inti-solのブログ

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2023.08.23
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テーマ: 戦争反対(1190)
カテゴリ: 戦争と平和
近いうちにプロバイダを変更するのに伴い、 ホームページ を閉鎖することになりそうです。
古い文章ばかりですし、中には現在では考えの変わっているものも皆無ではありませんが、内容に資料的価値のあるものもあるので、すべてではありませんが、順次ブログに転載していこうと思います。

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夏淑琴裁判一審判決

平成19年11月2日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成18年(ワ)第9972号 損害賠償等反訴請求事件
口頭弁論終結日 平成19年7月27日

判決

中華人民共和国江蘇省南京市(地番省略)
反訴原告      夏 淑琴

同 山田勝彦
同 尾山 宏
同 小野寺利孝
同 米倉 勉
同 南 典男
同 穂積 剛
同 上野 格
同 井堀 哲
同 菅野園子
同 山森良一

反訴被告 株式会社展転社

亜細亜大学法学部
反訴被告 東中野修道
反訴被告ら訴訟代理人 弁護士 高池勝彦
同 中島繁樹

主文

1. 反訴被告らは,反訴原告に対し,連帯して350万円及びこれに対する平成18年5月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3. 反訴原告のその余の請求をいずれも棄却する。
4. 訴訟費用は,これを4分し,その1を反訴被告らの負担とし,その余を反訴原告の負担とする。
5. この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

1. 反訴被告らは,反訴原告に対し,連帯して1200万円及びこれに対する平成18年5月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2. 反訴被告東中野修道は,反訴原告に対し,300万円及びこれに対する平成19年1月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3. 反訴被告らは,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞の各新聞全国版に別紙記載の謝罪広告を,別紙記載の条件で各1回掲載せよ。

第2 事案の概要

本件は,「『南京虐殺』の徹底検証」と題する書籍(以下「本件書籍」という。)の記述により名誉を毀損され,名誉感情を侵害されたと主張する反訴原告(以下「原告」という。)が,執筆者の反訴被告東中野修道(以下「被告東中野」という。)と発行者の反訴被告株式会社展転社(以下「被告会社」という。)に対し,共同不法行為に基づき慰謝料1200万円の連帯支払と謝罪広告の掲載を求め,これとは別に,被告東中野に対し,本件書籍の翻訳書が発行されたことによる慰謝料300万円の支払を求めた事案である(遅延損害金の起算日は反訴状及び請求拡張の申立書がそれぞれ被告らに送達された日の翌日)。

1 前提となる事実 (証拠を掲げない事実は,争いがないか弁論の全趣旨により認められる。)

(1) 原告について

ア 原告は,中華人民共和国(以下「中国」という。)江蘇省南京市に在住する女性である。
イ 原告は,洞富雄・藤原彰・本多勝一編「南京大虐殺の現場へ」(昭和63年12月発行)において,いわゆる南京事件(昭和12年に南京市を占領した日本軍兵士によって,多数の一般市民が「虐殺」されたとされる事件)の生存被害者として,初めてわが国で紹介され,その後本多勝一著「南京への道」(平成元年12月発行),笠原十九司著「南京難民区の百日」(平成7年6月発行),同著「南京事件」(平成9年11月発行)等の書籍において,同様にその体験が紹介され,平成3年10月6日にテレビ放映された大阪毎日放送制作の番組「MBSスペシャル『フィルムは見ていた―検証・南京大虐殺―』」においても,自らその体験を語る映像が紹介されている者である。また,原告は,平成6年8月に初めて来日し,東京,大阪など各地において,南京事件の生存被害者(後述する新路口事件の「8歳の少女」)として,自らの体験を語っている。

(2) 本件書籍について (甲1,2,6,7)

 平成1O年8月15日,被告会社から本件書籍が発行された。本件書籍の著者は被告東中野であり,同被告は亜細亜大学の教授(政治思想史・日本思想史等)である。本件書籍は,平成18年12月末日現在,第5刷まで総数約1万2900部が発行され,日本国内で頒布されている。
 平成13年,本件書籍の繁体字中国語版である「徹底検證『南京大屠殺』」が台湾の前衛出版社から発行され,台湾において頒布された。発行部数は2000部である。
 平成17年,本件書籍の英語版である「THE NANKING MASSACRE: Fact Versus Fiction A Historian's Quest for the Truth 」が株式会社世界出版から発行され,日本国内において直接販売により頒布された。発行部数は,ハードカバー版3000部,ソフトカバー版1250部である。

(3) 本件記述について (甲1)

被告東中野は,本件書籍において,「南京安全地帯の記録(一)」の事例219(昭和12年12月13日ころ,南京市内の新路口において,夏(シア)家と哈(Ha,ハー)(なお,後述する資料では馬(Ma,マー又はマア)とされている。)家の人々が日本軍兵士によって殺害され,その場にいた「8歳の少女」は負傷しながらも生き残ったとされている事件。以下「新路口事件」又は「本件事件」という。)を取り上げ,この事例の「(生き残った)8歳の少女」について次のように記述した(末尾括弧内のカギ括弧部分は本文中の小見出し。以下, (1) ないし (3) の記述を一括して「本件記述」という。)。
①「『漢語大詞典』によれば,夏淑琴の姓の『夏』は Xia(シア)と発音する。しかし,これまでの検証からも分かるように,『8歳の少女』の姓をシアとするには無理がある。『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」(「8歳の少女(夏淑琴)がマギーに語ったもう一つの話」247頁~248頁)
② 「『8歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり,事実をありのままに語っているのであれば,証言に,食い違いの起こるはずもなかった。」(同248頁)
③ 「さらに驚いたことには,夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである。」(「夏淑琴が『マギーの遺言』に登場」250頁)
なお,本件書籍の英語版(前記(2)ウ)では, (1) の記述のうち「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」との一文は削除されている。

(4) 本件事件に関係する当時の資料等

 昭和12年(1937年)12月12日,日本軍が南京市に侵攻し,翌13日,南京は陥落して日本軍に占領された。当時,南京市民の多くは日本軍の侵攻に備えて市内から脱出したが,市内に留まった一般市民の避難場所を確保するため,南京在留の欧米人が南京安全地帯国際委員会(以下「国際委員会」という。)を組織し,市内の一画を安全地帯(避難地帯)として指定した。この委員会の委員長はドイツ人のジョン・ラーべであり,委員には,ジョン・マギー師(宣教師で国際赤十字南京委員会委員長。以下「マギー」という。)らがいた。(甲1・52~53頁,甲54の1・2)

 マギーは,南京が陥落した後,昭和13年1月ころにかけて陥落後の南京市内の状況を16ミリフィルム(動画)で撮影し,新路口事件についても,同月下旬ころその現場(遺体は他の場所に移されていた。)に臨んで撮影をするとともに,「8歳の少女」,近所の者,被害者の親戚の者から事情を聴取した。この結果,新路口事件に関する当時の資料として次のものが残された。

(ア) マギーフィルム(甲8)とフィルム解説文(甲3の1,乙2)
  マギーが撮影した動画フィルム(字幕説明がある。以下「マギーフィルム」という。)とマギーが書いた同フィルムの解説文(原文は英語。以下「フィルム解説文」という。)である。

(イ)
 マギーの日記(甲31の1,2,乙13)
  昭和13年1月30日の記述の中で新路口事件に言及している。

(ウ) マギーの手紙(甲46の1,2)
  マギーのマッキム牧師に宛てた昭和13年4月2日付けの手紙で,その中に新路口事件に言及した部分がある。

(エ) フォースターの手紙(乙12,24)
  マギーから話を聞いた牧師アーネスト・フォースターが書いた昭和!3年1月26日付けの手紙(宛先不明。以下「フォースターの手紙」という。)で,その中に新路口事件についての記述がある。

(オ) ラーべの日記(甲5・213頁)
  国際委員会委員長であったジョン・ラーべの日記で,昭和13年1月29日の記述の中にマギーから聞いた話として新路口事件に関する記述がある。なお,この日記は「南京の真実」の題で出版されている。

(カ) 「南京安全地帯の記録」(乙1,5)
  国際委員会の抗議文書を編集した書籍(1939年発行)で,事例219として新路口事件が紹介されている(以下,この記述部分を「事例219」という。)。

 このうち,本件書籍において直接検討が加えられているのは,(ア)のうちのフィルム解説文及び(カ)の事例219である。

(5) 本件訴訟に至る経緯

原告は,平成12年11月27日,中国南京市の人民法院に,本件と同様の主張に基づき,本件の被告らに対し,日中両国の主要な新聞において公に原告に謝罪し80万元の賠償金を支払うこと等を求める訴訟を提起し,この訴状は平成16年4月に被告らに送達された。
被告らは,原告の上記請求にかかる訴訟については日本の裁判所で行うべきであるとして,平成17年1月29日,本件の原告を被告として,被告らが本件書籍によって原告の名誉を毀損し人格を傷つけたとの理由に基づく不法行為による損害賠償債務の不存在確認を求める訴えを当裁判所に提起した(同年(ワ)第1609号債務不存在確認請求事件)。
本件訴訟は,上記債務不存在確認請求事件に対する反訴として平成18年5月15日に提起されたものであり,本訴たる上記事件は,同年6月30日の第2回口頭弁論期日(実質的な第1回口頭弁論期日)において原告の同意の下に取り下げられた。
なお,中国南京市の人民法院は,被告ら欠席のまま,平成18年8月23日,被告らに対し原告への損害賠償等を命じる判決を言い渡した。

2 争点

(1) 本件記述は原告の名誉を毀損し,原告の人格権を侵害するものか
(2) 本件記述は,公益を目的とし真実を述べるもの等として違法性を欠くか(本件記述が日中戦争の歴史的経緯という公共の利害に関することは争いがない。)
(3) 被告らにおいて本件記述の内容を真実と信ずるについて相当の理由があるか
(4) 原告の損害額及び謝罪広告の可否

3 争点に関する当事者の主張

(1) 争点(1)(名誉毀損・人格権侵害の有無)について

 原告の主張

(ア) 名誉毀損・人格権侵害について
一般に名誉とは人に対する社会的評価であり、人がその品性・徳行・名声,信用等の人格的価値について社会から受ける社会的名誉を指し、名誉毀損とはその名誉を低下させる行為である。そして,問題とされる表現が人の上記人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば,これが事実の摘示であるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず成立し得る。
また,名誉毀損とは別に,人が自己の価値について有する意識や感情(名誉感情)に対する侵害も人格権侵害として不法行為となり得、その表現行為の態様,程度等からして,社会通念上許される限度を超える名誉感情に対する侵害は、人格権の侵害として慰謝料請求の事由となる。

(イ) 本件行為の名誉毀損性・人格権侵害性

原告は,マギーフィルムとフィルム解説文の「8歳の少女」,すなわち,南京事件の際,原告の家族を含む11人が殺害され自らも銃剣で刺される被害を受けた者として著名であり,日本国内はもとより他国でも広く知られている。
原告は,本件事件による被害の後,孤児としての一生を余儀なくされてきた。そして,過去の被害がトラウマとなり本件事件の被害を思い出すのも苦痛であったが,平和のために必要と考え自己の被害体験について語ってきた。原告にとって南京事件の被害者の象徴としての立場は,まさに人格的価値の中核にある。
本件記述を一般読者を基準として判断すれば,読者は原告はマギーフィルムとフィルム解説文で紹介されている人物とは別の人物であり,にもかかわらず真実を語らず,さらに来日してまで虚偽の話をしている人物であると読み取ることは疑いの余地がない。
したがって,本件記述は,原告がニセモノであるとの事実を摘示し,原告の名誉信用等を毀損するものであり,かつ,南京大虐殺の生き証人であることが人格的価値の中核をなす原告に対し,ニセモノという最大限の誹謗中傷,侮蔑行為を行うもので,原告の名誉感情を著しく侵害し,原告の人格権を侵害するものである。
なお,事実の摘示であるかどうかは証拠をもってその事実の存否を決することができる事柄であるか否かによって決せられるところ,原告がフィルム解説文の「8 歳の少女」か否かは証拠によりその存否を決することができる事柄である。また,伝聞内容の紹介,推論の形式,黙示的主張であっても,事実を摘示していると判断し得る。

 被告らの主張

(ア) ある記述が名誉毀損となるのは,摘示した事実そのものが他者の名誉を毀損する内容を有する場合であり,本件の場合でいえば,「原告(夏淑琴)は被害者を装って故意に虚偽の事実を語っている」との事実を摘示したような場合である。

(イ) 本件記述は,原資料の記録(フィルム解説文)に依拠しつつ,そこに内在する問題点を詳細に検討した結果,「『8歳の少女』と夏淑琴(原告)は別人と判断される」との意見ないし論評を述べ,また,フィルム解説文を基準とする限り原告の供述は不正確であることを指摘し「原告は事実をありのまま語るべきである」との意見を述べたものにすぎないのであって, (1) 「『8歳の少女』は夏淑琴と別人である」という事実を述べたものではない。そして、「8歳の少女」の属性である名前に関する判断は,名誉を毀損するような評価ではなく,被告東中野の主観的な論理思考を示したにとどまるから,これにより原告の社会的評価が低下したとも思われない。仮に,本件記述が (1) の事実を摘示したと解されるとしても,その表現自体に価値判断はないから名誉毀損にあたらない。
また, (2) 「夏淑琴はフィルム解説文の『8歳の少女』とは別人であるから新路口事件の現場にいなかった」とか, (2) 「夏淑琴は新路口事件の現場にいなかったにもかかわらずいたと言って真実に反することを言っている」とかいう事実を摘示するものでもないし,仮に (3) のような事実を摘示した場合であっても,名誉毀損とはならない。事実についての主張の相違は,日常の社会生活上しばしぱ起こることであり, 単なる見解の相違,記憶違いあるいは無意識下での記憶の変容によることもあるので,異なる事実の主張だけでは,直ちに他者の名誉毀損とは評価されないからである。
さらに,本件記述は,「8歳の少女と夏淑琴は別人と判断される。」という著者の解釈を述べているにすぎず,それ以上に原告そのものを誹謗するものではないから,原告の人格権を侵害するものではない。

(2) 争点(2)(本件記述は違法性を欠くか)について

 被告らの主張

(ア) 本件記述は,日中戦争の真実を学間的に究明するという専ら公益を図る目的を持つものであり,表現の形式において妥当であり、内容において相当の根拠を有するものであるから,不法行為の要件としての違法性を欠く。すなわち,

 a. 被告東中野は,事件当時の最も詳細な原資料であるフィルム解説文を前提として,これを分析の上その解釈を論じ,夏夫婦の子である「7,8歳になる妹」は刺殺(bayonet)されたと解釈されるので,生き残った同年齢の「8歳の少女」は夏夫婦の子ではないはずと推理し,「マギーが昭和13年2 月当時フィルム解説文を書くにあたり認識していた『8歳の少女』は原告ではない」と記述したのである。
なお,「bayonet」が「銃剣で突く」と「銃剣で突き殺す」のいずれの意味を有するかは,文脈で定まるものであり,フィルム解説文の文脈ではすべて後者の意味に解するのが相当である。また,「8歳の少女」に「the」の冠詞が用いられているからといって「7,8歳になる妹」と同一人物だと断定するのは恣意的である。明らかに話題の中心人物である「8歳の少女」について筆者が文中で既出か否かを確認せずとっさに「the」を使うことは大いにあり得るし,「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が別人と解した方がかえって文章全体の文脈に沿う部分も多い。
 b. 上記の結論は,マギー自身が「8歳の少女」との面談(昭和13年1月26日)の後最初に書いた日記(同月30日付け)において, 「家主哈の8歳になる娘は・・助かりました。」と記載し,その8歳の娘の姓を「夏」ではなく「哈」としていること,原告は,1929年(昭和4年)5月5 日生まれであり,新路口事件当時は数え年で9歳であったから,仮に原告がマギーと面談した少女であったとすると,自分の年を数え年で「7,8歳」と説明することはあり得ず(当時の中国では数え年で年齢を言うのが一般的であった。),したがって原告がプィルム解説文中の「7,8歳になる妹」あるいは「8歳の少女」である可能性は全くないことから,客観的にも真実と合致する。

(イ) 個人が自己の事実認識について見解を述べる自由は、わが国の法制度の基本であり(憲法21条),とりわけ学問研究者にはその研究成果を発表する自由について特別の保障が与えられている(憲法23条)。被告東中野は,亜細亜大学において政治思想史,日本思想史を講ずる研究者であり,本件書籍は,現在も論争が続いている歴史上の南京事件について,その真相解明のために書かれた研究書である。仮に,本件書籍中の本件記述によって原告の社会的評価が低下することがあり,違法性が認められるとしても,その程度は微弱であり,学問の自由の保障の下では,訴訟手続によって損害賠償責任を課することを相当とするような違法性はない。

 原告の主張

(ア) 「公益を図る目的」とは,表現行為が公共の利益を図ることを主たる目的とすることを指し,その判断は,名誉毀損事実自体の内容,性質から客観的に判断するだけでなく,表現方法や事実調査の程度なども考慮して決せられるべきとされている。ところが,被告東中野は,フィルム解説文を誤訳し,誤訳から生じてくるフィルム解説文の前後の文脈の矛盾や,資料間の矛盾もあえて無視しているばかりか,原告に直接取材を行うことすらしていない。そして,被告東中野は,故意に原告をニセモノに仕立て上げて誹謗中傷するために,意図的にフィルム解説文を誤訳しているのである。このような被告東中野の執筆態度が公益を目的とするにふさわしい真摯なものであったとは到底いえない。

 a.「bayonet」は,本来「銃剣で突く」という意味であり,必ずしも「殺した」と訳すべき単語ではない。そして,フィルム解説文では,その 3,4行後に「After being wounded the 8-year old gir1」の文言があり,「the」の定冠詞の用法からしても,「8歳の少女」はその前に記されている「bayonet」された「7,8歳になる妹」 (another sister of between 7-8)を指すことが明白であるから,「7,8歳になる妹」は銃剣で刺されたにしても命までは奪われなかったと当然に解すべきであって,現に同じ英文を翻訳した「資料ドイツ外交官の見た南京事件」(石田勇治編集・翻訳)はそのように訳している。しかも,被告東中野自身,本件書籍の他の部分(245頁)では「第七に,銃剣で『重傷』を負った8歳の少女が何とかショック死を免れた。・・それはなぜなのか。」と述べ,上記の「bayonet」を「銃剣で突いた」と解釈しているのである。「another sister of between 7-8」は,「the8-year o1d gir1」の属性を包含しており,「7,8歳になる妹」を,後に続く文章では「8歳の少女」と簡略して表現することは広く行われているところであり,少なくとも両者を別人と判断する合理的根拠とはなり得ない。さらに,「8歳の少女」は傷を負った後「母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った」のであるから,殺された2人の母親のうちどちらかが「8歳の少女」の母親だったのであり,「8歳の少女」がマアの家族でもシアの家族でもなかったわけがない。
 b.1939年1月26日時点で数え年9歳の人間は,満で換算すると7-8歳となる。マギーは,原告の年齢を数え年で9歳と聞き取り,満で換算したと考えることもできる。「8歳の少女」が自己の年齢を正確に把握しているはずであるという前提自体が経験則に反するし,このような極限の混乱状態におけるマギーの記述が完全に正確無比であることの方が不自然である。
また,マギーの日記(1938年1月30日)の原文には,生き延びた「8歳の少女」は家主ハーの娘であったとは記載されていない。

(イ) 「研究」の名を称していても他人の名誉を傷つけることが許されないことは当然であり、表現の自由と人格権の保障については,名誉毀損と真実性の証明あるいは相当性の問題としてその調整が図られていることは周知のとおりであり,研究成果の発表というだけで違法性が否定されるものではない。

(3) 争点(3)(真実と信ずるについて相当の理由の有無)について

 被告らの主張

(ア) 被告東中野は,最も早い時期の最も詳細な原資料をその意見ないし論評の基礎としており,その資料解釈の論理的思考は極めて妥当であって,被告東中野の判断には相当の理由がある。

(イ) 本件書籍が出版された平成1O年当時,本件書籍以外の刊行物においても,フィルム解説文にいう「8歳の少女」は原告ではないと解釈されていた。すなわち,本多勝一は「7,8歳になる妹」は「8歳の少女」とは別人であって銃剣で刺殺されており,「8歳の少女」は家主マー(哈)の娘であると解釈していた(平成3年9月朝日新聞社刊「貧困なる精神G集」110頁)し,笠原十九司も,平成7年及び8年発行の南京難民区の百日」255頁において,本多勝一の説に賛同しつつ,同人の上記著書を引用し,「殺害されたのは,さらに夏淑琴の父と馬という姓の家主とその妻と彼らの7,8歳の女の子である」としており,両氏とも「8歳の少女」と「7,8歳になる妹」をはっきり区別し,「7,8歳になる妹」は殺害されたと明言している。すなわち,被告東中野が本件書籍で記述した内容と同一の見解が平成1O年当時一般的に存在した。

 原告の主張

(ア) 被告東中野は,資料を正確に読まず,前後の文脈を無視し,原告に関する取材活動をせず,資料もなくありもしない仮想に基づいて不合理かつ無理な解釈を強引に展開しており,その資料解釈が妥当とは到底いえない。

(イ) 被告らが指摘する本多勝一の著書は,「bayonet」を「刺し殺す」と理解したための間違いを含んでおり,生き残った「8歳の少女」を「マー(ハー)」家の娘であるように説明している。しかし,同人は,「この『シア』一家は,拙著『南京への道』に出てくる夏淑琴さんの場合の可能性もあるかもしれない」と注記していた(後に両者は同一人物であるとの解釈を行っている。)。なお,被告らが指摘する笠原十九司の著作は,上記本多勝一の著書を引用した部分であって,笠原十九司の著述ではない。これら書籍から,「8歳の少女」が原告とは別人であるという見解が一般的に存在していたとは到底評価できない。
かえって,本件書籍の出版された平成10年8月15日の段階では,フィルム解説文やマギーの日記に記録されている「8歳の少女」が原告であることを積極的に示す論考や書籍が多数刊行されていたのであるから,これら多くの文献と照合し,自己の解釈が合理的なものかを検証する作業を行うべきは当然であるのにこれをしていない。

(ウ) 被告東中野は,西洋史を専攻し,西ワシントン大学客員教授や西独ハンブルク大学客員研究員を務め,ドイツ語書籍の翻訳の経験も有し,書籍の執筆にあたっては多数の英文資料に目を通して,英文の論文や国際学会での発表も行っている。にもかかわらず,被告東中野は,要するに「8歳の少女」がシアの娘ではないという,事実を歪曲した結論を作出するために,「bayonet」の単語に2つの意味があることを利用して意図的な歪曲を行ったのであり,摘示した事実が真実であると誤信した相当な理由があるとは到底認められない。

(4) 争点(4)(損害額及び謝罪広告)にっいて

 原告の主張

(ア) 原告が被った被害は,単に金銭賠償だけではなく,被告ら作成の謝罪文の掲載によって回復されるべき性質のものである。 

(イ) 被告らは,本件書籍の発行によって被った原告の精神的損害に対する慰謝料として,少なくとも1OOO万円を支払うべきであり,また,弁護士費用として200万円を支払うべきである。

(ウ) さらに,被告東中野による本件書籍の台湾版及び英語版の出版によって,原告の名誉及び名誉感情はさらに広範な読者との関係で毀損,侵害されたから,被告東中野は,これによる慰謝料として別途300万円を支払うべきである。

 被告らの主張

いずれも争う。

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第3 争点に対する当裁判所の判断

1 名誉毀損の不法行為について

(1) 出版物の記述による名誉毀損の不法行為は,問題とされる表現が,人の品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれぱ,これが事実を摘示するものであるか,又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず成立し得るものである。
ところで,事実を摘示しての名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合には,摘示された事実が真実であることが証明されたときは,その行為には違法性がなく,不法行為は成立しないものと解するのが相当であり,もし,その事実が真実であることが証明されなくても,その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには,その行為には故意もしくは過失がなく,結局,不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁昭和41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。

(2) そして,問題とされる表現が事実を摘示するものか,意見ないし論評の表明であるかの区別は,一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものであり,そこに用いられている語のみを通常の意味に従って理解した場合には,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張しているものと直ちに解せないときにも,当該部分の前後の文脈や,その出版物の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し,その部分が,修辞上の誇張ないし強調を行うか,比喩的表現方法を用いるか,又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ,間接的ないしえん曲に前記事項を主張するものと理解されるならぱ,同部分は,事実を摘示するものと見るのが相当である。また,そのような間接的な言及は欠けるにせよ,当該部分の前後の文脈等の事情を総合的に考慮すると,当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば,同部分は,やはり,事実を摘示するものと見るのが相当である(同平成 9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。

(3) そこで、以上の観点により本件について検討する。

2 争点(1)(本件記述の名誉毀損性等)について

(1) 本件記述(甲1)

 本件記述は,本件書籍の第11章「南京安全地帯の記録(一)」において,「南京安全地帯の記録」の「有名な事例219」を検証するという形で取り上げられている。

 そして,事例219の記述を引用した上で,
「『事例219』についてのマギーのもう一つの説明」との小見出しにより,被告東中野自身の翻訳によるフィルム解説文の全文が次のとおり紹介されている(改行は最後の改行箇所以外は被告東中野による。また,文中の①~⑯は被告東中野が付したもので,人数がわかりやすいようにするためとの説明がある。)。

「《12月13日, 約30人の兵士が南京の東南部の新路口五のシナ人の家にきて,中に入れるよう要求した。
玄関を,①マアという名のイスラム教徒の家主が開けた。すると, ただちに彼らはマアを拳銃で殺した上,もう誰も殺さないでと,マアの死体に脆いて頼む②シアさんMr.Hsiaをも殺した。なぜ夫を殺したのかと③マアの妻が尋ねると,彼らはマアの妻をも殺した。
④シアの妻は⑤1歳の赤ん坊と客間のテーブルの下に隠れていたが,そこから引きずり出された。そして、1人かもっと多くの男たちから裸にされ,強 姦された後,銃剣で胸を刺されて殺された。その上,陰部に瓶を突っ込まれ,赤子も銃剣で殺された。
それから,何人かの兵士が隣の部屋へと行った。そこには,シアの妻の⑥76歳と⑦74歳になる両親,それに⑧16歳と⑨14歳になるシアの娘がいた。この娘たちを彼らが強 姦しようとしたその時,祖母が娘を守ろうとして拳銃で殺された。祖父が妻の体をつかむと,祖父も殺された。
それから,2人の少女が裸にされた。上の少女は2,3人に強 姦され,下の少女は3人に強 姦された。その後,上の少女は刺されて陰部に芋を詰め込まれた。下の少女も銃剣で突き殺されたが,母や姉の受けたぞっとするような扱いは免れた。
それから,兵士たちはもう1人の ⑩ 7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は⑪4歳と⑫ 2歳になるマアの2人の子供。children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
⑬ その8歳の少女 the 8-year old girl は傷を負った後,母の死体のある隣の都屋に這って行った。無傷で逃げおおせた ⑭ 4歳の妹 her 4-year old sister と一緒に,この子はここに14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。
写真撮影者の私が,この話の一部を得ることができたのは,上の8歳の少女からで,詳細は一人の隣人 a neighbor と一人の親戚 a relative から語ってもらって,確認と訂正ができた。兵士たち the soldiers は毎日この家に物を取るためやって来たが,2人は古い敷布の下に隠れていたので発見されなかったと,この8歳の少女は語った。
このような恐ろしいことが起こり始めた時,近所の往民はみな避難民地帯に逃げた。それから14日して,このフィルムに出て来る ⑮老女性 the old women が近所に戻って,2人の子供を発見した。その後,死体が全て取り除かれたあとの部屋 an open space where the bodies had been taken afterwards に,写真撮影者の私を案内したのは,この老女性であつた。彼女や,シアさんの ⑯弟(または兄)Mrs. Hsia's brother と,この小さな女の子にたいする質問を通じて,恐るべき悲劇についての疑問の余地なき理解が得られたのである。》」
(241~242頁)

 その上で,被告東中野は,「数々の疑問点」との小見出しの下に,このフィルム解説文の内容について9の疑問点を挙げ,第9の疑問点として次のように記述した(なお文中の「日支紛争」とはフイルム解説文が収められた公文書綴を指している。)。

「第9に,家族の総数が違う。『南京安全地帯の記録』の事例219(マギーの説明)では総数は2家族で13人であった。しかし,『日支紛争』のなかのマギーの記録では,14人であった。
そのうえ,家族関係がよく分からない。唯一の生存者と主張する2人の子供,具体的には『8歳の少女』とその妹(4歳)は,いったい誰の子供なのであろうか。
マギーはいきなり⑬の『8歳の少女』は『母の死体のある隣の部屋に這って行った』と説明したのである。その『母』とは,④のシアの妻を指すのか。それとも③のマアの妻のことなのか。
仮に,『8歳の少女』がシア夫婦の子であったとすると,『8歳の少女』はシア夫婦の⑩の『7,8歳になる妹』と姉妹であったことになる。もし両者が双子ならぱ,『7,8歳になる妹』は8歳であったがれが7歳か8歳か分からなかった。『8歳の少女』と『老女性』と『シアさんの弟(または兄)』の3人に『確認』しても,分からなかったということは,両者は双子ではな,そかった。双子でなければなるが,それが7歳かどうかも分からなかった。ということは,『7,8歳になる妹』は,妹ではなかったと考えるのが自然である。従って,『8歳の少女』,7歳にはシア夫婦の子ではなかったことになる。
では,『8歳の少女』はマア夫婦の子供であったのか。『8歳の少女』には,4歳の妹がいた。マア夫婦にも,4歳の子供(性別不明)がいた。ということは,『8歳の少女』の『4歳の妹』⑭との『4歳』⑪の子供は,双子であったことになる。双子は一目瞭然だから,特に双子と明記されていたことだろう。また男の子か,女の子か,性別は明らかであったは,マア夫婦ずである。ところがさえも不明であった。従って,『8歳の少女』はマア夫婦の子供ではなかったと考えるのがやはり自然であろう。
この2点このように『8歳の少女』は,シアの子供でもマアの子供でもなかった。その姓は,シアもなかった。もちろん,マアでもなかった。」
(246~247頁)

 続いて,「『8歳の少女(夏淑琴)』がマギーに語ったもう一つの話」との小見出しの下に,

「笠原十九司『南京難民区の百日』に,『8歳の少女(夏淑琴)』がマギーに語ったもう一つの話が出てくる。」

として,

「《日本兵たちが市内の南東部にある夏家にやってきた。日本兵は,8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいた者全員,13名を殺害した。》」

との一文を引用し(この引用部分は笠原十九司が引用したフォースターの手紙の中の一文であるが,その点は触れられていない),殺害された人数が異なる点を指摘した上で,引き続き,

「『 漢語大詞典』によれば,夏淑琴の姓の『夏』は Xia(シア)と発音する。しかし,これまでの検証からも分かるように『8歳の少女』の姓をシアとするには無理がある。『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。
従って,この『8歳の少女(夏淑琴)』が語った話は,『南京安全地帯の記録』の事例219の『8歳の少女』の話や,『日支紛争』に出てくる『8歳の少女』の話とも,微妙に違っている。その違いは一目瞭然であろう。
(中略)
人は大事件に遭遇した時,その細部を,昨日のことのように鮮明こ覚えている。それでも忘れることはあり得るが,忘れた時は,語ることができないものである。もし語るのであれぱ 女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり,事実をありのままに語っているのであれば,証言に,食い違いの起こるはずもなかった 」 (247頁~248頁)

と結んでいる(アンダーライン部分が本件記述。以下同じ)。

 次に,「本多勝一『南京への道』に出てくる夏淑琴の話」との小見出しの下に上記書籍の中の原告の話を取り上げ,事例219やフィルム解説文のマギーの説明と食い違う点を指摘し,引き続き,「夏淑琴が『マギーの遺言』に登場」との小見出しで,インターネット上の「マギーの遺言」における原告の証言もマギーの説明と食い違いがあることを指摘した上で,

「 しかし,さらに驚いたことには,夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである 。」 (250頁)

と記述し,戦争犠牲者を心に刻む会編「南京大虐殺と原爆」における原告の証言がマギーの説明の内容と異なる部分があることを指摘している。

(2) 本件記述の名誉毀損性

 本件記述がなされている前後の文脈は(1)のとおりであり,この文脈において,普通の注意と読み方をする一般の読者であれぱ,本件記述から,  (1) フィルム解説文を詳細に分析すれば事例219の生き残った「8歳の少女」の姓は「シア」ではなかったことになるが,原告の姓は夏「シア」であるから,原告(夏淑琴)はこの「8歳の少女」ではない, (2) 「従って」,生き残った「8歳の少女」と称している原告の話は(虚構のものであるから)フィルム解説文や事例219のマギーの説明との間に食い違いが出てくる(原告が真実「8歳の少女」であれぱ話に食い違いが生じるはずがない), (3) 原告は生き残った「8歳の少女」ではないにもかかわらず,来日してまで自分が「8歳の少女」であるとして虚偽の証言をしている,と理解することは明らかであり,本件記述を含む文章全体の趣旨を見ても,読者がそのように理解することを意図していることが優に読み敢れる。
したがって,本件記述は,一部表現に意見や評論の形式が採られているものの,「原告が『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている」との事実を摘示するものと見るのが相当である。

 前提となる事実のとおり,原告は,本件書籍が発行された当時,既にいわゆる南京事件の生存被害者としてマスメディアでも紹介され,自ら「8歳の少女」として新路口事件における体験を語るなどして広く知られた人物であり(本件記述も原告がそのような人物であることを踏まえたものであることは(1)で認定した記述からも明白である。), そのような状況下で出版された本件書籍中の上記事実の主張が原告の社会的評価を著しく低下させ,原告の名誉を段損する内容のものであることは明らかである。ましてや,その内容から,本件記述が原告自身の名誉感情を著しく侵害するものでもあることは言を俟たない。

 なお,本件書籍の英語版では「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される。」(247,248頁)との一文が削除されていることは前提となる事実のとおりであるが,この一文がなくとも以上述べた判断は変わらない。

エ 被告らは,ある記述が名誉毀損となるのは摘示した事実そのものが他者の名誉を毀損する内容を有する場合である等と主張するが,そのような主張が採用できないことは 1 において述べたとおりであり,この点に関するその余の主張も,上記説示に照らし採用できない。

3 争点(2)(本件記述は違法性を欠くか)について



 前提となる事実,甲1及び乙37によれば,
被告東中野は,政治思想史,日本思想史等を専門とする研究者であり,平成6年以降亜細亜大学教授の地位にあること,被告東中野は,本件書籍の「あとがき」において,昭和56年以降教科書にも記述されるようになった「南京虐殺」について,「教科書の記述のように,果たして民衆20万人虐殺を示す確たる根拠があるのであろうか。それならぱ,その史料が提示されるべきである。その史料の提示ができなければ,教科書執筆者は歴史を偽造していることになる。子々孫々に伝承すべき自国の歴史の叙述に,少しでもあやふやな記述があれば,文部省は検定を通過させるべきではないのである。自国民が自国の歴史に自信をもって接する,そのような歴史教科書になって欲しいと,切に思われてならない。」と述べていることが認められる。
これら事実及び本件書籍全体の内容からすると,被告東中野は,日本史上,教科書にも取り上げられている「南京虐殺」の史実について疑義を呈し, この史実に対する自己の見解を史料に基づく研究結果として公表することを目的として本件書籍を執筆し,被告会社がこれを発行したと認められるから,被告らによる本件書籍の執筆及び発行は,専ら公益を図る目的に出たものということができる。

 原告は,被告東中野が原告を誹謗中傷するため意図的に誤訳や恣意的解釈を行っているとして,被告らの行為が公益を目的とするものではないと主張するが,仮に本件記述について誤訳や恣意的解釈があるとしても,それは被告東中野の研究結果ないし見解が評価に値しないというに止まり,これにより公益を目的とすること自体が否定されるものではなく,その他,被告らが原告を誹譲中傷することを目的として本件記述を執筆し,本件書籍を発行したなど,前記の認定を覆すべき事情を認めるに足りる証拠はない。

(2) 真実性

 前示のとおり,本件記述は「原告が『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている」との事実を摘示するものと解されるところ,仮に原告が「8歳の少女」でなければ,生き残った「8歳の少女」としての原告の証言は必然的に虚偽ということになるから,真実性の証明の対象は「原告が『8歳の少女』ではない」という事実である。
そこで,上記事実の真実性について以下検討する。

 フィルム解説文から「原告は『8歳の少女ではない」との事実が認められるか

(ア) 前記2(1)で示した本件書籍の記述によると,被告東中野は,フィルム解説文を

「…それから,兵士たちはもう1人の (10) 7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。(中略) (13) その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。・・」

と翻訳し,ここに登場する「シア夫婦の『7,8歳になる妹』」と「その8歳の少女」とは別人であることを前提にした上で, i) 「8歳の少女」がシア夫婦の子であったと仮定すると「7,8歳になる妹」は「8歳の少女」の双子の姉妹か7歳の妹のいずれかとなる, ii) いずれであるかは「8歳の少女」や「シアさんの弟(または兄)」に確認したときに当然判明するはずなのに「7,8歳」として7歳か8歳か分からなかった, iii) ということは上記仮説が誤っていると考えるのが自然である, iv) したがって「8歳の少女」はシア夫婦の子ではなくその姓もシアではない, との論理を展開している。

(イ) 被告東中野の年齢を重視した上記の論理展開の妥当性・合理性はひとまず措くとして,その論理の前提となる「シア夫婦の7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が別人であるとの理解は,「7,8歳になる妹」は「突き殺」され死亡したとの理解に基づくものと推認される。
しかし。上記翻訳部分に該当するフィルム解説文の原文(英語)は,

「The soldiers then bayonetted another sister of between 7-8, who was also in the room. (中略) After being wounded the 8-year old girl crawlded (*2) to the next room where lay the body of her mother. 」

であるところ(甲3の1), 「資料 ドイツ外交官の見た南京事件」(平成13年3月19日発行。甲3の2)では, 石田勇治によるこの部分の翻訳は,

「さらに兵士たちは, 部屋にいたもう一人の7,8歳になる妹を銃剣で刺した。(中略)傷を負った8歳の少女は,母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。」

とされており,「7,8歳になる妹」は銃剣で刺されたとされているが,殺されたとまではされていない。そして,わが国で一般に市販されている英和辞典によると,原文にある bayonet の単語は「(銃剣で)突き殺す」という意味のみならず「銃剣で刺す」という意味にも用いられているから,石田のような翻訳も十分に可能である。

(ウ) そうすると,フィルム解説文から「7,8歳になる妹」が殺害され死亡したと一義的に理解することはできず,マギーが「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」を別人として記録したともいえないから,フィルム解説文の記載内容から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実は立証されない。

 マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか

(ア) 甲53,乙13,35によれば、マギーフィルムが発見された1991年(平成3年)7月の直後,マギーが昭和12年12月12日から昭和 13年2月初旬までに書き綴った日記が発見され,ノンフィクション作家の滝谷二郎は,これを資料とした著作「目撃者の南京事件 発見されたマギー牧師の日記」(平成4年12月1日発行)を出版したこと,この著作においてマギーの昭和13年1月30日の日記として次の記述があり,ここでは「8歳の少女」は家主マーの娘とされていることが認められる。

「12月13日。南京市内の南東にある新街口五番地にある家に,日本兵30人が押しかけました。(中略)家主マーの8歳になる娘は重症を負いましたが,母親の死体に隠れて助かりました。」

(イ) しかしながら,甲31の1,2によれば,現在マギーの日記として公刊されている英語の文献には,助かった8歳の娘について「 The eight year old girl 」とあるのみで,同女が家主マーの娘であることを示す記述は存しないことが認められる。またこの英語の文献がマギーの日記を正確に紹介したものであるとすると,滝谷二郎が上記「目撃者の南京事件」で紹介した日記の内容と相当程度異なっているが(乙13の85~86頁と甲31の2の327~328頁),本件において「目撃者の南京事件」で引用されているマギーの日記に該当する原文の資料は証拠として提出されていない。

(ウ) したがって,マギーがその日記で「8歳の少女」を家主マーの娘と記述した事実は証拠上認められず,したがって,マギーの日記から「原告は『8歳の少女』ではない」との事実を認めることはできない。

 原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が認められるか

(ア)  被告らは,原告が自称するように1929年5月5日生まれであるなら新路口事件当時は中国式年齢(数え年)で9歳であったから,フィルム解説文の「7,8歳になる妹」でも「8歳の少女」でもないとして,原告が「8歳の少女」ではないと主張する。

(イ) しかし,甲46の1,2によると,マギーは,新路口事件の現場をフィルムで撮影したときから約2か月後の1938年(昭和13年)4月2日,ニューヨークのマッキム牧師に宛てた書簡の中で、新路口事件に言及して,

「それに一度,わたしがある家に行きましたら,そこでは11人殺されていて,男の人3人のほかは,みんな婦女と子供で,そのうちの一人は76歳のおじいさんでした。子供では一人が1歳にも満たない赤ちゃんだったのを覚えています。5歳(中国の数え年)【原文は「a children of five (Chinese count)」】の幼い子一人だけが助かり,9歳の女の子が銃剣で背中と脇とを刺されたのですが,なんとか快復しました。【原文は「a girl of nine was bayoneted (*3) in the back and side but recovered 」】(以下略)」

等と記載してフィルム解説文と同様の被害状況を伝え,また同じ書簡の別の箇所では,

「16歳(中国式数え方による数え年で実際には14~15歳)」【原文は「a boy of 16 (Chinese reckoning or 14-15 years old )」】

という表現もしていることが認められる。

(ウ) 上記事実によると,マギーは,フィルム解説文を書いたと思われる時期からさほど離れていない時期に,新路口事件で生き残った年長の少女の年齢について,中国式数え方で「9歳」と認識していたことが推認される。そして,マギーは,当時の中国では年齢をいわゆる数え年で表記していたこと及び満年齢ではその数え年の年齢より1,2歳低くなることを理解していたと認められるから,中国式数え方で9歳(a girl of nine)と説明した少女の満年齢を「7-8」歳と推定し,フィルム解説文では,これを「8歳の少女」(the 8-year old gir1 )と表現したことも十分に考えられるところであり,上記書簡の記述とフィルム解説文の記述からすると,むしろそのように理解するのが合理的というべきである。

(エ) したがって,原告の年齢から「原告は『8歳の少女』ではない」という事実を認めることはできない。

 以上のとおり,被告らの主張は採用できず,その他「原告は『8歳の少女』ではない」との事実を認めるに足りる証拠はないから,結局真実性の証明はない。

(3)  以上のとおり,本件記述が摘示した事実について真実性が証明されない以上,本件記述が違法性を欠くということはできず,違法性に関するその他の主張も採用できない。

4 争点(3)(真実と信ずる相当の理由の有無)について

(1)  被告らは,「原告は『8歳の少女』ではない」という事実が真実であると信ずるのが相当とする根拠として, (1) 最も早い時期の最も詳細な原資料に依拠し論理的に妥当な解釈を行った結論として上記事実が導かれた旨, (2) 本件書籍が発行された当時「8歳の少女」は原告ではないと解釈されていた旨を主張するので,この点について検討を加える。

(2)  原資料の解釈として妥当な結論か

ア 本件記述の論理展開についてはこれまで述べたとおりであり,被告東中野は,フィルム解説文を自ら翻訳した上で、「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」は別人であることを前提として,「『8歳の少女』がシア家の娘であると仮定すると,双子の妹又は1歳年下の妹であるはずの『7,8歳になる妹』の年齢が7歳であるか8歳であるかが分からないのは不自然であるから,『8歳の少女』はシア家の娘ではない。」との結論に至った。
しかし,この論理展開の前提となる「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」とが別人であるとの事実は,フィルム解説文の解釈から当然に導き出されるものではなく,原文にある「bayonetted」の単語を「突き殺した」と解釈するか,単に「銃剣で刺した」と解釈するかの違いによって結論は異なるから,二義的な解釈が可能であることも先に示したとおりである。

イ しかるところ,原文の「bayonetted」を「突き殺した」と解釈すると(必然的に殺された「7,8歳になる妹」と生き延びた「8歳の少女」は別人ということになる。),フィルム解説文全体に明らかな不自然さが生じる。すなわち,この部分とそれに続く部分の被告東中野の翻訳は,

「それから,兵士たちはもう1人の ⑩7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した。同じくその部屋にいたからである。
この家の最後の殺人は ⑪4歳と⑫2歳になるマアの2人の子供children(筆者註・性別不明)の殺人であった。上の子は銃剣で突き殺され,下の子は刀で真二つに斬られた。
⑬その8歳の少女 the 8-year old gir1 は傷を負った後,母の死体のある隣の部屋に這って行った。無傷で逃げおおせた⑭4歳の妹 her 4-year old sisterと一緒に,この子はここに14日間居残った。この2人の子供はふかした米を食べて生きた。」

であるが,それ以前には全く登場していない「8歳の少女」がいきなり「the」の定冠詞とともに「傷を負った」状態で登場し,この「8歳の少女」がどこの誰であるか,どのようにして傷を負らたのかについては,その後の記述にも一切現れていない。マギーがフィルム解説文を残した理由が当時発生した事件の記録にあったと認められることからすると,これは極め
て不自然である。
他方,「bayonetted」を「銃剣で刺した」と解釈すれば, (13) の8歳の少女の身元も傷を負った状況も素直に理解されるのであり,上記の不自然さは解消される。のみならず,登場する人数も2家族13人となり,事例219と合致して,被告東中野が第9の疑問点の冒頭に掲げた家族の総数に関する疑問(前記2(1)ウ)も同時に解消する。そして,マギーが「7,8歳になる妹」をその後では「8歳の少女」と呼んだと解するのはそれほど不自然なことではなく,少なくとも「bayonetted」を突き殺したと解釈するよりは明らかに合理的である。
通常の研究者であれぱ「突き殺した」と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し,その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して,当然に「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が同一人である可能性に思い至るはずである。

ウ さらに,前記2(1)ウで述べたとおり,被告東中野は,唯一の生存者と主張する2人の子ども,具体的には「『8歳の少女』とその妹(4歳)は,いったい誰の子どもなのであろうか」との問題を提起し,自己の推論を重ねた結果,「8歳の少女」はシア夫掃の子でもマア夫婦の子でもなかったとの結論に至っているところ,そうすると「母の死体のある隣の部屋に這って行った」とある「母」はシアの妻でもマアの妻でもないことになるが被告東中野はこの「母」に人数を示す固有の番号を付しておらず,この「母」はシアの妻かマアの妻のいずれかと理解している。これは明らかに矛盾であり,論理に破綻を来しているというほかはない。
通常の研究者であれぱこの矛盾を認識し,そこに至る推論の過程のいずれに誤りがあるかを検証し,結局はイで述べたと同様の可能性に思い至るはずであるが,被告東中野は,上記の矛盾点には一切言及していない。

エ 以上述べた2点だけからしても,被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。

(3)  当時「8歳の少女」が原告ではないとの理解が一般的であったか
ア 甲16,乙8,9によると,本件書籍が発行された当時存在した本多勝一の「貧困なる精神G集」(平成3年9月25日発行)は,フィルム解説文の原文「The soldiers then bayonetted another sister of between 7-8, who was also in tbe room. 」の部分を「同じ部屋にもうひとり7,8歳の妹がいたが,これも刺殺された。」(110頁)と訳して紹介し,笠原十九司も「南京難民区の百日」で上記書籍を引用し, 「殺害されたのは・・彼らの7,8歳の女の子である。」(255頁)と記述していることが認められる(もっとも,本多勝一は,上記記述に関し「この『シア』一家は,拙著『南京への道』に出てくる夏淑琴さんの場合の可能性もあるかもしれない。」と注記している。)。

イ しかしながら,上記事実のみからは,当時「8歳の少女」が原告ではないとの理解が一般的であったとも,またフィルム解説文の「7,8歳になる妹」は(銃剣で)突き殺されたとの理解が一般的であったともいえないし,そもそも,被告東中野は,資料主義に立脚して原文に当たり,これを自ら翻訳したというのであるから,著名とはいえあくまでジャーナリストの立場で著された上記書籍の訳文が上記のとおりであったからといって,これに依拠することが相当性を肯定する理由とはならない。

(4)  以上のとおり、相当性に関する被告らの主張は採用できない。


5 争点(4)(損害及び謝罪広告)について

(1) 損害額

ア 原告がいわゆる南京事件の生存被害者として
マスメディアにも登場し,中国及び日本ではそのような人物として広く知られていること,原告自身,南京事件の生き証人として自らの両親及び姉妹 3人を一時に日本兵に殺害された体験を語り続けていることは,前提となる事実のとおりである。本件記述は,そのような原告について,一般読者に「原告(夏淑琴)は南京事件(新路口事件)の生存被害者(「8歳の少女」)ではないのに生存被害者として虚偽の証言をしている」との事実を強く印象づけるものであり,原告の名誉を著しく毀損し原告の名誉感情をも薯しく傷つけるものであって,これにより,原告が多大な精神的苦痛を受けたことは容易に想像し得るところである。
とりわけ,本件書籍が5刷まで増刷を重ね(甲)によると,5刷が発行されたのは被告らが債務不存在確認の本訴を提起した後の平成17年6月9日である。),しかも繁体字中国語版や英語版の翻訳版も出版され。日本以外の読者に対しても頒布されていることを考慮すると,原告が受けた精神的損害は決して軽視できるものではない。

イ しかし他方,本件書籍それ自体は,その内容に対する評価はともかく,一応は南京事件の史料に基づく検証の結果を世に伝えることを意図するものと認められる。そして,書名や帯,はしがきやあとがきの中に原告を指し示す記述や文言はなく,本件書籍中の原告に関する記述は,380頁からなる本文のうち240頁から251頁にかけての部分に限られている。
また,本件記述は,一般大衆の目に触れる新聞,雑誌等の媒体に掲載されたものではないし,本件書籍は,その内容からして,読者層が一定の範囲に限定されるものと推認され,客観的に見ればその影響力はさほど重大なものとは考えられない。
したがって,本件書籍は,一定範囲の読者ないしその周辺の人々の目に触れる限度で原告の社会的評価を低下させ,あるいは今後低下させるおそれもあるが,多くの国民の間において原告の社会的評価を相当程度に低下させたとまでは認める.ことはできないし,今後,そのような具体的危険が生ずるとも認められない。

ウ 以上の諸般の事情を総合考慮すると,本件書籍を執筆し発行した被告らの共同不法行為により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては300万円をもって,英語版及び中国語版の発行によりさらに拡大されたと認められる原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては50万円をもって,それぞれ相当と考える。
また、弁護士費用については,上記慰謝料額及び本件訴訟の提起遂行の経過を考慮し,50万円の限度で被告らの不法行為と相当因果関係のある損害と認める。

(2) 謝罪広告

謝罪広告は,その性質上,その必要性が特に高い場合に限って命ずるのが相当であるところ,(1)イにおいて述べた事情を勘案すると,原告の受けた損害は前記の慰謝料の支払によって慰謝されるものと考えられ,その必要性は認められない。

6 結論

よって,原告の請求は,被告らに対し,共同不法行為に基づき連帯して350万円及びこれに対する本件書籍出版後である平成18年5月18日(被告らに対する反訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,被告東中野に対し,不法行為に基づき50万円及びこれに対する英語版及び中国語版の発行後である平成19年1月20日(被告東中野に対する請求拡張の申立書送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第10部
裁判長裁判官 三代川三干代
裁判官 藤本博史
裁判官 兼田由貴





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最終更新日  2023.08.23 19:27:50
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