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沖縄自治研究会
第3回定例研究会 下
○玉城和宏氏 ・・・・・・それからもちろん福祉。ただ単におんぶにだっこという形では困るわけですよ。だから教育も本当だったらできることが、教育2法を昔つくられて、極端な話かも知れませんが政治に対して一切口を出すなという解釈になっている。私は上意下達がここまできたかとびっくりしたんですけれども、広島のある高校の校長先生ですが、その高校の女子高生がイラク戦争に関して平和のための署名活動をしたら、「これは政治活動だ。学校の中でやってはいけない」と。こんなことありますでしょうか。平和を希求する形を政治活動だと認識するという程度に成り下がってしまっているんです。それでは住民の再構成なんて全然できないじゃないですか。だからまずは住民の方に視点をおいて、行政も規則という住民が必要な大まかな部分、共通の部分が行政規則として張り付いているわけで、それをそういう形に理解して欲しい。それが勉強の一つの基本で、本当の認識を持っていくための認識なんですよ。
○佐藤学氏 玉城先生がおっしゃっていることは一般的な話として当然な事で、前城さんが言った自治の勉強を始めて3年というのは、自治研究会での議論の場も含めて言っているわけですよね。ここの場では、自治の勉強といった時に、規則の勉強だとかなんだとか全然していないので、過去の議事録も出ておりますので、もしご覧になっていらっしゃらなければ是非読んで頂きたいんですが、そういう議論はしていません。
それこそ、今おっしゃったようなことを、どうすればいいのか、何とか見つけていこうという議論をずっとやってきているわけです。ですから一般的な話としては確かにそれもそうなんですけれども・・・。
○前城充氏 沖縄自治研究会では自治基本条例のモデルを作るときに幅広い議論をしました。それで住民参加というのはその中枢にありました。何故かというと、ニセコに刺激を受けたからです。
やっぱり住民への情報の質と量の共有ということは言うことは簡単ですが維持するのは大変です。やはりその理論だけではなく、大切なのは住民の中に出向いていって、計画を作るというこの実践をニセコはやっているわけで、その理念を我々は学んだのです。その中を条例に落とし込んでいって、作りながら、これを学者、住民、行政職員、いろんな幅広い人たちと始めて作ったのです。その中で気付くのが一杯ありました。それが今それぞれの自治体に帰って、微力ながらいろいろ展開していこうと悩みながらやっているところで、今ちょうど芽が出てきたところだと思って頂ければいいと思います。
○ 玉城和宏氏 先程のキーワードで重要なのは情報なんです。情報は一人一人にちがった解釈。例えばさっきの「補完」という言葉もそうでした。だから、言葉という意味は実態に即して初めて本当にウェルデファインというか定義できるものなんです。だからそれらを議論しないで、あるイメージができていますよ,と言うけど、そのイメージの整合性を持たせるのは何かというと、具体的におっしゃったように、住民の参加によってしかできない。住民もただ単にそこで話をして了解していても、原点に戻ったら認識が違っている可能性がある。もう一度、突合せをしないといけない。そこが重要なところ何です。情報を本当の意味で共有すると。
○前城充氏 やはり、何度も出てきますね。住民に出向いていって直に顔をみて話をしない限り、情報の共有はできないんですね。広報でやっているからといっても書き方によって解釈が違うんです。三人いれば三人とも解釈が違う。だけど、出向いていってやるといい。この出向き方もよくわかったのが、100人、200人相手に一緒にやるのと10人、20人を数回こなすのでは全然違うというのがわかってきたわけです。やはり、来ている方々も質問したくてもできない方もいらっしゃって、10人ぐらいだと、恐る恐る手を挙げる勇気が出てくるらしいんです。こういうのをやっていく回数が大事なんです。ニセコが手を替え品を替えやっているのは、この回数をこなしているんです。一人でもいいでんですと。この方が100%理解してくれれば、この人が他の人に言ってくれるからという姿勢なんです。やっぱりニセコの理念はすごいと思います。このあたりは、我々は共有して学んでいます。
○野原氏 全く今のと同感のことをお話しますが、ここで道州制の問題を今後どうするかという自治法の問題を扱っているんですけれども、是非我々自身も含めて自治の新しいシステムを考え出そうとして、いろんな討議をしていると思うんですけれども、行政側の意識の改革、住民側の意識の改革も必要だという事はどうすればいいかというと、今おっしゃったように、そこはすごく重要だと思うんですけれども、みんなで語り合っていってそこで何かを決めていくシステムを新しくどういうふうに作るかというのがすごく重要だと思います。ちょっとお節介かも知れませんが、新しいシステムを作るときに住民の意識が高まってくれればうまくいくのにとかっていうのはもう辞めた方が良いと思うんです。そうじゃなくて、行政をオープンにして住民が関わるようなシステムができあがってくれば、そこで住民も考え、住民も発言し、ということが生まれてくると思うんです。それが相互の意識を変えて行くことになるだろうと思うんです。だから行政側の意識、住民が変わらない、変わるという問題でもなくて、システムをもう一度考え直してみんなで話し合い決定できる場をどう作り上げていくか、それがすごくおっしゃった事を含めて、意識が変わればという問題ではなくて、システムとしてどう持っていくかということが道州制を変えていくときに大きな意味があるかなと、改めて今私も思っています。
○玉城和宏氏 先程、システムを変えられるというときに住民サイドの教育というけれども、もし住民がそういうことを認知していない場合であっても、行政サイドで認知した場合には、住民に関して、ある程度理想と思われる行政を施していって欲しい。つまり彼らの認知レベルが低いからこちらもその程度の行政変革でいいだろうと思ってもらったら困る。基本的に理想的な状態というものを行政サイドも持っておれば、その理想を住民が見たときに触発をうけてどんどん参加してくる可能性があるわけですよ。だから片手落ちどうのこうのじゃなくて、やはりある程度理想的で、誰でも納得できそうな部分をここで突き詰めていただいて、それを提示して、それを元に住民と話し合っていくプロセスが必要なんじゃないんでしょうか。
○宮里大八氏 今まで皆さんのお話を聞いていて、多分、住民と市町村の職員という形で情報を共有できる仕組みができれば一番理想的な形で良いと思うのです。多分その点で、一番必要になってくるのは議会とその首長がしっかり話し合えれば、つまり首長が一番リーダーとして自覚をもって住民にどうアピールするかというのが、聞いていた中で抜けているのかなと思いました。リーダーが明確なビジョンといいましょうか、具他的な事を示すことによって住民も意識を持ってくるでしょうし、一番の民主主義というか、それの基本はわかりやすくいえば選挙ですよね。選挙に行けば一票でもしかしたら何か変わるかもしれないというのが一番わかりやすい住民参加だと思うのです。でも今果たして選挙に行くかと言ったら、50%~60%の投票率の選挙ですから、住民参加は半数ぐらいしか促されていないんです。ですから例えば、選挙の投票率が80%になった場合は、本当に住民の意思が反映されるリーダーというのが選ばれるだろうし、リーダーになる人が住民の所に出向いてどう考えているかと言うことを常に話して回れば、それはちょっとずつだろうけど変わってくるのかなと思います。ですから「補完性の原理」というものを、果たして首長の方が何名きちんと理解しているのかはわかりませんが、そういうものをずっと継続してこなしていくと、ニセコや志木市のようにリーダーが明確なものを持っていてそれを支えるスタッフの方々が一緒にやりましょうという、全体的な動きになったときに、一緒に住民の人たちも役所がこれだけやっているなら、私たちも頑張らないといけないとか、もしくは私たちがこれだけ頑張るから役所ももっとしっかりしてよ、という形で相乗効果が出てくるのかなと、今までの話で感じました。
○森田幸也 聞いていて、自治体職員もそうですし、住民自体も今までの行政のやり方に対して上からの指導のやり方でやってきてそれになれてきっていて、自治体職員も前例同州主義のやり方でやってきていました。住民で意識を持っている人はいろいろ意見を出してくるんですけども、いくら意見を言っても役所は聞かないということでどんどん参加しなくなるといった状況が今までありましたが、景気も伸びてやってこれたのが現在では停滞している状況でこのままではやっていけないということでまた上から、住民自体がやらないといけないのは住民がやらないといけないということで「補完性の原理」を逆に押しつけみたいなやり方をされて来つつあるというのが心配です。本当に行政が持っているたくさんの情報をどんどん開示し、いかにしてわかりやすく、そしてどのようにして住民が理解できるような取り組みをやっていかないといけないかということが重要だと思います。しかしそういったことは今まで自治体職員もやったことがなくて、説明するためには自分も理解しないといけない、そのためには今やっている業務以上に業務量が増えてしまうために、中々進まないというのが現状だと思います。それをいかに職員も意識して、住民と共にまちづくりをしていけたらいいなと思いました。
○前城充氏 時間の方が後4分しかないので最後の方で確認しておきたいんですけど、先程鉄美先生からありましたように解説の方に「補完原理」の解説を入れておいた方が良いということで、これはこの場で了解を得られたということでよろしいでしょうか。
今日は、協働とか市民参加の方まで議論を深めようと、最初は別にやろうと思ったんですが、そこまで話が及んでいたので、議論としては良かったのかなと思っています。あとはネット上で議論して修正があるならその都度かえていくということで、基本的にはこのままで良いのではないかと先週MLに流して、今日の議論の場に臨んだのですが、いかがですか・・・・・・・・。
(終了)
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【3「国との関係」~リバイアサン(怪獣)の克服と、自治の確立に向けて~ (ファシリテータ:藤中寛之)】
1.沖縄と近代国家
・琉球処分→沖縄戦→米軍統治→日本復帰→今なお続く過重な基地負担
・葬り去られた、故玉野井芳郎の「平和と生存を基調とする沖縄自治憲章」。
2.市町村モデル条例における論点と成果
・住民の権利を守るために自治体を含む公権力が存在する。
・「抵抗権」、「自衛権」、「平和的生存権」の概念と「基本的人権を守る権利」
・平時において、住民の主権が「まちづくりに関わる区域として自治体内にある米軍基地にも及びます。」と規定された。(「自治体の対外関係」)
・有事における、「ヘーグ陸戦法規の『非坊守』」や「ジュネーブ条約追加第一議定書の『無防備地域』」が提起された。
・沖縄における道州制導入を問う、2つの県民投票の必要性
3.無防備地域」宣言の課題と中部圏知事会の「国民保護法制に関する緊急提言」
・沖縄戦の教訓と自治体が「無防備地域」宣言を行う意義
・「無防備地域」を宣言するために満たさなければならない4つの条件
・中部圏知事会の取り組みと、有事法制における成果
・行政の施策として、「戦略的曖昧性」をもった「無防備地域」の用法
・安全保障の観点から考察した、沖縄における「無防備地域」の可能性-米軍の再編と、自衛隊の増強を踏まえて-
4.道州制導入における「国との関係」を再構築する必要性
・道州制の概観
・有事における意思決定主体の重要性
・沖縄から「国のかたち」を提起するための、歴史認識とは?-長州奇兵隊に参加した農民(商人等)の志と、明治3年の諸隊脱隊暴動(脱隊騒動)を経て、農民と共に戦った長州の旧士族階級によって断行された明治4年の廃藩置県が残した課題-
(『リバイアサン』「自然状態は万人の万人に対する闘争状態」→ 「域内の平和を確立するために、契約を結び、絶対的支配権を持つ近代国家を形成」→「一度、結んだらもう絶対に、抵抗することができない怪獣!!」)
1、沖縄と近代国家
琉球処分から、沖縄戦・米軍統治・日本復帰。そして、今なお続く過重な基地負担という近代以降における沖縄の置かれた「国との関係」を考えた際、国家の安全保障上の必要性と、それに基づく基地の所在等において、地域住民と国は対立することがあります。また、沖縄戦においては、本土防衛(国体護持)のために、沖縄という周辺地域が「捨て石」にされました。更に、国や軍が、住民に強要した玉砕思想も、大変、大きな問題です。
「国との関係」を考える際、一般的には、外交や安全保障は、国家の専権事項と言われ、自治体が、担うべきものではない、と言われています。しかし、沖縄においては、「住民の安全を守る」という自治体の第一義的な責任を果たすために、どうしても、国家の専権事項としての、外交や安全保障に対して、問題提起し、影響力を発揮していかなければいけない、と思いますし、その責務を、自治体が、自らの存亡をかけて、担うからこそ、自治体は存在する意義があると思います。特に、財政的に貧弱な沖縄が、単独道州を志向する場合は、この「住民の安全を守る」ということを、最大の設立根拠にすえることが、もっとも重要であると思います。
さて、仲地博先生は、沖縄タイムス(2003年2月24日)にて、故玉野井芳郎の未発に終わった「平和と生存を基調とする沖縄自治憲章(以下、沖縄自治憲章)」の顛末について、次のように述べています。(以下、長いが仲地先生の記事を引用する)
「・・・近年、北海道ニセコ町を皮切りにして、全国の自治体で、自治基本条例・自治体憲章の制定が静かなブームとなっている。沖縄においても、島袋純琉大助教授を中心に素案作りが精力的に行われている。玉野井は、それを二十年前に沖縄の地で実践しようとしたのである。 (略)
玉野井は若手研究者の協力を得て、「沖縄自治憲章」をまとめ、平和を創る百人委員会を母体として自治憲章の制定運動を行おうとした。百人委員会は、平和問題・環境問題に対する積極的な発言で、沖縄の世論に強い影響力を持っていた組織であり、自治憲章の制定運動にまことにふさわしく思えた。玉野井によると、もともと百人委員会の間で、沖縄の自治の理念を考えてほしいという声があったという。
長老の反対-ところが玉野井の沖縄自治憲章案が提示されると、百人委員会の賛否は相半ばした。若手の無言の賛成と長老の強い反対という構図である。反対の理由は、「独立しようというのか」「また戦前のように差別された特別の地域になる」「国に訴えられたらどうするか」というものであった。私は、玉野井の要請で法的側面の説明要員として出席していたが、復帰運動のオピニオンリーダーであった長老たちの反対意見に幾分の衝撃を受けるとともに大きな興味を引かれた。長老たちは、間違いなく戦後沖縄の第一級の知識人であり、不条理な米軍支配と闘った人々であったが、彼らにとって、国家は今なお、リバイアサン(怪物)に例えられる抗いがたい存在であること、復帰運動は「日本本土と同じになりたい」という「祖国願望」「単一民族神話」を基礎としたものであったことを実感したのである。本土の他の自治体に先例があるのならともかく、法的形式を持った自治憲章を沖縄だけで制定するのは、「特異な地域・沖縄」の主張であり、彼らにとっては、受け入れ難いことだったのだろう。 (略)
沖縄の経験 -冒頭の代理署名拒否に戻る。一九九五年から数年、沖縄は、基地問題で政府と正面から対峙し、自らを主張した。政治学者は、国と自治体の関係を政府間関係と表現することがあるが、総理大臣と沖縄県知事の対談は十七回に及び、政府間関係というにふさわしい状況を呈した。大田というリーダーがいたこと、分権という時代の背景があったことは大きいが、前例のなかった総理大臣対知事の訴訟を恐れず最高裁判所まで闘う世論を沖縄は持ったのである。さらに、一国二制度を声高に主張した。玉野井の「沖縄自治憲章」から二十年、歴史は変わっていた。事大主義を脱したこの時代の沖縄の経験は、将来に向けて自治の自画像を積極的に描く自信になったであろうと私は評価している。
玉野井の「沖縄自治憲章」の特徴は、玉野井の地域主義を反映し、法律学的な「自治と権利」の章典にとどまらず、地域の文化や生態系、共同体など地域の個性を宣言しようとしたことにあった。」(以上、仲地先生の記事)
この葬り去られた故玉野井芳郎の「平和と生存を基調とする沖縄自治憲章」は、沖縄自治研究会において、当初より、仲地先生から、「もっとたくさん読まれて良いもの」として紹介していただきました。この憲章の第13条と第15条に次の条文があります。「弟13条 沖縄住民は、永久絶対の平和を希求し、自衛戦争を含むあらゆる戦争を否定し、沖縄地域において、戦争を目的とする一切の物的、人的組織を認めない。
沖縄地域において、核兵器を製造し、貯蔵し、または持ち込むことを認めない。また核兵器の搭載可能な種類の艦船、航空機の寄港および海域・空域の通過を認めない。
第15条 沖縄住民は、平和的生存権を具体的に確保するために、次に掲げる諸権利を有する。
1、軍事目的のための表現自由の制約を拒否する権利
2、軍事目的のための財産の強制使用、収用を拒否する権利
3、軍事目的のための労役提供を拒否する権利」
2.市町村モデル条例における論点と成果
この玉野井先生の「沖縄自治憲章」を踏まえるかたちで、市町村モデル条例において、住民の権利を守るために自治体を含む公権力が存在するという観点から、「抵抗権」、「自衛権」、「平和的生存権」、「基本的人権を守る権利」等が議論されました。そして、「自治体の対外関係」では、平時において、住民の主権が「まちづくりに関わる区域として自治体内にある米軍基地にも及びます。」と規定されました。
この市町村モデルの成果を引き継ぐことを大前提といたしまして、今回、道州制の導入を視野に入れて、有事における「国との関係」をも、検討したいと思います。確かに、今の日本国憲法は、有事を想定していないのですが、芦田修正にあるように、国家の自衛権はありますし、実際、国民保護法ができて、来年くらいには、国民保護計画が、県や市町村で作られることとなります。
この国民保護計画は、有事の際の住民避難や食料の供給等に関する広域行政の課題として、沖縄が九州の一部になることを推進する論拠となるでしょう。だから、沖縄が、単独道州を目指すのなら、九州ではなく、沖縄という単位で、「住民の安全を守る」という自治体としての第一義的な使命を、責任を、前面に押し出して、その存在意義を問うことが、非常に重要であると思います。この気概と、沖縄の経済にあった固定費の大幅な削減ができなかった場合、「九州の中の沖縄」という位置づけになる可能性も考えられると思います。
私は、「住民の安全を守る」ことと固定費の削減の必要性、また独自の産業政策を持つことの重要性等を強調していこうと思うのですが、この単独道州を設立するための努力は、できるだけ早く実施しなければならないと思います。そのための一つの方法として、「仮に、沖縄が道州制に移行した場合の選択」について問う県民投票を、平成18年4月ごろを目処に実施することを前提として、沖縄単独道州の「権利の章典」を全県民的に策定することも考えられます。仮に、この「権利の章典」が採択されて沖縄単独道州が県民の総意となった場合、その結果に対して、どのような立場をとるのか、ということを次回の県知事選挙において、候補者は公約として掲げて、選挙にのぞむということが考えられます。その際、この道州制に関わる公約を絶対に守らなければいけません。
一方、私を含めた様々な人々の単独道州に向けての努力が、補助金の既得権益者等の抵抗勢力のために効せず、そのための時期を逸した場合は、九州との関係において、できるだけ沖縄がイニシアチブを発揮し、少しでも沖縄の自治が拡充されるように努力することも、より現実的な施策として考えられるかもしれません。九州と沖縄の対等協定を結ぶなど、道州制導入後も、必要に応じて連携しますが、数年後に、県民投票などの沖縄の総意によって、沖縄単独道州を実現する仕掛けを盛り込むことなども考えられます。その際、事前に、きちんとした法的根拠を確保する必要があるでしょうし、沖縄に議会を置くことが肝心です。これは、沖縄が、特別な自治体(自治州、自治区、行政区等)となった場合も、最低限の条件でしょう。また、安全保障においては、九州も沖縄も、対中央に対して、アジアに面した周辺地域なので、諸国間の信頼を醸成し、軍事的な緊張状態を生じさせないように、連携することは大切です。その際、沖縄は、リーダーシップを求められるのではないでしょうか。
さて、本題に戻りますが、この有事の観点は、実は、現在想定されている、九州の中の特別な地位の沖縄と、単独道州としての沖縄を考える際、もしかしたら、どちらでも同じようにできるかもしれない産業政策等の課題と異なり、最も重要な、分かりやすいテーマとなると思います。
では、先の玉野井自治憲章の規定を、有事において活かすことができる、国際人道法の「ジュネーヴ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加第1議定書」に規定された「無防備地域」という制度の意義について述べたいと思います。
3.「無防備地域」宣言の課題と中部圏知事会の「国民保護法制に関する緊急提言」
平成17年2月28日、日本政府が昨年加入した「ジュネーヴ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加第1議定書」の効力が発行します。ここでは、まず、沖縄戦の教訓を踏まえて、自治体が「無防備地域」宣言を行う意義について述べます。そして、その際、満たさなければ4つの条件と宣言する際の課題について述べます。
沖縄戦の教訓の一つとして、戦闘終結のタイミングがあります。戦争終結のイニシアティブは、玉砕の場合を除いて、敗者が持つのだが、守備側の旧日本軍の能力が明らかに劣る沖縄戦において、できるだけ早期に降伏の決断ができたら、当然、住民や兵士の犠牲はより少なくなりました。しかし、沖縄守備軍司令官の牛島満は、降伏を決断せず、自身が自決した後も統一性のない局地戦(ゲリラ戦)へ移行させた。中央政府は、本土防衛(国体護持)のために、沖縄を「捨石」にする戦略持久作戦を、現地の司令官に命じたのです。
この戦闘終結のタイミングについて住民避難の文脈で整理すると、当時の本島の一般住民50万人のうち、県外と北部の国頭地区に疎開したものが約15万人、残りの30万人以上が、本島南部とりわけ首里以南の地区に避難しました。米軍が本島中部の西海岸に上陸したので、一般住民の多くは、嘉数・浦添・首里を中心とする旧日本軍の主陣地帯の非敵側である南部地域に避難した。第32軍司令部は、本土決戦の時間稼ぎのために、首里で「玉砕」するのではなく、この避難民が密集した南部地域に撤退しました。その結果、多くの住民を戦禍に巻き込み、多大な犠牲を強いることになったのです。
一方、その時住民は、軍が駐屯している喜屋武半島に行くのか、軍とは離れて知念半島に行くのかという決断を迫られた。後者を選択した者が助かるケースが多かったのだが、 知念半島への避難は、当初から計画・準備されたものではなく、戦闘の推移に応じ臨機に策定された、軍も県も知念地区への避難を十分に指示誘導できなかったのです。
以上の沖縄戦の教訓から、国家(中央政府)の都合によって、地域が「捨石」にされないように、住民が自らの安全を守るために、特定区域の降伏に相当する避難地区を設定(準備)し、そこでは敵味方双方の攻撃(被害)から免れる制度をつくる必要があると言えるでしょう。
その制度として、先の国際人道法の「第5章 特別保護を受ける地域」の一つとして明記されている「無防備地域」(第59条)がある。第1項で「いかなる手段によっても紛争当事国が無防備地域を攻撃することは、禁止する。」とし、第2項で「紛争当事国の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区で敵国による占領に開かれているものを、無防備地域と宣言することができる」としています。ここで、重要なポイントは、紛争当自国の中央政府に限定しない「適当な当局」が、「無防備地域」を宣言できることである。この「適当な当局」には、当然、自治体が含まれるが、その際、次の4つの条件を満さなければなりません。
(a)すべての戦闘員、並びに移動兵器及び移動軍用設備は、撤去されていなければならない。
(b)固定の軍用施設又は営造物を敵対的目的に使用してはならない。
(c)官憲又は住民によって敵対行為がなされてはならない。
(d)軍事行動を支援する活動を行なってはならない。
場合によっては、戦時において、この条件をより確実に満たすために、事前に自治体は、住民保護最優先主義の立場から、中央政府又は現地軍司令官と協議することが必要になるでしょう。更に、宣言する際、適切な時期に正確な「無防備地域」の境界を記述して敵国に申し入れなければなりません。
そうすることで、同地域への攻撃は「戦争犯罪とみなす」(第85条)ときびしく規定され、違反行為を防止するための指揮官の義務等が生じます。この「無防備地域」を宣言することで、国のワク(都合)をこえて、自治体を中心とした集団的戦争不参加が国際的に保障され、地域住民の生命・財産や郷土を戦禍から守ることができるようになります。
確かに、国際人道法がないがしろにされた事例はあります。しかし、戦時に、国防の論理に対して、自治体が「無防備地域」という旗を掲げることは非常に大きな意義があります。なぜなら、自治体は、自衛権の本来の主体である個人から信託を受けた地方政府であり、戦時下の地域の特殊状況を掌握し、住民保護をなしうる“運命共同体”だからです。更に、自治体が、平時から、「(a)すべての戦闘員、並びに移動兵器及び移動軍用設備は、撤去されていなければならない」という軍縮を規定した条件を志向することは、反基地・平和運動を推進するための一つの根拠となると共に、主権者意識・自治意識を活性化させ、国の政策を検証し、対案を提起し実現していくための契機となるでしょう。
先に指摘した、条件を満たすために、事前に自治体は、住民保護最優先主義の立場から、中央政府又は現地軍司令官と協議することが必要になることが考えられますが、その際、中部圏知事会が、平成15年10月にだした緊急提言と、その後の経緯が注目に値すると思います。
中部圏知事会の国民保護法制に関する緊急提言(平成15年10月)によれば、「国民保護に関する国家の中枢の機能が十分に発揮できなくなった場合には、住民の避難や救済などの人命救助に関し、自衛隊、警察、消防をはじめ、指定地方行政機関や指定地方公共機関などの防災関係機関を指揮監督下におく権限を緊急的に都道府県知事に付与すること。」(「緊急提言」1(1)(2))とあります。岐阜県の地域県民部危機管理室への電話によるヒアリングをしたところ、梶原岐阜県知事の主張としては、自治体は住民を守るためにある。住民を守ることが知事の任務である。という認識の下、この緊急提言を出したとのことでした。
これに対する国の回答は、「法案では、国民保護に関する国家の中枢の機能が十分に発揮できなくなることは、法治国家なので、想定していない。国の指揮命令系統は、混乱するかもしれないが、十分に確保される。」とのことだったそうです。先の担当者によれば、有事を想定しているのに、おかしいということで、だいぶん中部圏知事会と国との間でやりやったそうです。そして、妥協の産物として、国民保護法において、「知事は、緊急避難的に退避を命じることができる。」「知事は、住民の避難や救済などの人命救助に関し、自衛隊、警察、消防をはじめ、指定地方行政機関や指定地方公共機関などの防災関係機関を「要請することができる」ことになった。」とのことです。
岐阜県としては、現状の法整備に事務能力がさかれ、日本政府が、住民保護最優先主義の立場から加入した「無防備地域」の検討まで至っていないとのことでした。
私見としては、「無防備地域」の設定自体は、自治体は、国に宣言を求めることで可能であり、例えば、沖縄戦直前の住民避難においては、閣議決定のもとで、現地軍と自治体が協力して進めた北部疎開があります。これは、まったく国とも対立しないので、是非、来年の2月28日以降の「国民保護計画」において、自治体は国に働きかけて、「無防備地域」を設定することを検討したら良いと思います。
一方、自治体が、宣言することについて、国は、自治体は「適当な当局」に当たらないという解釈をしていますが、理論上は可能です。赤十字国際委員会のコンメンタールには次の解説が記されています。
“誰が宣言を発するのか”(=適当な当局)
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原則として、この宣言はその遵守を確保できる当局によって発せられなければならない。一般的に、これは政府自体となるであろう。しかし、困難な状況においてはその宣言が地方の軍司令官あるいは市長や知事のような地方の文民の当局によって出されることもありうる。もちろん、宣言が地域の文民当局によって発せられる場合は、宣言の条件遵守を確保する手段を唯一持っている軍当局との完全な合意の下になされなければならない。
このように、宣言主体として、当初の国だけではなく、「適当な当局」の概念が盛り込まれたという経緯も併せて考慮したら、自治体は、適切な時期と地域を選定し、ジュネーヴ諸条約追加第一議定書第59条に規定された「無防備地域」の宣言を行います。また、その宣言を行うために、平時よりこの4つの条件を満たす地域を増す努力を行う必要があると言えるでしょう。
一方、現実に行政を担う自治体としては、国との良好な関係を築くことは重要です。そのため、日常的には、国の解釈もありつつ、赤十字国際委員会の解釈もある、との立場をとり、いざ、国と対峙してでも、住民を守らなければいけなくなった際に備えて、自治体が自ら宣言する可能性も留保するという立場も考えられます。かなり、妥協的なものですが、広範な自治体による「無防備地域」宣言を求める住民の支持が集まった際など、国家間の信頼醸成に資する無防備地域化を斬新的に進める上で、重要な施策となると思われます。また、この広範な住民の支持が、日本全国・世界に広がっていた場合、大田県知事がおこなった「代理署名拒否」に類する、影響を国に対して与えるカードになる可能性があるかもしれません。このように、「無防備地域」宣言は、自治体が、国との関係を考慮した現実の施策としてもちいる際の「戦略的曖昧性」をも有しています。
この国に対して、軍事的な垣根を低くするカードを自治体が持つことによって、自国の軍事力を含めた安全保障能力の強化が、同時に他国の不安感を高めて軍事力の増強を引き起こし、その結果、自国の安全保障環境を悪化するというセキュリティ・ディレンマの回避に資すると思います。これは、国にとっても、軍拡競争のリスクや、それに伴う莫大な軍事費の支出を抑える意味で、非常に、対中国関係等の友好関係を築く上での国家戦略としても有用であると思います。この軍事的な緊張状態よりも、国家間の信頼醸成に基づく緩衝地帯化を進めることが、沖縄の交易や発展を図る上でも、非常に、重要であると思います。
では、この安全保障上の観点を踏まえて、国境に接する広大な海域を有し、かつ基地が集中する沖縄の文脈に置いて、「無防備地域」は、可能なのかと言う点について、若干指摘したいと思います。なぜなら、「無防備地域条例」制定運動があった、日本の真ん中で基地がない大阪市等がおかれている状況と、この沖縄がおかれている状況は、違うと思うからです。
そこで現在進行中の米軍再編に伴う、沖縄の在沖縄海兵隊を中心とした「常時駐留なき安保」(有事駐留論)と、その海兵隊の撤退に代わるかたちで大幅に増強されることが予想される自衛隊との関係を踏まえて述べたいと思います。
沖縄は、基地返還アクションプログラムやSACO合意にあるように、過重な沖縄の基地面積の段階的縮小を目指しています。この方針を堅持するとして、現在、過渡的な方策として、基地面積の返還に先立つ形で、海兵隊を中心とした米軍の駐留部隊の削減(米本国等への後方配備)を実施する「常時駐留なき安保」の実現可能性が高まっています。
この「常時駐留なき安保」は、日米両政府の安全保障上の必要性によって、沖縄の基地の優先使用を確保することになると思いますが、沖縄への米軍部隊の前方展開の必要性が生じない場合は、日米両政府と沖縄単独道州の協議の下、最大限、民間転用や国際貢献、国際交流等の施策展開が可能になるかもしれません。これにより、基地そのものが返還されるという、ベストな選択ではないけど、基地の騒音被害や墜落事故、米軍属による犯罪等の基地負担の軽減になるというベターな施策になるかなと思いますし、その後の基地返還をやりやすくする可能性もあると思います
確かに、あくまでも基地面積自体の返還にこだわるべきである、との見解もあると思われますが、沖縄近海においては、台湾海峡を挟んだ軍事的な緊張状態等が、顕在化する可能性があります。このような状態においては、国家間の不信を取り除く努力を継続的に進めながら、信頼関係を築き、双方が納得できるかたちで、段階的に軍事力の削減を図ることが重要であると考えます。
その信頼醸成のために、沖縄は、かつて「守礼の邦」として、日本や中国、韓国、東南アジア諸国との友好親善に寄与し、平和な海を前提とした交易によって栄えてきた歴史を踏まえ、国連機関等の誘致と共に、日本・米国・中国を中心とした東アジア諸国の安全保障対話の場を設置することも考えられます。この場の設置にあたっては、単に、会場を提供するのではなく、沖縄が、軍事を含む客観的な安全保障環境について、情報を収集・整理し、軍事的な緊張緩和を求める国境地域の視点をも含めた論点を提示することが望ましいと考えます。沖縄が日本という国に位置しながら、この中立的な視点をもって、国家間の安全保障対話の場を提供することは、日本が、国際社会において、米国や中国等と肩を並べる責任ある地位につくために必要不可欠な近隣諸国の支持を取り付けることに資すると思われます。
しかしながら、沖縄における在沖縄海兵隊を中心とした「常時駐留なき安保」の実現を確保するために、自衛隊が、在沖縄米軍基地の管理を行うことが想定されます。この新たな自衛隊の配備にあたっては、隣接する中国等の国々を刺激しないように努めることが、絶対必要不可欠の条件です。南西諸島においては、尖閣諸島の問題等、散在する離島防衛が、重要な課題であるのですが、航空自衛隊・米空軍による抑制的な航空優勢の確保を第一義的な課題とし、次いで、海上自衛隊と海上保安庁による必要最低限の整備を行うことで、現状の防衛体制は十分でしょう。にもかかわらず、散在する離島に対して、陸上自衛隊を配備することは、空軍力と海軍力による防衛強化や物資の輸送が継続化することとなり、軍事的な垣根を高くする要因となります。その結果、国家間の不信を増長し、相手国の更なる軍事力を高めるセキュリティ・ディレンマに陥ることとなり、国家財政にも莫大な負担を強いることになります。更に、最も重要なことは、仮に戦争になった場合、敵の軍事目標の対象となり、沖縄戦のように、軍民混在化による住民の犠牲を強いる可能性が生じる主要因となると思います。
以上を踏まえ、基地返還を実現させるための過渡的な施策として、日米の陸上部隊の「常時駐留なき安保」を推進する施策を、日米の安全保障政策として採用するように、働きかけつつ、沖縄が、国境地域として国家間の信頼醸成を図りながら、東アジアの緩衝地帯化をすすめて、東アジアの平和の拠点を目指す、一つの手段として、「無防備地域」という制度を活用することは、非常に意義があると思います。
4.道州制導入における「国との関係」を再構築する必要性
では、この道州制の文脈で、外交や安全保障に関わる沖縄の基地問題の「代理署名」を論じる、そもそも関係性について述べ、島袋先生が指摘された、道州制の論点を確認したいと思います。
大田知事による95年の駐留軍用地に関わる「代理署名」拒否によって国の不法占拠状態が生じましたが、国は、今後、このような事態を避けるために、二〇〇〇年四月の地方分権一括法の施行に伴い、機関委任事務自体を廃止しました。そして、その事務を国と地方に分離しました。これによって、沖縄側の基地に対する「抵抗権」として機能した「代理署名」の権限は、「国際社会における国家としての存在にかかわる事務」として国の直接事務となりました。しかし、同時に、多くの内政に関する事務は、住民により近い自治体が自らの権限において担うことになりました。
さらに、昨今の「三位一体改革」などを踏まえた道州制の導入において、内政に関する中央省庁が、「基準」を定め、ひも付きの補助金を地方に配分する仕組みの多くを廃止することが検討されています。その代わりに、全国を約十三程度に分割して「道州」という広域自治体をつくって、中央省庁の権限・税源を移譲し、その「道州」単位で自由に予算配分を決定し、情報公開に基づいた住民参画や行財政改革を推進するなどの制度(案)が論点として提示されています。
この経緯を整理すると、深刻な国と地域住民の対立が生じる沖縄の問題提起を受ける形で、日本全体の地方分権改革が画期的に進展しましたが、沖縄の基地問題自体は解決していません。このつい最近まであった、基地問題に対する地域住民の皆さんの決定権を含む沖縄の自治喪失の危機を克服し、真に自立した住民自治を確立するためには、そもそもの沖縄の住民の皆さんが、必要であると切実に思っている、決定権を、固定観念にとらわれずに考えてみる必要があります。
沖縄では、その最たるものが、国家間の友好関係を築きながら、基地の整理縮小を実現していく決定権であり、有事に際しては、住民保護最優先主義に立脚した、「無防備地域」宣言を含む、「人権を守るトリデ」としての自治体の対応だと、私は思いますが、いかがでしょうか。
この点をきちんと踏まえて、道州制導入における「国との関係」を再構築する必要性があると思います。
では、道州制導入に伴い、沖縄から「国のかたち」を提起するための、歴史認識について、一つの視点を提起したいと思います。道州制の導入は、廃藩置県以来、近代国家日本が押しすすめてきた中央集権体制が、地方分権を加速させる、非常に大きな制度改革であると言われています。先に、昨今の地方分権改革が、沖縄の「代理署名」拒否を契機にしていることを指摘しましたが、この廃藩置県においても、住民と軍隊の関係、そして、日本の国家観の形成の大きな分岐点があり、それを見直すことで、新しい「国のかたち」を考える、きっかけになるのではないかな、と思うので、述べてみたいです。
明治4年の廃藩置県は、長州奇兵隊出身の鳥尾小弥太や、長州藩の兵制改革を断行した野村靖によって提起され、木戸孝允や山形有朋、西郷隆盛等の薩長のごく限られた主要な人物のみによって、計画が練られ、断行されました。この彼らの脳裏には、何があったのか、ということが、非常に重要であると思います。なぜなら、それは、中央集権の天皇の国ではない、もう一つの日本という国が、創出される大きな選択肢であったと思われるからです。
では、そのために、幕末長州の奇兵隊に参加した農民(商人等)の視点から、この選択肢に関わる歴史認識を提起してみたいと思います。
江戸時代、士農工商の身分制度の下、農民は「死なぬよう、生きぬよう」と言われる無権利状態におかれ、自らが政治の主体になるとは、夢にも思いませんでした。しかし、幕末、長州の武士が、徳川幕府と対立し、無謀な攘夷(じょうい)を企てたのを機に、状況は一変しました。なぜなら、その後、四国連合艦隊(英米仏蘭)が、長州に報復 攻撃を加え、さらに幕府も諸藩を従えて、四方から攻め寄せてきたからです。この内憂外患の危機において、長州には一人の英雄が現れました。幕末に病死した高杉晋作です。
高杉は、大敗北をきっし権威を失墜させた武士による暴力の独占を改め、武士と農民、猟師などの被支配階級から構成される奇兵隊をつくりました。この奇兵隊の中では、相対的に、身分よりも実力が問われました。
志をもって、支配者である武士と共に戦う過程で、農民の間には、自分たちも"やればできる"という自信と、封建社会に対する疑念がわき起こりました。元来、人間は平等であり、だれもが自由に職業を選択し、豊かに暮らす権利があるのではないかと。つまり、一連の討幕運動によって、農民は権利意識に目覚めたのです。しかし、鳥尾小弥太ら、旧士族階級を中心に組織された明治維新政府は、戦乱で疲弊した農村に対して、従来と同様の過酷な税を課しました。さらに、平等であるはずの奇兵隊において、政府は「天皇の軍隊」をつくるために、農民出身者を中心に、一方的に解雇したのです。それに対し、公正で、平等な処遇を求める奇兵隊士たちは、奇兵隊を脱隊し、政府・山口藩と対じしました。さらに、明治三年、その脱隊兵たちは、村政改革や営業の自由、生活困窮者への援助を求める農民一揆を支持し、彼らとの連携を模索しました。この権利を求める民衆に対して、政府は、「逆臣乱賊」とみなし、天皇の軍隊を投入して徹底的に弾圧したのです。長州の農民の権利意識が他地域の民衆に伝播し、大規模な反政府運動に発展することを恐れたからです。
ここで、その政府の施策として断行されるのが、廃藩置県であり、その後の従順な臣民をつくるための教育勅語(明治二十三年発布)に基づく、天皇制イデオロギーによる上からの国民形成です。その結果として、フランス革命において民衆が果たした役割に相当する、この長州の歴史的体験は、政府によって抹殺され、忘却させられたのです。
私の父方のルーツは、長州にあるのですが、ここで述べたように近代国民国家日本の建国において、農民達がつくろうとした「国のかたち」は、決して、住民を踏みにじる天皇の国ではなかった。農民達がつくろうとした国は、外敵の脅威に対して、自らの安全を守るために、つくったのであって、それは、封建体制を打破し、人々が、平等で豊かに暮らすための国でした。
しかし、結果的には、幕末、共に戦ったはずの鳥尾小弥太ら、旧士族階級の裏切りのために、この農民達の「国のかたち」は抹殺されました。その流れが、冒頭で指摘した、近代以降の沖縄の歴史に通じると思います。
しかしながら、ここで述べたように、国と言っても、元は同じ目線にたった人間がつくったものです。決して、抗しがたいリバイアサンではありません。私が、95年に、大学生として沖縄に来て、いろいろと学んだり、遊んだりした、沖縄の人々、一人一人も、同じ人間がつくったリバイアサンを、必ず克服できると思いますし、日本国民全体が、リバイアサンを克服するための、この農民の視点による歴史認識を持つ意義があるのではないかな、と思います。
道州制の導入を契機に、現在の民主主義社会の仕組みのもとで、この140年前の日本の建国期における課題を、安全保障を含む日本の様々な矛盾が集積する沖縄から、提起し、「住民の安全を守る」ことを第一にした、自治体・「国のかたち」を創出できたらいいなあと思います。
それでは、次の私の私案等について、ご議論をいただけたら幸いです。
(無防備地域宣言)
1 沖縄道州は、戦争の危機に際しては、適切な時期と区域において、1977年の「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書」(ジュネーヴ条約追加第一議定書)第59条による無防備地域宣言を行い、その旨を日本国政府および当事国に通告する。
2 沖縄道州は平時においても、前項の議定書に定める無防備地域の条件を満たすように努める。
(抵抗権)
1 この自治基本条例によって保障された権利が、国および沖縄道州の行為によって侵害されたときは、住民は、これに対して抵抗する権利を有する。
2 沖縄道州の自治権が国の行為によって侵害された場合は、沖縄道州は、これに対し抵抗する権利を有する。
3 国(何ものか)が、沖縄道州の住民の権利を侵害する場合は、沖縄道州は、自らの存亡を賭けて、国に抵抗し、住民の権利を守る義務を有する。
参考資料:
(1)玉野井芳郎「平和と生存を基調とする沖縄自治憲章」 (2)新聞記事等(仲地博、諸井敬、島袋純) (3)「抵抗権」、「自衛権」、「平和的生存権」の概念 (4)「国との関係」関連条文表 (5)拙文「自治体による『無防備地域宣言』の意義と課題」 (6)中部圏知事会の「国民保護法制に関する緊急提言」について (7)現行(都道府県制)と道州制導入における国と自治体の権限配分の概念図 (8)九州地方知事会「道州制等都道府県のあり方を考える研究会」『中間報告』(平成16年10月27日) (9)長州奇兵隊の精選と『諸隊暴動』から見る廃藩置県 (10)拙文「陸上自衛隊『島嶼専門即応部隊』の沖縄移駐の可能性」 (11)拙文「地方分権改革における琉球政府モデルの意義」
九州地方知事会の道州制論議については、
福岡県総務部行政経営企画課(TEL 092-643-3028)
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/wbase.nsf/98aeab5db7ae34a949256b0000279dea/82556b0b44bd9ca349256e5c00243c90?OpenDocument&Highlight=0,_u229ri44f888919o_
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