドネシアからの手紙も電話も途絶えてしまった。私は引越し先の住所を書いてインドネシアに送ったがそれに対する返事はこなかった。ちょうどインドネシアで頻繁に暴動が起こっているときだった。今まで定期的に手紙や電話で連絡を取っていたのに、インドネシアからいっさい連絡が来ない。暴動に巻き込まれたのでは…。不安がよぎった。私は何度も手紙を書いた。一向に返事が来ない。

インドネシアの友人が気になりながら、インドネシアに行けない状態が数年続いた。一生会えないかもと半分あきらめかけていたとき、少し長めの休暇を取ることができた。チャンスだ。インドネシアに行こう。友人を捜しに行こう。現地に行けば見つかるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。

私はバリ島に飛んだ。バリ島に行けば、友人の消息がわかると思った。出発前に、友人の親戚にだめもとで手紙を送った。親戚は英語を解さないから、インドネシア語の手紙を書いた。私はインドネシア語がほとんどわからないから、手紙を書くためのインドネシア語のテキストを買ってきて書いた。本のあちこちから、必要な文を拾って、それをつなげて書いた。

親戚からは返事が来なかった。仕方がない。現地で捜すしかない。バリ島に到着するやいなや、友人捜しを開始した。まず、フィルを捜そうと思った。フィルが見つかれば、他の友達は芋づる式に見つかるだろう。

フィルが勤めていた革製品ショップか、フィルの友人が経営しているレストランに行けば、消息がわかると思った。だが、革製品ショップは跡形もなく消え空き地になっていた。大丈夫。レストランに行けばわかるだろうと思い直し、レストランに行ってみた。オーナーの姿が見えなかったので、ウエイトレスにきいた。ウエイトレスは、オーナーは不在だというが、オーナーの名前が違う。変だ。店の名前は同じなのに。よくよくきくと、1ヶ月前に新しいオーナーにかわったという。

私はオーナーが店に来る時間をきき、出直すことにした。大丈夫。今のオーナーは前のオーナーから店を買ったのだから、前のオーナーの居場所を知っているだろう。事情を話して、前のオーナーの居場所を教えてもらえば、会ってフィルの消息を教えてもらえる。前のオーナーに会えないかもという気もしたが、私は自分を励ますように、「大丈夫。大丈夫」とつぶやいた。きっと会える、きっと会えると。

翌日言われた時間に店に行ったらちゃんとオーナーはいた。よかった。これで、前のオーナーについて教えてもらえる。ところが、「彼は、引っ越したからバリ島にはいないんだよ」と言う。「じゃあ、どこにいるんですか?」バリ島に近い場所であれ。「確かジャワに行くと言っていた」「ジャワのどこに?」ジャワといったって広い。あんな広大な場所、捜しようがない。「さあ、ねえ。彼は何も言ってなかったからねえ」頼みの綱だった前のオーナーの所在がわからず、がっかりした。いったいどうやってフィルを捜せばいいんだろう。革製品ショップとこのレストラン以外に、フィルのことを教えてくれそうな場所が思いつかない。どうしよう。そうだ。この店のスタッフが、フィルのことを覚えているかもしれない。そう思ってきいたが、オーナーがかわったときに、前勤めていたスタッフは全員やめたという。


flower


革製品ショップがなくなっているとわかったときは、ショックではなかった。日本で事前にバリ島のショップマップを見ていて、ここに店がないことを知っていたからだ。店が小さいから地図に載っていないだけかもと、わずかな望みは持っていたが、空き地になっているのを見て、「やっぱり」と思った。だから、その分、レストランには望みをかけていた。このレストランが今も存在することはそのマップで知っていた。レストランがあるなら、オーナーに会える。オーナーに会えば、フィルの消息がわかると思っていた。だが、今、それが不可能となった。ふりだしに戻ってしまった。

いったい、どうやってフィルを捜せばいいのだろう。彼はまだバリ島にいるのだろうか。それとも、バリ島以外のどこかに行ってしまったのだろうか。それより、彼は生きているんだろうか。暴動に巻き込まれて、犠牲になったのではないだろうか。そう思い始めると、不安がつのる。もう会えないんじゃないだろうか。フィルを捜す手立てを失って私は途方にくれていた。

フィル捜しの良い方法を思いつかず、数日間ただぼんやりと過ごした。時間だけが、無意味に過ぎていく。そんなとき、ホテルのロビーで、ふだん見かけない顔の男性を見つけた。新しいスタッフかと思い、目があったので、会釈をした。と、彼は、「あっ」と声をたてた。「ひさしぶり!」他の誰かに話しているのかと思い後ろを振り返ったが、誰もいない。「えっ?私?」よくきくと、以前私がここに泊まったときにも彼はここで働いていたという。私が泊まっていた部屋の場所まで覚えていた。そう言われてみれば、確かに会ったことがある。以前より、太ったようだが、ひとなつこいまん丸の目に見覚えがある。

彼の名はサルトノさん。以前私がここに泊まったときは、掃除夫をしていたが、今は、昇格してマネージャーになっていた。しばらく話をして打ち解けたとき、思った。サルトノさんは、フィルを知っているかもと。だめもとで、フィルの写真を見せてみた。「ねえ、この人知ってる?」サルトノさんは、にっこり笑って言った。「うん。知ってるよ。ええと。なんて名前だっけ」「フィルです」「ああ、フィルかあ。昔この辺に住んでたよね。グッドガイだよ」フィルをいい人とほめてくれた。「最近は見ないですか」「ぜんぜん見ないなあ。どこに行ってしまったんだろうね」居場所はわからなかったけど、ともかくフィルを覚えている人を一人見つけた。なぜか、それだけでほっとした。そうだ。こうして、この辺で聞き込みをすれば、フィルの居場所がわかるかもしれない。そう思うと、力がわいてきた。

私は行動力はあるのだが、知らない人に話し掛けるのは、ちょっと苦手だ。フィルの消息を知りたいのはやまやまだが、知らない人に話し掛けて、フィルの写真を見せるのは勇気がいる。話し掛けられた人はどう思うだろうと考えてしまう。私を借金取りだと思うだろうか。まさかまさか。そんな誤解はしないはず。それにしても、ここまで来て、フィルやスミヤティさん他、親しい友達に会えずに過ごすのは、むなしい。このまま日本に帰るのは嫌だ。なんとかしなければー。でも、誰にきけばよいのかわからない。私は街をさまよった。同じ道をわけもなく行ったり来たりした。

そんなとき、ふと、音楽ショップに立ち止まった。裏通りに面した8畳程のこじんまりとしたこの店には、フィルと一緒に来たことがあった。ひまそうに店内をぶらぶらしている店員二人のうちの一人、40代位の男性の顔に見覚えがある。思い切って聞いてみた。フィルの名を知らないという。写真を見せてみた。しばらく写真をみつめていたが、「あ、ロンボク島の人だ」と言った。革製品ショップで働いていた……」ビンゴ!彼はフィルを覚えていたのだ!


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フィルを覚えていたこの店員はマデさんと言った。彼の話によると、フィルは数年前までこの店の近くの革製品ショップで働いていた。ショップが閉店したので、サングラス売りになった。ある音楽ショップの店先に小さなスペースを借りサングラスを売っていたのだという。マデさんは、フィルがスペースを借りていた音楽ショップの場所を教えてくれた。教えてくれただけでなく、「今ちょうどひまだから」と、もう一人の店員に店を任せて、フィルが店先のスペースを借りていたというショップまで、バイクで連れて行ってくれた。

その音楽ショップは、大通りに面していた。マデさんの店より大きかった。マデさんと一緒に来たので店員が愛想よかった。さっそく、フィルの写真を見せる。「ああ、フィルだね」と笑顔になった。彼によると、フィルは3年前まで店先でサングラスを売っていたが、出稼ぎ労働者のバリ島での物売り業に対する規制が厳しくなり、商売が難しくなって、ロンボク島に帰ったという。「じゃあ、ロンボク島にいる?」「さあ。連絡を取っていないから、わからないけど……。でも、フィルを捜すなら、バリじゃなくて、ロンボクに行かないと」「そう、そう、ロンボク島だよ」興味しんしんで話をきいていた別の店員もうなずいた。

その日私は、バリ人の友人に、ロンボク島についてきいてみた。「数年前に暴動があったというけど、今は大丈夫?」不安に思っている私に返ってきた答えは、私を更に不安にさせるものばかりだった。「ロンボク島は危ない。行かないほうがいい」「追いはぎに身ぐるみはがされるぞ」「たくさん人が死んでる」「命が惜しかったら、行くな」私はロンボク島へ一人で行ったことがない。いつもフィルや他のロンボク島出身の友達と一緒だった。だから、全然恐い思いはしなかった。だが、今はフィルや他のロンボク島出身の友達はいない。

ロンボク島の治安はそんなに悪いのだろうか。私は、マタハリ・デパートにあるインターネット・カフェに行き、日本の外務省のホームページを見た。ロンボク島には、危険警告は出ていなかった。

毎日買っている英字新聞ではロンボク島での事件の記事は今のところ目にしていない。インドネシア語の新聞には載っていて、英字新聞には載らないということもないはずだ。それとも、小さな犯罪が多すぎて、載せるスペースがないとか…。

ロンボク島の治安が悪くないにしても、私は一人でレンダンナンカ村まで行けるか不安だった。バリ島なら、友達もいるし、地理感覚もあるから、不安ではないけれど、ロンボク島は違う。ロンボク島の観光地を訪れるならバリ島からのツアーが便利だが、私が行きたいレンダンナンカ村はツアーのメニューには入っていない。

では、旅行会社に車を手配してもらおうか。バリ島からロンボク島まで飛行機で行き、あらかじめチャーターしておいた車にロンボク島の空港まで迎えに来てもらい、レンダンナンカ村と空港を往復してもらう。一日チャーターすれば、レンダンナンカ村でしばらく、友人を探すことができる。値段さえあえば、これが一番良さそうなプランだと思った。

どの旅行会社に手配を頼むべきか考えていたとき、たまたま町でロンボク島観光案内所という看板を見つけた。名前から公的な場所かと思ったが、行ってみると旅行会社だった。この旅行会社はロンボク島のエキスパートと宣伝文句をかかげている。カウンター近くには、日本語の文庫本の古本が数十冊置いてあった。そこで、読むこともできるし、借りることもできる。こうした、サービス精神に、少し引かれた。

相談してみると、スタッフはレンダンナンカ村までチャーターした車で行けるかどうか、ロンボク島の支店に電話してきいてくれた。大丈夫そうだ。だが、治安はどうだろう。旅行会社が治安が悪いと言って客を逃すとも思えないが、一応きいてみた。「大丈夫だと思います。でも、私はロンボク島の人間じゃないし、レンダンナンカ村がどこにあるかも知りません。よろしければ、明日もう一度来て頂けませんか。マネージャーがロンボク島出身なので、彼がもっと正確な情報をお伝えできるでしょう」私は、車を一日チャーターしたときの値段だけきいて、出直すことにした。

次の日、マネージャーに会いにもう一度旅行会社に行ってみた。マネージャーのワヤンさんが満面の笑顔で迎えてくれた。ワヤンさんは、治安は大丈夫だという。ロンボク島の南の方に治安のよくないところがあるが、空港からレンダンナンカを往復するだけなら、まったく心配ないという。ワヤンさんにそういわれると大丈夫のような気もしてくる。友人を捜すための旅だということについて話すと、熱心にきいてくれ、すぐロンボク島の支店に連絡をとってくれた。そして、「大丈夫。ロンボク島のスタッフは、君の友達が見つかるよう最善を尽くすと言っている。彼は責任感の強い男だから何とかしてくれるだろう」ワヤンさんの言葉は、力強く、勇気づけられた。

ロンボク島へ行ったら、まず、レンダンナンカ村に行こう。そこで、小学校の校長に会って、フィルの消息をきこう。そして、フィルに再会できたら、今度は、スミヤティさんの消息をきこう。となると、校長、フィル、スミヤティさんの家族、フィルのいとこにもおみやげを渡したい。私は、まだ、彼らに会えると決まったわけではないのに、おみやげを買うことにした。

でも、どんなおみやげがいいのだろう。日本のおみやげを渡したいが、会えるかどうかわからないので、日本では買ってこなかった。インドネシアで買うとなると、インドネシアの物になるが、何が喜ばれるか見当がつかない。そこで、バリ人の友達にきいたら、サロンを勧められた。サロンというのは、腰にまく布のことだ。なるほどふだん着るものだから、実用的なおみやげだ。

バリーロンボク島の往復航空券を受け取りに、旅行会社へ行ったとき、ワヤンさんがいた。ワヤンさんにも、おみやげについてきいてみた。ワヤンさんも、なぜかサロンを勧めた。どんなサロンがいいかきくと、ちょうど昼休みだから、買い物につきあってくれることになった。

ワヤンさんのバイクの後ろにのせてもらい、まずは、マタハリデパートに行った。でも、あまり、サロンがなかった。それで、とりあえず、レンダンナンカ村のこどもたちのために、ノートを30冊、鉛筆を100本、12色の色鉛筆を10セット買った。ワヤンさんがランチを食べる時間がなくなってはいけないので、文房具を買った後は、サロンは買わずに、一緒にランチを食べることにした。

入ったのは、インドネシア料理の小さな食堂。ワヤンさんが、よく行く店だという。食事しながら、彼のことをきいた。オーストラリア人の彼女がいたこと。性格の不一致で別れてしまったこと。今は、日本人の恋人募集中だということ。「ロンボク島で、友達が見つからなくても、がっかりしないで。そのときは、バリで待ってるから」と言われた。

結局、サロン選びにワヤンさんについてきてもらうのは、難しいので、バリ人の友人に、店へ連れて行ってもらうことになった。クタからバイクで10分くらいの小さなサロンの専門店で、サロンを買った。1枚2000円くらいだった。もっと安い物もあったが、土産物屋で見るよりも、見るからに立派そうな布地のものを選んだ。

サロンには、実に様々な種類がある。イスラム教徒がお祈りのときに使う物、今風の柄、伝統的な柄、村の人が好む柄、町の人が好む柄なんてのもあった。私にはどれが村人が好む柄で、どれが町の人が好む柄かあまりよくわからないが、よく見比べてみると、確かにいろいろ柄があり、違いが少しだけわかったような気がした。結局、フィルや校長、スミヤティさんやその家族にと6枚サロンを買った。

おみやげが買えてほっとした。友達と再会できなかったら、ロンボク島からは、日帰りで帰ってくる予定なので、ホテルはチェックアウトしなかった。友達と再会できれば、ロンボク島に滞在する可能性もある。でも、再会できるかどうかわからないのに、チェックアウトして、荷物を持っていくのは、面倒だ。田舎ではスーツケースは邪魔になる。長く滞在するなら、いったんバリ島へ戻って、スーツケースを取りにくればいい。なにせ、ロンボク島はバリ島から飛行機で30分ほどの近さにある。だから、日帰りの往復航空券を買った。


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