F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 5
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天愛 夢小説:千の瞳を持つ女~21世紀の腐女子、19世紀で女官になりました~ 0
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1949(昭和24)年3月。 神戸・三ノ宮にある洋裁学校で、卒業式が行われた。「これから社会に出る皆さんには、我が校で学んだ経験や技術を生かし、大きく自分の翼を広げてください。」 卒業式は滞りなく進行し、やがて主席卒業生の挨拶の時間になった。「土方利尋君、前へ。」「はい!」利尋は元気よく返事をすると、壇上へと向かった。「僕はこの学校で様々な事を学びました。素晴らしい先生方と仲間達と力を合わせたこの3年間の学校生活の事を、僕は決して忘れません。」「あの子も立派になりましたね、あなた。」「ああ・・」保護者席で主席卒業生として挨拶する利尋の姿を見つめながら、歳三と千尋はそう言って溜息を吐いた。「利尋、卒業おめでとう。」「ありがとうございます、お父様、お母様。」「3年間良く頑張りましたね。」卒業式を終えた後、利尋は両親と兄、母の従兄である博章とともに神戸市内にあるステーキハウスで夕食を取っていた。「利尋君は、これからどうするんだい?」「そうですね・・パリに行って、もっとデザインのことを勉強したいと思います。」「留学費用は俺達が出すから、心配するな。」「一度海外に出て、広い世界を見ることは必ずあなたの役に立つ筈よ。」利尋が両親にフランスへ留学したい事を話すと、二人は笑顔で彼に賛成してくれた。「利尋はいいよなぁ、ちゃんとした夢があって。俺なんか将来何をしたいのかなんてまだわからねぇよ。」「明歳君、焦りは禁物だよ。誰だって自分の道を決める時が来るんだから。」「博章さん、新しい病院の方にはもう慣れたの?」「ああ。すまないね千尋ちゃん、僕の就職の世話までしてくれて・・」「いいのよ、西田家には色々と世話になったのだから、これ位させて頂戴。」「さてと、今夜は二人の若者達の輝かしい未来を祈って乾杯しようじゃないか!」「お、博章おじさん太っ腹~!」「千尋ちゃん、どう?僕に惚れ直したかい?」「言っとくが博章、千尋は渡さねぇよ!」「まぁた、始まったよ・・」「そうだね・・」大人三人の喧嘩を傍目で見ていた少年達は、そう言って溜息を吐くとグラスに入った水を飲んだ。 1953年(昭和28)2月、横浜港。「それでは、行って参ります。」「あなたは昔から気管支が弱いから、風邪をひかないように気をつけるのですよ。」「わかっています、お母様。」「何でも一人で抱え込むんじゃねぇぞ?」「わかりました、お父様。」「気を付けてね、利尋君。」 両親達に見送られながら、利尋はファッションの本場・パリへと旅立っていった。~Fin~にほんブログ村
2013年11月05日
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「博章さん、戦死した筈のあなたが、どうしてここに居るの?」「それは、話せば長くなる。それよりも千尋ちゃん、何か作ってくれないか?」「わかったわ・・」パプアニューギニアで戦死した筈の博章が土方家に現れ、千尋達は少し混乱していた。「なぁ、本当に西田のおじさんなのか?」「幽霊じゃなさそうだよ?ちゃんと足もあるし。」「馬鹿野郎、幽霊でも足がある奴も居るんだよ。」「ねぇ、本当に人間かどうか誰か試してみたら?」千尋と博章が居る部屋の襖を少し開け、部屋の中を覗きながら歳三達がそんな会話をしていると、彼らの視線に気づいた博章が襖を勢いよく開け放った。「うわぁ!」バランスを崩した彼らは無様な格好で廊下に転がってしまった。「何をなさっているのですか、あなた達!?」「どうやら僕が幽霊なんじゃないかって彼らは疑っているみたいだ。言っておくが、僕は人間だよ。」「けど、お前ぇと同じ部隊に居たっていう奴がうちに来て、お前ぇの遺骨を信子さんに渡したぞ?」「多分それは、僕の遺骨じゃないと思う。」「何だって?」「僕が居た部隊がパプアニューギニアから撤退する時、米軍の爆撃に遭ってね。その爆撃で死んだ者達の遺体は纏めて穴に入れられて埋められたんだ。それに僕と同じ部隊に居たという奴も、僕の生死が判らぬままその辺に転がっている赤の他人の遺骨を僕の遺骨だと間違えて信子に渡してしまったのかもしれないな。」「そんなことが・・」「それよりも千尋ちゃん、信子は何処に居るんだい?君達と一緒に暮らしていたと聞いたけど・・」「博章さん、信子さんは亡くなられました。」「え?本当に、信子は死んだのか?」「ええ。あなたが遺した病院を守ろうとして、無理をして・・病院で勤務中にクモ膜下出血で倒れられてしまって、そのまま・・」「何ということだ!僕は今まで、どんなに辛い事があっても信子の存在を心の支えにして生きていたというのに!」「本当に、残念でなりません。博章さんが生きていると信子さんが知ったら、どんなにお喜びになったことか・・」千尋はそう言って博章を慰めたが、彼はそのまま食事に手をつけずに部屋から出て行ってしまった。「戦争っていうのは、悲劇しか生まねぇな・・」「そうだね・・」利尋の脳裏に、日本から引き揚げる際港で見かけたあの女児の姿が浮かんだ。あの後、彼女は無事に家族とともに祖国の土を踏めたのだろうか。「利尋、どうした?」「ううん、何でもない。僕明日早いから、もう寝るね。」「ああ、お休み。」「お休みなさい。」 翌日、歳三が居間に入ると、そこには二人の息子達とともに朝食を食べている博章の姿があった。「お前ぇ、実家に戻らなくてもいいのか?」「ええ。千尋さんから、病院が人手に渡った事を知りました。それに、僕の両親は僕が出征した後に他界していますし・・帰る場所が、何処にもないんです。」「だったら、ここで暮らすか?」「いいんですか?」「男手は一人でも多くいた方がいい。まぁタダでここに住まわせる訳にはいかねぇな。」「これから、宜しくお願い致します。」「こちらこそ。」こうして、博章は歳三達と一緒に暮らす事になった。にほんブログ村
2013年11月05日
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「一体誰が、こんな酷い事を・・」「さぁな。」何者かによって割られた玄関の硝子戸の残骸を明歳と千尋が箒とちり取りを使って片付けていると、そこへ武雄が通りかかった。「どうなさったんですか?」「玄関の硝子戸が誰かに割られてしまって・・」「わたしも手伝いましょう。」「いえ、結構です。」ちり取りで残りの硝子片を掻き集めた千尋は、そう言って武雄に背を向けた。「明歳、夕飯の支度を手伝って頂戴。」「ああ、わかったよ。」「吉田さん、何か用ですか?」「ええ、実はさっき銀座の辺りを歩いていましたら、あなたのご主人が見知らぬ女の方と歩いているのを見てしまいまして・・」「あら、そんな事をわざわざわたくしに報告しにいらしたの?ご苦労様ですこと。」千尋はそう言って武雄に微笑んだが、目は笑っていなかった。「あなた、銀座で一緒に歩いていらした女の方はどなたです?」「千尋・・」歳三が帰宅し、千尋は早速彼に武雄から聞いた女の事を彼に尋ねてみた。「あいつは俺が通っている店のママだ。」「まぁ、そうですの。わたくしてっきり、またあなたが外に妾を作っているのかと思いましたわ。」「誤解だ、千尋。そいつとは寝てねぇ。」「あら、そうですの。」千尋はそう言うと、歳三を睨んで居間から出て行った。「父さん、あんまり母さんを怒らせないでくれよ?」「わかってるよ。それよりも利尋の様子はどうだ?」「まぁ、少しずつ回復しているかな。先生の話だと、近いうちに退院できそうだってさ。」「そうか・・」6月に入院していた利尋が退院し、再び家族の元に戻ったのは、7月中旬のことだった。「お帰り、利尋。」「心配をお掛けしてしまってごめんなさい・・」「利尋、学校にはいつ戻るの?」「9月には戻ろうと思っています。それまでに、休んでいた分の勉強の遅れを取り戻そうかなと・・」「あなたが元気になって良かったわ。」両親と兄に温かく迎えられた利尋は、1ヶ月ぶりに千尋の手料理を味わった。「お母様が作る筑前煮は美味しいですね。」「あら、あなたも気が利いた事を言うようになったのねぇ。」「お父様、お仕事の方はどうですか?」「順調だ。まぁ、今はまだ昔住んでいたような大きな屋敷は買えないがな。」「別にお屋敷なんて要りませんわ。何処に住んで居ても、家族が傍に居ればいいんです。」「そうか・・」両親の仲睦まじい様子を見ながら、明歳と利尋は溜息を吐いた。「離婚しようとしていた頃とは大違いだね?」「そうだな・・」 その日の夜、千尋は外で微かな物音がしていることに気づき、隣で眠っている夫を揺り起こした。「あなた、外で物音が・・」「泥棒か?」歳三が木刀を握り締めながら玄関先へと向かうと、不意に玄関の戸が開いて一人の男が家の中に入って来た。「てめぇ、何者だ!」歳三が懐中電灯で侵入者の顔を照らすと、その侵入者は戦死した筈の信子の夫・博章だった。「博章さん、あなた・・」「千尋ちゃん、また会えたね。」博章がそう言って千尋に微笑んだ時、彼の腹から大きな音がした。にほんブログ村
2013年11月05日
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「ごめんください、誰か居ませんか?」明歳が家族と夕食を囲んで居ると、玄関先から声がした。「わたくしが行きます。」「母さん、俺が行くよ。」立ち上がろうとした千尋を手で制した明歳が玄関先へと向かうと、そこには自分を尾けていた眼鏡の男が立っていた。「あんた、うちに何の用だ?」「また君か・・そう人の話を聞きもせずにすぐに突っかかるのは止した方がいいぞ?」「うるせぇ!」「おい明歳、どうした?」「父さん・・」部屋から出て来た歳三は、玄関先で睨み合っている明歳と男を交互に見た。「こいつは?」「父さん、こいつ利尋に用があるってさ。」「あなたが、あの子のお父様ですか?」「ああ、そうだが・・あんたは?」「突然そちらのご都合も考えずにお伺いしてしまって申し訳ありません。わたくし、吉田商店の武雄と申します。」「父さん、こいつを知ってるの?」「ああ。吉田商店さんとは昔付き合いがあってな。吉田さん、うちに何か用か?」「実は少し込みいったお話なので・・」「わかった。」 数分後、家族が集まる居間に入った男―吉田武雄は、歳三の前で正座すると、彼に向かって頭を下げてこう言った。「土方さん、わたしに娘さんを下さいませんか?」「は!?」「僕はまだ商人として修行中ですが、娘さんには不自由な思いはさせないつもりです。ですから・・」「吉田さんよ、あんた勘違いしてねぇか?この家には娘は居ねぇぞ?」「え・・ですが、こちらには娘さんが居ると母から聞きましたが・・」「このままでは埒が明かねぇから、あんたのお袋さんを呼んで来てくれねぇか?」「はい、わかりました・・」ほどなくして、武雄が彼の母親と思しき和服姿の女性を連れて来た。「土方さん、うちの武雄のことをどうぞ宜しくお願い致します!この子は酒や賭博、女遊びなんて一切しませんから・・」武雄の母、美津子は歳三の前に座るなり、一方的にそう捲し立てると歳三に頭を下げた。「お二人とも、何やら誤解されているそうですね?うちに娘は居りませんよ?」「まぁ・・」「そうなの。ではわたしの勘違いだったのねぇ。申し訳ありません。武雄、帰りますよ。」「はい、お母様。では土方さん、これで失礼致します。」 吉田親子が去った後、歳三は溜息を吐いた。「一体何だったんだ・・」「それは俺にもわからねぇよ。それにしても、一体吉田親子は何で利尋を女だと勘違いしたんだ?」「そりゃぁ、あいつは俺とは違って華奢だし、パッと見たら女に間違われることはよくあるから・・」「まぁ、向こうは納得してくれたようだし、一件落着だな。」「そうだな・・」 翌日、千尋が自宅で針仕事をしていると、玄関先で物音がした。(何かしら?)不審に思った彼女が玄関先へと向かうと、玄関の硝子戸が何者かによって割られていた。「どうしたんだ、母さん?」「誰かが玄関の硝子戸を・・」「すぐに警察を呼べ!」 玄関の硝子戸を割った犯人は、見つからなかった。にほんブログ村
2013年11月04日
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「利尋、入るぞ?」「お兄様・・」学校帰りに、明歳は双子の弟・利尋が入院している病院へと向かった。病室のベッドに寝ている弟の顔は、少しやつれていた。「飯、ちゃんと食ってるのか?こんなに痩せて・・」「ちゃんと食べているけど、何だか食欲が湧かなくって・・」「無理するなよ。今はゆっくりと休んで、学校に戻ればいい。」「でも・・」「校長先生は、お前の帰りを待っている。だから、お前はちゃんとここで療養して、元気になれ。」「わかりました、お兄様。」「約束だからな、利尋。必ず元気になって神戸の学校に戻るって。」「はい、約束いたします。」「じゃぁ、また来るからな!」「いいか明歳、利尋の病気は一日や二日ですぐに治るもんじゃねぇ。じっくりと時間を掛けて治さなきゃなんねぇ。お前にもそれを理解して欲しいんだ。」「わかったよ、父さん。」「お前は今、利尋の事が心配で堪らないだろうが、学業を疎かにするんじゃねぇぞ。」 弟を見舞った後病院を後にした明歳は、週末にボーイの仕事をしているダンスホールへと向かった。「あら、あんた今日仕事は休みでしょう?どうしたの?」「弟が神戸から帰って来たんだが、入院してるんだ。さっき、弟の見舞いに行って来たから、ここにも寄ろうと思って来たんだ。」「入院?何処か悪いの?」「ちょっとな・・それよりも朱美、ここを近々売るって話を聞いたが、本当か?」「ええ。居抜きで友人に譲ろうと思っているのよ。ちょっと事情があってね。」「事情?」「実はね、田舎に帰ろうと思っているのよ。伯母さんが縁談話を持って来てね・・あたしも、そろそろ身を固めないといけないと思ってね・・」「そうか、それで店を売る事になったのか。幸せになれよ、朱美。」「生意気な事言ってんじゃないわよ、アキ。あんたにそう言われなくても、幸せになってやるから、安心なさい!」実の姉のように自分を可愛がってくれた朱美は、そう言うと利尋の肩を叩いた。「長い間、世話になったな。」「それはこっちの台詞よ。あんたには色々と助けて貰ったわ。感謝してもしきれないくらい。」朱美はそう言うと、利尋に鼈甲の簪を手渡した。「これくらいしか、あんたに渡せる物はないけど、受け取って。」「これ、お袋さんの形見だろ?こんな大切な物、俺が受け取ってもいいのか?」「いいのよ。弟さん、早くよくなるといいわね。あんたとお別れする事になるなんて、ちょっと寂しくなるわ。」「俺もだよ。それじゃぁ、俺もう帰るわ。余り遅くなると、父さんが色々とうるさいから。」「わかったわ。じゃぁまた土曜にね。」 ダンスホールから出た明歳は、誰かが自分のことを尾けていることに気づいた。「隠れてないで、いい加減俺の前に出て来たらどうだ?」自宅の前で立ち止まり、明歳がそう言って背後を振り向くと、そこには眼鏡をかけ、スーツを着た男が立っていた。「あんた、誰だい?俺に何か用かい?」「用があるのでは君ではなく、君の弟さんだ。」「それは一体どういう意味だ?」「君では話にならないから、ご両親を呼んで来てくれないか?」「嫌だね。」明歳はそう言って男を睨み付けると、彼の鼻先でドアを閉めた。「誰かお客様がいらしていたの?さっき外で話し声が聞こえていたけれど・・」「何でもないよ、母さん。」「そう・・」にほんブログ村
2013年11月04日
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「新庄さん、そんな所で何をしているんですか?」「あんたの全てを奪ってやるわ。」そう言って利尋を睨みつけた里華の目は、明らかに正気を失っていた。「馬鹿なことをしないで、早くそこから離れて・・」「嫌よ!」里華はそう叫んで利尋を睨みつけた後、窓の外へと身を翻した。「誰か、お医者様を!」「人が、あそこの窓から落ちたわ!」壊れた操り人形のように四肢を地面に投げ出したまま動かない里華の姿を窓から見た利尋は、その場で気を失った。「土方君、起きて。」「石田さん・・」 利尋が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。「あの、僕・・」「あなた、三日も眠っていたのよ?」「新庄さんは・・」清美は利尋の言葉を聞くと、静かに首を横に振った。「新庄さんの傍に、あなたの裁縫箱が落ちていたわ。」「一体どうなってしまうのかしら、この学校は・・」「僕の所為です、僕がここに居るから・・」「土方君?」「僕が・・新庄さんを殺したんだ!」「落ち着いて土方君、あなたは何も悪くないわ!」 里華の投身自殺を目の当たりにした利尋は暫く悪夢にうなされる日々が続いた。「校長先生、このままではあの子の心が壊れてしまいます。一度、親元に帰した方がよろしいのでは?」「そうね。そうした方が、あの子の為だわ。」「え、僕に東京に帰れと・・それは本気ですか、先生?」「そうですよ、土方君。あなたの今の精神状態では、これ以上この学校に居ると症状が改善するどころか、悪化してしまうおそれがあります。だから・・」「嫌です、家には帰りたくありません。お願いですから・・」「もうわたくし達が決めた事なのです。土方君、わたくし達は決してあなたをこの学校から追い出すつもりは全くありません。ただあなたには休暇が必要なのです。理解していただけますね?」「先生・・」 6月初旬、校長に三ノ宮駅まで送られた利尋は、そのまま東京行きの汽車へと乗り、家族の元へと帰った。「利尋、お帰り。」「お母様、僕・・」「辛かったでしょう。もう自分を責めなくてもいいのですよ。さぁ、家に帰りましょう。」 2ヶ月ぶりに帰宅した利尋を、両親や兄は優しく迎えてくれた。だが彼が受けた精神的なショックは本人が思っているよりも大きく、利尋は毎晩悪夢にうなされ、食事も取らなくなった。「あなた、利尋をどうすればいいのでしょう?」「時間が経てば、あいつは元気になるさ。それまで、そっとしておこう・・」歳三はそう言って涙を流す千尋を抱き締めると、溜息を吐いた。「利尋の様子を見て来る。」歳三はそう言うと、利尋の部屋へと向かった。「利尋、居るのか?」中から返事がないことに胸がざわつきながら、歳三が利尋の部屋の中へと入ると、そこには布団も敷かずに横向きになって寝ている利尋の姿があった。「おい、こんなところで寝るなよ、風邪ひくぞ?」歳三が利尋を揺り起そうとした時、彼が愛用している羅紗鋏が彼の傍に転がっている事に気づいた。その刃は、血で濡れていた。「誰か、医者を呼べ!」自殺を図った利尋は一命を取り留めたが、暫く入院する事になった。にほんブログ村
2013年11月03日
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「酷い・・」「一体誰がこんなことを?」利尋はマネキンに着せていたドレスの残骸を呆然と見つめながら、犯人に対する怒りが湧いた。「わたし、ゴードン先生を呼んでくるわ。」「お願いします・・」清美は利尋を励ますかのように彼の肩を叩いた後、裁縫室から出ていった。「いい気味だわ、あなた調子に乗るから痛い目に遭うのよ。」「そうよ。」入口の方で声がして利尋が入口の方を見ると、そこには同じクラスの西岡京子と彼女の親友である新庄里華が立っていた。「これ、あなた達が・・」「土方君、あなたでしゃばり過ぎよ。この前も大人しく佐古田先輩の言う事を聞いていれば、彼女は学校から追い出されなかったわ。」「そうよ、佐古田先輩が学校を退学したのはあなたの所為よ!」「西岡さん、この前僕の真珠のブローチを勝手に部屋から持ち出したでしょう?」「ええ、焼却炉に捨てようと思っていたんだけど、運悪く浅田先生に見られてしまったの。」「ブローチの件といい、今回の件といい、何が目的でこんなことを?」「決まってるじゃない、あなたをここから追い出す為よ。」「母親が伯爵家の令嬢だか何だか知らないけれど、あなたお高くとまっているのよ。その所為でわたし達はいつも脇役なのよ!」「あなた、脇役であるわたし達のことを少しは考えてよね!」二人の怨嗟と憎悪の言葉が、深々と利尋の胸に突き刺さった。「あなた達、何てことをしてくれたの!」清美の怒り狂った声がして、利尋が俯いていた顔を上げると、清美が京子に掴みかかっていた。「よくもこんな事が出来たわね!」「うるさいわね、あなたに何がわかるのよ!」清美と京子は取っ組み合いの喧嘩を始め、二人は奇声を上げながら裁縫室の机や壁にぶつかった。その間も二人は互いの髪を引っ張り合い、爪で互いの顔を引っ掻き合っていた。「やめて、二人とも!」「石田さん、落ち着いて!」慌てて利尋と里華が二人の間に割って入ろうとしたが、その時清美が京子を突き飛ばした。その時、机の上に置かれていた羅紗鋏の刃が彼女の胸を貫いた。「あなた方、どうしたんですか?」「ゴードン先生、京子が・・」「先生、これは事故です。わたしは何もやっていません!」「誰か医者を呼びなさい!」「土方君、どうしよう・・わたし・・」「大丈夫だから、石田さん落ち着いて・・」恐怖とパニックで震える清美の背を、医者が学校に来るまで利尋は優しく擦っていた。 京子は一命を取り留めたが、精神的なショックを受けてそのまま学校を退学してしまった。「石田さん、劇の衣装を滅茶苦茶にしたのは、西岡さんと新庄さんなのね?」「そうです、間違いありません・・」「劇の衣装作りは、わたくし達も手伝うから心配要らないわ。」「はい・・」 利尋と清美、耀子は京子と里華によって切り裂かれた劇の衣装を教師達の協力を得て学園祭前日に全て完成させる事が出来た。「ありがとうございました、先生方。」「石田さん、今回の事は不幸な事故ですよ。早くお忘れなさい。」「わかりました・・」 その日の夜、利尋が寮の部屋に入ると、そこには彼の裁縫箱を持って窓際に立っている里華の姿があった。にほんブログ村
2013年11月03日
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ダンスパーティーでの一件で、利尋は全校生徒から一目置かれる存在となった。5月中旬に開催される学園祭で、利尋達のクラスは劇をやることになった。「衣装は土方君にお任せしたいと思います。」「頑張ります。」「あたしら手伝うわ。一人だと大変やろ?」「わたしも手伝うわ。」利尋達は毎日放課後まで裁縫室に残り、衣装を一着ずつ仕上げていった。「やっと終わったわねぇ。」「ええ。何とか間に合いましたね。」学園祭まであと一週間を切った日の昼、漸く最後の衣装を縫い終った利尋は、そう言って額に浮かぶ汗をハンカチで拭った。「みんな、お疲れ様。クッキーと紅茶を召し上がれ。」「ありがとうございます、ゴードン先生。」裁縫室に紅茶とクッキーを運んできたゴードンは、利尋達に労いの言葉を掛けて彼らに笑顔を浮かべた。「土方君達のチームワークは素晴らしいですね。それぞれが互いの足りないところを補い合い、助け合っている。」「そうですか、先生?それは、他の方も同じでしょう?」「それが・・他の生徒達はあなた方のように互いに助け合うというよりも、互いの足を引っ張り合っているのです。嘆かわしいことです。」ゴードンはそう言うと、溜息を吐いた。 洋裁学校が出来る前、この学校はかつて華族の子女が良妻賢母となる為の教育を受けた女学校であった。だからなのか、洋裁学校となった今も、生徒の大半は清美のような良家の令嬢達が多く、彼女達は服や所持品で己の生活レベルが他人と比べていかに高いのかを常に競い合っていた。「まぁ、見栄っ張りな子は何処でもおるよなぁ。」「うちの親戚にも居るわよ、そういう見栄っ張りな方。親戚中から嫌われているわ。」クッキーを頬張りながら清美と耀子の話を聞いていた利尋は、ふと東京に居る母のことを想った。 母は、祖父の会社を助ける代わりに、資産家である父の元に嫁がせられたと聞いていたが、その割には両親の夫婦仲は良好そのものであった。たとえ政略結婚で結ばれたカップルであっても、共に白髪が生えるまで仲睦まじい夫婦も居るし、熱烈な大恋愛の末に結ばれても、すぐに破局を迎えるカップルも居る。 結局、互いを尊重し、愛し合える関係が長続きするかしないかは、本人同士の問題なのだ。「ねぇ土方君、真珠のブローチ、あれから誰かに弄られたりしていない?」「ええ。裁縫箱にちゃんと鍵を掛けていますから、大丈夫です。」「それにしても、一体誰が土方君のブローチを盗もうとしたんやろうなぁ?何か嫌な予感がするわぁ。」「余り気にしない方がいいわよ。」「そうですよ。」利尋は真珠のブローチが盗まれかけた事などすっかり忘れ、学園祭で行う劇の練習に清美達と励んでいた。しかし―「土方君、大変よ!」「どうなさったんですか、石田さん?そんなに慌てて・・」「裁縫室に来てちょうだい!」清美とともに裁縫室へと入った利尋は、そこで何者かによって無残に切り裂かれた劇の衣装を見て絶句した。にほんブログ村
2013年11月02日
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「ねぇ、もうすぐ学園祭だけど、どうする?」「うちのクラス、まだ出し物が決まっていないのよ。」「うちもよ。土方君のクラスは?」「うちは劇をやる事になりました。」 学園祭が少しずつ近づきつつ5月中旬、食堂で利尋が朝食を食べていると、突然隣のクラスの女子生徒達が彼に話しかけて来た。「ふぅん、そうなの。何の劇をやるの?」「『椿姫』です。衣装は僕と林さんが作るんです。」「へぇ、そうなの。何だか楽しみだわ、土方君が作ったドレス。」「そうよねぇ、この前のパーティーの時に山田さんが着ていたドレスも、土方君が作ったものなんでしょう?」 4月の終わり頃に学校主催で開かれたダンスパーティーは、女子生徒達にとっては年に一度だけお姫様気分を味わえる特別なものだった。「うわぁ、綺麗なドレスねぇ!」「お母ちゃんが、わざわざ船便でパリから生地を取り寄せて作ってくれたんや。石田さんのドレスも素敵やん。」「これ、パパが買って来てくれたのよ。どう、似合う?」「やっぱり資産家のお嬢様は違うなぁ。」「あらぁ、林さんだって船場の大店のお嬢様でしょう?」パーティーの夜に着るドレスを互いに自慢しあう清美と耀子の姿を、羨ましそうに見つめる山田葵の姿に利尋は気づいた。「山田さん、どうしたの?」「二人とも良いなぁ、綺麗なドレス着て・・わだすには、何にもねぇもの。」「山田さん・・」葵の実家は福島で農家をやっていたが、暮らしは決して楽なものではなかった。自分の為に身を粉にして働く両親に、葵は輸入品の高価なドレスが欲しいだなんて口が裂けても言えなかった。「やっぱり、里に帰った方がいいんだべか・・」「そんな・・山田さん、僕がドレスを作ってあげようか?」「え、そんな事悪いべ?」「いいの、それ位作ってあげるから。」 放課後、利尋は葵を裁縫室に連れて行き、彼女のスリーサイズを測った。「山田さん、好きな色は?」「赤かなぁ。」「そう・・」翌日、利尋と葵は学校から外出許可証を貰い、三ノ宮市内にある生地屋へと向かった。「これなんかどう?」「綺麗だなぁ。」「山田さんに良く似合うよ、白い肌に赤い生地が映えているから、これにしよう。」赤いシルクの生地を購入した利尋は、学校に戻るなり裁縫室で葵のドレスを縫い始めた。「土方君、そのドレスは?」「これは、山田さんの為に作っているんだ。」「へぇ・・」数日後、学校主催のダンスパーティーが学生寮の食堂で華々しく開かれた。「山田さん遅いなぁ、どうしたんやろ?」「あの子なら、自分の部屋に引き籠っているんじゃないの?着て行くドレスがないから。」「言えてるわねぇ。」日頃葵のことを馬鹿にしている女子生徒がそう言いあっていた時、中央の螺旋階段からタキシード姿の利尋にエスコートされた葵が現れた。彼女の為に利尋が作った真紅のドレスは、葵の白い肌によく映えていた。「山田さん、素敵ねそのドレス!」「ありがとなし・・土方君が、わだすの為に作ってくれたんだ。」その日の夜、葵はまるで童話の中に登場する王女様のような気分を味わった。「土方君もやるわね。」にほんブログ村
2013年11月02日
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「どうして信子さんがお亡くなりに?」「信子さん、亡くなられたご主人の代わりに病院を守る為に休みなく働いていたでしょう?その無理が祟って・・」「そんな・・葬儀はいつです?」「葬儀はもう俺達で済ませた。彼女には身内が誰も居なかったから・・」「そうですか・・」「病院は、信子さんの遠縁の親戚が運営することになってなぁ。それで今の家にはもう住めなくなっちまったんだ。」「じゃぁ、これからお父様達はどちらへ住むのですか?」「丁度いい物件が見つかってね、近々引っ越すことになったのよ。その事もあなたに知らせようと思って神戸に来たのですよ。」「そうですか・・あのお父様、あの子は?」「ああ、あいつなら母親と一緒にフィリピンに戻ったよ。」利尋がさりげなく歳三にフィオナの事を尋ねると、彼はそう言って俯いた。「お兄様は元気ですか?」「明歳なら、元気で学校に通ってるよ。利尋、もう俺達は引っ越しの準備があるからもう帰らなきゃならねぇが、大丈夫か?」「はい、大丈夫です。お父様、お母様、どうぞお気を付けてお帰り下さい。」「わかったわ。こんなことで挫けてはいけませんよ、利尋。」「わかりました、お母様。」 裁縫室で利尋が由美に襲撃された事件は瞬く間に校内に広がり、警察に逮捕された由美は学校を自主退学した。「何か、後味の悪い結末になったなぁ・・」「でもいいじゃない、土方君が無事だったんだから。」「ええ。」「ねぇ土方君、無理をせずに東京に一度帰ったら?大変な目に遭ったんだし。」「いいえ、東京には帰りません。卒業するまでここで頑張りたいんです。」「そう。あなたがそう決めたんなら、わたしは何も言わないわ。」 朝食を食べ終えた利尋が登校すると、事件を知っている生徒達が彼に無遠慮な視線を送った。「あんなん、気にすることないで。」「そうよ、あなたは何も悪い事はしていないんだし。」「ええ・・」二時間目の授業が終わり、利尋が寮の部屋に裁縫箱を取りに行こうとした時、机の上に置いてあった筈の真珠のブローチがなくなっていることに気づいた。「すいません、僕の部屋に誰か入ったのを見ていませんか?」「いいえ、見ていないわよ。でも、あなたの部屋の前を通りかかった時、誰かにぶつかったような気がしたわ。」「そうですか・・」利尋が裁縫箱を抱えながら教室に戻ると、自分の机の上に失くしたと思っていた真珠のブローチが置かれていた。「誰がこのブローチを机の上に置いたのですか?」「さぁ、知らないわ。どうしたの?」「僕がさっき部屋に戻った時、机の上からブローチが失くなっていたんです。」「何だか気味が悪いわね。」利尋はブローチをハンカチで包むと、それを裁縫箱の中にしまった。「ねぇ土方君、昼の件だけど・・」「どうしたんですか、石田さん?そんな顔をして?」「実はね、わたし見たのよ。あなたの部屋に、佐古田先輩の取り巻きだった人が出て来たのを。」「それは、本当ですか?」「ええ。もしかして、佐古田先輩が学校を辞めたのはあなたの所為だって思い込んで、真珠のブローチを彼女が盗もうとして失敗したんじゃないかって・・」「でもブローチは無傷で戻って来ましたよ?」「そこがおかしいのよねぇ。犯人は一体何がしたいのかわからないわ。」「僕もです・・」 利尋は、誰が自分の部屋から真珠のブローチを盗んだのかが気になり、その日の夜は一睡も出来なかった。にほんブログ村
2013年11月02日
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「佐古田先輩、落ち着いて・・」「あんたさえいなければ上手くいくんや。」狂気で血走った目で利尋を睨みつけながら、由美はそう言って羅紗鋏を握り締めた。利尋は咄嗟に、由美の足の甲を思いっ切り踏みつけた。由美は悲鳴を上げ、その時彼を拘束していた由美の腕が弛んだ。利尋は由美を突き飛ばし、そのはずみで床に転がった彼女の羅紗鋏を掴んで裁縫室から逃げ出した。「待てぇ!」般若のような形相を浮かべながら自分を追い掛けてくる由美の鼻先で裁縫室のドアを閉めた利尋は、掃除用具入れからモップを取り出すと、それを閂代わりにしてドアに挿し込んだ。狂ったような音がドアの内側から聞こえ、利尋が恐怖で羅紗鋏を握り締めながら震えていると、そこへ偶然茶道の師範である浅田が通りかかった。「どうしたの、土方君?」「先生、佐古田さんに襲われました。」「まぁ、何ですって?怪我はない?」「はい。これ、佐古田先輩の鋏です。」「彼女は中にいるの?」利尋が浅田の言葉に静かに頷くと、彼女はドアに挿し込まれているモップを取った。すると由美がドアを蹴破って外へと出ると、利尋を見るなり彼の上に馬乗りになった。「殺してやる、お前なんか!」「誰か来て!」やがて騒ぎを聞きつけた数人の教師達が、利尋を絞め殺そうとする由美を彼から引き離した。「さぁ、これをお飲みなさい。」「ありがとうございます・・」「あなた、どうして佐古田さんに襲われたの?何か彼女に恨みを買うようなことをしたの?」「僕は、彼女に何もしておりません。一体どうしてこんな事が起きたのか、皆目見当もつきません。」「そう・・警察には通報したから、暫くここに居ることになるわ。大丈夫?」「ええ・・」 数分後、通報を受けた刑事から事件が起きた状況を尋ねられ、利尋はその時の状況を詳しく彼らに話した。「あの・・佐古田先輩は今何処に?」「彼女は、君が自分を馬鹿にしているように感じたから襲ったと言っている。それは確かなのかね?」「いいえ。僕は一度も、佐古田さんを馬鹿にしたことなどありません。」「そうですか、ではもう帰っても結構ですよ。」「では、これで失礼致します。」 利尋が寮に戻った時、清美と耀子が彼の元に駆け寄ってきた。「大丈夫だった?」「それにしてもエライ事したな、あの女。」「今日はゆっくり部屋で休んだら?」「ええ、そう致します・・」 翌朝、警察から知らせを受けた歳三と千尋が、学校にやって来た。「お父様、お母様・・」「怪我はないのね?」「はい。」「そう、良かった。相手の方は?」「警察に捕まりました。お父様、お母様、心配をお掛けしてしまってごめんなさい。」「いいんだ、お前が無事なら。それよりも利尋、ひとつお前ぇに知らせておかねぇといけねぇことがあって、俺達はここに来たんだ。」「何ですか、僕に知らせたいことって?」「信子さんが、亡くなられました。」「え、信子さんが?」にほんブログ村
2013年11月02日
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洋裁学校に入学した利尋だったが、本格的に洋裁を学ぶのは二年からだとゴードンからそう教えられた時、彼は落胆を隠せなかった。「そんなに落ち込むことはありませんよ、土方君。一年の内に基礎を身に付けておいた方がいい。何事も、基本を疎(おろそ)かにすると上手くいきませんからね。」「わかりました・・」放課後、自室で英語の宿題をしていると、誰かがドアをノックした。「どうぞ。」「お邪魔します。」「林さん、どうしたんですか?」「いやぁ、英作文で解らんところがあってなぁ。ちょっと教えて貰いたいんやけど、ええかな?」「いいですよ。」耀子に英語の宿題を教えながら、利尋は東京に居る家族のことを想った。「どないしたん、ボーっとして?」「いえ・・」「初めて親元から離れて生活するんやから、何かと不安やろ?うちは会いたいと思った時にはすぐに会いに行ける距離やけど、土方君の実家は東京にあるから無理やなぁ。」「ええ。父は、辛くなった時はいつでも帰って来ていいと言ってましたが、僕はここを卒業するまで東京には何があっても帰らないと決めました。」「強いんやなぁ、土方君は。」耀子はそう言うと、利尋の机の前に置かれている真珠のブローチを見た。「これ、綺麗やなぁ。」「ここに入る前、東京駅で母から渡されました。幸運のお守りだっていって。」「うちのお母ちゃんも、真珠のネックレス持ってるわ。うちのお母ちゃんは彫金が趣味でなぁ、指輪やペンダントとか時々自分で作ってるわ。」「そうなんですか・・」「土方君のお母さんは、どんな人なん?」「母は、荻野伯爵家の一人娘として生まれました。父と結婚したのは、祖父の会社が倒産寸前なのを父に助けて貰う代わりに母と結婚するという条件で・・」「政略結婚かぁ。何や小説みたいやなぁ。夫婦仲はええの?」「ええ。」「それにしても土方君、佐古田先輩から何か恨みを買うようなことした?やけにあの人、土方君に突っかかってくるけど・・」「わかりません・・理由が判らないから、どう佐古田先輩と接すればいいのか・・」「そうやなぁ。まぁ、あんまり関わらん方がええって。」「そうですね・・」 数日後、一・二年合同の茶道の授業で茶室に入った利尋は、突然由美に声を掛けられた。「土方君、あんたがお茶を点ててくれへん?」「え・・」「出来へんかったら別にいいんやで。」「佐古田さん、そう言うのなら、あなたがお茶を点てなさい。」「先生・・」「あなたは後輩いじめをする為にここに来ているのですか?だったら今すぐ家に帰りなさい。」教師からそう厳しく叱責された由美は無言で茶室から出て行った。「では皆さん、気を取り直して授業を始めましょうか。」「先生、宜しくお願い致します。」放課後、利尋が清美達と別れて一人裁縫室へと向かうと、そこには窓際の席に座って何か物思いに耽っている由美の姿があった。余り彼女とは関わりたくないと思った利尋が忍び足で裁縫室から出ようとした時、自分の首筋に冷たい物が押し当てられる感触がした。「動くな。」「佐古田先輩・・」利尋は背後を見ると、そこには羅紗鋏を自分の首筋に押し当てている由美の姿があった。「少しでも動いたら殺してやるからな。」にほんブログ村
2013年11月01日
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「何よあれ。あの人、土方君に嫌がらせしてるだけじゃない!」「ほんまや。うちの店にも、新入りの丁稚に地味な嫌がらせして追い出す奴がおったわ。利尋君、嫌やったらちゃんと断り?」「いえ。佐古田先輩が縫えとおっしゃっているのですから、やりませんと・・」「あんたなぁ、お人よし過ぎるわ!佐古田先輩は、あんたをここから追い出そうとしてんねんで?」由美達が食堂から出て行った後、耀子はそう言って呆れたような顔をして利尋を見た。「そうよ土方君、別に雑巾百枚明日まで縫わなくたって、何もないわよ。」「ですが・・」「しゃぁないなぁ、うち手伝うわ!」「わたしも手伝うわ。百枚だから、一人で二十五枚縫って、わたしと林さんのを合わせれば全部で五十枚になるでしょう?そしたら、残り半分の五十枚を土方君が縫えばいいのよ。」「すいません、僕の所為でお二人にご迷惑をお掛けしてしまって・・」「困った時はお互い様や!」耀子はそう言って笑うと、利尋の背を叩いた。 昼休みの間、利尋達は早速雑巾を縫い始めた。「佐古田先輩は土方君にライバル意識を燃やしているとしか思えないわ。」「さぁな。うちは超能力者やないからわからへんわ。」裁縫室で清美と耀子が雑巾を縫いながらそんな話をしていると、そこへ由美達がやって来た。「それ、どないしたん?」「ああ、これですか?校内美化に努めようと思いまして・・」「ふぅん、そう。土方君の手助けなんかしたら、どうなるかわかってるやろうなぁ?」「そんなことしませんって!」慌ててそう由美に誤魔化した耀子だったが、彼女の笑顔は少しひきつっていた。「はぁ~、危なかったわぁ!」「佐古田先輩って、どうして土方君の事を嫌うのかしら?土方君は先輩に恨みを買うようなことはしてないっていうのに・・」「そう思ってんのはうちらだけちゃう?本人が知らない内に人の恨みを買っているっていうのはよくあるからなぁ。」「まぁ、あの人には関わらない方がいいわね。」 放課後、清美と耀子は雑巾五十枚が入った手提げ袋を利尋に教室で渡した。「これで何とかなると思うわ。」「ありがとうございます、石田さん、林さん。」「土方君、あんな女に負けちゃ駄目よ!わたしたち、応援しているわ!」「意地悪女をギャフンと言わしたれ!」「わかりました・・僕、頑張ります!」 その日の夜、利尋は残りの雑巾五十枚を縫いあげると、溜息を吐いてベッドに寝転がった。「出来た・・」ちゃんと百枚あるかどうか利尋は枚数を数えながら、自分を助けてくれた清美と耀子に改めて感謝の気持ちを伝えたいと思った。「土方君、雑巾はできたんか?」「はい、出来ました。」 翌朝、食堂で利尋はそう言うと由美達に雑巾百枚が入った手提げ袋を手渡した。「なかなかやるやないの。でも余り調子に乗らんときや。」由美はフンと鼻を鳴らして利尋を睨み付けると、取り巻きを従えて食堂から出て行った。「やっぱり好かんわ、あの女。」「しっ、先輩に聞こえるでしょう!」清美はそう言うと、慌てて耀子の口元を両手で覆った。「由美さん、あの子どうします?」「もうあの子に構うのは止めるわ。あんたら、あたしに隠れて余計な事したら承知せぇへんで。」「は、はい・・」(土方利尋・・絶対に潰したる!)にほんブログ村
2013年11月01日
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朝食の後、利尋達新入生は講堂に集められた。数分後、寮母の望と二年の校章をつけた二人の女子生徒が彼らの前に現れた。「今から彼女達が校内を案内するから、はぐれないように彼女達についてきてくださいね。」その後、新入生達は上級生達とともに校内をまわった。「ここがお茶室や。」「お茶室・・あのう、ここでは茶道の授業があるんですか?」「何やのあんた、そんなこと知らんでここに来たん?」利尋の言葉を聞いた二年の佐古田由美(さこたゆみ)は、そう言うと不快そうに鼻に皺を寄せた。「ここは洋裁学校になる前は女学校やったんよ。せやから、洋裁の授業以外に茶道やお花、英会話の授業があるんやで。」佐古田由美の隣に居た佐々木芙由子(ふゆこ)がとっさに利尋に助け船を出した。「そうなんですか・・」「これ、校内の地図。一時限目は8時半からやから、遅刻せんようにね。」「わかりました。」 入学式から一週間後の朝、利尋が学生服を着て食堂に入ると、そこには芙由子の姿があった。「佐々木先輩、おはようございます。」「おはよう。どう、ここでの生活にはもう慣れた?」「ええ・・」「最初はまだ慣れへんから大変やろうけど、頑張ってな。」「はい。」 芙由子から渡された地図を頼りに、利尋は「1年C組」と書かれたプレートが提げられた教室の中へと入った。「おはよう、土方さん。」「おはよう、石田さん。」「今日から授業ね。何だか緊張しちゃう。」「うん・・」清美と利尋がそんな話をしていると始業を告げるチャイムが鳴り、教室に面接試験会場で校長の隣に座っていた外国人教師が入って来た。「初めまして皆さん、わたしはゴードンです。これから一年間、宜しくお願いします。」流暢な日本語で生徒達に挨拶をしたゴードンは、黒板に自分の名前を書いた。「それではまず、自己紹介から始めましょう。」「石田清美です、横浜から来ました。趣味はヴァイオリンと、読書です。」「林耀子です。大阪から来ました。どうぞ宜しくお願いします。」「土方利尋です。東京から来ました。趣味はピアノと読書です。」緊張で身体を震わせながら自己紹介した利尋の姿を見て、女子生徒達の何人かが彼の方を指してクスクスと笑った。「皆さん、このクラス全員がチームです。デザイナーはただ一人で服をデザインして作るだけの仕事ではありません。一人で出来ることには限界がありますが、みんなが力を合わせれば、何でも出来ます。」 ゴードンが教室から出て行った後、利尋の元に林耀子がやって来た。「あんた、東京から来たん?」「はい・・耀子さんは、大阪のどちらからいらしたんですか?」「うちは船場から来てん。両親が呉服屋やってるんや。」「へぇ、そうなんですが・・でもなんで洋裁学校に?」「着物は嫌いやないけど、うちは新しい事に挑戦したくてここに来たんや。土方君は、どうしてここに来たん?」「一流のデザイナーになる為です。洋裁は今まで独学で学んできましたが、限界があって・・」「ふぅん、じゃぁうちと同じ夢を持つ同志やな。宜しく!」「宜しくお願い致します。」 昼休み、午前中の授業を終えた利尋と耀子、清美が食堂に入ると、そこには数人の友人達に囲まれている由美の姿があった。「佐古田先輩、おはようございます。」「ああ、丁度いい所に来たわ。明日までに雑巾百枚縫ってきて。」「え・・」「新入生が雑巾百枚縫うのが、この学校の伝統なんや。」「土方君、先輩に逆らわん方が身のためやで?」にほんブログ村
2013年10月31日
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1946(昭和21)年4月。神戸の洋裁学校に見事合格した利尋は、両親と兄、そして信子とともに東京駅へと向かった。「気をつけて行ってくるのですよ。」「はい、お母様。」「無理をするなよ。辛かったら、帰って来ていいんだからな。」「お父様、毎日手紙を書きますから、どうか僕の事は心配なさらないでください。」「誰かにいじめられたら俺に言えよ、そいつをぶっ飛ばしてやるから!」「もう、お兄様ったら。」「利尋さん、どうか気をつけて行ってらっしゃいね。」「はい、信子さんもお体にお気をつけて。」利尋は四人に頭を下げると、汽車に乗った。それはやがて、東京駅のプラットホームからゆっくりと離れていった。「これから、寂しくなりますね。」「ああ。明歳、学校に遅れないようにしろよ。」「わかったよ、父さん。」 利尋が汽車を乗り継いで大阪に着いたのは、その日の夜のことだった。着替えや学用品などが入った旅行鞄を提げた彼は、大阪市内にあるホテルへと向かった。「いらっしゃいませ。」「こちらに予約を入れた土方と申しますが・・」「少々お待ち下さいませ。」ロビーで数分待たされた後、利尋は客室係に案内されて部屋へと入った。「何か御入用でしたら、このお電話の3番にお掛け下さいませ。」「わかりました。」客室係が部屋から出て行った後、利尋はベッドの上に寝転がって溜息を吐いた。学生服から寝間着へと着替えた彼は、旅行鞄の中からある物を取り出した。 それは、東京駅で母・千尋から渡された真珠のブローチだった。「お母様、これは?」「お父様から結婚10年目のプレゼントとして戴いたものなのよ。これは幸運のブローチなの。あなたが持っていて頂戴。」「お母様、こんな大切な物頂けません。」「このブローチは、わたくしにはもう必要のないものよ。これからは、あなたのものよ。」「ありがとうございます、お母様。」(お母様、僕頑張ります・・何があっても・・) 翌朝、大阪で一泊した利尋は神戸洋裁学校の学生寮がある三ノ宮へと向かった。学生寮には女子学生の姿ばかりが目立ち、男子学生は利尋の他には誰も居なかった。「皆さん、この度は御入学おめでとうございます。わたくしはこの学生寮の寮母を務めている石田望と申します。この学院に在学中は、わたくしのことを母と思ってくださいね。」「どうぞ、宜しくお願い致します。」「さぁ皆さん、長旅で疲れていらっしゃることだから、朝食にいたしましょうか。」 寮母の望が挨拶を終えて食堂から出て行った後、利尋の隣に座っていた女子学生が突然彼に話しかけて来た。「あなた、また会ったわね!」「あの・・どちら様でしょうか?」「嫌だ、忘れちゃったの?入学試験の会場でお会いしたじゃないの!石田清美よ、覚えていらっしゃらないの?」「ああ、あの時の・・」「あなたと3年間ここで暮らすなんて夢のようだわ!これから宜しくね!」「ええ、宜しくお願い致します。」利尋は入学試験会場で出会った石田清美と再会し、彼女と固い握手を交わした。にほんブログ村
2013年10月31日
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「皆さん、お騒がせしてしまって申し訳ありませんでした。僕達はこれで失礼致します。」そう言って理恵子の夫・忠(ただし)は歳三達に向かって頭を下げると、理恵子の肩を抱いて土方家を後にした。医師から妊娠を告げられた理恵子は、夫と離縁せずに彼とやり直すことを決めた。「まったく、どうなってるんだか・・さっきまで、別れる、別れないで揉めてたってのに・・」「夫婦の問題なんざ、ガキのお前ぇらにはまだわかりゃしねぇよ。まぁ、これで一件落着って感じだな。」「そうだねぇ。でも、あたしはまた理恵子があのお姑さんと衝突するんじゃないかって、心配でねぇ・・」「理恵子の旦那、家から出て自分の店を出すって言っていたぜ。」「そうかい。でもねぇ・・」「育実、理恵子の旦那の事を信じてやれよ。義理とはいえ、お前ぇにとっては息子には違いねぇんだから。」「わかったよ・・歳ちゃんの言う通りにするよ。」「邪魔したな。」「また来ておくれよ。」「お帰りなさいませ、歳三様、千尋様。トシちゃん、洋裁学校から書類が届いているわよ。」「ありがとうございます、信子さん。」 帰宅した利尋は信子から洋裁学校の書類が入っている封筒を受け取ると、すぐさまペーパーナイフで封筒の封を開けた。中には、入学試験の日時と会場の場所が書かれてある書類が入っていた。「今週の土曜日か。利尋、頑張れよ。」「はい、お父様。」 土曜日の朝、西田家を出た利尋は、洋裁学校の入学試験を受ける為、試験会場がある銀座へと向かった。「ねぇ、あなたも試験を受けるの?」「ええ・・」「そう、お互い頑張りましょうね。わたし、石田清美。」「土方利尋です。」 入学試験は小論文と面接試験があり、小論文を書き終えた利尋達は受験番号順に面接試験会場へと呼ばれた。「土方さん、いらっしゃいますか?」「は、はい!」 利尋が緊張した面持ちで面接会場へと入ると、そこには二人の外国人教師と、校長と思しき老婦人が長椅子に座っていた。「どうぞ、お掛け下さい。」「し、失礼致します。土方利尋と申します。本日は・・」「緊張なさらなくて結構よ。あなたは、どうしてうちの学校に入学したいと思ったの?」「わたしは、本格的に洋裁を学びたいと思い、貴校を選びました。」「あなたは洋裁の経験がありますか?」「はい、米兵の家で家政夫をしていた時、そのお宅の奥様のワンピースを作りました。洋裁は独学で学びましたが、もっと本格的に学ぼうと・・」「もういいわ、結構よ。」「あの、わたし・・」「結果は後日、お知らせ致します。」「し、失礼致します。」 二週間後、西田家に洋裁学校から利尋宛の書類が届いた。「どうだったの?」「合格してた・・」利尋はそう言うと、震える手で歳三達に合格通知書を見せた。“土方利尋様、本校の入学を許可致します。”「おめでとう利尋、良かったわね!」にほんブログ村
2013年10月30日
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「あんたが一方的にあたしをあの家から追い出したんじゃない!それなのに今更あの家に戻って来いだなんて、よく言えたもんね!」「離縁の事は、お袋が勝手に決めたことなんだ!」「何よ、あんただって石女(うまずめ)のあたしと別れたくて仕方がなかったんでしょう?」「利尋、何をしているのです?」「お母様・・」「お父様達を待たせてはなりませんよ、行きましょう。」「理恵子はどうしたんだ?」「あの人なら、別れた旦那さんと喧嘩をしていましたよ。まぁ、他人様の事情など僕達にとってはどうでもいいことですけど。」「利尋、理恵子はお前ぇにとっては遠縁の従妹にあたるんだぞ。それなのにどうしてそんな冷たい言い方しかできねぇんだ?」「お言葉ですがお父様、僕はあの人と少しでも血が繋がっているだけでも嫌なのです。大体何ですか、理恵子さんは出戻りの癖にお母様を自分の下女のようにこき使って、自分の分のお茶を淹れようとせず、自分が食べた食器を洗いもしない・・何をするのかといったら、ただこたつに入って雑誌を読みながら蜜柑(みかん)を頬張っているだけじゃないですか!あんな穀潰(こくつぶ)しの性悪女、離縁されて当然です!」利尋は歳三に思いの丈をぶちまけた。その時、大広間の襖がすっと開き、理恵子とあの男が中に入って来た。「君が、利尋君だね?」「はい、そうですが・・あなたは、理恵子さんの旦那さんですか?」「そうだ。利尋君、君が妻の事をどう思おうと勝手だが、僕の前で妻を侮辱するのは止めてくれないか?」「あなたはとうに理恵子さんと縁が切れた筈なのではないですか?それなのにどうして、妻の実家に平気で顔を出せるのです?」「それは・・」「おい利尋、子どもの癖に夫婦の問題に口を挟むんじゃねぇ。飯が冷めちまうだろう、早く食え。」「ですがお父様・・」「お父様の言う通りですよ、利尋。」利尋は舌打ちすると、兄と母の隣に座った。「お義母さん・・今日こちらに伺ったのは、理恵子さんともう一度やり直す為に来ました。」「それはどういうことだい?あんたは子どもが出来ない理恵子を枡田の家から追い出したんじゃないのかい?」「それは誤解です。母が勝手に僕と理恵子を離縁させたのです。母は、跡継ぎを産めない嫁は不要だと・・」「腹を痛めて産んで、大事に育てて来た理恵子を、そんな冷たい姑の元には戻す訳にはいかないよ。お願いだから帰っておくれ。」「お義母さん・・」「さっさとあの家に、あなたが大好きなお母さんの所に帰りなさいよ!あたしはもう、あんたとやり直す気はないんだからね!」理恵子はそう叫び、ついこの前まで夫であった男を大広間から追い出そうと、彼の背を押した。だが男は、理恵子の手を振り払い、育実(いくみ)の前で土下座した。「お願いです、お義母さん・・」「誰か、塩を持って来ておくれ!」「さっさと帰ってよ!」男と理恵子が激しく揉み合っている内に、バランスを崩した理恵子は転倒し、土間の固い床で腰を強く打ってしまった。「理恵子、大丈夫か!?」「誰か、医者を呼んできてください!」「腰を打っただけで、そんなに大騒ぎするこたぁねぇだろう?」「彼女は妊娠しているんですよ!」「それは、本当か?」 数分後、往診に来た医師から、理恵子は妊娠を告げられた。「8週目に入っていますね。流産しやすい時期なので、気をつけてくださいね。」にほんブログ村
2013年10月30日
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「利尋(としひろ)ちゃん、神戸に行くんですって?」「ええ。」「ちゃんと生活できるの?」「学校には学生寮がありますし、食事は寮母さんが三食作ってくださいますので、大丈夫です。」「そう?」「ねぇ利尋ちゃん、やめておきなさいよ。今物騒だし。」「そうよ。」「少し考えておきます・・すいません、僕お母様の様子を見て来ます。」多摩にある父の実家で、親族の女性達から洋裁学校へ行く事を反対された利尋は、そう言葉を濁すと大広間から出て千尋が居る台所へと向かった。「お母様、何か手伝うことはありますか?」「今は忙しくないので大丈夫ですよ。利尋、もしかして洋裁学校へ行く事について、何かあの人達に言われたの?」「ええ、まぁ・・」「彼女達は何も知らずに文句を言いたいだけなんだから、放っておきなさい。」「わかりました。」「そうだ、もうすぐお昼だからご飯を作るのを手伝って頂戴。」 割烹着姿の利尋が台所で千尋を手伝っていると、そこへ育実(いくみ)の三女・理恵子がやって来た。「千尋さん、お茶まだ?」「すいません、只今・・」「理恵子さん、お茶くらい自分で淹れたらどうですか?手が空いているのなら、手伝ってくださいよ!」「何よ、偉そうに!」理恵子はジロリと利尋を睨み付けると、湯呑みに茶を淹れるとそれを盆に載せて台所から出て行った。「何ですか、あの人・・出戻りの癖に偉そうにして・・」「お止めなさい、利尋。理恵子さんの事を悪く言ってはいけませんよ。」「ですがお母様・・」「千尋さん、ごめんなさいね。」育実がそう言って申し訳なさそうに千尋に頭を下げると、台所へと入ってきた。「育実さん、理恵子さんはどうして離縁なさったのですか?あんなに性格がきついんじゃ、再婚相手がなかなか見つからないんじゃ・・」「まぁ、あの子は言いたい事ははっきりと言う子だからねぇ。嫁ぎ先でも、舅姑との関係が上手くいかなくって・・結局、子どもが出来なかったから離縁されちまったんだけどねぇ。まだ旦那と揉めてるらしいけど、どうなるんだか。」 理恵子の嫁ぎ先は、江戸時代から続く老舗の高級料亭だった。理恵子の夫やその親族は、店の跡継ぎとなる男児の誕生を望んでいたが、結婚して4年経っても理恵子が妊娠しなかったので、彼女は夫から一方的に離縁された。「理恵子さんに子どもが出来ないのは、あんなに捻くれて意地の悪い性格だからじゃないですか?それに、自分の事を何ひとつしようともしないし・・さっきだって、お母様をまるで下女のようにこき使って!」「あたしの育て方が悪かったのかねぇ。千尋さん、本当に済まないねぇ。」育実はそう言うと涙ぐんだ。「ちょっと千尋さん、お昼まだなの!?」「今作っているところです。」「まったく、グズグズしないでよね!」「理恵子さん、あなたはお客様じゃないでしょう?年老いた母親を寒い台所に立たせて恥ずかしくないんですか?」「口答えするんじゃないわよ!子どもなら大人の言う事を聞きなさい!」「お言葉ですが理恵子さん、自分のお布団も片付けない、自分の食器を洗いもしない方に説教などされたくはありません。嫌ならご主人の元にお帰り下さい。」理恵子は利尋の言葉を聞いて怒りで顔を赤く染めると、台所から出て行った。 利尋が自分達家族の分の膳を大広間へと運んでいると、玄関先から理恵子と男の怒鳴り声が聞こえた。「何なのよあんた、あたしに今更何の用!?」「理恵子、いい加減意地を張らずにうちに帰って来い!」にほんブログ村
2013年10月29日
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「本気なのか、利尋(としひろ)?」「僕は本気です、お父様。僕はやりたいことが見つかりました。」「そうか、お前がそう決めたんなら、俺は反対しねぇ。学費の事は、俺と母さんが何とかするから、お前は何も心配するな。」「有難うございます、お父様!」「利尋、一度決めたからには、成功するまで諦めてはなりませんよ。」「わかりました、お母様。」 両親の承諾を得た利尋は夕食後すぐに部屋に戻ると、入学試験を受ける為に必要な願書を書き始めた。「利尋、本当に神戸に行くのか?」「本気だよ。」「そうか・・今まで俺達は、生まれた時からいつも一緒だったのにな・・まさか、お前と離ればなれになるとは思いもしなかったよ。」机に座って願書を書いている弟の横顔を見ながら明歳(あきとし)はそう呟くと、咥えていた煙草に火をつけた。「お兄様はどうなさるのですか?」「まだ何も決めてねぇよ。いずれは父さんの会社を継ぎたいと思ってる。」「お兄様、最近家に帰って来るのが遅いようですけれど、もしかして朱美(あけみ)さんのところに・・」「朱美にとって俺は、弟のような存在だってさ。彼女とはお前が思っているような疚(やま)しい関係じゃねぇから、心配すんな。」「でも、お兄様がダンスホールで働いていることをお父様が知ったら・・」「まぁ、それはバレた時に考えるさ。ダンスホールの仕事つっても、米兵やパンパンの姉ちゃんどもに給仕するくらいのもんさ。鉄屑拾いよりも給金が良いいから、続けているだけだ。」「そう・・お兄様、学校は・・」「学校は諦めたさ。それよりも一銭でも多く稼いで、母さん達に楽をさせてやりてぇんだ。」「悪ぃがまだガキのお前ぇにそんな心配をされるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇよ。」「お父様・・」「父さん、ノックぐらいしてくれよ。もう少しで漏らしそうだったじゃねぇか。」 いきなり部屋に入ってきた歳三に驚いた明歳は、慌てて吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。「明歳、俺の会社を継ぎたいっていう気があるんなら、学校に行け。」「だから、俺は・・」「俺が戦地に行っている間、母さんと利尋を守ってくれたことは感謝する。だがな、粋がって悪ぶるな。たまには俺や母さんに甘えてもいいんだぞ?」「父さん・・」「今からでも遅くねぇ。学校に行け。」「わかったよ・・」 翌日、郵便局から帰宅した利尋がリビングに入ると、そこには詰襟の学生服姿の明歳が椅子に座って昼食を食べていた。「お兄様、学校に行くの?」「ああ。何だよ、ジロジロ見てんじゃねぇよ!」「ごめんなさい、でも良く似合っているよ。ダンスホールのお仕事は、まだ続ける気なの?」「週末だけすることにしたんだ。あいつは俺に今必要なのは学問だから、今の内にちゃんと勉強しとけってさ。後から勉強したいって思っていても、なかなかできねぇからって。」「そう・・ねぇ、お母様は何処?」「母さんなら、本屋に買いたい本があるからってさっき出掛けて行ったぜ。」「本屋さんに?」「どうやら母さん、看護婦になる為に看護学校を受験する気でいるらしいんだ。女も手に職を持たないと生きていけないって思ったみたいで・・」「お父様は、お母様に何て言ってるの?」「“お前の好きなように生きればいい”って言っていたよ、父さんは。俺も、お前も、母さんも、自分が歩む道を決めたってことだよな。」「そうだね・・」にほんブログ村
2013年10月29日
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『まぁ、素敵なドレスね!トシ、本当に有難う!』『少し時間がかかってしまいました。』『いいのよ、あなたも色々と忙しかったんでしょう?』『ええ、まぁ・・』『トシ、あなた何処で洋裁を学んだの?』『知り合いの方から少し教えて貰いました。後は独学です。』『あなた、本格的に洋裁を勉強した方がいいんじゃない?あなたの腕なら、きっと一流のデザイナーになれると思うわ!』『そんな・・』 マクレーン家のリビングで利尋とジェーンがそんな話をしていると、そこへジェーンの娘・ステファニーがやって来た。『ママ、ドレスは出来たの?』『ええ、出来たわよ。』ジェーンがドレスを見せると、ステファニーは嬉しそうに瞳を輝かせた。『素敵!トシ、有難う!』『気に入ってくれてよかった。』『ねぇママ、これ来年のハロウィンに着てもいい?』『いいわよ。トシ、これはわたしからのお礼として受け取って。』ジェーンはそう言ってソファから立ち上がると、利尋に封筒を手渡した。『いえ、そんな・・受け取れません。』『無理をして作って貰ったのだから、ちゃんとお代は払わなきゃ。お願い、受け取って。』『ありがとうございます。ではわたしはこれで失礼致します、奥様。』『また来てね!』 数日後、ステファニーが通う幼稚園で発表会が行われ、彼女が着ている白雪姫のドレスが、保護者達の注目を集めた。『可愛いドレスだわ、誰が作ったのかしら?』『ステファニーの可愛さが引き立っているわね。』 発表会の後、ジェーンはジョーンズ家を訪れた。『トシのドレス、みんなから好評だったわ。あの子、独学で洋裁を学んだんですって。』『そうなの?てっきり学校に通っているものだと思っていたわ。』『わたし、あの子に本格的に洋裁を勉強したらどうかって言ったのよ。でもあの子、何かを迷っているみたい。きっと色々と事情があるんでしょうね。』『そうみたいね・・』帰宅した利尋は、裁縫室で発表会のドレスのデザイン画を眺めていた。もっと洋裁を学びたい―そんな事を彼が思っていると、信子が裁縫室に入ってきた。「トシちゃん、今いいかしら?」「はい・・」「ねぇトシちゃん、あなた洋裁学校に行って、本格的に洋裁を勉強したらどうかしら?」「信子さん・・」「あなたは、洋裁を本格的に学びたいのでしょう?」信子はそう言うと、利尋にある物を渡した。それは、神戸にある洋裁学校の入学案内書だった。「一度これに目を通してみて。」「でも、僕・・」「あなたの才能は、これから伸びるものだとわたしは思っているの。一度興味を持った事を、とことん究めたらどうかしら?」信子は利尋の肩を叩くと、裁縫室から出て行った。 彼女が出て行った後、利尋は洋裁学校の入学案内書に目を通した。その学校では、デザイナーとなる為の専門的な知識や技術を教えており、授業内容も充実していた。「お父様、お母様、お話があります。」「何だ、そんな真剣な顔をして?」「僕、神戸の洋裁学校に入学して、本格的に洋裁を勉強したいんです。」 その日の夜、ダイニングで利尋はそう両親に話を切りだすと、彼らに洋裁学校の入学案内書を見せた。にほんブログ村
2013年10月28日
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「あなたは・・」『マミー、来てくれたのね!』千尋が女と対峙していると、突然千尋の背後からフィオナがやって来てそう叫んだ後、女に抱きついた。『フィオナ、会いたかったよ~!元気にしていたかい?』『ええ。マミー、一緒に来て、マミーにトシを紹介するわ!』フィオナは母親の手を取ると、千尋の脇を通り抜けてダイニングへと向かった。『あんたがフィオナの男かい?』フィオナの母・アイダは、そう言うと歳三を睨んだ。『あたしが此処に来たのは、あんたがあたし達と一緒にフィリピンに来るのか、来ないのかをはっきりとさせておこうと思ってね。あんたは、あたし達と一緒にフィリピンで暮らしたくないのかい?』『お言葉ですがお母さん、わたしはフィリピンであなた方と一緒に暮らすつもりはありません。それに、わたしは再三フィオナにフィリピンに戻るよう説得しました。ですが娘さんは頑なにここに居ると言い張って・・』『あんたは、うちの娘が悪いっていうのかい!?』アイダはそう叫ぶと、歳三を睨んだ。『娘から手紙が届いたんだよ。そこには、物置部屋に閉じ込められて、食事すら満足に与えられずにあんた達に虐待されているって書いてあったんだ!』『それは誤解です。フィオナさんを和室から物置部屋に移したことは事実ですが、彼女を虐待したことなど一度もありません。』『あんたの奥さんは、もう子どもが産めない身体だっていうじゃないか?その女と別れて、娘と結婚してあたし達を養うのが筋だろうが!娘はあんたの息子を産める身体なんだからね!』『ふざけるな、クソ婆!さっきから黙って聞いてりゃぁふざけた事ばかり抜かしやがって!』それまで歳三とアイダの会話を聞いていた明歳(あきとし)がそう英語で怒鳴ると、彼はキッチンから包丁を持って来てそれを彼女の胸元に突き付けた。『お前ら母娘はな、お情けでこの家に置いてやってんだよ!それを虐待されてるだぁ?産後すぐに赤ん坊と寒空の下に放り出されないだけでも有り難いと思え!』明歳に罵倒されたアイダの顔は恐怖で蒼褪め、フィオナはそんな母を庇うかのように彼の前に立ちはだかった。『マミーが何をしたっていうのよ!』『黙れ、この売女!もうお前ぇらの顔なんざ見たくねぇ、さっさと荷物を纏めて国に帰れ!』『トシ、何とか言ってよ!』『フィオナ、お母さんと一緒にフィリピンに帰れ。これ以上ここに居たら、お前が不幸になるだけだ。』『トシ・・』『フィオナ、こいつとは話にならないよ!あたしと一緒にフィリピンに帰ろう!』アイダがそう言って娘の腕を掴んでダイニングから出て行こうとしたが、フィオナはその場から動こうとしなかった。『マミー、わたしはフィリピンには帰らないわ。』『この家に居たって、良い事なんか何ひとつもないんだ!だったらあたしとフィリピンに帰った方が良いに決まってるじゃないか!』『わたしはトシの息子を産むまで、帰らないわ!』『もういいよ、勝手におし!あんたはもうあたしの娘じゃない!』アイダは掴んでいた娘の腕を放すと、そのままダイニングから出て行ってしまった。『フィオナ、意地を張るんじゃねぇ。』『わたしは意地なんか張ってないわ!わたしはトシとここに居たいだけなのよ!それなのにどうしてわかってくれないの!?』歳三に向かってそう怒鳴ったフィオナは突然苦しそうに息をしたかと思うと、そのまま床に倒れてしまった。にほんブログ村
2013年10月28日
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「信子さん、ミシンの前に置いてあった型紙、知りませんか?」「いいえ、見ていないわ。もしかして、ないの?」「ええ。一体誰が・・」型紙がなくなった事を利尋(としひろ)が信子に話していると、視線の端でフィオナが何かを握っていることに気づいた。 利尋の視線に気づいたフィオナは、突然彼に背を向けて走り出した。「待て!」フィオナを追って物置部屋へと入った利尋は、彼女が娘の股間に型紙をあてがおうとしているのを見て、寸での所で彼女の手から型紙を奪い取った。『何するの、返して!』「これは大切な物なんだ!」『この子のおむつを替えないと・・』「二度と僕の物に触るな!」泣き叫ぶ娘を抱き、憎しみが籠った目で自分を睨み付けるフィオナを物置部屋に残し、利尋は裁縫室へと戻った。「ねぇ、さっき物置部屋の方であの子の怒鳴り声がしたけど・・」「あの子が・・フィオナが僕の型紙をおむつ代わりに使おうとしていたんです。」「そう・・ねぇトシちゃん、あの子達はこれからどうするの?」「それは僕には関係のないことです。あの子の事は、お父様達が決めますから。」利尋はそう言うと、裁ち鋏で型紙を切り始めた。「信子さん、裁縫室の鍵を僕に下さいませんか?あの子にまた型紙を盗まれないように、ちゃんと自分で管理をしたいので。」「わかったわ。」信子はリビングの壁に掛けてあるキーボックスから裁縫室の鍵を取り出すと、それを利尋に手渡した。「ありがとうございます。」「鎖を通して鍵を首に提げていれば、失くさずに済むでしょう?」「ええ。」 その日の夕方、作業を終えた利尋がダイニングへと入ると、そこには何やら険しい表情を浮かべた歳三が椅子に座っていた。「昼の事は、フィオナから聞いた。」「お父様、彼女は裁縫室に無断で入った上に、僕の大切な物を盗みました。」「今回はフィオナが完全に悪いが、お前も少しはあいつに優しくできねぇか?」「嫌です!あの子は土方家を崩壊させようとしていたんですよ?お父様、僕はもうあの子と同じ空気を吸いたくはありません!」「お止めなさい、利尋。」「お父様、あの子をこの家に置いても、災いを呼ぶだけです!早く彼女をフィリピンに戻してください!」「わかったよ・・」 夕食の後、歳三はフィオナがいる物置部屋へと入った。彼女は娘のマリーに母乳を与えていた。『どうしたの、トシ?』『フィオナ、もう意地を張るのを止めて、フィリピンに戻れ。ここに居たって、お前が辛いだけだ。』『嫌よ、わたしはトシと一緒に居たいの!』『フィオナ・・』歳三がどんなにフィオナにフィリピンに戻れと言っても、彼女は決して首を縦に振ろうとはしなかった。「フィオナさんは、どうでした?」「駄目だ。あいつは意地を張って、フィリピンには戻らねぇって言うばかりだ。」「困りましたね。フィオナさんが居ては、いつか大きなトラブルが起きるかもしれませんね。」 翌朝、歳三達がダイニングで信子と朝食を食べていると、玄関ホールの方から突然女の濁声(だみごえ)が聞こえた。『誰か、居ないのかい?』「わたくしが行って参ります。」千尋がそう言ってダイニングから出て玄関ホールへと向かうと、そこには見知らぬ太ったフィリピン人の女が立っていた。「あの、どちら様ですか?」『フィオナは、わたしの娘は何処に居る!?』女はそう言うと、千尋を睨んだ。にほんブログ村
2013年10月27日
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「信子さん、お願いがあるのですが・・」「なぁにトシちゃん、そんなに真剣な顔をして?」「ミシンを僕に貸していただけないでしょうか?」「いいわよ。トシちゃん、それどうしたの?」信子はそう言うと、利尋(としひろ)が抱えている白い花柄の生地を指した。「これ、奥様の為に作るワンピースの生地なんです。奥様がパーティーに来て行く服がないから、作って欲しいと頼まれてしまって・・」「そう。だったらわたしがトシちゃんに洋裁を教えてあげるわ。」「ありがとうございます、信子さん!」 信子から洋裁を習いながら、利尋は寝る間も惜しんでミシンでメリッサのワンピースを縫った。「出来た・・」三日後、彼は完成したワンピースを持ってジョーンズ家を訪ねた。『まぁ、何て綺麗なの!』『気に入って頂けて、嬉しいです。』『サイズもぴったりだわ。ありがとうトシ、助かったわ!』メリッサはそう叫ぶと、利尋に抱きついた。『素敵なワンピースね、何処で買ったの?』『ああ、これ?これはトシがわたしの為に作ってくれたのよ。』『まぁ、そうなの?』 2週間後、利尋が作ったワンピースを着てメリッサが軍主催のパーティーに出席すると、マクレーン将校の妻・ジェーンがそう言ってメリッサのワンピースを指した。『ええ。トシはとても手先が器用でね、わたしがワンピースを作って欲しいって頼んだから、三日で仕上げてくれたのよ。』『いい子を雇ったじゃないの、メリッサ。ねぇ、その子をわたしにも紹介してくれない?』『ええ、いいわよ。』軍のパーティーから数日後、メリッサに呼ばれて利尋はマクレーン家へとやって来た。『あなたがトシね?』『はい、奥様。』『実はね、あなたにお願いがあるのよ・・娘の発表会の衣装を、あなたが作ってくれないかしら?』『娘さんの発表会の衣装を、ですか?』『わたし、裁縫が苦手でね。でも娘は主役を演じるものだからすごく張り切っちゃって・・衣装が出来ないから役を降ろされるなんてあの子が聞いたらどんな顔をするのか・・』『わかりました。』『ありがとう、ごめんなさいね、図々しいお願いをしてしまって。』『今洋裁を勉強中なんです。大人用の服だけではなく、子ども服も作れるようになりたいと思っているので、いい勉強になると思います。奥様、発表会はいつですか?』『二週間後よ。それまでに、白雪姫の衣装を仕上げてくれないかしら?』 ジェーンの娘・ステファニーの発表会の衣装作りに早速取りかかった利尋は、食事をするのも忘れてスケッチブックに白雪姫の衣装を描き、デザイン画通りに型紙を作った。「トシちゃん、ここにお夜食を置いておきますからね。」「ありがとうございます、信子さん。」「余り無理をしてはいけませんよ。ちゃんと寝ないと、良い物が出来あがりませんからね。」「わかりました。」 翌朝、西田家の裁縫室に入った利尋は、ミシンの前に置いてあった型紙がなくなっていることに気づいた。にほんブログ村
2013年10月27日
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ダイニングでは、件の青年がひっきりなしにご飯を掻き込む音だけが響いていた。「ねぇ父さん、この人は父さんの知り合いなの?」「さぁ・・」「向こうは、お父様の事を知っているようだけど・・」「もしかして、詐欺師の類か何かじゃねぇの?胡散臭いし。」「明歳、どうしてあなたはすぐに人を疑うの?」「だってさぁ・・」「すいません奥様、ご飯おかわりしてもよろしいですか?」「ええ、どうぞ。」「ありがとうございます。」「あの・・あなたは主人と一体どのようなご関係なのですか?」「土方さんとは、同じ部隊に居りました。それよりも以前に、兄が土方さんの会社でお世話になっておりました。」「お前ぇ、名前は?」「佐々木貞夫と申します。」「まぁ、佐々木さんの弟さんなのね?お兄様はお元気?」「兄は、サイパンで戦死しました。」「まぁ・・」「土方さん、こんな事をお願いするのは図々しいと思いますが・・わたしを、雇ってくださいませんか?」「雇うって言ったってなぁ・・空襲で何もかも燃えちまったし・・金もねぇ。」「何でも致します、どうかお願い致します、この通りです!」佐々木青年は椅子から立ち上がると、そう言って歳三に土下座した。「あなた、こうおっしゃっていることですし、雇ってさしあげたら?」「千尋・・」「わたくしはもう、フィオナさんのことであなたを責めません。あなたは戦地で辛い思いをしたのでしょう?」「わかってくれるのか?」「お母様、それでいいの?あんなに取り乱していたのに・・」「あれはわたくしが感情的になってしまって、心にもないことをお父様にぶつけてしまったのよ。わたくしは、お父様とは死ぬまで夫婦でいたいのよ。」千尋はそう言うと、歳三に優しく微笑んだ。「俺、母さんがわからないよ。あんなに酷い事されたのに、父さんを許すなんて・・」「僕だってわからないよ。でも、お父様とお母様が離婚しなくてよかった。」朝食を食べた後、利尋は久しぶりに家政夫の仕事へと向かった。『もうお母様は大丈夫なの?』『ええ。』『あのねトシ、突然で悪いんだけど・・わたしに、ワンピースを作ってくれないかしら?』『奥様のワンピースを、ですか?』『今度、軍のパーティーがあるのよ。でも着て行く服がなくて困っているの。』『そうですか。わかりました、奥様の為にわたしが素敵なワンピースを作ってさしあげます。』『ありがとう、助かるわ!』メリッサはそう言うと、利尋を抱き締めた。『どんなデザインのものに致しますか?』『そうね・・白くて花柄の可愛いワンピースがいいわ。わたしね、いい生地屋さんを知っているのよ。今から行きましょう!』 メリッサからワンピースを作って欲しいと頼まれた利尋は、これがきっかけで洋裁に興味を持つようになった。にほんブログ村
2013年10月26日
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『お願いトシ、わたしと一緒にフィリピンに行くって言って頂戴!』『それは出来ねぇんだ。お前を抱いたことは後悔しているんだ、フィオナ。お願いだから、国に戻ってくれ。』『酷いじゃない、こんなのあんまりよ!』フィオナはそう叫ぶと、歳三の胸を拳で叩いた。「どうなるのかなぁ、お父様とお母様・・」「そんなの、俺にだってわからねぇよ・・」 その夜、兄・明歳と布団を並べて横になった利尋がそう言うと、明歳は溜息を吐いて利尋にそっぽを向いた。「でも・・」「お前ぇ、まさかあの女に同情するとかいうんじゃねぇだろうな?」「そんな事ないよ。」「あの女の所為で、父さんと母さんは離婚することになるんだから、俺はあの女を絶対許さねぇよ。」明歳は吐き捨てるような口調でそう呟くと、眠った。 翌朝、二人が一階のリビングに降りると、そこには千尋と歳三がソファに座っていた。「父さんと母さんは、離婚するの?」「ええ。明歳、あなたはこれからどうするの?」「俺は知り合いの家に行くよ。」「そう・・利尋、あなたはどうするの?」「僕はお父様の実家に行こうと思います。お母様はこれからどうなさるのですか?」「わたくしはお母様の古いご友人を頼って、神戸に行きます。」「そうか・・じゃぁ父さんは、あの女とフィリピンに行くのか?」「俺は何処にも行かねぇよ。出来れば、千尋とお前達と四人でまた暮らしたいと思っているんだ。」「何寝ぼけたこと言っているの、お父様?お父様には僕達の他にも養わなければならない家族がいるでしょう?」利尋はそう言うと、歳三を睨んだ。「利尋・・」「お母様が今までどんな思いで過ごしてきたのか、わかる?満州で終戦を迎えて、命からがら日本に引き揚げた時も、お母様はお父様のことを心配していたんだよ!それなのにどうして、お母様を裏切ったの!?」「済まない・・」「僕じゃなく、お母様に謝ってよ!」「千尋・・」「明歳、利尋、どうかお父様を恨まないで頂戴。恨みや憎しみを抱いたままお父様と別れると、それを一生引き摺る事になりますよ。」「お母様は、お父様が憎くないの?」「それは・・まだわからないわ。」千尋がそう言って歳三を見た時、突然玄関ホールの方から大きな音が聞こえた。「何かしら?」「泥棒か?」 四人が玄関ホールへと向かうと、そこには垢と埃に塗れた一人の青年が倒れていた。「おい、どうした?しっかりしろ!」歳三がそう言って青年を揺さ振ると、彼はじっと歳三を見た後、彼に抱きついた。「土方さん、お会いしたかった!」「な、なんだてめぇは?」突然やって来た闖入者(ちんにゅうしゃ)に抱きつかれ、歳三はうろたえた。「お願いです、ここに置かせてください・・」そう言った後、青年は気を失った。「こいつ、どうする?」「ここに寝かせておく訳にはいかねぇだろ?和室に運ぶぞ。」「う、うん・・」 数分後、歳三に呼ばれて西田家にやって来た医師は、和室に寝かされている青年を診察した後、歳三達にこう言った。「ただの栄養失調だな。彼に何か滋養のある物を食べさせなさい。」にほんブログ村
2013年10月26日
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「ただいま・・」「利尋、父さんがフィリピン娘を孕ませたって、本当か?」「そうだよ。あの子・・フィオナっていうんだけど、お父様の子をさっきリビングで産んだんだ。でも、それをお母様が見ちゃって・・もしかしたら、お父様とお母様、離婚するかもしれない。」「そんな・・」明歳の顔が怒りで歪むのを見て、利尋は咄嗟に兄を引き留めようと彼の腕を掴んだ。「何処に行くの、お兄様?」「父さん達の所だよ!父さんを一発殴らねぇと俺の気が済まねぇんだよ!」「やめて!」「お前ぇは父さんの肩を持つっていうのかよ!?」「違う、そんなんじゃない!」「じゃぁ、あのフィリピン娘が我が物顔してここに住むのを許せって、お前はそう言いたいのか?あいつ、俺達とそう年が変わらないんだぞ!」「僕はあの子にここには居て欲しくないと思っているよ!でも・・」「でも、何だよ?」「あの子が、可哀想で・・」「お前、何処までお人よしなんだ!どうせ金目当てに決まってる!」明歳はそう言うと、リビングから出て行った。 彼が和室へと向かうと、中から歳三とフィオナの声が聞こえて来た。『トシ、あなたがこの子の名前をつけて。』『フィオナ、俺は・・』『お願い、この子と一緒に、フィリピンに住んで頂戴。トシとなら・・』フィオナが何と言っているのか、明歳には解らなかったが、彼女が自分達から母親を奪おうとしているのはわかった。「父さん、さっさとこの娘をここから追い出せよ!」「明歳、落ち着け。」「父さん、もしかして母さんと別れて、こいつと一緒になるんじゃねぇだろうな?」「お前達には関係ねぇことだ、お前ぇは引っ込んでろ。」「そうか・・それが、父さんの答えなんだな?」怒りで血が沸騰しそうだった。明歳は怯えた目で自分を見つめているフィオナの腕を掴むと、彼女を和室から追い出した。「さっさとこの家から出ていけ、売女!」『痛いわ、離して!』フィオナと明歳が揉み合っている背後で、寝ていたフィオナの娘が目を覚まして泣き出した。「いいか、お前達には一銭もやらないからな!わかったらさっさと・・」「止めなさい、明歳!」「母さん・・」明歳とフィオナの間に割って入った千尋は、息子を睨みつけるとこう言った。「フィオナさんには当分の間、ここに居て貰います。」「本気か、母さん!?この女は・・」「少し落ち着きなさい、明歳。」「母さん・・」「千尋、俺は・・」「歳三様、離婚の事は後で二人だけで話し合いましょう。」千尋はそう言うと、フィオナを見た。『あなたが、トシの奥さん?』『そうよ。』フィオナは敵意に満ちた目で千尋を睨んだ。『トシはわたしと一緒にフィリピンで暮らしたいと言っているの。』『フィオナ、俺はお前とは暮らせねぇ。だからお前は国に帰れ。』歳三の言葉を聞いたフィオナは彼に抱きついたまま離れようとしなかった。『嫌よ、嫌!わたしはトシと一緒に居たいのよ!』にほんブログ村
2013年10月25日
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『痛い、痛いよマミー!』陣痛に襲われ、フィオナは泣き叫びながら歳三の手を握り締めた。「お父様、ここで赤ん坊を取り上げるのは無理だよ。病院に運ばないと・・」「どうなさったの、歳三さん?それに利尋(としひろ)さん、その子は誰?」歳三と利尋が陣痛に苦しむフィオナの前であたふたとしていると、そこへ病院から帰宅した信子が現れた。「信子さん、実は・・」「こいつが急に産気づいちまって・・ソファに寝かせたんだが・・」「破水はしたの?」「ああ、だが・・」「ちょっと退いてくださる?」信子はそう言って歳三を押し退けると、フィオナの陰部を見た。「子宮口が完全に開いているわね。病院に運んでいる時間はないから、ここで赤ん坊を取り上げるしかないわ。」「そんな・・」「利尋ちゃん、この子を落ち着かせて。」「はい・・」利尋は信子の言葉に頷いてフィオナを落ち着かせようとしたが、彼女は早口のダガログ語で何かを捲し立てた。「何て言っているの?」「わかりません・・」『フィオナ、落ち着け。』『助けてトシ、死んじゃう!』『ゆっくり呼吸しろ。そうだ、上手いぞ。』「赤ちゃんの頭が出て来たわ!もう少しよ!」『フィオナ、息め!』 フィオナは最後の力を振り絞り、呻いた。その直後、元気な産声がリビングに響いた。「可愛い女の子よ。」信子はそう言ってフィオナに赤ん坊を見せると、フィオナは嬉しそうに笑った。『トシ、あなたの子よ。』『フィオナ・・』「あなた、その子は誰?」突然背後から声がして歳三が振り向くと、そこには浴衣姿の千尋が立っていた。彼女は歳三とフィオナを交互に見つめながら、夫と見知らぬ少女がどんな関係であるのかを瞬時に悟った。「千尋、これは・・」「あなたは、戦地で現地の女を孕ませていたのね!酷い裏切りだわ!」千尋はそう叫ぶと、歳三の頬を平手で打った。「千尋、お前を傷つけるつもりはなかったんだ、許してくれ!」「子が産めないわたくしはもう用済みだと言うわけですね。わたくしはこの家から出て行きます。」「お母様、はやまった行動はなさらないで!」「千尋様、落ち着きましょう。余り感情的になってはいけませんよ。」信子はそう言うと興奮している千尋を優しく宥めると、彼女を連れてリビングから出て行った。「僕も、お母様の様子を見て来るよ。お父様は、自分の娘の面倒でも見ていてよ。」利尋は歳三に冷ややかな視線を送ると、リビングから出て信子達の後を追った。 病室に戻った千尋は、悔し涙を流し、夫と離婚する決意を固めた。「わたくしはあの人の事をずっと待っていたのに、あの人は戦地で若い現地の娘と乳繰り合っていたのだわ!」「千尋様、これから歳三様とよく話し合った方がいいわ。」「いいえ、歳三様と話し合う必要などありません。彼とは、離縁します。」 病室の外で信子と千尋の会話を聞いていた利尋は、ショックで暫く動けなかった。にほんブログ村
2013年10月25日
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1944年、フィリピン。7月にはグアム・サイパンが米軍によって陥落し、歳三達が居る部隊は、ルソン島を死守する為米軍と激戦を繰り広げていた。しかし米軍の空爆により食糧や物資などを失い、圧倒的に兵力が勝っている米軍に日本軍は次第に追い詰められていった。「もう駄目だ・・」「俺達は、ここで死ぬのか?」ボルネオ島のジャングルで、兵士達は飢えや渇き、そしてマラリアといった伝染病に苦しんだ。戦闘で敵の銃弾に撃たれて死ぬ方が、伝染病に感染してジワジワと苦しみながら死ぬよりもマシだった。「お願いだ、殺してくれ~!」「青酸カリを、青酸カリをくれ!」伝染病に罹った兵士達は、下痢と嘔吐に苦しみながら軍医に自決用の青酸カリをねだった。中には気が触れ、先に死んだ仲間の遺体に湧いている蛆虫を鷲掴みにして食べている者も居た。 まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。 そんな中、歳三も運悪くマラリアに罹ってしまった。 頭痛と高熱に苦しみながら、歳三は混濁した意識の中で必死に家族の笑顔を思い出そうとしていた。 ここで死んだら、二度と家族には会えなくなってしまう―そんな思いを抱えながら病に苦しむ歳三を救ってくれたのは、野戦病院で看護婦をしていた15歳の少女、フィオナだった。フィオナはかいがいしく歳三の看病をしてくれた。『ありがとうフィオナ、お前のお蔭ですっかり良くなったよ。』『じゃぁ、お別れね。』フィオナはそう言うと、悲しそうな顔をして歳三を見た。『わたし、あなたのことが好き。だから、あなたに抱いて欲しいの。』『フィオナ、それは出来ねぇ。俺には、妻が居る。』『それでもいい。あなたとの子どもが欲しいの。お願いトシ、わたしを抱いて。』そう言って自分を見つめるフィオナを、歳三は拒めなかった。「じゃぁ、フィオナさんのお腹の子は・・」「俺の子だ。」「お母様は、この事は知っているの?」「一生黙っていようと思った・・フィオナとのことは、もう終わったと思っていたんだ。」「酷いよお父様、僕達がどんな思いでお父様の帰りを待っていたか・・それなのに、どうしてお母様を裏切るようなことをするの!」「済まない・・」「僕にではなくお母様に謝ってよ!」利尋が歳三を激しく詰っていると、突然フィオナが大きなお腹を押さえて苦しみ始めた。『フィオナ、どうした?』歳三と利尋がフィオナの方に駆け寄ると、彼女は英語で“ベイビー”と呟いて呻いた。ふと歳三が彼女の足元を見ると、そこには水たまりのようなものが出来ていた。「まさか、子どもが生まれるのか?」「そうみたい。僕、お湯を沸かしてくる!」 歳三はフィオナを横抱きにすると、リビングのソファに彼女を横たえた。「フィオナ、大丈夫か?」『痛い、痛いよトシ!』フィオナは歳三の手を握ると、痛みの余り叫んだ。にほんブログ村
2013年10月25日
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「残念だが、あんたの奥さんはもう子どもが産めん身体になった。」「それは一体、どういうことでしょうか先生?」「あんたの奥さんの子宮を切開した後、胎児は既に死んでいた。それに子宮に大量の膿が溜まっていて、もう少し遅かったら敗血症であんたの奥さんは死ぬところだったんだ。奥さんの命を救う為には、子宮を摘出するしかなかった。」「そうだったんですか・・」「それとな、胎児の手足には奇形が見られた。」「奇形、ですか?」「ああ。手足が鰭(ひれ)のようになっていた。どの道死なずに産まれても、せいぜい生きられるのはほんの数時間だけだったろう。」医師から残酷な言葉を聞いた歳三は、ショックを受けた。「父さん、母さんは?」「母さんは無事だったが・・腹の子は駄目だった。」「そう・・でもさ、こんな事を言うのはどうだと思うけど、これで良かったんじゃないの?」「明歳・・」「父さん、母さんをこれから大切にしてやれよ。」明歳はそう言うと、歳三の肩を叩いて病院から出て行った。「あなた・・赤ちゃんは?」「駄目だった。千尋、お前は・・」「どうかなさいましたか?」「腹の子は、先生が帝王切開した時にはもう死んでいたそうだ。子宮に膿が溜まって、摘出するしかお前が助かる方法はなかったんだ。」「そんな・・」子宮を失った事を歳三から告げられ、千尋は涙を流した。「俺が悪いんだ、俺を恨んでくれ・・」「いいえ、これで良かったのです。」 千尋が子どもを死産し、彼女は暫くの間入院する事になり、その間利尋が家事をすることになった。『お母様はどう?もう大丈夫なの?』『ええ。ただ感染症の危険があるので、暫く入院する事になりそうです。すいません、仕事を休んでばかりいて・・』『いえ、いいのよ。あなたは大変なんだから、無理しないで。』そう言ったメリッサは、利尋に食料品が入った紙袋を手渡した。『ありがとうございます、奥様。』 帰宅した利尋が西田家のキッチンで夕飯の支度をしていると、玄関ホールから声がした。「どちら様ですか?」エプロンを付けたまま利尋が玄関ホールへと向かうと、そこには大きなお腹をしたフィリピン人の少女が立っていた。「あの・・あなたは?」利尋がそう少女に尋ねると、彼女は突然ダガログ語で話し始めた。「すいません、わからないんです。」利尋が胸の前でバツ印のジェスチャーをすると、少女は何処か興奮した様子で彼に詰め寄った。「あ、あの・・」「どうしたんだ、利尋?」「お父様、この人が何か僕に伝えたいようなんですけど、言葉が解らなくて・・」歳三の姿を見た少女は、突然彼に抱きついた。『トシ、会いたかった!』『フィオナ・・』『あなたに会う為に、日本に来たの!』少女―フィオナは、そう言うと歳三に微笑んだ。「お父様、その子を知っているの?」「ああ。フィリピンに居た時、こいつに世話になったんだ。」歳三はそう言うと、フィリピンに居た時の事を静かに話し始めた。にほんブログ村
2013年10月25日
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「子どもの事で、お話がございます。」「もしかしてお前ぇ、中絶するつもりか?」「はい。」「俺は反対だぞ。お前ぇ、もう忘れちまったのか?明歳達を授かる前に、お前ぇなかなか妊娠できなくてその事で散々苦しんでいただろ?」「それとこれとは話が別です。お願いしますあなた、今回だけは折れてください。」「嫌だ。」「あなた・・」歳三は千尋を抱き締めると、荒々しく彼女の唇を塞いだ。「俺はお前ぇに腹の子を産んで欲しい・・産んで欲しいんだよ!」「あなた、落ち着いてください。」自分の胸に顔を埋めてしゃくり上げる歳三の頭を、千尋は優しく撫でた。「俺は、戦場で地獄を見て来た・・毎日目の前で、人が死ぬのを目の当たりにして、俺は生きてぇと、お前ぇ達の元に帰りてぇといつも願っていた・・」「あなたは戻って来たじゃありませんか、わたくし達の元に・・」「俺がお前ぇを抱いたのは、もう一度お前ぇに俺の子を産んで欲しいと思ったからだ。俺の生きた証を残して欲しいんだよ、頼むよ・・」「あなた・・」千尋は、歳三の頭を撫でながら、腹の子を産むことを決めた。「正気なの、千尋様!どうなるかわかって言っていらっしゃるの?」「ええ、本気よ。わたくしはあの人の為に、この子を産むわ。たとえこの子に会えなくなるとしても・・」「そんな・・」「母さん、やめろよ!幾つだと思ってんだよ!?」 千尋が出産すると聞いた信子と明歳は、彼女を何とか説得しようとしたが、失敗に終わった。「明歳、わたくしはお父様に生きる希望を与えたいのよ。戦争で傷ついたあの人の心を、癒してさしあげたいの。」「母さん・・」「もしわたくしが居なくなったら、お父様をお願いね。」「わかったよ・・」 瞬く間に季節は過ぎてゆき、臨月を迎えた千尋は大きなお腹を抱えながら病院の清掃をしていた。「千尋様、あなたは休んでいてくださいな。余り無理をしてはいけませんよ?」「大丈夫です、これ位・・」千尋がそう言って信子に微笑んだ時、彼女は突然激痛に襲われ、その場に蹲った。「どうなさったの、千尋様!?」「陣痛が・・」「まぁ、大変!誰か、この方を病室に運んで頂戴!」 数人の看護婦に両脇を支えられ、病室のベッドに寝かされた千尋は、陣痛に呻いた。「こりゃいかん、帝王切開をしないと二人とも死ぬぞ!」「先生、二人を助けてくださいな!」「任しておけ!」 手術室に運ばれた千尋の子宮を切開した医師は、胎児が既に死亡しているのを確認した。「先生、血圧が下がっています!子宮に大量の膿が溜まっています!」「このままだと母体が危険だ、子宮の摘出手術に取りかかるぞ!」 信子から千尋が産気づいたことを知り、歳三と明歳達が病院へと駆けつけると、手術室の前で信子が彼らを待っていた。「信子さん、千尋は・・腹の子は無事なのか!?」「それが・・」 信子が次の言葉を継ごうとした時、手術室のドアが開いて中からストレッチャーに載せられた千尋が出て来た。にほんブログ村
2013年10月25日
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「千尋さん、あなたまさか・・」 信子にそう言われ、千尋は自分が歳三の子を妊娠していることに気づいた。「そんな・・もう閉経したと思っていたのに・・」「閉経には個人差があるのよ、千尋さん。本当に、間違いないの?」「ええ。」「一度病院で診て貰ったら?」信子に勧められ、千尋は病院へ行った。「おめでとうございます、9週目に入っておりますよ。」「そうですか・・」「ただ、奥さんの年齢がね・・確か息子さん達を産んだのは、32歳の時でしたね?」「ええ。」「46歳となると、母体や胎児に負担が掛かりますし、生まれて来る赤ちゃんが障碍を持つ可能性が高いです。ご主人とよく話し合ってから、またこちらにいらしてください。」「わかりました・・」 病院を出た後、千尋は溜息を吐いた。 明歳達を産んだ時、まだ千尋は若くて体力があったが、今は違う。この子は諦めるしかないのか―そう思いながら千尋が帰宅すると、歳三が彼女に笑顔を浮かべて彼女の元へと駆け寄ってきた。「なぁ、さっき信子さんから聞いたけど・・」「今9週目に入っているところだと、お医者様から言われました。」「そうか。」「あなた、この子は諦めようと思います。」千尋の言葉を聞いた歳三の顔から、笑顔が消えた。「中絶する気なのか?」「ええ。わたくしの年齢を考えれば、お腹の子を諦めるしかありません。もし無事にお腹の子が生まれたとしても、何らかの障碍を持って生まれて来る可能性が高いと・・」「そんなの、わからねぇだろ!なぁ千尋、産んでくれよ!」「お願いですあなた、わかってください。」千尋はそう言って自分の肩を掴んでいる歳三の手をそっと振りほどき、和室に入った。「千尋さん、どうなさるおつもりなの?」「歳三様は、産んで欲しいと・・でも、わたくしは諦めようと思っているの。」「千尋様だけの問題ではないわよ。歳三様だって責任重大よ。ちゃんと夫婦で話し合ってちょうだい。」「わかっているわ、そんなこと・・」「母さんが妊娠?それ、本当なのか父さん?」「ああ・・」「そりゃぁ、子どもが出来るようなことをすれば、妊娠するだろうよ。父さん、母さんの身体の事を気遣ってやれよ。」「わかってるよ、そんな事。」「歳三さん、お話があります。」千尋はそう言って歳三の手を掴むと、リビングから出て行った。「ちょっと和室まで来てくださいますか?」「ここでいいだろ?」「夫婦だけで話したいのです。」「わかった・・」 和室に入った千尋は、彼の前に置いてある座布団の上に腰を下ろした。にほんブログ村
2013年10月25日
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「お父様、そちらの方はどなたなの?」「こいつは、春を孕ませて逃げやがった男だ。おい誰か、木刀持って来い!」「お止め下さい、あなた!落ち着いてくださいな!」千尋は怒り狂う夫を鎮めようと彼の腰に抱きついたが、歳三は邪険に千尋を振り払った。「春さんに、僕はとんでもないことをしてしまいました!お願いです、春さんに会わせてください!」「てめぇからあいつを捨てた癖に、何ふざけたことを言っていやがる?」歳三はそう言って土下座した青年の髪を掴むと、拳で彼の頬を殴った。「あなた、暴力は止してください!」「春はお前ぇの子を産んで死んだんだ!てめぇの面なんか二度と見たくねぇ!」「そんな・・」春の死を知らされ愕然とする青年を歳三は無理矢理立たせると、彼を外へと追い出した。「あなた・・」「春も可哀想に、あんな男に弄ばれて、騙されて・・赤ん坊と一緒に死んだ時、どんなに無念だったか・・」歳三はそう言うと、乱暴に手の甲で涙を拭った。「千尋さん、話があるのよ。」「何ですか、育実さん?」「あたし、このままちえみ達を育てる自信がないの。だからね、ちえみをあなたが貰ってやってくれないかしら?」「そんな・・弱気になってはいけませんわ、育実さん!」「上の三人の娘達は結婚して独立したけど、ちえみ達にはこれから先色々とお金が掛かるのよ・・今のあたしの稼ぎじゃ、四人の子どもを育てるのは無理だわ。」 女手一つで娘達を育てている育実の収入は微々たるもので、育実はちえみと幼い三人の妹達を養う自信がなかった。「もう無理よ・・ちえみは歳三さんになついているから、きっとあなたにもなつく筈よ。だからお願い・・」「育実さん・・」「あたしだってこんな事はしたくないんだよ。でも、こうするしかちえみ達が生き延びる道は他にはないんだよ。」「わたくし一人だけでは決められません。お願いですから、時間を下さい。」「わかったわ・・」 春の四十九日の法要が終わった後、土方家に一組の夫婦がやって来た。「弥生ちゃん達はどちらに?」「あの、あなた方は・・」「いらっしゃいませ、どうぞ。」育実は笑顔をその夫婦に浮かべると、彼らを娘達が居る部屋へと案内した。「この子が七女の弥生と、八女の千江です。どうぞ、娘達のことを宜しくお願い致しますね。」「ええ。お子さん達を大切に育てますわ。」「宜しくお願い致します。弥生、千江、中川様の言う事を良く聞くんだよ。」「母ちゃんは、あたし達とは一緒に行かないの?もう会えないの?」「いつかきっと会えるから、心配は要らないよ。」 育実は自分達が置かれている状況が理解できずにいる幼い娘達を抱き締めると、夫婦に手をひかれて土方家を後にする彼女達の姿が見えなくなるまで手を振った。「育実さん・・」「こうするしかないんだよ。こうするしか・・」育実はそう言うと、玄関先に蹲って嗚咽した。「千尋様、お帰りなさいませ。色々と、大変だったでしょうね?」「ええ。ごめんなさいね信子さん、病院を休んでしまって・・」「いえ、いいんですよ。それよりもお夕飯まだでしょう?わたくしちらし寿司とお吸い物を作りましたから、どうぞ頂いてくださいな。」「ありがとう・・」信子に礼を言って千尋がちらし寿司が入っているお櫃を開けた途端、彼女は突然激しい吐き気に襲われた。にほんブログ村
2013年10月25日
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春が赤ん坊とともに亡くなり、土方家では彼女達の葬儀の準備に慌ただしく追われていた。「可哀想にねぇ。」「まだ29だったのに・・」葬儀を手伝いに近隣の村から来た婦人会の女性達が、そう言いながら台所で炊事を手伝っていた。「千尋さん、あなた春ちゃんの出産を介助したんでしょう?あの子から何か聞いていない?」「何かって・・」「赤ん坊の父親について、何か言ってなかった?」「いいえ。」詮索めいた視線を自分に送る女性達にそう言うと、千尋は育実(いくみ)が居る大広間へと向かった。「母ちゃん、お腹空いたよ~!」「ご飯まだぁ~!」 春の棺に取り縋って泣いている育実を、三人の幼い娘達が空腹を訴えながら彼女の身体を揺さ振っていた。「あなた達、ご飯は後で頂きましょうね。」「やだぁ~!」「ご飯食べるの!」「うるさい、あんた達は姉さんが死んだっていうのに何とも思わないのかい?」育実はそう叫ぶと、自分の近くに居た六女・ちえみの頬を打った。「あんた達なんかあたしの子じゃない!」「育実さん、落ち着いて。さああなた達、わたくしと一緒にいらっしゃい。」泣き喚くちえみ達の手を引いて、千尋は歳三が居る部屋へと向かった。「どうしたんだ?」「母ちゃんご飯作ってくれない、母ちゃん嫌い!」「この子たち、春ちゃんが亡くなったことがわからないんです。だから育実さんが・・」「ちえみ、こっち来い。」歳三はちえみに手招きすると、彼女は彼の胸に飛び込んで嗚咽した。「お前ぇの母ちゃんは、今お前ぇの姉ちゃんが死んで悲しいんだ。だからそっとしておいてやろう、な?」「母ちゃん、あたし達のこと嫌いになった訳じゃないの?」「そうだよ。」歳三の言葉を聞いたちえみは安心したのか、いつの間にか彼の胸に顔を埋めて眠ってしまった。「歳三さん、すいません・・」「いいんだ。お前ぇは育実を手伝ってやれ。」「わかりました・・」「父さん、俺達にも何か出来ること、あるかな?」「力仕事はお前ぇに任せる。それよりも利尋、仕事には行かなくていいのか?」「行きたいけど、こんな状況じゃぁ・・」「先方に連絡したんならいいけど、無断欠勤はするなよ。忌引き休暇を貰うんだったら、あちらさんにもちゃんと説明しないといけないぞ?」「わかった・・」 父の実家を後にした利尋は、ジョーンズ家に向かった。『父方の従姉が亡くなったので、当分の間お休みを頂きたいのですが・・』『そうなの。いつお亡くなりに?』『昨夜です。彼女は出産して赤ん坊と一緒に亡くなりました。』『可哀想に・・その人のお母様に、余り気を落とさないで欲しいと伝えて頂戴。』『はい、必ず伝えます。』 ジョーンズ家を出て利尋が土方家へと戻ると、玄関先で歳三の怒声が聞こえた。「てめぇ、どの面下げてここに来やがった!?」「申し訳ございません・・」「お父様、どうしたの?」 利尋がそう言って玄関先を覗くと、そこには怒り狂っている歳三と、彼の前に土下座している青年の姿があった。にほんブログ村
2013年10月25日
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歳三が退院してから一週間後、両親に連れられて明歳と利尋は多摩にある歳三の実家へと向かった。「あらぁ二人とも、大きくなって!」「アキは歳に似て男前になったねぇ!」両親の後に続いて明歳と利尋が土方家の大広間に入った途端、二人は数人の女性達に取り囲まれ、半ば強制的に彼女達の間に座らせられた。「歳、あんたよく帰って来たわねぇ!」「ホントよ、育実(いくみ)ちゃんの旦那は、南方で死んぢまったからねぇ・・子ども9人も抱えてこれから先どうするんだか・・」「あいつ、そんなに生活が苦しいのか?」「まぁね。四女の春ちゃんが兄妹達の世話や家事を手伝ってくれているんだけど、あの子臨月だからねぇ。いつ産気づいてもおかしくないのよ。」「あいつが臨月?旦那は何処に居るんだ?」「それがねぇ、未婚の母なのよ。相手とはわけありでさ。」「そうか・・」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。「為次郎お義兄様はどちらに?」「為次郎さんなら、去年の冬に風邪をこじらせて亡くなったわ。」「え・・お亡くなりになられたのですか?」「ええ。あんた達にも伝えたかったんだけど、満州があんな事になっていたから・・あんた達ももしかして、って思ってねぇ・・」「そうですか。」 為次郎の死を知った千尋は、悲しみで胸が張り裂けそうだった。「誰か、誰か来てぇ!」廊下で慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、育実が何やら慌てた様子で大広間に入ってきた。「どうしたの、育実ちゃん?」「春が・・あの子が産気づいたのよ!布団に寝かせたけど、あの子苦しそうに呻いて・・」「産婆は呼んだの?」「呼んだけど、来るまで二時間以上もかかるって・・あたし、どうしたらいいのか・・」「わたくしが行きます。育実さん、春ちゃんの部屋に案内して。」「わかりました。」 育実とともに、千尋が春の部屋へと入ると、布団に寝かされた彼女は陣痛に苦しみ、額に脂汗を滲ませながら呻いていた。「ちょっと起きましょうね、春ちゃん。仰向けのままではなかなか産まれませんからね。ゆっくり呼吸して・・そうそう、上手よ。」千尋は春の背を擦りながら、彼女に息むように命じた。「大丈夫かな・・」「お前ぇ達が生まれた時も、千尋も今の春みてぇに苦しんだんだ。双子だったから、二倍も陣痛に苦しんだ。」「そうだったんだ・・」 大広間まで春が陣痛で呻く声が聞こえ、利尋は春の身を案じた。「痛い、痛い~!」「大丈夫、あと少しだから・・」「痛い~!」 産道が狭い所為でなかなか赤ん坊が降りてこず、難産の末春は命を落とした。「赤ん坊は?」「駄目だったわ。」千尋はそう言うと、春の顔に白い布を掛けた。「春はどうなった?」「駄目でした。彼女の赤ちゃんも・・」にほんブログ村
2013年10月24日
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「おやめください・・」「いいだろう、減るもんじゃねぇし。長い間むさ苦しい男どもの中に居て、溜まってんだよ。」歳三の手が千尋の乳房から、陰部へと伸びた。彼が指で彼女の陰核を擦ると、千尋は微かな呻き声をあげた。「いいだろう?」 明歳が歳三の病室へと向かうと、中から苦しそうな呻き声が聞こえたので、彼はそっとドアの隙間から中を覗いた。ベッドの上で四つん這いになっている千尋を、歳三が背後から貫いていた。「アキちゃん、どうしたの?」「別に・・信子さん、今は入らない方がいいぜ。」「アキちゃん?」 病院から帰宅した明歳は、ベッドに顔を突っ伏して寝た。「どうしたんだろうお兄様、どこか悪いのかな?」「放っておきなさい、トシちゃん。」「お母様も居ない。まだ病院に居るのかな?」「トシちゃん、先にご飯を頂きましょう。」「う、うん・・」千尋が西田家に帰ってきたのは、翌朝の事だった。「千尋様、昨夜はどちらに?」「少し、病院に・・」「夫婦ですものね。あなたが歳三様と何をしていたかなんて、わたくしは聞くつもりはありませんわ。けどね、アキちゃんやトシちゃんの気持ちを少し考えて欲しいのよ。」「信子さん・・」「二人とも、もう年頃なのよ。赤ん坊がどうやって出来るのかもう知っているわ。わたくしが言いたいのはそれだけよ。」信子は冷淡な口調でそう千尋に言い放つと、キッチンから出て行った。 一ヶ月後、歳三は無事に退院する事になり、西田家では彼の退院を祝うパーティーが開かれた。「今夜は凄いご馳走だなぁ。」「今日はトシちゃんがジョーンズさんからお肉やお野菜を頂いたのよ。そうよね、トシちゃん?」「そうか。トシ、仕事は慣れて来たか?」「はい、お父様。奥様もジョーンズ様も優しいです。」「変な事はされてねぇだろうな?」「何言ってんだよ父さん!こいつがいくら可愛くても、ジョーンズさんは男に手は出さないよ!」「そうか、なら安心した。」 その日の夜、兄と同じ部屋で寝ていた利尋(としひろ)は、両親が寝ている和室から呻き声が聞こえるのが気になり、一階へと降りていった。 彼が和室の前に立つと、擦りガラス越しに全裸の両親のシルエットが見えた。利尋は少しパニックに陥り、その場から暫く動けなかった。「何してる?」「お兄様・・」「行くぞ。」明歳はそう言って乱暴に弟の手を引くと、二階の部屋へと戻っていった。「お父様とお母様は、何であんなことを?」「そりゃぁ、夫婦だからに決まってんだろ?」「でも・・」「何も見なかったことにしておけ、いいな?」「わかったよ・・」 両親のセックスを目撃した利尋は、その夜一睡も出来なかった。にほんブログ村
2013年10月24日
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「父さん、どうだった?」「暫く入院する事になりそうよ。」「そう・・」 西田家に戻った千尋は明歳(あきとし)にそう言うと、そのままキッチンへと向かった。「ごめんください、誰か居ませんか?」「お母様、僕が行きます。」 利尋が玄関ホールへと向かうと、そこには血と泥で汚れた陸軍の軍服を纏った青年が立っていた。「あの、あなたは?」「こちらにお世話になっている土方利尋と申します。」「そうですか。わたしは山下と申します。こちらのご主人・・西田博章さんと同じ部隊におりました。」「博章様と?では・・」「残念ながら、西田さんはパプア=ニューギニアで戦死されました。本日こちらに伺ったのは、西田さんの遺骨と遺品を・・」「利尋さん、そちらの方はどなたです?」「信子さん・・」利尋が帰宅した信子を見ると、彼女は青年を見た。「西田さんの奥様でいらっしゃいますね?」「ええ。西田がどうかなさいましたか?」「実は・・」青年から夫が戦死したことを知らされ、信子は夫の遺骨を胸に抱いて号泣した。「まぁ、何てことでしょう。博章さんが亡くなられたなんて・・」「夫は軍医として、立派に働いてお国の為にその命を捧げました。わたくしは夫を誇りに思います。」そう言って千尋達の前では気丈に振る舞った信子だったが、夕食も取らずに家を出てそのまま病院へと向かった。「信子さん、どうしたんだ?」「歳三様、わたくしの願いを一つだけ聞いてくださいますか?」「ああ、いいが・・」信子が少しおかしいことに気づいた歳三がそう言って彼女を見ると、彼女は突然歳三に抱きついてきた。「おい信子さん、どうしたんだ?」「お願いです、わたくしを抱いて下さい!」「それはできねぇよ。あんたを抱けば、あんたの旦那に怒られちまう。」「夫は死にました。」「自棄を起こすな。生きてりゃ、何とかなる。」「・・すいません、帰ります。」 信子が帰宅してリビングに入ると、千尋がソファから立ち上がり、彼女の方へと駆け寄った。「信子さん、お顔が真っ青よ。暫く病院の方は休まれた方が・・」「いいえ。夫が遺してくれた病院を、妻であるわたくしが守らないといけませんわ。休んでいる暇などありません。」「ですが・・」「どうかわたくしのことは心配なさらないでください。」信子はそう言って千尋に微笑むと、リビングから出て行った。 数日後、千尋が歳三の病室に入ると、彼は千尋の手を掴んでそのまま自分の方へと引き寄せた。「あなた、どうなさったのですか?」「最近人肌が恋しくてな。」 歳三はそう言うと、千尋の乳房を揉み始めた。にほんブログ村
2013年10月24日
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「お父様は、今どちらに?」「病院に入院していますよ。今は千尋様が付き添っておられます。」「案内してください。」 信子とともに病院へと向かった利尋(としひろ)は、そこで父・歳三と再会した。「お母様!」「静かになさい、お父様が起きてしまいますよ。」千尋はそう言うと、ベッドで眠っている歳三の頬をそっと撫でた。「こんなに痩せてしまって・・」「信子さん、お父様はどうしてこんなに痩せてしまわれたのですか?」「それはわたしにもわかりません。でも、歳三様はわたしが発見した時全身泥と垢にまみれて、衰弱していました。」「きっと戦地からわたくし達の元に帰るまで、辛い思いをなさったのでしょうね。」千尋はハンカチで目元を押さえると、歳三の手を握った。すると、歳三は低く呻いてゆっくりと目を開けた。「千尋・・千尋なのか?」「ええ、そうですよ。お帰りなさい、あなた。」「ただいま。長い間、お前に辛い思いをさせたな・・」そう言うと歳三は、千尋の隣に立っている利尋を見た。「大きくなったな、利尋・・」「お帰りなさい、お父様。」「これで、家族四人仲良く暮らせるな。」「ええ。」「信子さん、ちょっと宜しいかしら?」「わかりました。」 千尋は信子と共に歳三の病室から出て、応接室に入った。「信子さん、主人は、大丈夫なの?」「ええ。栄養失調で衰弱死寸前だったので、栄養剤を点滴しました。それよりもわたし、気になる事があるのです。」「気になる事?」「ええ。歳三様に浴衣を着せた時、彼の背中に無数の刀傷があったのです。それに、内股が酷く鬱血(うっけつ)していて・・恐らく、歳三様は上官から日常的に暴行を受けていたんじゃないかと・・」「まぁ・・」「暫くここで入院する事になりますけど、その間わたくしが歳三様を見ていますから、千尋様は何も心配なさらないでくださいね。」「わかりました。信子さん、主人の事をどうか宜しくお願い致しますね。」千尋はそう言うと、信子に頭を下げた。「お父様、いつ僕達と一緒に暮らせるの?」「それはまだわかんねぇな。今は便所に行くことすら人の手を借りねぇと出来ねぇ状態だから・・せいぜいここに一ヶ月くらい入院する必要があるな。」「そう・・あのねお父様、僕ジョーンズさんの家で家政夫として働き始めたんだ。今日奥様からこんなにお給料頂いちゃったの!」利尋はそう言ってハンドバッグから封筒を取り出すと、嬉しそうに歳三にそれを見せた。「お前ぇ、米兵の家で働いてるのか?」「そうだよ、どうしたのお父様・・」「てめぇ、それでも日本男児か!」歳三はそう叫んで利尋を睨むと、突然平手で彼の頬を打った。「止めてください、あなた!」「千尋、何でこいつを敵の家で働かせているんだ?あいつらが俺達にしたことを、もう忘れたっていうのか?」「わたくしだって、利尋を憎い敵の家で働かせたくありませんよ!でもそうするしか、わたくし達の暮らしが成り立たないんです!あなた、どうか辛抱なさってくださいな!」「畜生、畜生・・」 歳三は悔し涙を流しながら、シーツを拳で何度も殴った。「利尋、お父様を憎んではなりませんよ。お父様は・・」「わかっています、お母様。何も言いませんから。」にほんブログ村
2013年10月24日
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『メリッサ、わたしよ、エミリーよ!』『来てくれたのね、嬉しいわ!』 利尋(としひろ)がドアを開けると、エミリーがそう言ってメリッサに抱きついた。『トシ、お客様にワインを持っていってくれないかしら?わたしは今手が離せないのよ。』『わかりました。』メリッサからワイングラスを載せた盆を受け取った利尋は、慎重な足取りでリビングへと向かった。『どうぞ。』『ありがとう。トシ、あなたも一杯どう?』『いえ、わたしはまだ仕事がありますので・・』『あら、いいじゃないの。』『止せよエミリー、トシが困ってるじゃないか。』利尋にしつこくワインを勧めるエミリーを、彼女の夫・ラルフがそう言って彼女を窘(たしな)めた。『エミリーのことは、わたしに免じて許してやってくれないか?』『いいえ・・』 キッチンへと戻った利尋は、料理の飾り付けを手伝った。『どうでしょうか?』『いいんじゃないの。あなた、センスがいいわねぇ。』 デザートのケーキを出した時、エミリーは泥酔していた。『ねぇトシ、もっと強いお酒を頂戴。』『エミリー、止さないか。メリッサ、済まないがもうこれで失礼するよ。楽しいパーティーを開いてくれてありがとう。』『わたしの事は気にしないで、ラルフ。エミリー、またね!』ラルフが泥酔した妻を横抱きにしてリビングから出て行くのを見たメリッサは、溜息を吐いて椅子に座った。『エミリー、大丈夫かしら?』『彼女、半年前に断酒したって言っていたけど、駄目だったみたいね。』『ラルフもよく我慢しているわねぇ。』『あのう・・奥様、わたくしこれで失礼しても宜しいでしょうか?』『トシ、生ゴミを捨てて帰って頂戴ね。ああそうだ、これは今日のお給料よ。』メリッサはそう言うと椅子から立ち上がり、ソファに置いていたハンドバッグから札束が入った封筒を利尋に手渡した。『ありがとうございます、奥様。それでは、失礼致します。』 生ゴミが詰まったゴミ袋を持って利尋がジョーンズ家から出ると、外はもう暗くなっていた。ゴミ袋を集積所に捨てた利尋は、そのまま基地の外から出て行った。「ただいま帰りました。」そう言って彼が西田家の玄関ホールに立つと、何だか家の空気が少し変わったような気がした。「トシちゃん、お帰りなさい。」「信子さん、何かあったのですか?」「トシちゃん、落ち着いて聞いてね。さっきね、あなたのお父様が戦地から帰られたのですよ。」「本当ですか?」「ええ。」にほんブログ村
2013年10月24日
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もう客が来たのかと思いながら、テーブルの上にケーキを置くと、利尋(としひろ)は玄関先へと向かった。『どちら様ですか?』『おいメリッサ、居るんだろ?』ドアの向こうから、男の野太い声がした。彼の声を聞いただけで利尋はドアの向こうに居る男が招かれざる客だということに気づき、キッチンへと戻ろうとした。だがその時、男がドアを蹴り破り、勝手に家の中に入って来た。『無礼でしょう、警察を呼びますよ!』『黙れ、クソガキ。メリッサを呼んで来い!』黒髪の男はそう言うと、じろりと利尋を睨んだ。『一体どうしたの?』 騒ぎを聞きつけたメリッサがキッチンから出て来ると、黒髪の男が下卑た笑みを浮かべながら彼女を見た。『久しぶりだなぁ、メリッサ。』『出て行って、パーティーにはあなたは呼んでいないわ!』眉をつり上げ、自分に向かってそう怒鳴ったメリッサを見て、黒髪の男は口笛を吹くと彼女の肩を抱いた。『つれねぇじゃねぇか、メリッサ?昔はよく俺と遊んだってのによぉ』メリッサの隣に立っていた利尋は、彼が酒に酔っていることに気づいた。『奥様、どうなさいますか?』『警察を呼んで頂戴。』『わかりました。』利尋がリビングへと向かおうとした時、突然黒髪の男が彼の方へと突進し、利尋の華奢な身体を横抱きにした。『何をなさるんですか、離してください!』『メリッサ、お前の家の家政婦をちょいと借りるぜ。』『やめて、トシには手を出さないで!』『心配するな、すぐに返してやるからよ!』利尋は男に抵抗できぬまま、彼に車に乗せられてしまった。一体何処に連れて行かれ、彼に何をされるのかがわからず、利尋は恐怖に震えた。 やがて男が運転する車は、人気のない雑木林へと入っていった。『さてと、ここから誰も来やしねぇから、たっぷりと楽しめるぜ。』『何を楽しむというのですか?』利尋はそう男に尋ねると、後部座席のドアを開いて外から出ようとしたが、そこはロックが掛かっていて開かなかった。『逃げるなよ。俺の可愛いチェリーちゃん。』男は舌なめずりをしながら、利尋に抱きついた。『やめて、近寄らないで!』『いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし。』男はそう言うと、利尋のワンピースの裾を捲りあげた。『何だ、男かよ・・』利尋の褌を見た男は舌打ちすると、後部座席のドアのロックを解除した。『俺は男を抱く趣味はねぇんだ。』助かったと思いながら、利尋が車から出ると、男は車のエンジンを掛け、そのまま雑木林から去って行った。『トシ、大丈夫だった?あいつから何もされてなかった?』『はい・・それよりも奥様、あの方はどなたなのですか?』『あの人は、わたしの別れた夫よ。ここだけの話だけどね、わたし離婚歴があるのよ。』『申し訳ございません、そのようなことをお尋ねしてしまって・・』『いえ、いいのよ。さてと、まだテーブルのセッティングが終わっていないから、手伝って頂戴。』『はい、奥様。』 利尋がテーブルのセッティングを終えた時、再び玄関のチャイムが鳴った。にほんブログ村
2013年10月24日
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繊細なレースで作られたエプロンを見つめながら、利尋はエプロンを撫で、暫くその感触を楽しんでいた。『奥様、レースは何処で手に入りますか?』『生地屋さんで売ってるわ。このエプロンはわたしが作ったのよ。』『まぁ、そうなんですか。』 エプロンを掛けた利尋がリビングの掃除をしていると、突然外から誰かがドアをノックする音が聞こえた。『メリッサ、この子は誰だい?』『新しくうちで雇った家政婦の、トシよ。トシ、この人はわたしの従兄のジョンよ。』『初めまして・・』『キュートな子だな。メリッサ、ジョージに浮気されないように気をつけろよ?』『悪い冗談は止めて頂戴。トシ、一緒に買い物に付き合って。』『はい、奥様。』キッチンの掃除を終えた利尋は、メリッサとともに基地内にあるスーパーマーケットへと向かった。 そこには色とりどりの野菜や果物が入口付近に陳列され、洗剤や日用品なども売られていた。『今日は友達を呼んでパーティーを開くのよ。トシ、手伝ってくれない?』『わかりました。』青果売り場でメリッサとともに利尋が野菜を選んでいると、そこへカートを押した一人の白人女性がやって来た。『メリッサ、久しぶり。元気にしてた?』『エミリー、あなたも元気そうね。』メリッサはその女性と抱き合いながらそう言うと、利尋を彼女に紹介した。『エミリー、この子はトシ、今日からうちで働いて貰う事になった家政婦よ。』『トシ?じゃぁあなたは日本人なの?』メリッサの友人・エミリーは怪訝そうな表情を浮かべながら、そう言って利尋を見た。 利尋は、金髪翠眼という母の容姿を受け継いでおり、日本人離れした外見の所為で何度か辛い目に遭った。『ええ。わたしの母方の先祖が北欧の方なので・・』『あら、そうなの。日本人はみんな、黒い髪に黒い目をしていると思っていたわ。ごめんなさいね、気を悪くしたのなら、謝るわ。』『いいえ。それよりもお会いできて光栄です、エミリー様。』『あなたってキュートで、とても礼儀正しいのね。これから仲良くなれそうだわ!』 エミリーはそう言うと、白い歯を利尋に見せて笑った。 スーパーから帰った二人は、キッチンでパーティーの準備に取りかかった。『あなた、綺麗に野菜を切るのね。わたしなんか、適当に切っちゃうから、いつも大きさがバラバラなの。』『そんなことはありませんよ。奥様が焼かれたケーキ、とても美味しそうですし。』『あら、そう?そう言ってくれると、嬉しいわ。』メリッサはそう言って利尋に微笑むと、湯煎(ゆせん)したトマトの中に挽肉(ひきにく)を入れ、それをフライパンで炒めた。『トシ、ケーキをリビングに持って行って頂戴。』『わかりました、奥様。』 ケーキを床に落とさないように、リビングまで利尋が慎重にそれを運んでいると、突然外からチャイムの音が聞こえた。にほんブログ村
2013年10月23日
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「え~と、確かここの近くだった筈なんだけど・・」 ジョーンズから渡された自宅の住所と地図が書かれたメモを頼りに、利尋(としひろ)は基地の近くまで来ていた。だが、基地は鉄条網が張り巡らされており、その入口には屈強な兵士が立っていた。『すいません、ジョーンズさんのお宅は、どちらに行けばよろしいのでしょうか?』『君は?』『今日からジョーンズ家で働くことになった、トシです。』『そうかい。じゃぁちょっと待ってな。』兵士はそう言って見張り台から離れると、鉄条網で囲まれた門を開けた。『ジョーンズの家は右から二番目だ。』『ありがとうございます。』 門の中に利尋が入ると、そこには別世界が広がっていた。 大きくてお洒落で広い庭がある家が延々と続いており、中にはプールやテニスコートがある家もあった。見張りの兵士から教えられた通り、利尋は右から二番目の家へと向かった。そこには、庭にプールがあり、壁も屋根も白くて美しい家が建っていた。『ジョーンズさん、トシです。』『あら、あなたがトシなの?』利尋がドアベルを鳴らすと、家の中から赤ん坊を抱いた白人女性が出て来た。『初めまして、ジョーンズから話は聞いているわ。わたしはジョーンズの妻のメリッサよ。さぁ、中へどうぞ。』『失礼致します・・』 ジョーンズの妻・メリッサとともにジョーンズ家に入った利尋だったが、何処で靴を脱いでいいのかわからなかった。『すいません、靴は何処に置いたら・・』『そのままで結構よ。じゃぁ早速、キッチンに案内するわ。』『は、はい・・』 メリッサに案内されてジョーンズ家のキッチンに入った利尋は、ステンレス製のシンクや色とりどりのタイルで彩られた壁の美しさに思わず絶句した。『コーヒーを淹れるわね。その間、この子の面倒を見ていて。』『わかりました。』メリッサから赤ん坊を受け取った利尋がじっと赤ん坊を見ると、赤ん坊もクリクリクリとした目で利尋を見つめた。『あら、この子あなたのことが気に入ったみたい。』『この子の名前は何というのですか、奥様?』『ジョゼフよ。ジョゼフ、トシよ。仲良くしてあげてね。』メリッサがそう言って赤ん坊に話しかけると、彼は嬉しそうに笑った。『今日はリビングとキッチンの掃除をして頂戴。あと、買い物にも付き合ってね。』『かしこまりました、奥様。』 キッチンでメリッサとコーヒーを飲みながら利尋が彼女と談笑していると、メリッサは突然椅子から立ち上がると、利尋が着ているワンピースの裾を摘んだ。『とっても綺麗ね。これは何処で仕入れたの?』『母が、自分の着物をほどいてワンピースに仕立て直してくれました。』『まぁ、そうなの?』 『はい。』 メリッサとキッチンで話した後、利尋は早速リビングの掃除に取りかかった。『ワンピースを汚さないように、これを付けて。』メリッサがそう言って利尋に渡したのは、レースのエプロンだった。にほんブログ村
2013年10月23日
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明歳と利尋が同時に振り向くと、そこには胸元を大きく開いたワンピースを着たショートカットの女が立っていた。年の頃は25,6といったところだろうか。「朱美、こいつはぁ俺の弟の利尋。」「へぇ、あんたとは似てないわねぇ。双子なんでしょう?」「双子っつっても、同じ顔が生まれるとは限らねぇよ。それよりも朱美、何かこいつに仕事を紹介してくれねぇか?こいつは英語が出来るんだ。」「そうなの?」「ええ。それに、家事も出来ます。」「ちょっと待ってて。」朱美はそう言うと、明歳と利尋をカウンター席に座らせて奥のテーブル席へと向かった。「もしかして、ここ・・」「ここはちゃんとしたダンスホールだ。何だ、お前ぇは二階で米兵が店の女と寝てると思ってんのか?」「だって、そういう店って、最近多いでしょう?だから・・」「確かにこの界隈にはパンパン(※)が多いけどな、朱美はそんな事はしねぇよ。」「そう・・」「お待たせ。二人とも、こちらはジョーンズさん。」『初めまして、利尋です。』そう言って利尋は、190センチ以上もあろうかという大男を見た。『君は幾つ?』『13です。あの、洗濯や料理、子守などが出来ます。ですから・・』『オーケー。丁度うちに勤めていた家政婦が急に辞めちゃって困っていたんだ。君みたいなキュートな子なら大歓迎さ。宜しくね。』大男―ジョーンズはそう言って利尋に満面の笑みを浮かべながら、彼に向かって手を差し出した。『宜しく・・お願い致します。』 明歳とともに“アゲハ”から出て帰宅した利尋は、千尋に仕事が決まった事を告げると、彼女は少し顔を曇らせた。「あなたまで働くなんて・・一体どちらで働くことになったの?」「ジョーンズさんという方の家で、家政夫をすることになったの。」「まぁ、そんな・・米兵の家で働くなんて!」「母さん、今母さんが何を思っているのか、俺にはわかるよ。憎い敵の家で働いて金を貰うなんて利尋は嫌で仕方ないだろうが、俺達が食っていく為には憎い敵にも尻尾を振らねぇと生きていけねぇんだ。」「そうね・・あなたの言う通りだわ、明歳。利尋、相手の方には失礼のないようにするのですよ。仕事はきちんとして、礼儀正しくなさいね。」「わかりました、お母様。」「利尋、これを。」千尋はそう言うと、利尋の前に風呂敷を差し出した。「これは?」「仕事着としてお使いなさい。」利尋が風呂敷を広げると、そこには花柄のワンピースがあった。「これ・・」「わたくしの着物をワンピースに仕立て直したんですよ。母親として、わたくしはこれ位の事しかできないけれど・・」「ありがとうございます、お母様!」利尋はワンピースを抱きながら、千尋に向かって何度も頭を下げた。「では、行って参ります。」「気をつけてね。」「余り無理をしてはいけませんよ?」「わかりました。」 西田家の玄関先で千尋と信子に見送られ、利尋はジョーンズ家へと向かった。(※)パンパン:米軍相手の娼婦のこと。にほんブログ村
2013年10月23日
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1945(昭和20)年12月。 敗戦から4ヶ月が過ぎ、千尋は信子とともに病院を手伝い、長男の明歳(あきとし)は家計を助ける為に鉄屑拾いの仕事を始めた。「母さん、今日の給金で買ってきた米だ。」「いつもありがとう、明歳。」千尋はそう言うと、明歳から米が入った袋を受け取り、キッチンへと向かった。「お母様、今日は僕達の誕生日だよ?」「あら、すっかり忘れていたわね、ごめんなさい。」「利尋、こんな時に誕生日を祝える訳がねぇだろう。お前ぇも少しは働け!」「お兄様・・」 双子である兄・明歳は13歳であるというのに、学校に行かずに毎日朝から晩まで肉体労働をしていた。「明歳、ちゃんと学校は行っているの?」「母さん、学校は辞めてきた。」「まぁ、どうして?」「俺はこの家の長男だ。父さんが戻って来るまで、土方家を守るのは俺の役目だ。」「ごめんなさいね、明歳。あなた達の誕生日を祝えなくて・・」「謝るなよ、母さん。今は苦しいが、いつか父さんが帰ってきたら、また家族四人で楽しく暮らせばいい。」「そうね・・」ハンカチで涙を拭う千尋の姿を見て、もう母に甘えるのは止そうと利尋(としひろ)は思った。「お兄様、今宜しいでしょうか?」「ああ、いいぜ。どうした、そんな顔して?」「僕にも、何か出来る仕事があるでしょうか?」「そんなもん、自分で探さないとわからねぇよ。職業安定所に一度行ってみな。」「うん・・」 翌日、利尋は職業安定所に行ってみたが、そこは大人ばかりで、子どもの姿はなかった。「坊や、父ちゃんと待ち合わせでもしてんのかい?」「いえ・・ここに、仕事を探しに来たんです。」「坊や、幾つ?」「13です。」「言っとくが、ここは大人が仕事を探す場所だ。帰んな。」職員はそう言うと、利尋を手で追い払うかのような仕草をした。「どうだった?」「見つからなかった。門前払いだったよ。」「だろうな。まぁ、俺らみたいなガキには誰も仕事を紹介してくれねぇよ。まぁ、俺は直接親方に仕事させてくれって頼み込んだから食っていけるんだ。」「じゃぁ僕はどうすればいいの?」「んなもん、自分で考えな。そういやお前ぇ、英語が出来んだろ?」「そうだけど・・それがどうしたっていうの?」「朱美(あけみ)って女が、進駐軍の幹部と知り合いなんだよ。今度朱美にお前ぇのこと話してやるから、明日ここに来な。」明歳はそう言うと、利尋に一枚のメモを渡した。そこには、“アゲハ”という店名と住所が書かれてあった。「お兄様、ここなんですか?」「ああ、そうだよ。何だ、怖じ気づいちまったのか?」「そんなことないよ。でも、こんな所初めてで・・」 翌日、明歳に連れられて“アゲハ”に入った利尋は、そこがダンスホールであることを初めて知った。「何も心配するなよ。」「でも・・」「アキちゃん、来たんだ!」にほんブログ村
2013年10月23日
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汽車がカーブを曲がるたびに、車内は大きく揺れ、千尋達は他の乗客たちに押しつぶされまいと必死に踏ん張っていた。「いつまで続くの、苦しいよ!」「もうすぐ海が見えてくるから、あと少しの辛抱だ!」「うん・・」 数日後、千尋達を乗せた汽車は港近くの駅に停車し、避難民達は我先にと引き揚げ船へと急いだ。「明歳、利尋、居る!?」「いるよ、母さん!」「もうじき船が出てしまうから、はぐれてしまっては駄目よ!」「わかってるよ!」 港に停泊している引き揚げ船のデッキには、避難民がごった返していた。「ここはもう一杯だ、他を当たれ!」「お願い致します、何とか・・」「三人分の金を払ってくれたら乗せてやってもいいぞ?」「てめぇ汚ねぇぞ!」「やめなさい、明歳!」千尋は引き揚げ船の前に立つ男を睨み付け、彼に殴りかかろうとする明歳を抑えた。「これで、宜しいですか?」千尋は男に宝石を渡すと、彼は千尋達を引き揚げ船に乗せた。「行くぞ、利尋。」「うん、わかった・・」慌てて母と兄の後を追おうとした利尋だったが、彼の前で5歳位の女児が転んで膝を擦り剥いてしまった。「そいつに構っている暇はねぇ!」「でも・・」「周りを見てみろ、誰も他人のことなんざ気にしちゃいねぇ。今はてめぇの事だけ考えてればいいんだよ!」「わかった・・」後ろ髪をひかれる思いで、利尋は兄の後を追って引き揚げ船に乗った。「お母様、僕達これからどうなるのでしょう?」「それはわたくしにもわかりません。全ては神様がお決めになられることですよ。」「そうですか・・」「明歳、利尋、これからはお父様が帰ってくるまで、三人で力を合わせて頑張りましょう。」「はい、お母様。」 命からがら満州から引き揚げた千尋達は、米軍の空襲により焦土と化した東京の街を歩きながら、千尋の実家である荻野伯爵邸へと向かった。「ここが、お母様のご実家なのですね?」「ええ、そうよ・・」千尋はそう言って実家を見たが、そこに建っていた筈の瀟洒(しょうしゃ)な邸宅は瓦礫の山と化していた。「千尋様、千尋様じゃなくて!?」「信子様、ご無事でしたか?」千尋が明歳達とともに実家を後にすると、彼女達に信子が声を掛けて来た。「ええ。千尋様のお父様は、残念ながら3月10日の大空襲でお亡くなりに・・」「そうですか・・」「良かったら、うちにいらっしゃいませんか、千尋様?部屋が余分にありますから・・」「そんな、ご迷惑をお掛けする訳には参りません。」「いいのです。困っている者同士、お互い助け合いましょう?」「ありがとうございます・・」 こうして千尋達は、信子達とともに暮らすことになった。戦争は終わったものの、日本国民は食糧難に喘いでいた。それは、伯爵令嬢である千尋も例外ではなかった。にほんブログ村
2013年10月23日
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1945(昭和20)年8月15日。 満州で、土方家は終戦を迎えた。「日本は、戦争に負けたんですね、お母様?」「ええ、そうですよ。」「じゃぁ、お父様は必ず僕達の元に戻ってきますよね!」 居間でラジオの玉音放送を聴きながら、13歳の土方利尋(ひじかたとしひろ)はそう言って母・千尋(ちひろ)を見た。だが彼女は、何処か暗い顔をしていた。「どうなさったのですか、お母様?」「利尋、お前は何もわかってねぇな。戦争が終わったからって、親父が俺達の元に必ず戻って来るとは限らないし、無事に俺達が日本の土を踏めるとは限らないんだ。」 二人の会話を聞いていた長男・明歳(あきとし)は、呆れたように利尋を見ると溜息を吐いた。「お母様、どういうことなの?」「明歳、利尋、すぐに荷物を纏めなさい。」「わかった。」「お兄様、どうして荷物を纏めなければならないの?」「黙って俺についてこい!」状況が全く把握できずにいる利尋の手を掴んだ明歳は、そのまま二階へと上がった。 明歳は、貴重品や身の周りの物をリュックに詰めると、そのままそれを背負って利尋の部屋へと向かった。「お前、何してんだよ!」「え、だって・・」「モタモタしてんじゃねぇ、そんなのは置いておけ!」「でも、これは・・」利尋がリュックに詰めている物を選んでいると、苛々した明歳がそう言って彼の手からアルバムを奪うとそれを机の上に叩きつけた。「でも・・」「いいか利尋、数分でも遅れるとソ連兵がこの家にやって来て、俺達は殺されるんだぞ!母さんの目の前で!」「そんなの、嫌だよ。」「だったら、アルバムの他に大切な物をリュックに詰めろ。」「わかった。」 数分後、千尋と明歳、利尋はそれぞれ荷物を詰めたリュックを背負って自宅を後にした。「お母様、髪を切られたのですか?」「ええ・・」千尋はソ連兵から凌辱を受けぬ為に、腰下まであった長い髪を丸坊主にしていた。「あんなにお綺麗な髪だったのに・・」「命の方が大事ですよ。髪はまた生えてきます。」そう言って千尋は利尋に微笑んだが、その笑顔は少し引き攣(つ)っていた。 三人が港行きの汽車に乗ろうと駅へと向かったが、そこは避難民達で溢れていた。「すいません、通して下さい。」「すいません・・」ホームにごったかえす避難民達を避けながら、千尋達は港行きの汽車に乗った。車内は満員で、座れない者達が通路で溢れ返り、千尋達は通路を歩くのもひと苦労だった。「母さん、座るのは諦めよう。」「何で、港まで時間がかかるんでしょう?」「我が儘言ってんじゃねぇぞ、利尋。みんな座りてぇのは一緒なんだよ。席に座れねぇくらいで、ゴチャゴチャ文句言うんだったら降りろ!」「わかったよ・・」「明歳、お止めなさい。」「母さん、もうこいつを甘やかすのは止めろよ!」 やがて三人を乗せた汽車は、プラットホームから離れた。にほんブログ村
2013年10月23日
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2009年6月。千尋は内山と、土方邸で家族や友人を招待し、結婚式を挙げた。「結婚おめでとう、千尋。末永くお幸せにね。」「ありがとう、亜理紗。」「まさかあたし達の中で千尋が一番先に結婚するなんて思ってもみなかったよ!」友人達に囲まれた千尋は、少し照れ臭そうに彼女達を見た。「千尋の事、宜しく頼むよ、内山君。」「わかりました、お義父さん。」「姉は少し気が強くて頑固なところがあるので、気をつけてくださいね。」「純、余計な事を言うんじゃない!」「わかったよ、親父・・」 式を挙げ、土方邸を後にした新郎新婦は、披露宴会場であるホテルへと向かった。「やっぱり、花嫁さんは綺麗ねぇ。」「そうねぇ。」親族の女性達からそんな声が上がるたびに、純は姉を誇らしげに見ていた。 披露宴は滞りなく進行し、後は両親への手紙と、花束贈呈を残すだけとなった。「ここで会場の皆様に、新郎新婦から嬉しいお知らせがございます!只今新婦の千尋さんのお腹には、新郎・真一さんの赤ちゃんがおります!」「マジかよ!?」姉の妊娠を知らされ、純は思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、慎治に頭を叩かれた。「ってことは出来婚・・」「そんな訳ないだろう、馬鹿が。真一君は結婚前に娘を孕ませるような男じゃない。」「そうだけど・・」「姉の幸せを素直に祝ってやれ。」「わかったよ・・」 千尋と真一が結婚してから5ヶ月後、二人の間には可愛い女の赤ちゃんが生まれた。「この子の鼻の形、あなたにそっくり。」「そうかなぁ?目元は君に似てるよ。」新生児室の前で千尋と真一は我が子を見ながらそんな事を話していると、そこへ真一の両親と慎治がやって来た。「あらぁ、可愛いじゃないの。」「そうですか?」「真一は男前だから、この子も将来美人になるわよ。名前はもう決まったの?」「いいえ、まだ・・」「まぁ、赤ちゃんの名前はあなた達が決めなさい。それじゃぁ千尋さん、またね。」「今日は来て下さり、ありがとうございます、お義母様。」「いいのよ。これから子育ての先輩として、色々アドバイスしてあげるから、あなたは何も心配しなくていいのよ?」博美はそう言って千尋の肩を叩くと、病院から出て行った。 千尋が娘を出産してから二ヶ月が経ち、彼女は夫と彼の両親と共に、近くの神社へお宮参りに来ていた。「千華(ちはな)と名付けました。」「可愛い名前ね。華やかで、とっても素敵。」 お宮参りを済ませた後、千尋達は近くの写真館で家族写真を撮った。「皆さん、笑ってください!」 土方邸のリビングには、その時の家族写真が曾祖父達の家族写真とともに飾られている。―完―にほんブログ村
2013年10月18日
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「お祖父様!」「千尋ちゃん・・内山さんも、来てくれたのか・・」 千尋が内山と共に祖父が入院している病院へと向かうと、彼は弱々しい声でそう呟いて二人に微笑んだ。「大丈夫なの、お祖父様?」「ああ。まだ千尋ちゃんの花嫁姿を見るまでは死ねないよ。内山さん、孫の事を宜しくお願いしますね。」「はい、わかりました。」「千尋ちゃん、これからは幸せになるんだよ。」「はい・・」千尋の言葉を聞いた祖父は、安心したかのようにゆっくりと目を閉じた。そのまま彼は、息を引き取った。「あの人に続いて、お祖父様までも・・」「姉ちゃん、余り気を落とさないで。祖父ちゃんだって前から覚悟してたんだと思うよ?」 祖父は数年前に心筋梗塞の発作を起こしたことがあった。医師から、“二度目の発作が来たら危ない”と言われていた為、祖父は身体の事を考え、海外出張を控えてデスクワークに専念していた。だが恐れていた二度目の発作が彼を襲ったのは、自宅で庭仕事に精を出している時だった。「このお屋敷はどうなるの?」「売りに出されると思う。ここは祖父ちゃん達の思い出が詰まった家だけど・・姉ちゃんと内山さんだけで住むには広すぎるでしょう?」「そうね。純、ちょっと外の空気を吸ってくるわ。」「わかった。」 千尋はリビングを出て、そのまま祖父が生前愛していた英国式庭園へと向かった。温室に彼女が入ると、そこには手づかずの鉢植えがベンチの上に置かれたままになっていた。ベンチの近くには、シャベルと庭仕事用の長手袋が放置されていた。(お祖父様は、最期までこのお庭を愛していらしたのね・・)千尋はそっとその長手袋を拾い上げると、幼い頃祖父との思い出が詰まったこの温室を手放すことが悲しくて、涙を流した。「こんな所に居たんだね?」「内山さん・・」「悲しい時は、泣いてもいいんだよ?」「ごめんなさい、わたし、あなたに頼ってばっかりですね・・」「いいんだよ。ねぇ土方さん、これからはこの家で暮らそうか?」「え?」思わず千尋が内山の顔を見ると、彼は自分に向かって微笑んでいた。「それは・・本気ですか?」「ああ、本気だよ。君のお祖父さんの四十九日の法要が終わったら、俺と結婚してくれるかい?」「はい、喜んで。」 祖父の四十九日の法要が終わり、千尋は内山の実家へと結婚の挨拶に行った。「千尋さん、どうか息子の事を宜しくお願い致しますね。」「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します、お義父様、お義母様。」「うちには男しかいないから、これからあなたのことは娘だと思って接しますからね。折角来てくださって申し訳ないんだけど、お店を手伝ってくれないかしら?」「わかりました。」内山の母・博美からエプロンを受け取った千尋は、そのまま彼女とともに店へと向かった。「あの子なら、母さんと気が合うな。」「そうだな、親父。」にほんブログ村
2013年10月18日
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「義姉(ねえ)さん、どうしてここに?」「お義母さんに、最後のお別れを言いにきたの。千尋さん、気を落とさないでね。」美咲はそう言って千尋に優しい言葉を掛けると、彼女の肩をそっと叩いた。「じゃぁ、わたしはこれで。」淳子に焼香を済ませた後、美咲は千尋達に一礼すると、リビングから出て行った。「お兄ちゃん、義姉さんとはどうなっているの?」「もう美咲とは離婚する事にした。母さんが亡くなったからっていって、今更俺が彼女に戻って来てくれなんて言えやしないよ。散々彼女に酷い事をしてきたんだから。」「そう・・」「千尋、これ母さんからお前に。それじゃぁ、俺はまだ仕事が残っているから・・」淳史がリビングから出て行った後、千尋は淳子が書いた手紙を読んだ。 そこには、今まで千尋に辛く当たってしまったことへの後悔と、謝罪が綴られていた。「お母さん・・わたし、どうすればいいのよ?」千尋は、母の手紙を握り締めたまま、涙を流した。 淳子の四十九日の法要を終えた千尋は、そのまま神戸に戻った。「姉ちゃん、大丈夫?」「大丈夫よ。それよりも純、あんた今年受験なんだから、頑張りなさいよ?」「わかった・・」東京駅で自分を見送りに来てくれた純にそう言って強がったものの、千尋はまだ母の死を受け止められないでいた。「え、今日も大学に来てない?」「はい。あの子、最近お母さんを亡くしたばかりで・・こんな事を頼むのは図々しいと思うんですけれど内山さん、千尋の様子を見に行ってやってくれませんか?」「わかった・・」 亜理紗から千尋の様子がおかしいことを聞いた内山は、亜理紗とともに千尋が住むマンションへと向かった。管理人に彼女の部屋の鍵を開けて貰った二人が部屋の中に入ると、リビングの方で音がした。「千尋、居るの?」「土方さん?」 亜理紗と内山がリビングに入ると、そこにはクッションを抱えた千尋がソファに座っていた。「亜理紗・・」「あんた酷い顔してるじゃない!ご飯、ちゃんと食べてるの?」「わたし・・わたし・・」痩せ細った千尋は、亜理紗に向かって何度も謝りながら、亜理紗が作ったお粥を食べて涙を流した。「土方さん、一人で抱え込んじゃ駄目だ。一人で抱え込んだら、余計辛くなってしまう。」「すいません、内山さん。」「謝らなくていい。俺が一緒に居てあげるから。」 亜理紗と内山に支えられ、千尋は徐々に元気を取り戻しつつあった。「内山さん、お話があります。」「何?」「わたしと、付き合っていただけませんか?」「いいよ。俺も君と付き合いたいって思ったんだ。」 晴れて恋人同士となった千尋と内山は、一緒に暮らし始めた。 内山と幸せな日々を送っていた千尋は、純から祖父が倒れたことを知り、内山とともに東京へと向かった。にほんブログ村
2013年10月17日
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「それでお祖父様は、わたしに何を言いたいんですか?あの人は不幸だから、許せと?」「いや、そうじゃない。淳子(あつこ)さんだって苦しんでいるんだよ。」「けど・・」千尋はそう言うと、ソファに腰を下ろした。「わたし、あの人の事が理解できません。母親が居ない家庭でも、ちゃんと立派に子どもを育てている人だっているでしょう?それなのに・・」「母親不在の家庭で育ったから、全ての人が淳子さんのようになるわけではない。僕だって、そう思っているよ。千尋ちゃん、淳子さんとやり直すことは出来ないかな?」「出来ません。わたしはあの人からされた酷い仕打ちを、未だに忘れられませんし、それを全て水に流すことができません。」「そうか・・」利尋はそう言って溜息を吐くと、ソファから立ち上がった。「もう僕は君に伝えたいことはちゃんと伝えたから、これで失礼するよ。」「すいません、コーヒーしか出せなくて・・」「純君、千尋ちゃん、君達はまだ若いし、間違ったらやり直すことができるが、淳子さんは違うんだ。」「どういう意味ですか?」「それは・・」利尋が次の言葉を継ごうとした時、突然リビングの電話がけたたましく鳴った。「もしもし、土方ですが・・え、警察?」受話器を取った純は、メモ用紙に何かを書くと、電話を切った。「どうしたの?」「さっき警察から連絡があって・・母さんが、事故に遭ったって・・」「そんな、嘘でしょう!?」「純、淳子さんが運ばれた病院の住所はわかるかい?」「はい・・」「じゃぁ、行こう。」 数分後、交通事故に遭った淳子が搬送された病院へと千尋達が向かうと、そこには加害者と思しき乗用車の運転手と、二人の刑事の姿があった。「母は、無事なんですか?」「それが・・」「病院に運ばれた時、既に心肺停止状態で・・そのまま意識が戻ることなく、先程亡くなられました。」「そんな・・」「あなたは、被害者とはどのようなご関係で?」「娘です。母は、今何処に?」「こちらです。」 医師に案内され、千尋達は霊安室のベッドに寝かせられている淳子の遺体を見た。顔を覆っていた白い布を千尋が取ると、淳子は安らかな顔をしていた。「そんな・・嘘でしょう・・何で・・」「先生、一体何があったんでしょうか?」「運転手によると、突然路上に飛び出してきたとか・・慌てて車を停めようとしたが間に合わなかったと・・」「こんなのずるいわよ!喧嘩したまま別れるなんて!言いたい事があるならはっきりと言ってからでもいいじゃないの!それなのに・・」 千尋は母の死を悲しむ時間も与えられずに、彼女の葬儀の準備に追われた。「千尋ちゃん・・」「お祖父様、わたしは間違っていたんでしょうか?」「それは、僕にもわからないよ。千尋ちゃん、疲れただろう?暫く部屋で休んでいなさい。」「わかりました。」 二階の部屋へと入った千尋は、喪服姿のままベッドに横になると、ゆっくりと目を閉じた。「姉ちゃん、起きて。」「わかったわ・・」 眠い目を擦りながら千尋が一階のリビングに降りると、そこには淳史と彼の妻・美咲の姿があった。にほんブログ村
2013年10月17日
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故郷を捨て、上京した淳子は、職場を転々としながら安アパートで一人暮らしをしていた。 家具も何もないボロイ部屋でも、もう父親や継母に罵倒されたり、暴力を振るわれたりしない生活が送れると思うと、淳子にとってそこは楽園のような場所だった。 スーパーのレジ打ち、ファストフード店、ファミリーレストランのホールスタッフ・・淳子は 求人情報誌でアルバイトを募集している店を見つけると、片っ端から電話を掛けた。 だが、未成年である彼女をすぐに雇ってくれるところはなく、東京での生活は困窮を極め、安アパートの家賃を二ヶ月分も滞納した所為で、彼女はそこから追い出されてしまった。「うちはボランティアじゃないんだよ!」 仕事も、住む家も失った淳子は、アパートを追い出された日の夜、駅の構内で段ボールを敷いて新聞紙に包まって寝た。そんな生活を何日も続けていたある日のこと、彼女が公園のごみ箱で残飯を漁っていると、一人の男に声を掛けられた。「若い姉ちゃんが、そんな事するんじゃねぇ。俺の店に来な。そしたら、こんな生活とはおさらばだ。」 淳子に声を掛けて来た男の名は石橋といって、都内で何軒か風俗店を経営していた。衣食住が完全に保障された石橋の店で、淳子は働き始めた。その店は客と従業員の女が下着姿になり、客の男がビキニ姿の女からマッサージを受けるというシステムだった。「この仕事、初めてか?」「はい・・」「客から何を言われても笑顔でいろ。少しでもビビったら、相手が調子に乗るだけだ。」「わかりました・・」 その店で客にマッサージをした時、淳子は緊張で身体が震えたが、同じ事を何度も繰り返している内に、慣れて来た。「淳子、話がある。」「何でしょうか?」「お前、この店辞めろ。お前みてぇな若い女に、この仕事は長続きしねぇよ。」「わたし、ここから追い出されても行くあてがないんです!」「そんなこたぁ、お前を公園で見つけた時からわかっていたよ。これは、今までここで働いて来たお前への特別ボーナスと、退職金だ。夜の世界は、お前が思っているような甘い世界じゃねぇ。食い物にされる前に、昼の世界に戻るんだな。」石橋は優しい言葉を淳子に掛けると、札束が入った分厚い封筒を彼女に手渡した。 石橋の店を辞めた淳子は、退職金でアパートを借り、バイトを幾つもこなしながら、何とか家賃と光熱費が払える生活を送っていた。 そんな中、淳子はバイト先の同僚から臨時のバイトを頼まれ、キャバクラで一晩だけ働くことになった。「いらっしゃいませ。」「君可愛いね、幾つ?」 緊張で震える淳子の手を優しく握ってくれたのは、司法試験に合格し、新米弁護士として働き始めた慎治だった。彼と何回かデートをした後、淳子は慎治からポロポーズされた。「本当に、わたしみたいな女でいいの?」「ああ、構わないよ。」淳子は慎治と結婚し、二男一女の子宝に恵まれた。しかし母親不在の家庭で育った彼女は、娘とどう接したらいいのかわからず、気づいた時には娘との関係は修復不可能なものとなっていた。にほんブログ村
2013年10月17日
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