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今日は、利休忌、千利休の亡くなった日です。わび茶を完成させ、今に伝わる茶道三千家の共通の始祖でもあります。私は茶道のことは全然知りませんが、日本の文化に興味を持っていろいろ調べたりしていると、どうしてもわび・さびの世界に行き着きます。茶の湯は、最初はお金持ちの遊びで、贅を尽くした茶や料理、名品の器を並べ、言ってみれば昔、王侯貴族がパーティーを催し、自らの財力を誇示したようなものでした。そんななか、千利休は簡素極まりない茶室など、ありとあらゆる贅沢を省き、研ぎ澄まされた緊張感を作り出すという美学に到達しました。無駄を徹底的に削り、尽くすべきには最大の誠意と最新の注意を持って当たるという、単に飲み食いや雑談を楽しむことからも財力を誇示することからも大きく上抜けて高みに達した精神の世界です。素朴であること、それでいて疑う余地もない必然を自らの美意識にかけて表現する芸術です。 利休は、天下人豊臣秀吉をもてなすために、当時大変珍しかった朝顔で茶室を飾る際に、たくさんついた花を、たった一輪を残してあとはすべて切り捨て、飾ったといいます。どんなに珍しい花であっても過剰は無駄であり、珍しいというのも他人の評価であって、利休の前では無意味な物だったのです。自らの美意識を貫く利休の有名なエピソードです。 私も利休のようにとは言いませんが、世の中に溢れる工業製品や、贅沢な料理などが本当に自分に必要なものなのか考えることがあります。質素な木造の家に住み、山野に育つ野草やキノコなどの自然の恵みを分けてもらい、田や畑を耕して土や水やと共に生きていくことこそが本来の人の、少なくとも日本人のあり方なのではないかと思ってしまうのです。今の世の中では実現しえない夢想にすぎないかもしれないですが。ブログ名変更しました。突然でびっくりされた方もいらっしゃるかも。でも、まだ暫定です。見てのとおり芸のない名前しか思いつかなかったもので。なかなか時間がなくて日記を書くのが精一杯で、サイト内の改修は長期戦になりそうです。がんばりますので出来上がった暁にはぜひごらんになってくださいね。
2006年02月28日
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今日は、新撰組の日です。1862年(文久2年)、「新選組」の前身「壬生浪士組(壬生浪士隊)」が結成されました。翌1863年の8月には「新撰組」と改称し、その後4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派と戦いました。新撰組は日本人に非常に人気があり、映画はもちろん、アニメにもなっていますし、新撰組の物語ではなくても近藤勇、土方歳三、沖田総司をモデルにしたと思われるキャラは数え切れないくらい生み出されてきました。 新撰組に関して特に印象深いのは、あのギザギザ模様の衣装です。江戸時代のものとは思えないモダンなデザインです。あの衣装は「だんだら羽織」と言うそうです。忠臣蔵の赤穂浪士の衣装を参考にデザインされたらしいです。もう一つ、新撰組のシンボルは「誠」の旗です。この旗にもギザギザ模様が入っています。このデザインは和をイメージしたデザインとしては、使いこなしの難易度が高いです。うっかりするとただの幾何学模様に見えてしまいますからね。 黒船の来航や安政の大獄、井伊直弼の暗殺など激動の時代を生きた新撰組の志士たちは命をかけて任務を遂行しました。派手な見た目もあいまって、江戸時代を舞台に活躍する戦隊ヒーローのように人々の記憶に残り、現代に伝えられているのでしょうね。
2006年02月27日
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日本の伝統工芸の一つに陶芸があります。陶芸の発祥は中国で、紀元1世紀にはすでに青磁の安定生産を実現しており、陶芸に関して中国は抜きん出た先進国でした。ヨーロッパの有名な磁器であるマイセンやロイヤルコペンハーゲンも中国の模倣から始まったといっても過言ではないでしょう。日本でも9世紀ころから中国製の磁器を模倣する試みは行われてきましたが、なかなか物にならず、ようやく技術の確立ができたのは17世紀だと言われています。 陶芸で作る器には陶器と磁器があります。どちらもそれぞれの良さがありますが、技術的にはやはり磁器の法が進んだものと言えます。 陶器は粘土を材料に使うので「土物」と称されることもあります。焼成温度は低く、1000℃から1300℃くらいです。焼き上がり時には粘土の成分の一部分のみが融けて一体化し形を保っているのですが、完全に溶けていないため、細かな隙間があり、水分が染み込みます。これだと水が漏れてしまって器として使えないので、釉薬をかけ、表面にガラス質の膜を作るのです。ただ、釜の内部で灰が表面に付くことでガラス質皮膜が形成され、上薬を不要とする技法もあるようです。焼成温度が低いため、強度はあまり高くなく、光にかざしても融けていない成分のために光が透けて見えることはありません。 磁器は陶石と呼ばれる石を砕き、細かい粉にして使います。石を使うので「石物」とも呼ばれます。焼成温度は1300℃から1400℃で、陶器より高くなっています。この温度になると磁器の材料成分は全て溶けて、一体化し、ガラス化します。強度は高く、叩くと澄んだ音がします。反面、急激な温度変化には弱いです。水が染みることはなく、光にかざすとほんのりと光を通します。中国の模倣に始まり、永い努力の末確立した日本の磁器の技術は当時のヨーロッパでも高く評価され、そのころ中国が鎖国政策をとって貿易ができなくなっていたこともあって、有田焼きなどは人気の輸出品となり、ヨーロッパの磁器の文化にも大きな影響を残したのです。 磁器の研ぎ澄まされたような完成度も素晴らしいですが、近年では素朴な備前焼きや信楽焼きのような陶器の器が人気です。土の温かさや飾り気のない質素な造詣は古くからの日本人的感性にマッチしているようです。素朴な郷土料理などを盛るには磁器よりも陶器のほうが似つかわしいかもしれませんね。
2006年02月26日
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昨日に続いてフィギュアねたですが、どうもジャンプの種類が解らないので調べてみました。(某テレビ番組の受け売りですが)利き足が右の場合サルコウ 後ろ向きに左足で滑ってきてそのまま左足の靴の ブレードのエッジを使ってジャンプ。ループ 後ろ向きに右足で滑ってきてそのまま右足のエッ ジを使ってジャンプ。トウループ 後ろ向きに右足で滑ってきて左足のブレードの先 (トウ)を使ってジャンプ。フリップ 後ろ向きに体重を右寄りにかけつつ左足で滑って きて右足のトウを使ってジャンプ。ルッツ 後ろ向きに体重を左寄りにかけつつ左足で滑って きて右足のトウを使ってジャンプ。アクセル 前向きに左足で滑ってきてそのまま左足のエッジ を使ってジャンプ。だそうです。助走の体の向き、左右どちらの足でアプローチしてくるか、その時の体重のかかり方、氷を蹴る足が右か左か、エッジを使うかトウを使うか、5つの要素の組み合わせで決まるのですね。ここまで解ってもスロー再生でないと判別は難しいですね。 前から思っていたのですが、フィギュアって宙返りは反則なんですかね。ルールで禁止されているのか、難しくて誰も出来ないだけなのか。氷上の体操競技みたいなものですから、前方宙返りや後方宙返りがあっても不思議ではない気がするのですが。
2006年02月25日
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日本勢低迷のトリノで、ついにやってくれましたね。プレッシャーを乗り越え、完璧な演技を見せてくれた荒川選手に敬意を表したいと思います。フィギュアスケートは、私見ですが、オリンピック競技の中で最もシビアな競技ではないでしょうか。固い氷の競技場、演技中に転倒する確立が非常に高いのに加え、リンクを縦横無尽に走り回るスピード、ジャンプの回転速度、すべてが、一歩間違えば大怪我につながります。なのに選手の衣装はプロテクターもない薄布です。人間ですから怖くないなんてことはないと思います。恐怖も周囲の期待から来る重圧もすべてはね返して完璧な演技をする裏には、それらを軽く凌駕しうる過酷な練習によって培われた強靭な精神力を感じました。 村主選手も演技は完璧でした。ちょっと審査員の評価が低すぎるように思いました。 安藤選手は、4回転の失敗があり、ちょっと残念な結果ではありましたが、4回転に挑戦せずにそこそこの成績を狙うより遥かに良かったと思います。彼女はまだ若い、今回は前哨戦、次回以降があるのですから。 しかし、これだけ見ても、サルコウ、トウループ、ルッツの違いがわかりません。アクセルは前向きに跳ぶのでなんとかわかるのですが。あれを即座に見分けられる人も並じゃないですね。TOPページを含め、サイト内を大幅改修中です。あまり見ている人はいなかったようなので影響はほとんどないと思いますが、もしかするとブログ名の変更や新規ブログへの引越しも有り得るかも知れません。日記でも、適宜情報を書き込みますのでよろしくお願いします。
2006年02月24日
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今日は、223(ツ、ツ、ミ)でふろしきの日です。昔はどこの家庭にもあったふろしきも、今は見かけなくなりました。しかし、近年の和風ブームで見直されています。小池環境大臣が「もったいないふろしき」を考案するなど、脱コンビニ・スーパー袋への一つの提案として、使い捨てでないエコな包装用品であることが注目されています。伝統的な民具であり、素材やデザインも古くからの工芸・職人技で工夫されて今に伝わっているふろしきはこのまま廃れさせてしまうには惜しいものでしたから、この動きは喜ばしいものです。最近では、和服だけでなく洋服で持っても違和感のないデザインのものや、包む道具としての機能以外に飾る機能を重視した物など、新世代のふろしきも売られるようになっています。 ふろしきは、漢字では「風呂敷」と書くくらいですから、ことばの由来としては風呂に敷く敷物でした。奈良時代には風呂は今のような湯船はなく蒸し風呂で、裸ではなく浴かたびらと呼ばれる浴衣のようなものやふんどしなどを着用して入浴していました。そして出るときに足や体の水滴を拭ったり、身繕いをするために風呂に敷いたのが風呂敷で、脱いだ浴かたびらなどを風呂敷に包んで持ち運びました。 物を包む道具としてのふろしきは、もっと古く、なにしろシンプルなものですから1枚の布があればそれでなにか包むというのは当たり前の発想で、起源も定かではありません。平包(ひらつつみ)とか古路毛都々美(ころもつつみ)と呼ばれる包む道具の記録はあります。どうもこの平包などと風呂敷の機能と名称がごちゃごちゃになって今のようなふろしきに進化していくようです。 風呂敷は工夫しだいで変幻自在な使い方ができます。ワインのボトルを2本まとめて包んだり、スイカをまるごと包んだりも、やり方さえ覚えれば簡単です。使い方を覚える必要があるのも、知恵の伝承という文化と思えばさして苦ではありません。また、使わないときはコンパクトに収納できるのもいいですね。 私なら、例えば、お世話になった人への贈り物に、しゃれたデザインのふろしきで贈り物を包み、ふろしきも贈り物の一部としてお送りするなんてどうでしょう。宅配便などで送るときはその上からさらに包装することになってしまいますけれど。
2006年02月23日
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今日は、2,2,2(ニャン、ニャン、ニャン)で猫の日です。猫は犬と並んで最も親しまれている動物です。飼い猫の歴史は古く、約5000年前のエジプトではすでに、猫がペットとして飼われていたのが遺跡の壁画やレリーフから解ります。また、猫はバステト神と言う女神の化身とされ、普通のペット以上に可愛がられ、尊敬の対象ですらあったようです。猫は死ぬとミイラにされ、飼い主は片方の眉を剃って喪に服す習慣さえあったようです。 飼い猫のルーツはやはり野生のヤマネコと思われます。今のペットとして飼われている猫の種類のほとんどは、リビアヤマネコが素ではないかと言われています。日本では、奈良時代の後半に仏教と一緒に中国から伝来したようです。その後、島国という環境の中で独自の進化を遂げて、丸顔で尾の短い日本猫の特徴を持つようになります。穀物を食い荒らすネズミの天敵として、米作の国である日本では猫は大切にされ、おめでたい動物とされてきました。招き猫がその最たるものですね。一方で化け猫など、大切に扱わないと恐ろしいという一面も一般的に認識されていました。また、猫の手も借りたいとか、猫舌とか、猫かぶりとか猫に関わる慣用句もたくさんあって、いかに猫が人々の生活に入り込んでいたかが解ります。 日本で特に珍重され、おめでたいとされるのが雄の三毛猫です。三毛猫は遺伝子の仕組みで原則的に雌しか生まれてきません。例外的に遺伝子の異常で生まれる雄の三毛猫はその希少性から特にありがたいものとされたのです。三毛猫は赤と黒と白班点の毛色の遺伝子を持っています。猫の性別を決定する遺伝子は人間と同じで、X染色体とY染色体にあります。雌はX染色体を2つ、雄はXとYを一つずつ持っています。本当はかなり難しい遺伝学の話なのですが、大雑把にいうと、赤と黒の毛色の遺伝子はこのX染色体にしか乗れません。また、赤と黒が同時に一つの染色体に乗ることもできません。白斑点の遺伝子にはそういう制約はありません。雌は二つのX染色体に赤と黒を一つずつ、さらにどちらかの、あるいは両方の染色体に白班点の遺伝子を持っていれば三毛猫になります。一方、雄はX染色体が一つしかないので赤か黒のどちらかが欠けてしまうのです。ごく稀に現れる雄の三毛は、遺伝子異常でXXYという三つの遺伝子を持っています。生物学的には3倍体といいます。遺伝子が異常な状態なので、雄の三毛猫には生殖能力はないそうです。 猫の体は他の動物に見られない特徴があります。出し入れ自在な爪は、見た目よりも複雑な機械仕掛けのような構造で動かされています。耳の三半器官の他に前庭という器官を持っていて、重力や加速度に敏感で、高いところから落ちても瞬時に体制を整える事ができます。歩くときは右側・左側の前脚と後ろ足の接地点がほほ同じになるような、変った歩き方をします。人と暮らしていても野生を色濃く残していて、子猫のころじゃれるのも遊んでいるわけでなく、本能的にハンターの訓練をしているのだといいます。野性的である反面、寝る姿は、冬は団子のように丸まり、夏はだらしなくどべーとのびて、人間なんかお構いなしに寝息を立てています。餌をもらうときは体を擦り付けて媚びるのに、そうでない時は呼んでも知らんぷり。だけど、憎めないやつなんですよねえ。
2006年02月22日
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今日は、食糧管理法公布記念日です。若い人はご存知ないと思いますが、昔はお米はお米屋さん以外では買えませんでした。都会ではスーパーなどでもお米屋さんとしての営業を認められているお店もあったでしょうが、田舎ではそもそもスーパーなどはなく、酒屋さんとお米屋さんが一緒になったお店などはありましたが、主食としてなくてはならないお米が原則的に、町にいくつかしかないお米屋さんでしか買えなかったのですから非常に不便でした。特に共働きの家庭などでは、配達してもらう事もできず、ストックを切らさないように注意する必要がありました。日本では意外にも昭和40年頃まではお米が不足していて、完全自給することができませんでした。このため、農家が作ったお米を国が決められた価格ですべて買い取り、末端までの流通管理をして食糧供給の安定化を図るために食糧管理法が作られたのですが、昭和40年代以降になると、だんだん米は供給過剰になり、米の生産量を減らす減反政策や自主流通米制度の導入などで国が買い上げる米を減らすなどの対策を順次講じていき、お米屋さん以外でも米が販売されるようにもなりました。今では、コンビニで24時間いつでも米が買えるのですから便利な世の中になったものよのう、と思います。 一方でお米屋さんがなくなっていくことに寂しさを感じる面もあります。昔のお米屋さんでは、米以外にもお米屋さんでしか買えない「専売商品」といっていいものが有りました。例えば、瓶入りジュースの「プラッシー」とか、いくつかの生麺類などです。聞いたところによると、なぜかメーカーがお米屋さんルートで販売するためだけに商品開発しているらしいのです。お米屋さん以外の場所で売っているのをみた事がありません。 関係ないけど、ふと思い出したのでついでに書いちゃいますけど、よく学校の校門のすぐ近くに文房具屋さんってありますよね。私の通った高校の門の脇にも文房具屋さんがあって、そこでは文房具以外にパンや牛乳も売っていたのですが、そこで「チェリオ」という商品名の瓶入りのジュースを売っていました。後にも先にも、そこ以外でこのジュースを見たことがないのですが、読者のみなさんはそんな経験はありませんか?
2006年02月21日
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今日は歌舞伎の日です。言うまでもなく歌舞伎は日本独特の演劇で、伝統芸能の中でも最も知られたものです。重要無形文化財、世界無形遺産にも指定されています。歌舞伎の発祥は、出雲阿国(いずものおくに)という巫女が、1603年に北野天満宮で興行を行って、京都で評判となり、当時の流行歌や、カブキ物と言われる当時流行していた派手ないでたちと珍妙な行動で目立ちたがる人々の振る舞いを踊りに取り入れ、人気を博しました。カブキ物とは「傾く物」から来ており、偏った物というような意味で、変わり者と言う事でしょう。歌舞伎はこのカブキに当て字したもので、今の歌舞伎でも行われている顔の派手な隈取りや見栄を切る動きなどは発祥当時の特徴を伝えてきたものだと思われます。1607年(慶長12年)2月20日には江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露しました。その後、出雲阿国をまねて、遊女による女歌舞伎や少年による若衆歌舞伎が流行し、しまいには売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したことなどから1652年に歌舞伎は野郎歌舞伎と呼ばれる成人男性だけで行うもの意外は禁止されました。この野郎歌舞伎が現代まで伝わり、歌舞伎は男だけで演じられるものになったのです。 歌舞伎は日本人なら誰でも知っている伝統芸能なのですが、意外と庶民には敷居が高いようで、かく言う私も、劇場で見たのは1回だけです。永い歴史を持つ伝統芸能ですから、雅楽のようなおごそかなものを想像していたのですが、舞台装置も大掛かり、舞台上の全てのものの色使いが派手で驚きました。テレビで見て知っていたはずなのに、やはり劇場でみると圧倒されます。私は、歌舞伎には水墨画の世界よりはむしろゴーギャンや、ゴッホの絵画に通じる物を感じました。読者の皆さんも、もし未体験ならぜひ劇場で歌舞伎をご覧になって見てください。「和」と言う物がより幅広く深いものであることが実感できると思います。
2006年02月20日
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今、世界的に自動車の燃料としてエタノールが注目されています。この分野で世界で一番先んじていたのはブラジルで、1970年代にはすでにガソリンにエタノール(エチルアルコール)を混入したガソホールという燃料がガソリンスタンドで売られるようになっていました。なぜエタノールを混入した自動車燃料が必要だったかといえば、オイルショックがきっかけでした。オイルショックは当時、日本にも多大な影響をもたらし、ガソリンや灯油の価格が高騰したのはもちろん、プラスチック製品、さらにはトイレットペーパーすら町の店頭から消えて大変な騒ぎになりました。その時にブラジルでは、その場しのぎの対策でなく、恒久的な石油依存からの脱却のために当時は無謀としか思えない自動車燃料の転換を図ったのです。いまではエタノール25%混入ガソリン、そしてエタノール100%までがガソリンスタンドで普通に売られているのです。エタノール100%の燃料の価格はガソリンのほぼ半額です。とはいっても普通のガソリンエンジンの自動車にはエタノール100%燃料は使えません。ブラジル政府の政策がすばらしかったのは、燃料スタンドのインフラとエタノール対応自動車の開発を同時に推し進め、普及させたことです。いまではブラジルではFFV(フレックス・フューエル・ビークル)と呼ばれるガソリンとエタノールどちらでも使える自動車が普及しているのです。 エタノールの素晴らしいところは、バイオフューエルであるところです。農作物を原料にバイオテクノロジーを駆使して作り出したアルコールなのです。ブラジルで使われている物は、サトウキビを原料にラム酒を醸造するように造られています。畑で原料を栽培し、酵母の力を利用してアルコールに変えているのですから、人間が意図的に生産することができます。太古の生物の化石である石炭・石油などと大きく異なる特徴です。 アメリカは最近、石油依存からの脱却を目指し、新型メタノール燃料の開発に着手すると発表しました。アメリカではすでにトウモロコシから作ったエタノールを混入したガソリンは売られているのですが、今ひとつ普及していません。ヨーロッパでは低CO2排出エンジンとしてディーゼルが主流になっているのですが、アメリカ人はディーゼルが嫌いらしく、日本のハイブリッド車が受け入れられてきました。しかし、ハイブリッドといえど化石燃料を使うことに変りはなく、ここでアメリカが本気でバイオエタノールに取り組むとなれば、日本の自動車メーカーにも大きな影響を与える事になります。すでにホンダやトヨタはFFVの開発に着手しているようです。 日本でもバイオエタノールの製造技術の開発は始まっています。早ければ数年で一般に普及するかもしれません。原料となるサトウキビが日本では沖縄など狭い地域に限られているのが痛いところですが、サツマイモを使うなど対応策はあると思いますので、場合によっては日本の農業も変革されていくかもしれません。実は日本ではすでに一時期エタノール混入ガソリンがスタンドで売られていたことがあります。「ガイアックス」という商品名でガソリンよりかなり安く売られていたようです。しかし、ガソリン専用の自動車に入れると、燃料系統のゴムパッキンを溶かし、燃料漏れ事故を起こす事があり、今では売られていないようです。 低公害車としては燃料電池が有望視されてきましたが、アメリカが動き始めた事で、エタノールの世界的普及に拍車がかかりそうです。なにより歓迎したいのは、石油が枯渇しても自動車を動かす事ができる可能性が見えてきたことです。今後の技術開発に期待します。
2006年02月19日
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今日は、冥王星の日です。冥王星が発見された日だそうです。第9番惑星(冥王星)の存在は、内側の8番惑星である海王星の機動の乱れから予想されていましたが、あまりにも暗かったため、なかなか確認されませんでした。1930年、アメリカ・ローウェル天文台のクライド・トンボーが、1月23日と1月29日に撮影した写真の比較研究からようやく第9番惑星の姿を確認したのです。その暗さゆえ冥王星と名づけられました。冥王とは冥界つまり死の世界の王ということですね。ギリシャ神話ならプルートーという名前の最高神ゼウスの兄に当たる神になります。日本神話ならさしずめスサノオか閻魔大王というところでしょうか。 冥王星は直径がたった2320kmしかなく、これは地球の5分の1以下になります。なんと地球の衛星である月よりも小さいのです。このため冥王星を惑星と認めるのか、小惑星と分類するのか議論されてきました。また、冥王星の軌道は、一部が8番惑星の海王星の軌道の内側に入り込んでいて、昔学校で習った惑星の並び順、「水、金、地、火、木、土、天、海、冥」が「水、金、地、火、木、土、天、冥、海」になってしまう時があります。さらに、たいていの惑星は赤道面と公転軌道面がぴったりとは言わないまでもだいたいそろっているのですが、冥王星は90度近くずれてしまっています。横倒しになって自転している状態です。かなり変わり者の惑星なのです。 最近、冥王星に次ぐ第10番惑星が発見されたようです。しかも冥王星より少し大きいそうです。また、太陽をはさんで地球の反対側に未知の惑星が観測されたことがあるらしいです。地球からは見えませんから惑星探査用の人工衛星から観測したのかも知れません。(未確認情報) これだけ科学が進歩しても、太陽系にはまだまだ未知の領域があります。1000年ぐらい後の未来でははたして火星に移住していたり、土星の衛星タイタンから鉱物資源を採掘したりできるようになっているでしょうか。できることなら見てみたいものです。
2006年02月18日
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今日は、ノアの洪水の日です。そう、ノアの箱舟の伝説の洪水の始まった日です。旧約聖書の創世記第7~8章にそれは記されています。ノアが600歳になった年の第二の月の十七日に洪水は始まりました。神が自分の意にそぐわない生き物を全てリセットするために起こした未曾有の天災です。豪雨が40日間降り続いて世界の全てが水没し、約1年間、世界は水浸しとなったのです。ノアの箱舟の大きさは全長150m、幅40mくらいの主に糸杉の木材で作られた木造船で、内部は3階建ての構造となっていたと聖書には記されています。ノアは神の啓示に従い、周囲の人に嘲られながら船を建造し、全ての獣の雄と雌を乗せて洪水の難を逃れます。40日間の漂流の末、箱舟はアララト山に流れ着き、船の中の命は新しい世界の命の始祖となりました。ここまでは聖書の中の伝説で、アダムとイブやバベルの塔の伝説と同じく、聖書に書かれているといってもフィクションであるというのが常識的な考えでした。 しかし、1952年、フランスのフェルナンド・ナヴァラ氏が、アララト山に登った際、氷河の上に巨大な船体らしき陰を発見しました。その後何度かの学術的調査で、船の構造体の一部が採取され、年代や材質、構造など多くの要素が聖書のノアの箱舟の記述に一致することがわかりました。驚くべき事に現代の技術でも木造船における限界の大きさは、聖書に記された寸法が限界であり、そうとうな技術を持って設計された船であったことが解るのです。また、メソポタミヤ文明の楔文字で書かれた粘土版に大規模な洪水の記述があったり、地質学的な洪水の痕跡が発見されたりで、ノアの洪水はどうも実際にあった事のようなのです。聖書の記載にあるような全世界的なものであるかは疑問ですが、メソポタミヤ文明の繁栄する地方一帯を大規模に襲った洪水が実際にあったこと、巨大な箱舟が造られ漂流し、アララト山に流れ着いたことは事実らしいのです。アララト山は標高5000mを越える高い山ですから、そうそう簡単に発掘や調査はできないようですが、こんな人間が生きていくにも限界に近く、周囲に森も林もない場所で、巨大な木造工作物を造るのは無理であり、他の場所で作られて漂着したと考えるほうが自然ではないでしょうか。また、ノアの洪水の時期は、最近の氷河期が終わるころとほぼ一致しており、全地球上の氷が溶け出して海面が上昇し、それがノアの洪水の伝説となる大災害になったのではないかとの説もあります。海に沈んだと言われるアトランティスやムーの大陸もその時に沈んだのではないかと。 旧約聖書はキリスト生誕以前の人類の創生を記したもので、日本で言えば古事記に当たるものですから、前半は創世伝説から始まり、人類が人としての知恵と意識を持った初期の事柄が書かれており、どこまでが伝説でどこからが史実なのかは解り難いです。しかし、ノアの洪水の伝説が事実であったとすれば、その当時にそこまで巨大な船を造る技術が人類にすでにあったと言う事で、それは紀元前1万年以上前とも言われていますので、人類の文明に関する考古学ではまだ未知の領域です。考古学では、5000年前のエジプト文明よりさらに古いと言われているスフィンクスを、何者が作ったのか良く解っていません。スフィンクスにはエジプトでは古王朝時代からほとんど雨が降らないにも関わらず、雨で侵食された跡がはっきりと残されており、考古学的に解っている事実よりも遥か以前に、巨大なスフィンクスを造ったり、巨大な木造船を造れる技術を持った種族がいて、未曾有の大洪水に襲われた時に事前にそれを察知していた一部の人間のみが、箱船を造って生き延びたと考えると聖書の記述に一致するのです。 映画にもなった伝説だとしか思っていなかった壮大な物語が、事実かも知れないと思うととてもワクワクしてきます。現代社会も少しややこしくなりすぎているので、いっそ全世界レベルの洪水でリセット…というのはまずいですよね、やっぱり(笑)。
2006年02月17日
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昨日、徒然草について書いたのですが、調子にのって、三大古典随筆シリーズということで、今日は方丈記でいってみたいと思います。枕草子は以前に書いていますので。 方丈記は、鴨長明が1212年に残した作品です。鎌倉時代の前期ですから、徒然草よりは古いことになります。当時は戦国時代で世相的にはお世辞にも明るいものではありませんでした。戦乱、飢餓、疫病などに人々は苦しんでいました。方丈記の根底にある思想は仏教的な無常観です。暗い世相による部分もあるでしょうし、長明の執筆当時の生き様にもその理由があります。長明は京都下鴨神社の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、一時は神社の社司の候補にもなったのですが、結局、社司にはなれず失意のうちに出家しています。この点では徒然草の吉田兼好とちょっと似ています。二つの随筆に共通して無常観という思想が見えるのもそれゆえなのかなとちょっと面白いですね。 方丈記の「方丈」とは一丈四方の意味で、出家後に長明がこもった庵の名前です。丈とは長さの単位で、約3mに当たります。つまり3m四方の小さな庵ということですね。この方丈は画期的なことに、組み立て式で持ち運びができるモバイル住宅でした。長明は出家したあと、京都伏見の日野の地に落ち着くまでは、放浪の生活を送っていました。そのために必要にかられて発明したのがこの方丈だったようです。 人にもよるでしょうが、最低限の雨風をしのげるだけの装備を持って、あてもなく放浪するという生き方は、私には魅力的に思えます。今風に実行するとしたら、ステーションワゴンに寝袋と最低限のキャンプ道具を積み込み、あてもない旅に出るというところでしょうか。片岡義男の小説「メインテーマ」みたいですね。 最後になりましたが、方丈記の序文を蛇足ながら書いておきます。中学生のころ、学校の授業で暗記させられて、未だに忘れていない(^^)。 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。
2006年02月16日
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今日は、兼好忌と言って、吉田兼好の忌日です。実際に兼好がなくなったのは旧暦2月16日らしいのですが、本人の希望により、釈迦入滅の日である2月15日を忌日としているそうです。 吉田兼好と言えば、なんといっても「徒然草」の作者として有名です。「徒然草」は「枕草子」、「方丈記」とならんで三大古典随筆の一つとして、今でも多くの人に読まれています。 つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 現代語訳を必要としないほど有名なこの序文で始まる徒然草ですが、全234段からなるこの随筆は、「枕草子」などに比べると、人生への戒めなどのやや重い「教え」や「哲学」の要素が多いように思います。これは、京都の吉田神社の神官の家系だった兼好の生い立ちによるところが大きいと思います。ちなみに吉田兼好は本名はト部兼好といい、吉田性は吉田神社からとったと言われています。また、兼好が生まれたのは鎌倉時代末期の元寇(モンゴルによる侵略未遂)の直後で、時の支配者である北条氏が力を失い、鎌倉幕府の崩壊へと時代が動いていく最中でした。「徒然草」の中に、40歳以上生きないほうが潔いとか、生き長らえてもそこにあるのは老いと死のみだとか、どこか世紀末的な思想が見え隠れするのも、そんな時代背景からなのかも知れません。 この「徒然草」や「枕草子」を読んでエッセイストになったり、目指したりした人は多いのではないでしょうか。実際、自分のブログに「徒然草」の名前をつけている人はたくさんいます。私もこの日記を始める時に「○○徒然草」とか、「○○草紙」とかの名前を考えました。結局はさだまさしのアルバム「随想録(エッセイ)」から随想録にしましたが。吉田兼好没後800年以上もたっても未だに人々の心を捉えるのは、古典文学という枠のなかでも作り話でない人の心をつづったものだからでしょう。自分もエッセイストになることを夢みていたりします。何百年か後に、自分の思いを記した本を、共感を持って読んでくれる人がいたら素晴らしいことだと思います。
2006年02月15日
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今日は、バレンタインデーですね。バレンタインのことは他の人にお任せして、この随想録では今日はチョコレートについて書いてみようと思います。 チョコレートの原料はカカオ豆です。カカオは、あおぎり科テオブロマ属の常緑樹で、赤道近辺の熱帯地方でのみ栽培されています。テオブロマとは神様の食べ物という意味で、原産地のメキシコの神話に由来しています。熱帯植物であるのに直射日光を嫌い、栽培する時は周囲に日陰を作ってくれる木を植えています。カカオの実は、カカオポッドと呼ばれ、長さ20センチくらいのラグビーボールのような形で、厚さ1センチ以上の堅い殻で覆われています。枝だけでなく幹にも実がなるのが特徴的です。その中に甘く白い果肉に包まれた30~40粒のカカオ豆が入っています。収穫されたカカオ豆は、バナナの葉で包むか、木箱に入れて発酵させます。この発酵過程を経ることによってカカオの独特の香りが生まれます。その後乾燥させて、麻の袋に詰められて出荷されます。 カカオは紀元前2000年頃には栽培が始まっていたといわれています。カカオの持つ滋養強壮などの薬功や豊富な栄養を古代の人も経験的に知ったのでしょう。西暦250年から900年くらいに繁栄したマヤ文明でも栽培されていたようですが、マヤ文明は謎の部分が多く、はっきりとはわかりません。その後のアステカ文明で栽培されていたカカオがヨーロッパへ伝わることになります。アステカではカカオは神聖なものであり、貨幣としても使われていました。チョコレートとして食べる製造技術はなく、飲み物として利用されていました。ココア風ではあるけれどおそらく精製度が低い苦く飲みづらいものだったと思います。また、宗教関係者や王族など特別な階級の人のみが口にできるものだったようです。 コロンブスがアメリカ大陸に到達したことにより、アステカのカカオはヨーロッパに知られたのですが、当時は利用価値があまりないと思われ、注目されませんでした。その後、スペインのコルテスがアステカ文明を征服して、カカオをスペイン本国へ持ち帰り、砂糖やバニラを加えて今のココアの原型のような飲み物が王侯貴族の間で流行しました。精力増強や媚薬としての薬功で薬として珍重されたようです。精製技術などはその後も進歩して、1828年のココアパウダー精製技術の発明によって今のココアに近い飲み物となり、さらに1847年のチョコレートの整型法の発明によってようやく固形のチョコレートが食べられるようになりました。その後もミルクチョコレートの発明や、滑らかに練り上げる製法などの技術によって現代のようなチョコレートが作られるようになったのです。 日本では、寛政9年(1797年)の長崎の文献に「しょくらとを」の記載がありますから、出島あたりから入ってきていたと思われます。国内でチョコレートの生産が始まるのは1899年(明治32年)森永商店によってです。こうしてみると、カカオ豆と人類の歴史に比べると、チョコレートはまだまだ新しい食べ物と言えそうですが、原料であるココアパウダーやココアバターのブレンド、テンパリングなど、製造や加工には高い技術が要求される奥の深い世界になっています。これからも人類は、チョコレートを愛し、食べ方でも、カカオの栽培方法でも進歩していく事でしょう。 最近は、本命チョコや義理チョコでない「友チョコ」なるものが流行しているそうですね。女子中学生や高校生同士が互いに送りあうのだとか。いつの時代でも女子中高生は流行の発信源ですね。
2006年02月14日
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今日は、日記ネタが特にないので、人口問題を考えてみたいと思います。今、地球上の全人口はどれくらいかご存知ですか。答えは約62億です。日本の人口が1億ちょっとだと言う事考えると、まあそんなものかなと言う感じでしょうか。62億なんて言われてもピンとこないですよね。地球の表面積は約5億平方キロメートルで、そのうち陸地は3割程度ですから陸地の面積は約1億5千万平方キロメートルになります。ということは人間一人当たりだと24,200平方メートル、156m四方くらいです。住むには充分な広さのようですが、その範囲のみで食料もエネルギーも資源も賄わなければならないということになると、どう考えてもきびしいというのがわかってもらえるでしょうか。地球始まって以来、単一種の大型生物がこれだけ大量に繁殖したことは、かってありません。今、地球は未体験ゾーンへ突入してしまっているのです。 さらに深刻なのは、62億の人口は何万年かの人類の歴史の中でじょじょに増えたのではなく、ここ200年くらいで爆発的に増えたものなのです。西暦1年、約2000年前は人類の全人口は2億人くらいでした。その後、西暦1700年くらいまでは、人口は横ばいであまり増えませんでした。状況を一辺させたのは産業革命でした。化石燃料を使ってそれまで人間が生きていくのに適さなかったところにも住めるようになり、富める国は世界中の資源をかき集め、繁栄の極みに突き進んでいきました。結果、西暦1700年から1800年までの100年くらいで一挙に10億人を突破し、さらに100年後1900年には20億に到達しました。そして現在では人口増加のスピードはさらに急激に加速し、10億人増えるのに10年ちょっとしかかかりません。世界の人口は1時間で8500人も増え続けているのです。おそらく、2050年には100億を突破すると言われています。たった50年弱で6割も人口が増えて、エネルギーや食料など、問題が起こらないはずがありません。 これはあまりにも簡単に推測できることなのですが、なぜかこの問題を真剣に心配する人もいないし、多くの人に周知しようという様子もありません。知っていたからといって凡人である私たちにどうすることもできないのですが、この問題は、とにかく世界中の人がこのことを知って、危機感を持つ事が大切だと私は思います。
2006年02月13日
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昨日、フキノトウの話題を書いたので、今日は、その他の山菜のことを書いてみたいと思います。 一般的によく知られている山菜でもその種類は豊富で、タラノメ、ウド、ワラビ、コゴミ、ノビル、ネマガリタケ、ミズ、セリ、などとてもたくさん有ります。タケノコも山菜といっても良いでしょう。タラノメは山菜としてはアクがそれほど強くなく、人気があるのですが、草ではなく樹木の芽なので採れる場所が決まっており、取り合いになってしまって手に入りにくかったりします。その他の山菜も良質なものがたくさん採れる場所は各自が秘密の場所にしていました。今では栽培できる山菜が増えていますから、スーパーの店頭に並ぶのは、ほとんどが栽培ものです。天然ものよりアクは少なめですが、このアクこそが山菜の美味しさであったりもしますから、やはり、自然のものは一味違います。 わらびなどのアクが強めの山菜は、重曹でアク抜きをして使います。昔は農家ではどこの家にもかまどがあって、かまどの灰を使ってアク抜きをしたものです。食べ物が少なかった時代に、野や山の植物の芽や若葉を食べることは誰でも思いつきそうですが、普通はアクが強かったら食べられないと判断してあきらめると思うのですが、たぶん永い試行錯誤の時代を経て、灰汁にさらせばアクが抜けることに気が付いたのでしょう。そんな試行錯誤のおかげで現代人は山菜を食べる文化を継承することができたのです。 キノコは毒キノコの心配があり、知識のない人がむやみ採って食べるのは危険なのは良く知られています。でも、山菜も本当は注意が必要なものもあります。ドクゼリは、セリによくにていますが、文字通り毒を持っていますし、あの恐ろしいトリカブトも若芽は食用のニリンソウという草に良く似ています。山菜採りに出かける機会に恵まれたら、料理する前に知識のある人に見てもらうと安心ですね。
2006年02月12日
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今日は、建国記念日です。正式には建国記念の日というそうです。昔は紀元節といっていたようです。日本書記の記述によると、今から2600年前、まだ天皇でなかった神武が高天原から大和の地に進み、当時、他国から多くの民族が渡来して群雄割拠していました。神武は建国の理想を掲げ、それらの民族で共感を示すものは味方につけ、相反するものとは戦って、大和民族の統合を成し遂げました。こうして神武は初代天皇に即位し、日本という国がスタートしたのです。日付は法律で定められたもので、必ずしも、初代天皇が即位した日とは合ってるとはいえないようです。 近年の和風ブームもあることですし、「日本建国浪漫譚」的な物語にすればなかなか味のある作品になりそうなのですが、ヤマトタケルの東北平定などと比べるとストーリー性のあるエピソードが少ないのか、映画やアニメになったりはしていないようですね。神話から日本の黎明期にはあまり知られていないロマンティックな出来事がたくさんありますから、日本人はもちろん、海外へもどんどん発信していけばいいのにと思うのですが。
2006年02月11日
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今日は、ふ(2)きのとう(10)でふきのとうの日です。ふきのとうはもっともポピュラーな山菜の一つである、ふきの花芽です。天ぷらや和え物などにして食します。ほのかな苦味と鮮烈な生命を感じさせる香りが魅力です。冬から春に季節が移ろいゆく時、あらゆる山菜の中で一番最初に姿を現す山里の恵みです。つぼみが開いてしまった物よりは硬く閉じてまだ眠っているかのような物がより美味しいと言われています。私は、細かく刻んで味噌に混ぜ込んだ「ふき味噌」がご飯の友に最高で好きです。 ふきのとうを皮切りに、順を追って次々にいろいろな山菜が人々を楽しませてくれます。永く冷たい季節が終わりを告げ、命の躍動する季節の到来です。 自然の恵みを自分で収穫し、ごく簡単な調理法で素の風味を味わうといつも思います。人間にこれ以上の何が必要なのだろうと。鉄と石油と科学物質から離れ、自然と共存して穏やかに生きていくことが、なぜ許されないのだろうかと。突飛な事を言っているようですが、自然の摂理から外れているのは、ほんとは現代社会だと私は思うのです。
2006年02月10日
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今日2月9日は、ごろがいいというか、読み方しだいでいろいろな読み方ができるので、ふく(河豚)の日、服の日、福の日、風の日、肉の日など、たくさんの「日」になっています。さて、何について書こうか迷うところですが、きょうは、ふく(河豚)について書いてみようと思います。 河豚は、高級な食材です。透き通るほど薄く切った刺身は、歯応えが良く、かみ締めるほどに旨みが湧き出してきます。ふぐちりは、脂はさしてないのに深い味わいさっぱりと楽しませてくれます。白子は、残念ながら私は食べた事はありませんが、ありとあらゆる魚の内臓の中でもっとも美味だとか。ご存知のとおり、河豚にはテトロドトキシンという毒があります。青酸カリの10倍とも言われる強力な毒です。この美味しいのに毒があるという罪な性質により、多くの人が命を落とすことになったでしょうが、それでも人は河豚を食べることをあきらめませんでした。 縄文時代の貝塚から河豚の骨が出土していることから、縄文時代にはすでに河豚が食べられていたことがわかります。世界的にはエジプトの5000年前くらいの遺跡の壁画に河豚が描かれているそうです。そんな昔に毒の有る部分がどこかがわかってはいないでしょうから、そうとうの数の人が毒に当たった事でしょう。安土桃山時代には、豊臣秀吉が、兵が河豚毒で命を落とすことを恐れ、河豚食禁止令を出したそうです。また明治15年には法律で河豚食が禁止され、明治21年に伊藤博文によって山口県においてのみ河豚が食べられるようになるまでは禁断の味となっていました。 河豚の毒は、餌である貝に含まれるわずかな毒が、河豚の体に蓄積することで生まれるそうで、毒をまったく含まない餌で養殖した河豚は、普通は食べられない肝も食べられるそうですが、これは国が許可しなかったようです。また、石川県白山市美川町では日本で唯一、河豚の卵巣のぬかづけを生産することが許されているそうです。なぜぬかづけにすると、猛毒であるはずの卵巣がたべられるようになるのかはよくわかっていないそうです。肝も卵巣も毒さえなければ美味しいであろうことは想像できます。一生に一度でもいいから、ぜひ白子と併せて河豚三昧を味わいたいものです。
2006年02月09日
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今、軽自動車が良く売れているようです。街中での足として便利で、維持費が安価ですから、景気が回復しているとはいえ、収入になかなか反映されない庶民にとってありがたい自動車です。特に田舎は車がないと生活がとても不便なので、いまや必要不可欠なものとなっています。 軽自動車は、1952年に法的規格が定められましたが、現代のような軽自動車のルーツは1955年の通産省が提唱した国民車構想にあるといっていいと思います。アメリカのT型フォード、ドイツのフォルクスワーゲンの事例を参考に、より多くの普通の国民が自家用車を持てるようにと考えられた試みでした。排気量が350CCから500CC、最高速度は時速100キロ以上、4人乗り、価格25万円以下などの条件を満たした車を各メーカーが競争して開発し、最も優秀なものに補助金を出し、大量生産しようというものでした。しかし当時の日産やトヨタの主力車種であるダットサンやクラウンは75万円以上の時代に、価格25万円という条件がネックで、夢に終わってしまいました。しかし、これに挑戦した富士重工(現スバル)は、今も伝説となる名車スバル360を開発しました。残念ながら価格は25万円をオーバーしてしまい、国民車に採用はされませんでしたが、それでも充分以上の性能と低価格でマイカー時代のさきがけとなりました。これがきっかけとなり、各メーカーから低価格ながら高性能な軽自動車が次々と発売され、一時は軽自動車の枠の中で馬力競争が起こり、レーシングカー並の排気量1リッター当たり111馬力、360ccで40馬力という高性能版さえ発売されました。現代の軽自動車の660ccに換算すれば、73馬力(ただしネットでなくグロス表記ですが)になるわけで、ターボもない時代にこれはとんでもない高性能です。その後、日本が豊かになるにつれ、より排気量の大きい車が一般家庭に普及しはじめると、軽自動車は、安価な足としての自動車に役目を変えてきました。スズキのアルトは47万円という低価格で売り出され人気を博しました。一方で若者向けのターボ付のスズキアルトワークスやダイハツミラターボなど、1500ccの普通車でもかなわない高性能車も登場したりで、実に多様な進化を遂げてきました。 日本と同じ第二次大戦敗戦国であるイタリアやドイツでもとても小さい車は作られていました。フィアット500やメッサーシュミットなど、いまではマニアの間で人気を呼ぶレア物になっています。今では日本の軽自動車は、高速道路をまともに走れる量産車としては、世界最小の規格なのではないでしょうか。今、二酸化炭素の排出量の削減を、地球レベルで考えなくてはならない状況で、日本の軽自動車を全世界で積極的に使ったらずいぶん効果的なのではないかと思います。性能的には実用上まったく問題ないと思うのですが、いかがなものでしょうか。
2006年02月08日
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今日は、北方領土の日です。北方領土は北海道の北に位置する、択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ほど有ります。千島海流と日本海流が交錯し、大陸棚となっているため、豊富な水産資源に恵まれており、マグロ、サンマ、サケ、カニなど日本人が好んで食用とする魚介類がたくさん取れます。それに、これらの領土が日本に返還されれば、日本の領海も広がります。 日本はなぜ北方領土を、日本古来の領土と主張しているのでしょうか。江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていました。もともとアイヌの人々が住んでいたこともあり、古くからの日本人の生活圏だといえます。しかし、江戸時代にロシアが南下してきて度々争いが起こり、1854年(安政元年)12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められました。その後もロシアとの間には紆余曲折がありましたが、日露戦争に勝利したことによって一応の結論が出ていたわけですが、第2次大戦の敗戦により、1951年(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、戦争によって奪った土地は放棄することとなりました。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、日本固有の領土であると日本は主張しているのですが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、ソ連が崩壊しロシアになった今もその状態が現在まで続いているのです。 国土が狭く、周囲を海に囲まれた日本にとっては、領海がとても重要です。領海は、領土があることによってその周囲に発生します。食料の確保にも、メタンハイドレードなどのエネルギー資源も海洋に頼る面が大きい日本では、たとえ小さな島であっても、領土(領海)の有る無しは死活問題になります。しかし、日本周辺の豊かな海は、他の国にとっても魅力的なわけで、北方領土意外でも何ヶ所か、未だに領土問題でもめている状態です。沖ノ鳥島や竹島などですね。 日本人は、平和ボケしている面があり、領土問題の交渉でも弱腰です。戦争を放棄していますから、何をされても言葉と文書で抗議することしかできません。竹島の問題などは、アメリカだったらミサイルをぶち込んで武力行使するところだと思いますが、日本にはそれができません。地球が狭くなり、世界中の国へ行き来できる現在でも、未だに領土問題は、暴力的な方法でのごり押しがまかり通っているのが実情で、まだまだ世界は平和ではないのだなあということを再確認させられます。なんとか穏便に問題解決をして、北方領土の海産物を楽しめる日がくるといいですね。
2006年02月07日
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今日は、海苔の日です。702年(大宝元年)1月1日(新暦では2月6日)、大宝律令が施行され、その中で海苔を産地諸国の産物として年貢に指定されました。当時、海苔は高級な食品だったようです。海苔の養殖は1822年(文政5年)に千葉県で始められたらしいのですが、当時、海苔の生物学的生態は不明で、海中の海苔の胞子が運良く「のりひび」と呼ばれる養殖用の道具に着床してくれるのを待つという、いささか効率の悪いものでした。このため、生産量は安定せず、「運草」という別名がつくほど収穫量の当たり外れの大きい産物でした。1949年(昭和24年)になってようやく、イギリスのキャサリン・メアリ・ドリューという人が、海苔の糸状体(コンコーセリス)を発見、それまで不明だった海苔の生態が解明され、人工採苗の実用化へと発展しました。なぜイギリス人かというと、イギリスの一部の地域では海苔を食べる習慣があり、ペースト状にしてパンに塗ったり、油で揚げて食べているそうです。このイギリスでの発見のおかげで日本の海苔の養殖は大きく進歩し、安定して生産ができるようになったのです。 そもそも海苔というのは単に海草だと思っている人が多いでしょうが、昆布やワカメなどの海草とは全然違う生き物です。地上の生物で例えるなら、カビやキノコ類のような生態を持っています。胞子で増え、茎や葉などの明確な組織を持たず、糸状体や葉状態といったあやふやな形で増殖していきます。このことが永い間養殖を難しいものにしてきたのです。 海苔といえば浅草海苔を思い浮かべる人が多いと思いますが、浅草海苔はほぼ絶滅状態で、今養殖されている海苔はほとんどがスサビノリの仲間です。昔の浅草海苔の味を知っている人の話では、浅草のりは、赤みがかった色で、香りも味もスサビノリよりもずっと良いそうです。今では味わうことができない幻と思ったら、つい最近、多摩川の河口付近で天然のアサクサノリが繁殖されたのが発見されたそうです。うまくいけば、浅草海苔が復活してくれるかもしれませんね。 私は、海苔巻きがとても好きです。太巻きよりも細身のもので、いろいろな具を、いろいろな組み合わせで試してみたりするのが楽しいですよね。アイデア次第で無限の広がりがあります。海苔の佃煮もご飯の友として欠かせません。市販のものでもいいですが、板海苔を自分で佃煮にすると、香りの濃厚なものが楽しめますよ。お試しください。
2006年02月06日
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最近、カメラ業界が大変なことになっていますね。こともあろうか、ニコンが2機種を除いてフィルムカメラから撤退、コニカミノルタはカメラ事業そのものをソニーへ売却。私は、写真が好きで、昔からニコンのカメラを愛用してきました。ニコンのカメラは、一眼レフが4台、デジカメが1台、ミノルタのデジカメも1台持っています。今後は修理や部品・用品の取り寄せが遅くなったり、サービスは絶望的に悪くなるんでしょうね。それにしても世界の報道の現場で、多くの世界の出来事を見つめてきたニコンが、フィルムカメラから撤退するとは。ニコンで写真を始めた私としてはとても寂しい限りです。ミノルタだって数多くの名機を世に送り出し、あのα7000ではオートフォーカス一眼レフの時代の礎を築いた世界に冠たるカメラメーカーなのに。ニコンは今後はデジタルカメラでやっていくからまだしも、コニカミノルタはカメラ事業からの完全撤退ですからね。いやはや恐ろしい時代です。唯一元気なキャノンは今後もフィルムカメラを造り続けると言っていますが、はたしていつまで続くのか。 デジタルカメラは確かに便利なのですが、まだまだフィルムカメラの表現力を超えたとは私には思えません。特に一眼レフの場合は、被写界深度が深すぎるのが非常に問題です。簡単に言うと、バックをぼかして被写体を強調する、写真の常套手段があまり効果的でないのです。CCDのサイズの統一規格化が遅れているのも痛いですね。CCDのサイズとレンズの焦点距離とは密接に関係があり、よくデジカメのスペックで、ズーム焦点距離可変範囲の項目に35mm換算とか書いてあるのは、CCDのサイズがばらばらなため、基準になる物差しとして35mmフィルムと同じサイズのCCDだった場合ならレンズ焦点距離何mm相当、という表示をしないとよく解らないからなのです。 今日はちょっとカメラに興味のない人にはわかりづらい内容になってしまいました。時代の流れについていけないカメラ好きの懐古主義者のぼやきと思ってお許しください。
2006年02月05日
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録画しておいた、先日テレビ放送された「風の谷のナウシカ」を見ました。ナウシカのテレビ放送は過去何度も行われてきましたが、今度はデジタルリマスター版とのことなので楽しみにしていました。この作品のデジタルリマスターが行われていることを知らなかったので、とてもうれしかったです。見てみると、やはりデジタルリマスターはすばらしい。ノイズはうそのように消えています。ナウシカは10年以上も前の作品なので、アナログで作成されています。当時はまだDVDもなかったので、マスターはアナログの光学フィルム、販売媒体はVHSのビデオとレーザーディスクくらいでした。その後DVD化はされたでしょうが、いたんだ光学フィルムをマスターとせざるをえなかったと思いますの私は購入しませんでした。このままだと時と共に風化するしかない運命でしたが、デジタルリマスターによって、以降は、いっさいの劣化なくこの名作を次の世代へと伝えていくことができます。一般のファンもおそらく、今後そうとう永い間、この作品のDVDを入手することができることになるでしょう。ああ、よかった、よかった。風化させてしまうには惜しい名作です。今のリバイバル物の多さを見れば、古くてもいいものは残す価値があります。リメイクするにしても原作があってこそのことですからね。最近だけでも「鉄人28号」、「大空魔竜ガイキング」、「宇宙の騎士テッカマン」など、いろいろな作品がリメイクされています。正直、今のテレビ業界はネタ切れなのではないかと思うほど。日本のテレビ局全般にお願いしたいのですが、放送した作品の保存はきっちりやってほしいと思います。先日「八犬伝」の時にも書いたのですが、多くのフィルムが失われてしまっていることを大変残念に思いました。アナログのフィルムは保管の場所を多く必要としますので無理もないかもしれません。たぶん、すでに各テレビ局で着手されているとは思いますが、いち早く、残された文化的財産をデジタル化して、後世に伝えていただきたいものです。
2006年02月04日
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今日は、節分ですね。節分は各季節の始まりの日である立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを表わします。その中で、特に立春前の節分が、その年で最初ということで特別に儀式を行うことが浸透していきました。季節の変わり目には邪気が生ずると言われており、これを追い払うために行うのが、「鬼やらい」で、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりします。 豆を撒くのは、魔を滅するからのしゃれのようです。撒く豆も炒ったものを使うのが正式で、生の豆は、拾い残したとき、豆に封じられた魔が芽を出す、根を張るとしてよくないと言います。殻付きの落花生などを撒く家庭も増えていますが、今のご時世では衛生意識の浸透もあり、合理的な方法を考えたということなので、あまり深く考えないで良しとするべきでしょう。なにしろ、撒いた豆は拾って、数え年の数だけ食べる慣わしですから、そりゃ、床に撒いた豆を洗いもしないで食べられませんよね。落花生なら殻をむけば清潔ですから。でもね、実は私が子供のころは、床から拾った豆をみんななんの疑問もなく食べていました。昔は今のように生活環境がよくなかったので、人々はたくましかったと思います。そのくらいで病気になったりする人は生きていけません。豆を撒くときにかける掛け声は、標準的なのは「鬼は外、福は内」ですが、他にも「鬼は内、福も内」など地方によってバリエーションがあります。なかには「鬼は内、福は外」と普通と正反対のものもあったりします。また、ある神社では鬼を神様として祭っているので「福は内、悪魔は外」だそうです。鬼塚、鬼頭など鬼の字がつく姓の家では、「鬼は内、福も内」にしている例も多いのだとか。鬼の話になると、酒呑童子の話とかいろいろ面白いのですが、またの機会にしておきます。 節分の行事として近年はメジャーになってきた風習として恵方巻きというのがありますね。ここ数年はセブンイレブンで売られるようになってだれもが知るところになりましたが、それ以前は関東人にとっては聞いた事もなく変な風習でした。飲み会で、関西出身の友人が恵方を向いて海苔巻きを丸かぶりする風習があるという話をしたら、まわりの関東人は冗談だと思って大笑いしました。関西人の友人は本気で怒ってました(笑)。セブンイレブンで恵方巻きを売ろうと企画した人は、私の友人と同じような経験をしたのかも知れませんね。
2006年02月03日
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都内で「行商」が復活しているようです。懐かしいラッパを吹きながらの豆腐の行商は、若い人は不思議な顔をしながらも「何を売ってるんだろう。」と興味深々、年配の人は、パック詰の豆腐を売っているのに、鍋を持って走って買いにくるそうです。 薬の行商は、昔懐かしい富山の薬売り方式の置き薬です。色々な薬を入れた薬箱を各家庭に置かせてもらい、定期的に中をチェックして使った分だけお金を払うシステムです。さすがに、昔のように風呂敷背負って徒歩ではなく、軽自動車に薬を積み込んで走り回っています。昔の富山の薬売りは、ほとんど日本中を行商し、その活動範囲は驚くべきものがあります。今ほど交通機関が発達していないころのことですから、その商人魂に頭が下がります。子供のころ、富山の薬売りのおばちゃんがくるのは楽しみなことでした。店の名前や薬の名前が入った紙風船をくれるのです。たいしたおもちゃがなかった昔はそんなものでも子供たちにはうれしかったものです。また、富山の薬売りの置き薬のおかげで、田舎の薬局などない農村でも薬に困る事はありませんでした。つい先日、私の住むマンションにも富山の薬売りの方が「置き薬を置かしてください。」とセールスに来ました。まさか今も置き薬を売っているとは思いもしなかったのでけっこうびっくりしました。できれば契約してあげたかったのですが、我が家は平日は留守にしていることが多く、清算・補充に困るとおもったので、「いいシステムだとは思いますが残念ながら…」と丁重にお断りしました。 団地などでは、軽トラックに野菜を積んで売り歩く八百屋さんが来ていたのですが、最近はあまり見かけなくなりました。冬の寒い日や雨の日など買い物に出かけるのがおっくうな日は、すぐ近くまで売りに来てくれれば利用するのに、と思うのですが、やっぱり野菜だけでは意味がないので、肉や乳製品なども売っている「移動スーパーマーケット」みたいなのを、だれかビジネスとしてやってくれないかなと思います。
2006年02月02日
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今日は、テレビ放送記念日です。1953年(昭和28年)、NHK東京放送局が日本発のテレビの本放送を開始しました。当時の放送曲は、東京・内幸町の東京放送会館にありました。ちなみに東京タワーの完成は昭和33年です。放送の第一声は「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります。」でした。当時はまだNHKの受信契約は866台分しかなく、受信料は1台当たり月額200円だったそうです。その後、次々と放送局が開局し、高度成長期のなかで、受像機の台数も爆発的に増えていき、今も語り継がれるようなすばらしい番組が人々を楽しませてくれるようになりました。 さて、ここ何年かテレビ放送の歴史を変える事が着々と進められています。そう地上波のデジタル化ですね。関東から東北にかけてはすでに開始されていますし、一番遅くなる予定の九州でも今年中に開始される計画のようです。 デジタル化されることによって、もはや我慢の限界に来ていたゴーストが解消されるのはとてもありがたいですし、ハイビジョンの高画質や多チャンネル化も多いに楽しみです。しかし、どうもこの地上デジタルの計画の進捗状況は、国民にあまり説明されていないように思います。実際、自分のところではもう見られるのか、まだ先なのかわかっていない人が多いのではないでしょうか。また、チューナーは地上デジタル用のチューナーを買わねばならないのは解るのですが、アンテナは今までのUHFアンテナをそのまま使えるのかわからないし、第一、今までUHFを視聴していなかった人はアンテナを買わなければならないし、マンションだったら共聴アンテナ工事をやらなければならないし、どうもその辺の説明が不充分なように思えます。2007年にはアナログ放送は廃止されてしまうのですから、今から最低限、機材は何が必要で、費用はいくらくらい必要になるのか、ニュースの合間にでも案内すべきだと思います。 さて、私は単体チューナーを買うのは無駄が多いので、地デジ内蔵液晶テレビに買い換えようと企んでいます。ただ、DVDレコーダーも持っているので、一度に買い換えるのは相当の出費です。やはり、見るだけでなく、録画も高画質にしたいですものね。液晶テレビの値段が思ったほど下がってくれないので、アナログ廃止の直前まで買い換えるのは見送りになりそうです。
2006年02月01日
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