JEWEL

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淡雪の如く 第一章



彼の名は近藤勇、薄桜大学山岳部に所属する学生である。
彼は来月開催予定の山岳合宿の下見の為、一人でこの幼少の頃から慣れ親しんだ山へ来ていた。
だが、好天だった午前中から一転し、午後から山の天気が急に荒れて来た。
吹雪の中、勇はなるべく体力を温存しようと、パーカーのポケットに入れてあるチョコレートバーを取り出して食べた。
風雪を避ける為、勇は近くにあった洞穴の中でザックの中に入れていたスマートフォンを見ると、“圏外”になっていた。

(参ったな・・)

ザックの中には三日分の食糧しか入っていない。
外部への連絡手段もなく、まさに八方塞がりだ。

(これから、どうしようか・・)

せめて、この吹雪が止んでくれれば良いのに――勇はそう思いながら、ザックの中から寝袋を取り出し、それに包まって眠った。

ボウっと、青い炎が洞穴の中を照らした。

「人の子か・・若くて美味そうじゃ。」
ギギギ・・と不気味な音と共に、勇の姿を舌なめずりをしながら見つめている女、もとい妖怪が居た。
女怪の名は、“蛇妃”――若い男の血肉を好み喰らう。
「いい匂いじゃ・・」
蛇妃は長い舌で、勇の顔をベロリと舐めた。
「さぁて、どこから喰ってやろうか?」
「そいつから手を離せ。」
「何じゃ、貴様!」
「大人しく死ね、蛇!」
蛇妃は、突然青い炎に包まれながら絶命した。
「歳三様、この者まだ息がありますぞ!」
「そうか。」
すぅっと滑るように勇の前に現れたのは、紫の着物を着た一人の、“女”だった。
「俺の家へ運べ。」
「はい・・」
歳三の式神・善一が勇のパーカーを咥えて彼の身体を引き摺ると、軽い音がして彼が首に提げていたネックレスが落ちた。
「歳三様、美しい装身具です!これを街へ行って売れば・・」
「止せ。」
「ですが・・」
「人間の物を盗んで売る程、俺達は落ちぶれちゃいねぇ。行くぞ。」
「は、はい!」
歳三は音が落としたネックレスの蓋を開けると、そこには精緻な絵画のように描かれた、一組の男女の絵が入っていた。
男の隣に居る女は、自分と瓜二つの顔をしていた。
「う・・」
「おい、あそこだ!」
「ちっ、見つかっちまったか。」
“女”―歳三はそう言って舌打ちすると、自分を殺そうとしている兵達に向かって吹雪を放った。
「うわぁ~!」
「畜生、目が~!」

吹雪が止んだ後、白く染まった冬山に、数体の兵達の氷像が出来上がっていた。

「何、あやつを取り逃がしたとな!?」
「はい・・」
「この痴れ者が!」

苛立った男はそう叫ぶと、持っていた扇子を鎧姿の男に向かって投げつけた。

「全く、女一人も捕らえられぬとは、情けない!」
「申し訳ございませぬ。」

パチパチと、何処かで火が爆ぜるような音がして、勇が目を覚ますと、彼は布団の中に居た。

「気が付いたか?」
「あなたは・・」
「お前ぇは、あの洞穴の中で蛇妃に喰われそうになった所を俺が助けたんだ、覚えてねぇか?」
「いや、覚えていなんだ・・すまない。」
「それは当然だ、あんたあの時、死にかけていたんだからな。」
「そ、そうか・・」
「まぁ、ここには俺と、善一しか居ねぇ。」
「善一?」
「俺の式神だ。元は、妖狐の子だったんだが、親を殺されて俺が引き取ったんだ。」
「そ、そうなのか・・」
「まぁ、俺もあいつも似たような境遇だから、ちょっとな・・」
「助けてくれてありがとう。俺は、近藤勇だ。」
「土方歳三だ。」
「トシさ~ん!」
戸を激しく叩く音がして、歳三は軽く舌打ちして。
「暫く奥の部屋に居ろ。俺が良いと言うまでそこから出て来るな、いいな?」
「わかった・・」
「トシさん、居るのかい!?」
「あぁ、そんなに怒鳴らなくても聞こえてらぁ。」
歳三は眉間に皺を寄せながら戸を開けると、そこには少し癖のある薄茶の髪をした青年が立っていた。
「トシさん、どうして出て来てくれないの?」
「お前ぇに会いたくねぇからに決まっているからだろ。」
「酷い~!」
そう言って子供のように拗ねて頬を膨らませている青年の名は、伊庭八郎。
人間――高貴な身分の子でありながら、歳三にしつこく求婚してくる。
「じゃぁね、トシさん!」
「もうここには来るなよ。」
八郎が去った後、歳三は溜息を吐きながら奥の部屋の襖を静かに開けた。
するとそこには、大きな身体をまるで猫のように丸めて眠っている勇の姿があった。
「ったく、風邪ひくぞ。」
歳三はそう言いながら、そっと自分が着ていた綿入れの羽織を勇にかけた。
「歳三様、大変です!」
「土方さん、居るか!?」
「どうした喜一、左之!?」
「人間達が、里を襲ってる!」
「何だと!?」
「さぁ、俺が案内する!」
「わかった!」

烏天狗の左之助と共に、歳三は久方振りに自分の里―“雪村の里”へと向かった。

歳三が生まれた時、里の者は皆恐怖に震えた。

――何と不吉な・・
――凶兆じゃ、この里に黒髪の子が生まれるなど・・

村の長老達は、雪女の里に生まれた黒髪紫眼の子供の扱いをどうしようかと考えあぐねていた。
その時、里の長・雪村綱道の鶴の一声で、歳三の運命は決まった。
「この子が十になったら、村はずれの家へ住まわせるが良い。それまで、我が家で面倒を見よう。」
こうして、歳三は十の誕生日を迎えるまで雪村家で育てられる事になった。
雪村家には、千鶴と薫という双子の兄妹が居り、兄の薫は歳三を嫌って避けていたが、妹の千鶴の方は歳三を実の兄のように慕い、懐いていた。
歳三も、千鶴の事を実の妹のように可愛がっていた。
だが、千鶴と過ごした穏やかな時間は瞬く間に過ぎ、歳三が里を離れる日が来た。
「兄様、わたしも行きます!」
「なりません、千鶴。」
「母上、どうして兄上と共に暮らせないのですか!?」
「それが、あの子の定めなのです。」
歳三は、それから一度も里には戻っていなかた。
「土方さん、あそこだ!」
「あぁ・・」
左之助は上空から歳三の故郷を見下ろすと、そこには紅蓮の炎に包まれていた。
「これは・・」
「千鶴、何処だ!?」
歳三が左之助と共に炎に包まれている里の中に入ると、そこには女子供容赦なく殺された“同胞”達の遺体が転がっていた。
「何と惨い・・」
「居たぞ、あそこだ!」
「殺せ!」
「・・こいつらを殺したのは、てめぇらか?」
「それがどうした?こやつらは妖、我らに淘汰されるべき存在なのだ!」
「・・せねぇ。」
「あ、何だと?」
「てめぇらを絶対、許しはしねぇ!」

歳三がそう叫んだ瞬間、人間達に突風が襲い掛かった。

「な、なんだあれは?」

彼らが上空を見上げると、そこには白い狩衣姿の歳三が浮かんでいた。
彼は腰に帯びていた刀の鯉口を切り、人間達に向かってそれをひと振りした。
すると、無数の氷の毒針が、彼らの全身を貫いた。

「ぎゃぁぁ~!」
「怯むな、矢を放て!」
歳三は氷の膜で己を包むと、人間達の攻撃から己の身を守った。
「な、なんだあれは!?」
兵士の一人がそう言って上空を指すと、そこには大きな白虎の姿があった。
「殺れ。」
歳三の声に応えるかのように白虎はひと声吼えると、氷の嵐を巻き起こした。
「うわぁ~!」
人間達はその嵐をまともに喰らい、皆雪像と化した。
「おいおい、いくら何でもあれはやり過ぎじゃねぇのか?」
「こいつらにした事と比べればマシだろうが。」
歳三はそう言うと、跡形もなく破壊された里を後にした。
「土方さん・・」
「あいつは、死んじゃいねぇ。きっと、何処かで生きてる・・」
「あぁ、俺もそう信じているよ。」
左之助と共に帰宅した歳三が家の戸を開けると、台所には美味そうな匂いが漂っていた。
「これは・・」
「おう、お帰り。」
「あれ、土方さん、そいつ誰だ?」
「はじめまして、近藤勇と申します。」
「お前、何をしている?」
「夜食を作っている。ここに置いてある食材で作ってみたんだが、口に合うかどうか・・」
そう言いながら食卓の上に広げられた料理は、美味しそうだった。
「頂くぜ・・うぉ、すげぇ美味い!」
左之助がそっと一口勇が作ったフライドポテトをつまむと、彼は余りの美味さに感動してしまった。
「そ、そうですか?」
「何だこの、面妖な物は?」
「確かに、今まで一度も見た事がねぇものばかりだな?」
「ハンバーガーと、フライドポテトです。」
「俺ぁ、こんな物は好きじゃねぇ。」
「まぁまぁ土方さん、一口位食べてもいいんじゃねぇのか?」
「そうだな・・」
左之助に勧められ、歳三は生まれて初めて“ハンバーガー”を食べた。
「悪くはねぇな。」
「だろう?」
「だが、俺は和食が好きだ。」
「そうか。じゃぁ、これから頑張る!」
「あぁ、そうしろ・・」
さり気なく嫌味を言ったつもりだったのだが、それを全く気にしていない勇を見た歳三は少し落ち込んだ。
それを見た左之助は少し笑った。
「・・風呂に入って来る。」
歳三がそう言って浴室へと消えた後、左之助は勇の隣にどかりと腰を下ろした。
「なぁ、土方さんとは何処で会ったんだ?」
「登山中に遭難して、気づいたらここに居たんです。」
「そうか。しかし珍しいな、人間嫌いな土方さんがあんたを助けるなんて。」
「え、そうなんですか?」
「あの人、雪女一族の中で唯一、半妖として生まれたんだよ。人間の父親の血を濃く受け継いで生まれたから、同胞達や人間達から色々と迫害されてな。その所為で人間嫌いになっちまったんだ。だから、こんな山奥の家にひっそりと暮らしているんだ。」
「そうか。でも、寂しくはないのか?」
「う~ん、それはどうかな。あの人、余り感情を表に出さねぇから。」
「あの、原田さんは土方さんが好きな食べ物をご存知ですか?」
「あの人は、自分でも言っていたけれど、和食が好きかな。特に、沢庵が一番好きなんだ。」
「そうなんですか・・」
「あんたが家事出来るなんて驚いたぜ。」
「今は性別関係なく、家事が出来る人がやればいいんです。」
「へぇ、そうか。」
「あの、土方さん中々お風呂から戻って来ませんね。」
「あぁ、放っておけばいいさ。あの人、少し“力”を使い過ぎちまったからな。暫く風呂から出てこねぇよ。」
「そうなんですか・・」
「まぁ、今日はもう日が暮れたから、今夜は山から下りない方がいいぜ。」
「わかりました。」
「山には、得体の知れない奴らが潜んでいるからな。」
「えぇ。」
山岳部の先輩達から色々と山にまつわる怖い話を聞いた事があったので、勇はさほど驚かなかった。
左之助と勇が母屋で寝床の準備をしていると、浴室から歳三が戻って来た。
その顔は、病的なほど蒼褪めていた。
「土方さん、どうしたんだ?」
「あぁ、ちょっとな・・」
歳三はそう言うと、布団の上に倒れこんだ。
「病院へ連れて行かないと!」
「いや、今から山から下りたら、土方さんの命を狙う奴らが襲って来るし、それに“びょういん”なんてものはねぇよ。」
「そんな・・」
「左之、あれをくれ。」
「はいよ。」

そう言った左之助が懐から取り出した物は、紅い丸薬だった。

「それは?」
「気休めだが、土方さんの“力”を抑える役目があってな。」
「そうなのか・・」
「これを飲んだら、少しはマシになると思うぜ、土方さん。」
「あぁ・・」
紅い丸薬を飲んだ歳三は、そのまま布団に横たわった。
「じゃぁ、俺は一体何をすれば?」
「何もしなくていい・・」
「あ、はい・・」
こうして、静かに夜は更けていった。
「何だと、またあやつを取り逃がしたとな!」
「殿、あやつは半妖、我らがどう策を練ろうとも、容易く捕える事など出来ませぬ。」
そう言って夫をなだめたのは、彼の正室である月の方だった。
「そなた、何か策があるのか?」
「えぇ、あやつをここまで誘き出すのです。」
「どのように?」
「それは、秘密です。」
月の方はそう言うと、口端を上げて笑った。
「お方様。」
「あの者達の様子は?」
「それが・・」
月の方が寝殿から少し離れた西の対屋へと向かうと、女中達が何処か慌てた様子で彼女の元へと駆け寄って来た。
「ここから出して!」
「お願い、誰か助けて!」
西の対屋に結界を張られ閉じ込められた雪女達が口々にそう叫ぶと、そこへ月の方がやって来た。
「黙れ。」
月の方が持っていた扇子を一振りすると、雪女達の顔は苦痛に歪んだ。
「まだまだそなたらには躾が足りないようだな?」
「嫌ぁ、母様!」
「この娘を廓へ連れて行け。母親の方は薹(とう)が立っておるが、娘の方はまだまだ仕込み甲斐があろう。」
「はい。」
「娘はまだ十にもなりませぬ!どうか、廓へはわたくしを・・」
「妾に逆らうな。」
月の方はそう言って雪女の母親の方を睨みつけると、母親は胸を押さえて蹲った。
「母様~!」
「哀れな者共よ。」
月の方は雪女達から背を向け、西の対屋から出た。
「お方様、あの娘は何も手をつけておりませぬ。」
「強情じゃな。どれ、妾がその者を躾けてやろうぞ。」
月の方は、口元に嗜虐的な笑みを浮かべた。
小鳥のさえずりで、勇は目を覚ました。
隣で眠っている歳三を起こさぬよう、彼は厨へと向かい、朝食を作り始めた。
「うん・・」
「土方さん、もう大丈夫そうだな?」
「あぁ。あいつは?」
「近藤さんなら、さっき厨へ・・」
「おはよう、二人とも!」
歳三と左之助の前に、朝食を載せた膳を運んで来た勇が現れた。
「お前ぇ、まだここに居たのか?」
「あぁ。今朝は和食に挑戦してみました!」
「ほぉ・・」
膳には、一汁三菜の和定食が載せられていた。
「あ、お気に召さなかったら、下げますね。」
「べ、別に食べないとは言ってねぇ。」
歳三は顔を赤く染めながら、焼いたししゃもに箸を伸ばした。
「お茶、淹れて来ますね!」
「素直じゃねぇなぁ、土方さん。」
「う、うるせぇっ!」
(ったく、雪女の癖に天邪鬼なんだから・・)
厨で茶を淹れながら、勇はダウンジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。
それは、“圏外”のままとなっていた。
(ここは、一体何処なんだ?)
スマートフォンも繋がらない、それ以前に電気が通じない。
外部との連絡手段が絶たれた今、勇はどうやって元の世界で自分が無事である事を友人や家族に伝える術がわからず、途方に暮れていた。
「おい、今いいか?」
「はい。」
「町に買い出しに行くんだが、あんたその格好だと目立つから、この着物に着替えてくれって、土方さんが・・」
「土方さんが?」
「あぁ。あんたの為に土方さんが昨夜仕立てたんだと。」
「そうですか・・」
左之助から受け取った着物に勇が奥の部屋で着替えて出て来ると、丁度歳三も自室から出て来た。
彼は、いつも着ている白の小袖ではなく、藤色の訪問着姿に、金の帯を締めており、いつも下ろしている黒髪は丸髷に結われていた。

「あの、その格好は?」
「今日、人に会う事になっているからな。少しは着飾らないとな。」
「は、はぁ・・」
「それじゃぁ、行こうか。」

歳三と共に、勇は初めて山から下りて“町”へと向かった。

―あれは・・
―山に棲む妖・・

歳三と“町”を歩いていると、四方八方から人々の冷たい視線が突き刺さった。

(何だ?)

「あの、何処まで・・」
「あと少しで着く。」

歳三が足を止めたのは、立派な武家屋敷の前だった。

「おや、あなた様は・・」
「奥方様にお目通り願いたい。」
「は、はぃぃ!」

庭を掃いていた男は、歳三の姿を見るなり手に持っていた箒を放り出し、屋敷の中へと消えていった。

「やはり京の着物はいいのう。打掛は西陣のものに限る。」
「奥方様、奥方様~!」
「何じゃ、騒がしい。」
「あの方が・・歳三様がこちらに・・」
「何、それはまことか!?」
「はい・・歳三様は、人間の男を連れておりまする!」
「そうか。そなた達は下がれ。」
「ははっ!」

(半妖め、妾に会いに山から下りて来たか。丁度良い、忌々しいあの雪女達共々葬ってくれようぞ!)

「あの、ここは一体・・」
「ここは、俺の実家だ・・父方のな。」
「どうして・・」
「ここへお前ぇと連れて来たかって?それはだな・・」
「久しいな、歳三。人を嫌うそなたが、自ら山を下り妾に会いに来るなど珍しい。」

バサリと、豪快な鳥が羽ばたくような音がして、歳三と勇の前に、一人の美しい女人が現れた。

艶やかな黒髪を垂らし髪にし、緋色の地に牡丹の柄の打掛を纏ったその女人は、苛烈さを閉じ込めたかのような緋色の瞳で歳三を睨みつけた。

「お久しぶりでございます・・伯母上。」
「そなたからそう呼ばれるのも悪くはない。して、ここには何用で参った?」
「里の者達を・・あなた様が捕えし我が同胞達を、解放して下さいますよう・・」
「ならぬ、あれは人に仇なす者ぞ。」

女人―月の方はそう言うと、歳三を睨みつけた。

「その者は?」
「この者は、わたくしの・・背の君様にございます。」
「それはまことか?そなた、名を何と申す?」
「近藤・・勇と申します。」
「妾に二人共ついて参れ。」
「奥方様、良いのですか?あの者を入れては・・」
「爺、客人を存分にもてなせと皆に伝えよ。」
「ははっ!」

庭に居た男はそう言った後、慌しく何処かへと去っていった。

「大変だぁ~、大変だぁ~!」
「何だい、うるさいねぇ。」
「一体何を騒いでいるんだい?」
「歳三様が、背の君様を連れて来られた!」
「まぁっ!」
「それは本当なのか?」
「あぁ、しかとこの目で見たとも。人間の若い男だった。」
「まぁ、それはそれは・・」
「お前達、何を油を売っているのだい!客人の膳を運びな!」
「は~い!」

歳三は月の方の侍女達に連れられ、湯殿へと向かった。

「何で湯殿なんかに・・」
「さぁ歳三様、ゆっくりと旅の疲れを取りなされ。」
「垢も取りませんと。」
「やめろ、やめろ!」

湯殿で歳三は侍女達にもみくちゃにされた挙句、折角丸髷に結っていた髪を解かれ、花嫁の髪型である文金高島田に結われてしまった。

「まぁ、お似合いですこと。」
「簪はどう致しましょう?」
「鼈甲のものに致しましょう!」
「なぁ、俺ぁそろそろ部屋で休みたいんだが・・」
「いけませんわ、初夜までまだ時間がございます。」
「は?」

いまいち状況がわからず、歳三は侍女達によって衣裳部屋で白無垢に着替えさせられた。

「“馬子にも衣装”とはよう言うたものよな?」
「伯母上・・」
「よもやそなたの花嫁姿が見られるとは嬉しいぞ。どれ、妾が“高砂や”を謡うてやろうぞ。」

こうして、急遽歳三と勇の祝言が挙げられる事になった。

「ほんに美しい・・」
「めでたいのう・・」

月の方は歳三が支度している間に親戚縁者を集めたらしく、大広間には既に酒を酌み交わしている者達が居た。

「全く、何でこんな事に・・」
「まぁ、良いではありませんか?」

勇はそう言うと、頬を赤らめながら花嫁姿の歳三を見た。

「歳三様、お召し替えの時間です。」
「あぁ、わかった。」

歳三がお色直しの為に席を外した途端、女性達が一斉に勇の方へと集まって来た。

「あなたが、歳三様の背の君様?」
「良い男ねぇ!」
「歳三様とはどのようにお知り合いに?」
「あのぅ、えぇと・・」

女性達から解放されたのも束の間、今度は男性達から酒をしこたま飲まされてしまい、酔い潰れてしまった。

「立てよ、こら!」
「ったく、あれ位で酔っぱらうとは、情けねぇなぁ!」
「人間の男はこれだからよぉ~!」
「てめぇらぁ~!」
「ひぃっ!」
「鬼っ娘だ、逃げろ!」

樽の中に顔を突っ込んでゲェゲェえずいている勇を男性達が囃し立てていると、そこへ鬼のような形相で彼らの元へ歳三がやって来た。

「客人をこんなにするまで飲ませやがって・・」
「俺ぁ悪くねぇ、こいつが先に・・」
「何言うだ、お前ぇが・・」
「こいつに酒飲ませてみっぺって言いだしたのは、お前ぇでねぇか!」
「てめぇら、黙りやがれ!今から全員、俺の部屋へ来い!」
「ひ、ひぃぃ!」
「あんた達、自業自得だよ!」
「助けてくれよ~!」
「やだよ~、そんな事したらあたしらの首が飛んぢまうもの!」
「後生だ、助けてくれたら、おめぇが欲しがっていた黄楊の櫛さやるから・・」
「何していやがる、さっさと来ねぇか!」
「ひぃぃ~!」
「あ~あ、やっちまったなぁ。」
「うんだ、トシ様の“仕置き”はおっかねぇんだもの。」

女中達がそんな事を言いながら洗い物をしていると、歳三の部屋から男達の悲鳴が聞こえた。

「ん・・」
「あれぇ、気づきなすったのねぇ。」

勇が目を開けると、そこには一人の婀娜な女が彼の前に座っていた。

白粉を塗りたくったような、病的なほどに蒼褪めた彼女の生気を失いつつある目元には、深い皺が刻み込まれていた。

「ねぇあんた、あんなじゃじゃ馬なんかと所帯を持つのをやめて、あたしと一緒にならないかい?」
「い、いえ、俺は・・」
「うふふ、可愛いねぇ。」

女はそう言った後、蛇のように長い舌で勇の頬を舐めた。

「さぁ、あたしのものにおなりよ。そうしたら・・」
「失せろ!」
「ぎゃぁ~!」

女が突然両手で顔を覆って叫んだので、勇が振り向くと、そこには塩が入った壺を抱えた歳三が部屋の入り口に立っていた。

「またてめぇか、蛇妃!」
「おのれぇ・・」
「歳三、どうした!?」
「蛇がこの部屋に紛れ込んだ!」
「御免!」

小気味の良い音がして襖が開いた後、月の方が呪を唱えると、蛇妃は悲鳴を上げながら霧散した。

「殺ったか?」
「あぁ。あいつは恐らく、あの洞穴の中に居たのと同じやつだ。」
「そうか。それよりも、とんだ新婚初夜となってしまったなぁ。」
「あぁ・・」
「今夜は遅い故、ゆっくりと休むといい。」
「わかった。」

月の方はちらりと勇の方を見て笑うと、部屋から出て行った。

「あ、あの・・」
「何だ?」
「初夜という事は・・つまり、あなたと、“そういう事”をするんですよね?」
「あ、あぁ・・おい、一応あいつらの手前、俺達が“夫婦”だと、色々面倒な事がなくていいだろう?」
「ま、まぁ、そうだが・・」
「明日は早いから、もう寝るぞ!」
「はい・・お休みなさい。」

 その日の深夜、月の方はある場所へと向かっていた。

「元気そうじゃ。」
「兄様は・・歳三兄様は無事なのですか!?」
「安心しろ、あの者は人間の男を連れて妾に挨拶をしに来た。」
「いつになったら、わたしをここから出してくれるのですか!?」
「そなたらは人に仇なす妖、生かしてはおけぬ。」
「そんな・・」
「その涙じゃ、妾が見たかったものは。」

月の方は、千鶴の頬に伝う涙を見て嬉しそうに笑った。

その涙は、美しい金剛石と化した。


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