沖縄自治研究会

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第4回定例研究会 上


1.財政(ファシリテータ:濱里 正史)
2.沖縄自治州と市町村との関係(ファシリテータ:宮里 大八)
日時:平成16年12月18日(土)
場所:文系総合研究棟703


【財政】
○濱里正史氏  おはようございます。財政ファシリテータ担当の濱里です。きょうはよろしくお願いします。と言っても、あまり事前に何もできなくて申しわけありません。まず、資料ですが、当日配付なんですけれども、3枚綴りのものがあるかと思います。

 後半は、基本的には単にG2案とG3案と、日本国憲法の財政部分の抜粋を参考で入れただけで、2枚目までが大体の内容ですね。1枚目の前半部分が、どうやってこれをつくったかという考え方を示していて、その1枚目の下半分からが、今のところはこんなところが考えられるかなというものを箇条書きにしたものですね。

 財政については、私も専門ではないので、というかむしろ全然素人なので、ちょっと調べてみただけなんですけれども、具体的な数値とか制度に関しては複雑怪奇でブラックボックスになっていて、具体的な沖縄の財政が国との関係でどうなっているかというのは非常に難しくて全くわかりません。

 今回の資料は、基本認識1と書いていますけれども、まず第1に、憲法95条を前提にするというところだと思います。ただし、一応、他の国の憲法を参考にして、特に連邦制の国を参考にして、連邦と州との財政の関係がどうなっているのかというようなところを調べて、少し追加とか検討していくというスタイルをとりました。

 ただ、財政とか経済の自立に関してだけは、95条が前提だと何かもうほとんど何も書くことがなくなってしまうというような感じですが、フランスとか、イタリアとか、カナダとかを見ると、特別自治州というような形で、どこどこはもう特別に配慮するというふうに憲法の中に書いてある部分があります。そこで、G3までは飛躍しなくても、ここの財政とか、その他、沖縄の位置づけに関しては95条をはみ出して、憲法改正してでも、沖縄だけは特別だというところを入れてもいいのかなという印象を持ちましたので、そういうところも頭に置きながらつくりました。

 あと、G2案を検討したんですけれども、財政に関しては、入ってくるものがないとどうしようもないので、まずは当然ながら、収入について書くことになりますが、最近話題になっているように、財政問題だと使うほうもある程度規定しないといけないのではないかということで、G2案にはなかった支出部分を新たにお追加してあります。

 そういうことで、スタートラインとしては、収入については憲法95条に基づく沖縄自治州基本法G2案、及び日本連邦構想G3案を出発点にしました。支出については日本国憲法を沖縄自治州に読みかえたものを出発点としました。これに他の国の憲法を参考にしながら追加検討したものが、以下の1枚目の下からになります。

 一応、ざっと説明して、その後ご意見を伺っていきたいんですけれども、まず収入の部門ですが、沖縄自治州という呼び方でいいと思うんですけれども、財政上の自主権を有するということが第1に来ます。これはどこの憲法にも大体その意味のことが書いてあるので、やはり要るかなという感じがします。

 その次は、全国民の法の下における平等と幸福追求、これはG2案に載っていたものです。これは財政自主権のことなのか、ちょっと違うかなという感じもしますが、基本的には、一応、国が保障するという話で、これは絶対ないと困るし、他の国を見ても大体保障してある内容で、妥当だろうということです。

 3番目が、これはG2案の該当部分を解体したんですけれども、趣旨は少し変えました。国は、沖縄自治州に対し、3つの事項、「日本の平均的な地域の公共支出額と同じ水準の保障」、「機会の不均衡是正を目指す自立経済の促進」、「国境離島地域としての沖縄の特殊事情」に配慮して財源を移転するということです。

日本の平均的な地域の公共支出額と同じ水準の保障というのは、これはG2案に出ていた項目です。機会の不均衡是正を目指す自立経済の促進というのは、これは多分、ドイツ憲法にあるものです。その次の国境離島地域としての沖縄の特殊事情というのは、これはG2案にあったものです。ただし、G2案には沖縄の特殊事情としか書いていません。これは僕の個人的な考えなんですけれども、沖縄の財政的な側面については、沖縄に基地が集中しているからとか、戦争経験や戦後の経緯といった歴史的なものがあるから、その保障みたいな感じで財政が保障されるというような意味ではなくて、国にとって国境地域とか、離島地域というのは国土の重要な一部で、そこをきちんと国民が住めるようにするのは当然のことなんだという捉え方をする必要があると思います。要するに、そういう基地とか、歴史性といったことを考えなくも当然のことなんだということです。

例えば、スイス憲法には、山岳部の地域には特に財政に関して配慮するというふうに憲法に書いてあります。これは、スイスでも事情は同じで、要するに田舎のほうは財政がもう全然もたなくて、山岳部に関してはきちんと配慮するというふうにしようということだと思います。それからすれば、国境離島地域としての沖縄の特殊事情に配慮して財源を移転するという一文が入ってもおかしくないかなという感じがします。

 機会の不均衡是正を目指す自立経済の促進というのは、これはちょっと解釈がよくわからないんです。僕自身の解釈としては、例えば、最近、ODAで海外援助の場合は、単にお金だけを直接渡すと全員働かなくなってしまう、つまりは麻薬みたいになってしまって、全然援助にならないということがあります。そこで最近では、物をつくってもらって、それを買うときに適正価格で先進国の水準で買い入れた価格を、働いた対価として渡すという援助の仕方があります。財政移転の場合も同じような感じで、要するに沖縄の人たちは別に怠けていて財源がないというのではなくて、普通にこの地域で働ければ誰でも大体そんなものになってしまうということであり、それは地域性に付随するものであって、それを解消するための財源移転というのは正当なものなんだ、そういう財源移転はそんな変な話じゃないんだということです。

財政に関連して、沖縄の特殊事情をみた場合、国境・離島地域への配慮とか、自立経済の促進を目指すために不均衡是正という視点は、今後も重要だろうという感じがします。

その次の4は、これはその次の5とひょっとすると重複するかもしれません。その次の5はG2案にあったんですけれども、ちょっと分かりづらい文章になっています。読み方によっては、“沖縄自治州の財源移転は一括して行い”、“その使途については自治州が決定権を有する”、という意味に取れるので、5を削って4に変えて良いか後でお伺いしたいと思います。

その次の6は、国の課税秩序に反しない限りにおいて、沖縄自治州は課税する権利を有するということです。田の国をみると、これは各国ばらばらでです。課税は連邦政府の権利だとしている国もあれば、国全体の税制秩序に反しない限り、あるいは二重課税にならない限り地方も課税して良いという国もあります。課税権については、今も既に環境税なんかは認められていると思いますが、それをきちんとした形で明文化する方が良いと思います。

次のページにいきまして、7番、これはG2に載っていた内容です。“沖縄自治州は米軍、米軍基地内施設及び軍人等への課税については、州内の事業所及び住民と同等の原則を適用する”ということですが、要するにこれは基地から収入を得ようという話だと思います。

その次が8番、日本政府に属する土地及び財産はすべて無償で沖縄自治州政府へ譲渡する。これはG3案にあった内容です。これは聞いた話ですが、今現在、これをそのままやってしまうと、実は市町村の土地とか県の土地には、多分、税金みたいなものがかかるというんです。それで持ちきれないという話が実はあるらしい。そこで、その次の“沖縄自治州及び州内市町村に属する土地及び財産については国税を課さない”という条文を入れてあります。この条文は、要するに、国有地等を県もしくは市町村に譲渡してもらって、それに関しては国税はかからないけれども、市町村税、県税はかけようという、そういう話です。

大体、収入に関して考えられるところは以上です。結局、自主的な課税権をもって、基地をはじめとして、いろんなものについて課税していくしか、税収を増やすという話にはつながないんじゃないかと思います。もう1つは、財政移転に関しては、それは正当な権利なんだという主張をする必要がある。大体この2つが考え方の柱です。

その次、支出部門ですけれども、これはほとんど日本国憲法の焼き直しです。

9番目として、沖縄自治州の財政を処理する権限は、沖縄自治州議会の議決に基づいてこれを行使しなければならない。これは憲法も全く同じです。

10番、沖縄自治州予算を支出し、または債務を負担するには、沖縄自治州議会の議決に基づくことを必要とする。

 11番、沖縄自治州政府は毎会計年度の予算を作成し、沖縄自治州議会に提出してその審議を受け、議決を経なければならない。ここまでは、これはほとんどどこの国でもうたっている話です。

 12番目は、沖縄自治州の収入、支出の決算は、沖縄会計検査院が沖縄自治州独自の会計基準に基づき、すべて毎年これを検査し、沖縄自治州政府は、その年度にその検査報告とともに、これを沖縄自治州議会に提出しなければならない。これは日本国憲法にある会計検査院の規定です。

ここで、支出に関して言うと、結局、いかにして支出を抑えるかということが重要です。その場合、その下の方に書いてありますけれども、公務員の給与をどうするかとか、あるいは、不正を防ぐという目的のために行政の支出のやり方というのはものすごく縛りがかかっていて、はっきり言ってしまえば、かえって高いものしか買えず非経済的という、皆さんご存じの支出のあり方をどう変えていくのかということを考える必要があります。

 もう1つ重要なこととして、よく言われるのは、今の予算システムが、予算を削減していく方向には絶対繋がらないということです。例えば、予算をきちんと消化した公務員が評価されるシステム内では、予算の削減というのは基本的にはあり得ないという話があります。 

基本的に、日本の会計のやり方をそのまま沖縄に適用していると、支出を減らすという話には絶対つながらない。これは国自体で見直していく必要がありますけど、いつになるか分からない。ここは一つ、沖縄独自で基準を設けて、会計の検査をやって、予算を削減できるシステムを作っていくという話が必要という感じがしています。

その次に書いてあるのは、沖縄自治州独自の会計基準は法律でこれを定める。沖縄会計検査院の組織及び権限は法律でこれを定める。注で書いてあるのは、今、口頭で申し上げた予算執行のやり方とか公務員の給与体制、これはいろいろ議論のあるところだと思いますけれども、やはり考えていく必要があるだろうということです。そこまで踏み込むと、実は地方公務員の身分保障についても実は関わってくることなので、財政分野だけで議論が完結するかどうかは少し疑問です。

 最後が、沖縄自治州政府は沖縄自治州議会及び住民に対して、定期に、少なくとも毎年1回、沖縄自治州の財政状況について報告するとともに、常時閲覧できるようにしなければならないということです。これは日本国憲法と同じですけれども、常時閲覧というところを加えました。

支出に関しては、日本国憲法とほとんど同じですけれども、やはり支出を抑えるという意味で、お金の使い方に関しては、国とは違うやり方を沖縄独自で決めて検査するシステムをつくろうという、その1点が違うだけです。

その他というところがありますけれども、この辺は要するに、アイデア勝負みたいなところになります。

例えば、沖縄の特殊事情、島嶼性に配慮し、空港及び港湾の整備に自動車重量税を充てることができる。これはこの下の方に航空運賃とか、船舶運賃の課税とか、あるいは航空、海上交通への財政補助というのもあって、いわゆる交通についてどう考えるかです。

いろんな他国の憲法を見ていますと、交通に関しては道路だけでなく、その他の交通インフラも、社会基盤としてきちんと整備すると明記されている国があります。道路交通に関しては日本も同じで、自動車税等を財源にきちんと整備することになっています。しかし、そんなことを言われても、沖縄は島嶼県であるがために、道路だけ整備しても十分とはいえません。だって、他の地域とつながらないんだから。海中道路で福岡とか鹿児島とつなげるという話だったら別ですけれども。沖縄の特殊事情ということを考えるのであれば、交通インフラとしては道路だけではなくて、空港とか港湾に関しても、ほかの本土の道路と同じような、同等の措置を図るということを考えてもいいんじゃないかということです。

その次に、自治州公務員の給与及び自治州議員報酬は、自治州が独自に定めると書いてあります。議員報酬の独自規定については、どこかの憲法に載っていたと思いますが、公務員に関しては、書いてあるところはなかったように思います。

 泡盛への課税は沖縄自治州が有する。これは課税権の話です。このへんは酒税法との関係が出てきてややこしい割には、これが出来たからといってどれぐらいの税収が上がるの、という話もありますけれども、酒税というのは、歴史的に国の専売ということが多いので、歴史性に配慮して、泡盛だけは特別でもいいじゃないかという感じがします。

 あと、気になるのが、この間の新潟中越地震ではないですけれども、災害救助とか、復興の際の財政措置。これは米軍絡みも出てくるのかなと思います。この間のヘリの墜落じゃないですけれども、やはりそのへんの話はきちんと明文化して、自然災害だけではなくて、そういう基地災害に関しても、保証や財政的な救済措置など、やはり定めておく必要があるんじゃないかなという感じがします。

 航空運賃、船舶運賃への課税、あるいは海上交通への財政補助。これは航空交通とか、海上交通への財政補助は、どこかの憲法でうたっていたと思います。沖縄の場合は、産業振興では、必ず交通費の問題が出てきて、競合力が弱いという話が出ます。そこで、沖縄だけ特別に、補助金による支援、あるいは輸送運賃を低減させる何らかの方法、あるいは税金を安くする方向、というような感じで考えられないのかということです。

 賭博税。賭博税は、他国をみても、国の税収になっているところがほとんどです。沖縄で盛んなパチンコとかスロットは、賭博には入っていないと思うんですけれども、実質的には賭博ですから、賭博税もしくは名目を変えて課税したらどうかなという感じがします。

 そんなところですね。


○島袋純氏  G2の財政はみなさんができないというので、G3原案作成しながら、私がつくって、G3の原案をつくりながらG2も片手間でやっていたので、結構非常に忙しかったんですが、これはこんな文言だったかなというのがなかなか思い出しきれません。趣旨は例えば、これは国が自治体によって自治体に支出を義務づけた経費、受動態、能動態もばらばらですね。これは例えば、国庫支出金から出てくる義務的経費は、これはいろんな福祉とか教育関係が大きいんですけれども、例えば、義務教育国庫負担金ですとか、これは明確に2分の1補助という法律があるわけですね。

 だけど、明確に法律かなとかよくわからないグレー・ゾーンのいろんな義務的な経費というのが、実を言うといっぱいあるんです。そういったものをすべて、一括適用除外すると。沖縄においては義務教育国庫負担金も適用除外、これは法律に基づいて義務教育国庫負担法という法律があるんですが、これも適用除外、要するに国が沖縄自治州に義務的経費を一切課すことができないようにするということです。

 だけれども、これは後段のほうはちょっと文章がおかしいなと思うんですけれども、だけれども、沖縄自治州がどれぐらい支出しています、ほかの地域では。ほかの地域ではどうなっています? ということを中央省庁に聞きに行ったら、ちゃんと助言してくれよと、そういうことですね。だから、福祉とかいろんな問題に関して、どのぐらいの歳出のレベル、どのぐらいのサービスのレベル水準をやっているのかなということで、ほかの地域を参考にして聞きに行ったら、ちゃんと助言してくれよということです。


○濱里正史氏  要するに、財源に関しては、補助金とか、交付税とか、譲与税とか、何かそういう細々したことを言わずに、一括した予算とし、総枠として移転して、その中身については自由に使えるという形になればいいのかなという意味で、4番の話を書いたんですけれども、それとはまた意味が違う話なんですか。


○島袋純氏 要するに、財源移転は一括して行っても、法律で義務づけられたら、必ずそれは支出しないといけないわけですよ。だから、法律自体を適用除外してくれと、それを入れておかないと、財源を一括して移転したところで義務的経費じゃないですから、やってくださいよと言われて、それでやらなかったら、制裁を加えますよと言われたら、しようがないから、それは法律上の問題です。法律によって財政支出を義務づけている、その部分を全部適用除外としてくれと、そのためにはどうしても憲法95条による特別自治州が必要ではないかということです。


○藤中寛之氏  ちょっと危惧かもしれないのですが、そうした場合に、当時の沖縄の中での政治的な勢力の影響を受けまして、極端に特定の分野のみに重点的に配分されたりしませんか。例えば、教育のための予算が削られるなど、そういうのが少なくなる危険性もあると思うのですが、何かそこらへんの問題を担保する規定など、この条文の中に設けることはできませんか。その必要性はないでしょうか。


○島袋純氏  国の水準とかではなくても、沖縄で沖縄のミニマム、沖縄ミニマムというのをつくっていくし
かないと。もし沖縄が「いやー、もう教育なんかどうでもいいから、土木事業に重点的に経費を落としてしょうがないと。みんなでばかになりましょう」と決めてしまったそうなるということです。国の水準を義務づけられて支出するなんていうことはするなということです。だから、そんなリスクも背負いながら、沖縄の政治的なぐしゃくじゃというのも前提にしながら、それでもなお、沖縄は教育でいくということの合意が得られればいいんじゃないかなという見通しで、極論すれば、それが民主主義じゃないかなと。だから、沖縄の人々はそういったリスクを背負ってくださいという話ですね。


○玉城和宏氏  財政も全然知らないのですけれども、基本的に予算化するというのは、行政と沖縄の地域の現状、どういう形で企業があり、我々の生活がどのようになっているかという、そういう基本がまず押さえられないといけない。その基本の部分というのは、どういうふうになっているかと、人間が、生物も同じですけど、エネルギーや物質を通して循環しているわけですね。いろんな循環システムがある。ある循環システムが動かないときに、通常、行政サイドは、そこの中にお金を落としておいて少し潤滑にして、それがうまく回りだしある程度潤滑になった時点で、反映の結果として、税金として税収が上がってきて、そして、さらにそれをまた回すという、それが本来の国の財政の基本だと私は考えているんです。

 つまり、沖縄とか特別な地区の場合において、そこの産出する利益は少なくても、東京にはたくさんの利益が出る。それは国土を全体として我々が守っているからこそ、東京のほうにあれだけのお金が出てくるわけです。国家が国家たるゆえんというのは、そういう収入の再配分をして国の形態を守るという、再配分権を持つというのが国家の基本ですよね。

 それから自治州という場合だったら、自治州の中の再配分権を持つというのが自治州のまず基本だと。そうすると、ある地方で予算が足りない場合に、どういうふうに担保するか、あるいは処置出来るかというのが、我々の自冶が独立できるかどうかという鍵になってくるわけで、だから、基本的なデータがある・なしにかかわらず、沖縄の実情を認識し、まずこれは肯定しないといけない。米軍基地が今、私は嫌いですけど、一応、現実にあるので肯定しないといけない。

 そういうものの地域生活に及ぼしているマイナス面、それから国全体から考えたら、それから得る利益、政府が言っているような安全保障というのがどのぐらいの価値かと。私自身はそれを2兆円ぐらいかなと思っていて、1兆円ぐらいは沖縄に落としてもいいんじゃないかと、少なくとも5,000億円ぐらいは毎年落とすべきだろうという、そのぐらいに考えているんですけれども、少なくとも、我々の生存権と、それから本土における生存のレベルとを比較して、中央に集中しているお金の、対応する部分に関する再配分を得る権利、それを我々は有しているわけで、そこの部分をもう少し理念的なレベルから話し合ってもいいんじゃないかなと思っているんです。だから、その理念にかなうような対象というのを特定しながら議論できれば、私自身にもわかりやすいかなと、そういうふうに思う次第です。


○島袋純氏  ちょっと今の点に絡んでいるんですが、例えば我々が議論したのは、沖縄自治州が沖縄県内の市町村の交付税、交付金的なものの配分の権限を持つのか、持たないのか。これを議論したんです。G3の案は確実に沖縄の政府が、沖縄県内の市町村の配分、再配分機能を、要するに財源保障、財源調整、財政調整の権限を持つということを明示したんですが、G2ではどうたったかちょっと覚えていない。G2はどうでしたかね。私の発想とすれば、基本的には総務省とか、あるいは財務省とかの権限を徹底的に排除するためには、沖縄自治州が財源調整、財政調整、あるいは財政保障機能を持ったほうがいいと。となると、沖縄県内の市町村は、もうほとんど東京に行く必要がなくなるわけですよ。

 ということは、沖縄の中で大体すべてが包摂できる。もう1つの問題点は、そうなると、後で在野のほうの話になりますが、市町村と自治州の関係は全く横の関係ではなくなって、ある程度縦の関係になってくる。要するに、お金の再配分に関する権限を持っているので、自治州対市町村の関係が、総務省対今の県とか市町村の関係になってくるわけです。今の県と市町村は、どっちも総務省が交付金の配分の権限を持っているので、そういう意味では確かに平等なんです。

 だけど、国と市町村と県の関係は、お金を握られているということで、法律上は横の関係と言いますが、実質的には縦化されているわけです。それと同じ現象が自治州と市町村の間で起こってしまうという問題があるんですけれども、それに関して浜里さんはどういう主張だったんですかね。


○濱里正史氏  それに関しては、自治州と市町村との関係という図式で、そっちの方の話なのかなと思っていたんですけれども、財政上に関して、自治州から市町村への再配分ということで話します。現状については僕もあまり実際は知らないんですけれども、むしろ県庁の方のほうが知っていると思いますが、今の時期に県庁を挙げて国にどっと行って、市町村は行きたいところはかなり力を入れるし、行かないところはあまり行かないというような感じで、今ぐらいの時期に、ものすごい精力と神経を使って、各省庁を回って折衝する、いわゆる頭を下げるようです。

こうした姿は健全ではないし、財政の再配分に関して、今の国と県の関係を、県と市町村の関係として、そのまま持ち込むような形はあまりよくないと思います。ですから、今、国と沖縄県が築こうとしている関係、財政上の関係に関しては、市町村と自治州の関係にも同じ原理を適用するというのが1つです。

 もう1つは、実は市町村合併とも絡む話で、懸念のようなものがあります。実質上は無理だと思いますけれ
ども、僕が聞いた市町村合併論で一番過激なのは、那覇を中心に、北部を除く中南部が1つ、ほかが全部で1つで、県が管轄するという案を聞いたことがあります。冗談半分とは思いますが、離島町村については、財政上の問題も含めて、県が面倒をみる、あるいは一緒に考えるという選択肢もあるのかなという感じはしました。

 これはなぜかというと、自治体規模によるんですけれども、規模が大きくなれば自主的にきちんと計画して、予算を使っていくという自浄作用も働くというのがあるんですけれども、離島というのは合併が難しい上に、なかなかそういう人材が継続的に育たないというところがあります。

本島地域については、「東方市」のように、5万人から10万人ぐらいの塊で固まってくれれば、ある程度自主性に任せても大丈夫なんじゃないかと思います。ただし、合併が難しい離島町村については、県のサポートもしくは指導が必要ではないかと思います。

先ほど出ていた自治州とか、県とか、地方自治体に任せたら、使い方がどんな使い方をされるかわからないというのは、確かに懸念としてはあると思います。ですが、ある程度人口規模があって人材が滞留するようになれば、ある程度は大丈夫なんじゃないかと思います。

 その辺は、僕よりも自治体の職員の方に直接感想を伺ったほうがいいかと思うんですけれども、僕はそういうふうに考えています。


○玉城和宏氏  先ほど縦の関係という話で島袋さんから出てきましたけれども、基本的に憲法の平等、平和的生存権、そのへんのあたりをまず斟酌するならば、生活の基本、最低限度の生活という形を基本にしておくならば、離島であろうが、本島であろうが、基本的な生活レベルを支えるための手当てを、沖縄自治州のレベルでまず考えないといけない。それを先ず考えてほしい。それが達成される間に別途必要な事態がいろいろ起こったときに、だれが見ても必要だとわかるような事態であれば、それを設定してしまう。例えば「あそこはおかしいよねとか、災害があったよね。では、先ずそこに資金を回そう」という、それが本来の再配分機能であって、権限をもって、自分のやりたいような、意図的な、あるいは特定のバックグラウンドを持つような人の意見が通るようなシステムでは困るんです。

 だから、基本的には、まずは沖縄住民の生活レベルをどのように設定しているか、その設定のレベルをみんな平等にするのであれば、基本的にどのレベルが平等で、だから今、島袋さんが言われたように、最低なレベルに落ちつくかもしれない。だけど平等だというレベル。食糧とか、教育とか、基本的な生存に要するものは基本的に平等。それからぜいたくをしたいとか、もっといろんなものがあるときには個人の努力が関係してくるだろうと。

 もとっも、行政が施策を実施する場合に、お金をもうけている人にどんどん事業展開ができるように資金を回すための環境整備とか、観光などのように沖縄にお金が移入してくるような、そういうレベルにお金を回してもいいだろうけれども、基本的に住民サイドの、弱者の生活レベルをどのへんの形でまず担保するかという、担保できるかという問題。財政上の問題としてそこが基本的にあると私は思うのです。

 その基本的施策の実施後に、従来の再配分機能が続くだけであって、それをせずに再配分を実施して、中国みたいにまず沿海州から先に発展しましょうね、中国内部は後にしましょうねと言ったって、それはもう全然格差が開くばっかりで、意味はない。沖縄みたいにこれだけ離島がたくさんあって、大変だとは思いますが、もちろん本島も入りますが、まず基本的には生活の平等レベルの構築、教育とか基本的社会インフラを使えるというか、それから離島間を結ぶ交通の利便性をどのように担保するかという、そういう生活のレベルをまず想定してもらわないといけない。

 そういう理想的な想定、何か共産主義的な形になるけど、そういう想定みたいなものをまずもっておいて、その後、お金をどのように配分するかと。それが一番わかりやすい、私みたいな素人が考える、個人の生活レベルでのわかりやすいお金の流れなんです。


○藤中寛之氏  今のお話に関連してなんですけども、とても財源が乏しい中で基本的にはどこに住んでいる方も平等でというような考え方のもとで、教育なり、社会資本の整備とかを維持するということを掲げた際は、実際の問題として、現状では、例えば、離島にいる教員は、本島の教員よりも手当があるので給料が高いです。その結果、例えば、小規模校の場合、1人の子供を教えるためのコストが年間500万円かかってしまうようなことも考えられます。実際問題としては、そこらへんに大きなメスを入れる制度というのをやらないと、その教育の機会均等ということは維持できないような気がします。このようなシビアな提案、濱里さんがレジュメの中で公務員制度のことも書かれていたのですが、自治州公務員の給与及び自治州議員報酬は自治州が独自に定めるなど。やはり、実際に玉城さんの先ほどの論理を言うからには、そこらへんのシビアな観点というのも、解説書か何かで盛り込まないと、実効性がないのではないかなあ、と自分は思いました。以上です。


○玉城和宏氏  生活をするときに、昔は地域共同体という考えがあったのだけれども、今、生活のためにみんなお金で配分してしまいますよね。行政にとってもお金は税金を徴収し、配分するときにも非常に重要だから。つまり、お金でないと動けないような、そういう状況がある。

 だけど、生きていくときに、例えば、皆さんが各家庭で少しだけ余分にお料理をつくったり、ごはんを炊いたり、その残ったのを、お布施ではないけど、ある地域に全部プールにして、そこで、もし働けない人、あるいは失業に遭った人に提供し、その生活の面倒を見るという、そういうふうなシステムも考えられるわけです。

 つまり、お金がなくても、その人達を助けていけるシステムというのがまず考えられる。全部すべて金にかえられるものではない。金というのは基本的に、物々交換から出ているけれども、実際にはそれは無形の形になってしまって、いろいろと融通がきくようになった。また、それを集めることによってすごいパワーを出すことができるという利便性ももっています。そういうふうな機能は非常に重要となるけれど、すべてそれに変えてもらったら困る。基本的生活はどういうレベルにあるのかということをまず見てもらいたい。

 それから教育。教育というのは一応プロがやるという形になっているけども、本当は地域の人たちとか、いろんな形で自然と触れ合いながら話をすることだと。つまり、私は教育というのは、データはそんなになくても、対話を通し、本当に自分達でものを考えられるようになったら、なった時点で、その人は、例えば、いろんな文献でも何でも、基本的なところからはじめて本当は読めるようになるはずだと。少なくともそういう批判精神というか、基本的部分ができあがったら、そういう人たちのために、良い先生方のサーキュレーションを設定しておいて回っていただくとか、あるいは子供たちに離島なり、いろんなところに集まってもらって話を聞く機会を作ってあげるとか。

 その場合、子供の移動はインフラとしてほとんどただにしてあげるとか、そうすると「誰々ちゃん、あそこに行ってきなさいね」というだけで年長の子供に預けることが出来る。それからパブリックの公共施設をつくってしまえば、そこにまた行って、そこで子供たちが集まって、いろんな勉強とか、話し合いをするとかが可能なんです。だから、どういうことが可能かということを、本当は行政サイドがいろいろ考えて、考えた上で金を動かす。金を動かすのは、基本的には最後のはずなんです。だから、必要な財政というものをできるだけ少なくするという目標があるならば、お金でできないような、お金を使わなくてもできるような、そういう基本部門をまずリストアップしながらやっていく必要があるのじゃないかと思います。


○島袋純氏  今の話、具体的になれば本当に基準財政需要額とは何かとか、具体的に政策策定の技術的な問題も含めて非常に細かい話になる。今回は、基本的には財政自主権とは何か、その具体的な中身とは何かという話を、特に対国との関係、あるいは対市町村との関係で自治州の権限を規定していくということなので、おそらく会計法とか、会計条例だとか、あるいは何かいろんな分野で沖縄の自治州の会計、あるいは予算の編成の仕組みというのを多分規定していかないといけないです。ここは、本当に原理原則的なことを書いていくということですよね。

 それでおそらく、5番はもうこれは法律というのは国会の権限事項で、法律の型をどうせよこうせよということは、基本的には自治州の法律、自治州の憲法の中には書けないんですよ、本当は。だから、これは自治州が決定権を有するという形の中に全部押し込んでいったほうがいいかもしれない。5番、全部削除という発想でいいかもしれないです。

 それで、あとは基本的にはだけど、その市町村を守るために、あるいは沖縄独自のミニマムというのをつくって、それを達成するために、沖縄自治州が交付税、交付金の配分機能を持つかどうか。今、総務省が持っている機能を持つかどうか、そこの点はちょっと明らかにしないと、おそらく自治州の役割、それは自治州が守る価値、これをどう実現していくかということと、先ほどの沖縄をどう守っていくかという話と絡んでくるので、そこはおそらく明らかにしておかないといけないだろうということです。

 それから、制度的な設計の問題としては、支出部門において、議会と大統領の関係においては議会が予算編成権を持つんです。日本国憲法の、これは原案は基本的にはアメリカ人がつくったんだけれども、日本国憲法の解釈の時点で、予算編成権は内閣に属するということで、戦前型の、プレセン型の解釈を持ってきたので、日本の場合はアメリカの議会大統領制と違っていて、基本的に内閣のほうが予算編成権を持っているんです。

 だからそこの問題ですね。支出部門において、11番、沖縄自治州政府は、毎年予算会計年度の予算を作成し、提出すると書いてあるんですけど、これは復帰前の琉球政府が持っていない権限なんです。予算編成権は議会にあるわけですから、復帰前の琉球政府ができたことは、予算教書なんです。教書。だから、単なるたたき台です。全く全部否決することができていたんです。今の日本の予算会計法、日本の法律ではゼロ修正なんてできないんです。ごく一部の増額修正とか、だから、限定されているので、これを沖縄自治州は日本の今の国会と内閣の関係的な権限体系でいいのか、それとも復帰前の琉球政府対琉球立法院の関係にするのかどうか。そのためには立法院は、実を言うと、大蔵省主計局みたいな予算編成局を持たないといけないんです。復帰前は持っていたわけです。

 それと同じようなことをするのかどうか。これは議会対行政の権力の構成を規定するものですから、これは明確に認識して規定しないといけない。その部分ですね。


○新崎盛幸氏  この沖縄自治州の議会なんですけれども、この構成は各市町村の首長あたりも入ってきますか。

とかく沖縄自治州論議になると、基礎的自治体の市町村、その存在が少しぼやけてきているというのが印象にあるんです。

だから、後で出てくる自治州と市町村の関係の項目だけでなく、こういったいろんな項目の条文の中でも、市町村・基礎的自治体をあくまでも自治州は補完する政府なわけですから、その市町村に対する予算の配分の調整機能も、やはり市町村の代表が議論する場のセッティングは必要じゃないかと思っています。

 先ほどの「何市と何市は残して、あと全部」というような少し乱暴な話も、実際、そういう発想をする方々も出てきているような感じがしますので、やっぱり住民の一番の基本となる市町村・基礎的自治体、それをあくまでも補完する自治州政府という「補完性の原理」というのが各項目で貫かれていないと、結局、今までどおりに市町村の行政・議会が、県・国ばかりを向いていくという発想が、そのまま温存されるんじゃないかという感じがします。

 それとあと1点、ちょっと話が変わりますけれども、2枚目の7番、米軍等への課税なんですけれども、ただし書きに「国は米軍との協定に基づき、米軍にかわってそれを支払う」という話が出ていますけれども、これについては、またそれが「思いやり予算」みたいな形になってしまうような気がして、あえてそれを促進するような条文は入れなくてもいいんじゃないかと思っています。以上です。


○久高氏  私は那覇市のほうに勤めていますけれども、ちょっと直接、財政ということではないんですけれども、平成14年にちょうど市町村合併が、今、ちょっと濱里さんが市町村合併の話をしていたものですから、ちょうど14年から15年にかけて市町村合併を実は那覇市で担当していたものですから、それと自分の生い立ちとかを含めてちょっとお話ししますけれども、私は出身が首里なんですけれども、首里で生まれて育って、ほどなくして那覇市役所に就職したものですから、いろいろ親なんかの意見も聞いたんですけど、ちょうど首里はご承知のように、昭和29年に那覇市と合併していますけれども、私はそれから何十年かしてから那覇市で市町村合併を担当していますけど、くしくも何か奇遇だなという感じで思ったんですけれども、その当時、私が合併を担当したときには那覇市と南風原と6離島村との合併ということで、当初で言えば、本当は那覇市は県の案では、それに豊見城とか、浦添とかも実は入って、その規模でやると50~60万人規模で、このぐらいの那覇とか、豊見城とか、浦添も一緒ということであれば、離島なんかもある意味では支えきれるだろうという形でやって、私はその担当だったものですから、各自治体にどうですかと声をかけたんですけど、結局、豊見城はその当時、確か豊見城市になったばっかりで、遠慮しますということで、浦添は結局よくはわかりませんけども、やっぱり大きな那覇市と一緒になると、何か吸収されるような形でおもしろくなかったんじゃないでしょうかね。結局、最終的に残ったのは、那覇、南風原、6離島村ということでしたけれども、やっぱり皆さんも新聞でご承知のように、その後、南風原が例の南部のほうとくっついたものですから、結局、そうすると那覇と6離島村というのは厳しいものですから、当時、首長としては那覇はせいぜい目に見える渡嘉敷、座間味ぐらいは持ちきれるかなぐらいで、まずは近視的にはこのぐらいからとやったんですが、結局しかし、離島は離島で、渡嘉敷、座間味もやっぱり生活圏としては一緒だと。

 例えば、ご承知のように渡嘉敷と座間味というのは高校もないですよね。結局、中学校を卒業すると那覇に来るわけですから、いろいろ生活、そういう意味では、非常に那覇との均一感とか、生活レベルでは一緒ということはわかるけれども、しかし合併するとなると、まず役場段階がおそらく縮小されるだろうし、やっぱり町そのものが元気がなくなるぞということで、少々経済的には厳しいけれども、やっぱり自分たちは独自の道を選びたいという形の選択だったような気もします。

 それで思い起こして、今度はまた当時の昭和20年に、首里市が那覇市に合併したときのことですけれども、私は親から聞いた話ですけれども、その当時、市というのは、おそらく那覇市と首里市ですけれども、やっぱり首里市というのは、やせても枯れても王国が築いたひとつの首里城下市ですけれども、何か聞きますと、その当時、首里市というのは財政的に非常に厳しくて、本当に職員の給料も払うのがやっとだと言っていました。それで背に腹は代えられないと、結局は苦渋の選択で合併したというような話を聞きました。

 ただしかし、当時、首里のお年寄りや何かにとっては、この首里という名前をなくすのは、もう死ぬに等しいと。それで那覇との協議で、せめて首里という名前だけは残してくれということで、ほかの例えば真和志とかはないですよね。それで那覇市首里という形でつけたというのが経過だそうです。

 それからすると、人間もそうだし、自治もそうですけど、最終的にはやっぱり財政的な裏づけがないと、人間もそうですけど、人と人の誇りも、それから自治体としての誇りも、そういう意味からすると、やっぱりこの財政的なものはまずやらないと、最終的には独立はしたけれども、またお願いしますという形で、また拝み倒すような形になるので、そういう意味では非常にこの財政的な規模というのは、一番の根幹に関わるような気がするものですから、今、合併を通した私なりの感じたことをちょっと申し上げました。以上です。すみません、長くなりましたけど。


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