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今日は、生命保険の日です。景気が回復してきたとは言え、このご時世では生命保険に割ける予算はそうそう増やせません。いざというときに必要なのはわかっているのですが。ここのところ積立配当金もゼロがずっと続いていますしね。 生命保険といえば、なんとなくですが、ずっと疑問に思っていたことがあります。生命保険会社って○○保険相互会社というのが多いですよね。株式会社でも有限会社でも合資会社でもない相互会社って、保険会社意外ではあまり聞きなれません。私も生保は2社ほどお付き合いがあるのですが、どちらも相互会社です。たいしたことではないので放っておいたのですが、この機会にちょっと調べてみました。 相互会社とは、保険業法に基づいて設立が認められた会社の形態の一つで、だから保険会社以外には聞かないのですね。さらに、相互会社とは、剰余金の分配のある保険に加入している人を「社員」とする社団法人であり、ここでいう「社員」とは、社団法人たる会社の構成員のことをいい、株式会社の場合は「株主」がこれに相当するとのこと。ようするに、保険に加入するということは保険会社の「お客様」になることだと思っていたのですが、なんと「社員」になることだったのですね。ちょっと意外です。
2006年01月31日
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今、和風が20代の女性を中心にはやっているそうです。国風派というそうです。和紙を上手に取り入れた建具や照明器具、竹を使ったパーテーションなどのインテリアから和服に使う生地をドレスに使ったりしてファッションにも広まっています。ホテルや飲食店なども流行に敏感な若い女性を狙って和風の空間デザインをした店が増えているようです。 この日記では、開設当初から和風への回帰をテーマの一つとしてきましたので、うれしい限りです。この機会に風鈴や扇子など、和の小物作りなどの産業が息を吹き返して、海外へ輸出されたりすればすばらしいと思います。昔、薩摩の焼き物のボタンや浮世絵が輸出されて、高い芸術性が評価されたように日本人の美意識は世界でも充分商品性があると思います。このブーム、一過性で終わらないといいですね。
2006年01月30日
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先日、スーパーでちょっと気になるお米を見つけました。銘柄は「ミルキークイーン」というのですが、なんでも国のスーパーライス計画で生まれた、コシヒカリを超える米なのだそう。値段を見ると、2kgで1000円ちょっとなので、そう高くない。で、試してみました。水の量を普通より少なめにしてくださいと注意書きがあったので、そのとおりにして炊いてみると…。おお、これは!美味しいじゃないですか。コシヒカリより自分の好みに合っているかも。もう一度袋の記載を読んでみると、コシヒカリを品種改良し、低アミロースの特性を持たせたとあります。低アミロースにすることで冷めても固くならず、粘りが強いのに柔らかく、一粒一粒の輝きに優れるとも。これ、かなり気に入りました。今後も安定してこの値段で手に入るなら、我が家のスタンダードにしたいと思います。 私は、昔、お米はササニシキのファンだったんですが、コシヒカリに駆逐されてしまって、ほとんど手に入らなくなってしまいました。丼ものや寿司飯にするにはササニシキが一番だったんですが、コシヒカリにくらべると栽培に手間がかかるという理由で姿を消したようです。いまでも料亭向けなどに少量栽培されているようですが。このミルキークイーンはそうならないといいなあ。みなさんもぜひ試してみてください。
2006年01月29日
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今日は、衣類乾燥機の日です。日本電機工業会で制定したらしいのですが理由は不明です(笑)。 私はもう10年以上衣類乾燥機を愛用しています。時間がなくて洗濯物を干したり、取り込んだりする暇がないのです。本当は天日に当てたいのですけれどね。衣類乾燥機を使うとやはり衣類は傷むと思います。どうも乾燥させすぎのように思います。電子レンジのように仕上がりを弱めに調節できる機能があればいいと思うのですが、なぜかそういう機能がついているものはどのメーカーも作ってないようです。アイロン仕上げのコースはありますが、これだとまだしっとり湿っている状態です。結局、自動停止する前にころあいを見計らって、手動停止するしかないようです。私は家電でも自動車でも自動というのが好きではありません。基本的に手動で使えるものはすべて手動で使っていますし、自動車のエアコンなどもオートエアコンは大嫌いです。機械を自動で動かすためには、温度や湿度を検知するセンサーがとても重要です。これの精度が狂ってくると、正常な自動作動は期待できなくなります。そして多くの場合、センサーは精密な部品なので壊れたり狂ったりしやすいのです。自動を省いたもっとシンプルで低価格なものを作ってほしいし、せめて手動モードのついたものを作って欲しいです。手動モードがあれば、自動が壊れても手動で使い続けることができます。 洗濯機で乾燥までできるドラム式の洗濯機が最近よく売れているようです。まだまだ高価ですが、省スペースなのが魅力です。でも、洗濯に必要な時間がやたら長いのと、脱水時に振動が大きく、エラーで停止してしまうことが多いなど問題も多いようです。まったく別の方式を取っているのは日立の「ビートウォッシュ」です。脱水時の振動には有利そうですが、これで本当に洗えるの?乾燥できるの?という感じもします。今は様子見ですが、節水・省エネで長持ちする洗濯乾燥機の登場を心待ちにしています。もちろん、手動モード付きで(笑)。
2006年01月28日
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今日は、国旗制定記念日です。世界の国旗をみていると、カラフルで楽しいですね。子供のころよく地図帳に乗っていた国旗の一覧を、国名を隠して当てっこして遊びました。中には全部の国の国旗を暗記しているつわものもいました。また、確かペプシコーラだったと思いましたが、王冠の裏側に世界の国旗が印刷されていて、これを集めるのが流行したこともありました。 日本の国旗はご存知のとおり「日の丸」です。1870年(明治3年)太政官布告第57号の「商船規則」でデザインや規格が定められました。つまり船の国籍示すものとして定められたのですね。また、現在では1999年8月13日に公布・施行された「国旗国歌法」によってはっきりと「日の丸」が国旗と決められています。 正式なきめごとではありませんが、「日の丸」のルーツは凄く古いようです。、「続日本紀」(797年)の中で701年に朝廷での儀式の際に「日像の旗」を掲げたという記録が残っているのです。また、「日像の旗」は単独でなく、「月像の旗」とペアで使われていたらしいのです。「日の丸」は「日出づる処」、つまり「日ノ本」の国の象徴ですが、昔は、「日像の旗」はアマテラスを、「月像の旗」はツクヨミを示していたという説もあるようです。いずれにしろ、「日の丸」はアメリカ国旗のような意図的にデザインされたというよりは、古代から連綿と伝えられてきた信仰や伝承によって、法律などできめごととする以前にできあがっていたようです。 「日の丸」をデザインとして見たとき、世界中を見渡してもこれほどストレートでシンプルで、それでいて深い意味を秘めた秀逸なものはないと思います。世界中の多くの人がこれが日本の国旗であるとわかるでしょう。 「日の丸」と「君が代」はセットで批判の対象となることがあります。確かに、「日の丸」は帝国主義の象徴とも思えますし、東南アジアでは憎しみの象徴にすらなるかも知れません。ですが、上記のように日本を象徴する旗としては、私個人的にはふさわしいと思います。話はそれますが、「君が代」のほうはどうもいけません。民主主義国家の国歌としてふさわしくないと思います。なにせ「天皇陛下様の世」ですからね。せめて歌詞だけ民主主義的なものに直せないのだろうかと思ってしまいます。外国人に「君が代」の歌詞の意味を聞かれたら、私なら説明するのがちょっと恥ずかしいなと思います。
2006年01月27日
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今年は、鯨の肉が市場に出回る量が大幅に増えそうです。調査捕鯨以外の捕獲が禁止されてからもう30年くらいにはなるでしょうか、調査捕鯨で捕らえたものだけが細々と流通していましたが、今年から調査捕鯨の頭数が倍増し、流通量が増えそうなのです。 鯨は昔、捕鯨が禁止される前は、学校給食でも出される安い食材でした。私の通った小学校では1cm角のキューブ状に整形して焼かれたものや、竜田揚げがよくでました。昔は冷凍保存の技術がまだ低く、臭みがあってそれほど美味しいものではありませんでした。しかし、20年前くらいに料理屋で鯨の尾の身の刺身を食べて、その美味しさにびっくりしました。極上のマグロと馬刺しを併せたような味で、生で食べる肉としてはダントツといっても良いものでした。それ以来、鯨肉のファンになってしまい、メニューにあれば必ず注文するようになりました。鯨の肉の新鮮なものがスーパーの店頭に並ぶようになればうれしいです。いまでもたまには見かけますがけっして新鮮とは言いがたいようです。 捕鯨反対を訴える自然保護団体があります。彼らは鯨が絶滅しかかっている、鯨は人間の次に頭が良い動物だから殺してはいけない、と言っています。確かに絶滅させないように捕獲頭数をコントロールする必要はあるでしょう。しかし、頭が良いから殺してはいけないというのはあまりにも感情的な発言だと思います。人類は、太古の昔から、生きるためにありとあらゆる命あるものを狩って食してきました。植物も生物ですからベジタリアンでも無関係ではありません。人間は命あるものを自分の命の糧にしなければいきていけない宿命の上で生きています。この動物は頭がいいから食べてはダメ、この動物は頭が悪いから食べてもいいなんて神でもないのに決めることはできません。世界には犬や猿を食べる民族もいますし、牛や豚だって飼い主に食べられるとは思いもしないで飼われているのですから、残酷な行為であることは鯨と少しも変らないのです。 日本人は、鯨を縄文時代から食べてきました。近代でも、和歌山、高知、長崎などでは捕鯨が盛んで、巨大な鯨を捕らえるために頭を使い、工夫をこらし、さまざまな漁法、技術を生み出してきました。昔、機械文明がまだ未発達のころは、鯨を捕まえるのは命がけでした。鯨漁に出る猟師たちは、武士が鎧・兜を飾るように華やかな旗で船を飾り、鯨との戦いに挑んだのです。捕鯨は日本民族の文化でもあるのです。近い将来、捕獲頭数をきちんと管理する前提の上で、商業捕鯨が再開されることを切に望みます。
2006年01月26日
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今日は、左遷の日です。なんかやな日ですね(笑)。901年、右大臣・菅原道真が、左大臣・藤原時平の策略により、醍醐天皇の命じられ九州の大宰府に左遷されました。道真は都を立つ日、自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て、有名な歌を詠みました。 東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春な忘れそ (こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ) その梅の木は、主を慕って菅原邸から大宰府まで飛んでいって根付いたと言います。これが飛梅です。菅原道真はその2年後に失意の中で亡くなっています。 菅原道真は学問の神様、天神様として今でも民衆の信仰を得ています。変な話ですが、私は梅干の種の中の白い果肉を食べるのが好きで種を割ってよく食べていました。でも、祖母に言わせると、「それは天神様だから食べちゃダメ、食べると馬鹿になるよ!」ということでよくしかられていました。でも美味しいんですよね、あれ。
2006年01月25日
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今日は、ゴールドラッシュの日です。1848年のこの日、アメリカ・カリフォルニアで川底から砂金が発見され、この噂が広まってやがて一攫千金をねらう大勢の人がカリフォルニアにおしかけました。これが、ゴールドラッシュです。 金は全ての金属の中でイオン化傾向が低く、科学的に安定で、王水やハロゲン族元素、水銀など一部の物質意外とは化学反応を起こしません。そのため、何千年も前の遺跡から発掘された金の装飾品などもまったく朽ちることなく、黄金色を保った状態で出土します。昔の人が、永遠の輝きを永遠の命に見立てたのも無理はありません。柔らかいので装飾品などに加工しやすいこともあって、財宝の代名詞にもなっています。 金の希少価値は、人類を翻弄し続けてきました。中世ヨーロッパでは銅・鉄・水銀などから金を作り出す錬金術が大流行しました。また、他の物質を金に変えることのできる「賢者の石」が世界のどこかに存在すると信じられ、世界中のあらゆる所が探され、あらゆる方法が試されました。「賢者の石」はロールプレイングゲームなどにも登場しますね。こうした狂気のような情熱は、実を結ぶことなく、ことごとく失敗し、今では金は元素であり、核融合などの陽子や中性子を操作する素粒子レベルの手法以外では作りだせないことが解っています。しかし、錬金術は、その挫折の歴史の副産物として、さまざまな医薬品などの有用な化学合成物を生み出しました。今の化学は、ほとんどが錬金術によって基礎が作られたと言っても過言でないほどです。 今まで地球上で採掘された金は、1辺20mの立方体に収まるほどだと言われています。今でも採掘はされていますが、金メッキの材料に使われたり、食用(笑)に利用された金はリサイクルが難しく、よほど規模の大きい鉱脈でも見つからない限りは大きく増えることはないでしょう。このことがまた、金の価値を高く保っているといえます。 最後に、金の純度を示す数値として、K18とかK24とかがありますが、このKは「カラット」という単位です。カラットといえばダイヤモンドを思い浮かべる人が多いと思いますので先に説明しますと、ダイヤモンドなどの「カラット」は重さの単位で、1カラットは0.2gです。これは、古代の物々交換の商売で、天秤で重さを計っていた頃、重さの基準となる分銅として「いなご豆」を使っており、この豆が1粒約0.2gだったのが起源です。「いなご豆」はギリシヤ語で「キャラテイオン」と言い、これが「カラット」になったのです。では、金の「カラット」はどこからきたかというと、これもやはり「いなご豆」です。しかしなぜ純金=K24なのかはあまりはっきりとした根拠はないようです。昔、金の売買の最小単位がいなご豆24粒分だったとか、1日が24時間であるように、24という数字が、当時は「10」や「100」と同じような「切りの良い数字」だったとかの説があります。ちなみに金以外の金属では、例えば銀では純度92.5%なら925/1000と千分率の分子をとって、シルバー925と称するなど、百分率か千分率で表わされるのが普通です。金はこんなところでも特別なのです。 個人的には、工業的にも有用かつ希少な人類の財産ですので、食用にしたりして浪費するのは止めてもらいたいと思います。金は、唾液でも胃酸でも分解されませんので、味にも栄養にもなりませんので。
2006年01月24日
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アメリカ産牛肉が輸入停止になりました。アメリカという国がいかに日本人の安全を軽んじているががはっきりとわかってしまいました。しかもあきれ果てた事に、輸出前に検査を行う役職の人が、背骨が取り除かなければならない危険部位であることを知らなかったというのですから、アメリカはいったい何を考えているのでしょうか。私はどちらかと言えばアメリカ産牛肉の輸入再開は好意的に受け取っていました。和牛は値段が高すぎて貧乏な自分にはそうそう買えませんし、吉野家の牛丼がいつまでも食べられないのも困ります。また、何より霜降り和牛肉は脂っこくて好きでないのです。ですから早くスーパーにアメリカ産牛肉が並ぶのを心待ちにしていたのです。といっても、それはもちろん安全であることが前提です。今回の事でアメリカは世界中で信頼を失う事になるでしょう。牛肉のみならず、従来から疑問視されていた柑橘類の農薬の残留の疑いなども再燃し、アメリカ産の農産物全般が窮地に立たされることになるかもしれません。私個人も信じた自分が馬鹿だったという思いでいっぱいです。アメリカ人がフェアであることを大切にする民族だったのはもはや過去の話になってしまったようです。 考えてみれば、牛肉、オレンジ、自動車などずいぶん前からなかば押し売りのようにして、日本に買わせてきました。日本的な考えなら、品質を上げることでたくさん売ろうと努力するところを、アメリカは、日本人のニーズに合わせた商品開発を怠り、政治的圧力をかけることによって日本に買わせようとしたのです。日本は世界で一番アメリカ産農産物を輸入している国であるにもかかわらずです。 しかし、アメリカ製のものは何ひとつ買わない不買運動に走るのは大人げないと思いますし、永い目で見た時、将来食料不足が起こるかもしれないことを考えれば得策ではありません。やはり、対等の国どうしの話合いで問題を解決していく必要があります。もちろん、国の誇りをかけて誠意を持って話し合うことが大切だと思います。
2006年01月23日
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今日は、カレーの日です。昭和57年に全国小中学校栄養士協議会に於いて、1月22日には全国の給食のメニューを「カレー」にしましょうと決めたのだそうです。小学校の給食のカレー、懐かしいですね。私の通った小学校では黄色くてもったりした蕎麦屋風のカレーでした。あまり辛くなく、香り豊かでもなかったけど、不思議とコクがあって美味しかったと記憶しています。自分で作ってみようとしたこともありますが、作る量が違いすぎるせいか、あの味が再現できません。小麦粉とカレー粉を炒めてルーを作る昔風の作り方は間違いないと思うのですが。 カレーといえば「海軍カレー」というのがありますね。海軍(今は海上自衛隊か)では「金曜日はカレーの日」と決まっているそうです。なぜかといえば、船で永い事洋上生活を続けていると曜日感覚がなくなりがちになるので、毎週金曜日のメニューは必ずカレーにして曜日感覚を維持する工夫なのだそうです。金曜日のカレーを食べて、ああ、明日は土曜日だとほっとできるので、海上自衛官はみんなカレーが大好きなのだそう。ほのぼのとした話ですね。 私はカレーにはちょっとこだわりがあって、暇なときにはスパイスを調合してオリジナルのカレーを作ります。小麦粉とスパイスを適当に炒めて併せるだけでもそれなりのルーはだれでも簡単にできます。難しいのはブイヨンです。コンソメキューブを使うにしろ、ぜいたくに牛挽肉でダシをとるにしろ、それだけではカレーらしい味にはなりません。果物を使ったり、トマトやセロリなどの野菜を使ったり、チャツネを使ったり、星の数ほどのレシピがあり、いまだに自分の求める物ができません。自分の求めるカレーは、昔、よく行った喫茶店のカレーでして、ヨーロピアンタイプ、色は黒っぽい、甘めだが深い旨みがあり、香りは鮮烈でした。特に香りは、まさにスパイスを食べている、という感じがするものでした。いろいろ思考錯誤をしてみましたが、新鮮なスパイスを入手する事が大切なようです。家庭で再現するのは夢のまた夢かも知れません。いままでやってみた中で、これはけっこう良いかもと思ったのは、 ココアパウダー :コクが出るし香りも良い、テリが出る、ただし入 れすぎると悲惨。 バナナ :酸味を抑えたいときリンゴに換えて使うと良い。 トロミも増す。 中農ソース :味がまとまらないときの救世主。 野菜ジュース :トマトやセロリなどの香味野菜が入っているので 手抜きができる。 アンズジャム :チャツネの換わりに。 インスタントコーヒー :香りとかすかな苦味でアクセントを。といった感じです。ありふれてますね。(^^;)スパイスは種類をたくさんいれたほうが複雑な香りになると思いがちですが、実際には種類を増やすほどマイルドになるようです。逆に鮮烈な香りにしたい場合は、種類を必要最低限にするのがコツのようです。コリアンダー、ターメリック、クミン、カルダモン、コショウ、チリペッパーの6種類使えば充分カレーになります。また、市販のカレー粉を使う場合は、もし手に入ればC&Bのカレー粉を使ってみてください。え?S&Bの間違いだろうって?いえいえ、そうじゃないんです。C&Bは世界で始めてカレー粉を作ったイギリスの食品会社です。クロスとブラックウェルという人が創業したのでC&Bという社名になったそうです。S&Bはこれをまねたんですね。日本でも、S&Bが日本独自のカレー粉を売り出す以前から輸入されていて、プロの世界ではいまだにC&Bでないとダメだという料理人は多いそうです。ギャバンのオリジナルカレー粉を調合できる30種類くらいのスパイスが小分けされて入っているスパイスセットも楽しいですね。 普通に作って食べるだけでも幸せになれるカレーですが、奥の深い料理なので、いろいろ工夫すると楽しめますよ。
2006年01月22日
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今日は、料理番組の日です。1937年(昭和12年)、イギリスのテレビで、世界で始めて料理番組が放送されたのだそうです。ちなみに記念すべき第1回のテーマはオムレツだったそうな。 私は料理番組が大好きです。純粋にレシピを勉強するための番組はあまり見ないのですが、料理系バラエティみたいなのはよく見ます。「チューボーですよ」とか、「イシバシレシピ」とか。雪印が事件を起こしたせいで、永く続いていた「料理バンザイ」が終わってしまった時は悲しかったですね。今はなき「青春の食卓」なども毎週みていたなあ。グルメブームの頃には「料理の鉄人」なんていうのもありましたね。どの番組も気に入ったレシピの回は、ビデオに録って残してあったりします。ひさしぶりに再生して見ると、出演者が若くてびっくりしたりします(笑)。 人間が生きていくのに欠かせないものとして、「衣」「食」「住」がありますが、中でも「食」は、生命の根幹に関わる一番重要なものです。そして、人間だけが、料理という技術を生み出す事によって、食べられないものを食べられるようにしたり、美味しくないものを美味しく食べられるようにしたりすることができるようになりました。氷河期など、充分に食物が得られない時期においては、料理は人類の命をつなぐ術であったに違いありません。 人類は住んでいる場所の気候・風土に合わせて多種多様な食文化を持っていますが、これらの持っている「重み」のようなものは、文学や音楽、風習、宗教などあらゆるものを凌駕する説得力があると私は感じます。
2006年01月21日
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新・世界の七不思議を新たに選出するプロジェクトが進行しているそうです。スイス生まれの映画監督バーナード・ウェーバーさんが中心となって財団を設立し、2007年1月1日発表を目指しているとのこと。最終候補として21件があがっており、万里の長城や日本の京都清水寺なども含まれているとか。 それでは、現存の、世界の七不思議とはなんでしょうか。それは、今から2000年以上前にアレクサンドリアの哲学者フィロンが選んだ世界の七つの不思議な建造物のことです。 ギザのピラミッド(エジプト) バビロンの架空庭園(イラク) アレクサンドリアの大灯台(エジプト) ロードス島の巨像(ギリシャ) オリンピアのゼウス像(ギリシャ) エフェソスのアルテミス神殿(トルコ) ハリカルナッソスの霊廟(トルコ)の七つとなっています。このうち現存しているのはピラミッドだけですが、他の六つも実際に存在していたのは間違いないと言われています。特にアレクサンドリアの大灯台は、最近、海中に倒壊した遺跡が発見され、しかもクレオパトラの宮殿の遺跡らしいものも発見されて話題を呼びました。ファミコンゲームの「ドラゴンクエスト 2」をやったことがある人ならゲームの中で大灯台が出てきたのを覚えている人もいるでしょう。 私は、こういう伝説の建物などが実在した証拠を発見した、という話がとても好きです。いろいろありますよね、ノアの箱舟とか、トロイの木馬とか。古代のロマンを感じます。新しい七不思議は現存するものの中から選ばれるようですが、1000年後には歴史上重要な記録になるかも知れませんね。
2006年01月20日
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今年の冬は、記録的な寒波で寒いですね。豪雪地帯では集落が孤立してしまったり、雪下ろしや雪かきが人手不足で追いつかなくなるなど大変です。また、雪の降らない地域でも野菜の高騰が家計を直撃していますし、暖房費もばかになりません。 そんな中、湯たんぽが今はやっているそうです。私も子供の頃には使った記憶がありますが、最近は電気毛布の普及のおかげで湯たんぽは見なくなりました。いまもまだあるんですね。しかも昔ながらの形のままで。新しいタイプももちろん作られていますが、昔と同じ銅か真鍮でできた亀の甲の形の湯たんぽは私にはとても懐かしいアイテムです。中に熱湯を入れ、布の袋に入れて布団の中で抱いて暖をとるのですが、不思議と冷めにくく、翌朝になってもほのかに温かくて、中のお湯を使って顔を洗ったりもしました。 湯たんぽというとさらに連想するのですが、昔は「あんか」というのを良く使いました。電気ではなく、マメ炭というみかんほどの大きさの炭を真赤に熱して入れます。あんかの中には中心部に石綿の器があって、その中でマメ炭は一晩中かけてゆっくり燃えて灰になります。一晩中ほどほどの温かさで体を温めてくれます。でもこれは火を使うのでもう復活はしないでしょうね。 今の時代に湯たんぽがはやるというのも、湯たんぽが安くて便利だからです。こういうシンプルな道具が見直されるのはとてもうれしいことです。電子制御の電気毛布は自動的に温度を調節してくれて便利かもしれませんが、寒い夜に兄弟で並んで母にお湯をいれてもらった湯たんぽの、体に感じるだけではない温かさにはかなわないと思うのです。
2006年01月19日
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ライブドア問題で今日、とうとう東証が前面取引停止になってしまいました。ライブドアは、昨今何かと話題を提供し、有名な会社ですが、決して巨大な企業ではありません。そんな会社の粉飾決算やら株価操作のための風説の流布やらで証券取引所の機能停止というのは、いくらなんでも脆弱な話です。東証の説明では、取引件数の処理能力の限界に近づいたとの説明でしたが、この程度で限界になるシステムでは困りものです。また、石原東京都知事は、今回のシステムダウンは、投資家の反応がヒステリック過ぎることが原因と言っていました。私もそう思います。ライブドア1社が潰れたとしても、日本経済に大した影響があるとはあまり思わないんですが、認識不足でしょうか。 本来、株というものは売り買いで利益を得るのでなく、保有することによって得られる配当や株主優待が利益の本質なのですから、今に始まったことでは有りませんが異常だと思います。ネットによる個人のデイ・トレーダーの急増や海外の巨大資本の流入など、もう完全に投資のレベルを遥かに超え、ギャンブルになってしまっています。今のように株価上昇の大きな流れの中ではだれでも株を始めたくなるのは無理もないですし、私だって資本主義の国にすんでいるのですから、チャンスがあればちょっとだけやって見たいと思っています。でも、あくまで投資としてであってギャンブルをやりたいと思っている人はあまりいないでしょう。それに、故意に株価を吊り上げるために、機関投資家が大量に株を買い占めるような行為はほとんど反則だと思います。 でも、なによりマネーゲームは、本質的なものは何も生み出さないのですから、株売買による差益なんかより、畑のジャガイモ1個の方が尊いということを、だれもが心の片隅に置いておくことを忘れないようにするべきですね。自分も含めてですけれど。
2006年01月18日
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今日は、防災とボランティアの日です。阪神・淡路大震災の日でもあります。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。マグニチュード7.3で4キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録しました。地震発生後、1ヶ月後くらいに私は、仕事で被災地の復興支援の仕事を命じられ、合計で1ヶ月間ほど現地で寝泊りしました。テレビの映像で何度も流されましたので覚えの有る人も多いと思いますが、高架の高速道路が崩れ落ちているさまを真近に見た時は本当に衝撃的で、SF映画の1シーンが現実になったかのようなありさまに愕然としました。また、横倒しになるのをかろうじて免れた崩れかけた高架道路の下を、生活のためにどうしても行き来しなければならない場所があって、危険なのは重々承知しながら、急いでくぐっていました。通常であれば当然立ち入り禁止になるような場面ですが、立ち入り禁止にすべき場所が多すぎてどうにもならなかったのです。当時、ようやく都市ガスが復旧し、飲食店や理髪店が営業を再開できるような状況でしたが、水道は場所によっては復旧は遅れていました。電気は仮設だったかもしれませんが、比較的早く復旧し、被災地での最低限のライフラインを担っていました。食べ物や飲み物は善意で送られたカップ麺やペットボトル飲料がけっこう豊富にあり、贅沢を言わなければ飲み食いに不自由することはありませんでしたが、入浴などはさすがにままならず、家を失い、1ヶ月以上もそんな生活を続けていた被災者の人たちは本当に大変だったと実感しました。 日本列島は、4つの地殻プレートの上に乗っているちっぽけな岩の塊のようなものです。4つのプレートが押し合いへし合いするので、どうしても地震は起きます。もうすぐ起きると何年も言われ続けている東海地震もたぶん起きるのでしょう。ただ、いつ起きるのかというと、明日かも知れないし、1000年後かもしれません。直径12,800kmの地球は、昔に比べれば、人間にとってずいぶん小さくなりました。地球の裏側へ旅することも、飛行機を使えば普通にできてしまいます。それでも、地球内部にいまもって貯えられている膨大なエネルギーの前に、人はなす術がありません。でも、きっといつかは、災害の被害を未然に回避できる知恵や、不毛な争い事をやめ、地球に暮らす人全てが協力できる冷静さを手に入れ、災害で命を落とす人がいなくなる世界が来ると信じたいです。
2006年01月17日
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先週から始まったテレビの「西遊記」、今日2回目ですね。先週は電子番組表で録画予約をしていたのですが、あろうことか、電子番組表の番組終了時刻が間違っており、最後まで録れていませんでした(泣)。東芝テレビサーフ、いいかげんにしろよ、ゴラァと怒っても、だれも責任とってくれないし、あきらめるしかありません。「電車男」のようにすぐに再放送してくれるといいのですが。 私の世代ですと、「西遊記」はやはり堺正章、夏目雅子の印象が強いのですが、深津エリの三蔵法師も可愛くて悪くないですね。ちょっと猪八戒はちょっと違和感有りすぎですが。今回はなぜか三蔵法師が馬(正体は竜ですが)に乗っていないんですね。もっとも、ほんとはシルクロードを旅するのに馬は無理があると思ってはいたのですが。 「西遊記」は、過去、映画やアニメなど数限りないほど作られてきましたが、どれもが孫悟空が観音菩薩にこらしめられるところ又は玄奘三蔵と悟空が出会うところから始まり、旅の途中の中途半端なところで終わってしまいます。物語の冒頭の、悟空が天界で大暴れするところなどはビジュアル的にも見栄えするシーンになると思うし、悟空の乱暴物者ぶりを強調したほうが、後のストーリー展開にもいいと思うのですが。 原作では、一行は波乱万乗の冒険の旅のあと、天竺にたどり着き、お経を授かることができます。孫悟空、沙悟浄、猪八戒の3人は、旅の終わりをもって、修行をして徳を積んだとみなされ、仏様の位を授かります。沙悟浄と猪八戒はもともと天界の役人だったのが畜生道に身を落とし、下界に追放されて妖怪になったのですが、悟空は石から生まれた石猿ですから、根っからの妖怪です。そんな孫悟空が、三蔵法師とともに旅をすることで人間的(というのも変だが)に成長し、最後は人々を導く仏様になるまでの成長物語ともいえると思いますので、今度映画なりアニメなりを作るときは、ぜひ最初と最後を省略しないでもらいたいものです。
2006年01月16日
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今日は、1月15日、いちごの日です。いちごってほんとうに美味しいですよね。いちごが嫌いな人なんてこの世の中いないようにすら思います。ルビーのように美しく、みずみずしい食感と香り。甘さと酸味の絶妙なバランス、みかんの倍も含まれるビタミンCなど、完全無欠な農作物の傑作といっても良いと思います。 いちごの原産地はアメリカ大陸です。例によってインカ文明の地からヨーロッパに持ち帰られ、オランダで栽培され始めました。日本へは、江戸時代にオランダから伝わったようですが、日本で栽培されるようになったのは近代に入ってからです。 ふだん何気なく接しているいちごですが、よく考えてみると変な果実です。種が実のまわりにあって、果肉の中には何もない。普通の果物にはある皮も種皮もない。実はいちごの実は、本来の実の部分でなく、めしべの生えている土台の部分(花托)が肥大してできるのです。このため、いちごの実は「偽果」と言われます。 また、なんの疑いもなく果物と思っている人がほとんどだと思いますが、スイカやメロンと同じように、野菜か果物かビミョーな農作物です。世間で良く言われるのは果樹に実るのが果物、草に実るのが野菜というものですが、その論法でいくと、いちごは、どう見てもつる性の草に見えますから、野菜と言う事になってしまいます。そこでちょっと調べてみると、植物学では、1年生の草木作物のことを野菜ということになっているようです。いちごは草のように見えますが、1年生でなく、冬を越すことができるので、野菜ではなく果物であることになります。一方で農水省では、野菜の定義として「一般に、野菜とは食用に供し得る草本性の植物で加工の程度の低いまま副食物として利用されるもの」と定めています。ということは、いちごは野菜ということになります。農水省では野菜の中にさらに「果実的野菜」という分類を設けて、メロン、スイカなど果物っぽい野菜をこの仲間に入れています。いちごもここに入るようです。 そんなわけで、しょせん人間が、野菜だの果物だの言っても絶対的な真理はそこにはないと言ったところです。(笑) いちごは生でなにもつけないで食べるのが一番美味しいですが、時には自家製のジャムを作るのも楽しいものです。特に買って来たいちごが思ったより酸っぱかった時などは、ぜひジャムにしてみたいものです。ジャムは酸っぱいほど美味しくできます。あまり煮詰めないで、いちごの形が崩れない程度にするとフレッシュ感があって、売っているものとは一味違いますよ。
2006年01月15日
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今日は、愛と希望と勇気の日です。なにやらスゴイですが、要は南極犬タロとジロの日だそうで。1958年(昭和33年)南極観測の第2次越冬隊は厚い氷に行く手をはばまれ観測を断念しました。交代要員の到着を待っていた1次越冬隊員は救助されたものの、15頭の樺太犬は、人命を最優先とするため、南極に取り残されました。しかし、翌年のこの日、タロとジロ、2頭の生存が確認されました。犬はもともと寒い地方で生きる狼が原種とはいえ、極寒の南極で、1年もよく生き残ったものです。そんなしうちを受けても、タロ、ジロは人を憎まなかったのですから、人間は、つまらないことで逆恨みして人間関係を壊したり、しまいには殺傷事件まで起こしてしまうことを恥じて、犬を見習うべきかもしれません。 犬の起源はかなり古く、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きだったときにはすでに存在しており、両大陸を行き来していたのが化石などでわかるそうです。犬は、狼を人間が家畜化したものだということが近年のDNAの研究で確認されていますが、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きだったころといえば、まだ文明らしい文明もなく、人間がようやく類人猿から脱皮して人間らしくなってきたころではないかと思います。そんな古くから人と犬が友好関係を築いていたのも、犬の、群れの仲間にはとことん愛情を持つ性格ゆえでしょうね。エジプトの神殿の壁画にも飼い犬が主人と一緒に歩く姿が刻まれており、犬は国や時代を超えて愛されています。 私も犬が大好きなのですが、マンション住まいなので飼えません。できることなら一戸建てを建てて、犬専用の部屋を作ってみたいなと夢を見ています。無理ですけど。
2006年01月14日
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今日は、たばこの日です。1946年(昭和21年)に「ピース」が高級たばことして発売された日だそうです。当時、他のたばこの倍近い値段だったようです。缶入りの「ピース」は、香りが良いため今でも根強い人気があるようですが、高級品とは言えなくなっています。 最近、たばこを吸う人はめっきり少なくなりました。かく言う私も、昔は吸っていましたが今はやめています。20年も吸い続けたたばこをやめた理由は、健康のためもありますが、家の中が汚れること、社会的に喫煙者に対する風当たりが強くなってきたことなど、総合的に止め時かなと思ったからです。でも、正直、やめて1年4ヶ月になりますが、いまでも無精に吸いたくなることがあります。ここまでくれば、いままでの我慢をふいにしたくないのでなんとか禁煙を続けられると思いますが、意思の弱い私がよくここまでがんばれたなと思います。 いろいろネガティブな面の多いたばこですが、これもお酒と一緒で、人類の文明・文化の中で生まれ、ネガな部分を抱えながらも世界中で愛されてきました。歴史上、もっとも古い喫煙の史実は、南米のマヤ文明にあるようです。7世紀末ごろのマヤの神殿の壁画レリーフにたばこを吸っている人の姿が描かれているのです。おそらく、たばこの興奮作用や鎮静作用を、宗教儀式のトランス状態を引き出すためや、薬として使っていたと考えられます。このたばこはコロンブスによってヨーロッパに持ち込まれ、やがてポルトガルやオランダによって日本にもやってきたと考えられています。世界の各地の文化の中で、紙巻たばこや、パイプで吸うきざみたばこ、水たばこ、噛みたばこなど、いろいろな形に変化しました。日本にも「煙管(きせる)」で吸うたばこ文化がありますね。たばこを吸うのに使う道具には、中国の煙草入れやヨーロッパの琥珀製のパイプなど、美術品としてもすばらしいものが多く、煙管も例外ではありません。職人の技で作り出された、こうした生活道具はまさに文化の一つですよね。今は吸っていない私が言うのも変ですが、健康上は悪玉であることは否定できないたばこでも、このまま永遠に失われてしまうのは惜しいように思います。
2006年01月13日
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今日はスキーの日です。1911年(明治44年)、オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県で陸軍の青年将校にスキーの指導を行い、日本人が始めてスキーをした日だそうです。 私はもうずいぶん永いことスキー場には足を運んでいないのですが、今はボードが全盛で、スキーは少数派らしいですね。1970年代から1980年代にかけては、スキーは庶民、特に若者のレジャーの王者でした。若者はだれもが車の屋根にスキーキャリアを取り付け、ユーミンの「サーフ&スノー」をカーオーディオで流しながら、まだ夜明け前の高速道路をスキー場に向かったものです。ゲレンデでは「白い恋人たち」のメロディーが流れ、カラフルなスキーウェアが乱舞していました。時代的背景も、サッポロオリンピックや、関越高速道の新潟と関東をつなぐ関越トンネルの開通があり、シーズン中のスキー場は、都会並の人口密度になるほど隆盛を極めたのです。私もスポーツ用品店「アルペン」で海外ブランドもののスキー用品を嬉々として購入し、スキーに行ったものです。苗場プリンスホテルや、当時はたくさんあったスキー客向けのしゃれたペンションでのアフタースキーも今では楽しい思い出です。私はボードはできませんし、最近のスキー場のファッションなどもわからないので、もうスキー場に行くことはないかも知れません。ちょっと寂しいです。 スキー場もいいですが、私は山スキーにも憧れていました。あんまり上手でないので憧れのままで終わりましたが、ユーミンの「ブリザード」の世界をイメージしていました。 吹雪の急斜面を一組の恋人たちが滑り降りていく。 舞い飛ぶ雪にさえぎられて、視界が開けない別世界の中で、 彼女は、懸命に彼の後を追って滑る。 「ふもとで会おう」と約束したけれど、離れたくない、ついて行きたい。 かすかに前方から聞こえてくる、彼のストックに付けてある鈴の音だけを頼りに…。曲の内容はこんな感じです。現実にこんなことができる場所はないと思いますが、空想の世界で夢を膨らませていた若かりしころでした。
2006年01月12日
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今日は鏡開きですね。正月に年神様に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事です。武家社会の風習だったものが、一般民衆にも広がり、今に伝わっています。鏡餅を刃物で切るのは切腹を連想させるため厳禁で、木槌で割ったあと手で細かくしていくのが一般的と思います。また、切るとか割るとかでなく、開くという表現を使っているのも、開くの方が運が開く、道が開くなど縁起が良いからです。1月11日に行う所が多いと思いますが、京都では1月4日に行うなど、日の異なる所もあるようです。 私の故郷では、開いた鏡餅は、囲炉裏の炭であぶって食べたり、油で揚げてあられにして食べました。固く乾燥したお餅は、この食べ方が一番美味しかった記憶があります。お雑煮やお汁粉に飽きているころだったせいもありますが。 関係ないですが、おめでたい席で、お酒の樽の蓋を木槌で打って開くのも、鏡開きと言いますね。これは樽の蓋が丸いので鏡と称するのですが、三種の神器にも鏡があるように、日本人は鏡に特別な感情を抱いています。この「鏡」が「開く」のですから、最上級のおめでたい言の葉でもあるようですね。
2006年01月11日
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今日は、明太子の日です。1949(昭和24)年のこの日、福岡の食品会社、「ふくや」が、研究を重ねて作り出した「味の明太子」をはじめて店頭に並べました。福岡名物の辛子明太子の始まりです。「ふくや」は創業の翌年に明太子を売り出したので、「ふくや」の歴史は明太子の歴史といっても良いでしょう。私は辛子明太子が大好きなので、こんなに美味しい物を作ってくれて「ふくや」さんに感謝です。いまでは、たくさんの食品会社が作っていますが、唐辛子たっぷりの調味料に漬け込んだものと、意外と唐辛子は表面にまぶされているだけで、比較的に汁気が少ないものがあるようです。気のきいた料理屋では、化学調味料を嫌って、酒を塗った昆布にたらこを巻いて昆布締めにし、仕上げに唐辛子の粉を薄くまぶすという、上品なものを出したりするようです。私などは上品とは縁のない人なので、真赤に染まったものが好きだったりしますが。 辛子明太子は、料理に使っても美味しいですね。スパゲッティ、サンドイッチ、サラダ、オードブルなど、とても応用範囲の広い食材です。私の一押しは、明太マヨネーズボールです。丸く作った明太マヨ入りコロッケなのですが、明太とマヨとジャガイモが最高に合うんですよ。コロッケの中に明太マヨを包むようにして揚げるだけなので、コロッケを作る時には試してみてください。
2006年01月10日
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今日は成人の日です。各地で相変わらず、一部の新成人が、馬鹿騒ぎを起こしたようですね。まったく先が思いやられて、毎年暗い気持ちになります。年寄りの説教くさいことは言いたくないのですが、自分が成人式に出たときは、会場はシンと空気が張り詰めていて、全ての新成人が、厳粛な気持ちでこれからの自分の人生を考えていたように思います。だいたい、私たちの時代は、公の場で大騒ぎするのはかっこ悪いこととされていましたけどねえ。 成人式は武家社会で行われた元服がルーツと言われていますが、さらに調べていくと貴族の初冠(ういこうぶり)式を武家がまねたのが始まりのようです。初冠式は子供が成長して初めて冠をかぶる儀式で、武家では、侍烏帽子(さむらいえぼし)をかぶりました。よって元服のことを烏帽子祝ともいいました。ただ、年齢は数え年で13歳から15歳くらいで行うのが一般的でした。これが今の成人式になっていくのですが、明治以降、終戦までの間は徴兵検査を成人式の代わりにしていたようです。 今の新成人たちは、一生に一度だけのことだからと目立ちたがるのかもしれませんが、昔だったら、15歳で大人みなされたのですから、20歳にもなって、10年後に思い起こして恥ずかしいような行動だけは謹んでもらいたいものです。
2006年01月09日
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今日は、平成が始まった日だそうです。昭和64年の1月7日の朝、昭和天皇の崩御を受けて緊急に召集された臨時閣議によってその日の午後には新年号「平成」が決定され、翌日、公開されました。 平成は、正式に記録されているものとしては、247番目の元号だそうです。最初の元号は、あの有名な大化の改新の「大化」です。「平成」は閣議を通して正式な国の行政的意思決定の結果、政令で定められたわけですが、意外なことに政令として元号が定められるのは初めてのことなのだそうです。平成という言葉の意味とは裏腹に、バブル景気、バブル崩壊、何回かの大きな地震や洪水などの自然災害、そして今は、バブルの再来も噂される異常なまでの株価上昇、乱高下するドル/円レートなど、なかなか平穏とは言えないようです。私には、少し世の中の動きが速すぎるようで、もうちょっとスローに生きたいと思うのは私だけでしょうか。
2006年01月08日
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今日は、七草粥の日です。春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、の七つとなります。せりは、鍋物などに使われるおなじみの葉物野菜です。なずなは、ぺんぺん草のことですが、雑草のわりにはいろいろな薬効成分を含んでいます。ごぎょうは、これもいろいろ薬効がある薬草で、昔は草餅の材料にも使っていたようです。はこべらは、栄養豊富で、昔はこれを煎って粉にし、歯磨き粉に使ったりしたということです。ほとけのざは、今、植物学で言うシソ科のほとけのざとは別の種類の草で、若葉を食します。すずなは、蕪です。すずしろは、大根です。いずれも、七草粥には柔らかい若葉や芽の部分を使い、それぞれが体に良い薬効果成分やビタミンを含んでいます。お正月に暴飲暴食で疲れた胃腸を癒すためには、七草粥は、とても効果があることでしょう。どれも昔は、ちょっと里山へ入れば簡単に手に入る雑草ですから、それを使って、お金をかけずに疲れた胃腸の調子を整えようと言う先人の知恵ですね。 百人一首にこんな歌があります。 君がため春の野に出て若菜(七草)摘む わが衣手にゆきはふりつつ 【光孝天皇】 春の七草は若菜とも呼ばれていました。七草粥に使うのは蕪でも大根でもフレッシュな若芽だけを使ってお粥にします。これって、作りようによっては、春の生命の息吹が感じられる、ぜいたくなお粥ができそうですね。野草やキノコなどを店で買うのではなく、里山で取ってきて食べるというのは、昔は当たり前でしたが、都市部では、今では難しいことになってしまっています。自分で山でとってくれば、間違いなく無農薬、科学肥料も使っていないわけですから、安全ですし、新鮮です。(毒キノコなどには注意が必要ですが)スーパーマーケットではいろいろな食材が売られていて便利ですが、当然、売られているのは、ほぼ栽培されているものだけと言っていいでしょう。でも、山野で自生している野草の類も日本人の食文化において、とても重要なものだと思うんです。ドイツやフランスなどでは、意外と都市部をちょっと離れると田園地帯や山間部が広がっていて自然豊かなようです。日本も、そんな環境を整えてこそ、先進国と言われる資格があるような気がします。
2006年01月07日
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今日は、1月6日、1、6で色の日です。皆さんは虹の色の数はいくつかと聞かれたら7色と答える方は多いと思います。でも、これは世界共通というわけではないようです。中国では5色とされています。これは五行思想に基づくものと想像できます。フランス、ドイツも5色、アメリカ、イギリスは6色が普通らしいです。それぞれの国でそれぞれの文化の中で色数を考えているのです。日本を始め7色とするグループの根拠は、どうもニュートンのプリズムの実験記録で、「日光をプリズムに通すと7色に分かれる」という記述があり、これが学校教育の場で7色を定着させたようです。日本でも古い文献では5色としているものもあるようですし、沖縄では2色としていた時代もあったようです。いくらなんでも2色はないだろうと思う人もいるかと思いますが、2色あるいは3色としている民族も世界各地にけっこうあります。そもそも、虹の色に限らず、色というのは可視光領域の電磁波の周波数を適当に区切って名前をつけているだけで、本来、無断階で連続しているものなのです。 虹には、必ず副虹という、本体よりもいろの薄い虹が外側に付いています。非常に淡い色なので肉眼で確認できることは少ないですが、この副虹の色の配列は、主たる虹の逆の配列になっています。これは、空気中の水滴内で、1回多く反射屈折した太陽光が作る虹であるためです。また、月の光でも虹はできます。Moonbowとというものです。月の光はもともと太陽光が月の表面で反射したものですが、月の地表面の材質により、もとの太陽光とはカラーバランスが相当ずれているため、幻想的な虹になるようです。私は見た事はありませんが。 私は時々、自分が例えば「赤」だと思っている色が、他人もほんとうに同じ色として認識しているのか疑問に思う事があります。丸や四角など形の違いであれば、直径何センチとか、数値化は容易ですし、手で触っての触感で他者に伝えることもできます。でも色はそうはいきません。色弱の人もいますし、そこまでいかなくても色彩を感じるセンサーは、人に特性が違うと思うのです。マンセルナンバーや、塗料工業会の色見本、コンピューターで使われるカラーコードなどもありますが、どれも完全ではないように思います。 色というものは多いに研究の価値があるもので、カラーコーディネーターの資格などにも興味があるし、デジタル画像の色補正の勉強などもしてみたいのですが、なかなかできません。毎年、心の片隅でやりたいことの一つにはなっているのですが。
2006年01月06日
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今日、1月5日は、1(い)5(ご)で囲碁の日です。将棋と並んで日本の伝統的なボードゲームです。発祥はもちろん中国で、もともとは占星術として始まったらしいです。日本に伝わったのは奈良時代と言われており、源氏物語にもたびたび登場するので、平安の貴族にも愛されたようです。また、戦国時代には、その遊び方が合戦の陣地争いにも似ていることから、武将に愛され、おそらくそのころにはプロの棋士も生まれたことでしょう。日本語にも強い影響を与えています。例えば、「一目置く」「駄目押し」「八百長」「布石」「定石」「捨石」など、これらはすべてもともとは囲碁の用語なのです。 将棋やチェスが、多種類の駒を使って、それぞれの駒の動かし方のルールによって動くのに対し、囲碁は、白と黒たった2種類の石を盤上に置いていき、置かれた石は自ら動くことはできません。根源的なルールは非常に単純です。しかし、これをゲームとして成り立たせるための福次的な約束事はけっこうあり(コウ等)、将棋は小学生でもできるが、囲碁はちょっと難しいといったような取っ付き難さがあります。 しかし、何より囲碁の難しさは、将棋が「相手がこう来たらああ打って、そう来たらこう打って…」というぐあいに先をいくつも予測して対処策を考えながら打てるのに対し、囲碁は感性とかフィーリングみたいな「なんとなくこの辺に1石置いておく必要があるなあ」みたいな、全体の布陣を見ながら対極的な判断が要求されるところだと思います。私自身は、囲碁は知っている人に教えられながら数度しかやったことがないので、その程度のことしか考えなかったのですが、チェスや将棋はコンピューターが名人を負かすところまで来ていますが、囲碁の場合はいまだにコンピューターより人間の方がはるかに強いことを考えると、やはり、一筋縄ではいかないクロウトっぽいゲームだなと感じています。近頃はネット囲碁で不特定多数の人と対戦できるようになっているので、時間があればやってみたいですね。なんとなくかっこいいと思うんですよ、囲碁のできる人って。
2006年01月05日
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テレビの特番、「八犬伝」を見ました。録画して、一機に見たので前編・後編でトータル4時間以上。さすがにきつい。玉梓役の菅野美保が、なかなかいい演技をしていて、そこそこ楽しめたのですが、犬の八房がいっさい出てこないのは「八犬伝」としてはいかがなものでしょうか。物語の発端に関与する重要キャラなのですがね。伏姫が、呪いで犬の子を宿してしまうのは、ほぼ滝沢馬琴の原作どおりですが、伏姫の命と引き換えに浄化されたのだから、八剣士の名前に犬の字をつけなくても良いのに、と思ってしまいました。以前にこの日記に書いた私の疑問は解決されませんでした。古典文学としての原作がある以上、極端な脚色はしにくいのかも知れませんが、たくさんの費用をかけて作る特番なのだから、そのへんの解釈をもっと整理して欲しかったなあ。やはり、脚本家の実力が問われる部分なのかなあ。とはいえ、日本の古い庶民の文学を現代で紹介していくのは賛成です。日本人は意外と自国の文学を知らない人が多いように思うので。(自分も含めて)
2006年01月04日
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昨日、懇意にしているMAZDAのディラーの初売りに行ってきました。おみくじで吉を引いて、ワインをいただき、ラッキー。チリのカベルネソーヴィニオンのワインですが、安くても美味しいのが多いのでチリワインはおすすめですね。 さて、今日は瞳の日です。生き物の、とりわけ人間の体の中で瞳は特別な意味を持ちます。目は口ほどに物を言う、目の中にいれても痛くない、目がきくなど、ことわざや慣用句にも目に関するものがたくさんあります。この目という器官は大変よくできています。人間の目をデジタルカメラに例えれば、1億画素相当以上の解像度があるといいます。網膜の細胞には赤、緑、青に反応するセンサーが一つにまとめられていて、これが片目で約600万個ありますから、画素数とすればその3倍の1800万画素ということになります。さらに、明暗だけを感知する白黒のセンサーがあって、これは1億2000万画素もあるのです。これらのセンサー測定した光の強さをそれぞれ無段階に測ることで色と形、明るさを判別しています。デジタル一眼レフカメラですら、1000万画素以下で、色を判別するために原色系や補色系のフィルターを通して光量や解像度をある程度落としてしまっており、明るさの段階も多くは画素ごとに255段階で表現している事を考えると、人間の目は驚くべき高性能カメラと言えるでしょう。 目は当然、生きていますから、栄養分や酸素が必要です。普通の細胞は血管からそれらの供給を受けるのですが、人間の体の中で唯一血管のないところがあります。それは、目の水晶体です。つまりレンズですね。透明である必要のあるレンズには血管を作るわけにはいかないからです。そのかわり、涙が薄い幕を水晶体の表面に張って、絶えず栄養分と酸素を供給しているのです。 盲点という言葉がありますが、これは実際に人間の目の中に存在しています。これは、網膜に張り巡らされた神経が1ヶ所に束ねられ、眼球の外へ出て行く出口で、この部分には光を感じる細胞が有りません。このため、たまたまこの部分に像を結んだ画像は脳に伝わらないので、見る事ができません。また、盲点とは逆に黄点というものもあります。目の中心付近に位置しており、普通に物をよく見ようとするときはこの部分を使っています。色を感じる、でもちょっと感度が低いセンサーが集まっています。星空に暗い星を探している時、暗くてなかなか見えない星が視線をちょっとずらすと見えた、と言う経験がありませんか。これは黄点の周囲に分布している、白黒だけど感度の高いセンサーの働きによるものです。夜行性ではない人間は、本来、夜は目がきかないのですが、この働きにより、弱点を補っているのです。 モンゴルの遊牧民などは視力が5.0もあるそうですが、文明が進むにつれ、人間の視力はどんどん下がってきています。目はとても大事なものですから、日常生活の中でも目を大切にしながらも、鍛える事を怠らないようにしたいものです。私は最近、遠くも近くも見えなくなってきて、へこんでます。(-_-;)
2006年01月03日
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今日、1月2日は、初夢の日です。大晦日の夜に見るのを初夢とする説や、元日の夜に見るのを初夢とする説など諸説あるようですが、私の故郷では2日の夜に見るのを初夢としていました。元日の夜の方が理屈的には解り易いのですが、不思議ですね。1月2日を仕事始めとして、その日に見る夢という意味だと言う説を聞いたことがあります。仕事といっても、元旦にはしない事になっている家事・雑事の事だとは思いますが、昔の人は働き者だったものですね。 初夢で見ると縁起が良いとされているものは、いわずと知れた一富士、二鷹、三なすびというものです。また、四扇、五煙草、六座頭という続きもあるそうです。一富士、二鷹、三なすびが縁起が良い理由はこれもたくさんの説がありますが、 富士は日本一の山、 鷹は賢く強く気高い鳥、というのは大体共通しているようです。なすについては 初物のなすが高価(価値が高い)、 「事を成す」にかけて、 徳川家康が初物のなすを好んだ、などの説があるようです。私は個人的には漠然と、なすの紫色が平安の昔から高貴な色とされているからだと思っていましたが。 良い初夢を見るには、七福神の乗った宝船の絵に「永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな」という回文(上から読んでも下から読んでも同じ文)の歌を書いたものを枕の下に入れて眠ると良いと言われています。それでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをすれば悪い夢をなかった事にできるそうです。 それでは、みなさんも良い初夢を。でも、悪い夢はあんまり気にしないで、良い夢だけ素直に喜ぶのが、この手のものとの付き合い方の最良の手段ですね。
2006年01月02日
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さあ、新しい年の始まりです。いろいろやりたいこと、やらなければならないことがありますが、ライフスタイルを見直すことから始めないと難しいなあ。たぶん今年は、パソコンに向かっていられる時間が去年ほどにはとれなくなりそうなのですが、せいいっぱいがんばって日記の更新をしていこうと思っていますので、本年もよろしくお願いします。 2006年 元旦 月の雫2001
2006年01月01日
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