F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 5
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天愛 夢小説:千の瞳を持つ女~21世紀の腐女子、19世紀で女官になりました~ 0
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その送り主は、襄の孫娘・アリスからだった。“祖父はあなた達にとても会いたがっています。是非来てください。”手紙が届いてから4ヶ月後、巽達はボストンへと向かっていた。「漸く会えるんだな・・」「よかったね、お祖父ちゃん。」巽の胸には、長兄・総司に対する申し訳なさと、襄に謝罪したい思いで一杯になった。父・歳三は晩年総司と絶縁してしまったことをしきりに後悔していると呟いていた。『何であんなつまらねぇ理由で息子を絶縁させたんだろう。孫が出来たと素直に喜べた筈なのに・・』歳三は総司と和解できず、総司はアメリカで病死し、孫・襄とも会うことなく最愛の妻の後を追った。巽はその父の代わりに、襄に会って両親の事や総司の事を話したかった。そんな事を考えている内に、襄と会う約束の時間が迫って来た。 襄との待ち合わせ場所は、ボストン市内の公園だった。5月の新緑に囲まれたそこは、家族連れやランチタイムのひとときを過ごすビジネスマンで賑わっていた。巽はそっと、木製のベンチに腰掛けた。メールでは会いたいと言っていたが、本当に襄は来てくれるのだろうか?もし急に会いたくないと言ってきたらどうしようか―そんなことを考えている内に、巽はこちらへと近づいてくる老人に気づいた。『あなたが、タクミ=ヒジカタさんですか?』『はい、そうです。』巽はベンチから立ち上がると、自分を見つめている老人を見た。『あなたが、襄さん?』『そうです。』『済まなかった、襄!今まで連絡も取らないでいて・・』『もういいんです、こうして会えたんですから。』襄はそう言うと、巽を抱き締めた。こうして2人は、82年振りの再会を果たした。 長い間彼らは互いの家族の事などを話しあった。『これで父や母に良い報告が出来るよ。きっと総司兄さん達も天国で喜んでくださるだろう。』『そうですね。休みが取れたら日本に伺います。その時までお元気で。』『ああ。』笑顔で襄と別れた巽は、天国に居る両親や総司は喜んでくれただろうかと思っていた。 瞬く間に5月の再会から半年が過ぎ、襄が家族を連れて来日し、宿泊先のホテルで襄と巽達は感謝祭を過ごした。『見て、初雪よ!』窓の外を眺めていた真由がそう叫ぶのを聞いた巽と襄が窓の外を見ると、そこには白い雪が舞い散り始めていた。『父と母は、初雪が降った夜に出会ったんですよ。』『そうですか。天国の二人がわたし達を祝福してくれたんでしょうね。』『えぇ・・』感慨深げに窓から初雪を眺めていた巽は、涙を流していることに気づいた。(お父さん、お母さん、これで思い残すことはありません。)巽と襄の交流は、2013年5月に巽が亡くなるまで続いた。巽の部屋には、自分の家族と襄の家族が映っている写真と、両親たちと写真館で撮った家族写真が仲良く机に並べられている。あの初雪の日―歳三と千尋が運命の出逢いをした夜から、100年以上の時を越え、断ち切られていた家族の絆は漸く結ばれたのだった。―完―
2012年02月15日
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登が祖父の病室に戻ると、巽が妹からブログの使い方を教えて貰っているところだった。「簡単にできるんだなぁ。」「うん。それよりもお祖父ちゃん、どうしてブログなんか始めようと思ったの?」「ちょっと探したい人が居てな。」「探したい人って、健一じいちゃんが言っていた襄って人?」「ああ。初めて会った時は13歳だったが、もう90代になっている筈だ。」巽はそう言ってマウスを動かしながら、PCの画面を見つめていた。「じゃぁお祖父ちゃん、ブログだけじゃなくてフェイスブックもやってみたら?」「フェイスブック?」「実名登録のソーシャルネットワークサービスよ。顔写真と自分のページを載せれば、世界中の人と交流できるのよ。」「そうか、それもやってみようかな。」 数日後、巽は自分のフェイスブックのページを開き、ある人を探している旨を英語で書いた。“音信不通のまま亡くなった兄の息子・襄を探しています。どなたか情報を知っておられる方は、下記のメールアドレスにご連絡ください。”こんなもので情報が集まるものかと半信半疑であった巽だったが、ユーザー達からの反応は素早く、襄の事を知っているという彼らからの情報は1000を超えた。だがその大半は面白半分な嘘ばかりで、やはり襄を見つけることはできないのではないかと、巽は落ち込んでいた。 一方、アメリカ・ボストンにある会社のオフィスで、巽のページを1人の老人が見ていた。「会長、どうかされましたか?」「わたしの事を、フェイスブックで探している人が居るんだ。」老人はそう言って秘書に巽のページを見せた。「メールしてみたらどうでしょう?もしかして彼は会長の親族なのかもしれません。」「そうだな・・そうしてみよう。」老人はデスクに飾られている家族の写真をちらりと見ると、巽にメールを出した。「お祖父ちゃん、どう?情報集まった?」「いいや。人一人探すのにこんなに苦労するとは思わなかったよ。」そう言って巽は溜息を吐いた時、メールが一通入っていることに気づいた。また面白半分に偽の情報を送ってきた輩だろうと彼がそのメールを開くと、そこには今は亡き長兄・総司とその息子・襄が映っている写真が載っていた。“わたしはジョー・ネイルズです。両親とともにサンフランシスコで暮らしていましたが、今はボストンで会社を経営しています。もしあなたがわたしの親族なのなら、お返事をください。”「どうしたの?」「襄からメールが来た。ボストンで会社を経営しているそうだ。」「そう、良かったね!」「これで父や母に良い報告が出来る。」そう言った巽は、満面の笑顔を浮かべていた。 それから、海を越えて襄と巽は時間の許す限りメールの遣り取りをした。内容は日々の他愛のないことだったが、それだけでも2人は嬉しかった。やがて一度だけでいいから会ってみたいと巽は思い、その旨をメールに書いて襄に送ると、彼も会いたいと返事を書いて来た。「アメリカに行きたいんだが・・」「お祖父ちゃん、襄さんに会いたいのね?」「ああ、会って話がしたいんだ。」巽は入所していた介護施設を出て、梨沙達と一緒に暮らすことになった。「狭い所だけれど、我慢してね。」「1人で居るよりも、楽しいよ。」孫娘夫婦の世話になりながら、巽は襄と会う為の準備をしていた。そんな中、1通のエア・メールが届いた。
2012年02月15日
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写真には今は亡き健一の曾父母・歳三と千尋、そして少年時代の父と叔母・椿と、見知らぬ青年が映っていた。「お義父様、この方は?」「あぁ、これは父が絶縁した長男の総司兄さんだ。」巽はそう言って愛おしそうに青年の顔を撫でた。「父には前妻が居てな、母は血の繋がらない兄と姉を愛情深く育ててくれた。だから総司兄さんがアメリカから帰国して5歳年上の女性を妊娠させて結婚したと聞いた時、両親は彼らと絶縁した。あの時の母の嘆きようは、まるで昨日の事のように憶えているよ。」「まぁ、そんな事が・・それで、総司さんはどちらに?」「アメリカで暮らしていたんだが、34歳で死んでしまった。今更だが、総司兄さんの息子・純に、両親の無礼を詫びたい。」「お父さん、今まで苦しんできたんだね?でもあの頃はお祖父さんには逆らえなかったんだろう?」「ああ。父の言う事は絶対だった。だがな、あの時総司兄さんと父の仲を取り持とうと努力していれば、あんな結果にはならなかったのかもしれない・・」巽はそう言って言葉を切ると、激しく咳き込んだ。「大丈夫ですか、お義父様?今日は冷え込みが厳しいから、お休みになられた方が・・」「そうだな。辛気臭いことを考えてしまった所為かな。お休み。」「お休みなさい、お父さん。」 翌朝、ダイニングに泣きはらした目をした梨沙が入って来た。「梨沙、少しは反省したか?その顔を見ると一晩中泣いていたようだが?」巽がそう言って彼女に声を掛けると、彼女は首を横に振った。「泣いてなんかいません。おじいちゃん、迷惑をかけてごめんなさい。」「謝るのはわたしじゃないだろう?」「お父さん、お母さん、ごめんなさい。」梨沙は両親に無礼な態度を取ったこと、迷惑をかけた事を謝罪した。「梨沙、お前がいずれ親になる時、この言葉を憶えておきなさい。“親孝行したい時に親はなし”。」「解りました、おじいちゃん。」 反抗期を迎え、親に何かと反発していた梨沙も、やがて社会へと出て荒波にもまれ、母親となった。「ほら登、さっさと支度して!」「そんな事言っても、まだ髪が決まらないんだよ!」「髪くらい手櫛で整えなさいよ、みんな待ってるのよ!」洗面台の前で整髪料片手に格闘する長男・登の尻を梨沙は叩くと、夫と娘が待っている車の助手席へと乗り込んだ。「登はまだなのか?」「そうなのよ。」「もうお兄ちゃん放っておけばいいじゃん。」長女の真由は携帯片手にそう言って溜息を吐いた。「ごめん、遅くなった!」「あんた、家の戸締りはしたんでしょうね?」「したよ!」「ったくもう、あんたの所為で約束の時間に遅れるじゃない!さ、あなた車出して!」「わかった。」隆と梨沙達が乗った車は、登達の曾祖父・巽が入所している房総半島の介護施設へと向かった。「お祖父ちゃん、元気だった?」「真由、久しぶりだな。」113歳となった巽は、足腰が弱ったこと以外はぴんぴんとしていた。「お祖父ちゃん、何してるの?」「いやぁ、ブログというもんを始めようと思ってな。お前達がしているのを見てわたしもやろうと思ってな。」「お祖父ちゃん、まだまだ若いね。じゃぁあたしが教えてあげるね!」真由が巽にブログの使い方を教えている頃、登は施設の中庭で携帯片手に誰かと話していた。「今は祖父ちゃんの所に居るって言ってるじゃん!話なら学校で聞くから!」『もういいよ、登の馬鹿!』「ったく、なんだよもう・・」登は携帯の電源を切ると、溜息を吐いて祖父と妹がいる病室へと戻っていった。
2012年02月14日
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敗戦を迎えて暫くは食糧難に喘いでいた巽達であったが、それも10年、20年も経つと食糧をはじめ物流などが安定し、いつも食糧を探しに靴の底がすり減るまで駆けずり回る必要もなくなっていった。「お父さん、明日はお仕事で忙しいの?」「ああ。」「運動会では太郎や他のクラスのお父さんは来るのに、どうしてうちだけ来ないの?」巽の孫にあたる健一の長男・忍はそう言って唇を尖らせて拗ねた。「忍、我がままを言ってはいけませんよ。お父さんはわたし達の為に汗水垂らして働いてくださっているのよ。それに運動会は来年もあるでしょう?」「でも僕だけ仲間外れだなんて嫌だ!」忍はそう叫ぶと、食事の最中であるのに席を立ち、ダイニングから出て行った。「申し訳ありません、お義父様。わたくしの躾が至らないばかりに・・」健一の妻・耀子がそう巽に詫びると、彼は笑ってこう言った。「余りきつく叱っては駄目だ。わたしも幼い頃、仕事で忙しい父に対して我がままを言ったものだ。健一、今は仕事で精一杯だと思うが、何とか都合をつけて日曜には忍の学校に行ってやりなさい。」「はい・・」高度経済成長の最中、朝方から出勤し帰宅するのは午前様という日々を毎日送っていた健一は、遠回しに父親から家庭を蔑ろにしていることを非難され、俯くしかなかった。「あなた、梨沙の事ですけれど・・」「梨沙がどうかしたのか?」「この前、学校から連絡があって・・あの子ったら近所の文房具屋で消しゴムを盗んだんですのよ。」「何だと!そんな大切な事をどうして言わなかったんだ!」夫婦共用の寝室で、耀子が長女・梨沙が起こした事件の事を夫に報告すると、彼は目を剥いて怒り出した。「あなたはお仕事でお忙しいでしょうし、余計な心配を掛けたくなかったんです。」「梨沙は僕と君の娘だ。あいつは今部屋か?」「ええ。」「梨沙をここへ呼べ。」耀子が寝室を出て梨沙の部屋のドアをノックすると、中から返事がなかった。「ママ、入るならノックしてよ!」思春期に入り、反抗期真っ只中である中学1年生の梨沙は、そう言って母矢を睨みつけた。「ノックしましたよ。中から返事がないから入っただけじゃないの。」「あ、そう。何の用なの?」「お父様がお呼びですよ。」梨沙は不貞腐れた顔をして、夫婦共用の寝室に入って来た。「パパ、話ってなに?」柱に気だるそうに凭れかかった娘の頬に、健一は平手を打った。「何すんのよ、痛いじゃない!」「親に向かってその態度はなんだ!人様のものを盗んでおいて反省もなしか!」「お金払ったんだからいいでしょう!」「何だと!」健一は護身用の木刀を握り締めると、それを梨沙の前に振り翳した。「そこへなおれ、梨沙!今日という今日こそはお前のその腐れ切った性根を叩き直してやる!」「やれるもんならやってみろってのよ、クソジジイ!」「あなた、わたくしに免じて許してあげてください!梨沙、あなたもお父様にお謝りなさい!」寝室での騒ぎを聞きつけて、巽が寝室に入って来た。「夜中に何の騒ぎだ!梨沙、お前は頭を冷やす為に外で寝ろ。」「こんなに寒いのに?おじいちゃん、本気なの!?」「お前は両親に対して無礼な事をしているのがわからんのか!」巽はまるで鞭を振るったかのような厳しい声で梨沙を黙らせると、健一達の方へと向き直った。「2人は離れに来なさい。」 巽が使っている離れの和室に健一と耀子が入ると、巽はおもむろに1枚の写真を見せた。
2012年02月14日
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「ただいま戻りました。」「お帰りなさい、椿さん。」椿が嫁ぎ先である高円家の玄関へと入ると、義母・恵子が彼女を迎えた。「さっき陽輔がかんかんになってきて帰ってきたけれど、向こうで何かあったの?」「ええ。」椿は姑に、父の遺産は全て弟夫婦が相続したことを告げると、彼女は深い溜息を吐いた。「巽さん達はあなたのお父様をお支えになっていたものね。陽輔があんな事をしなければ、お父様の心証を悪くしなかったものを。」「ええ。お義母様、子ども達は?」「外で遊ばせていたら、疲れたようでお部屋で休んでいるわ。それにしても椿さん、もう大丈夫なの?」恵子の視線が、椿の丸みを帯びた下腹へと移った。「大丈夫です。」「陽輔は身重の妻を家に置いて、毎晩飲み歩いて・・わたしの教育ができてなかったのねぇ。」恵子は再び溜息を吐くと、椿の為に温かい飲み物を淹れてくるといって席を立った。 1人になった椿は、これから夫とどうするのかを考えていた。二児の母として、陽輔の妻として今まで頑張ってきたが、陽輔が問題を起こすたびに何かと父に金を集って来たので、歳三は自分が生きている内に子ども達を連れて実家に帰って来いと言っていた。だがもうその父もおらず、もうすぐ3人目が生まれるというのに、子ども達を養える金もない。「なんだ、居たのか?」「あら、居て悪いかしら?」椿が顔を上げて陽輔を見ると、彼はまた何処かへ出掛けるようだった。「また夜遊びでもなさるつもり?3人目が生まれるというのに・・」「飲まなきゃやってられないんだ。なぁ椿、巽さんに頼みこんで少しは金を・・」「お断りします。あなたが夜遊びを止めたら、お金が溜まりますよ。」「何だその言い草は、夫に向かって!」陽輔は妻の態度に腹が立ち、彼女の髪を掴んで床に倒した。「痛っ!」乱暴に押し倒されたので、椿は下腹部を強打した。「陽輔、何をしているの?」恵子は床に蹲る椿へと駆け寄ると、彼女は破水していた。「早く車を出しなさい、病院へ運びます!」恵子の言葉に、陽輔はぶすっとした顔をして外へと出て行ってしまった。「椿さん、大丈夫よ。」 病院へ運ばれた椿は、そこで元気な女児を出産した。「椿さん、陽輔と別れたいのならわたしがいつでも力を貸しますよ。もうあの子を息子とは思いませんから。」「ありがとうございます、お義母様。」 出産した椿が娘を連れて帰宅した時、陽輔の姿は何処にもなかった。居間の机には、『探さないでください』という書き置きだけが置かれていた。椿は3人の子供たちを連れて高円家を出て、実家へと戻ってきた。「お義姉様、お帰りなさい。」「ごめんなさいね、静江さん。お父様の事でバタバタしているというのに・・」「いいえ。困った時はお互い様ですわ。」実家に出戻った義姉に対して労いの言葉を掛ける静江を見て、弟は良くできた嫁を貰ったものだと椿は思った。 歳三の死から9年が経ち、戦争による食糧難や物資難が著しくなり、巽達は何とか家族の分の食糧や物資を調達し、それで空腹を凌いでいた。「いつまでこんな事が続くのでしょうね?」「全くだわ。最近暑いわね。」「ええ、本当に。」静江が今や野菜畑と化したテニスコートで鍬を振るっていると、巽が何やら慌てた様子で走って来た。「どうなさったの、あなた?」「静江、ラジオをつけろ!緊急放送がある!」静江が慌てて鍬を放り出し、居間にあるラジオのスイッチをつけると、そこから天皇陛下の御声が雑音に混じって聞こえてきた。それは、敗戦を知らせる“玉音放送”だった。
2012年02月13日
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「まさか、こんなに早くあいつが俺の前から居なくなるとはな。」千尋の葬儀を終えた後、歳三はそう呟いて乾いた笑い声を上げた。「お父様・・」「総美も死んで、総司に続いて千尋まで・・俺の前から1人ずつ居なくなっちまう。」歳三は溜息を吐き、妻の笑顔の遺影を見つめた。 これまで自分を陰に支えてきた千尋を失い、歳三は体調をしばしば崩すようになっていた。「心配だわ、最近お食事も余り召し上がらないし。」「やはりお義母様がお亡くなりになられたことで、寂しい思いをなさっているのではないかしら?」静江はそう言って、歳三が手をつけていない昼食の膳を見た。「お父様、入りますよ?」「入れ。」「失礼します。」巽が歳三の部屋に入ると、彼は億劫そうにベッドから起き上がった。「最近静江が心配しておりますよ。せめて食事をとってください。」「そうしたいんだが・・身体が最近言う事を聞かなくてな。そういえば健一はどうしてる?」「あいつならまだ学校ですよ。」「確か来年小学校を卒業するんだったな。百貨店で入学祝いでも買っておくか。」「まだ早いですよ、お父様。」「そうだな。」歳三はそう言って苦笑すると、巽を見た。「なぁ巽、これは天罰なのかな?息子を冷たくこの家から追い出した罰が、下ったのかな?」「そんな事はありませんよ。総司兄様も、もう許してくださっています。」「そうか・・」歳三はゆっくりと目を閉じると、巽の手を握り締めた。「おやすみなさい、お父様。」「おやすみ・・」それが、歳三が遺した最後の言葉だった。 千尋が亡くなってから数ヵ月後、歳三はその後を追うようにして67年の生涯を終えた。「お父様、まだ教えて頂きたいことがあったのに、逝かれるだなんて!」「まだ親孝行をしていませんのに・・」千尋の死後、体調を崩した歳三の看病をしていた巽と静江は、涙を流しながら父の死を悼んだ。その後、歳三の遺産について顧問弁護士の井上が土方家にやって来た。「死後、わたしが所有する土地は次男の嫁・静江さんに、現金は次男・巽に全て分与する。」「まぁ、それだけなの?」「ええ、この遺言書に異存がありませんのでしたら、サインをお願い致します。」巽が財産相続の旨が記された書類に署名しようとした時、長女・椿の夫である高円陽輔が部屋に入って来た。「一体どういうことですか!僕達にだって貰う権利はある筈でしょう!」「何を言っているんですか、お義兄様!お義父様の許可なしに新事業を立ち上げるという友人の口車に乗せられて詐欺に遭ったのは、お義兄様でしょう!」静江は義父・歳三の金を浪費した挙句詐欺に遭った義兄に対して非難の声を上げると、義姉の椿が慌てて夫の腕を掴んで部屋へと連れ出した。「何をするんだ、離せ!」「あなた、みっともない事はよして頂戴!弟夫婦に父の遺産は相続されたのだから、もうわたくし達は諦めるしかないの!」「お前はなんて薄情な女なんだ!それでも俺の妻か!」「妻だから申しているのです!あなたの所為で家族がどれだけ苦しんだと思っているの!?」「もういい!」陽輔は乱暴に妻の手を振りほどくと、土方家から出て行った。「申し訳ございません、見苦しいところをお見せいたしまして・・」椿がそう言って夫の無礼を弟夫婦に詫びると、彼らは何も言わなかった。「お義姉様、今日は体調を崩しておられるのにわざわざ来てくださり、ありがとうございました。」 帰り際、静江から労いと感謝の言葉を聞いた椿は、夫との諍いで疲れた心が癒されるのを感じた。
2012年02月13日
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「どういうことです、理哉さんが死んだなんて・・」「どうやら、仕事の最中で移動する際に乗っていた汽車が脱線したそうだ。」「何ということでしょう。お可哀想に・・」千尋は突然の理哉の死に、嘆き悲しんだ。いつも自分に冗談を言っては笑わせてくれた理哉が、もう居ないなんて信じられなかった。「理哉小父様が亡くなられるだなんて、信じられませんわ。昨年の元旦に元気なお姿を見せてくださっておられたのに・・」巽の妻・静江がそう言って溜息を吐いた。「ああ、僕も信じられないよ。残された梨枝子小母様や純君がどんな思いをしているか・・」「お義父様はもっと辛そうなお顔をしておりましたわ。理哉小父様を実の弟のように可愛がっていたんですもの・・」 土方家は理哉の訃報を受け、上海で遺された彼の妻子に想いを馳せながら、彼の冥福を静かに祈った。「社長、お電話です。」「誰からだ?」「川島興産の三島という方からです。」「すぐに繋げ。」歳三はそう言って電話番が繋いだ電話を取った。『もしもし、土方社長?』「これは三島さん、こんな時間に何のようでしょうか?」『実は、貴社の株を売っていただけませんか?』「このような時期、どこの会社も己の宝を他所へ渡すような真似はいたしませんよ。申し訳ございませんが、お断りいたします。」『お待ちください、あの・・』三島が尚も言い募ろうとしたところを、歳三は受話器を乱暴に置いた。「社長、お客様です。」「またあの三島とかいう奴じゃねぇだろうな?」「いいえ。ただ社長を出せと・・」今日は来客の予定はない筈だと思いながら歳三が仕事していると、俄かに廊下の方が騒がしくなった。「困ります、社長は今仕事中で・・」『離せよ、僕のパパは死にそうなんだ!』社長室のドアが開き、襄が入って来た。『一体これは何の真似だ?相手を訪問する時は向こうの都合を聞くのがマナーだというのが知らないのか?』歳三はそう言って襄を睨み付けると、彼はつかつかと歳三に近づいた。『パパを助けてよ!パパは死にそうなんだ!』『ふん、そう言われてもお前のパパと俺は縁を切ったんだ。』歳三は帯封がついた金が入った封筒を襄に手渡した。『薬代にはなるだろう。これを持ってここから出て行け。』襄は屈辱に震えながら、封筒を握り締めて社長室から出て行った。「社長、今のはあんまりではありませんか?いくら絶縁しているとはいえ、総司様の事が気にならないのですか?」「ああ。絶縁した息子の事よりも、今はやらないといけない事が山ほどあるんだ。」「そうですね。」その年の10月、末期の肺結核に冒された土方総司は、両親と和解することなく、アメリカで妻子と妻の両親に看取られながら、34年の短い生涯を終えた。『あの人達は酷いわ、わたし達にこんな仕打ちをして・・』『ママ、泣かないでよ。これから僕がパパの代わりにママを守るよ。』襄は、父を助けてくれなかった歳三への激しい憎悪を募らせていった。1936(昭和11)年、二・二六事件後、政権は軍部が掌握することとなり、日本を黒雲が次第に覆い尽くそうとしていた。「あなた、起きて下さいな。」「どうしたんだ、静江?」「お義母様が・・」妻の切迫した表情を見た巽がリビングへと入ると、そこにはペルシャ絨毯の上に倒れたまま動かない千尋の姿があった。「誰か、医者を!」数分後医師が呼ばれたが、千尋の意識は回復することなく、息を引き取った。52歳の、波乱と幸福に満ちた生涯であった。
2012年02月12日
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1930(昭和5)年、東京。 第一次世界大戦、関東大震災を乗り越え、土方歳三は土方財閥設立50周年記念パーティーを帝国ホテルの宴会場を貸し切って行っていた。「本日は弊社の設立50周年記念パーティーにお忙しい中来て下さり、この土方歳三、恐悦至極の思いでございます。今後とも何かと宜しくお願い致します。」壇上にて挨拶を述べる歳三は、還暦を過ぎたとは思えぬ程背筋を正し、常に丹田に力を込めるようにして歩き、招待客に笑顔を振りまいていた。「お父様、立派だこと。還暦を過ぎても全く老けている気配などないわ。」長女の椿はそう言って、隣に立っている母・千尋を見た。「ええ。お父様はとても精力的な方ですからね。椿、今夜はパーティーに出てよかったの?」「大丈夫よ。剛と晃はお義母様に見ていただいておりますから。」女学生の頃、“わたくしは一生独身を貫くわ”と言っていた椿だったが、今では二児の母と大学教授の二足のわらじを履きながら、仕事と主婦業を両立している。「あちらのお義母様が、あなたに理解ある方で良かったわ。それにしても、巽の姿が見えないわねぇ。あなた、ご存知ないの?」「いいえ。」千尋と椿が末息子の姿を探していると、入口の方が急にざわめき始めた。「あら、どうしたのかしら?」千尋がさっと入口の方へと向かうと、そこには長年絶縁していた長男・総司とその妻・アビー、そして13歳の長男・襄(じょう)の姿があった。「お久しぶりです、お母様。」「あら、あなた方をこちらに招いた憶えはなくてよ。」千尋はそう言って警備の者を呼ぼうとしたが、その時総司が彼女の前に土下座した。「13年前、わたしはとんだ親不孝な真似をしてしまいました。どうか、許して下さいませんか!」「いいえ、許しません。あなたとわたくしはとうに親子の縁を切った身です。いくらあなたがここで額を床に擦りつけようとも、許すわけにはまいりません。解ったのなら、さっさとここから出てゆきなさい!」「奥様、どうなさいましたか?」歳三の右腕である斎藤が、ただならぬ様子の千尋と総司達の間に割って入った。「斎藤、塩を持ってきなさい。」「ですが奥様・・」「土方に恥を掻かせるおつもりですか?」斎藤が塩を持って来ると、千尋はそれを一摘み握ると総司へとぶつけた。「さぁ、お帰りなさい!」「奥様、おやめください!人の目がございます!」「お黙りなさい!この恥知らずめ、よくもこの場に顔を出せたものだわね!」実母のように深い愛情を注いでくれた継母の、余りにも冷淡な態度に、総司は涙も流さず、唇から血が出るまできつく噛み締めながら、その場から動こうとしなかった。『パパをいじめるな!』父が義祖母の罵倒と冷たい仕打ちに耐えているのを見兼ねた襄は、彼の手を引っ張った。『パパ、帰ろうよ。』『そうだな、帰ろう・・』総司はそう言うと、息子の手を握りながらパーティー会場を後にした。「兄上、待って!」パーティー会場から出て行く長兄の姿を、巽は呼び留めたが、彼は哀愁漂う背中を見送ることしかできなかった。「総司兄様が、来ていたのね。」「うん・・」「13年も音信不通だったのに、どうしたのかしら?」「さぁ・・」巽は嫌な予感がして、総司と連絡を取らなければと思った。「一体どういう事だ、これは!」 翌朝、千尋はリビングから響く怒声で目を覚まし、慌てて一階へと降りていった。「どうなさったの、あなた?」「千尋・・理哉が・・死んだ!」
2012年02月12日
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総司とその妻・アビーは結局歳三達と和解せぬまま、再び渡米した。「お兄様、お手紙頂戴ね。勿論お父様達には内緒で。」「ああ。急に来て、さっさと帰ってしまって済まないな。」総司はそう言って椿を抱き締めた。「時間が解決してくれると思うわ。お母様達だって頭に血が上がってあんな事おっしゃったけれど、距離を置いてみたら冷静になると思うのよ。」椿はそう言って兄を励ましたが、あれ以来両親は総司の存在をまるで忘れたかのように彼の話をしようともしない。「じゃぁね、身体にお気をつけて。」「ああ。」兄夫婦が船に乗り込むのを見送った椿が帰宅すると、千尋が何やら総司の部屋の前でメイド達にてきぱきと指示を出していた。「お母様、何をなさってるの?」「何をって、総司の物を処分するんですよ。あの子もそのつもりであんな女と結婚したんですからね。」「お母様、こんなの酷過ぎるわ!」椿はそう言うと千尋が総司の物を運び出そうとするのを止めた。「これくらいしないと、わたくしの気持ちが収まらないのよ、止めないで!」「千尋、よさないか。」歳三が見兼ねて2人の間に割って入ったが、千尋は歳三の手を邪険に振り払った。「放っておいて!あの子ときたら・・年上の女に騙されて可哀想に!」千尋は金切り声を上げて泣き叫ぶと、床に蹲った。「千尋を部屋へ運べ。」「承知しました。さぁ奥様、こちらへ・・」「あの親不孝者め・・絶対に許さないわ・・」総司への恨み事を吐きながら、千尋は部屋へと入っていった。「さっきのを見ただろう?千尋はあの女に手塩にかけて育てた息子を奪われて悔しいのさ。」「そうなの。亡くなられたわたくしのお母様に代わって総司兄様やわたしを育ててくださったんだものね。渡米しただけでもおさびしいのに、突然結婚だなんて・・お兄様もお兄様だわ、結婚なさったのなら連絡ひとつ寄越せばよかったのに。」港では兄の味方をしようと思っていた椿であったが、息子を盗られた千尋が悲嘆する様子を目の当たりにし、結婚の挨拶に事前の連絡なしに来る兄夫婦の非常識さに彼女は腹が立った。「ねぇ姉上、あれから全然連絡が来ないけど、どうなったのかなぁ?」「さぁね。また突然帰国するんじゃなくて?」学校から帰った巽がそう言って姉に兄夫婦の事を尋ねると、彼女はどこか冷めた口調でその話を切り上げた。 兄夫婦が渡米してからもう4年余り、向こうから連絡は一切なく、両親も姉も彼らの事は口にしない。まるで彼らの存在を忘れ去ろうとしているかのように。「巽、あなたこれからどうするつもりなの?」「父上の会社を継ぐために、働いてみるよ。」「そう、それは良かったわ。何処かの誰かさんと違って、あなたは年上の女に騙されないと思うから。」「よさないか、千尋。」「明日早いからもう部屋で休むよ。」巽はそう言ってリビングから出て行き、部屋で休んだ。 翌日、彼は歳三ととともに就職先の会社へと向かった。「わざわざついてこなくてもよかったのに。」「社長には何かと面倒を掛けるからな、挨拶をするだけだ。」「そう、ならいいけど・・」巽は歳三につられて社長室へと向かうと、そこには既に丸顔の人の良さそうな社長が椅子に座っていた。「社長、今日からうちの倅がお世話になります。」「いいえ。土方君、今日から頑張りたまえよ。」「宜しくお願い致します。」社会人としての一歩を歩み始めた息子を、歳三は目を細めて見ていた。息子が居る会社を後にした歳三は、街中で1人の少年とぶつかった。「ああ、済まないね。」「財布、出して貰おうか?」歳三がそう言うと、少年は舌打ちして財布を彼に渡すと、雑踏の中へと消えていった。
2012年02月12日
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4年振りにアメリカから帰国したかと思ったら、急にお腹の大きい白人女性を連れて来た息子の言葉に、歳三と千尋は余りにも驚いて言葉が出なかった。「どういうことなの、ちゃんと説明して頂戴!」「お前、留学中に女を孕ませて結婚しただと?それを報告する為に帰国したってのか!」怒り狂う両親を前に、総司は妻・アビーの存在を彼らが快く思っていないことに気づいた。「解ったよ、ちゃんと説明するよ。」場所を玄関ホールからリビングに移し、総司は妻の隣に腰を下ろし、彼女との出逢いから結婚に至るまでの経緯を話した。総司とアビーが知り合ったのは、総司が大学3年の時にアルバイトしていたカフェで、アビーがコーヒーのおかわりを頼むついでに彼に話しかけてきたことが始まりだった。当時彼女は大学を卒業し、大手新聞社の花形記者として活躍していて、総司が父の会社を継ぐために大学で経済学を専攻していることを話すと、アビーは『是非あなたの家族の事を知りたい』と言われ、時々2人きりで会うようになった。やがて彼女と意気投合し、恋人として付き合うようになった。そろそろ結婚しようという時期に差し掛かり、アビーの妊娠が判った。彼女の両親に挨拶を済ませ、総司はアビーと小さな教会で結婚式を挙げた。そして自分の両親に彼女を紹介する為に帰国したという。「そうなの。じゃぁこれからどうするの?」「どうするって、向こうのご両親と暮らすよ。本当ならここで一緒に暮らしたいんだけれど、彼女が慣れない土地で暮らすのは嫌だって言うから・・」「全く、久しぶりに帰ってきたと思えば、年上の女の尻に敷かれるだなんて・・わたくし、あなたの亡くなられたお母様にどう顔向けしたらいいのか解らないわ!」千尋はそう叫ぶなり、溜息を吐いた。『ソウジ、どうしたの?』隣で総司と両親の会話を聞いていたアビーが、にこにこしながら夫を見た。どうやらこの緊迫とした雰囲気に彼女は気づいていないらしい。『アビーさんとおっしゃったわね?うちの総司は将来、この土方家を継ぐ長男なんですのよ。あなたの勝手な都合で大事な長男である総司をアメリカに連れて行くなんて、わたくしは認めませんからね。』千尋がそう言ってアビーに英語で食ってかかると、彼女も切り口上で言い返してきた。『家族とともにいることが、何が悪いんです?それにソウジは友人も家族も居ない日本でわたしが出産するのは心細いだろうからと、納得してくれたんですよ!』『あら、それはどうかしら?あなた、上手く総司を丸めこんだのではなくて?』『どうしてそのような言い方をなさるんです?わたしの何処が気に入らないんですか?』『あなたの全てよ!年上だということ自体気に入らないのに、嫁の両親と同居だなんて!長男の嫁は夫の両親と同居する事が当たり前なのよ!』『アメリカでは妻や夫の両親の家とは互いに行き来します。それが普通です!』『あら、ここは日本です!“郷に入っては郷に従え”という言葉を知らないの?あなたはそれでも新聞記者なの?』女同士が繰り広げる激しい言い争いに、総司と歳三は口を挟む余地がなかった。『とにかく、総司をあちらへ連れて行くのなら、今後一切連絡してこないで頂戴ね!今日限り、あなた方とは縁を切ります!』千尋はソファから立ち上がると、リビングから出て行った。「これからどうなるのかしら?」椿は斎藤に着替えを手伝って貰いながら、真新しいドレスを着て鏡の前で一周した。「さぁ、それは旦那様と奥様がお決めになることです。それよりも今夜の舞踏会、楽しんで来てくださいね。」「ええ。」椿は斎藤にそう言って笑うと、意気揚々と部屋から出て行った。「椿、舞踏会楽しんでいらっしゃい。」「ええ、解ったわ。お兄様は?」「さぁね。あの女とホテルに泊まってますよ。まぁ会うつもりもないけれど。」「お母様・・」「お兄様の事よりも、自分の事を心配なさい。」千尋は椿に笑顔を浮かべたが、目が笑っていないことに彼女は気づいていた。
2012年02月12日
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椿は、不貞腐れて寝台の上に寝転がっては天井を見ていた。最近父も母も、自分に対して厳しくなってきたように思えてならなかった。いずれはこの家を出なければならない身だから、両親がそうするのは当然だと思っているのだが、どうしても母が自分に対して厳しいと感じてしまう。 まだ幼かった頃、母は自分の事を可愛がってくれたし、どんな我が儘でも聞いてくれた。世の中の母親は皆こうなのだと、椿は勝手に思い込んでいた。真実を知るまでは。 その日は、兄の総司と母と3人で劇場へと向かった。子ども向けの劇を鑑賞し、その余韻に浸りながら母と手を繋いで銀座を歩いていると、突然向こうから来た女性に話しかけられた。「あら、土方さんではないこと。」「こんにちは。」「あら、こちらの可愛いお嬢さんは?」「娘の椿です。椿、ご挨拶なさい。」「こんにちは、ひじかたつばきです。」その女性にお辞儀すると、女性は頬を緩めて自分を見た。「まぁ、可愛らしいこと。血が繋がらない娘さんでも、実の親子に見えるわねぇ。」女性がそう言った時、母が自分の手を強くひく感覚がした。「申し訳ございませんが、子ども達と食事をする約束をしておりますの。さぁ、行きますよ。」「あら、そう。残念ねぇ。」急に手を引いて歩き出した母の態度に、幼い椿は戸惑っていた。あの頃はまだ大人達が抱える複雑な事情というものを知らなかったし、それを洞察する力もなかったから、きっと母はあの人とは親しくないのだろうと思っていた。だが今は、あの女性が自分達親子をどういう目で見ていたのかが解る。自分と母が血が繋がっていないということも。 実の子ではないから、母は自分に対して厳しく接するのかと、椿は最近思うようになっていた。実母は椿が物心ついた時からすでに亡く、千尋と血が繋がっていない事を知った椿はショックの余り寝込んでしまった。だが母も、母なりに自分を愛してくれようとしていたのだ。(何しているのかしら、わたし・・)些細な事に怒って、部屋で不貞腐れている暇などないのに。「椿、入るわよ?」「どうぞ。」部屋に母が入ってくる気配がして、椿は寝台から降りた。「さっきはきつい事を言ってしまってごめんなさい。お父様はね、あなたの事を思って・・」「もういいわよ。巽と一緒に工場へ行くわ。わたくし甘えていたのよ、今までずっと。」「そう。辛いのなら戻ってきてもいいのよ。」「ううん、向こうで暫く頑張ってみるわ。」 数日後、椿は巽とともに三陸の工場へと向かい、そこで牡蠣の収穫を手伝った。夏が終わり、秋を迎えた東北の朝夕の空気は冷え込んでいて、椿は何度も東京に戻りたいと思っていた。しかしここで戻っては自分の為にならないと、怠けようとする自分に喝を入れた。「ただいま。」「お帰りなさい。向こうは寒かったでしょう?」「ええ。牡蠣が予定よりも早く収穫出来て皆さん喜んでいたわ。それに向こうに友達が出来たのよ。」そう言った椿の目は輝いていた。「あの子も変わりましたわね。」「ああ。甘やかすよりも一度は冷たく突き放す方が良いかもな。」歳三はそう言って笑うと、千尋を抱き締めた。 総司が渡米してから4年の歳月が経った夏のある日、彼が突然帰国した。「お久しぶりです、お父さん。」「お帰り、総司。」歳三は笑顔で息子を迎えたが、彼は一人ではなかった。「紹介します、僕の妻の、アビーです。」そう言って総司が紹介したのは、お腹の大きい女性だった。
2012年02月11日
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「困った事って、何ですの?」「あぁ、お前ぇらは三陸の工場があるのは知っているな?」「ええ。その工場がどうかなさったの?」椿がそう言って歳三を見ると、彼は渋面を浮かべていた。「その工場主が、有り金全部持っていってとんずらしちまったんだ。もうすぐ牡蠣の収穫が近いってのに・・」「それは大変ね。でもそれがわたくし達に関係あるの?」「おおありだ。工場主がとんずらしちまって、牡蠣を収穫しようにも人手が足りねぇ。そこでお前ぇらに工場に行って欲しいってわけだ。」「わたくし達が?冗談でしょう!」椿はあからさまに嫌そうな顔をしたが、巽は何かを考え込んでいるようだった。「どうしてわたくし達が行かなければならないの、お父様?わたくし達ではなくても、他の方達が収穫を手伝って下さるでしょう?」「椿、お前ぇは考えが甘い。自分だけ楽をして美味い物をたらふく食ってればそれで満足と言いてぇのか?」歳三はじろりと椿を睨むと、彼女は小言で何かを呟いていた。「姉様、困った時こそ助け合いが必要じゃないか。」「でも、わたくし達がどうしてあんな所に・・」「椿、あなたは世間を知らな過ぎます。自分を中心に世界が回っていると思っては駄目よ。」3人の会話を聞いていた千尋がそう言って椿を窘めると、彼女はブスッとした顔をして黙り込んだ。「姉様は嫌だろうけれど、僕は行かせて貰うよ。」「そうか、ありがとうな巽。」「わたしは嫌ですからね。」椿はさっとソファから立ち上がると、リビングから出て行ってしまった。「放っておけ。あいつはいつまで経っても我が儘娘で困る。」「本当に・・弟の巽はちゃんと将来の事を考えているのに。やっぱりわたくしが甘やかした所為かしら?」千尋はそう言った後深い溜息を吐いた。 総司と椿は歳三の前妻・総美(さとみ)の子どもで、血が繋がらない継子を千尋は実子である巽と分け隔てなく育てていたが、どうしても総美に対して遠慮してしまい、それが子育てにもいつの間にか影響してしまっていた。その所為なのか、椿は何かと千尋に対してよそよしい態度を取るようになっており、千尋の方も椿にどう接したらいいのか解らなくなってしまっていた。 同性同士、色々と相談したい事などが椿にはこの先増えるというのに、彼女との関係を今の内に良くしたいと千尋は思っていた。「どうした、千尋?気難しい顔をして?」「いいえ、何でもありませんわ。」「巽、部屋に行ってろ。俺は千尋と話がある。」「解りました、失礼します。」巽は両親に向かって頭を下げると、リビングから出て行った。「最近お前様子がおかしいぞ?もしかして、椿との事で悩んでいるんじゃねぇのか?」「ええ・・あなたと結婚して以来、わたくしは総司や椿を実の子のように育てておりました。ですが心のどこかで、わたくしは総美さんと自分を比べてしまっていたのではないのかと・・」「総美と?」「ええ。まだ椿が小さい頃に何かと困っていた時、“総美さんならこうするだろう”とか、“実の母親ではないからきつく叱ってしまっているのではないか”とか悩んでしまって・・」「千尋、済まねぇな。仕事に忙しくて家の事を全部お前に任せきりで。」歳三はそう言って、最愛の妻を抱き締めた。「お前のお蔭で、子ども達は立派に育った。椿は今一番難しい年頃だから、あいつはあいつで悩んでいる事があるんだろう。」「そうですね・・」 歳三と結婚してからというもの、一人で頑張り過ぎてしまったのではないかと千尋は思った。 良い母親になろうとして、いつの間にか自分の心を殺してしまった事に気づいた千尋は、これからは歳三に何でも相談しようと思った。
2012年02月11日
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1912(明治45)年8月、横浜港。桐生理哉は妻子を連れ、上海へと旅立つところだった。「身体に気をつけろよ、理哉。」「うん。千尋ちゃん、これから寂しくなるけど・・」「ええ。機会があったら上海に遊びに来ますからね。」千尋はそう言うと、理哉に微笑んだ。「千尋さん、色々とありがとう。」理哉の妻・梨枝子は、深々と彼女に頭を下げた。「梨枝子さん、悩んでいる時はいつでもわたくしに相談して頂戴。相談に乗りますからね。」「ええ。純、行きましょう。」「お母様、上海に行かないと駄目ですか?ここに残っては駄目?」純は父親譲りの茶目っ気がある翠の瞳で、梨枝子を見た。「いけませんよ、純。我が儘を言っては。二度と会えなくなるわけではないのですから。」「そうだよ、純。生きていればまた会えるんだからね。」「わかった・・」純はそう言って父親のズボンにしがみつくと、両親とともに船に乗り込んだ。「寂しくなりますわね・・」「あぁ。」彼らが乗った船が水平線の彼方に消えてゆくのを、千尋と歳三は暫く港で眺めていた。「総司兄様はアメリカで楽しくやっているみたいね。最近お手紙が来ないようだけど。」椿はそう言いながら、クッキーをひとつ摘むと口に放り込んだ。「便りがないのは元気な証拠だっていうしね。」「そうそう。まぁ帰ってくる頃には結婚相手でも連れて来るかもね。」「どうかなぁ?総司兄様、顔はいいんだけど性格がねぇ。」巽が唸っていると、ドアが開いて斎藤が入って来た。「椿お嬢様、習志野様からお手紙です。」「要らないわ。捨てておいて。」「はい。」「またあの侯爵の息子から?見合いで無礼な事したのにまだ姉様の事諦めてないんだね?」「ええ。ああ、あいつの顔を思い出すと腹が立って仕方がないわ!巽、憂さ晴らしに何処かでパーっと遊ばない事?」「嫁入り前の娘が、はしたないことを・・って、斎藤は言うだろうけれど、丁度僕も遊びたかったから、付き合うよ。」「それでこそ、わたくしの弟ね。」椿が巽を連れていったのは、百貨店だった。「ここに最近、新しくカフェーが出来たのよ。」「ふぅん、カフェ―ねぇ。チョコレートケーキが売りだって聞いたけど、本当に美味いもんなのかねぇ?」「さぁ、百聞は一見にしかずよ。さ、行きましょう!」彼らがカフェーへと向かっていると、習志野侯爵の長男・保も丁度百貨店に来ていた。「おや、奇遇ですね。」「あらぁ、誰かと思いましたら無礼な方ね。巽、チョコレートケーキは店員さんに頼んで持ちかえって家でいただきましょう。」「うん、解った。」巽と椿はチョコレートケーキを持って、カフェ―から出ようとした。「待って下さい、少し話を・・」「姉は何もあなたと話したくありませんと言ってます。そうだよね?」「ええ。それでは習志野さん、御機嫌よう。」椿は自分の腕を掴む保の手を乱暴に振り払うと、カフェ―から出て行った。「ねぇ巽、あの方どう思う?」「何だか嫌な奴だなぁ。理哉さんみたいにいい人は稀だけど、華族ってみんなそうなのかなぁ?」「偏見は良くないわ。」二人が楽しく話しながら家路に着くと、歳三が怖い顔をしてリビングのソファに座っていた。「二人とも、出掛けてたのか?」「はい・・」「そうか。ちょっと困ったことになった。そこへ座れ。」
2012年02月10日
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「単刀直入に言う、何故総司を告発した?大西某と同じように、てめぇも総司が生意気だったからっていうつまらねぇ理由からか?」歳三はそう言うと、桟橋にもたれかかっている直人を見た。「まさか。総司に罪を着せてしまったことはお詫びいたします。大西がしたことは僕が始末をつけます。それよりも土方さん、この国をどう思いますか?」「急にそんな事を聞かれても困るな。明治の世になって早45年、もうすぐ列強の仲間入りを果たそうとしてるんじゃねぇか?」「そうでしょうか。徳川から残る身分や悪習は未だに蔓延り、人々を苦しめている。敗者は勝者に蹂躙される。それが45年も続いているなんて、愚かしいと思いませんか?」「まぁな。俺ぁ農家の末っ子として生まれて、色々と理不尽な目に遭ってきたからよ。てめぇの考えは良く解る。だがな、罪をでっちあげて他人を陥れようとするなんざ、お前ぇが憎んでいる連中と同じってこったな。」歳三はそう言うと、咥えていた煙草を川へと放り投げた。「あばよ。もううちに出入りするな。総司は事情があってお前ぇと縁切りすることにしたと手紙で知らせておく。」「ありがとうございます。アメリカに行く手間が省けました。」直人は不敵な笑みを浮かべて、歳三に背を向けた。「お帰りなさいませ、旦那様。」「ただいま。」直人と日本橋で対峙した後、歳三が帰宅すると、斎藤が彼の方へと近づいてきた。「後でクッキーをお部屋に運びましょうか?」「ああ、頼む。」斎藤と歳三は少し目を合わせると、斎藤は自分の持ち場へと向かった。「あ、斎藤さん・・」斎藤が厨房に入ると、メイドが気まずそうな顔をして彼を見た。「何か問題でも?」「いいえ・・」「では、エプロンの中に隠していたものはなんだ?」斎藤はそう言うと、メイドのエプロンのポケットが少し膨らんでいることに気づいた。「え、わたしは何も・・」「ポケットの中を見せなさい。」「はい・・」彼女は俯いて、ポケットの中からクッキーの袋を取り出した。「これをどうするつもりだったんだ?これは旦那様やお嬢様達にお出しする、お客様からいただいた大切なものなんだぞ!」「申し訳ございません。子ども達に食べさせてあげたかったものですから・・」「ならば泥棒のような真似をせず、素直に旦那様にお頼みしたらいいのだ!この事は旦那様に報告しておく。処分が決まるまで自宅で謹慎していなさい。」「はい・・」メイドは俯き、厨房から出て行った。「全く、君って人は頭が相変わらず固いねぇ。クッキーのひとつやふたつ、あげてもいいじゃない。」背後から神経を逆なでするかのような声が聞こえて斎藤が振り向くと、そこには理哉が壁にもたれかかるようにして立っていた。「あなたのところはそうかもしれませんが、我が家には我が家のやり方がございます。」「ふぅん、そうなの。」理哉は翡翠の瞳を細めると、厨房を後にして書斎へと向かった。「土方さ~ん、愛しの弟が来ましたよ~!」「誰が“愛しの弟”だ!てめぇが来ると碌な事がねぇんだよ!」「千尋ちゃんは?」「あいつなら友人達と午後のお茶会さ。お前の連れ合いも居るぜ。」「そう。あぁ、ひとつ報告があって来たんだった。純は学習院じゃないところに行くことになったから。」「そうか。じゃぁな。」「冷たいなぁ、もう。暫く会えないのにぃ。」理哉はそう言うと、猫のように喉を鳴らしながら歳三にしなだれかかった。「お前何処かに行くのか?」「うん。ちょっと海外へね。」「そうか、気をつけてな。」
2012年02月10日
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「父さん、総司兄さんを告発した奴、知ってるよ。」「なんだと?何処のどいつなんだ?」「実はね・・」巽から歳三は、総司を告発した人物を突きとめ、彼が住む家へと向かった。「君が大西楊君?」「はい、そうですが・・どなたですか?」ドアを開けて出てきた青年は、学生服を着た、いかにも好青年という印象を持てた。「俺は土方歳三っていうんだが・・」青年―大西楊は歳三の名を聞いた途端、ドアを閉めようとしたが、歳三がその隙間に足を挟んで阻んだ。「じっくりと話を聞かせて貰えるか?俺の倅に謂れもねぇ疑いをかけたその理由を聞きたいんでな。」「それは、あいつが生意気だったから。」「ふぅん、生意気だったからって警察に俺の倅が無政府主義者だという告発文を書いて送ったのかい?」「だって、あいつ・・」「成り上がり者の癖にお前らより成績が優秀だからって、総司を陥れて気が済んだのか?」歳三がじろりと睨みつけると、大西楊は小便を漏らしそうな勢いでガタガタと震えている。「すいません、許してください。」「許してくれと頼まれてもな。この事は見逃すことはできねぇよ。自分の始末は自分でつけるこったな。その賢~い頭で考えるこった。話はそれだけだ、じゃぁな。」歳三は大西楊を一瞥すると、彼の家から出て行った。「旦那様、彼はどうなさいますかね?」「それは奴次第だ。暫く泳がせておけ。」「承知しました。」 歳三と斎藤が去った後、大西楊の家に1人の訪問者がやって来た。「大西、居るのか?」「ああ。」「そうか。例の件はどうなった?」彼はそう言って学帽を脱ぐと、大西楊を見た。「さっき総司の親父が来たよ。向こうは何もかも知ってる。これからどうする?」「そうか・・流石は天下の土方歳三様だ。まぁ全て僕に任せておけばいい。」「君は本当に、信用に足りる人物なのか?」「何を言う、僕達はこの国を新しくする為に活動しているんだろう、違うかい?」「それは、そうだけど・・」「大義の為に多少の犠牲は必要だ。」彼は椅子に腰を下ろすと、鞄の中からある物を取り出した。「さてと、あの男の裏をこれからかこうか。」陽光が彼の瞳を弾いて、黄金色に輝いた。「あの大西という青年には協力者がいるようです。」「それはそうだろう。あんな弱気な奴が大胆な事を考えてするもんじゃねぇ。多分、裏で誰かが操っているに違いねぇ。」「そうですね。引き続き、大西の監視をいたします。」「済まねぇな、斎藤。」斎藤が書斎から出て行くと、歳三は溜息を吐いて吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。「これが、嵐の前の静けさってやつか・・」彼は海を渡った総司の事を想った。 翌朝、歳三は斎藤から一通の手紙を渡された。『今夜7ジニニホンバシニテマツ』約束の時刻に歳三が日本橋にやって来ると、手紙の送り主が向こうからやって来るのが見えた。「まさか、てめぇが総司を陥れようとしたとはなぁ。」「お久しぶりです、土方さん。」そう言って歳三に頭を下げたのは、総司の友人・高瀬直人だった。
2012年02月09日
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『で、僕に話って何?』『実はね、今度の日曜に、ダンスパーティーが学生寮であるんだけど、君も来てくれないかな?』『ダンスパーティーなら、女の子を誘えば?言っておくけど、女装はお断り。』総司はそう言ってアンドリューに背を向けると、図書館から出て行った。『ソウジ、今いいかい?』『はい、何でしょう?』総司がレポートを部屋で書いていると、マイヤーズ教授が入って来た。『最近ここでの生活も慣れてきたかい?』『はい。嫌な奴が大学にも居ますが、無視すればいいだけのことです。』『ソウジ君、君はそれでいいと思っているようだが、学業を修めるのが留学の目的ではない。沢山の人と出逢い、親交を深めることが真の目的なんだよ。君のお父様が、何故留学を許したと思う?』『それは、僕に会社を継いで欲しいから・・』『違うよ。君に広い世界を見て欲しいからさ。お父様は若い頃、英国で世界経済を学ぶと同時に、様々な人と出逢ったんだよ。確かに君がお父様の期待に応える為に留学した事は知っているが、交友関係の幅を広めることも重要なんだ。』『そうですか・・でも学生寮のダンスパーティーに男を誘いますか?』『それは別の目的があるんだろう。さっき君は、嫌な奴が居るって言ったね?一方的に相手を嫌ってばかりいては駄目だよ。わたしが言いたいのはそれだけだ。』マイヤーズ教授の言葉は、総司の心を深く打った。 今まで偉大な父・歳三の息子として恥じぬようにと、学問やスポーツ、武芸に打ち込んできた総司であったが、人間関係は余り上手くいっていなかった。というのも、華族が通う学校の中で、自然に虚勢を張っていたのかもしれない。成績も優秀で一目置かれる存在である総司を、華族の子息達は疎ましがり、彼に近づこうとはしなかった。総司の方も、彼らとは余り親しくなろうとはしなかったので、その結果中学卒業して以来、疎遠となってしまった。 その事を彼は家族にも言わなかった。華族と親しくするだけで時間の無駄だ―総司はそう思い、ひたすら学問に打ち込んできた。ここでも、その生活を変わらずに続けるつもりだった。しかし、マイヤーズ教授の言葉を受け、総司は少し変わろうと思い始めていた。「あなた、アメリカの総司からお手紙が届きましたわ。」 総司が留学してから半年が過ぎ、千尋は彼からの手紙を握り締めながら書斎へと入って来た。「そうか。」手紙には、留学先の大学で友人が出来たと書かれており、彼らと並んで映っている写真も同封されていた。「楽しい留学生活を送っているようですわね。」「ああ。」歳三はにっこりと笑うと、千尋も彼につられて笑った。「旦那様、大変です!」「どうした、斎藤?」「警察が総司様を探しに・・どうなさいますか?」「通せ。」歳三が書斎で寛いでいると、刑事が数人入ってきた。「総司なら、米国で留学中ですよ。戻るのは4年後です。」「それは確かなのですか?」「ええ。これは倅の留学許可証ですよ。」歳三は刑事達に総司の留学許可証を見せると、彼らは溜息を吐いた。「刑事さん、一体どうして俺の倅が警察に連行されるような真似をしたのか、教えてくださいませんか?事と次第によっては、名誉棄損で訴えますが。」「解りました。実はですね、2週間前にこんな告発文が我々の元に届きまして。」刑事達は、そう言って歳三に封筒を差し出した。その内容は、目を疑うものであった。「総司が、無政府主義者とは・・一体何処の馬鹿がそんな事を?」「それは申し上げられません。」「ふぅん、そうかい。じゃぁ俺が調べるしかねぇな。俺には有能な部下が居るんでね。」刑事達が邸から出て行った後、巽が書斎に入って来た。
2012年02月09日
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神への祈りを済ませた総司は、テーブルに並ぶ料理を見た。そこには南部の家庭料理が並んでおり、初めて見るものばかりであった。『そんなに珍しいかね?』『ええ。家ではいつもフランス料理か懐石料理が並んでいたので。』『まぁ、そうなの。あなたからしてみれば、こんな田舎料理が口に合うかしら?』キャサリンが不快感をあらわにしてそう言うと、紅茶を飲んだ。総司はバスケットに入ったコーンブレッドを1個取ると、それを一口大に切って頬張った。『美味しいです。コーンの旨みが良く出てますね。こちらの料理は奥様が?』『いいえ。我が家の食事はミリーが作っているんですの。わたしがルイジアナからこちらに嫁いだ時に、連れて来たメイドなのよ。』『へぇ、そうなんですか・・』『うちでは家事は全てメイドにやらせていますの。教授夫人として、色々と忙しいですし、婦人会のリーダーもしていますからね。』土方家でも食事は使用人達が作っていたが、千尋や自分達がたまに家事をしたりしていたので、メイドに家事をして貰って当然というキャサリンの言葉に、彼はカルチャーショックを抱いた。『あなた、大学では何を専攻されるおつもりなの?』『経済学です。いずれは父の仕事を継がなければならないので。』『そう。確かお父様は資産家でしたわねぇ。』キャサリンの、どこか自分を探るかのような物言いに、総司は少しムカッとした。『ええ。元々農民だったんですが、裸一貫で会社を興した父を、僕は尊敬しておりますよ。まぁ口さがない連中は、成り上がり者だとか陰口を叩いているようですけれど、僕から言わせてみれば、彼らは己が先祖から与えられた地位に胡坐を掻いて、何も努力していないようにしか見えませんね。』キャサリンが嫌味を言う前に、一気に総司がそうまくしたてると、彼女は不機嫌な表情を浮かべて押し黙ってしまった。『キャシーが無礼な事を言ってすまないね。』 夕食後、マイヤーズ教授がそう言って総司に詫びてきた。『いいえ、もう慣れていますから。』これまで華族やその子ども達から、“成り上がり者”と囃されたことがあったが、そんな露骨な嫌がらせには必ず総司達はやり返してきたし、父の事を罵る連中に対しては、『努力も何もしないで、華族というだけで胡坐を掻いている連中』と密かに軽蔑していたりもした。 国は違えども、キャサリンもそのような連中と同じ考えを持っていると、総司は思った。だからと言って、今後の留学生活に波風立てるような真似をしたくない。『君はかなり言いたい事を言うようだね。日本人は余り己が思っていることを口にしないと聞くが?』『それは環境によりますよ。我が家は何でも本音をぶつけ合う家庭でしてね。』『そうか。君となら上手くやれそうだ、お休み。』『お休みなさい。』 翌朝、総司はマイヤーズ教授の車に揺られながら、留学先のサンフランシスコ大学へと向かった。(ここが、今日から通う大学か・・)歴史と伝統ある大学の校舎を眺めながら、総司は学ぶ意欲が沸いてきた。『君が、日本から来た留学生かい?』経済学の講義を受けた後、総司が廊下を歩いていると、数人の白人学生が声を掛けてきた。『そうだけど、何か問題でも?』『君がこの大学に入れたのは、マイヤーズ教授の推薦状のお蔭とか?』『それもあるけれど、実力でここに入ったんだよ。あ、もしかして君達は親に泣きついてここに入ったの?さっきの講義の様子を見ている限り、私語ばかりして余り勉強熱心とは思えなかったけれど。』総司の言葉が図星だったようで、彼らは頬を赤く染めるとわざと彼の肩にぶつかり、廊下を走り去っていった。「弱い犬ほどよく吠えるって、本当だな。」総司はそう呟くと、くすりと笑って次の講義へと急いだ。 図書館でレポートの資料を総司が探していると、何やら視線を感じて彼が振り向くと、そこには1人の青年が立っていた。『僕に何か用?』『君、名前は?』『他人に名前を聞くからには、自分の方から名乗るのだと、ママに教わらなかったのか?』『ごめん。僕はアンドリュー。』青年はそう言うと、にこっと笑った。
2012年02月08日
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太平洋を渡り、1ヶ月もの長い船旅の果てに、総司は漸くサンフランシスコの地に降り立った。港の周辺は新鮮な魚介類を売る市場などがあり、そこからは売り子達の客寄せの声や、車のエンジン音などが響き、初めて見る異国の風景に総司は呆気にとられていた。『君が、ソウジ君だね?』桟橋辺りを総司が歩いていると、下宿先の主人であるマイヤーズ教授が立っていた。『はい。これから宜しくお願いします。』総司がそう言ってマイヤーズ教授に手を差し出すと、彼はにっこりと微笑んでその手を握ってくれた。『長旅で疲れているだろうから、我が家へ案内しよう。』マイヤーズ教授は総司とともに車に乗り込むと、港を離れた。 初めて自動車というものに乗った総司は、馬車よりも乗り心地の良いこの乗り物が好きになった。『自動車は初めてかね?』『ええ、家では馬車を使っていましたから。新し物好きの父が、いずれは購入すると思いますがね。』『そうか。これから色々と慣れないことが多いと思うが、気を引き締めて頑張ってくれよ。』『はい!』マイヤーズ教授と談笑していると、あっという間に教授宅に着いた。『あなた、お帰りなさい。』マイヤーズ教授の妻・キャサリンが玄関ホールで総司と夫を出迎えた。『あなた、そちらの方は?』キャサリンの視線が、夫から総司へと移った。『紹介するよ、キャシー。今日からここで下宿する事になったソウジ=ヒジカタ君だ。ソウジ君、妻のキャサリンだ。』『初めまして。』総司は笑顔でキャサリンに握手を求めたが、彼女は不快そうに鼻を鳴らしてリビングへと入ってしまった。『あの・・僕何か奥様に悪い事をなさったでしょうか?』総司がそうマイヤーズ教授に尋ねると、彼は苦笑いを浮かべてこう言った。『妻は南部の生まれで、彼の父親は古い考えの人間なんだ。気を悪くしないでくれ。』『は、はい・・』留学前、歳三から英国留学時代の苦労話を聞かされたことがあり、その中でも人種差別についての体験談が総司は強く印象に残っていた。「俺達日本人を、奴らは清国人と同じだと考えてやがってな、俺達をまるで召使のように扱う奴も居たぜ。まぁ、そんな奴らの頼みなんざ全く聞かなかったからな。」キャサリンの先ほどの態度を見ていると、自分は彼女には全く歓迎されていないことに気づいたが、ここで挫ける訳にはいかなかった。『旦那様、お食事の御用意ができました。』キッチンから出てきたのは、水色のワンピースに白いエプロンを掛けた黒人メイドだった。『わかった、すぐ行くよ。』マイヤーズ教授とともにダイニングに入った総司は、一斉に自分を見つめる視線に少し怯んだものの、笑顔を浮かべて彼の隣に腰を下ろした。『お父様、この人がうちの下宿人なの?』テーブルから身を乗り出してブロンドの巻き毛を揺らしながら、総司を見つめている少女が、そう言ってマイヤーズ教授を見た。『そうだよ、エミリー。彼はソウジだ、仲良くするんだよ。』『ええ、解ったわ。よろしくね、ソウジ。』マイヤーズ教授の娘・エミリーはそう言うと、笑顔で総司に握手を求めた。『こちらこそ宜しくね、エミリー。』『エミリー、さっさとその手をお離しなさい。それにお祈りがまだでしょう。』まるで苦虫を噛み潰したような顔をしながら、キャサリンはそう言って娘を睨みつけた。『わかったわ、お母様。』エミリーはしゅんとなって、総司から手を離した。
2012年02月08日
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「いやぁ、すいませんなぁ、道が少し混んでいて・・」「それならば使いを出してこちらに連絡してくだされば宜しいのに。それをなさらなかったというのは、うちがそんなにお宅とは立派な家ではないということかしら?」椿の言葉に、侯爵はうろたえた。「そんなつもりは・・」「お父様から縁談の事をお聞きして、どんな方かと思いまして今日来ましたの。申し訳ありませんけれど、この話はお断りいたしますわ。お父様、お母様、行きましょうか?」椿はさっと振袖を捌くと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。「お待ちください!」彼女が振り向くと、そこには自分に土下座する保の姿があった。「この度は失礼な事をしてしまい、大変申し訳なく思っております!ですから、どうかわたくしどもの話を聞いてくださいませんか?」「聞くも何も、お宅の財政が苦しい状態で、借金でにっちもさっちもゆかないことぐらい、把握しておりますのよ。お話を聞く前に、人としての礼儀を欠かれるような方達とは同じ空気も吸いたくありません。では失礼!」椿はそう言うと、襖を乱暴に閉めた。「椿、あんな言い方はないんじゃぇねのか?」「あら、礼を欠いた相手に優しくする必要があって?」「椿、お前なぁ・・」「もうその辺にしておきなさいな、二人とも。」口論になろうとしていた歳三と椿を千尋が取りなすと、二人は互いにそっぽを向いたまま家へと向かう馬車に揺られていた。「椿の奴、俺の嫌なところがだんだん似てきやがる。俺は娘の教育を間違ったのかな?」 その夜、歳三は溜息を吐きながらベッドに入ると、隣で寝ていた千尋がそっと彼の髪を梳いた。「間違ってなどおりませんわ。多分あの子は自分のお眼鏡にかなった相手としか結婚しないだろうけど。もしかして一生独身を貫くかもしれませんわね。」「おいおい、洒落でもねぇこと言うなよ。総司の野郎が突然留学したいって言いだすし、巽の奴は学校を辞めたいって言いだすし・・今だって大変な時にこれ以上厄介事は御免だぜ。」「子ども達の事は子ども達で決めさせればよろしいのですわ。もう彼らが自立する為の準備は整ったんですから。」千尋はそう言うと、くすくすと笑った。「ったく、お前ぇっていう女は、どこまでも楽天家なんだ。」歳三は溜息を吐きながら、妻をより一層愛おしく思うのだった。 上総の四十九日が過ぎ、東京に春の気配が訪れる頃、歳三達はアメリカへと留学する長男・総司を見送る為に横浜港へと来ていた。「しっかり食事を摂るのですよ。あと手紙も忘れずにね。」「わかったよ、母様。」「巽、お兄様に何か一言おっしゃい。」千尋がそう促すと、巽は総司に抱きついた。「兄上、僕も一緒に連れていってよ!」「まぁ巽、我が儘を言っては駄目よ。」「でも・・」「巽、お仕事が忙しいお父様や、僕に代わってお母様達を守ってくれよ。」「わかりました、兄上・・」蒼い瞳に涙を溜めながら、巽は兄の言葉に頷いた。「それでは行ってきます、お父様。」「何処かで野垂れ死ぬなんてこと、承知しねぇぞ。」「解ってます。」出航を知らせる汽笛の音が港に鳴り響き、総司の乗った船が静かに港を離れていった。「行ってしまいましたね・・」「ああ。だがきっとあいつは戻って来るさ。」「そうですわね。さてと、久しぶりに横浜に来たのだから、今日は外でご飯を頂きましょう。」千尋はそう言って、夫と子供達とともに港を離れた。彼らの姿を、遠巻きに一人の青年が見ていた。
2012年02月07日
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雪が降る中、カトリック教会で土平伯爵家当主・上総の葬儀がしめやかに執り行われた。「まさか上総様が自殺されるだなんて・・」「しかも、お一人ではなかったとか・・」「自殺なのにカトリック教会で葬式を?変な話だねぇ。」葬儀に参列した華族達は、そう囁きながら彼の棺に花を手向けた。(上総・・)歳三は昔、上総と英国で過ごした日々の事を思い出した。あの時彼は、腹違いの妹と恋に落ちて死なせてしまったことを告白したが、その妹がどのようにして死んだのかは解らずじまいだった。「あなた。」千尋に促され、歳三は棺の前に来た。 そこには葬儀屋によって死化粧を施され、まるで眠っているかのような上総の遺体が安置されていた。彼はそっと白薔薇を棺の中に入れると、一度も振り返らずに千尋とともに教会から出て行った。「お帰りなさい、お父様。寒い中ご苦労様でした。」歳三達が帰宅すると、椿は二人に労いの言葉を掛けながら頭を下げた。「熱いお茶を淹れてきますわ。」「ええ、そうして頂戴。なるべくゆっくりとね。」「解ったわ。」千尋の顔を見た椿は、そう言うとリビングを出ていった。「上総様が急にお亡くなりになられるなんて、どうしたのでしょう?」「さぁな。最近会っていないから、あいつに何があったのかわからねぇ。まぁ、色々と悩んでいたことは知っていたが・・まさか自殺するなんてな。」「自殺だとしたら、カトリックで葬式を出して貰えませんよ。上総さんの身に何かがあったのではなくて?」「そうだな・・あいつが自ら命を絶っただなんて、認めたくねぇよ。」震える歳三の手を、そっと千尋は握った。「ねぇ斎藤、上総様は自殺されたのかしら?」厨房で椿が紅茶を淹れながらそう斎藤に尋ねると、彼は首を傾げた。「それは警察の捜査によって次第に明らかになることでしょう。こればかりはわたしもわかりません。」「そうね・・変な事を聞いてしまったわ。」椿はそう言って紅茶を銀の盆に載せると、厨房から出て行った。 彼女がリビングに戻ろうとした時、少し開いたドアから両親の話し声が聞こえた。「椿に縁談が?」「あぁ。何でも相手は習志野侯爵家の者だとか。」「習志野侯爵家といえば、最近株取引で失敗して多額の負債を抱えていらっしゃるお方でしょう?」「あいつときたら、南米でコーヒー農園を経営しねえかって話を俺に持ちかけてきてな。余りにも胡散臭い話なんで、断ったさ。」歳三がそう言って溜息を吐いた時、椿がリビングに入って来た。「お父様、お母様、紅茶が入りましたわ。」「ありがとう。」「ねぇお母様、その胡散臭い縁談の方、一度お会いしてみたいわ。」「まぁ椿、聞いていたの?」千尋が娘を見ると、彼女は静かに頷いた。「まぁうちが金満家なのを知って、侯爵が金目当てに近づいてきたんだと思うのよ。本人がどんな方なのか、一度会って見極めたいのよ。」「お前ぇがそう言うなら、会わせよう。もうすぐ仕事が一段落するからな。今度の日曜でどうだ?」「いいわね。」 週末があっという間にやって来て、日曜の昼に椿は両親とともに習志野侯爵夫妻とその息子・保と赤坂にある料亭で会う事になった。だが約束の時間を過ぎても、習志野一家がやってこなかった。「道が混んでいるのかしら?」「そうだとしても、使いを出して遅れると連絡を出す筈よ。随分と舐められたもんだわね。」椿はそう言うと、茶をぐいっと飲み干した。その時、襖が開いてハンカチで汗を拭いながら習志野侯爵が部屋に入って来た。
2012年02月07日
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総司と斎藤が厨房で仕事をしている頃、書斎では歳三と理哉が向かい合う形でチンツ張りの椅子に座っていた。「なんだ、急に訪ねて来て?」「いやぁ、別に。千尋ちゃんが留守の間、外に女でも作らないかなぁって思って。」「ったく、てめぇは相変わらず嫌味を言うな。息子がお前に似ないことを祈るよ。」「それはどうも。その息子の事なんだけどさぁ・・うちのこれが、あの子を学習院に入れたいって言いだして聞かないんだよ。」 歳三や近藤が再三結婚を勧めても独身を貫いてきた理哉が結婚したのは、6年前の事だった。相手は吉野物産の社長令嬢で、台所事情が火の車であった理哉は彼女と政略結婚したものの、令嬢とは夫婦仲が良く、結婚後ほどなくして長男・純を授かった。だが理哉の妻・梨枝子は自分の出自が華族ではないことに激しい劣等感を抱き、せめて息子の純だけでも華族として育って欲しいという思いからか、病弱な純にピアノや剣道、詩歌などの習い事をさせていた。理哉は純にはもっと子どもらしい時間を過ごさせてやりたいと思っているのだが、梨枝子との価値観が合わず、話し合おうとしても最近は学習院入学について衝突を繰り返すばかりだという。「てめぇも苦労してやがるんだなぁ。能天気に俺に冗談を言う奴が、今になって子どもの事で悩むとはな。」「土方さん、からかわないでくださいよ。あなたなら梨枝子の気持ちが解ると思って相談してるのに。」理哉は歳三の言葉に唇を尖らせ、拗ねたような顔をした。「まぁな。でも俺よりも千尋の方がいいかもしれねぇな。あいつはぁ色々と苦労してたし。長崎のお義母さんの風邪が治ったら戻ってくるだろうが・・」「なおさん、そんなに悪いんですか?」理哉の脳裡に、千尋の養母・なおの姿が浮かんだ。彼女とはいつも陽気で忙しく動き回り、たまに上京してきては互いに冗談を言い合ったものだったので、そんな彼女が病気であることが信じられなかった。「あぁ。落ち着いたら千尋の方から連絡が来るだろうさ。まだ冬の寒さが厳しいし、長崎では雪が毎日降っているって手紙には書いてあったからな。」「そうですか。なんだかあてが外れちゃったけど、自分の家庭の事は自分で始末をつけないといけないから、もう帰りますね。」「ああ、気をつけて帰れよ。」「じゃぁまた顔出しに来ますね。」理哉は笑顔で書斎から出ると、ひらひらと歳三に手を振った。「あら、理哉おじさま。来てらしたのね。」椿がヴァイオリンの稽古をしていると、理哉が音楽室に入ってきた。「酷いなぁ、椿ちゃん。僕まだ20代なんだよ?」「わたしから見ればおじさまですわ。お兄様ってお呼びするのもなんだかしっくりこないし・・」「そうズバズバと言いたい事を言うのは誰に似たんだか・・」「あら。おじさま、今度は純君を連れにいらしてね。長崎のお祖母様が贈ってきてくださったベルギー産のチョコレートがあるから一緒に頂きたいのよ。」「解った、伝えておくよ。」土方邸を出た理哉は、愛馬に跨って自宅へと向かった。 一方長崎では、千尋が養母・なおの看病をしていた。「済まんねぇ、千尋。」「いいんですよ、お義母様。お医者様からは、快方に向かっていると聞いておりますし。」「そうかね。じゃぁあんたに沢山お土産持たせて東京に帰らせないとね。」「そんな事おっしゃらないでください。」千尋はそう言ってなおの手を握った。 数日後、彼女はなおから持たされた土産を抱え7日ぶりに家族が待つ我が家へ帰った。「お帰りなさいませ、奥様。」「お帰りなさい、お母様!」「ただいま。」千尋が椿に笑顔を浮かべていると、斎藤が彼女に電報を渡した。そこには、一文だけこう書かれてあった。“ツチヒラハクシャク、カルイザワニテシス”
2012年02月06日
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1912(明治45)年2月14日。「はい、総司兄様。」そう言って土方家の長女・椿は長男・総司にチョコレートを手渡した。「椿、ありがとう。お前からこうしてチョコレートを贈られるのは、いつまで続くのかな?」「わたしがお嫁に行くまでよ。あぁでも、お兄様はたくさんお相手がいらっしゃるからわたしがチョコレートを贈らなくても別に困らないわよね?」椿がそう兄をからかっていると、ダイニングに父・歳三が姿を見せた。「お前ぇら、仲が良いなぁ。だが14にもなって兄貴にベッタリしているのは感心しねぇなぁ。」歳三は呆れたように総司に抱きついている娘を見て溜息を吐いた。「あら、だってお兄様とお父様、それに巽や斎藤以外の男の方は、余り素敵じゃないんですもの。」「恋愛すらしてねぇ小娘が何をほざきやがる。嫁の貰い手がなくなるぞ。」「あら、ご心配なく。お父様のようにあちこち種をばら蒔いては浮名を流すような殿方には騙されませんから。」ああ言えばこう言うといったように、歳三に反論した椿の言葉に、彼はぐうの音も出なかった。「そういえばお母様は?何処かへお出掛けになられたのかしら?」「千尋は長崎のお義母さんの所に行ったと、昨夜伝えた筈だろうが。まぁ、お前ぇは何か考え事をしていて聞いてなかったようだから仕方ねぇけどな。」「まぁ酷いわ、お父様ったら!」土方家のダイニングに親子3人の笑い声が響いた時、執事長の斎藤が入って来た。「旦那様、お客様が来られました。」「そうか。書斎に通せ。」「かしこまりました。」斎藤はそう言うと、総司と椿に頭を下げ、ダイニングから出て行った。「お客様ってどなたかしら?」「さぁね。それよりも巽はまだ部屋なのかな?いつも早寝早起きしているあいつが寝坊だなんて珍しいや。」「わたしが起こしてくるわ。」椿はドレスの裾を摘んでダイニングを出ると、二階にある巽の部屋へと向かった。 同じ頃、巽は突然我が身に起きた異変に戸惑っていた。股間から異様な生臭さを感じて起きると、そこには尿とは違う乳白色の液体が寝間着を濡らしていた。(なんだろう、これ・・)性に関する知識は父の書斎にあった医学書を時折盗み読んでいたので知っていたが、実際に起こるとなるとどう対処すればいいのかわからない。「巽、起きているの?」巽が溜息を吐いていると、ドアの向こうから姉の声が聞こえた。「姉様、お父様かお兄様を呼んできてくれない?ちょっと困ったことになったんだ。」「困った事?わかったわ。」巽の言葉に何か勘付いた椿は、踵を返してダイニングへと戻った。「お兄様、巽が呼んでいるわ。何やら困った事が起きたんですって。」「困った事?」「どうやら巽も大人の仲間入りをしたようね。」「ふぅん。」 総司が巽の部屋に入ると、彼はベッドで困惑気味に自分の股間を見ていた。「兄上、これどうすればいいの?」「どうするも何も・・今夜は斎藤に赤飯を炊いて貰うように頼まないとな。お前も漸く大人の仲間入りをするんだから。」総司は弟を安心させるかのように彼の肩をそっと抱くと、そう言って微笑んだ。「斎藤、今夜赤飯を炊いてくれないかな?ちょっとめでたい事があってね。」「左様ですか。これで三度目ですね、赤飯を炊くのは。」斎藤は仕事の手を休め、総司を見た。「そうだね。男兄弟の中に妹一人っていうのは、ちょっと厄介じゃないかなぁと思ってるんだけど、お前はどう思う?」総司はけだるそうに、厨房の柱に寄りかかった。「さぁ、わたくしは何も言えません。」斎藤が包丁を握り、じゃがいもの皮を剥いていると、総司も彼の隣に立って包丁を握った。
2012年02月06日
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1887年4月、東京。「漸く帰ってきたな・・」横浜駅から汽車に乗り、東京駅から降り立った一人の青年は、そう言うと溜息を吐いた。欧羅巴へと留学し、横浜港で父と妹と別れを惜しんだのは13の時だった。3年半の留学生活の間、父が胸を病んだことを妹からの手紙で知り、帰国したかったが、父からの手紙を読み、彼は帰国を急遽取りやめた。“己の誠を貫くまで、祖国の土を踏むな。” 父は己の病状を知りながらも、志を持ち海の向こうで大成を果たそうとする息子の志を尊重し、敢えて厳しい言葉を手紙にしたためたのだ。何度か辛く苦しい目に遭い、帰国したいと思っていたが、その度に父からの手紙を読み返し、悲しさや悔しさをバネにしてきた。 その結果、彼は首席で大学を卒業し、3年半ぶりに祖国の土を踏んだ。「兄様、お帰りなさい。」東京駅のホームに降り立った青年を、桜色の振袖を揺らしながら一人の少女が彼を温かく迎えた。「ただいま、美樹。今帰ったよ。父さんは?」「父様は用があるとかいって、母様の墓に行っているわ。」「そう・・」少女の言葉を聞いた青年の顔が、少し曇った。 一方、街の喧騒から少し外れた墓地に、歳三は居た。「千尋、今日巽が帰国するんだ。お前にべったりで泣き虫だったあいつが、もう立派な男に成長してやがる。その成長を、お前にも見せたかったなぁ・・」歳三は妻の墓に語りかけながら、花を供えた。 それは菊ではなく、華やかでありながら清楚かつ優雅な雰囲気を持った白薔薇だった。「白薔薇の花言葉、知ってるか? “尊敬”っていうんだぜ。俺はお前を尊敬していたさ、千尋。初めてお前と出逢った時から、ずっと・・」歳三がそう言って溜息を吐こうとした時、彼は激しく咳き込んだ。咳が治まり、そっと口元から手を離すと、手は鮮紅の血で汚れていた。 京に居た頃や戊辰の戦で、何度死を覚悟したか知れなかったが、安らかな幸福を手にした今、こんなにも死を恐れている自分の姿が滑稽に見えてならなかった。(俺は死ぬのか・・)「千尋、まだそっちに連れて行かないでくれ。せめて美樹の・・娘が嫁ぐ日まで、待ってくれ。」荒い息を吐きながら、歳三は亡き妻に訴えた。すると雲の隙間から、一筋の光が歳三に射し込んだ。まるで千尋が彼の訴えを聞いてくれたかのように。「父さん!」背後で声がして歳三が振り向くと、そこには幼い頃の甘えん坊の面影がすっかり消え失せた長男・巽が立っていた。「巽、大きくなったな。」「父さん、身体大丈夫なの?」「ああ。お前も、母さんに挨拶してくれ。」「うん。」巽は、母の墓に無事帰国したことを報告した。 その後、歳三は長屋で息子の土産話に耳を傾け、共に酒を酌み交わした。「父様、ご報告があるのだけれど。」「何だ、報告って?」「実は、結婚する事になったの。」「そうか、おめでとう。」「ありがとう父様。」数日後、美樹は婚約者を連れて来た。「父様、紹介するわ。この方は相田浩輔さん。」婚約者の相田浩輔は、歳三に向かって頭を下げた。「お義父さん、お嬢さんをわたしの伴侶にしてください。お願い致します。」「こちらこそ、娘を宜しく頼む。」2ヶ月後、美樹は浩輔の元へと嫁いでいった。娘が嫁ぐのを見届けた歳三は、それから間もなくして病臥に伏した。「父さん、大丈夫?」「ああ・・」父の病室に入った巽は、病臥に伏してから痩せ細ってしまった父の姿を見て、胸が痛んだ。「辛くない?」「ああ。それよりも巽、俺はもう長くねぇ。その時が来たら、後のことはお前に任せるぞ。」「解ったよ。父さん、お休み。」「お休み・・」それが、父が巽とかわした最後の会話だった。農家に生まれ、武士となる夢を京で果たし、幕末の動乱を駆け抜けた土方歳三は、家族に看取られて52年の生涯を終えた。「お父様、はやく~」「わかったよ。実はせっかちだなぁ。」今年も、京の桜は美しく咲き誇り、巽は父が駆け抜けた動乱の日々を思った。(父さん、今頃母さんと花見でもしているのかなぁ・・)そう思いながら巽が息子を追い掛けていると、目の前に一組の男女が現れた。男の方は長い髪を一括りに結んでいて、仙台袴を穿き、左三つ巴に染め抜いた黒の羽織を着ていた。女は、薄紫の着物を纏い結いあげた髪には赤い花の簪を挿していた。 彼らは巽の視線に気づくと、にっこりと笑った。(父上・・母上・・)「あなた、どうかなさったの?」巽が我に返って妻を見ると、彼女は怪訝そうな顔をしていた。「いや・・あそこに父と母が・・」彼は父母が居た場所を指すと、そこには誰も居なかった。「お義父様とお義母様は、あなたの幸せを確認なさったのですね。」「ああ。さてと、実を探さないと。」巽は妻と手分けして、実を探し始めた。「父上、母上、どこですか~!」 一方、両親とはぐれてしまった巽の長男・実は、泣きべそを掻きながら歩いていた。足が痛くなってきて、歩くどころか立つ気力もとうに失せてしまい、彼はペタンと地面に座り込み、心細さからか泣いてしまった。「ったく、煩せぇなぁ・・猫かと思ったらガキか。」草叢の中から声がしたと思ったら、突然その中から背に箱のようなものを背負い、黒髪を一括りにした青年が姿を現した。「おいガキ、親と逸れちまったのか? 名前は?」「うぇ~ん、父上、母上~!」「煩せぇ、男がピーピー泣くな!」苛立った様子で青年はそう言うと、実の頭にゲンコツを叩き込んだ。「痛い、痛いよう。何するんだよ、おっさん。」「口が達者なガキだな、え? 生意気な口利いてるのはこの口か?」青年は両手で実の口をぐいっと引っ張った。「いふぁいよ~、おっさん・・」「目上の者は敬えって親から教わらなかったのか? 名前は?」「実、土方実。」「実か。もうすぐ親が迎えに来るから、ここで待ってな。」「え?」実がそう言って青年を見た時、彼はもう実に手を振って草叢の中へと消えていった。「実、お父様やお母様から逸れるんじゃないぞ。」「はい、お父様。お父様、この前僕、お祖父様に会ったよ。」「お祖父様に? どんな格好してた?」「う~んとね、確か背中に四角い箱背負ってた。」息子の言葉に、父は昔薬の行商をしていたことを、巽は幼い頃母から聞いた話を思い出した。「あなた、まだ起きていらしたの?」 息子を寝かせつけた巽が居間の窓から月を眺めていると、妻がそう言って彼を見た。「ああ。今日は孫の顔見たさに父と母が常世から来たようだ。」「そうですか。お義父様達を安心させないといけませんわね。」「ああ。」(父上、母上、そちらに妻と参る時は、お手柔らかに頼みますよ。)心の中で、巽はそう常世に居る父母に伝えた。それから何十年かした後、巽は妻とともに両親と再会を果たすこととなる。―完―にほんブログ村
2011年12月18日
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1877(明治10)年2月・熊本。 1月に起きた反乱は沈静化するどころか、ますます激化の一途を辿り、戦火は熊本にまで届いた。 西郷軍には私学生をはじめとする元士族達、対して官軍には戊辰の戦で煮え湯を飲まされた元会津藩士達が参戦しており、その中には新選組元三番隊組長・斎藤一の姿もあった。「藤田さん、どうぞ。」「すまぬ。」南国とはいえ、夜になると冬の寒さが身に沁みてくる。斎藤が寒さで身を縮めていると、元会津藩士であった山根が彼に茶を差しだした。「藤田さんは、確か元新選組三番隊組長・斎藤一とか。土方殿とは、今でも親交がおありなのですか?」山根がそう言って斎藤を見ると、彼は静かに頷いた。「土方殿は、何故この戦場におられないのです? 今こそ薩長の恨みを晴らす時なのに。」「解っていないな、何も。」斎藤は溜息を吐くと、山根を見た。「あの人は・・土方さんはもう戦場から身を退いたのだ。妻を娶り、子宝に恵まれた今、もう過去の恨みを引き摺らぬことを決意したのだ。それが何故だか解らぬか?」「それは・・わたしは独り身なので・・」「俺とて妻や子が居る身だ。俺は俺の“誠”を貫く為にここに来ただけのことだ。」「斎藤さんの“誠”ですか?」「ああ。罪人として腹を切らせて貰えず、遺骸をしかるべき所に葬られなかった近藤局長や、義に殉じて主と共に戦ったにも関わらず野ざらしとなった貴殿の仲間達の無念を晴らす為、俺は此処に居るのだ。」 斎藤の脳裡に、戊辰の戦で犠牲となった者達の顔が浮かんだ。 試衛館時代からの仲間で、鳥羽伏見で散った井上源三郎。 新選組の頭として、最期まで己の道を貫いた近藤勇。 病臥に伏してもなお、近藤達と共に戦おうとした沖田総司。 そして、会津で散った白虎隊の少年達。 義に殉じて戦い、死してもなお逆賊扱いされた者達への名誉と無念を晴らす為、斎藤はこの戦場へと馳せ参じたのだ。(どちかが勝つか、負けるかの問題ではない。俺は俺自身の為に戦っているまでのことだ。)「そうですか・・」「せめて、逆賊とされた者達の無念を晴らしたいのだ。」斎藤がそう言った時、遠くから砲撃の音がした。「熊本城が・・城が燃えているぞ!」静謐な夜の空気は砲撃と怒声によって破かれ、熊本城が紅蓮の炎に包まれるのを、斎藤はじっと見ていた。 熊本城の籠城戦はその後2ヶ月程続いたが、その後西郷軍は南へと進軍し、鹿児島へと戦いの場が移った。「行くぞ、みんな!」「おう!」砲弾が飛び交う中、山根は勝鬨(かちどき)の声を上げ、敵兵のど真ん中へと突っ込んでいった。 銃弾を前にして、刀や槍を振り上げた彼らが一人、また一人と銃弾に倒れてゆく。(もはや、これまでか・・)黒煙が上る中、山根はそう思いながら阿鼻叫喚の地獄絵図と化した周囲を見渡した。(もうここで、腹を切ろう。)山根は地面に腰を下ろした。そして見ごろを肌蹴させ、懐紙で脇差を握り締め、その刃を腹に突き立てた。(皆、待っておれ。今そちらに参る故。) 山根が最期に見たものは、戊辰の戦で亡くなった者達の笑顔であった。にほんブログ村
2011年12月18日
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山根達が家に押し入ってきたことは、子ども達には伝えなかった。 階下で大きな音を聞いただけでも怯えていたのに、見知らぬ男達が家に入って来たと言えば、彼らがますます怯えるだけだと歳三はそう判断したからだった。「お父様、昨夜は何もなかったの?」「ああ、何もなかったよ。」朝食を食べながら、美樹はそう言って歳三を見た。「ねぇ父さん、最近西方の方で士族達が反乱を起こしてるって聞いたけど、戦になるのかな?」巽が新聞を読みながら、歳三を見た。 廃刀令が出され、武士の魂である「刀」を奪われた士族達の不満が募り、九州では私学校の生徒たちが反乱を各地で起こしていた。「さぁな。戦になるだろうさ。」「どうしてみんな仲良くなれないの?」「そりゃぁ、一人一人自分が思っていることが違うから喧嘩になるんだよ。みんな思っていることや考えていることが違うのが普通だ。その中で仲良くすることは難しいし、喧嘩してもすぐに仲直りなんてできねぇんだよ。」歳三は子ども達に解るようにそう言うと、巽は納得したようだった。「じゃぁ、僕達をいじめてた奴らも、僕達と考え方が違うから、僕達をいじめてたのかな?」「それは違うな。人をいじめる奴ってのは、何かしら劣等感を持ってるもんだ。」「劣等感って?」「自分には持ってないものを、他人が持ってて羨ましいってことだよ。巽はそんな奴になるんじゃねぇぞ。」「うん、解った。」 子ども達を学校へと送った後、歳三が職場へと向かおうとした時、一台の馬車が彼の前に停まった。「漸く会えたな、土方歳三。」馬車から降りてきた男―平野重太郎はそう言うと、歳三をじろりと睨みつけた。「誰かと思えば、明治政府のお偉いさんじゃねぇか? わざわざしがねぇ羅卒である俺に挨拶たぁ、ご苦労なこった。」歳三が平野を睨み返すと、彼は不快そうに鼻を鳴らした。「傲岸不遜な態度は昔から変わらぬな。」「すいませんねぇ。それよりも平野様、わざわざ俺に何のご用で? もしやあんたの部下が人を殺したとでも聞きましたか?」それとなく千尋の事を聞くと、平野の顔が歪んだ。「どうやら図星のようですね。で、あんたの部下は今何処に?」「それはお前には知らなくてもいい事だ。それよりもお前の部下である斎藤一、九州での反乱鎮圧に参加するそうだ。」「そうか。でも俺には関係のねぇこった。まぁ、薩長の奴らが憎いのは変わらねぇがな。」 暫し、歳三と平野との間で重苦しい空気が流れた。「旦那様、早くいたしませんとお仕事に差し支えますゆえ・・」無言で睨み合う彼らの前に、一人の青年が現れた。洋装姿に短髪姿の彼は、じっと歳三を見ると、主の方に向き直った。「ふん、面白くない。行くぞ。」「は、はい。」青年は馬車へと乗り込む主の後を慌てて追い、馬車へと乗り込む前に歳三をちらりと見た。(あいつ、何処かで見たような・・)青年と目が合った時、歳三は必死に彼と何処で会ったのかを思い出そうとしたが、なかなか思い出せなかった。 年が明け、九州での反乱は収まるどころか激化してゆく一方で、戦になるだろうという歳三の予感は的中した。 1877(明治10)年1月30日。過激思想を持った私学生達が、陸軍火薬庫を襲撃し、鹿児島市内は火の海と化した。これが日本最後の内戦と呼ばれる、西南戦争が勃発した瞬間であった。にほんブログ村
2011年12月18日
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時は夏から冬へと瞬く間に過ぎてゆき、クリスマスの時期を迎えた横浜にはちらほらと金と赤で彩られた樅の木が飾られており、その美しさが通行人の目をひいていた。そんな中、内藤家でも西洋の行事を祝う為に、樅の木に飾り付けをしていた。「巽、贈り物は何が欲しいんだ?」「別に何も要らないよ。」飾り付けを手伝いながら、父の質問に巽はそう答えた。「そうか。じゃぁ、美樹は何が欲しいんだ?」「熊のぬいぐるみが欲しいなぁ。エミリーの家に大きなぬいぐるみがあったから、わたしも欲しいと思って。」「そんな大きいやつだったら、夜に抱いて眠れないだろう? 小さいやつを買ってきてやるよ。」「本当に?」「ああ、本当だ。」歳三はそう言って、愛娘に微笑んだ。 この時期になると、亡くなった妻・千尋の事を思い出してしまう。家族とともに過ごす筈だった休暇を前にして、千尋は何者かに殺された。犯人は未だに見つかっていなかったが、歳三は平野が雇った男達だと解っていた。だが、証拠がない。(証拠は何処にある? 証拠さえ見つかれば・・)「お父様?」ふと我に返ると、美樹が怪訝そうな顔で自分を見ていた。「何処か痛いの?」「何でもないよ。それよりも美樹、お母様の事が恋しいか?」「恋しいってなに?」「誰かに会いたくて堪らないってことだよ。」「お母様には会いたいと思うけど、お母様は戻って来ないもの。お父様は、お母様に戻って来て欲しいの?」歳三は娘の言葉に首を横に振った。「いいや。美樹、お母様はきっと天国から見守って下さるよ。」「うん!」 クリスマスは家族3人で祝い、美樹には約束通り熊の縫いぐるみをプレゼントした。「ありがとう、お父様。大事にするわ。」「そうか。」(千尋、お前が居なくても、俺は子ども達を守ってみせる。)その日の夜、歳三が子ども達と眠っていると、一階で音がした。「二人とも、ここにいろ。」歳三は愛刀を携えて階下へと降りると、リビングの方から音と話し声が聞こえた。「お前ら、何者だ!」鯉口を切った歳三は、そう言って闖入者達に怒鳴ると、彼らが一斉に鯉口を切った気配がした。「やめろ、お前達!」闇の中から聞き覚えのある声がして歳三が声がする方を向くと、そこには山根の姿があった。「山根、こんな夜更けに一体何の用だ?」「申し訳ありません、土方殿。どうしてもあなたに会ってお話ししたいことが・・」「反乱を起こすという話なら、俺は乗らないと言ったつもりだ。」「ですが・・」「山根、俺はもう新選組の副長でもなんでもねぇ。しがない羅卒で、二人の子の父親だ。俺には守らないといけないもんがあるんだ。」歳三の言葉を聞き、山根は項垂れた。「出て行け、俺が怒らない内に。」「わかりました。」山根は仲間達とともに、歳三の家から出て行った。「・・やはり、あいつは新選組元副長、土方歳三だったか。」「いかがなさいますか、旦那様?」平野の隣に控えていた男がそう言って彼を見ると、彼は口端に笑みを浮かべていた。「さぁ、それはこれから考えることだ。」(土方歳三・・漸く兄の無念を晴らす時が来た。)にほんブログ村
2011年12月17日
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「内藤君、ちょっと。」「何でしょうか、署長?」歳三が巡回へと出ようとすると、署長が彼を呼び留めた。「最近、妙な噂が署内に広まっていてね。君が、新選組の副首領だったっていう・・」署長が急に声を潜め、歳三の身体が強張った。「どうせ退屈な連中が広めたつまらない噂話でしょう。余りお気になさらずに。」「そうだな。それよりも内藤君、来週末に行われる試合には出場するのかね?」「試合、ですか?」「ああ。陸軍と警視庁が年に一回ほど交流試合をするんだが・・どうかね、出てみないかね?」「俺のような者が、出場しても良いのでしょうか?」「何を言っている。頑張ってくれたまえよ。」署長はそう言って歳三の肩を叩いた。「解りました、出場致します。」「ありがとう、話は以上だ。」何とか署長には自分の正体を知られずに済んだが、噂を広めたのは誰なのか、彼は知りたくなった。 斎藤に相談したかったが、多忙な彼にわざわざ東京から来て貰う必要もないだろうと思い、やめた。(千尋、どうして俺を置いて死んじまったんだ?)突然何者かに殺され、若い命を散らした妻へ、歳三は心の中で話しかけていた。「あなた、まだ起きていらしたんですか?」妻の時尾がそう言って夫を見ると、彼はじっと刀を研ぎながら何か物思いに耽っていた。「あなた?」「すまない、考え事をしていた。」「千尋さんの事ですか? 彼女を殺した犯人は、まだ捕まっていないのでしょう?」「ああ。でも心当たりがある。」「そうですか。あなた、無理をなさらないでくださいね。」「解っている。」 斎藤は妻にそう言いながらも、歳三の事を心配していた。最近彼がいる署内で、妙な噂を聞いたからだ。誰かが―歳三が新選組副長だと知っている誰かが、故意にその噂を広めたのではないのかと、斎藤は睨んでいた。(まさか、あいつら・・平野が雇った男達が・・)脳裡に、あの軍服の男達の姿が浮かんだ。「いらっしゃいませぇ。」歳三が行きつけの蕎麦屋へと入ると、そこには数人の同僚達がちらちらと自分を見ていることに気づいた。(何だ?)何処か様子がおかしいと歳三は思ったが、気にせずに蕎麦を食べていた。「・・まさか・・」「そんな・・新選組が・・」「近々、反乱を・・」彼らの会話に耳をそば立てながら、歳三は代金を払うと店から出ていった。(何かがおかしい。もしかして、あいつらが絡んでいるのか?)一体何がどうなっているのか、歳三は解らずじまいだった。 その夜、あの酒屋には山根達がいつものように集まって酒を酌み交わしていた。「これからどうする?」「最近監視が厳しくて思うように動けん。」「だがまだ辛抱しなければな・・」「ああ、我らの大義の為に。」山根達はそう言うと、顔を見合わせて笑った。(全ては我らの大義の為・・薩長に蹂躙された我らの誇りの為に、反乱を起こしてやる!)にほんブログ村
2011年12月15日
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『な、何をするつもりだ!』 突然歳三が上半身を露わにし、その腹に刃を突き立てようとしているのを見た米軍士官は、慌てふためき彼を止めようとした。『息子の代わりにわたしが腹を切って詫びましょう。誰か、介錯をお願いできますか?』『何ということを、たかが子ども同士の喧嘩で腹を切るなど・・正気の沙汰とは思えん!』米軍士官の言葉に、歳三はキッと彼を睨みつけた。『息子に非があれば、親であるわたしが詫びるのが人の道理というもの。わたしは正気ですよ。』彼は返す言葉に詰まった父親の背後に隠れているいじめっ子を見ると、彼は蒼褪めて今にも倒れそうだった。『あなたの息子は、己の非を認めずに親の笠を着て弱い者をいじめているとお聞きしております。人の心があなたの息子さんにあるのなら、彼に介錯を・・』歳三が本気であることを知った米軍士官は、自分の背中に隠れている息子を前に押し出した。『君は確か、いつもわたしの息子を“汚い子猿”と罵っていじめていたそうだね? わたしは息子を守る為なら命を懸けて抗議するが、君はどうする? 尻尾を巻いて逃げるのか?』歳三の強い意志に満ちた黒い双眸に見つめられ、彼は突然泣き出した。『ごめんなさい、ごめんなさい!』『ではわたしはこれで失礼致します、校長。』『は、はぁ・・』自分の非を全く認めようとしなかったいじめっ子をたった数分で改心させた歳三に唖然としながらも、校長は彼を見送った。「父様!」歳三が校長室から出て来ると、美樹が彼の方へと駆け寄ってきた。「父様、ごめんなさい。お仕事の最中なのに・・」「何言ってやがる。巽は何処だ?」「巽兄様ならお家で素振りの練習をしてる。」「そうか。帰るぞ。」「うん!」仲良く手を繋ぎながら家路へと向かう父娘の姿を、校長は窓から眺めていた。『校長先生、あの子の父親は正気ではありませんわ!あんな人が居たら他の子ども達に悪い影響が・・』そう言って食ってかかったいじめっ子の母親の言葉を、校長は手で制した。『いいえ。サマンサさん、あなたは子どもを守ろうとなさっておりますが、それが寧ろ子どもにとっては逆効果なのですよ。親は時として、子に厳しくならなければなりません。』校長がそう言って母親を見ると、彼女は真っ赤になって俯いた。 この事件の後、いじめの主犯格であったサマーズ米軍士官の息子・スティーブは謹慎処分となった。『スティーブ、可哀想に。全く、あの父親の所為で、こんな目に・・』『出掛けてくる。』『まぁ、何処行くの!?』スティーブはぶすっとした顔をして自宅から飛び出すと、内藤家へと向かった。 庭先では巽が素振りをしており、妹の美樹はテラスに置かれた椅子に座ってその様子を眺めていた。「兄様、あいつ。」美樹は生垣の隙間からスティーブの姿に気づくと、巽にそう耳打ちして彼を睨んだ。『なんだ、また言いかがりをつけていじめたいのか? 受けて立ってやる。』木刀を握り締め、巽が妹を守るかのようにスティーブの前に立ちはだかると、彼は二人に向かって頭を下げた。『いじめてごめんなさい・・』『ふん、漸く自分の非を認めたんだな。許してやるから早く行け、お前の母上にみつからないうちに。』スティーブは内藤家から自宅へと戻ると、部屋に籠って溜息を吐いた。「どうした、巽?」歳三が帰宅して、息子の様子がおかしいことに気づいたのは、夕食前のことだった。「父様、あいつが来たわ。」「そうか。それで、何かあったのか?」「ううん。でもあいつ、いつも威張り散らしてる癖に、今日は何だかしゅんとしてたわ。」にほんブログ村
2011年12月14日
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四十九日の法要が過ぎ、千尋の弟子である保子が内藤家を訪れた。「忙しいのに良く来てくれたな。あいつに線香を上げてやってくれ。」「はい・・」保子は千尋の位牌の前に線香を上げると、数珠を握り締めて合掌し、目を閉じた。「これから、どちらへ?」「横浜だ。丁度異動が決まってな。思い出が詰まった家を出るのは辛いが・・いつまでも悲しみに沈んではいられねぇよ。」「そうですね。お店の方はお任せください。先生の代わりにわたくし達が絶対に潰させませんから。」「ありがとう。」 千尋が突然亡くなり、彼女が切り盛りしていた洋裁店は閉店の危機に陥ったが、保子達が寝る間を惜しまず働き、その危機を脱したのは初七日が過ぎた頃であった。店主の突然の訃報を聞き、千尋の店の常連客達は通夜や葬儀に駆けつけ、若過ぎる彼女の死を悼んだ。喪主として気丈に葬儀や法要を取り仕切っていた歳三であったが、子ども達とこれからどう暮らせばいいのか解らず、呆然としていた。 そんな中、彼に横浜署への異動命令が下った。いつまでも悲しみに沈んでいては、千尋も草葉の陰で泣いていることだろうと思い、歳三は住み慣れた家から横浜の新居へと引っ越すことに決めた。「それでは、失礼致します。」「元気でな。」歳三が玄関先で保子を見送ると、奥の部屋から巽と美樹が出てきた。「父様、荷物纏めたよ。」「わかった。じゃぁ行こうか。」「うん。」こうして歳三達は、横浜の新居へと向かった。「うわぁ、広い!」 東京の長屋から外国人居留地近くの新居に移った内藤家だが、新居は瀟洒な白亜の二階建ての住宅だった。「お前ら、走るんじゃねぇぞ!」「はぁ~い。」そう言いながらも二人の子ども達は、騒がしい足音を立てながら家の中を走り回った。「ったく、しょうがねぇなぁ・・」歳三は苦笑しながら、新居で荷物を解き始めた。 季節は冬から春へと移り変わり、巽と美樹は横浜市内のインターナショナルスクールへと入学する事となった。そこには外国人居留地で暮らす英国やフランス、米国大使や領事の子息や、士官たちの娘達などが通い、授業は基本的に英語で行い、外国語や乗馬、ダンスのレッスンなど、上流階級の子息達にとって身につけるべき知識と教養を教える学校であった。その中で東洋人の年子の兄妹は悪目立ちしてしまい、一部の生徒達は彼らを執拗にいじめた。「兄様、もう学校行きたくない!」そんな事が毎日続き、6月に入ろうとする頃に美樹は登校する時に激しく嫌がった。「美樹、今日こそ俺達が力を合わせてあいつらをぎゃふんと言わせてやるぞ!」「うん!」 嫌がる妹を励ました巽は、体育の時間でいじめっ子達に対して反撃をした。『どうした、攻撃しないのか?』『ふん、弱小国の子は弱腰だな。父上がおっしゃってた通りだ。』自分を鼻で笑う彼らに対し、電光石火の動きで巽は小手を繰り出した。『うう、痛てぇよ~!』『お母様~!』泣き叫ぶ彼らの姿を見て、巽はそれを鼻で笑った。『見かけ倒しだな。ただ図体がでかいだけで勝てると思うなよ。』その一部始終を傍から見ていた美樹は胸がすく思いをしたが、その騒ぎの所為で歳三は学校から呼び出された。『まことに申し訳ございませんでした。』そう言って歳三はいじめっ子達の親に頭を下げたが、彼らはそれで許さなかった。『一体どうするつもりだね?』『そうですね・・』 歳三は腰に帯びている脇差を鞘から抜くと、制服の上着とシャツを脱ぎ、上半身を露わにし、その腹に刃を突き立てた。にほんブログ村
2011年12月13日
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その夜、歳三は千尋と二人の子ども達と鍋を囲んでいた。「これから寒くなりますね、あなた。風邪をひかないでくださいね。」「ああ。巽も美樹も、来年は小学校か。」歳三はそう言って、巽と美樹を愛おしそうに見つめた。「父様、わたしも巽兄様と剣術習いたい。」「美樹、そんな事を言っては駄目ですよ。剣術は女子がするようなものでは・・」千尋が美樹に小言を言いだそうとすると、歳三がそれを遮った。「そうか、お前ぇも剣術を習いたいなら、明日から習えばいい。」「旦那様・・」不満そうな顔をする妻に対し、歳三は大声で笑った。「千尋、てめぇは心配し過ぎだろ。たまにはこいつらに任せればいいんだよ。」「ですが・・」「神経質すぎるんだよ、お前は。」「では、旦那様の言う通りに致します。」ぶすっとした顔をしながら千尋が美樹にご飯をよそおうと、突然吐き気が襲ってきて慌てて彼女は口元を覆った。「母様、どうなさったの?」「もしかして千尋、妊娠したのか?」「さぁ・・」千尋は照れ臭そうに笑うと、歳三は巽と美樹の方へと向き直った。「お前ら、また家族が一人増えるぞ。」「本当なの、父上?」「ああ、まだ解らないけどな。」 翌日、千尋は歳三とともに産婦人科へと向かい、診察を受けると、妊娠7週目であることがわかった。「これで家族が増えますね。頑張って働かなくては。」「千尋、余り無理するなよ。」「ええ、旦那様。」数週間後に聖生誕日を迎え、千尋の店は夜会の為に着るドレスを頼みに来る華族の令嬢や婦人達からの注文で俄かに忙しくなり、彼女は毎日疲れを引き摺りながら帰宅していた。「暫く休んだ方がいいんじゃねぇのか? こんな調子じゃぁ、お前ぇと腹の子が心配だ。」「大丈夫ですよ、旦那様。」千尋はそう言って笑うと、歳三に抱きついた。 そんなある日の事、千尋はいつものように店で裁断をしていた。(聖生誕日が過ぎれば、一段落するわね・・)千尋がそう思いながら額に浮かぶ汗を拭っていると、店のドアベルが鳴った。「いらっしゃいませ・・」「お前、内藤千尋だな?」「はい、そうですが、あなた方は?」急に荒々しい足取りで店に入って来た男達は、千尋を睨んだ。「名乗るほどの者ではない。貴様、天子様に弓引いた逆賊の癖に、店なぞ持ちよって!」男の一人がそう怒鳴ると、店の物をひっくり返し始めた。「何をなさいます、おやめください!」「煩い!」男と千尋は揉み合いとなり、足が縺れて床に倒れた際、千尋の胸に裁ち鋏が深々と突き刺さった。「おい、こいつ死んでるぞ!」「構わん、放っておけ! いいか、この事は誰にも話すなよ!」男達は一斉に店から出て行ったが、その姿を通行人に見られていた。 人通りが少ない夜中、千尋は店の奥にある作業場で鋏が胸に刺さったまま一晩中放置され、彼女が発見されたのは翌朝早く出勤した彼女の弟子だった。「千尋、どうして・・」変わり果てた妻の遺体を見た歳三は、彼女の胸に深々と刺さる鋏を抜いた。彼女が愛用している鋏には、まだ鮮血が生々しくこびりついていた。 一体彼女に何があったのか。彼女は誰に殺されたのか。歳三は妻を殺したのは、あの男達に違いないと思い始めていた。(千尋、必ずお前の仇を取ってやるからな・・)にほんブログ村
2011年12月12日
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「お前が内藤隼人だな?」巡回中、歳三が声を掛けられて背後を振り向くと、そこにはあの夜見た男達が立っていた。「そうだが、お前らは平野の部下か? 何を探ってるか知らねぇが、しがねぇ羅卒に構ってる暇があるんだったら、自分の仕事でもしやがれ。」歳三はそう言って男達に背を向けると、さっさと歩き始めた。だが、相手はそれで歳三を解放してはくれないらしく、いきなり腰のサーベルを抜刀し、彼に斬りかかって来た。「チェスト~!」突然往来の真ん中でサーベルを振り回す軍人の姿を見た通行人が悲鳴を上げ、逃げ惑った。「てめぇ、何しやがる!」歳三は怒りを感じ、軍人の刃を受け止めた。「ふん、やはりな。京での噂は上司から聞いているぞ、新選組元副長、土方歳三!」「往来の真ん中で物騒なもんを振り回すなんざ、これが薩摩の田舎侍のやり方ってか!」「煩い!」歳三の挑発にまんまと乗せられてしまった軍人は、大きく腕を振り上げながら彼に向かってきた。 その隙を逃がさず、歳三はサーベルの鍔を跳ね上げた。「くそ!」「何をしている、さっさと加勢しないか!」遠巻きに彼らの戦いを見ていた仲間に向かって、軍人が苛立ったように声を上げると、彼らはサーベルを一斉に抜刀した。「ふん、一人だと戦えねぇからすぐに徒党を組んで相手を攻撃するたぁ、卑怯だねぇ。」「黙れ。我の同志を寄って集って斬り殺したのは、お前ら新選組だ。」「寄って集って、だぁ? 笑わせんじゃねぇよ、糞が。俺達は一対一で戦ってたさ。まぁ、お前らの同志は、剣の腕が劣っていたようだから、下っ端にも倒されてお陀仏しただけのこった。」「おのれ、よくも!」「弱い犬ほどよく吠えやがる。ほら、遠くで唸ってないでかかってきやがれってんだ!」歳三の挑発にカッとなった軍人たちは、一斉に彼へと襲い掛かって来た。(くそ、数人なら何とかなるんだが・・)実戦なら場数を踏んでいるし、多人数に囲まれての戦闘も経験済みだが、あと一桁数が少なかったら勝てるが、十数人は無理がある。「内藤巡査、助太刀致す!」背後から声が聞こえたかと思うと、斎藤が軍人たちの輪の中に飛び込み、抜刀した。「斎藤、助かったぜ!」「新撰組元三番隊組長、斎藤一か! 丁度いい、纏めて始末してやる!」「彼奴らは峰打ちで宜しいですか、副長?」「喧嘩を売ったのは奴らだ、遠慮は要らねぇよ。」歳三の言葉に、斎藤はにやりと笑った。「そうですか、では。」斎藤と歳三は、次々と軍人たちを倒していった。慣れないサーベルを使う軍人たちと、使い慣れた日本刀を使って戦う歳三達の戦いでは、次第に軍人たちにとって劣勢へと傾いていった。「ふん、大したことねぇな。」「天下の軍人様が、羅卒相手に負けるとは情けない。これでも新政府を担う方々でしょうかね?」歳三と斎藤がそう言って彼らを嘲笑うと、最初の勢いは何処へやら、彼らは蜘蛛の子散らしてその場から逃げ出した。「旦那様!」騒動が終わった後、千尋が歳三の元へと駆け寄ると、彼はさっと刀を鞘に収めて妻を抱き締めた。「もう終わったから心配するな。仕事の最中に駆けつけて来て貰ってすまねぇな。」「良かった、あなた様が無事で。」抱き合う歳三と千尋の姿を、麗子は遠くでじっと見ていた。「帰るわ。」「はい、お嬢様。」(千尋さんの事は好かないけれど、彼女には敵わないわね。)にほんブログ村
2011年12月12日
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「どうぞ、こちらへ。」「すいません。」久嗣の祖母、しのに勧められ、千尋は椅子に腰を下ろした。「孫は・・久嗣は漸く生まれた有沢家の跡取りで、随分嫁である母親に甘やかされてしまって。この家の使用人は全て自分の言う事を聞くと思って、完全に世間を舐めた子に育ったもんですよ。祖母として情けないやら、恥ずかしいやら・・」「噂は少しお聞きいたしましたが、ああいった事はよくあるのですか?」「ええ。嫁は折り合いが悪いわたしを離れを住まわせて、久嗣を溺愛して。あれで有沢家の嫁が務まるものですか。千尋さん、と申しましたね? あなた、お子さんは?」「生後半年になる長男がおります。」「そうですか。あなたの久嗣に対する毅然とした態度、立派でしたよ。嫁にもあなたの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいですよ。」しのがそう言って溜息を吐いていると、ドアがノックされた。「お祖母様、入っても宜しくて?」「お入り。」「失礼致します。」部屋に入ってきた麗子は、千尋を見た。「麗子、何の用だ。小遣いを増やして欲しいというのなら、駄目だよ。」「そう。それよりもお祖母様、お祖母様にお客様がお見えですよ。」「お客様? 誰だろうね。千尋さん、ちょっと失礼致しますよ。」しのが部屋から出て行き、麗子と千尋は二人きりになった。「千尋さん、あなたの御主人は内藤隼人さんとおっしゃるわよね?」「ええ。それがどうかいたしましたか?」「あなた、昔京に居たって聞いたわ。もしかしてその頃、あなたの御主人は別の名を名乗ってたんじゃないかしら?」「さぁ・・」一体何を探りだしたいのだろうと思いながら、千尋は麗子を見た。「ねぇ千尋さん、あなたの御主人は函館で戦死した土方歳三様じゃないかしら?」千尋は麗子の言葉に動揺し、カップを落とすところだった。「お嬢様、何故主人の事を?」「お父様がお話ししてくださったのよ、昔のことを。平野様は躍起になって土方様をお探しになっているそうよ。何故だかわかる?」麗子は椅子から立ち上がり、千尋の顔を覗きこんだ。「昔の復讐をしたいそうよ。」「復讐、ですか?」「詳しくは解らないけれど、兄を殺された復讐をしたいと。昨夜なんか密偵を送りこんで御主人の様子を探っていたそうよ。だから、お気を付けになってね。」「麗子様、それは忠告ですか、警告ですか?」「忠告に決まっているわ。それにしてもあなた、大したものだわ。あの我が儘な久嗣に対して毅然な態度を取るだなんて。」麗子がそう言って笑った時、しのが部屋に戻ってきた。「お客様はもうお帰りになられたの?」「麗子、塩を! 早く!」こんなに怒った祖母の姿を、麗子は初めて見た。「一体何を・・」「どうかお願いです、大奥様! どうか・・」部屋に、赤ん坊を抱いた女が入ってくると、しのは容赦なく彼女の頬を打った。「汚らわしい女め!」「大奥様、そちらの方は?」「千尋さん、今日のところは帰ってくれないかね? ここはあたし達の問題だから。」「ですが・・」若い女はじっと千尋を見つめながらも、赤ん坊を抱いていた。「そちらの赤さんは?」「わたしの子です・・そして、有沢家の血をひく子です。」「詭弁はおよし!」しのが女に向かって手を振り上げたのを、千尋は制した。「大奥様、お話だけでも聞きましょう。」「そうだね。お前の望みはなんだい?」「この子を、旦那様に認知して欲しいのです。」「認知だと! そんな事が出来るわけがないだろう!」しのは女の言葉を聞くなり、烈火の如く怒った。「出て行け、お前の顔なぞ二度と見たくない!」「申し訳ございません、ですがどうかこの子を・・」「お黙り!」「わたくしは病でいくばくもない身。どうかこの子を引き取ってくださいませ!」女はそう言った途端、喀血して床に倒れた。「誰か、この女を摘みだしておくれ!」「大奥様、この子はどうなさいますか?」女中は泣き喚く赤ん坊を前に困惑気味にしのに尋ねると、彼女は首を横に振った。「その子はうちとは関係ない。捨ててしまいなさい。」「まぁ大奥様、わたくしがこの子を育てますわ。」千尋はそう言うと、赤ん坊をあやし始めた。「お前さんも赤ん坊がいるというのに、大変だろう?」「ご心配なく。それよりも早くお医者様を。」 有沢家で喀血した女はその翌日、亡くなった。身寄りがない女は無縁仏として葬られ、遺された女の娘は歳三と千尋の養女として育てられることとなった。「千尋さん、申し訳ないねぇ。赤の他人のあんたに迷惑を掛けて・・」しのはそう言って千尋に何度も頭を下げた。「いいえ。この子は今日からうちの娘です。久嗣様の家庭教師は続けますので、ご心配なく。」千尋と歳三は、養女・美樹を迎え、実子である巽と分け隔てなく深い愛情を注いで育てた。 5年の歳月が流れ、千尋は有沢家の家庭教師の職を辞した後、裁縫師として働き始めた。「あなたのドレスはいつ見ても素敵ね。わたくしにも一着、作ってくださらない?」「ええ。どのようなドレスを御希望で?」「そうねぇ・・」千尋と客が話していると、巽が彼女の方へと駆けて来た。「母上、父上が変な奴らに絡まれてる!」「少々お待ち下さいませ。」千尋はそう言うと、店から飛び出していった。にほんブログ村
2011年12月10日
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「ねぇ聞いた? 久嗣様に新しい家庭教師の先生が来たんですって。」「まぁ・・久嗣様は我が儘言うから、また追い出されるかもしれないわねぇ。」「問題は久嗣様よりも旦那様の方でしょう? 女癖が悪くて、外に十人も隠し子が居るって噂なんだから。」千尋が久嗣の授業を終えて有沢侯爵邸を後にしようとした時、厨房で茶菓子を摘みながら女中達が立ち話しているのを聞いた。「あなた達、何を話しているの?」「お嬢様・・」「今日はわたくしの友達が来ると、昨日伝えた筈でしょう? 下らない噂を垂れ流してないで、仕事なさい!」麗子はピシャリとそう言うと、厨房から出て行った。「あら千尋さん、もうお帰りになられるの?」「はい・・」「そう。お気をつけて。」麗子は興味がないと言わんばかりに、千尋に背を向けるとリビングへと入ってしまった。「あんた、新しく家庭教師に来た方だろ?」千尋が玄関ホールへと向かおうとした時、中年女性が立っていた。「あなたは?」「初めまして、有沢家の女中頭、きくです。こんな厄介な家にお世話になるなんて、大したもんだねぇ、あんたも。」「厄介な家?」「ちょっと、こちらへ。」きくに連れられて千尋は、使用人が暮らす部屋へと入った。「雇い主のことは余り悪く言いたかないんだけどねぇ、ここの一家は碌でなしばかりさぁ。旦那様は外で遊び呆けて、奥様やお嬢様は家の金でドレスだの装身具だの散財し放題、お坊ちゃまは我が儘で甘ったれと来た。戊辰の戦じゃぁ勲功立てたって聞いたけど、それも本当かどうか。」きくはそう言うと、煙管を吸った。「余り久嗣様に振り回されないようにね。ま、あんただったらそうはしないだろうけど。」「ご忠告、ありがとうございます。」有沢侯爵邸を出て、長屋へと帰ると、千尋は疲れがどっと出て来て溜息を吐いた。あんな家で、あの我が儘坊やの相手を毎日しなければならないのかと思うと気がめいるが、生活の為だから仕方がない。全ては、最愛の息子の為だ。「お帰りなさいませ、旦那様。」「ただいま。巽は?」「ぐっすり寝てますわ。でもこんな時間帯に寝られると夜泣きしてしまうかも。」「俺があやしてやるよ。はじめは嫌がってたんだけど、どうも慣れてきたみたいでな。」「そうですか。」 翌朝、千尋は久嗣に勉強を教えるが、机から離れて部屋中を走り回ったりして彼は始終落ち着きがなかった。「ねぇ、今度千尋のお家に遊びに行っていい?」「なりませんよ。わたくしは坊ちゃまのお友達ではありませんから。」「何だよ、僕の言う事が聞けないっていうのかよ! 遊びに行ってもいいだろう!」「坊ちゃま、わたくしはあなたの先生ですよ。さぁ、そろそろお勉強に戻りましょう。」千尋はそう言って久嗣の手をひいて机に座らせようとしたが、彼は床で転がって駄々を捏ね始めた。「宿題はここに置いておきますからね。ではまた明日。」「ケチ、意地悪~!」「久嗣、また先生を困らせているのかい!」部屋のドアが開き、丸髷を結った老女が部屋に入って来た。「お祖母様、千尋が僕の言う事を聞いてくれない!」「お黙り、久嗣! そんな事をしてないで、勉強にお戻り!」老女がそう久嗣を叱ると、彼はぶすっとした顔で机に戻った。「申し訳ございません、うちの孫がご迷惑をおかけしてしまって。わたくし、久嗣の祖母の、しのと申します。」老女はそう言って、千尋に頭を下げた。にほんブログ村
2011年12月10日
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「奥様、今日はどのような御用件で?」「千尋さん、こんな事を言うのは申し訳ないけれど・・椿の家庭教師は、今日限りにしてくださらないかしら?」「え・・」虚を突かれた千尋は、思わずるいを見てしまった。「何処か至らない所がございましたか?」「いいえ。個人的な事情だから、お気になさらないでね。椿もあなたには懐いていたし、わたくしとしてはあなたに暇を出したくないのだけど・・」るいは溜息を吐くと、千尋の手を握った。「本当に申し訳ないわ、千尋さん。でも安心して頂戴、次の勤め先には推薦しておいたのよ、あなたのこと。」「ありがとうございます、奥様。」千尋が頭を下げると、るいはハンカチで目元を押さえた。「伯母様、お話はお済みになったかしら?」麗子はそう言ってるいと千尋を交互に見た。「ええ。麗子さん、こちらは椿の家庭教師だった千尋さんよ。千尋さん、こちらはわたくしの姪にあたる麗子さん。」「お久しぶりです、麗子様。」「伯母様からあなたの話は聞いていてよ。弟の事を宜しく頼むわね。」麗子はそう言って千尋に微笑んだ。「ええ・・」有沢家で働くことになるなど千尋は思いもしなかったので激しく狼狽えたが、それをおもてには出さずに笑顔を浮かべた。「わたくしの弟の久嗣は病弱な癖に我がままでね、どうすればよいのか両親が悩んでいたのよ。でも伯母様からあなたの事を聞いてね。突然の事で申し訳ないわね。」「そうですか。では明日からお世話になります。」「宜しくね。」麗子は最後まで千尋に対して高圧的な態度を崩さなかった。(まさか有沢家で働くなんて・・)かつて刃を交えた敵の家で働くなど嫌だったが、背に腹は変えられない。これも息子・巽を育て、家庭とささやかな幸せを守る為の試練なのだ―千尋はそう自分に言い聞かせながら、帰宅して一心に針を動かした。「千尋、どうした?」「何でもありません・・」「嘘を吐くな。俺がお前の事が何もわからないというのか?」歳三はそう言って千尋を見た。「実は・・」千尋は有沢家で働くことになったと歳三に告げると、彼は溜息を吐いた。「そうか、有沢家に・・小瀬の奥様はよくしてくださったが、あちらの奥様はどうだか・・」「嫌だとは申せませんし、生活の為だと思って我慢致します。」 翌朝、千尋は有沢侯爵家へと向かった。「あなたが久嗣の家庭教師の、千尋さんね? わたくしは有沢の妻の、ぬいです。」「初めまして、奥様。今日からお世話になります。」有沢の妻、ぬいは冷淡な女性だと千尋は思った。「久嗣、家庭教師の先生がお見えになりましたよ。」ぬいとともに久嗣の部屋へと入った千尋は、散らかり放題の部屋に絶句した。「母上、そいつが僕の先生なの?」シーツから顔を覗かせた有沢家の長男・久嗣は、そう言って生意気そうな顔を千尋に向けた。「久嗣、目上の方に何という口のきき方をなさるの! ちゃんとご挨拶なさい!」「初めまして、久嗣です。」ぶすっとした久嗣は、そう言って千尋に頭を下げた。「では千尋さん、お願いしますわね。」ぬいが部屋を出て行くと、久嗣はじろりと千尋を見た。「千尋、僕の部屋を片付けてよ。」「承知しました。」千尋は久嗣の部屋をさっと片付けると、彼は舌打ちした。「ねぇ千尋、嫌だったら辞めてもいいよ。僕は困らないけどね。」久嗣は目上の者である千尋に対し、姉・麗子と同様、高圧的な態度を取った。散々母親に甘やかされて育って来たのだなと、千尋は思った。にほんブログ村
2011年12月10日
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「申し訳ございません、大したおもてなしもできずに・・」「いや、いいんだ。君と土方さんが夫婦になったことを知って驚いたのはつい昨日のことのように思えてしまうよ。」斎藤はそう言って千尋に笑いかけた。「そうですね。巽をあやしたり、家事をしている時にふと、昔の事を思い出してしまいます。」針仕事をしながら、千尋は溜息を吐いた。 歳三と千尋が結婚し、夫婦となったのは戊辰の戦の頃だった。先に会津へと向かった斎藤の元へと向かおうとした歳三であったが、宇都宮の戦いで砲撃に遭い、右足を負傷してしまい、療養生活に入る羽目になってしまった。一刻も早く会津に駆けつけたいと思う歳三であったが、心は逸るばかりで右足の傷が癒えるのには時間がかかり、次第に彼は焦りと苛立ちを増していった。 そんな中、千尋が彼の部屋に入ると、そこでは歳三が軍服を着て刀を腰に差していた。「どちらへ行かれるのですか?」「会津に決まってんだろ。」「なりません、まだ傷の具合が・・」「うるせぇ、お前は引っ込んでろ!」歳三の苛立った声に対し、千尋は彼の前に立ちふさがり、腰に差していた刀を抜き、その刃先を首筋に押し付けた。「やめろ、千尋!」「共に死にましょう、副長。戦場に赴くというのなら、わたくしの屍を越えて行かれませ!」「畜生、卑怯だぞ・・」歳三はそう言って畳の上に胡坐をかいた。「今あなた様が焦っておられるのは解ります。ですが、今の状態では足手まといになるだけです。」 会津の戦いや函館の戦いでも、千尋は常に歳三の傍に居た。いつしか歳三にとって千尋の存在はなくてはならないものとなった。「千尋、頼みがある。」函館で右脇腹を負傷し、病院で臥せっていた歳三は、そう言って千尋の手を握った。「何でしょうか?」「俺と・・夫婦になってくれねぇか?」「承知しました。」祝言を挙げなかったが、千尋と歳三は斎藤や島田達に祝福され、夫婦となった。小さな長屋でのささやかな暮らしが、戦場を離れた二人にとっては幸せだった。「斎藤先生、何かあったのですか?」「ああ。土方さんをつけ回す男が居てな。どうやら旧幕府軍に与していた藩士達が、反乱を起こすらしい。」「まぁ・・それで、旦那様はなんと?」「断ったそうだ。だが向こうが諦めてくれるかどうか。それに、軍服姿の男達が俺達のことを探っていたようだし。千尋君、これから仕事へ行く時は一人きりで出歩いてはいけない。」「はい、解りました。」斎藤の忠告を受けた千尋は、翌日小瀬子爵邸へと向かう時、隣の長屋に住んでいるつねと途中まで向かった。「ではつねさん、わたくしはこれで。」「ええ、気をつけてね。」千尋が小瀬子爵邸の玄関ホールに入ると、リビングの方からご婦人達の笑い声が聞こえた。「失礼致します、奥様。」「まぁ千尋さん、朝早くから悪いわね。見て頂戴。」るいはそう言うと、ドレスを着た椿を彼女の前に出した。「お嬢様、良くお似合いですわ。」「あなたのお蔭よ、ありがとう。」「伯母様、そちらの方は?」テーブルから誰かが立ち上がる気配がしたかと思うと、有沢麗子が千尋達の方へとやって来た。「あなた・・あの時の・・」「まぁ麗子さん、千尋さんを知ってるの?」「ええ。また会えるだなんて、嬉しいわ。」差しだされた麗子の手を、千尋は握ろうとはしなかった。にほんブログ村
2011年12月10日
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「反乱たぁ、穏やかな話じゃねぇなぁ。」狂気に彩られた目をした男達は、歳三を一斉に見た。「穏やかではないのは薩長の方です! 奸賊であった癖に主上の御威光を笠に着てやりたい放題! あやつらに何度煮え湯を飲まされたことか!」「全くだ、我らは何のために戦ったと思っているのだ!」江戸から明治へと時代が変わるにつれ、それまで幕府に仕えていた各藩の家臣たちをはじめとする藩士達は職を失い、その日暮らしを強いられていた。その不満がいつの間にか蓄積され、やがて新政府―かつては敵であった薩長に対しての激しい憎悪へと変わっていったのだった。 彼らの怨嗟の声には、歳三は少なからず同情もするし、共感できるところがある。しかし今のご時世、旧幕府に仕えた者達が政府に反乱を起こしたところで武力鎮圧されるのが関の山だ。そうすれば、憎悪の連鎖は親から子へ、子から孫へと延々と続いてゆくだろう。それだけは、歳三は避けたかった。「土方殿、我々に力を貸してくだされ!」山根がそう言って歳三にすがりつくように彼の足元に跪いて叫んだ。「我らにはもう、土方殿しかいないのです!」「お頼み申す!」必死に自分に向かって懇願し、額を地面に擦り付けんばかりに土下座している男達を見て、彼らの手助けはしたいと思う気持ちと、むやみに争いをするなと彼らを諭そうとする気持ちが、歳三の中でせめぎ合った。 その結果、勝ったのは後者の方だった。「みんな、聞いてくれ。」歳三が口を開くと、男達が期待に満ちた目で彼を見た。「確かに俺も薩長の連中が・・仲間を殺した奴が憎い。だがな、今反乱を起こせば武力で鎮圧される。どんなに足掻いたって、戦では勝った者の言い分が通るんだ。」「土方殿は悔しくないのですか! 近藤局長を、お仲間を殺した薩長の奴らに従う事を!」「悔しいに決まってんだろ。だがな、てめぇ一人で突っ走る時代はとうに終わったんだ。俺には守らねぇもんがある。だから、お前ぇらには協力ができねぇ。」歳三の言葉に、男達は一斉に落胆の表情を浮かべた。「茶、美味かったぜ。」茶の代金を置くと、歳三はさっと店から出て行った。「土方さん。」長屋へ帰る道すがら、歳三が背後で呼び留められて振り向くと、そこには斎藤の姿があった。「斎藤、尾けてやがったのか。」「ええ。あの店は、戊辰の戦に敗れ、職にあぶれた者達が集まる場だと噂で聞いておりましたが・・土方さん、まさか・・」「あいつらに手を貸す気はねぇよ。ただでさえ元新選組副長って身分を隠して羅卒として働いてんだ。反乱なんざ起こしてみやがれ、真っ先にあの平野の糞野郎が俺の首級を欲しがるぜ。」「しっ!」斎藤がそう言って歳三の口を急に塞ごうとしたので、彼は慌てて周囲を見渡すと、建物の陰に隠れて数人の男達がこちらの様子を窺っていた。みな一様に漆黒の外套を纏ってはいるものの、揃いの制帽を被っている様子を見ると、軍人のようだった。「斎藤・・」「内藤さん、ここから離れましょう。」「ああ。」斎藤と歳三が路地を歩いていると、建物の陰から男達が出て、自分達の後を尾けてくるのがわかった。「藤田君、最近かみさんの様子はどうだね?」「そうですね、しっかり者ですが、尻に敷かれているような気がして。」「そうか。俺の女房も家計を支えてくれていて働き者で、良く出来た女なんだが、あいつに苦労をかけていると思うと辛くてねぇ。」歳三と斎藤はわざと明るい声で世間話をしながら、長屋の入口へと向かった。「お帰りなさいませ、旦那様。まぁ、斎藤先生、お久しぶりです。」「千尋、遅くなってすまねぇな。」「いいえ。さぁ夕餉にいたしましょうか?」「ああ。」歳三は外から視線を感じたが、それを気にせず斎藤と酒を酌み交わした。にほんブログ村
2011年12月09日
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「もし、そこの方。」 千尋は長屋への帰路を急いでいると、突然背後から声をかけられて彼女が振り向くと、そこには白貂の毛皮を纏った華族の令嬢が彼女を見ていた。「何でしょうか?」「あなた、お名前は?」「内藤千尋と申しますが、あなたさまは?」「内藤・・もしや、内藤隼人さまの奥様では?」「主人を、ご存知なのですか?」千尋の柳眉が微かに吊り上がり、彼女は思わず令嬢を睨みつけてしまった。「ええ。あの、わたくしは有沢麗子と申します。」「有沢様・・」令嬢の名を聞いて、千尋はビクリと身を震わせた。有沢邦弘―元長州派維新志士の一人で、戊辰の戦では新選組や会津藩士をはじめとする旧幕府軍に対して極悪非道の限りを尽くした男だ。明治の世となり、有沢は高級官僚として出世し、華族の仲間入りを果たした。「あの、どうなさいました?」麗子が怪訝そうに自分の顔を覗きこんでいることに気づき、千尋ははっと我に返った。「いえ、何でもありません。ではわたくしはこれで失礼を。」千尋は麗子に頭を下げると、再び歩き出した。「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですか。」「景山・・」麗子が振り向くと、そこには長身の執事・景山が立っていた。「どうなさいましたか、お嬢様? お顔の色が優れませんが・・」「ええ。長い間寒い中を歩き回っていたからかしら。もう帰りましょう、景山。」麗子はそう言って執事とともに馬車へと乗り込んだ。「ただいま戻りました、旦那様。」「お帰り、千尋。寒かっただろう?」「ええ。今夕餉の支度をいたしますね。」「俺がやるから、お前は休んでいろよ。最近碌に寝てないんだろう?」「では、お言葉に甘えさせていただきます。」千尋はそう言って布団を敷くと、そこに横になって目を閉じた。 すうすうと布団から千尋の安らかな寝息がしてくるのを聞きながら、歳三は台所で米を炊き、味噌汁を作った。(お前ぇには、苦労を掛けっ放しだな、千尋・・)少しずれた布団を、歳三はそっと妻の上に掛けた。 その時、戸の障子の向こうに人影が見えていることに彼は気づき、壁に立て掛けてあった愛刀を握り締め、そっと戸を開き、辺りを見渡した。「誰だ? いるのはわかってんだ、出て来い!」押し殺した声で歳三がそう言って長屋の外に出ると、昼間見た着流し姿の男が井戸端に立っていた。「お前ぇ、何者だ?」すらりと愛刀の鯉口を切った歳三に、男は突然彼の前に跪いた。「突然のご無礼、申し訳ございません。それがし、山根光久と申す者。新選組元副長である土方殿にお願いがあってこうして参った所存にございます。」「俺にお願いだと? 一体どういう事か、話を聞いてやろうじゃねぇか。」「それがしだけではござらぬ。」男―山根はそう言うと、歳三を近くの飲み屋へと連れて行った。「土方殿をお連れしたぞ!」山根が声を張り上げながら店の中へと入ると、男達の野太い歓声が聞こえた。 そこには、戊辰の戦で旧幕府軍として戦った侍達が居た。数人、いや数十人は居るだろう彼らは、一斉に歳三を見ると瞳を輝かせていた。「土方殿、どうぞこちらへ。」「お、おう・・」家に残した妻と息子が気になったが、歳三は山根に勧められた座敷に腰を下ろした。「で、話ってなんだ?」「実は、近々新政府に対し反乱を起こそうと思っているのです。」山根はそう言って歳三を見た。「反乱だと? お前ぇら、気は確かか?」「薩長の輩がのさばるこの世は我慢ならぬ。今こそ我れらが立ち上がる時ではございませぬか!」「そうだ、そうだ!」「薩長に天誅を!」口々に叫ぶ男達の目は、狂気に彩られていた。にほんブログ村
2011年12月08日
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「千尋さん、とおっしゃったわね? いつもるいさんからお話しは聞いておりますよ。昔、京におられたとか?」「はい。そこで礼法や茶道、華道を学びました。」「あなたほどの方が、我が家の家庭教師にいらっしゃられるなんて、嬉しいわ。」るいの姑はそう言うと、笑った。「お義母様、今日はどのような御用件で?」「来週発表会があるでしょう? 椿の為にその振袖を誂えたんですよ。」「まぁ・・」ピアノの発表会に振袖など似合う筈もないのに、それが解っててわざと振袖を嫁に押し付けようとする姑の意地悪さを、千尋は垣間見た。「申し訳ありませんがお義母様、椿にはドレスを着せますわ。お振袖は大事にいたしますので。」「あらそう。では仕方ないわね。」るいの言葉にムッとした姑は、孫娘の振袖を彼女に押し付けると、部屋から出て行った。「ごめんなさいね、不愉快な思いをさせてしまって。」「いいえ、お構いなく。それよりも奥様、お嬢様はどちらへ?」「ああ、椿なら学校よ。お義母様は学校に通わせるなんていじめられたらどうするのだっておっしゃって反対したのだけれど、両親以外の大人や同年代の子ども達と接した方がいいと、わたしも主人とよく話し合って決めたのよ。」「そうでしたか・・」千尋はふと、巽の将来のことを思った。まだ赤ん坊の彼だが、数年経ち、椿の年齢になったら学校に通わせることになるだろう。その時、両親の身元が調べられないだろうかと、彼女は不安を抱いた。もし自分達が旧幕府側の人間だと知られたら、今の仕事が続けられず、あの長屋からも追い出されてしまうかもしれない。戦乱の果てに、漸く手に入れた安住の地を、過去の禍根で奪われたくはない。「千尋さん、どうなさったの?」「いえ、何でもありません。そろそろ、失礼致します。」千尋はそう言うと、小瀬子爵邸を後にした。 一方歳三は、巽を井戸端であやしていた。千尋が仕事で忙しく、歳三が彼女の代わりに息子の世話をしていたが、何度自分があやしても宥めても、巽は一旦泣くと泣き止まない。やはり父親よりも、母親の温もりがいいのだろうかと、歳三は溜息を吐いた。「土方さん。」泣き喚く我が子をあやしている歳三は、背後から呼びかけられて振り向くと、そこにはかつて京や戊辰の戦場をともにした元新選組三番隊組長・斎藤一こと藤田五郎が立っていた。「斎藤、“土方”はやめやがれ。」「申し訳ありません。ですが・・」「最近明治政府のお偉いさんが、俺のことを探ってるっていうのに、誰に見られてるかもわからねぇところで・・」「それは、本当ですか?」「ああ。斎藤、薩摩の過激派浪士で平野って奴憶えてるか?」「ええ、池田屋や禁門の変、戊辰の戦でも斬り結びましたから。そいつがどうか・・」斎藤は、歳三が険しい表情を急に浮かべたので、周囲を見渡すと、長屋の入口付近に着流し姿の男が立っていた。髷を結っておらず、無造作に髪を組紐で結んでいるその男は、斎藤と視線が合うとさっと長屋から去っていった。「斎藤・・」「平野の間者でしょうか。職務質問してきます。」「やめとけ。少しばかり泳がせてやれ。職務質問はそれからだ。」「御意。」「折角来てくれたんだから、茶のひとつでも飲んでいけ。」「申し訳ありませんが、仕事中なので・・」「ったく、そういう堅物なところは変わってねぇなぁ。」歳三はそう言って笑うと、いつの間にか眠ってしまった巽を抱いて、長屋の中へと入った。「丸くなられたな、あの人も・・」斎藤はそう呟くと、巡回へと戻っていった。にほんブログ村
2011年12月08日
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「洋裁を・・わたくしが、奥様にですか?」「ええ、そうなのよ。わたくし、家の事はちっとも出来なくて、このままでは主人にも申し訳なくて。せめて、娘の服くらいは縫えるようになりたいの。」子爵夫人がそう言って笑うのを見て、千尋は少し複雑な気持ちになった。「そうですか・・」「ねぇ千尋さん、お宅の坊やは今おいくつなの?」「今六ヶ月です。巽といいます。それよりも奥様、いつから洋裁を教えれば宜しいでしょうか?」「そうねぇ・・あの子のピアノの発表会が三週間後だから、悪いけれど今日から教えて頂きたいの。」「かしこまりました。」 こうして千尋は、小瀬子爵夫人に洋裁を教えることになり、毎日帰るのは夕方4時過ぎとなっていた。家に帰っても巽の育児や家事などがあり、休んでいる暇がなかった。「最近、寝てねぇだろう?」「あ、すいません・・」疲れが蓄積し、針仕事の最中についうとうとしてしまった千尋は、はっと目を覚まして歳三を見た。「肩揉んでやるよ。」「ありがとうございます。」歳三が千尋の肩を揉むと、そこは石のように硬かった。「奥様に洋裁を教えているんだって? そんなに働きづめで大丈夫なのか?」「はい。発表会が終わったら大丈夫です。」「そうか。巽のことは俺が見るから、お前は休め。」「ええ・・」そう言った千尋の目の下に黒い隈ができていることに彼は気づいた。 翌朝、千尋は小瀬子爵邸で子爵夫人に洋裁を教えた。「もうすぐ完成だわ、ありがとう千尋さん。」「どういたしまして、奥様。」「椿、喜んでくれるかしら?」「勿論ですとも。」千尋が子爵夫人と話していると、部屋のドアが開いて小瀬子爵が入って来た。「椿のドレスか?」「ええ、あなた。千尋さんに洋裁を教えていただいたのよ。」「そうか。千尋さん、今日はもういいから帰るといい。疲れを取った方がいいよ。」「お言葉に甘えさせていただきます。それでは奥様、旦那様、失礼致します。」千尋が小瀬子爵邸を出ようとした時、玄関ホールで一人の男とぶつかった。「あ、すいません・・」「気をつけろ!」「まあ千尋さん、大丈夫!?」子爵夫人が玄関ホールで倒れている千尋を抱き起こすと、男を睨みつけた。「まぁ、あなたまたいらしたのね? 生憎主人は出掛けておりますの。」「奥様、そんなにわたしの事をお嫌いで?」爬虫類を思わせるかのような目で、男は子爵夫人を見た。「平野さん、お帰り下さいな。」(平野・・何処かで聞いたような名前・・)「奥様、そちらの方は?」男の視線が、子爵夫人から千尋へと移った。「あなたには関係のないことですわ。さぁ千尋さん、行きましょう。」「はい、奥様・・」千尋は子爵夫人の後を慌てて追うと、彼女は溜息を吐いた。「あの方は、奥様のお知り合いですか?」「ええ。わたくしの、といっても、主人の知り合いだけれどね。明治政府の高官だか何だか知らないけれど、あの方、どこか嫌だわ。それよりも千尋さん、大丈夫なの? 無理をさせてしまってごめんなさいね。」「いいえ。お嬢様、喜ぶとよいですね。」「奥様、大奥様がお見えです。」「お義母様が? お通しして。」ほどなくして、和服姿の女性が部屋に入って来た。「るいさん、お久しぶりね。そちらが、椿の家庭教師?」「ええ、千尋さん、お義母様にご挨拶して。」「初めまして、内藤千尋と申します。」千尋は女性に挨拶すると、彼女はふんと鼻を鳴らした。にほんブログ村
2011年12月08日
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「おお、済まねぇな。」 歳三が財布を拾ってくれた人に礼を言おうとして振り向くと、そこには薄紫のドレスを纏った女性が立っていた。 西洋で作られた高価なドレスを着ているということは、華族か身分の高い女性だろうと、彼は一目見て解った。「あなた、お名前は?」「俺か? 土方・・内藤隼人だ。あんたは?」「わたくしは・・」「お嬢様、こんなところにいらっしゃったんですか!」侍女と思しき小袖姿の女性が、歳三達の方へと駆け寄ってきた。「さようなら、内藤さん。お会い出来て嬉しかったわ。」女性はそう言うと、歳三に手を振り、侍女とともに朝靄の街を去っていった。「お帰りなさいませ、旦那様。」「巽はどうした?」「あの子なら寝ましたわ。わたくしはこれからお仕事へ参りますから、巽の世話を宜しくお願い致しますね。」「ああ、解ったよ。」「では、行って参ります。」千尋はそう言うと、歳三に頭を下げて長屋から出て行った。 歳三の仕事は羅卒(警官)で、非番の日が少し多いため、千尋は最近華族の家で仕立ての仕事や家庭教師の仕事を始めた。幕末では歳三とともに京の都を血で染めたと言っても過言ではないほどの剣の腕で、それと同時に漢詩や和歌、茶道、華道、外国語などに精通していたので、巽を授かる前は礼法や薙刀の教師などをしていたが、巽が生まれてからは自宅でも出来る仕立ての仕事へと転職した。 稼ぎの悪い自分の所為で、千尋には苦労をかけっぱなしだ。新選組の元副長という立場は、この明治の世になっては邪魔でしかない。羅卒になれただけでもまだマシで、武士であった者は商売を始めても上手くゆかず、橋の下で寝泊まりするようになってしまった者が居たりしていた。 歳三は溜息を吐きながら、ふと壁に掛けている愛刀を見た。そこには、激動の世を共に過ごした兼定が、朝日を受けて鞘が艶やかに光っていた。京の都で歳三は、兼定を腰に提げ、数々の敵を切ってきた。羅卒が扱うのは西洋製のサーベルで、歳三は特別に愛刀の携帯を許可して貰っているが、新しい時代へと静かに動いている中、いつまで愛刀を使えるかどうかも解らない。(巽が大人になる頃は、どんな世になってるかな・・)幕末から明治へと激動の世を駆け抜けてきた歳三にとって、巽の未来には争いのない世になって欲しいと、歳三は密かに願っていた。「内藤さん、居るかい?」長屋の外から男の声が聞こえ、歳三はさっと立ち上がって戸を開けた。そこには、同僚の芦田が立っていた。「どうした、何か用か?」「実はよぉ・・平野重太郎ってやつが内藤さんのことを探っているらしいんだ。」芦田の言葉に、歳三の顔が険しくなった。 今や藩閥政府の重役として活躍している平野重太郎だったが、幕末では薩摩の過激派浪士として名が知られ、歳三は何度か彼と斬り結んだことがあった。「何で下っ端のしがない羅卒の俺の事を探ってるんだ? 明治政府のお偉いさんが。」「さぁな。でも用心した方がいいぜ。」「解った。」芦田が長屋から出て行った頃、千尋は小瀬子爵邸で子爵家の一人娘・椿に筝の稽古をつけていた。「よろしゅうございますよ、お嬢様。本日はここまでにいたしましょう。」「ありがとうございます、先生。」椿はそう言って千尋に頭を下げた時、部屋に子爵夫人がサラリと衣擦れの音を立てながら入って来た。「千尋さん、いつも椿の稽古をつけてくださってありがとう。少しお話があるのだけれど、よろしいかしら?」「はい、奥様。」子爵夫人に連れられ彼女の部屋に入った千尋は、ソファに腰を下ろした。「お話とはなんでしょうか、奥様?」「ねぇ千尋さん、お恥ずかしいのだけれど・・わたくしにも、洋裁を教えてくださらない?」にほんブログ村
2011年12月06日
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明治4年、東京。「旦那様、起きて下さい。」「ん~、ちょっとだけ寝かせろ。」「いけません、起きて下さい。」そう言って男の妻が布団を引き剥がした。「う~、寒ぃ。」「冬なのだから当たり前でしょう?」身体を縮こまらせてそう言う男に、妻は冷たい視線を向けた。その瞳は、美しい蒼をしていた。「ったく、昨夜は疲れたんだから、少しは寝かせろよ・・」「何をおっしゃいますか。あなたが寝ていらっしゃる間、わたくしは巽(たくみ)を一晩中あやしていて寝不足なのですよ。」そう言って彼女は、網代籠の中で眠る我が子を見た。「ああ、わかったよ、俺が悪かった。だから千尋、少しは機嫌直してくれよ。」男は妻・千尋を背後から抱き締めると、彼女はくすりと笑って夫の頬に軽く口付けた。「なぁ、久しぶりにいいだろう?」男の手が、着物の合わせを開き、ゆっくりと中へと入ってくるのを感じて、千尋は思わず声をあげてしまった。「いけません、こんな朝から・・」「いいじゃねぇか、巽ならまだ起きねぇよ。」「もう、土方さ・・」千尋が抗議の声を上げると、男は美しい顔を顰めた。「名前で呼べっつってんだろうが。」「歳さん、やめてください。」千尋は夫―元新選組副長・土方歳三を睨むと、彼の手を振り払った。「ふぇぇん!」網代籠の中で眠っていた赤ん坊が目を覚まし、まるで火がついたかのように泣き始めた。(畜生、いいところを邪魔しやがって・・)歳三はぶすっとした顔をしながら、妻にあやされている我が子を見た。 一年前、維新の混乱が漸く鎮まった後、歳三と千尋は夫婦として暮らし始めた。新選組の元副長という身分を隠し、彼は妻の千尋とささやかな暮らしを送っていた。 そんな中、千尋が巽を身籠った。彼女の妊娠を知った歳三は是非産んで欲しいと彼女に言ったが、彼女はこの子を諦めると言った。「今生活が苦しいのに、家族が増えるだなんて・・これ以上、旦那様の負担を増やすようなことはできません。」「馬鹿野郎、金の問題じゃねぇんだよ! 俺とお前との間に出来たややを殺すなんざ、俺は反対だからな!」その夜は一晩中、千尋と歳三は腹の子の事で話し合い、結局千尋が折れて巽を産んだ。 初めて巽を抱いた時、ズシリと両腕に伝わる命の重みが尊くて美しいものだと歳三は感じた。だが今となっては、妻を子どもに取られ、やきもちを焼いてしまう。(まるで小さいガキが赤子の兄妹に親を取られたみてぇだな。)歳三がそう思いながら千尋を見ると、彼女は巽に乳をやっていた。「旦那様、余り見ないでください。」「おう、済まねぇ。ちょっと外に出てくるぜ。」彼はさっと長屋から出て行くと、当てもなくぶらぶらと朝の街を歩いた。何故か、最近面白くないと感じてしまう。(父親になるのって、難しいんだな・・)歳三がそんなことを思いながら下駄を鳴らして歩いていると、背後から突然声がした。「もし、落ちましたよ。」にほんブログ村
2011年12月06日
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「質問に答えて。どうしてあんなことをしたの?」「あなたが憎いからに決まっているじゃない!」真理亜はそう言って傍にあった花瓶を掴むと、中の水を千尋にぶちまけた。「母があの成り上がり者と結婚して、わたしのプライドはずたずたに切り裂かれたわ! 母はもっといい人と結婚してくれれば良かったものを、どうしてあんな下劣な男と!」「あなたのお母様の結婚と、わたくしは全く関係ないでしょう?」「関係あるわ! あなたはわたしが大嫌いな成り上がり者と結婚したのよ! どうしてお母様も、お姉様も成り上がり者と結婚するの? 華族様と結婚なさればよかったのに!」真理亜がここまで自分に憎しみをぶつける原因は、ひとえに母と姉が成り上がり者と結婚したことが気に入らない事からきていた。 母・綾子は没落してしまったとはいえ、父親が放蕩の限りを尽くさなかったら今でも由緒正しい華族様だった。それなのに、一代で財をなして本来華族しか入れぬ社交場に堂々と我が物顔で入って来る成り上がり者達が真理亜は憎くて憎くて、堪らなかった。そんな自分の気持ちを知っていながらも、母はあの男と離婚しないどころか、忌まわしい血を継ぐ子を産んだ。そして彼らは、皇族や華族しか入学を許されていなかった学習院に「特例」で入学した。「どうして成り上がり者が、わたし達華族の誇りを傷つけるの? 大きな顔をして、わたし達の前に現れないでよ!」真理亜はそう言うと、部屋から飛び出していった。「真理亜・・」今は彼女をそっとしておいた方がいい―千尋はそう思い、濡れたドレスをハンカチで拭った。「すいません、遅くなりました。」「どうした、ドレスが濡れてるぞ?」「ええ、お手洗いに行く時に手元が狂って濡れてしまって・・」「そうか。これなら大丈夫だな。」土方がそう言って千尋に微笑んだ時、鋭い視線を感じて振り向くと、そこには真理亜が憎しみに満ちた目で自分を睨みつけていた。 今回の事は彼女の仕業だと彼は睨んでいた。「何かしたの?」「理哉、いつからそこに・・」「さっき。話しかけようと思ったんだけど、おっかない顔してたから話しかけられなかったんだよね。」理哉はそう言うと、土方と千尋に微笑んだ。「千尋ちゃん、土方さんとは上手くいってる?」「ええ、何とか・・」「赤ちゃんが出来たら、真っ先に僕に報告してよね。」「てめぇ、ふざけた事を抜かすな。」土方はそう言うと、理哉を小突いた。「んもう、冗談だよ。」 土方と千尋が結婚して数ヶ月が経ち、彼女はいつものように斎藤が用意した朝食を食べようとした時、炊き立てのご飯の匂いを嗅いで突然激しい吐き気に襲われ、慌てて口元を覆ってトイレへと駆け込んだ。「おい、どうした?」「すいません、あの・・」「もしかして妊娠したのか?」「ええ。」千尋は土方の子を妊娠し、周囲は喜びに沸いた。 1899(明治32)年10月20日、彼女は元気な男児を出産した。「ぼく、おにいちゃんになるの?」総司はそう言うと、清潔なリネンシーツに包まれた赤ん坊を見た。「そうですよ、総司様。仲良くしてくださいね。」「うん!」総司は幼い指先で赤ん坊の頬を突くと、赤ん坊は身を捩って泣いた。(可愛いなぁ・・)こうして土方家に、新しい家族が増えた。にほんブログ村
2011年11月28日
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「ハーブティーです、奥様。」「ありがとう・・」 切り裂かれたドレスを送りつけられた千尋は、斎藤からミントティーを受け取り、それを一口飲むと気分が落ち着いた。「今夜のパーティーはいかがいたしましょう? ドレスなしでは・・」「そうね、困ったわね。」千尋が溜息を吐くと、居間に土方が入って来た。「どうした?」「旦那様、こんなものが先ほど贈られてきまして。」斎藤はそう言うと、土方にドレスの残骸を見せた。「こりゃ酷ぇな。千尋、替えのドレスはあるか?」「ええ。ですが流行遅れのものばかりで。」「俺に任せろ。」土方はそう言うと、斎藤に仕立屋を呼ぶように頼んだ。 横浜の英国領事館で行われたパーティーには、綾子とその夫・善信も出席していた。『領事夫人、お久しぶりですね。』『まぁヨシ、お会い出来て嬉しいわ。あなたもね、アヤコ。』『ええ。』綾子はそう言って領事夫人に愛想笑いを浮かべた。『これはこれは奥様、御機嫌よう。』『まぁサマーズさん、お久しぶりね。そちらにいらっしゃるお嬢様はどなた?』領事夫人はサマーズから彼の隣に立っている少女へと視線を移した。『初めまして、奥様。マリアと申します。』『まぁ、可愛らしいこと。』領事夫人はそう言って笑うと、真理亜に微笑んだ。『あら、今夜はあなたのお姉様もご招待したのだけれど、いらっしゃらないようね?』彼女が辺りを見渡した時、突然大広間に居た客達が一斉にどよめいた。『あら、何かしら?』彼らが視線の先を見ると、一組の男女が大広間へと入ってくるところだった。 土方は、隣に立っている千尋をエスコートして英国領事館の大広間へと入っていった。彼女が纏っているのは、胸元を大きく開いた直線的なデザインの古代青のドレスで、三連のダイヤモンドのネックレスがシャンデリアの光を受けて美しく輝いていた。『遅くなって申し訳ありません、領事夫人。』『まぁ、そちらにおられる方はどなた?』『紹介いたします、わたしの妻です。』『初めまして。チヒロと申します。』千尋はそう言って優雅に領事夫人に挨拶すると、彼女は目を細めた。どうやら彼女に千尋は気に入られたようだ。(どうして・・)真理亜は驚きで目を見開き、領事夫人と談笑する千尋を見ていた。その視線に気づいたのか、ゆっくりと彼女が真理亜を見た。『少し失礼致しますわ。』千尋はそう言うと、ゆっくりと真理亜の方へと向かった。「真理亜、今朝は素敵なドレスを贈ってくださってありがとう。」「何のことかしら?」「とぼけないで。院長先生からの贈り物を切り裂いたのはあなたでしょう? 少し静かな所で話しましょうか?」千尋は真理亜の腕を掴むと、大広間から出て行った。「それで? どうしてわたしがあなたにあんな贈り物を贈ったのかわかったの?」「理哉さんから聞いたのよ。あなたがわたくしの事を憎んでいるって。」「ふん・・」真理亜は部屋に入るなり、苛立ちを紛らわすかのように爪を噛んだ。写真素材 ミントBlueにほんブログ村
2011年11月27日
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横浜の外国人居留地にあるカトリック教会で式を挙げた土方と千尋は、赤坂の料亭で披露宴を行い、千尋は純白のウェディングドレスから白無垢へと着替えた。「まぁ、よぉ似合っとるねぇ。やっぱりうちの見立てが良かったんやねぇ。」「ありがとうございます、お母様。」「じゃぁうちが高砂ば歌おうかね。」なおはそう言うと、腹の底から声を出して、「高砂」を歌い始めた。「旦那様、わたくしそんなにおかしいですか?」「いや・・」隣に居る千尋の余りの美しさに、土方は一言も発せないでいた。「綺麗だぜ、千尋。」「もう、旦那様ったら。」「ふぅん、二人とも見せつけてくれるよねぇ。もしかしたら既に千尋さんのお腹には赤ちゃんが居るのかも。」「まぁ、嬉しかぁ。こんなに早く孫の顔ば見られるやなんて。」「お義母さん、まだですよ。暫く我慢してくださいね。」「だ、旦那様!」かぁっと羞恥で顔を赤くする千尋を、土方は抱き締めた。「改めて、結婚おめでとうございます、土方さん。」「てめぇから改めてそう言われると、何か企んでるんじゃねぇかと思うんだが・・」土方はそう言って溜息を吐くと、理哉は整髪料で撫でつけた髪を乱暴に梳き、アスコットタイを解いた。「あのさぁ、あの子には気をつけた方がいいよ。真理亜って子。」「真理亜って、千尋の妹だろ? 結婚式に居たが・・何を気をつけろってんだ?」「あの子、千尋ちゃんを嫌ってるみたい。彼女ね、成り上がり者が大嫌いなのさ。母親の結婚相手が成り上がり者だから、大嫌いな部類の男と結婚した姉も嫌いって訳。」「そうか。わざわざ警告ありがとうよ。俺が小娘ごときに負けるタマだと思うのか?」「別に、思ってないよ。でもあの子、土方さんが思っている小娘とは違うかもよ?」理哉はそう言うと、土方の肩を叩いた。「後で初夜の報告、聞かせてよね。」「うるせぇ。」土方は、新婚夫婦の寝室へと向かった。「旦那様・・」「千尋、愛してるぜ。」「わたくしもです。」土方の白い指が千尋の頬を這い、その指先は彼女の夜着の合わせへと入っていった。「あん・・」「もう二度と、離さねぇ。」こうして正式に夫婦となった土方と千尋だが、真理亜の暗い影が徐々に忍び寄っていることを、彼らは知らなかった。『マリア、本当に夕食はいらないのかい?』『ええ。気分が悪くて。』『そうかい・・じゃぁゆっくり休むんだよ。』サマーズが部屋の前から去った気配がして、真理亜はほっと安堵の息を吐いた。 床には、元はドレスだった布が散らばっていた。それはサマーズが千尋の結婚祝いにと贈ろうとしていたドレスだった。「どうして、あいつだけが・・」真理亜は千尋への憎しみを滾らせながら、鋏でドレスの布を切り裂いた。「奥様、こんなものが横浜から・・」「まぁ、酷い!」包装紙を包んだ箱を開けると、そこには空色の襤褸布―ドレスの残骸が入っていた。(一体誰がこんな事を・・)千尋は顔を蒼褪めると、力なく床に崩れ落ちた。「奥様、しっかりなさってください!」「斎藤さん、お茶を・・」「かしこまりました。」執事長の足音が遠ざかると、千尋は溜息を吐いた。karinko*にほんブログ村
2011年11月27日
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「やっぱり聖夜に祝言挙げるんやから、洋装かねぇ? でも白無垢は捨てがたいねぇ。」結婚式まで五日を切り、衣装合わせの時になおはそう言いながら千尋の前に何度も白無垢を翳した。「披露宴には白無垢と打ち掛けを着たらいいでしょう?」「そうかねぇ、そうしよかねぇ。」こうして千尋となおは慌ただしく結婚式への準備に追われていた。土方も、招待客名簿を作り、斎藤と招待状を送るのに忙しかった。「旦那様、斉川様はどうなさいますか?」「呼ばなくていい。」「ですが、貴族院議員の斉川様を敵に回せば、厄介な事に・・」「悪辣な噂をばら撒く娘の躾けも碌にできねぇ議員様なんざ、お呼びじゃねぇんだよ。」土方がそう吐き捨てる口調で言うと、斎藤は静かに頷いた。「今日は疲れたやろ?」「いいえ。二度目ですのに、何故かドレスを選ぶのに時間がかかってしまいました。」千尋となおはカフェーで珈琲を飲みながら、結婚式の話で盛り上がっていた。「千尋、あんたは孤児院で育てられたって聞いとったけど、本当のおかあしゃんは生きとうとね?」「さぁ・・でももう、諦めました。」昔は、いつか必ず母が自分を迎えに来てくれると信じていた千尋だったが、成長するにつれ、彼女は自分を捨てたのだと思うようになった。 今更会いたいと思っていても、母は別の男と家庭を持っているだろう。だからもう、母への想いを封じることに決めたのだ。「そうね。あんたがそう決めたんならよかよ。」なおは思うところがあったのか、千尋の言葉には異を唱えなかった。 瞬く間に五日が過ぎ、結婚式当日を迎えた。土方と千尋は、横浜にあるカトリック教会で式を挙げた。「千尋ちゃん、おめでとう。」「おめでとう、チヒロ。」結婚式には理哉やアンドリュー、近藤達が参列し、新郎新婦を祝福した。「ありがとうございます、皆さん。」「やっぱり娘の花嫁姿ば見ると、いつ死んでもよかねぇ。」「まぁお母様、そんな事おっしゃらないでください。」千尋がそう言って笑った時、また一人、参列者が加わった。『チヒロ、久しぶりだね。』「サマーズ・・先生?」礼服を纏った男は、死んだと思っていたサマーズ院長だった。『結婚おめでとう、チヒロ。彼と幸せになりなさい。』「ありがとうございます、先生。」千尋は感極まって号泣してしまい、慌てて目元をハンカチで押さえた。サマーズ院長の隣へと視線を移すと、そこには真紅の振袖を纏った少女が立っていた。「先生、そちらの方は?」『紹介するよ、チヒロ。君の異父妹(いもうと)の、マリアさんだ。』「初めまして、お姉様。」少女はそう言って優雅なしぐさで千尋に挨拶をした。自分をじっと見つめる彼女の瞳は、強い決意が宿っていた。「真理亜ちゃん、君も来たんだ。」「ええ。だって実の姉の結婚式ですもの。妹であるわたくしが欠席しないわけにはいきませんわ。」「そう。でも君には別の目的がありそうな気がするけどねぇ?」「おっしゃっておられる意味がわかりませんわ。」そう言って上品に笑う真理亜だったが、彼女の目は全く笑っていなかった。(何だか嫌な予感がするなぁ・・)初めて真理亜と会った時から、理哉は彼女が実の姉である千尋を憎んでいるように感じた。土方に今すぐにでも警告しようかと思ったが、祝いの晴れやかな場には相応しくないと思い、理哉はやめた。素材提供:空に咲く花様+にほんブログ村
2011年11月27日
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「お義母さん、折角東京に来たのですから、観光でも・・」「いいえ。観光よりも娘の祝言の準備をするのが母親としてのうちの役目ですけん、どうぞ気にせんと。」なおの言葉に、土方は笑った。「そうですか。朝早くからこんなお話しはしたくないのですが、ここにお義母さんの署名と捺印をいただけませんでしょうか?」土方はそう言うと、なおの前に婚姻届を差し出した。「よかよ。印鑑が持っとるけん、誰か硯と筆ば持って来んね。」「どうぞ。」数分後、なおは婚姻届の証人欄に署名と捺印をした。「これで役所に出せます。ありがとうございます、お義母さん。」「礼を言われるほどのことはしとらんよ。幸せになり。」 その日、土方と千尋は役所に婚姻届を提出し、二人は晴れて夫婦となった。「やっとお前ぇが正式に俺の妻になったんだな。」「ええ。」二人が仲良く役所から出て行った時、馬車が役所の前で停まり、中から洋装姿の小枝子が降りてきた。「土方様、お久しぶりですわね。」「おや小枝子様、奇遇ですね。」「あら、その方は長崎の芸者さん?」小枝子が嫉妬を隠さずに、千尋を見つめると、土方は彼女の肩を抱き寄せた。「紹介が遅れました、小枝子様。わたしの妻の、千尋です。」「初めまして、土方千尋です。」千尋がそう言って小枝子に頭を下げると、彼女は唇を震わせながら彼女を睨みつけていた。「行きましょうか、旦那様。」「ああ。」(悔しい・・どうしてあんな芸者に・・)車に乗り込んだ土方と千尋の背中を、小枝子は怒りに震えながら見送った。 ―ねぇ、聞きまして? ―あの金髪の雌狐が戻って来たのですって。 ―恥知らずもいいところだわ・・ ―本当よね。 小枝子が広めた噂話は、瞬く間に華族の令嬢と貴婦人達の間で広まり、千尋への悪意は静かに社交界へと広がっていった。「本当に、出席しても宜しいのでしょうか?」斉川子爵家のディナーパーティーに招待された千尋は、夫にそう言うと、彼は彼女ににっこりと笑った。「お前は俺の妻だ。堂々としていろ。」「はい・・」馬車から降りた千尋は、胸元が大きく開いた葡萄色のドレスの裾を摘んで、土方と共に斉川子爵邸の中へと入って行った。―来たわ・・―ごらんなさい、あのドレス。胸元を大きく開いてはしたない。―下品さは変わっていないのね。くすくすと令嬢達が悪意ある囁きを交わし、それがさざ波のように大広間に広がった。千尋は恐怖で身を固くし、逃げ出したくなったが、土方がそんな彼女の手を優しく握った。「ここは俺に任せろ。」「はい・・」土方は千尋から離れると、友人達と談笑している小枝子へと近づいた。「小枝子様、愛らしいお顔にも関わらずあなたは悪辣な事をなさいますね。」「まぁ土方様、何をおっしゃっておりますの?」「そんなにわたしに袖にされた事が腹立たしいのですか?」「そ、そんな・・」小枝子の顔が怒りと羞恥で赤く染まったのを見た土方は、冷たく彼女にこう言い放った。「あなたのような方に、子ども達の母親は務まりません。」土方に冷たく拒絶され、小枝子は声すら出せないままその場に座り込んでしまった。にほんブログ村
2011年11月27日
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「旦那様、遅いですね。」「斉川子爵家の小枝子様と百貨店へ行ったと伺ったけれど、向こうで何かあったのかしらね?」 仕事の手を止め、鷹田と総司と椿の乳母・由美はそう言いながら厨房からくすめたクッキーを食べていた。「二人とも、何をしている!」 鞭のような鋭い声がして二人が顔を上げると、そこには憤怒の形相を浮かべた執事長が立っていた。「あ、あの・・これは・・」「全く二人とも、暇があればさぼろうとする! 今度このような事があったらわたしが暇を出すぞ!」斎藤がそう彼らに怒鳴ると、彼らは慌てて自分達の持ち場へと戻った。「使用人の態度次第で土方家の評判が落ちるとは微塵も思っていないようだな、あいつらは・・」斎藤は深い溜息を吐いて居間から出て行こうとした時、外で車が停まる音がして、慌てて彼は外へと飛び出した。「お帰りなさいませ、旦那様。」車から降りて来た土方に向かって斎藤が礼をすると、彼は誰かの手をひいていた。それは、千尋だった。「お帰りなさいませ、奥様。」何かを考える前に、斎藤はそう口に出して千尋に土方と同じように礼をしていた。「ただいま、斎藤さん。」千尋はそう言うと、斎藤に微笑んだ。「お帰りなさいませ、旦那様。」「お帰りなさいませ、旦那様。」鷹田と由美が土方を出迎えると、彼は金髪を結いあげた振袖姿の少女を連れながら家の中へと入って来た。「あの、こちらは・・」「これは俺の妻、千尋だ。千尋、執事見習いの鷹田と、乳母の由美だ。」「初めまして。」千尋が二人に挨拶をすると、彼らは一瞬怪訝そうな顔をしたが、斎藤が一睨みをすると慌てて千尋に頭を下げた。「あん子達は、こん家の使用人ね?」夕食を取りながら、なおはそう土方に尋ねると、彼は苦笑した。「余り躾が出来ていない者達ですいません。主の留守をいいことに、仕事をサボろうとしているので、困っているところなのですよ。一度、お義母さんの所で徹底的に躾けてくださるとよろしいのですが。」「生憎うちは人手が足りとるけん、あんたが躾けないかんね。それよりも祝言の日取りはどうすると?」「新年を前に挙げたいのですが。そちらのご都合が良ければ・・」「じゃぁ、聖夜(クリスマス)ぐらいでいいかね?」「はい、そのように。」土方と千尋は、二週間後に祝言を挙げることになった。「一度結婚式は挙げたが、あれはちゃんとした婚姻届を出してなくてうやむやになっちまったが、今回はそうはさせねぇよ。」「本当に、わたくしでいいのですか?」土方の寝室で、千尋がそう尋ねると、彼は千尋を抱き締めた。「何言ってやがる、馬鹿野郎。総美(さとみ)はお前を俺の後妻に指名したんだぜ。」「そうでしたね・・」その夜、半年ぶりに土方と千尋は激しく愛し合った。翌朝、千尋の養母・なおがダイニングに現れると、そこには鷹田と椿を抱いた由美の姿があった。「あの・・なおさんは一体千尋さんとどういう・・」「うちは千尋の養母です。それよりもあんたが抱いとる赤さんは土方様の子ね?」「はい。」由美は気まずそうにそう言うと俯いた。そこへ、土方と千尋が入って来た。「お義母さん、おはようございます。」「おはよう。」「お前達はもう下がれ。」にほんブログ村
2011年11月27日
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「お母様、お話とは?」「千尋、うちと東京ば行かんね?」「東京へ、ですか? 店はどげんするとです?」「店の留守は心配なか。一週間だけたい。」「解りました、行きます。」こうして、千尋はなおと東京へと向かった。 土方は千尋が養母とともに上京したことを知らずに、小枝子からの求婚を断っていた。「ねぇお母様、どうして土方様はわたくしと結婚したがらないのかしら? やはり亡くなられた奥様の事が・・」「そうではなくて。小枝子、諦めては駄目よ。確かに土方様は子持ちだけれども、彼のような殿方はそうそういないわ。」「ええ、わたくし諦めないわ。」小枝子の黒い瞳に、決意の光が宿った。 彼女が土方家に訪問してきたのは、土平伯爵家のパーティーから数日後のことだった。「土方様、御機嫌よう。」「あ、ああ・・」小枝子を見た土方の笑みは少し引き攣っていたが、それに彼女は全く気づかなかった。「ねぇ土方様、坊やを連れて百貨店に行きませんこと?」「百貨店に、ですか?」東京・銀座で、日本で初めて百貨店が開店し、その祝いの席で千尋はなおの長唄に乗せて優雅な舞を客達の前で披露した。「あれが、長崎の芸者さん?」「ええ。」千尋の姿を見ながら、小枝子は好奇の視線を彼女に送った。「千尋、琵琶の腕前ば披露せんね。」「はい。」千尋は撥を握り、琵琶を掻き鳴らし始めた。彼女の音色を聞くと、その場に居た者達は一斉におしゃべりをやめて千尋の演奏に聞き惚れていた。「ねぇ土方様、もう帰りましょうか?」「申し訳ありませんが小枝子様、わたしにはまだ用がありますので・・」「解りました。では御機嫌よう。」小枝子はちらりと千尋を見ると、不機嫌な顔をして百貨店から去っていった。「千尋、折角来たんやから店の中ば見ようか?」「はい、お母様。」なおとともに千尋が百貨店の中へと入ろうとした時、強い視線を感じて彼女が振り向いた先には、最愛の人が立っていた。「旦那・・様?」「千尋・・」土方は千尋の方へと駆け寄ったかと思うと、彼女を抱き締めた。「会いたかったぞ、千尋!」「旦那様・・」「千尋、どげんしたと?」なおがそう言って店の外に出た時、千尋が男と抱き合っているのを見た。彼女は直感で、その男が千尋の愛する男と解った。「あんたが、土方歳三様ね?」「お母様・・」「こげんところで話すのはなんやけん、静かな所で話しましょうか?」「はい・・」百貨店近くのカフェーで、千尋となおは土方と向かい合わせに座った。「土方様、まだ千尋の事想うとるとですか?」「はい。わたしは未だに千尋を愛しております。」土方の言葉に、なおは微笑んだ。「そうね。あんたになら、千尋ば任せられるたい。土方様、どうか千尋を貰ってくれんね。」「お母様・・」「あなた様になら、うちの娘ば任せられる。」なおの言葉に、土方は深く頷いた。「どうかこれから宜しくお願い致します、お義母様。」「こちらこそ。」にほんブログ村
2011年11月26日
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町であの若い修道女に会った後、上総が急に黙り込んでしまったので、土方は一体どうしたのかと彼を心配し始めた。「どうしたんだ? さっきから変な顔して黙り込んで・・」「ああ、ちょっとね。さっきあの坊やを連れていった若い修道女(シスター)・・死んだ異母妹(いもうと)とそっくりだったんだ。」「兄妹がいたのか、てっきり一人っ子かと思ったぜ。」「良く言われるよ。まぁ、父が外の女との間に儲けた子どもでね。その所為で両親が離婚したんだ。」 上総はそう言って寂しげな笑みを口元に浮かべた。「それで、その妹さんは今も元気なのか?」「いや、亡くなったよ。」上総と土方との間に、再び気まずい空気が流れた。「悪ぃこと聞いたな、俺・・」「別に悪気があって聞いたんじゃないから、構わないさ。生前父は、鎌倉の別荘で愛人とその娘―異母妹の華菜(かな)と正妻であるわたしの母との間を行き来する生活を送っていた。けれども華菜の母親が亡くなり、父と母は華菜を孤児院にやるかどうかで揉めに揉めて、その結果両親は離婚した。」「突然妹が出来て、驚かなかったのか?」「まぁ、はじめはびっくりしたけれど、自分を慕う華菜の事が好きだったからね。ただ、年頃になってからは、その“好き”の意味が若干違うものとなってしまったけど。トシは?」「ああ。俺ぁ10人兄弟の末っ子でさ、両親は肺病で死んぢまって、姉貴に育てられた。気が強くて口うるさい女なんだが、留学はその姉貴が勧めてくれたんだ。」「いいお姉様だね。それに比べてわたしは、妹をあんな目に遭わせてしまって、自分だけが生き残ってしまったんだ・・」「あんな目?」土方の言葉を聞いた上総の美しい顔がさっと蒼褪めたかと思うと、彼は平静さをすぐに取り戻した。「もう日が暮れるから、戻ろう。」「おう・・」上総に妹がいた事は土方にとって初耳であったが、“あんな目に遭わせてしまった”という彼の言葉が少し気にかかった。 機会をみて彼に妹と何があったのかを聞こうと思ったが、その話を持ち出そうとすると、上総はさらりとそれをかわして遠乗りに出掛けたりするので、やがて土方はその話を彼に持ち出さなくなった。 人間だれしも話したくない過去のひとつやふたつ、抱えている。それを無理に聞きだすことは、酷な事だ。「どうしたんだ、ぼうっとして?」「いや・・昔の事を思い出してよ。」はっと土方が我に返ると、上総が少し怪訝そうな顔をしながら彼を見ていた。「まぁ昔は楽しかったからね。それよりも二度と戻らない日を懐かしむより、未来に向かって歩かないとね。」「わかってるよ。お前ぇは俺と同い年の癖に、どうしてそう説教じみたことを言うのかねぇ・・」土方がそう言った時、大広間に小枝子が入って来るところを彼は見た。「まぁ土方様、こちらにいらっしゃったの?」「これはこれは小枝子様、奇遇ですね。」顰めっつらをもう少しで作りそうになっていた土方はそれを引っ込めて、愛想笑いを小枝子に浮かべた。「お久しぶりですね、小枝子様。どうして土方殿がこちらにいらっしゃるとおわかりに?」「お母様が教えてくださったのよ。さぁ土方様、踊りましょう!」「え、ええ・・」土方はちらりと上総に助けるよう目配せしたが、彼はそれを無視した。(トシにはその気がないが、小枝子様はすっかり彼と結婚したがってるな・・これは厄介な事になりそうだ。) 一方長崎の香鶴楼(こうかくろう)では、千尋が若女将としての修行に日々励んでいた。そんな中彼女は、養母・なおに呼び出された。にほんブログ村
2011年11月26日
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その後、土方と上総は気まずい空気のまま、上総の友人達と別荘へと向かった。(やっぱりあいつ、怒ってやがるのか?) 先ほど上総は笑って許してくれたが、目が全く笑っていないということは、許していないのだろうか。「あのさ、上総・・」「何だ?」そう言って振り向いた上総の眉間には、はっきりと皺が刻まれていた。「さっきの事だけど・・」「もう済んだ話だ。」ぶすっとした顔で上総はそう言うと、土方に背を向けて歩き始めた。(やっぱり怒ってやがる・・)『カズサ、こちらの方は?』上総の友人は興味津々に土方の顔を覗きこみながら言った。『こちらはトシ、わたしの友人だ。』『ふぅん、そうか。君以外にも日本人の留学生の姿は見たけれど、君の友人だとはね。』顔にそばかすがある茶髪の青年は、少し馬鹿にしたかのような口調で上総にそう言い放つと、他の友人達とともに何処かへ行ってしまった。「何だぁあいつは? 気に入らねぇな。」「気にしない方がいい。まぁ彼らにとってわたし達日本人は稀有な存在なんだそうだ。」「稀有な存在?」「わざわざ極東の島国から英国へ留学する者の気が知れない、って意味さ。留学生の中でも、華族というだけで親から留学を許され、勉学そっちのけで物見遊山に来たという輩も多いからね。さてと、予定がないなら町の散策でもしようか?」「ああ。」気まずい中、土方と上総はあのいけすかない青年の別荘を出て、町を散策した。 喧騒溢れるロンドンの街とは違い、別荘がある町は静かで穏やかな時が流れていて、町の建物は煉瓦や茅葺のものが多かった。ここでも上総と土方は、村人達の好奇の視線に晒された。 大都会ロンドンに暮らしている中で充分慣れ切ってしまったのだが、都会と田舎の違いなのだろうか、人通りの少ない通りを歩いていると二人の東洋人留学生の姿は悪目立ちしてしまっていた。二人とも長身で、端正な容貌をしているからか、農家の娘達は時折立ち止まっては彼らを見つめて何かを囁いていた。「ふん、愛想笑いでも浮かべようかねぇ?」「随分と余裕だね。まぁああいった視線にはもう慣れたからね。」上総はそう言って鬱陶しげに目にかかっていた前髪を掻き上げた時、誰かが彼の上着の裾を掴む感触がした。(何だ?) 上総が裾の方を見ると、そこには浅黒い肌をした7,8歳位の男児がじぃっと彼を見つめていた。『坊や、わたしに何か用かい?』 腰を屈め、男児と同じ目線になった上総がそう彼に話しかけると、彼は突然上総に抱きついたまま離れようとしない。『まぁヴィンス、いけませんよ!』 通りにある商店で買い物をしていた若い修道女が、そう言って彼らの方へと駆け寄るなり、男児を上総から引き離そうとした。 修道女の顔を見た上総は、亡くなった腹違いの妹に彼女が瓜二つだということに気づいた。“お兄様。” 柔らかで光沢のある絹糸にも似た金髪を靡かせ、自分に微笑む妹の残像が、目の前に居る修道女と重なった。『あの、どうかなさいましたか?』『すまない、君が知り合いに似ていて・・この子は?』『この子はヴィンセント、うちの孤児院に預けられた子です。さぁヴィンス、帰るわよ!』 嫌がる男児を無理矢理上総から引き離した修道女は、上総に向かって会釈した後、通りの向こうへと消えていった。にほんブログ村
2011年11月26日
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