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イスタンブール3日目の朝、火曜日です。この日はあいにくの冷たい雨10月の半ばなのにものすごく寒い、寒かったです。ダウン、マフラー、耳当て、手袋の完全防備でやっと寒さがしのげるくらい。イスタンブールの秋は日本の秋よりも早いときいていたけれど、ここまで寒いとは思いませんでした。。。まずは昨日休館日だったアヤソフィア博物館からスタートちなみにお隣のトプカプ宮殿は火曜日が休館日です。Ayasofya気高く赤い巨大な大聖堂、遠くからでも威容を誇っています。キリスト教会というよりはまるで要塞のよう。ビザンチン帝国時代にギリシャ正教会の大聖堂として325年から建設され、帝国第一の格式を誇る教会であったとともに、コンスタンチノープル総主教座がおかれていました。360年の創建から1453年にオスマン帝国が征服するまでの1093年間はキリスト教会として、1934年にトルコ共和国の博物館になるまでの約480年間はモスクとして利用されてきました。本堂への中央入り口上部にあるモザイク画「祝福を与えるハリストス」ハリストス(キリスト)にひざまずいているのは皇帝レオン6世。皇帝の門をくぐり外陣から堂内へ足を踏み入れたとたん荘厳で神秘的な空間に圧倒されますしかもとてつもなく巨大な空間で、想像以上の広さに驚くばかりでした。2階ギャラリーから見た内陣でもカトリックの総本山・バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の方が大きいはずです。サン・ピエトロ大聖堂の日記は、こちらそもそも西のローマ・カトリックがサン・ピエトロ大聖堂を建てるにあたって、絶対に東のアヤソフィアよりも大きく作ってやるぞと意図した部分があります。でもサン・ピエトロ寺院が建てられたのはアヤソフィアの約千年も後で、技術力の進歩を考えると大きいのは当然かもしれません。ではアヤソフィアがバチカンよりもなぜ広く感じるのでしょう?ちょっと自分なりに考えてみました。まず柱が少なく大ドーム下の空間が巨大であること、あと現在は無宗教の博物館となっているため、イコノスタスのような宗教的な飾りが一切取り去られているのも理由の一つかもしれません。コンスタンチノープル陥落の前夜、最後の皇帝コンスタンチン11世と僅か4万人に減った市民が聖ソフィア大聖堂に集まり最後の祈りを捧げたそうです。その史実を最初に知った時は全員が入るなんてあり得ないと思いましたが、この広さなら余裕で入る規模だと納得しました。後陣のアーチの中央にある「聖母子」イスラム教の円盤もかかげられています。そして聖堂の2階のギャラリーには巨大な聖堂にしては僅かで、損傷の激しい、でも今もなお輝きが失せることのない至宝のモザイクイコンがありました。ビザンチン美術の最高傑作と言われている「ディシス」「聖母子と皇帝家族」「ハリストスと皇帝コンスタンティヌス9世、皇后ゾエ」2階のギャラリーは窓からの光が多く入る場所なので、モザイクイコンが日の光を浴びてキラキラと輝いて美しかったです。出口の屋上にある「聖母子に献上する皇帝」コンスタンチノープルの街を献上するコンスタンチヌス1世と、アヤソフィアを献上するユスティニアヌス2世が描かれています。聖堂内はフラッシュ禁止なので上手く撮影できませんでしたが、本当はもっと金色に輝いていて美しいのですベルガマの壺イスラム教のモスク時代の名残で、お祈りの前に身体を清める時に使ったそうです。聖堂内の猫たち町の人に愛されているのでしょう、どの猫も人懐っこいです。カメラを向けるとこちらに寄ってきてしまうので撮るのに一苦労でした。出口から見上げるアヤソフィアおまけの画像、最終日の晴れた日のアヤソフィアイスラム寺院だった名残の4本のミナーレ(ミナレット)が、波乱に満ちたアヤソフィアの歴史を物語っています。晴れた日の写真はミナーレがくっきりと目立ちすぎますねアヤソフィアに関しては曇りの写真の方がよいかもしれません。こうして感動のアヤソフィアを後にしました。次はお隣のブルーモスクへ、つづく。
2011年12月27日

感動のカーリエ博物館(コーラ教会)から徒歩で、コンスタンチノープル世界総主教座へ旧市街の西、城壁近くのカーリエ博物館から金角湾のフェネル港近くの正教会の総主教座までの道のりは、住宅街を抜ける細い路地が続きとても分かりにくかったです。カーリエ博物館を出たところまず海に向かってゆるやかな下りになっています。途中の町並みがなかなか趣がありました。このあたりに来るとぐっと庶民的な雰囲気になってきます。もう夕方なのでたくさんの子供達がサッカーなどをして遊んでいました。すると1人の人なつっこい男の子が笑顔で「正教会に行くの?」と英語で聞いてきました。「そうだよ、ルム・パトリックハーネに行きたいのだけど」と、総主教座のトルコ語の呼び名で答えました。イスタンブールでは英語の呼び名は馴染みが無い事が多いのです。例えば金角湾を“Golden Horn”と言ってもまず通じません。トルコ語で「ハリッチ」と言わなければ分からないのです。さて、その男の子は「じゃあこっちだよ、着いてきて」と言って前をどんどん歩いていきます。でも悲しいかな、アテネから来た私はどうしてもこの子供を信用することが出来ません。アテネではジプシーの子供達に神経をすり減らしていたのです。子供ながら完全なプロの窃盗団で囲まれたらアウトです。「のこのこついていった先が絨毯屋だった」なんてことない?など悪いことばかり考えてしまいます。。。男の子に道を教えてもらいながらも必ず地図で確認する、という実に感じの悪い旅行者でした。かなり古びた家々の間からそれらしき建物が見えました。遠くに見える高台の赤い建物は飛行機の中に置き忘れた『地球の歩き方』に載っていたものと同じ。「あっ、あれだよね」と言うと、男の子は「違うよ、こっちだよ」と違う道を指している。うー、ますます怪しい。。。結局近くの大人の男性に再度聞いてみました。すると男の子と同じ方向を指しています。そちらの方向へ行ってみると確かにありましたイスラム教の真っ只中の総主教座という立場にあってか、外からは目立たないようひっそりと壁に囲まれた小さな一画でした。高台の赤い建物はギリシャ人学校だそうです。(後日確認した『地球の歩き方』にもそのように書いてありました)。がっかりした男の子の顔が今でも心に残ります、ごめんね。ほんとうに申し訳ないことをしてしまいました。総主教座の入り口から今来た道を振り返ったところRum Patrikhane総主教座の聖ゲオルギオス大聖堂のファザード中央にビザンチン帝国(ローマ帝国)の紋章である「双頭の鷲」が掲げられていました。コンスタンチノープル世界総主教座の聖ゲオルギオス大聖堂では、平日の夕方にもかかわらず祈祷が行われていました。Cathedral Church of St George,Ecumenical Patriarchate of Constantinople世界各国から正教徒が集まるそうですがこの日は2組だけでした。後からわかったことですが過去に何度もテロの被害にあっていて、厳戒態勢が敷かれているそうです。ここで歌われていた聖歌はアテネと同じギリシャ語によるビザンツ聖歌でした。アテネでの聖体礼儀の日記は、こちらビザンチン帝国時代のギリシア正教会の総主教座は、聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)に置かれていました。1453年のビザンチン帝国陥落で聖ソフィア大聖堂がモスクに改修された後、約1世紀半に渡る長く辛いさすらいの歴史の後、1601年にようやくこのフェネルの地に総主教座が置かれたそうです。フェネル・ギリシャ人学校の建物Phanar Greek Orthodox College身の危険を感じるほどのすごい急坂の上にありました。学校というよりはお城のような威風堂々とした建物です。正面の銘板は確かにギリシャ語でした。歴史は古くコンスタンチノープル陥落の翌年1454年まで遡るそうです。なんと征服王・メフメット2世が自ら推奨しギリシャ人の教育拠点とし、フェネルを正教会の中心に定め特別な措置を取ったそうです。フェネルはオスマン帝国の優秀な人材の供給源となったのですが、1950年代にトルコ・ギリシャ関係が悪化したことにより状況は一変。1964年にギリシャ人の国外退去命令が出され、多くのギリシャ人が突然トルコから追放されたそうです。フェネルに古くて痛んだ建物が多いのは、一度町全体が棄てられたことによるものかもしれません。ここからフェネル港へ向かって歩きます。フェネルからみたギリシャ人学校港から金角湾の連絡船があればエミノニュあたりまで行けるのですが、もう時間が遅く船着き場はクローズしていました。残念ですがタクシム広場までバスで行くことにします朝出かける時にフェネル行きのバスを見かけたのできっとあるはず。エミノニュ行きのバスはバンバン来ます。待つこと約10分、タクシム行きのバスが来ました。アタテュルク橋で金角湾を渡り新市街のタクシム広場へ昨日から気になっていた焼き栗の屋台ケスターネ・ケパブといって、イスタンブールの冬の風物詩だそうです。素焼きなんですが甘くて美味しかったです。これを毎日食べていました、だいたいTL4~5なり。こうして長い一日が終わろうとしています、2日目につづく。
2011年12月25日

テオドシウスの城壁からカーリエ博物館(コーラ修道院)に着きました。ここまでの日記は、こちらKariye M?zesi The Church of the Holy Saviour in Chora 建物はビザンチン帝国末期の1320年頃に修復されたものです。オスマン帝国の脅威が城壁外に迫り、帝国の運命明日をも知れぬ時期です。そしてテオドシウスの城壁に近いこの教会は、帝国陥落劇の一部始終を見届けたことでしょう。もともと5世紀の初めに正教会のコーラ修道院として建てられ、その後オスマン帝国時代はカーリエ・ジャーミィとしてモスクに転用されました。ビザンチン帝国時代のモザイク・イコンやフレスコ画は漆喰で塗りつぶされたそうです。それらは20世紀中頃に発見、補修され博物館として現代に蘇りました。内部は主に聖書の各場面を描く精緻なフレスコ画やモザイク画など、帝国最後の渾身の力を振り絞った至宝の芸術の数々で覆い尽くされています。まず葬祭用礼拝堂(パレクレシオン)のフレスコ画が現れます。上部は最後の審判、下部は復活(アナスタシス)のフレスコ画です。パレクレシオン・ドームの聖母子と大天使たちのフレスコ礼拝堂ドームのハリストス(キリスト)のモザイクドームの下のルネットに描かれたハリストスと生神女マリヤのモザイク拝廊の北のドームに描かれた生神女のモザイク内拝廊への入口上部のルネットに描かれたモザイク、「祝福を与えるハリストス」カーリエ博物館を代表するモザイク画の一つでルネサンス様式の傑作。ギリシャ正教のイコンやモザイクのハリストス(キリスト)像は、西のキリスト像のように柔和だったり、悲哀に満ちた表情ではなく、どれもきりりと引き締まった厳しい表情です。どのモザイク・イコンのハリストスも同じ表情に見えるのは、ユダヤで生まれた「まさにハリストスその人」が描かれているからです。なので「金髪」や「青い目」などは絶対にあり得ません。西のキリスト教の「画家の解釈によるキリスト」が描かれた西洋絵画と違い、イコンはまさに「信仰の対象」なのです。博物館の白眉、聖堂中心にあたる身廊のモザイク「生神女就寝」死の床に横たわる生神女マリヤを底辺に、ハリストスとその弟子達が三角形の構図で描かれています。中央の回廊部分実際のフレスコ画やモザイクは写真よりもはるかに素晴らしいのです。小さな教会ながら保存状態が良く充実した時間を過ごせました。コンスタンチノープルの中央から離れた城壁近くのこの小さな教会で、これだけ素晴らしいビザンチン芸術があったのなら、在りし日のアヤソフィア大聖堂はどれだけ素晴らしかったのだろう、と思わざるを得ません。さて、カーリエ博物館からこの日の最後の訪問地、コンスタンチノープル世界総主教座へ行きますここはギリシャ正教の総主教座になります、つづく。
2011年12月24日

ヴァレンス水道橋から旧市街の西にあるテオドシウスの城壁を見て、カーリエ博物館(コーラ修道院)まで行きます ヴァレンス水道橋の日記は、こちらまずアクサライ駅まで歩きますヴァレンス水道橋の近くにはイスタンブール大学があり、自然と人の流れがアクサライ駅の方向へ流れていて、おおよその方向の目安をつけて行くと駅前広場にでました。アクサライからメトロ1号線でトプカプ・ウルバトルまで行きますメトロの駅を上がると城壁がありました。Theodosius Surlari5世紀初頭から建造されたテオドシウスの城壁で、旧市街の西側をマルマラ海から金角湾まで7キロに渡って伸びています。ここまでオベリスク→水道橋→城壁と好きな建造物の連続で、ほんとうに嬉しいテオドシウスの城壁はビザンチン帝国のテオドシウス2世がコンスタンチノープルの防衛のために建造しました。約1000年に渡って難攻不落の城壁として知られ、本来は三重構造になっていたそうです。この本に詳しく書いてあります。この『コンスタンティノープルの陥落』を初めて読んだ時は、イスタンブールの地理がまったく分からなくて閉口しました。こうして実際に歩くとよく分かり、静かな感動がわき起こってきます。ここからトラム(TR4)に乗り換えます。トラムの駅名はヴァタン(VATAN)でした。ヴァタン駅から見た城壁このトラムは高架で城壁に沿って走っています。本当は城壁沿いに歩きたかったでもカーリエ博物館に16時までに入らないと閉館してしまうので、泣く泣くあきらめましたヴァタンから一駅のエディルネカプ駅(地下駅)で下車。駅を登ったところからみた城壁です。オスマン帝国がコンスタンチノープル攻略した際、メフメット2世が入城した門がこのあたりにあるらしいです。かなり交通量が激しい新幹道路を命がけで渡りながら、カーリエ博物館を目指して歩きます世界遺産にも登録されているのですが、これといった看板が出ていないのでまた周りの人に聞きながらです。自力で行く人は少ないのかなぁ。。。「カーリエ博物館」より「コーラ教会」と言った方が通じました。Kariye M?zesi (Chora Church)ありました カーリエ博物館です。大型バスやタクシーがたくさん横付けされています。ここにはビザンチン美術の最高傑作とされるモザイクとフレスコ画に彩られた夢のような空間でした、つづく。
2011年12月23日
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イスタンブールに持って行ったガイドブックはまずこれ、最新版の『地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地』。何たって地図は一番詳しい。でもアテネからの飛行機の中に置いてきてしまいましたお次は『イスタンブール路地裏さんぽ』と最新版『るるぶ』 両方ともショップやレストラン等の情報は満載ですが、地図は大雑把、小さな通りはまったく書いてありません。そして渡航前に原宿のトルコ大使館の中にあるトルコ観光局へ行って、パンフレットと地図をたくさんgetしてきました。これらは一部HPからもダウンロードできますが、地図に関しては詳細とは言い難いし、情報もちと古め。イスタンブールは7つの丘を要する坂の街で、道は複雑に入り組んでいて迷路のようなのです。あと念のためにデンバー国際空港で英語のガイドブックを購入しました。結果的にこちらの地図を一番よく使いました。今思えば『地球の歩き方』を無くすことを予言した行動だったのか。。。でも金角湾やボスポラス海峡を運行する船に関する情報は、結局わからずじまいでした。さて、グランバザールからまずスレイマニエ・ジャーミィへこのモスクへの道のりは地図上では至近距離に見えるのですが、7つの丘の一つの「第3の丘」の上にあるので登りがきつかったアタテュルク橋から見たスレイマニエ・ジャーミィ(最終日に撮影)道も複雑で急な坂道は見通しがきかない上に、狭い路地でも車は猛スピードで走り抜けていきます。仕方がないので何度も周りの人に尋ねました。はい、英語で。でもイスタンブールの方はとても親切で助かりました。ああ、この時『地球の歩き方』さえあれば。。。S?leymaniye Camiiオスマン帝国が最も繁栄した時代にスレイマン大帝が作らせたモスクで、天才建築家ミマール・スィナンの設計です。内部の繊細な装飾がとても美しい柔らかな光が差し込むステンドグラスも綺麗でした。さて、ここからヴァレンス水道橋へここからも細い道を水道橋に向かって歩いていきます。行く手に城壁のようなものが見えました。家人が「あれが水道橋か?」と言ったのですが、「ヴァレンス水道橋はセゴビアのような2段式だから違うよ」と、アーチをくぐってさらに先へ行くでもどこまで行っても水道橋は無くまた周りの人に聞くと、大きな通りに出て右に曲がれとのこと。シェフザーデバシュ・ジャーミィを通り過ぎると、それらしきものがありましたが1段アーチです。その隣を見ると、Valens Aqueductありました2段アーチ式の水道橋です。ということはさっきくぐったのは水道橋だったに違いない。途中から1段になるということなのか。。。(謎)ビザンチン帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建築が始まり、378年のヴァレンス帝時代に完成した水道橋です。ローマ水道橋&城壁ファンとしては押さえておきたい一つです。ローマの水道橋の日記は、こちらイスタンブールの水道橋のすごいのは、水道橋の橋脚の下をガンガン車が通っていること。旧市街の南北を貫くアタテュルク大通り(6車線)をまたぐように、翼を広げた格好で建っています。運んできた水は地下宮殿へ送られたそうです。地下宮殿の日記は、こちらああ、素晴らしい近くから、遠くから飽きずに眺めた後は、次の目的地のテオドシウスの城壁へ、つづく。
2011年12月22日

「セリム・ウスタ」での昼食の後はグランドバザールへ最寄りの駅はトラムのチェンベルリタシュ駅ですが、スルタンアフメット駅から一駅なので歩いてしまいます駅前にあったイスタンブール最古のモニュメント、チェンベルリタシュの記念柱です。Column of Constantineコンスタンティヌスの柱とも言います。これはどうしても見たかったものの一つ330年にビザンチン帝国(ローマ帝国)の皇帝コンスタンティヌス1世がコンスタンティノープルに都をおいたことを記念して建てたもの。旧市街のはずれの第2の丘に作られた広場にこの柱は建てられ、柱上に置かれた皇帝の像はどこからでも見ることが出来たそうです。焼かれた柱(Burnt Column)とも言われていて、火災や腐食による損傷でかなり痛んでいます。これでも長期改修工事が終わってやっと足場が取れた後だそうです。創建時の画像は、こちら(ウィキペディアより)ここからグランド・バザールはすぐです。Grand Bazaar, Istanbul(Kapali Carsi)昨日行ったエジプシャン・バザール(スパイスバザール)よりも、はるかに規模が大きく、通りも多くて複雑です。エジプシャンバザールの日記は、こちらオスマントルコ帝国時代の1461年から続く歴史的建造物で、時代と共に増築が繰り返されたためまるで迷路のよう。屋内市場としては中東最大の規模だそうです。とにかく活気にあふれていて見ているだけで楽しいでもここではタイルを買っただけです。値札がないので相場がよくわからないんですよね。14番出口のオリュチュレル門を目指します出口には番号が付いているのでわかりやすいです。さて、ここから本格的なイスタンブール散策の始まりです。今までは大きくて目立つ、有名な観光名所を回ったのでガイドブックが特に必要ではなかったのですが、これからが複雑な町歩きになります。まずはヴァレンス水道橋へ、つづく。
2011年12月21日

地下宮殿から地上にあがると青空が見えました。地下宮殿の日記は、こちらアヤソフィア博物館かつてはビザンチン帝国(ローマ帝国)の総主教座として君臨、いわばギリシャ正教の大本山、そしてビザンツ建築の最高傑作です。ああ、なのにイスラム教のミナーレが立っている。。。今日は月曜で休館、また明日来ることにします。そしてお隣のブルー・モスクの横にあるピッポドロームへHippodrome (At Meydan?)ヒッポドロームとはローマ帝国時代の大競技場跡のことで、かつては広大なU字型競技場があり戦車競技が行われていたそうです。ビザンチン帝国のコンスタンティヌス1世の時代には10万人の観客を収容可能。今のブルー・モスクの位置にビザンチン帝国の大宮殿があり、大宮殿と競馬場の貴賓席は通路で結ばれていたそうです。現在のヒッポドロームは当時の面影はなく3本の柱が建っているだけ。トトメス3世のオベリスクヒエログリフがはっきりと確認できて、オベリスク好きにはたまらない空間です。390年にテオドシウス1世がエジプトのカルナック神殿から略奪して運んできたものだそうです。このトトメス3世のオベリスクの隣に蛇の柱、そしてコンスタンティヌス7世のオベリスクと横一列に3本並んでいます。コンスタンティヌス7世のオベリスクは工事中青銅の蛇の柱は途中からバッキリと折れています。ギリシャのデルフォイのアポロ神殿から持ってきたものだそうです。さて、ここからトラムのスルタン・アフメット駅前にある名物キョフテの元祖「セリム・ウスタ」へ香ばしく焼き上げられたキョフテとレンズ豆のスープ、とっても美味しかったお腹がいっぱいになったところでまたイスタンブール散策です。次はグランドバザールへ、つづく。
2011年12月20日

トプカプ宮殿を後に次は地下宮殿へトプカプ宮殿の日記は、こちらトプカプ宮殿から近いというだけで寄ってみたのですが、ここは思ったよりもずっと面白かったです。入口は小さな建物ですが行列が出来ていたのですぐわかりました。まずチケットを購入、TL10なり。階段を下って地下に降りていきます内部はライトアップされていて神秘的、そして驚くほど広いのです(140m×80m×8m)Yerebatan Sarnici (Basilica Cistern)4世紀から6世紀にかけて作られたビザンチン帝国(ローマ帝国)の遺構で、地下宮殿と呼ばれていますが実際は地下の貯水池です。黒海に近い水源から19キロかけて、この後行くヴァレンス水道橋経由でここに水が運びこまれ、アヤソフィアやトプカプ宮殿などに供給されていたそうです。これは、すごいまるで「オペラ座の怪人」のセットのようではないですか。「オペラ座の怪人」ファンとしてはテンションあがります。イントロのテーマが頭の中で鳴り響きます。The Phantom of the Opera is there inside my mindそういう人が周りにもいるに違いないと思って見渡しましたが、そんなおバカな人はいませんでした宮殿の一番奥にはメデューサの顔が2体横たわっています。それぞれ柱の土台部分にメデューサの顔が使われているのですが、なぜか一つは横向きで、もう一つは上下逆さ。イスタンブールはオスマントルコ帝国の遺跡と、ローマ帝国の遺跡が一度に見られて面白いです。次はピッポドローム(ローマの大競技場跡)へ、つづく。
2011年12月19日

イスタンブール2日目は月曜日でした。イスタンブールの滞在は日曜日から水曜日までの3泊4日、世界的に博物館関係が休館日の月曜日を含みます。月曜日はアヤソフィア博物館と国立考古学博物館が休館日で、火曜日がトプカプ宮殿が休館日、この3カ所は距離的にとても近く本来なら一度で回れるのに2日に分けて回らなければなりませんでした。まず最も混雑すると言われているトプカプ宮殿から回ることに。オスマントルコ帝国の最盛期を約400年にも渡って支えた宮殿です。新市街にあるインターコンチネンタル・ホテルから、フニキュレル(地下ゲーブル)→トラムヴァイと乗り継いで、最寄り駅のギュルハーネ駅で下車。ここから国立考古学博物館の前を城壁沿いに歩くと、トプカプ宮殿のチケット売り場の前に出ました。朝早かったのでチケット売り場はそれほど混んではいません、入場料はTL20なり。外廷の正門「挨拶の門」(バービュッ・セラーム)をくぐります。Topkap? Palace (Topkap? Saray?)挨拶の門の内側は第2庭園になるのですが、その前にセキュリティーチェックがあります。これがおそらく混雑の原因その1だと思われます。ここをまっすぐ行くと皇帝の門ですが、まず左側のハレムへ行くことにしました。ここも大人気で混雑するそうなので先に行ってしまいます。ハレムは別料金でTL15なり。最初に現れるのは黒人宦官の部屋です。ハレムは女性の居住区なので女性と黒人宦官以外はスルタンとこの皇太子のみしか入場が許されなかったそうです。システムとしては中国の後宮や日本の大奥と同じ。渡り廊下でつながっている部屋が次から次へとあらわれ、その廊下や部屋が入り組んでいてまるで迷宮のようです。これはオスマントルコ帝国が中央アジアから移動してきた遊牧の民で、最初はテントを張って暮らしてた歴代スルタンたちが、発要に応じて増改築を繰り返してきた結果だそうです。またこれが混雑の原因その2だと思われます。ブルーのタイルが綺麗ですが豪華というよりはむしろ暗くて地味、昨日見たイェニ・ジャーミィ(新モスク)の方がはるかに立派です。意外に質素だったんだなぁ、と思わざるを得ません。第3庭園のハレムを出たところには謁見の間がありました。なんとなくテントの中っぽいかも。そして宮殿の一番奥の第4庭園あるメジディエ・キョシュキュのオスマン宮廷料理レストランのテラスからの展望です。ボスポラス海峡からマルマラ海までが見渡せます。お天気が曇りで今ひとつなのに海の色が綺麗なのが不思議。バーダット・キョシュキュ(バクダット館)のイフタリエ金の天蓋付きの東屋からは金角湾が見渡せました。バーダット・キョシュキュの内部は美しいイズニックタイルで覆われ、トプカプ宮殿の中でも最も美しい舘と言われているそうです。トプカプ宮殿の見どころは何と言っても宝物館残念ながら撮影禁止ですが86カラットの巨大ダイヤが輝かしい「スプーン職人のダイヤモンド」、柄の部分に世界最大のエメラルドが3つあしらわれた「トプカプの短刀」、数千個のダイヤがちりばめられた「黄金の燭台」などなど。これらの宝石はあまりにも大きくて、本当に本物なのだろうか、と疑ってしまうほど。確かに本物らしいです。オスマントルコ帝国は一度も侵略を受けていないので、膨大な宝物が略奪されることなく残ったのだそうです。トプカプ宮殿の建物はヨーロッパの宮殿に比べるとかなり地味ですが、この宝物館を見るとかつての帝国がどれほど豊であったかわかります。正義の塔こうしてトプカプ宮殿を後にしたのでした。帰りはチケット売り場が長蛇の列で早く来て正解でした。次は地下宮殿へ、つづく。
2011年12月18日

ホテルにチェックインして荷物を置いた後は、まずタクシム広場まで行きますこの日はアテネから着いたばかりでもう夕方ということもあり、明日以降の下見を兼ねてとりあえず旧市街へ行ってみることに。ここでの最初のミッションはアクビルを購入すること。アクビルとはほとんどの公共交通機関に使えるプリペイド式のチケットでチケットを買う手間が省けるほか、割引料金にもなるそうです。週末は売り切れも多いとの情報がありましたが、タクシム広場のバスターミナルのチケット売り場で簡単に手に入りました。デポジット込みで60TLのチャージなり。二人で共有出来るそうなので一つしか購入しませんでしたが、複数利用の場合は割引適用が無いような気がする。。。そしてタクシムからフニキュレル(地下ケーブル)に乗ってカバタシュへ。この間一駅で所要時間は1分。カバタシュからトラムヴァイ(路面電車)に乗り換えて旧市街へ。トラムはガラタ橋を渡って金角湾を渡ります。海の向こうにアヤ・ソフィア、トプカプ宮殿などが見え、イスタンブールに来たことを実感し胸が高まります。新市街からガラタ橋を渡ると最初に目に飛び込んでくるのが、旧市街の入口にたたずむイェニ・ジャーミィです。イェニは新しい、ジャーミィはモスクという意味なので、「新モスク」という意味になるかと。最寄り駅のエミノニュでトラムを下車。Yeni Camii, New Mosque本格的なモスクに入るのは初めてなのでどきどきします。1597年に建造が開始され、1663年に完成した、という銘板がかかげられていました。女性は髪の毛をスカーフなどで覆わなければいけません。また土足厳禁なので必ず靴を脱ぎます。モスクの中はあっと驚くような広さでした。アテネの正教会の教会に何となく似ていると思われた方、それはある意味正解です。アテネの正教会の日記は、こちらオスマントルコがコンスタンチノープルを征服した時、アヤソフィアを初めとする正教会の教会があまりにも立派だったので、破壊せずにそのままモスクに改装し転用しました。その後アヤソフィアを超える巨大モスクを自力で建築しようと頑張ったのです。その際のお手本が教会だったのでおのずから建築様式が似ているのです。礼拝堂の内部は全面装飾タイル貼り、光溢れる壮麗な空間となっていました。ジャーミィの中庭と泉亭イェニ・ジャーミィの裏にはエジプシャン・バザール、別名スパイス・バザールが広がっていました。Spice Bazaarイェニ・ジャーミィを運営するための財団(ワクフ)の一環として建築されたそうです。色鮮やかな数々の香辛料やドライナッツ&フルーツが店先に並び、活気に満ちあふれています。あとお土産やお菓子、食材などを扱うお店も多かったです。しかも何故か日本語ペラペラの店員も多いまだイスタンブールに着いたばかりなので、この活気と香辛料の独特な香りに完全に圧倒されてしまいました。こちらはアテネから着いたばかりということもあり、警戒心丸出しのとても感じの悪い客だったに違いないさて帰りは往路と違うルートにしようと、まずトラムに乗ってガラタ橋で金角湾を渡ってすぐのカラキョイで下車。ここからテュネルというヨーロッパで一番古い地下鉄に乗りました。終点のテュネル駅まで一駅、所要時間はわずか3分。イスタンブールには短い鉄道が多いなぁ。テュネル駅からはノスタルジック・トラムヴァイという、アンティークの路面電車に乗ってタクシム広場へ。トラムが通るイスティクラル通りもたくさんのお店が建ち並び、とても活気があり華やかです。今までアメリカの田舎→アテネと夜は寂しいところばかりだったので、頭がクラクラ、目もチカチカしてきました途中にあるガラタ塔に行きたかったのですが、ものすごく寒いし、雨も降ってきたので諦めました。こうしてイスタンブールでの初日は終わろうとしています。明日からは気持ちを立て直してしっかりと回る予定、つづく。
2011年12月13日

アテネからエーゲ航空でイスタンブールのアタテュルク国際空港に着きましたエーゲ航空の日記は、こちらイスタンブールのホテルは新市街にあるジェイラン・インターコンチネンタル・イスタンブールです。まずアタテュルク空港で必要最低額だけ両替しました。でも結果的に旧市街や新市街の両替商と比べてもレートはたいして変わりなかったです。空港からはハワシュという会社のシャトルバスで新市街のタクシム広場へHAVAS Shuttleシャトルは30分間隔で料金は10TL(約400円)、バスは新型でとても快適でした。ハワシュに乗ること約30分、直通でタクシム広場に到着広場からインターコンチネンタルが見えるので迷うことはありません。トランクをゴロゴロと転がしながら、タクシム公園をぐるっと迂回し約5分でホテルに到着アテネのホテルもインターコンチネンタルでしたが、イスタンブールはもう華やかというか、豪華というかアテネの日記は、こちらエントランスからまばゆいばかり入り口には屈強なガードマンがいて、空港と同じようなセキュリティーチェックがあります。出入りの度に毎回チェックがあってちょっとめんどくさいですが、泊を重ねるごとに顔なじみになってフリーパス状態になっていきした。見上げるばかりのドーム天井、太い柱。まるでモスクか宮殿のようです。螺旋階段の手摺の支柱がクリスタルですこれはドルマバフチェ宮殿のイメージなのかな、と後で気づきました。今回はたまりにたまったPriority Clubのポイント泊で、部屋はクラブフロアでした。部屋からはボスポラス海峡が見えました。海峡の向こう側がアジアサイド、こちら側がヨーロッパサイドです。テーブルの上にあるのはウェルカムフルーツ&お菓子です。部屋にはいるとTVの画面がウェルカムボードになっていて、名前が表示されていました。部屋は金と赤が基調で、アテネのインターコンチネンタルに比べると明るいです。エグゼクティブ・クラブラウンジでの朝食ここからもボスポラス海峡が見えます。朝食のメニューは毎回違っていました。しかもラウンジのウェイターはプロ中のプロでした。お客の飲み物の好みを初回利用の際覚えていて、次回からは黙っていても出てきます、素晴らしい朝食のバターとはちみつホテルにはハマム(蒸し風呂)もありました。イスタンブールで一番綺麗なハマムだそうです。宿泊者は無料で、お隣にはスパもありました。2日目に行ってみましたがじわーっと体が暖まります。難点はハマムが男女兼用なこと。私が行ったときは全員男性だったのでさっさと引き上げましたとにかく何から何まで豪華なホテルでした。さて、まだ時間があるのでちょっと旧市街まで行ってみることに。イスタンブールの旅の始まりです、つづく。
2011年12月12日

いよいよアテネからイスタンブールへの移動です。アテネ国際空港13時40発のエーゲ航空3992便で、イスタンブールへは14時55分着、とても近いです。エーゲ航空はあまり馴染みが無いエアラインですが、スターアライアンスに加盟していて評判も良いようです。 まずホテルのシャトルバスでシンタグマ広場まで行き、そこからリムジンバスでアテネ空港へ行くことにしました。ところがバスに乗ったものの途中の道路が封鎖されていて、これ以上先に行けないから降りろですと一瞬「大規模ストライキか」とドキッとしましたが、そうだ、今日は日曜日11時から国会議事堂前の無名戦士の碑で、大がかりな衛兵交代式を行うため道路を封鎖するのだそうです。でもここで相手の言いなりになって降りてはいけないのです。「荷物もあるので最寄りのメトロの駅まで行って」と強く主張。結局メトロのアクロポリ駅近くで下ろしてもらい、アテネ空港まではそのままメトロに乗って行くことにしました。またこの空港行きのメトロが死ぬほど時間がかかったなぜ各駅ごとの停車時間がこんなに長いのか。時間に余裕を持っていたからよかったものの、そうでなかったらかなり焦ったと思う。空港に着いたらタックスリファンド(免税手続き)のため税関へ税関はパスポートコントロールの直前にありました。店舗で作成してもらった書類と購入品を持って並ぶのですが、周りの大半の人(外人)は購入品を持っていないのです。どうなることかと見守っていたら、税関のお姉さんは「今度来るときはちゃんと持ってきてね」と言いながら、バンバンとスタンプを押していました。いいかげんな国は良いこともあるものだこれがドイツ語圏だったら間違いなく受理されないであろう。そして出国審査のすぐ後に、払い戻し手続きのためのカウンターがありました。グローバルブルー社のカウンター還付金の受け取り方法ですが私はクレジット決済にしました。クレジットカードをその場で読み取るので絶対に間違いなし。もう翌月に還付金が振り込まれていました(処理上マイナス請求になります)。やるなぁ、アテネ。セキュリティエリア内には免税店が並んでいて、あのコレス・ナチュラル・プロダクトのお店もありました。ここで少し買い足しましたが化粧品なので液体物です。ただ今回は乗り継ぎがないので袋にシールドをしてもらい大丈夫でした。ちなみにアテネ空港の液体物を含む手荷物検査は、搭乗の直前にあります。お買い物の後はラウンジへ行ってみるとオリンピック航空のラウンジでした。Olympic Airあまりお腹が空いていなかったのでケーキとコーヒーのみその後ランチの時間になると軽食が並べられました。飛行機へはバスでの移動でした。Aegean Airlinesエーゲ航空の現地での発音ですが、当然の事ながらエイジアンになります。エーゲ航空のCAはビックリするほど綺麗な方が多かったです。この方は機内安全説明のために黄色いベストを着用していますが、私はこれほどまでに美しいCAを見たことがありません。エーゲ海を思わせるサファイアブルーの瞳、ギシシャ彫刻のような美しい顔立ち。まさに、Wind is blowing from the Aegeanううっ、古いなぁ。。。飛行機は定刻に離陸さようならアテネ、まさに波瀾万丈の3泊4日でした。そして機内食はとても美味しかったでも今まで気が張っていて、その緊張が一気に解けたせいか、途中でうとうとしてしまい半分しか食べられなかった食後に配られたチョコレートはレオニダスだったようです。イスタンブールのホテルでしっかり食べました。そうこうしているうちに着陸態勢となり、マルマラ海のかなたにイスタンブールが見えてきました。もう少しエーゲ航空を楽しみたかったかも。そしてあわただしく飛行機を降りたためここで大失敗を一度も開くこともなく座席のポケットにつっこんだままのこちら、最新版の「地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地」を、完全に忘れて機内に置いてきてしまいました。じつはイスタンブールの街並みはものすごく複雑で、これが無いために後々ものすごく苦労する羽目になったのでしたこうしてイスタンブールの旅がはじまります、つづく。
2011年12月11日

いよいよアテネ最終日、午後からイスタンブールに移動です。午前中は時間もあり、また日曜日ということで、正教会の聖体礼儀(カトリックのミサにあたる)に行くことに。インターコンチネンタルのコンシェルジュに聞いて、ホテルから一番近い教会を教えてもらいました。休日で静かな住宅街を歩くこと約5分、Lagoumitzi通り沿いに近代的な教会が見えてきました。アテネでは多くの教会に入ってきましたがやはり主日の教会は特別で、祈祷者もたくさんいてまさに生きた祈りの場となっていました。シャンデリアなどのすべての灯りが照らされ、イコノスタスやイコンの前にたくさんのろうそくが灯され、まばゆいばかりに輝いていました。ドーム天井のハリストス像そして堂内に朗々と流れる聖歌の響きに引きこまれます。聖歌はモノフォニー(単声)で無伴奏、テキストはギリシャ語でした。西方教会のローマン・カトリックのグレゴリオ聖歌に近い、と言うとわかりやすいかもしれません。もちろん東方教会の正教会の方が歴史が古いのです。この教会で歌われていた聖歌はニコライ堂などの日本正教会や、ロシア正教会の和声付けされた聖歌とは全く違う、まさにビザンチン聖歌(ビザンツ聖歌)でした。生まれて初めて聞くビザンチン聖歌。西洋音楽の調性の範疇に入らない独特の神秘的な響きでした。また教会内には椅子が置かれているのですが、終始起立したままでお祈りする日本正教会と違って、大事なお祈り以外は座ったままで良いようです。ロシアから伝導された日本正教会は、ロシア正教会寄りなのだとはっきりと認識しました。参拝者は時間がたつに連れどんどん増えて活気があります。長く厳しいトルコ支配下でも失われることなく守り抜いたビザンチン式の奉神礼を見ることが出来て、言葉では言い表されない深い感銘を受けました。私にとっては貴重な体験でした。こうしてアテネの旅は終わりに近づいてきます。さて旅はいよいよ現在はトルコのイスタンブール、その昔はビザンチン帝国の首都・コンスタンチノープルへ、つづく。
2011年12月10日

ダフニ修道院からアテネ市街へバスで戻ることにしました。ダフニ修道院に入れなかった日記は、こちら修道院前のバス停 MONI DAFNIOYバスを待っていたのですがなかなか来なかったので、最初に来た845番のバスに乗ってしまいました。アテネまでは東へほぼまっすぐの道なのですが、バスは途中で右折してしまいそのまま一向に曲がる気配がないこのままではどこへ行くかわからないのであわてて下車降りたところは「T.E.I. PEIRAIA」というバス停でした。道路の反対側へ行きバス待ちしている人に、とりあえずメトロの駅へ行くバスがあるか聞いたところ、親切に教えてくれました。教えてもらったバスでしばらく行くと、メトロのライン3の終点エガレオ駅(EGALEO)に無事到着。ちなみにバス停の名前は「ESTAYROMENOS」でした。あとから調べたところによると、845番バスはピレウス港まで行くらしい。ピレウスは紀元前490年に建築されたアテネを守る軍港で、そうと判っていればバスの終点まで行ってもよかったかもしれない。でもギリシャ語が読めなかったし、バスの行き先はどう見てもピレウスでは無かったし。。。さて、エガレオ駅の前にも正教会の教会がありました。中は立派なビザンチン様式の教会でした。ここからメトロへ乗ってモナスティラキ駅へお腹が空いたのでタベルナが立ち並ぶ通りを歩きます。このあたりはアクロポリス帰りのたくさんの観光客が通るので、俗に「ツーリスト・トラップ」といわれる呼び込みの激戦区です。でも今日はアクロポリスも48時間ストライキでクローズ見上げると無人のパルテノン神殿がむなしくそびえてます。Dia Taytaというタベルナのウェイターさんが感じが良かったので、入ってみることにしました。Dia Tayta典型的なギリシャ料理だそうです。すべてのお料理にチーズが入っています。グリーク・サラダはチーズと野菜をかき混ぜてしまった後です。Dia Taytaは昨日行ったタナシスより美味しかったここからまたメトロ・ライン3に乗って、2つ目のエヴァンゲリスモ駅(Evangelismos)へ国立美術館やビザンチン・クリスチャン博物館の最寄り駅ですが、ここも48時間ストライキ中なので閉館です民間の博物館はスト中でも関係ないのでベナキ博物館へ行ってみました。故ベナキ氏のコレクションで彫刻や絵画、イコンなどが所蔵されています。 Benaki Museumここのミュージアム・カフェが落ち着いていて良かったです。テラス席から国会議事堂からアクロポリスまで見渡せました。ここでゆっくりとくつろいでからシンタグマ広場へ広場のど真ん中にはアフリカ系の黒人が偽ブランド品を並べたお店がたくさんありました。国会議事堂の方に眼をやるとたくさん人が集まっていました。時計を見るとちょうど5時だったので急いで無名戦士の墓へちょうどの時間に衛兵の交代式があるのです。最後の方を見ることが出来ました。衛兵が交代し終わったら写真撮影の許可がでますので、観光客が一斉に衛兵の元へ駆け記念写真を撮ることが出来ます。大規模ストライキがなければこんなに平和なんですね。こうしてアテネの2日目はシンタグマ広場で終わりです。ここからトラムに乗ってホテルへ。インターコンチネンタル・アテナウムああ、やっぱり落ち着くなぁ。インターコンチネンタルの詳しい日記は、こちら明日はイスタンブールへ移動なのでパッキングです。香水や化粧品などのたくさんの液体物を免税手続きしたものの、どうやって空港の税関まで持って行くのか? つづく。
2011年12月05日

ケラミコス遺跡を高台から眺めた後、ダフニ修道院へのバスに乗るためエレフテリアス広場へケラミコス遺跡にストで入れなかった日記は、こちらダフニ修道院は世界遺産に登録されているビザンチン様式の教会ですが、ここもアテネの遺産にもれなく長期改装中で、わざわざ行ったのに入れないことも多々あるそうです。なのでホテルでの朝食後クラブラウンジのスタッフに確認したところ、すぐに調べてくれて「毎日空いているようだから大丈夫」とのこと。ギリシャで物を尋ねる時は3人に聞けという掟があります。それだけいいかげんな人が多いということらしいです。でもクラブフロアのマネージャーが言うのだから間違いないだろう、ということで行ってみることにしました。ああ、何故ここで3人に確認しなかったのか、悔やまれます。。。さて、エレフテリアス広場に着きました。驚くことにこの広場は中華街と化していました。この後ウィーンにも行っているのですが、ウィーンの街角も中華街化が着々とすすんでいました。周囲の景観をまったく無視したド派手な看板の嵐にしばし呆然とたたずむ。アテネの中国系の店のほとんどは偽ブランドショップで、なるほど偽物売りの黒人さんはここで仕入れるのね、と納得。偽物売りの日記は、こちらダフニ修道院行きのバスに関しては渡航前に綿密に調べおきました。A16、B16とΓ16(ガンマと読みます)が該当バスです。バス停にいたのはΓ16で念のため切符売りのおじさんに「ダフニ修道院へ行きますか?」ときいたら英語がよくわからないらしく携帯で運転手に連絡を取ってくれました。しばらくしてごく普通の私服姿の男性がやってきて「一緒にダフニへ」と言ってくれたその人が運転手さんでした。事前調査のA16とルートが若干違っていてあせっていたら、「さぁ、ダフニに着いたよ」と教えてくれたので助かった教えてくれなかったらわからなかったと思う、この間30分弱で意外に近かったです。降りたところはダフニ修道院の一つ前の停留所でしたが、何とかききながらも入口に到着Monastery of Dafniしかし扉はしっかりと施錠されています。開けようと扉をガシガシと鳴らしていたら、奥の建物の窓が開いて1人の女性が顔を出して言うには、今日は休館日、開いているのは火曜日と金曜日よですと今日は土曜日。こうして無情にも窓は閉められたのでしたううっ、インターコンチネンタルめ、毎日開いていると言っていたのにクローズじゃないかでも3人に確認しなかった自分も悪い明日はイスタンブールへ移動なので諦められず、また扉をガシガシと鳴らすと先ほどの女性が呆れてやって来ました。インターコンチネンタルからもらったペーパーを見せながら、「ほらここに毎日オープンしていると書いてあるし」と交渉するも、オープンしているのは2日だけとの一点張り。どうやらこの女性は工事関係者のようでした。仕方がないので「修道院の全景が見える場所を教えて」ということで教えてもらった場所から撮った写真です。ああ、ダフニ修道院。あの建物中に世界遺産のビザンチン様式のフレスコ画やモザイクが。。。こういう場合必ずリベンジを誓う私ですが、アテネに行くことはもう無いと思う。あまりにも社会情勢が悪すぎる。しかも良くなる見込みは残念ながら当分無いであろう。こうしてとぼとぼと元来た道を戻るのでした。それにしても帰りのバスがなかなか来ないダフニ修道院前のバス停 MONI DAFNIOY昨日までストだった影響なのか、20分待ってようやく来たバスにとりあえず乗ってみた行き先は該当番号ではない845番バス、つづく。
2011年12月04日
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