JEWEL

JEWEL

紅の月





本作品は「地獄先生ぬ~べ~」のパラレル小説です。若干設定を変えていますので、パラレル小説が嫌いな方はお読みにならないでください。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

―お父さん、お母さんは何処へ行ったの?
―有匡、よくお聞き。お母さんはわたし達と暮らすのに疲れてしまったんだ。
―お母さんは何処?お母さんに会いたい!

(また、か・・)

小鳥のさえずりが窓の外から聞こえ、それを目覚まし時計代わりにベッドから起き上がった土御門有匡は、鬱陶しげに前髪を掻き上げながら寝室から出て浴室に向かった。
最近よく、幼少期の頃の事を夢に見る。
母が突然失踪し、父子家庭となった日の夢。
父は最期まで母が何故自分達の前から失踪した理由を自分には話してくれなかったが、自分の所為で母は家を出たのだと有匡は確信していた。

なぜなら、自分は得体のしれない化け物だから。

物心ついたころから、有匡は妖怪や幽霊といったものを見ることができた。
何故自分にだけそんなものが見えるのかがわからずに有匡は怯えていたが、父は自分が白狐の血をひいた陰陽師の末裔であることを教えられた。

『お前には、特別な血が流れているんだよ。その血は、お前が誇るべきものなんだ。』

だが、その“特別な血”を誇らしいものであると思ったことを有匡は一度もなかった。
人間は、自分達とは違う“異質な存在”に敏感であり、それを自分達の社会から排斥しようとする。
その“異質な存在”こそが、霊能力者である有匡だった。

“化け物”
“お前なんて死んでしまえ!”
“お前なんか、産まれてこなければよかったんだ!”

小学校に上がった頃から、有匡は同級生たちからありとあらゆる罵詈雑言を毎日浴びせられ、暴行を受けた。
自分が霊能力者だということだけで、何故こんなにも迫害されなければならないのか。

(どうして僕はフツウじゃないの?こんな能力、要らない!)

いつしか有匡は、自分に流れる“特別な血”を憎むようになってしまった。

シャワーを浴びた有匡がドライヤーで髪を乾かしていると、ドアを誰かがノックしている音が聞こえた。
こんな朝早くに誰だろうと思いながら彼が玄関に向かってドアスコープから外を覗き込むと、そこには金髪紅眼の少女が立っていた。
「お前、わたしに何か用か?」
「お久しぶりです、先生!」
有匡がドアを開けるなり、少女はそう叫ぶと彼に抱きついた。
「漸く会えましたね、先生!」
「貴様、一体何者だ?」
「僕のことをお忘れですか?僕は、あの時あなたに助けられた雪女の火月です!」
「雪女・・だと?」
「・・それで、お前は一体何者なんだ?」
「先生、もしかしてあの時の事を覚えていらっしゃらないのですか?」
「あの時の事?」
突然自宅に押しかけて来た雪女の火月は、リビングのソファに座っているが、膝丈の着物で足が丸見えで、おまけに胸が少しはだけていて目のやり場に困った。
「お前の話は聞いてやるが、その前にそのあられもない服よりまともな物に着替えてからにしろ。」
「ええ、僕の恰好、変ですか?これは、雪女として普通の恰好なのですが・・」
「ここは人間が住む街だ。胸も足も丸見えの服を着て歩いていたら、おかしな人間に何をされるのかわからんぞ?」
「わかりました・・これで、いいですか?」
火月はそう言ってソファから立ち上がると、くるりと一回転した。
一瞬のうちに、彼女はあの刺激的な着物から翠の着物に紅袴という大正時代の女学生姿に変身していた。
「まぁ、さっきの恰好よりはいいな。じゃぁ、お前の話を改めて聞こうか。」
「僕と先生が初めて会ったのは9年前、僕は山で吹雪に遭って、猟師に撃ち殺されそうになったところを、先生に助けて貰ったんです。」
「9年前・・」
その時は確か大学時代のサークル仲間から誘われて、スキー旅行に行ったことを有匡は思い出した。
その日、有匡は友人達が居るホテルへと戻ろうとしたのだが、激しい吹雪に遭って近くのロッジに避難しようとしたとき、遠くで銃声が聞こえたのだった。
何だろうと思って銃声が聞こえた方へと向かうと、そこでは一人の少女が猟師に撃ち殺されようとしていた。
「そうか、お前があの時の子供か。」
「思い出してくださって嬉しいです、先生。」
「それで?お前は何をしにここに来たんだ?」
「決まっているじゃありませんか、僕は先生のお嫁さんになる為に来たんです!」
「済まないが、わたしは妖と所帯を持つつもりはない。」
有匡の言葉を聞いた火月は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「わたしは人間、お前は妖・・種族が違う者同士が夫婦になることなどあり得ん。さっさとわたしのことを諦めて山に帰るがいい。」
「それは出来ません。僕は山の神に黙ってあなたの元へ来てしまったのです。もう山に戻ることは出来ません。ですから、僕をここに置いて頂けませんか?」
「それは駄目だ。住む家は見つかったのか?」
「いいえ。」
「仕方ないな、住む家が見つかるまでここに置いておいてやる。」
「本当ですか、有難うございます!」
火月はそう言うと感激のあまり有匡に抱きついた。
「退け、遅刻する。」
「何処へ行かれるのですか?」
「仕事だ。暇な妖と違って、人間は毎日休みなく働いているんだ。わたしの留守中に変な事をしたら、即ここから叩きだしてやるから、そのつもりでいろ。」
「はい、わかりました!」
はしゃぐ火月をマンションの部屋に残し、有匡は職場へと向かった。
「土御門先生だわ!」
「いつ見ても素敵ねぇ~」
中学校の正門から学校の中に有匡が入ると、登校していた女子生徒たちが一斉に黄色い悲鳴を上げた。
「土御門先生、おはようございます。」
「これ朝早くに作ったんです、食べてください!」
「わたしのも!」
校門で女子生徒たちにもみくちゃにされた有匡は職員室に入るなり、溜息を吐きながら自分の机の上に菓子が入った袋を置いた。
「おはようございます、土御門先生。」
「おはようございます、山田先生。」
「さっき校門で女子生徒たちからお菓子を貰っていましたね?」
「ええ。わたしは甘い物は余り好きではないので、宜しかったらおひとつ差し上げましょうか?」
「あら、いいんですか?」
職員室で有匡が同僚の山田早苗とそんな話をしていると、一人の男が派手な音を立てながら職員室に入って来た。
「あ~、寒い!」
「いちいち煩いやつだな。」
有匡がそう言って男を睨むと、男は鬱陶しげに前髪を掻き上げながら有匡の隣に座った。
彼の名前は紅牙琥龍、有匡と同じ中学校で体育の教師をしている。
金色の髪に紅い瞳という、日本人離れした容貌を持っているこの男は、余りモテないことや金がないことを嘆いてばかりいる。
「こんな日は鍋でも食いてぇなぁ・・」
「そんな金がどこにあるんだ?」
「お前が奢ってくれたら食えるんだけどなぁ・・」
琥龍はそう言うと、チラリと有匡を見たが、彼は無視を決め込んだ。
「おい、もうそろそろ授業始まるぞ。」
有匡は机に突っ伏している琥龍の肩を叩いたが、彼は大きないびきをかいて眠っていた。
有匡はそれを放っておいて職員室から出て行った。
彼が担任を受け持っている2年4組の教室に入ると、スマートフォンや携帯ゲーム機を片手に友人達と談笑している生徒達は有匡の顔を見るなり慌てて自分の席へと向かった。
「出欠取るぞ。」
有匡がそう言って教壇に立ち、出席簿を開いていると、後ろの席に座っている女子生徒達が何かを話していた。
「おい、どうした?」
「何でもありません。」
有匡が彼女達の席に向かうと、一人の女子生徒が机の上に置いていたスマートフォンを取り上げた。
その画面には、この学校の裏サイトが表示されていた。
「授業中に時々スマートフォンで何をしているのかと思えば・・そういうことか。」
「違うんです、先生!わたしは・・」
「後で生活指導室に来い、いいな。」
女子生徒のスマートフォンを没収した有匡は、そのまま朝のHRを始めた。
「あら、それ生徒のですか?」
「ええ。HRの前に裏サイトに何か書き込んでいたので、没収しました。」
「今は小学生でもスマートフォンを持っていますからね。わたしのクラスでも、生徒のほとんどがスマートフォンを持っていて、授業中にラインをしていたりして注意しても、無視されてばかりで・・」
「今やインターネットは生活の必需品ですからね。便利な世の中になった反面、子供が犯罪に巻き込まれる可能性も高くなったということです。プラスの面があれば、マイナスの面がありますね。」
「そうですよね。そういったものって、わたし達教師や保護者の方々の目が届かないところで起きているから、対処のしようがないですよね。」
「ええ、まったくです。」
有匡はそう言って溜息を吐くと、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
そこには先ほど映っていた裏サイトの画面ではなく、一枚の写真が映っていた。
スマートフォンの画面に映っていたものは、首吊り死体の写真だった。
「どうかなさったのですか、土御門先生?」
「いえ、何でもありません。」
(気のせいか?)
有匡がそう思いながらスマートフォンの画面を覗き込むと、首吊り死体の写真は既に消えていた。
(一体あれは何だったんだ・・)
「先生、次は何処を読めばいいですか?」
「もういい、座れ。」
スマートフォンの画面に一瞬映っていた首吊り死体の写真の事ばかり考えていた有匡は我に返ると、黒板の前に立った。
「今からこの問題を誰か訳してくれ。」
「先生、わたしがやります!」
「いいえ、わたしが!」
「狡いわよ、二人とも!」
「三人で訳してくれ。」
有匡がふと窓の方を見ると、校庭では体育の授業が行われていた。
「シュート!」
「琥龍先生、すげぇ!」
「こんなもの、俺にとっちゃぁ朝飯前だぜ!」
琥龍がそんなことを言いながら生徒達と話していると、彼は強烈な霊気を感じた。
(何だ、今のは?)
「先生、どうしたんだよ?」
「何でもねぇよ。それじゃぁ、二組にグループになって試合するぞ!」
「そうこなくっちゃ!」
琥龍が再び霊気を感じた草むらを見ると、そこには何もなかった。
(気のせいか・・)
昼休み、琥龍がコンビニのおにぎりを食べていると、突然凄まじい霊気を校庭から感じた。
彼が校庭に向かうと、サッカー場の近くにある木に何かが垂れ下がっているのが見えた。
「どうした、何があった?」
「あそこに、何か垂れ下がっている。」
「そうか・・」
有匡と琥龍がゆっくりとその木に近づくと、そこには一人の少女の遺体がぶら下がっていた。
「これは・・」
(あの時のスマートフォンの画面に映っていた写真の生徒だ。)
「この子を知っているのか?」
「ああ。朝に生徒から没収したスマートフォンの画面に一瞬この子の死体が映っていた。琥龍、お前も感じたのか?」
「さっき体育の時間で、生徒達とサッカーをしていた時に感じた。この凄まじい霊気・・この子はこの世の者じゃねぇな。」
「そうだな。」
二人がそう言って少女の遺体を睨むと、突然晴れていた空が曇ってきた。
有匡は突然胸が苦しくなって胸を押さえた。
「どうした?」
「何でもない。」
禍々しい霊気が、学校中を包み込んだ。
『殺してやる、わたしを死においやった者すべて、呪い殺してやる!』
絶命した筈の少女の目が開き、彼女は地の底から響くような声で呪詛の言葉を吐いた。
「あいつは一体何者なんだ?」
「あの子は、この学校で虐められて自殺した生徒が怨霊となったものだ。」
有匡はそう言うと、祭文を唱えた。
「一体何をするつもりだ?」
「怨霊は調伏するしかない。このままあいつを放っておくと、他の生徒達に害を及ぼすことがある。その前に・・」
「調伏って・・あいつを殺すってことか?」
「もう死んでいるのだから、殺すも何もないだろう?」
有匡が少し呆れたような顔をしながら琥龍を見ると、彼は数珠と経文を取り出した。
「何をするつもりだ、貴様?」
「あいつを成仏させる。」
琥龍はそう言うと、間髪入れずに経文を少女の怨霊めがけて投げつけた。
経文は怨霊の身体を縛りつけて動きを封じた。
『憎い・・恨めしい・・』
少女の怨霊は、呪詛の言葉を吐きながら涙を流していた。
「苦しかっただろう・・誰も味方が居なくて、理由もなく虐められて・・」
琥龍は少女の怨霊に向かって話しかけた。
『どうして、わたしだけがこんな目に・・』
「お前は、自分を虐めた奴らが憎くて、ここに留まっていたんだな?でももう、そいつらを憎むのは止めろ。このままだと、お前の魂は一生救われない。」
『黙れ、お前に何がわかる!』
少女の怨霊がそう吼えると、彼女の身体を縛めていた経文が引き裂かれた。
『わたしの邪魔をするものは許さん!』
少女の怨霊が放った念の塊が琥龍に襲い掛かった。
「ぐう・・」
咄嗟に結界を張った琥龍だったが、念の塊の勢いは衰えるどころか、ますます大きくなっていった。
(このままだと、やられる・・)
琥龍は、そっと黒手袋で包まれた左手を右手で押さえた。
この力だけは、使いたくなかったが、仕方がない。
「宇宙天地(うちゅうてんち) 與我力量(よがりきりょう) 降伏群魔(こうふくぐんま) 迎来曙光(こうらいしょこう)・・我が左手に封じられし鬼よ、今こそその力を示せ!」
突然琥龍の左手がまばゆい光を放ったかと思うと、手袋の中から鬼の手が現れた。
『おのれ、小癪な!』
「鬼の手よ、少女の魂を救い給え!」
琥龍が鬼の手を少女の前に翳すと、彼女の顔から禍々しい霊気が消えた。
それと同時に、学校中を包んでいた禍々しい霊気も消えてゆく。
(こいつは一体、何者なんだ?)
柔らかな光が少女の周りを包み込むのと同時に、彼女の顔が徐々に険しい表情から穏やかなものへと変わってゆく。
「もう、成仏しろ。そしてまた人間に生まれ変わって、楽しい人生を送れ。」
琥龍はそう言うと、少女の頭を鬼の手で撫でた。
『有難う、さようなら。』
少女は琥龍に笑顔を浮かべると、淡い光を放ちながら天へと昇っていった。
「お前、一体何者だ?」
「俺は、ただの教師さ。まぁ、ちょいと特別な力がある教師だがな。あんたと同じで。」
「その左手はどうしたんだ?」
「昔、ちょっとあってな・・そのことは、後で話してもいいか?」
「ああ、構わない。それよりも今は、生徒達が混乱しないよう上手く口裏を合わせた方がいいな。」
有匡は窓から身を乗り出して校庭の様子を見ている生徒達の姿を見ながら言った。
「ねぇ、さっきの何だったの?」
「知らない。」
「後で琥龍先生に聞いてみよう!」
有匡と琥龍が職員室に戻ると、早苗が二人の方に駆け寄って来た。
「紅牙先生、さっきは一体何が起きたんですか?」
「それは・・ちょっとしたアクシデントですよ。」
「まるでCGを見ているようでした。」
「はは、そうですか・・」
琥龍はそう言って早苗に愛想笑いを浮かべながら、頭を掻いた。
「先生、さようなら。」
「さようなら~。」
「お前ら、寄り道せずにまっすぐに家に帰るんだぞ!」
放課後、琥龍が教室で帰り支度をしている生徒一人一人に声を掛けると、有匡が教室に入って来た。
「今、いいか?」
「ああ。今から俺も帰るところだからな。」
「そうか。それで、お前の左手・・あれは一体どういうことなんだ?」
「昔俺が赴任していた中学校で、生徒に取り憑いた鬼を祓う為に、その鬼を左手に封じたんだ。」
「あの少女の怨霊の存在にお前も気づいたのは、お前も霊力があるからか?」
「まぁな。ガキの頃から幽霊やら妖怪が見えた。その所為で結構虐められたぜ。」
「わたしと似ているな・・」
「幸い俺には理解者が居たから、あの子みたいに怨霊にはなりはしなかった。あんたは確か、あの有名な陰陽師の子孫なんだろう?」
「ああ。」
有匡の眉間に皺が寄ったことに気づいた琥龍は、慌てて教壇から降りた。
「さてと、俺達も帰るとするか?」
「ああ。」
学校から出た有匡が琥龍を連れて自宅のマンションの部屋に入ると、そこは南極のように寒かった。
「先生、お帰りなさい!」
白い靄の中で有匡に向かって手を振っているのは、あの刺激的な着物の上にエプロンを掛けた、火月だった。
「お前、これは何だ?」
「先生の為に料理を作ろうと思って・・」
「おい、この子お前の彼女か?」
「違う、そんなもんじゃない。」
「そうですよ、僕は先生の彼女じゃありません、婚約者です!」
「え、そうなの?」
「だから、違うと言っているだろう。」
有匡はそう言うと、火月と琥龍を睨んだ。
「火月、お前はまだわたしのことを諦めていないのか?」
「ええ。あ、ご飯作ったんですよ、食べますか?」
「ああ・・」
火月は冷蔵庫の中から、氷漬けの鍋を取り出してきた。
「これは、何だ?」
「少し寒くなって来たでしょう?僕お鍋作ってみたんです。」
「気持ちはありがたいが・・これでは食べられんな。」
「そうですか。」
「まぁ、そんなに落ち込むなって!なぁ、今夜飯、奢ってくれねぇか?」
「何故わたしが貴様などに・・」
「まぁまぁ、知り合った誼(よしみ)でさ。それに、あんたとは色々とお互いの事について話をしてみたいしね。」
「ふん・・」
有匡は火月と琥龍を連れ、近くのとんかつ屋へと向かった。
彼は余り脂っこい料理は極力避け、無農薬野菜や食品添加物が入っていない食品を選んで食べている。
外食は、専ら麺類や少々値が張るオーガニック食材を使ったレストランに行くだけだった。
なので、彼はとんかつを美味そうに頬張る琥龍と火月を見て驚きの表情を隠せなかった。
「お前達、よくそんな脂っこいものを美味そうに食べられるな?」
「そりゃぁ、滅多に食えないものだからなぁ。俺はいつもカップラーメンばっかり食ってて、外食なんか一度もしたことねぇからなぁ・・」
「そうか。」
「先生、美味しいですねこのとんかつ!これなら毎日食べに行きたいくらいです。」
「お前、雪女の癖にとんかつは食べられるのか?」
「はい。それよりも先生、僕仕事が決まったんです。」
「そうか。」
「駅前のスケートリンクで、子供達にスケートを教えることになりました。」
「それは良かったな。」
雪女にスケートリンクは最適だろうな―有匡はそう思いながら、茶を一口飲んだ。
「あの、あなた誰ですか?」
「ああ、俺は紅牙琥龍。それにしても火月ちゃん、だっけ?土御門先生の何処に惹かれた訳?」
「それは、いっぱいありすぎてわかりません!」
「いいねぇ~、愛する男を純粋に想う雪女!」
「お前、もう帰れ。」
有匡が少し苛立ったような顔をして琥龍を睨むと、彼は二杯目のビールを美味そうに飲んだ。
「言っておくが、わたしは人間で、お前は雪女。妖怪と人間との恋は結ばれることはない。早くわたしを諦めて、山に帰ることだな。」
「そんな・・」
有匡の言葉を聞いた火月の目から、大粒の涙が流れた。
「おいおい、女の子を泣かせるなよ!」
「うるさい、わたしは本当の事を言っているだけだ。」
「ったく、女心がわからねぇ野郎だなぁ。そんなのでよくモテるもんだよ。」
「酷い先生、僕というものがありながら浮気なんてぇ~!」
「おい落ち着け、火月!お前が変な事を言うから火月が混乱しているだろうが!」
「だって本当のことだろうが!」
とんかつ屋から出た火月は、涙を流しながら有匡を睨んでいた。
「酷いです先生、僕という婚約者が居ながら浮気だなんて・・」
「だから、違うと言っているだろうが!」
「あ~あ、こんなに可愛い子を泣かせるなんていけないんだ。」
「お前の所為だろうが!」
有匡が琥龍と店の前で口論していると、向こうの路地から強烈な妖気を感じた。
「なぁ、今の感じたか?」
「ああ。行ってみようぜ。」
「火月、お前はここに居ろ。」
「待ってください、先生!」
二人が妖気を感じた路地へと向かうと、そこには一匹の野良猫がゴミ箱の中の残飯を漁っていた。
「何だ、気のせいか。」
「そのようだな。」
「帰ろうぜ。」
「ああ。」
二人が路地を後にしようとしたとき、何かが電柱の陰で動く気配がした。
「なぁ、さっきの・・」
有匡は祭文を唱え、素早く結界を張った。
「一体なんだ?」
「わからん。だがこの妖気、ただものではないぞ!」
琥龍と有匡の周囲に、狐火のようなものが突然現れた。
やがてそれは狐となり、二人に襲い掛かって来た。
「何だ、こいつら!?」
「妖狐の端くれだな。」
「ったく、こいつら俺らに一体何の恨みがあるっていうんだ!?」
琥龍は経文を唱え、鬼の手で狐達を一匹ずつあしらっていたが、その数は減るどころか増えるばかりで、きりがなかった。
「くそ、一体どうすれば・・」
「わたしに考えがある。」
有匡は、そう言うと自分達を攻撃している狐達に向かって声を張り上げた。
「お前達、一体何が目的なのだ?何故わたし達を狙う?」
すると、狐達は突然攻撃を止め、人間へと姿を変えた。
「あなたが、土御門有匡様ですか?」
「ああ、そうだが・・」
「先ほど、あなたの事を試してしまうような行為をしてしまい、申し訳ありませんでした。」
一匹の狐―黒髪の少年はそう言うと、有匡と琥龍の前に跪いた。
「漸く、あなた様のことを探しました、有匡様。」
「お前達は、妖狐なのか?」
「はい、わたくしは百合丸と申します。」
「お前達はわたし達に何の用だ?」
「九尾の狐様が、あなた様の事をお呼びです。」
「九尾の狐が、わたしに何の用だ?」
「先生、大丈夫ですか?」
有匡の様子が心配になってやってきた火月が路地に向かうと、そこには狐達と有匡と琥龍が何かを話しているようだった。
「この狐達は、一体・・」
「安心しろ火月、こいつらは味方だ。」
「有匡様、その雪女は・・」
「ああ、こいつは昔の知り合いだ。」
有匡はそう言うと、百合丸を見た。
「有匡様、どうかわたし達とともに那須へ来てください。」
「すいません、急に休みを取ることになってしまって・・」
「いいえ、色々と事情がおありなんでしょう。」
翌日、有匡は校長に休暇届を出すと、そのまま学校を出た。
「先生、僕も行きます!」
「お前はついて来なくていい。九尾の狐様は、わたしだけに会いたいと・・」
「それでも、心配なのでついていきます!」
「人の話を聞け。」
有匡はそう言って火月を睨んだが、彼女は有匡の言葉を聞いていない。
「九尾の狐様って、偉いのですか?」
「まぁな。中国の古書では、幸福を齎(もたら)す象徴とされてはいるが、人に害悪を及ぼす妖怪だともいわれている。どちらにせよ、神に近い存在であることは確かだ。」
「どうして、そんな偉い方が先生をお呼びなのでしょうか?」
「わたしに妖狐の血が流れているからだろうな。まぁ、わたしよりもわたしと同じ名の先祖の方がその血が濃かったようだが。」
「それって、あの有名な陰陽師の方のことですか?」
「お前も知っているのか?」
「ええ。昔一度会ったことがありました。」
火月はそう言うと、有匡の先祖である陰陽師・土御門有匡に会った時のことを話した。
「あの方と会ったのは、僕が怪我をして浜辺で動けなくなったところを助けてくれた時でした。あの方は、不愛想でしたが、僕に優しくしてくれました。」
「そうか。」
「あの方の奥様も僕と瓜二つの顔をしていて・・とても優しかったです。」
火月の話を聞きながら、有匡は自分と同じ名を持つ先祖のことを想った。
「火月、わたしについていくというのなら早く支度を済ませろ。」
「はい!」
二人が荷造りを終えてマンションの部屋から出ようとしたとき、エントランスのチャイムが鳴った。
「よぉ。」
「貴様、何故ここにいる?まだ授業中の筈だぞ?」
「俺も休みをさっき取ってきたところなんだ。俺も那須についていくぜ。」
「貴様は呼んでいない、さっさと帰れ。」
「冷たいこと言うなよ。一緒に怨霊と戦った仲じゃねぇか。」
「わたしは貴様と戦った記憶などない。」
「まぁまぁ二人とも、落ち着いて。」
こうして有匡、火月、そして琥龍は、九尾の狐に会いに行く為、那須へと向かった。
「有匡様、ようこそいらっしゃいました。」
那須に到着した三人を駅で迎えた百合丸は、人間の姿に化けていた。
「九尾の狐は、何処にいる?」
「馬鹿か、九尾の狐は殺生石として封じられていることも知らんのか!」
「そんなこと知るかよ!」
「ねぇ百合丸君、どうして九尾の狐様は先生に会いたいなんて言って来たの?」
「それは直接九尾の狐様にお聞きください。」
百合丸とともに殺生石を訪れた三人は、石の上に痩せこけた狐が寝ていることに気づいた。
「もしかしてあの狐が、九尾の狐様?」
「ああ、そうらしい・・」
「お前が、土御門有匡か?」
「ああ、そうだ。」
有匡はそう言うと、九尾の狐を見た。
「ほう、そなたがあの陰陽師の子孫か。陰陽師によく似ておるな。」
「わたしをここに呼んだのは何故だ?」
「少し興味があってな。あの陰陽師に似た人間のそなたに、会ってみたいと思うたのじゃ。」
「それだけの理由で、若狐達をわたし達に襲わせたと?」
「あやつらは少し血の気が多い連中じゃ。わたしの名に免じて許してやれ。」
「それでは、わたし達はもう失礼する。」
「まだ話は終わっておらんぞ、人間。」
殺生石の洞穴から有匡が出ようとしたとき、出入口を狐が塞いだ。
「そなたの力量、ここで試させてもらおうぞ。」
「ふん、わたしが怖いのか?」
「おのれ、人間の癖に生意気な!」
怒りに滾った目で九尾の狐はそう言って有匡を睨むと、彼に向かって高温の炎を放った。
「先生、危ない!」
有匡と九尾の狐の間に割って入った火月は、氷の壁で有匡を守った。
「火月、やめろ!」
「小癪な雪女め!」
高温の炎が、徐々に火月が作った氷の壁を壊してゆく。
「先生、今のうちに逃げてください!」
「止めろ、それ以上やったらお前が・・」
「先生が助かるのなら、僕はいつ死んでもいいです!」
「火月・・」
「僕は、先生に会えて幸せでした。」
そう言った火月は、一度だけ有匡の方を振り返ると、彼に優しく微笑んだ。
「止めろ、止めてくれ!」
「漸くそなたは大事なものがわかったようじゃな、人間よ。」
九尾の狐は攻撃を止めると、有匡の前に立った。
「そなたを試してみたのだ。わが身を呈してそなたの命を守った雪女をそなたが見捨てるのかどうかを。じゃが、そなたはこの雪女を見捨てはしなかった。」
「何故、そのような事を・・」
「そなたを妖狐族の一員として認める為じゃ。そなた、妖狐の谷で暮らすつもりはないか?」
「そのつもりはない。」
「そうか。ではその雪女と達者に暮らすがよい。」

有匡は気絶した火月を抱きかかえると、洞穴を後にした。

「おい、どうだったんだ?」
「九尾の狐様は、わたしを眷属だと認めてくれた。」
「そうか、良かったな!」
「まぁ、まだ休暇は残っているから、お前の昔話でも聞こうか?」
「そうこなくっちゃ!」

有匡は琥龍とともに、殺生石から去った。

「宜しいのですか、九尾の狐様?あの者を人間の世界に返して・・」
「あの者は人間じゃ。我が眷属の血をひいておっても、それは変えられん。」
「ですが・・」
「我らが口出しをしなくとも、あの者は雪女と夫婦となって暮らすであろう。」

九尾の狐は鏡に映った己の美しい顔をひとしきり眺めると、そっと手鏡を裏返しにした。

彼らに再び会える日は、そう遠くないと感じながら。

(終)

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