JEWEL

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からくれない 第一話



両親と兄と共に神社の縁日に来たシエルは、いつの間にか彼らと逸れてしまった。
―どうして泣いているのです?
不安で泣くシエルの前に、一人の青年が現れた。
彼は美しく艶やかな黒髪をなびかせ、墨染色の浴衣を纏っていた。
―可哀想に、家族とはぐれてしまったのですね。あなた、お名前は?
シエルが己の名を告げると、彼は優しく微笑み、こう言った。
―大丈夫、わたしがあなたのご家族を必ず見つけてさしあげますよ。
青年と共に神社の境内を歩いていたシエルは、すぐに家族と再会する事が出来た。
シエルは青年に礼を言おうとしたが、その姿は何処にもなかった。

(また、会えるといいな・・)

そんな事をシエルは思いながらも、いつしか青年の事を忘れてしまった。

「何なのよこれ、苦過ぎて飲めやしない!」
甲高いヒステリックな声と共に、頭から液体を掛けられ、シエルは必死に悲鳴を上げるのを堪えた。
「全く、伯爵令嬢様は、親からお茶の淹れ方も教えて貰えなかったようねぇ。」
何処か自分を小馬鹿にしたような口調で言って笑ったのは、シエルの養母である千登勢だった。
「何をそこで突っ立っているの?さっさとお茶を淹れ直して来て!」
「・・わかりました。」
濡れた髪をそのままにして、シエルが養母達の居るリビングから厨房へと戻ると、女中頭の忍がシエルに駆け寄って来た。
「まぁシエルお嬢様、どうなさったのです!?」
「大丈夫です・・」
シエルは淹れ直した茶をリビングへと持って行くと、そこには一人の青年の姿があった。
美しく均整の取れた長身を、仕立ての良いスーツに包み、千登勢達と何か話をしていた。
「それでは、わたしはこれで。」
「今日はわざわざ忙しい所を来て下さってありがとうございます。」
「いいえ。本日はお会い出来て良かったです。」
そう言った青年と、シエルの目が合った。
「あなたは・・」
紅茶色の瞳で自分を見つめる青年の姿と、“誰か”の姿とシエルは重なって見えた。
「あら、この子とお知り合いでしたの?」
「はい・・」
「では、わたしはこれで失礼致します。」
シエルがリビングから出て行くと、青年は慌ててシエルの後を追った。
「あなたは、“あの時”の・・」
「人違いです。」
シエルは青年に背を向け、自室へと向かった。
そこは、元々物置部屋として使われていた所で、暗くて狭い、窓がない部屋だった。
火事で両親と双子の兄を喪い、シエルは遠縁の親族宅へと引き取られたが、使用人のような扱いを受けていた。
背中まである青みがかった黒髪を櫛で梳きながら、シエルは、憂いを帯びた青碧色の瞳で、右目を覆っている眼帯を見た。
恐る恐る眼帯を外すと、そこには鮮やかでありながら禍々しい紫の瞳があった。
生まれつき左右の瞳の色が違う所為で、シエルは周囲の人々から気味悪がられた。
その瞳を、“綺麗”だと言ってくれたのは、双子の兄・ジェイドだけだった。
だがその兄も、両親と共に炎の中へと消えてしまった。

独りに、なってしまった。

シエルは布団の中に入ると、そのまま目を閉じて眠った。

「シエルお嬢様、奥様がお呼びです。」

翌朝、シエルが千登勢達の居るリビングに向かうと、そこにはあの青年の姿があった。

「シエル、あなたの旦那様となられる、セバスチャン=ミカエリス様よ、ご挨拶なさい。」
「え・・」

シエルが驚愕の表情を浮かべて青年の方を見ると、彼は優しい笑みを浮かべていた。

「やっと、会えましたね。」

「お母様、あの方があの子の旦那様だなんて、信じたくないわ!」
「お黙り、これは決まった事なのよ!」
「でも・・」
「とんだ厄介払いが出来て良かったわ。あの方には今まで何人か許嫁が居たけれど、逃げ出してしまったそうよ。」
「まぁ・・」
「華耶子、あなたにはもっとあの子よりも良い嫁ぎ先を見つけますからね。」
千登勢達がそんな話をしている間、シエルは自室で荷造りをしていた。
少ししかない私物を風呂敷に包んだシエルの元に、忍がやって来た。
「お嬢様、どうかお幸せに。」
「ありがとう・・」
「これを・・」
忍がシエルに手渡したのは、華耶子のお下がりである橙色に牡丹の柄の振袖だった。
美しく派手な華耶子には似合うが、シエルには似合わない柄だが、我が儘を言える立場ではない。
三年間世話になった有森家を、シエルは何も言わずに去った。
「ごめん下さい。」
「まぁ、シエル様、お迎えに上がれず申し訳ありません。わたくしはミカエリス家で女中をしております、静かと申します。」
「いいえ・・」
「旦那様、シエル様がいらっしゃいました。」
ミカエリス家の女中・静にシエルが案内されたのは、セバスチャンの部屋だった。
「お初にお目にかかります、シエル=ファントムハイヴと申します。」
「長旅、ご苦労様でした。食事はもう済ませましたか?」
「いいえ。」
「では、一緒に出かけましょう。」
「え・・」
「お嫌でなければ・・」
「いいえ、行きたいです!」
自分でも驚く程、シエルは大きな声でセバスチャンにそう言って、恥ずかしさの余り俯いてしまった。
(嫌われてしまったかな?)
シエルが恐る恐るセバスチャンの方を見ると、彼はシエルに優しく微笑んでいた。
「そうですか。では、今から出かけましょう。」
セバスチャンはそう言うと、震えているシエルに向かって手を差し出した。
その手を、シエルはしっかりと握った。
「何が食べたいですか?」
「あなた様が、食べたい物を・・」
「では、わたしの行きつけのお店に連れて行きましょう。」
セバスチャンがシエルを連れて来た場所は、高級レストランだった。
「ミカエリス様、いらっしゃいませ。」
レストランの奥から、支配人と思しき男が出て来た。
「いつもの席を、お願い致します。」
「かしこまりました。」
支配人が二人を店の奥にある個室へと案内した。
「食べたら命に関わるものなどありませんか?」
「いいえ。」
「そうですか。」
「失礼致します。」
前菜の料理が食べ終わるまで、シエルとセバスチャンの間に気まずい空気が流れた。
「あの、どうして僕を・・」
「あなたを、守りたいと思ったからです。実は、わたしはずっとあなたの事を捜していたのですよ。」
「僕を?」
「あなたは憶えていないのかもしれませんが、あなたとわたしは、一度会った事があるのですよ。」
「あの時の、縁日の・・」
シエルの脳裏に、あの時の自分を助けてくれた青年の顔が浮かんだ。
「あぁ、憶えていらっしゃったのですね。わたしは、あの日以来、あなたの事が気になっていたのですよ。まさか、ご家族が亡くなられたなんて知りませんでした。」
「僕は、有森家に引き取られ、使用人同然の生活を送っていました。自分の物は火事で全て燃えてしまって、唯一残っていたのは、この家族写真だけです。」
シエルはそう言うと、首に提げていたロケットを取り出し、その中に入っている写真をセバスチャンに見せた。
そこにはシエルと、双子の兄と両親が写っていた。
「これは、僕達が十歳の誕生日の時に近所にある写真館で撮られた家族写真です。その後に・・」
「辛い事は、思い出さなくていいのですよ。これからは、楽しい思い出を作っていきましょう、二人で。」
「はい・・」
セバスチャンと食事した後、シエルは彼に連れられて写真館へと向かった。
「いらっしゃいませ。おや、シエルお嬢様、お久し振りでございます。」
店主は、シエルを見てそう言って微笑んだ。
「憶えていて下さったのですね・・」
「あの、そちらの方は?」
「初めまして、わたしはシエルさんの許婚の、セバスチャン=ミカエリスと申します。本日こちらに伺ったのは、家族写真を撮る為に来ました。」
「ほぉ、では早速準備しますので、暫くこちらでお待ち下さい。」
「はい・・」
「シエルさん、この三年間、色々と辛かったでしょうね。でもこれからは、あなたが辛い思いをした分、あなたを幸せにして差し上げます。」
「ありがとうございます・・」
「準備が出来ましたので、撮影室へどうぞ。」
シエルとセバスチャンは写真館で写真を撮った後、ミカエリス家へと戻った。
「シエルさん、今夜は疲れたでしょうから、お部屋でゆっくり休んで下さい。」
「はい・・」
「お休みなさい。」
セバスチャンに案内されたシエルの部屋は、日当たりが良く、広かった。
押入れから布団を取り出してそれを広げると、シエルはその中に入って眠った。

もう、独りじゃない。

「あの子が、ミカエリス家に娶られただと!?それは、本当なのか!?」
「はい。」
御簾の向こうで、己の主が舌打ちしたのを聞いた青年は、恐怖の余りビクリと身体を震わせた。
「これから、どうなさいますか?」
「それは、今から考える。お前は、暫くあの子を探れ。」
「わかりました。」
翌朝、セバスチャンが起きて居間に入ると、そこには焼鮭と白米、そして味噌汁が入った器が箱膳の上に載せられていた。
「これは・・」
「シエル様が、旦那様のお食事を作って下さったのですよ。」
「頂きます。」
セバスチャンがそう言って味噌汁を一口啜ると、心が温かくなった。
「静さん、セバスチャンさんは・・」
「旦那様は、ご出勤されましたよ。」

台所に下げられたセバスチャンの膳の上に載せられた彼の朝食は、全て平らげられていた。


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