沖縄自治研究会

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第5回定例研究会 下




○与那嶺武氏  まず、先ほど国立大学の先生の兼業の話がありましたが、国立大学も法人化されましたが、ある大学の先生と、たまたま話す機会があって、大学の法人化に伴い国立大学の先生が、議員になる道というのはないのかというような話をしたことがあるんですね。そういう話をした時に、この先生が、木佐先生の本だったと思うんですが、「いや世界の国の中ではあるんだよ」ということで、その本を見せてくれて、ドイツだったかと記憶しているんですが、間違っていたらすみません。そこの議会の中では、行政職員などの公務員が入っていたり、大学の先生が入っていたり、また労働組合の書記長が入っていたりとか、そういう形で構成された議会があるよと教えていただきました。ただ、そういう国では、社会が、そういう議会に参加する間は、大学の先生の場合は、講義内容を減らしてくれるとか、企業ですとその分、業務的には考慮するとか、そういう配慮やバックアップがあるということです。

行政職員とか豊かな知識を持ち合わせている大学の先生方が議会に入っていくということは、自分は個人的には非常にいいことなのではないかと思います。公務員の場合は例えば、地方公務員法などクリアすべき大きな課題もあると思いますが、ある意味で議会への道というのは、サラリーマンなどの方には狭められている道である状況があるのかなという気がしていますので、この案は非常に意義深いような気がしています。個人的には、政治参加の幅を広め、勤め人や大学の先生方が議会に入っていって、議論をするというのは、より議会が充実した議論ができますので、非常に意義深いのではないかなと思っています。

行政職員の公募制については、島袋先生の話を聞いてみると、終身雇用も期限付きの任用もどちらも有効性はあると思います。今、専門性の高い分野などは、例えばIT関係で電算職員とかを嘱託員という形で、公務員より高い給与支給をしても効果が出ている部分もあります。より効率性を高めるという意味では、専門性の高い方にお任せするということも必要かなと思います。

選挙事務とか、実際、うちの議会でも、民間の方にやってもらったらどうかという議員さんの質問があり、議論がありました。いろいろな意見がありました。選挙事務などを民間委託できるかどうかというのには、クリアする課題は多いかと思いますが、通常の業務に関しては、高い割合で住民の方でも担うことができる可能性は高いかなと思います。


○玉城和宏氏  やはり職種を変えるというのは、生活保障という社会的保障の基本がそこにないといけないので、本来だったらやはり適材適所で、役所の中であってもその任用のところで、できる仕事のほうにほんとはシフトしていただきながら、適材適所のバランスを取りながらやっていくのが本当だと思うんですよ。普通、職種をこういうふうに変えずに済ます終身雇用制というのは、そういうチャンスが、社会的に保障されてないという裏返しの現象だと今いろいろ思っているので、やはりパブリックに対して、沖縄全体で職種変更にはどのくらい担保するのだと。そういう最低の基礎的な部分があれば、自分は子供もいる、年寄りも抱えている、その場合にも少々給料下がっても、保障は利いているよと。そのへんの部分を、総合的に見ないといけないので、そこのところはファウンドというか、そのへんが非常に利いてくるのかなと。だから、将来有用な人を使って組織を動かすのであれば、それは流動性を持っておかないといけないし、その流動性を担保する時には、社会保障という部分を本来付け加えておかないといけない。そういうところがちょっとあるのかなと思いました。


○藤中寛之氏  近代官僚制の予測可能性の部分に即関連することだと思うのですが、先ほど曽根さんのほうから、知り合いの方のお話しとして、一般のそこらへんの道歩をいている人でも、9割方公務員の仕事ができるよというお話もありました。実際、素人でもどんどんできるよみたいなお話があったんですけど、自分がシンクタンクで外から行政の現場をちょっとのぞかせてみましたら、非常に何と言うかな、経験を積んだ人じゃないと、内部調整が難しいと思います。これは、縦割り行政の弊害という側面が強いと思うのですが、セクショナリズムがすごく組織の中に染み込んでいるという実態があるようです。その実態を仮に前提とするならば、即経験を積んだ行政マンの人であれば、この部署はこんなふうな論理でこういうふうに考えていて、ここをこう押しつつ、こっちもこう突付いてみたいな、何かそういうことに、ものすごく長けた人がいたりとかする実際の現場を見たりしました。いわゆる根回しや腹芸等をやりつつ、自分の目的としている事業を達成していくみたいなことがあるようです。それを考えますと、やはり何らかの形で、例えばイギリスの地方公務員制度でありますような公募と、クローズするようなものとの兼ね合いというのは、今の行政の仕組みを考えたら必要かなというふうに自分は思いました。もちろん、このクローズになる人が、今の公務員制度のように、終身雇用制で、地域によっては民間よりもかなり待遇が良いという、特権階級的になるのは問題だと思います。しかも、その公務員の採用が、コネである場合、現代版の封建社会かな、とすごく問題を感じます。


○島仲徳子氏  非常に斬新な案だとは思うんですね。やはり私は現実的に考えます。今、私たちが目指そうとしているのは、少ない公務員、少ない職員で効率のいい仕事という時に、10年しか役所の職員を採用しないという時に、大学を卒業した優秀な方が、まあ優秀でなくても、10年でもう退職、お払い箱、首を切られるところに就職しようと思いますかしらというのがまずありますし、この業務ごとに採用する、任期は10年ということは同じポストに10年ということですよね。10年経ったらまた新しい人が入ってくるという業務をやる。このほうはいいんですけれども、統括する管理職ですね、係長もその係長ということで公募をしてやる、課長もそういうふうにやる、部長もやるといった時に、どういう人材がいるんだろうと思うんです。役所以外の例えば民間の企業で、こういうふうな社会全体で、私たち民間で働いていて、これは役所でも生かせるので、10年役所の仕事、公務をやっていらっしゃい、出向というそういう社会全体の仕組みができていれば、そういうふうな管理職、ヘッドの交流もできるかなと思いますけれども、まだ社会的にそういうふうに成熟、成熟という言葉が適当かどうかわかりませんけれども、そういうふうになってない中で、駒はできてもその統率する、統括するポストを、どうやってこれを埋めていくんだろうというのがあります。

 曽根さん6年いらしていて本当に感じるところ多いと思います。何も役所で高いお金払ってこの仕事をやってもらわなくてもいいのにとかあると思うんです。ですから、役所でやらなくてもいいところはアウトソーシングとか、あとNPOいろいろなやり方でやって、それから次のステップということで、いきなり10年単位で皆さん大学院を卒業して10年間役所に来ませんかと言われた時に、藤中さん10年後に首切られる、どうなるかわからない、行こうと思いますでしょうか。


○藤中寛之氏  終身雇用・年功序列賃金制のもとで、沖縄に所在する、20人以上の事業所の労働者の3割高の給与や、各種の手厚い制度が完備されているなど、公務員という職場の待遇には、私自身も、とっても魅力を感じます。

しかも、曽根さんや沖縄市でしりあった有能な職員の方を見ていると、ポジションと本人のやる気によってはすごくやりがいがあって、社会的に非常に重要な仕事ができる良い職場だなあと思います。

 この公務員の待遇に対して魅力を感じている人は、学生の公務員志望が非常に高いことから言って、一般的なことだろうなと思います。その結果、非常に優秀な人材が、公務員になっていると思いますし、沖縄は、地元志向が強いので、その優秀度は、他の地方より高いのではと勝手に私は思っています。

しかし、次のような問題や課題があると思います。その優秀な人材の能力を、十分に発揮できるポジションがきちんと設けられているであろうか?ということです。国のお金(交付税)ともろもろの公務員制度のために、優秀な人材をゲットしているものの、役場の業務を、見直した際、民間であれば年収150万円くらいで素人が十分にやっている仕事を、なんと役場では、年収800万円の経験豊富な方が実施し、しかも、親方日の丸意識と公務員の厚遇を保障する制度のため、とってもサービスが悪いということも想定されると思います。もちろん、これは、想定されるだけで、全てのケースにおいて言えることではありませんが、財政難の中、民間よりも高コストなのに低サービスという役場の業務は、徹底的に見直し、公共性等の担保に留意しつつ、昨今のラディカルなケースの指定管理者制度にあるように、官から民へのアウトソーシングを進める改革を断行すべきであると思います。また、その業務自体が、不要であると判断されたら、人員削減も含めてリストラするべきだと思います。

この点について別の側面から指摘させていただきますと、きちんと行政本体の既得権益に徹底的に踏み込まないと、昨今の「三位一体改革」の地方交付税や補助金の大幅削減という痛みを伴う改革は、この業務内容と能力と賃金の極端なミスマッチを招いている正職員の公務員人事制度に及ばず、非常勤職員や外郭団体の下請け等で、低賃金で不安定な職場環境にいる人にしわよせがいくという、「弱い者いじめになっただけ」という結果になってしまいます。というか、今、実際にコスト削減の文脈で、外郭団体等では、そうなっています。

更に、補助金が削減される中で、この人件費等の行政機構を維持するための固定的な経費を、大幅に削らないと、本来の目的である行政サービスを行うための費用を捻出できないという、根幹に関わる重要な問題があると思います。


○曽根淳氏  ごめんなさい。時間がきてしまったんですけれども、これからどうしたらいいんですかね。あとショートカットで流したほうがいいですか。それとも別の日程を取ってやりますか。では、あと何分と決めて流しますか。
(発言する者あり)
 そうですよね。では、ごめんなさい。自分が整理せず、また事前に送らずやってしまったところが、一番問題ですね。申しわけございませんでした。

 それで、残り30分を1項目10分ぐらいしかできないと思います。行政のところについては、いろいろご意見をいただいて、そのとおりな部分もかなりあると思います。特に全部をそうしていいのかということですよね。では、このへんはちょっと自分のほうでもう一度案をつくって、メーリングリストにきょうのご意見を反映して、流して再度またご意見をいただくというところで、行政のところはいいでしょう。整理も足りなかったと思いますので。さっきの島仲さんの話で言うと、雇用の仕組みの問題で、例えば10年間でも年収が普通大卒だったら300万円とかのところが、最初から800万円10年間貰える、それも新卒が行くのではなくて、10年以上の社会経験をした人が10年間やるとかということのキャリアというのは、当然あると思うんですよね。そのまた次のステップをしていくための公務というのはあると思うので、一概には言えないと思います。

 では、あと住民と司法と警察がありまして、住民のところなんですけれども、これはほんとに単純に志木市の市民委員会の形を置き換えて書いてみたんですけども、こういうものをこの条例の中で、見方によっては中途半端な仕組みですよね。うたう必要があるかどうか、要するに直接民主主義というのは、選挙で担保されているわけです。住民投票もあるんですけども。自分はプラスして、直接住民の声が反映する仕組み、あるいは統治機構の中に住民というものを位置づける必要があるのではないかということで入れたんですけども、必要がなければまるまるぱっと通れるところだとは思いますが、いかがでしょうか。


○島袋純氏  これはまさしくスコットランドのシビック・フォーラム(Civic Forum)に似ているんですよね。イゾベル・リンゼイさんを連れてきた時に、あの方はシビック・フォーラムの副議長で、この話をしてくれたんですよ。それで基本的には、1番目にどういう内容についてやるかということで、これ意見表明と書いてあるんですけど、要するに何が世の中で課題になっていて、何が問題かということを意見表明する。その機能だけなんですよ。何かの可決権とかではなくて、それを議会に、これを審議してもらえませんかというぐらいの権限なんですけど。これがだけど、世の中の一人一人の確かに今でも請願権とか、いろいろ陳情とかあるんですけれども、これが住民委員会あるいはシビックフォーラムと向こうでは言ってましたが、そういった制度化された機構を持てば、議会はそれなりに重視せざるを得ないということで、これは要するに市民社会を創生するために非常に重要なシステムになるのではないかなということで、大賛成ですね。いい案だというふうに思います。


○佐藤学氏  議会が本当はこういうのをつくってしまうみたいな、さっき玉城先生おっしゃったような形でできれば本当はいいんだけど。はじめ思ったのは、二度手間というか、議会ができることかなと思ったんですね。だけども考えてみると、それはなかなかすぐにはできないし、そういう議会を作らないといけないとわけで、そうするとこの提案は非常に良い尾機能を果たすのではないかなと今思います。


○曽根淳氏  ほかに、どうでしょうか。逆にないほうがいいという意見の人があれば、お願いしたいですね。


○新崎盛幸氏  これは、あったほうがずっといいと思うんですけれども、またさらに議会にも住民が参加できる仕組み、少し盛り込めないでしょうか。遠藤先生の講義でしたか、アメリカの地方議会のスライドで、住民が議会でいろいろ発言する機会が与えられている光景を見た覚えがあって、議会にも住民が参加できる何か文言を入れたら、どうでしょうか。


○曽根淳氏  イメージですと、公聴会みたいな。


○佐藤学氏  それが可能なのは、市町村レベルの議会だと思うんですよ。これ自治州レベルだと難しいかなと。それに代わるものとして何かの形でというと、こういう形の住民委員会みたいなものがいいかなと思います。市町村の議会だと、住民がどんどん開催日に行って、順番に意見を言う、質問を言うということが可能だと思うのですが。


○島袋純氏  原案を見ると、自治州政府の運営にと書いてあるので、おそらく知事の諮問機関、そういう位置づけに見えるんですね。現行で今の様々な市町村でやっている住民委員会と同じように、首長の諮問機関的な位置づけなんですよ、法的には。ですし、スコットランドの実を言うと、こういったシビック・フォーラムという組織も、行政の側に引っ付いているんですが、僕はこれはアメリカ型の議会、大統領関係、議会、首長関係になるので、議会の側の付属機関として設けたほうがいいのではないですかね。


○曽根淳氏  今自分が書いたのは、議会、知事、行政に提案できる、意見表明できると書いてあるんですけれども、議会がいいですか。ちょっとこのへんはイメージが。志木市は、市長に対してと言っているんですけど、議会がいいですか。全部がよくないですか。運営ですね、この文章に引っかかるんですね。

 では、議会には提案・提出権を認めていますので、この場合は議会ということで整理します。最初の運営という1文を外して、後のほうの議会はというふうにしますか。


○島袋純氏  自治州政府の運営並びに沖縄州議会の審議にと入れたら、それでどうでしょう。基本的には議会の付属機関的なイメージのほうがいいのではないですか。


○曽根淳氏  では、沖縄自治州の議会、審議及び政府の運営について意見を言えるという議会の付属機関として位置付けるというような表現に変えればいいでしょうか。よろしいでしょうか。はい。

 司法。司法、難しいんだよな。こんな書かないで、もう別に定めるだけにしますか。ちょっと、自分はわからなかったんですけれども、最高裁、高裁、地裁の関係というのをどうしたらいいですか。ただ、やはりこの上告の機会で、今日本の裁判制度の中で権利が保障されているのかなというふうにも見えるんですよね。だから沖縄だけそれが機会がなくなって、いきなり最高裁となってしまうと、よく進む場合はいいんですけど、悪く進んだ場合に判定する機会というのは減ってしまうのかしらと。その場合にどういうふうに、最初に書いたのは、高裁も国の下に付くことにして、地裁だけ沖縄が持って、高裁は九州に行けばいいかなと思ったんだけど、それだとやはりいろんな地域の問題の解決が、地域の中でできなくなってしまうので、そこで高等まではというイメージだったんですけど。


○島袋純氏  これ曽根さんが言っているように、上書きされた法律で裁判について沖縄自治州で結審すると、結審することによって、要するに沖縄は沖縄的な、沖縄にメリットがあるような形で結審して沖縄の利益を守ろうという意見が一方ではあって、それを考えていたんですけど、逆にここで結審してしまって、沖縄の住民にとって不利な裁判の結果が出たとき、上告する権利がない。最高裁で救済できないじゃないかという意見もありました。僕のほうとしては日本の最高裁は沖縄にとって不利な判例しか出さないからここで結審したほうがはるかにいいのではないかということを言ったんですが、これちょっと議論があって、結局両方だね、両方可能性があるねという話になったのではないですか、確か。そんなイメージです。だからこれ、結局3番の部分は議論したけれども、どうにもならなかったですね。今よく見てみたら、国際的な人権保障の水準ということで書いてあるので、より日本の最高裁よりも住民の権利を守る方向性がこれで示されているので、これだったらまあいいかなと。この国際的な人権保障の水準ということを念頭にやるということは書かれてなかったですね。ただ、独自に判断するというのは、裁判官の良心に基づき判断するのが原則があって、判断の基準を国際的な人権保障とか、書いていいのかなという問題が一つ出てくるのではないかなと思います。


○玉城和宏氏  やはり基本的人権ということから考えたら、それは普遍的に人類が希求する、どんどん高めていくものですから、基本的人権が憲法に書いてあるとかということは、形ではなくて、やはり国際的なレベルの人権を市民は享受すべきだというふうにしたほうが、基本的でいいと思うんですけどね。


○佐藤学氏  そうじゃないと面白くないのではないか。そのぐらいのことを言わんことには、インパクトがないと。


○曽根淳氏  一応これは残して、今後、統括的な議論をする中でもう1回、仲地先生とか高良先生の判断もいただくという形にしますか。弁護士はどうしますか。弁護士はいいですか。


○佐藤学氏  外国の弁護士資格を有する者の弁護士資格というものは、これは相当厳しいのではないかと思うんですよ。そもそも法体系が全然違う国からやって来て、それでできるかといったら、これは無理じゃないですか。

 医者だと、人間の体はどこでも同じなんだけど、だけど法律は違うので、これはちょっと厳しいのではないかと思います。アメリカの弁護士資格を持っている者が日本にやって来て、日本の法律に基づいた法律家活動ができるかといったら、これはまず無理ですし、逆も無理だと思うので、ここはおっしゃる意図はよくわかるんですけど、ここは現実性が低いような感じがありますが。


○曽根淳氏  わかりました。では、すぐはずしましょう。


○新崎盛幸氏  要するに、裁判所を自治州の統轄下に置くかどうかですよね。三権分立のチェック・アンド・バランスのことを考えた時に、裁判所、あるいは検察の人事は国の統合の中に置かれるという位置づけをすると、あまり自治州の中に裁判所を位置付ける意味がないのではないか、という感じがするんですけど。どうですか。


○島袋純氏 要するに、検事は自治州に置いても問題はないと思うんですよ、検事に関しては。ただ裁判官に関しては、これは国の三権分立で司法権が最高裁に属すると書いてあるんですよね。その司法権に抵触するだろうと。もし自治州の知事とか、自治州の議会が裁判官の任命権を持ってしまったら、おそらく日本国憲法の三権分立の司法権のところ、最高裁にあると書いてある、その規定におそらく抵触するだろうと。無理だろうと。本当は裁判官の任命権をほしい、持ちたいということだったんですよ。そうしないと沖縄の利益が反映できないだろう。今、起こっている状況ですね。それがまた同じことが起きるのではないかということだったんですが、これは日本国憲法の中にある限り、裁判官に関しては無理だろうということです。検事に関しては、できると思います。沖縄のほうで持つことはできると思います。こっちは法務省の役人なので。


○佐藤学氏  そのことで、これがそもそもどこまで可能なのかという質問、私は法律に素人なので伺った覚えがあって、国の法体系がある中で、最高裁判所の下に入る中で、沖縄にこういう裁判所を置くことというのは本当に可能なんですかという疑問。あと、法曹資格を沖縄独自で定めるということが可能なのかどうかとか。どなただったか、高良先生のお話だったのかな、その中で出てきたのが、例えば自治州裁判所の権限を定めることによって、それが可能であるけれども、法曹資格等は裁判所の体系の中に入れる。それでなければ、独立するしかないのでという話だったんですよ。だから独立しないことを前提とした自治州構想の中で最大限できることを考えると、これではないかというのがこのG2の司法制度でした。今でもよくわからないところがあって、もっとちゃんと法律の先生たちに伺わなければいけないと思うのですけど。ここはうんと突付かれてしまうところかもしれないなという気はします。もうそのへんは法律の先生におっかぶせるしかないのではないかと自分は思うんですけど。


○曽根淳氏  それでよろしければ、弁護士のところはとって、後の部分は法律の先生にもう一度確認をするということでよろしいでしょうか。はい、どうぞ。


○玉城和宏氏  やはり沖縄のほうの実態、そこをどのように処置するかということの問題にも絡んでくるわけですよね。例えば嘉手納基地の騒音訴訟の場合に、向こうの司令官を日本の裁判官が呼び出せないという、こういう非常識な矛盾、つまり主権がないようなところになっているという、そういう部分もありますので、その主権回復との絡みでこれをどういうふうに持っていくかという、そこは重要なポイントだと思います。今のままだったら何もしてくれない。


○曽根淳氏  それは必要だと思います。でも、裁判官の人事とは関係ないですよね。関係ありますか。今は裁判所の権限が基地に及ばないというのが問題なんですよね。


○玉城和宏氏  可能だと思って、それをあえてしない裁判官が問題ですかね。


○曽根淳氏  裁判官がしないのが問題なんですか。


○玉城和宏氏  だって主権が日本にあっても沖縄においては実際に機能させていない。


○曽根淳氏  そうすると、難しいですね。おっしゃることはわかりますね。結局、それを突き詰めた三権分立を考えると、独立しかないということになってしまうわけなんですけど、ちょっとそれは枠組みからはずれるのかな。これは次のステップ、つまりこれが沖縄の千年、百年を決める話ではなくて、まずファーストステップを考える議論だと思うので。
(発言する者あり)
 わかりました。それどう表現したらいいのかな。


○佐藤学氏  例えば、上書きされた法律というところで、カバーできるのではないでしょうか。条例で上書きした部分に沖縄州の裁判所が権限を持つということですれば、その条例のところで、何かできるのではないか。今、玉城先生おっしゃったことに関しては。そこで、独自性を出す、例えば基地への立ち入等をそこに入れてしまえばいいのではないでしょうか。

 ただ、日本の法体系である裁判所の体系から、離れた形ではできないかもしれないので、多分ここでは、そこのところの含み、「上書き」というところで、一つ可能性があるという読み方をできるのではないかと思います。


○曽根淳氏  例えば環境問題で、基地の中の立ち入り検査を認めるというような上書き条例をつくって、それに関しては異論が出た場合でもこの沖縄の裁判所で、いやそれはいいんですと決まればそれでおしまいというふうにできるかということですね。


○佐藤学氏  それにしても、だけど例えば、最高裁判所まで争われてだめと言われたら、だめなんだけど、でもそれはこの枠組みでは仕方のないことではあるんですが、でもだめであってもインパクトがあるというぐらいのことぐらいから始めていかんことにはしょうがないかなと思うわけです。


○曽根淳氏  このへんはまたもう1回。はい、どうぞ。


○難波田到吾氏  基本的にもう憲法の中で、最高裁の系統から外れる裁判所というのは一切禁じていますし、またその規則というのは、最高裁が定めるというふうに明確に書かれていて、これは基本的に自治州の法律の中に、この裁判所に関しての規定を設けること自体が憲法違反になりかねないわけですよね。あえてそれでも何かできることがあるとすれば、例えば沖縄の住民が原告になった時に、行政としてそれを支援することができないかとか、何かそういう方向で考えざるを得ないのかなという気もするんですけれども。


○佐藤学氏  今難波田さんおっしゃったことを、私も本当にその疑問があって、法律の先生たちに伺った時に、何か言いくるめられたような感じで大丈夫だというお話だったので、何がどう大丈夫かもう一度ちゃんとかっちり理屈を立ててもらわないことには不安なんですけど。これは確か仲地先生がおっしゃったんですよね、大丈夫なんですって。


○曽根淳氏  わかりました。時間もほんとに迫っていますので、では、ここは入れる項目として検討するのではなくて、入れるかどうかを検討する項目として、今言った分を残して、法律の先生を交えて再度議論するということでよろしいでしょうか。

 それから、警察ですね。警察権力の問題と実際の犯罪捜査の有効性というところを、両方考えないと、住民の福祉の向上は図れないのかなと、そういう面ではほんとに地域警察でいいのかというのをちょっと思うんで、今の日本の社会においていいのかと思うんですけど。これはどうですかね。


○島袋純氏  基本的に警察は、独立行政委員会から公安委員会の管轄下なんですよ。この公安委員会、形式上はですね、今は本部長が相当権力を握っていて、結局教育委員会と同じように、中央の警察庁から派遣されたキャリアが牛耳って、国家警察になってしまっているんですが、原則としては、戦後、自治体警察化されたはずなんですよ。自治体警察化されて、さらに警察の民主化のために、公安委員会というものを設けて、そこで警察の具体的な働き、作用について議論するという形になったはずなんですよね。ですから警察は、アメリカ的な自治体警察の原則をもう一度再構成して、沖縄自治州に持ってくるべきではないかという気がしています。

 ですから警察は、これは知事部局からいって独立させて公安委員会はつくるべきだと思うし、公安委員会はできれば、何がいいのかな、選挙がいいのかな、アメリカは選挙ですかね。中立的、公正性、そういったのを担保できるような公安委員会の委員の選出の仕方が必要ではないかなと思います。そして、中央の警察庁から独立的な人事を行って、実際に法律の執行に関しては、自分たちで担保していくという形のほうがいいのではないかという気がしています。

 ですから、これより最初に置くべきなのは、警察とは何で、そのために公安委員会を設けて、そのもとに警察業務を行うという形に書いたほうがいいのではないですかね。


○曽根淳氏  ほかに意見ございますか。どうぞ、佐藤さん。


○佐藤学氏  警察というのは、当然両面あるわけで、片一方は私たちの安全を守ってくれる警察であり、もう片一方は実際に権力の暴力装置を維持し、行使する存在であって、片一方制限して片一方伸ばすべきだ。どっちがどう問題なのかというと、例えば自治体警察にすべきなのか、国家警察にするべきなのかという話になると思うんですね。例えばアメリカ型の自治体警察の問題はいっぱいあるわけで、特に人権問題、人種問題に関して、ばらばらになっている部分がアメリカの場合非常に大きな問題、今でも大きな問題なわけですね。だから、自治体警察にしたら、別な問題が出てくる可能性はあるわけですよ。だから、私はこれはどっちがいいか、よくわからないんですね。戦後、日本で自治体警察を導入して、すぐにやめてしまったじゃないですか。その過程がどうだったのか。今あえてここで、自治州の警察、独立の警察をつくるということで、やはりもう一度プラスとマイナスを考えて決断する必要があると思うのですけども。


○島袋純氏  僕が言った自治体警察というのは、市町村に警察を置いて、さらに自治州は自治州で警察を置くという意味ではなくて、自治州の警察でいいんですけど、それを自治体警察的な警察にしようと。結局、警察とは何かといった時に、さっき言ったように公安警察あるいは政治警察と言われている部分と、市民警察といわれている部分、この二つから成り立っていて、どっちが警察の中枢かといったら公安なんですよ。どこからどう見ても。それで、公安が国家権力の中枢を握っているし、警察の本質であるかもしれないんですよ、ある意味で言えば。

 ただし、だけど民主的な社会においては、市民警察こそが中心になるべきではないだろうかという意見がずっと強くて、市民警察というのは何かというと、いちばん実現する可能性が高い方法としては、やはり自治体警察的な警察で、だけど市町村が警察を持つのは大変なので、自治州自体が市民警察を中心に再編成されるべきだろうと。それにおいては、その公安に関する公安委員会の委員の、例えば民主的に選出する。ちょっと危ないんですけど、民主的に選出するよりも選挙で勝ったほうが権力を独占する可能性もあるんですが、そういった制度しかあり得ないのではないかと。知事部局からいって独立させて、しかもそれを民主的な統制に服するようなシステムにしていくと。そうすることによって、市民警察的な部分をより多くしていく方法がいいのではないかというイメージです。


○曽根淳氏  もう時間になりますので、基本的にこの今の前段のところで、警察とは何か、市民警察であるべきと。公安委員会を民主的なあり方で知事部局から独立して持つということで、地域警察でとりあえずいってみるということでよろしいでしょうか。
 はい。ちょっと大変オーバーしてしまって、申しわけございませんでした。一応これで再整理してまたメールで送って議論していただいて、必要な部分は全体の再議論の中で検討していただきます。以上終わります。



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