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2021.10.28
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カテゴリ: 宗教
帰ってきた怪しい話 第0023話 「皇室不要論」

 以前、あのカップルは”孝謙天皇と弓削の道鏡”と同じゃん?と書いたのですが、入籍も終わって夫婦となったことで”孝謙天皇と道鏡よりも質が悪い”なあと思うようにもなったのでした。

 2021・10・26日の某会見における、かって姫だった30過ぎの某民間女性のコメントは、”皇族の犯罪行為”を自ら公の席で公言したという点で、性善説(或いは”君臨すれども統治せず”)を前提に維持されていて、昭和天皇が崩御された時点で再検討する必要のあった”皇室の立ち位置”というか”天皇制の前提となる皇室制度”を長らくなあなあで済ませてきたことの弊害の一つが満天下に露呈したと、私は、思います。

 また、平成天皇が主に年齢と病気を含む体力面の衰えを前面に押し立てて、生前退位を強行し国会も追認したことで明治以降では初となる”上皇”になった時点で、”皇室の日本国憲法からの逸脱と暴走”は始まっていたのかもなあと。

 大正天皇や昭和天皇が体調不良というよりも満身創痍の状態でなお”天皇であり続けることを選択”されたことを考えるとき、天皇の上位存在となりうる上皇に生前譲位してなることの持つ危険性や弊害などを昭和天皇は認識されていたのではないかという気がします。

 実際、日本史を振り返ってみれば、天皇を退位して上皇になって民間で言えば御隠居さんの位置になっているのに実権を掌握しつづけて後継の天皇よりも政治的な影響力を持ち続けたという事例には不自由しませんし、皇太子を摂政とすることで負担を分散しながら疑似的に天皇としての経験を積ませる選択肢もあったのに、なぜ法律を改訂してまで生前の退位の強行にこだわったのかは謎です。

 しかしながら、某宮家の結婚騒動において、令和天皇の意向が露骨に踏みにじられていく状況を見ていると、天皇より上位の上皇(夫婦)の支持があったから某宮家は天皇の意向を気にしなかったのではないか?という気がしてくるわけです。

 天皇より上位の存在である上皇に関しては、理論上ですが、憲法に明記してある天皇に関する制約が適用されませんし、そもそも憲法に上皇制度は存在しないのですから”憲法を改正せずに生前退位を認めて上皇になること”をなんとなくなあなあの内にやらかした当時の国会議員たちの責任もかなり重いと思います。

 つまり、生前退位するのならば退位後は上皇になるのではなく皇籍を離脱して民間人になるか、臣籍降下に準ずる形で(或いは宮家を新設して)天皇より下位の皇族になるのが筋だったのではないか?ということで、30年以上も天皇として君臨したことで生じる影響力や柵の類を考えても、上皇という選択は問題の方が多いのではないかと。



 ただ、皇室の長である”天皇”の立場から某宮家の婚姻騒動に介入しようとしても、”上皇”(というか両親)のラインからの(親や祖父母の立場からの)介入があるとすればそれを無視することはハードルが高いというか、一家の中で天皇家が孤立しかねないリスクまであることは無視できない現実ではないかとも思うわけです。

 ましてや、令和天皇の東宮(皇太子)時代からの冷遇ぶりというか、俗に言うなら延々と”お兄ちゃんなんだから我慢しなさい・・・”と明らかに他の弟妹よりも抑圧されつづけていた(ように外部からは見えた)ことや、昭和天皇が崩御されたときに某宮家が喪に服することもせずに婚約を強行することを平成天皇が公認したあたりでも、”なんだかな~”と。

 もっと意味不明だった判断が、某宮家の二人の姫たちがキリスト教系の大学に進学することを平成天皇(夫婦)も認めたことで、正直”これって天皇家が靖国の英霊を冒涜するってことと同じじゃね?”と、私は、思いました。

 なにがなんでも学習院へ進学しろとは言いませんが、せめて国立大学か宗教色の無い私学を進学先に選択させる配慮が必要なのが天皇家の立ち位置ではなかろうか?

 まあ、こう書くと”憲法で信仰の自由は保障されていて云々”と言い出す人達もいるわけですが、皇族というのは”姓を持たないことが公認されている一族”であり、憲法や皇室典範といった法律で身分が保障されている文字通り上級国民の頂点に君臨している”21世紀まで残っている貴族”ですから”民間人とは別の生き物”と言えます。

 実際、第二次世界大戦において無条件降伏の末に敗戦国となり、民間人や兵には”死して虜囚となるなかれ”とか”一億総玉砕”とか散々煽って非戦闘員にまで自決用の手榴弾を配って玉砕を強要しておきながら、自分たちの番が近くなると”堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・”と手のひらをころっと返して、少なくとも皇族が敗戦時に自決したのか?と言えば現実はなんとも。

 伊太利のムッソリーニは私刑同然に路上で吊るされ、独逸のヒットラーは地下壕で自殺と、三国同盟の内の日本より早く降伏した二か国の最高指導者たちは自らの命でケジメをつけたのですが、日本の指導者たちは政治家も軍人も上位の立場の人ほど東京裁判で連合国側からケジメをつけられたのは御存知の通り。

 マッカーサーではないけれど、”日本の最高責任者って誰?”と聞きたくなるくらい誰も責任を取ろうとしなかった ・・・ まあ、それ故にサイパンが陥落したあたりで勝ち目は無くなって無意味な消耗戦状態になっていたのにズルズルと戦争を継続して、独逸が無条件降伏した後も、人民の生命と財産を無意味に磨り潰し続けたわけですが。

 というか”敗戦の責任を取りたくない”という点で大物政治家も高級官僚や高級軍人も思惑が一致していたということですが、一般人からすれば指揮を執っている上部集団が”撃ち方止め!”と指示しないかぎり殺し殺されが延々と続く状態が戦争の現場ですから、”勝ち目が無くなっているのに何をぐずぐずしてんの?”という声が遅かれ早かれ出て来るのは歴史の示すところではないかと。

 もっとも、戦前の上級国民たちの選民思想には凄いものがけっこうあって、例えば東京が空襲される(いわゆる帝都空襲)ようになって、皇居(宮城)などが爆撃や爆撃に伴う火災などで延焼する可能性が出てきた時、空襲や火災の延焼などで発生する避難民によって道路が混雑することが予想されるが消防車両などはどのように対応するのか?と諮問された某部署の某担当の返答が”土民なんぞ轢き潰して参ります・・・”だったというのは(概ね)実話です。

 まあ、天皇が現人神だった戦前なら、一般人は国民ではなく、(自分たちとは違って一銭五厘の価値しかない生物である)土民や民草だからどうなろうと知ったことか!というのが当時の上級国民たちの本音というか基本認識だったのでしょうし、それ故に、過去の歴史で貴族制度というか身分制度が崩壊するときに特権階級に属していた人たちが処刑されたり追放されることが珍しくない主因ではないかと。



 第二次世界大戦の敗戦国となったことで日本の貴族制度は崩壊し、”華族”と大半の宮家は民間人というか一般人になり、少なくとも法律で保障されていた特権を失っていますから、それをもって”貴族としての責任を取った”と言えなくもありませんが、天皇と一部の皇族は文字通り一般人とは別枠の特権階級として法律で保護され続け幾つかの特権も公認されて現在に至っているわけです。

 民主国家に合法的に残った貴族制度が皇室(天皇+皇族)であり、特権階級であると同時に戦争責任を先送りしながら存続している一族ということですが、戦後の連合国による占領政策において最小限の皇族を残し昭和天皇を協力させた方が統治がスムーズかも?と考えた人が多かったことで ・・・ 共産主義のソビエト連邦が占領政策の主体を担っていたら皇室制度が残っていたかどうか微妙な気がしますが ・・・ 明治維新以降の2度目の開国が進められて現在に至っているとも言えます。

 実際、連合国側のプランの一つだった複数の戦勝国による日本の分割統治が選択されていれば、天皇制も何も残らなかったでしょうし、華族や皇族の戦争責任の追及も苛烈を極めたかもしれませんから、事実上、亜米利加一か国による占領統治で落着したのは、その時点で核兵器を量産して軍事利用できる国が亜米利加だけだったからという偶然によるところが大きいかと。

 まあ、それを言い出すと、無条件降伏を独逸と同時期に受け入れていれば北方領土問題は別の形になり、満州国の終焉もまた別の形になった可能性がありますから、戦前から続く、特権を享受し優遇されている責任を取るべき立場の人が、責任を取るべき時に取らずに可能な限り逃げようとすることで被害を末端にまで拡大する日本社会の悪習は、文字通り”国を亡ぼす主因”と言っていいのではないかと。

 残った某宮家の次女や長男の、或いは某宮家夫婦の言動を見ていても、”この人達って、あれだけの目に国民を遭わせておいて、本音のところで懲りてないってこと?”と、私は、思うようになったのですが、なら”令和天皇を最後に皇室制度は廃止していい”とも思うようになったのでした ・・・ というか、私にとっての”天皇”は”昭和天皇”だけで十分ですが。



 その辺りで最大の問題は、私の寿命が5年後まで残っているかどうか?結末を見ることができるかどうか?なのですが、ま、若い人達はがんばってねと。

 話を少し戻すと、某宮家の二人の姫たちが二人ともキリスト教系の大学に進学して、そのことを某宮家の両親が得意げにしていて上皇夫婦も問題にしなかったことの違和感は、例えて言えば近所の歴史のある大きな神社で次席の神主や上位の禰宜として勤めて高給を食んでいる人の娘たちが、幼児の頃から巫女としてお札や御御籤を売る高額バイトで高収入を得ながら、実際に信じているのは唯一絶対神を信仰するキリスト教だと公の場で破魔矢を売りながら放言し、キリスト教系の学校に通って卒業しているようなものではないかと ・・・ やっぱそんな皇室って不要でしょ。

 問題は、キリスト教のところが、イスラム教やユダヤ教、・・・、ヒンズー教や仏教、或いはサリン事件などを起こした某新興カルト宗教のような団体が創設した大学だった場合でも、”憲法が信仰の自由を保障しているのだから皇族が特定の宗教を信奉する組織が運営する学校の構成員となっても何の問題はない”と真顔で皇室関係者や宮内庁関係者が言い出しかねない実績が既に積まれているということ。

 正直、某宮家の某姫さんたちの一連の結婚騒動で一番不気味だったのが、マスゴミの掌返しとジャニーーズ関連の報道を遥かに超える報道忖度で、特に、年収が数千万とか億の単位に届いているであろうコメンテーターや(自称)専門家たちの犯罪行為の擁護を含む手厚いコメントに至っては”これって、数年後に読み返したり、子供や孫に読まれて恥ずかしくないのか?”と思う代物がごろごろするようになっていったこと。

 当然のように、特にTV報道は”報道しない自由”を駆使し、主にネットをたたいて”言論の自由も規制すべき”と唐突に高額のギャラを手にしているコメンテーターや芸能人たちが足並みをそろえて言い出す光景に至っては、三千世界の立て直し、この世は一度ぐらんとひっくり返って人の数が三分の一になるぞという一連の預言の文言と、命を惜しむな名こそ惜しめ、という警句をなぜか想起しました。

 神道の宗家が自らの意思で自壊を始めて促進もしている傍目から見て異様な光景は、まさに一つの時代の終わりの始まりを目撃しているのかもしれません ・・・ ま、昭和生まれの爺としては昭和天皇が崩御され喪が明けた段階で既に終わっている話なんですけどね。

では、また~。





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Last updated  2021.10.28 01:07:56
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