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沖縄自治研究会
大田県政の自治拡充の戦略 中
橋本龍太郎さんが総理大臣になったのが96年1月です。沖縄とのかかわりで大変重要なことが最初から出ました。橋本さんの総理大臣になったときの最大の課題は、テーマは、「行政改革」です。省庁再編です。そして、分権です。もっとわかりやすく言えば、機関委任事務の廃止です。それをどういう形で実現していくかということでした。手をつけたのが省庁再編からです。初めに北海道開発庁、沖縄開発庁の廃止です。国土庁は、小さいからどこかと一緒にする。これがパーンと政治的に出てくるんです。水面下の話です。
北海道開発庁は、もういらないんじゃないかというほど長い時間存続してきた。北海道の方々は要ると言っていますけど、今でも道州制との関連では、北海道開発局は、なくなるとこれだけ損するよというレポートをつくって、今北海道にばらまいていますけど。
沖縄開発庁については、本当になくなっていいのかという議論が県庁の中ですぐ広がりました。この種の情報は政治の世界では速い。自民党中央と通じて、県議会、自民党会派の中でもパーッと広がるんです。どこから出たのか知らないけど、いや実は、吉元副知事は賛成しているようだ、というのが沖縄で広がり、経済界が私を探して歩いて反対を言わせようとした。これは意図的なものだったと思うんですが、そういう形で問題化していきました。
これは余談ですが、じゃあ、開発庁がなくなった場合に、どう私たちは対応したらいいのか。これが今まで言った復帰段階の「屋良建議書」、その後の81年、それからその後の、いわゆる「特別県政」につながっていく私自身の積み重ね、それがぴたっと重なってくるんです。よし、特別県政でいこうと言ったって、県庁が動くはずがないです。県庁をどう動かすかの問題です。これは本当かどうかの問題もあるんですよね。本当に橋本さんは「開発庁廃止」をやる。間違いなく、橋本さんは大田さんに「沖縄開発庁をなくす」と考えを伝えたと思う。このことが閣議決定で設置した「沖縄政策協議会」につながっていく大きな要因になるのです。
沖縄政策協議会は、基地問題でつくられたんじゃないんです。基地問題については村山政権時代に、「沖縄米軍基地問題協議会」というのが閣議決定で、官房長官が座長、外務大臣、防衛庁長官、それに沖縄県知事で(四者会議)つくられているのです。96年に入って、橋本政権のもとで「沖縄政策協議会」がつくられる。それは橋本行革との関係が非常に大きいだけではなくて、私たちが考えている沖縄の21世紀のあり方、これをぶつけていく場、これを求めていたこのときと、丁度重なったんです。これを私はチャンスだと思いました。
だから、県庁の職員に今の「3次振計」の中身はもう魅力ない、公共事業の執行だけでしょうと。基地はそのまま残しているんだから、米軍基地に触れないで、沖縄をどうする、中南部都市圏をどうするのか議論をしても意味ない。これは今の「3次振計」ではできないので、次のステップに向けてつくろうというのが、国際都市形成構想でしたから、これができあがっていたので、そこでそれを実践していく場として、「沖縄政策協議会」を位置づけたのです。
これは政治的に言うと、ものすごく力がいることで。これを認めると日本の、まず縦割り官僚組織が成り立たなくなるわけですね。沖縄開発庁は何のためにあるのと。もちろんそうなりますよね。ましてや、担当大臣をどうするのかという問題まで絡んでいくわけですから、そういう意味では沖縄政策協議会というのはつくらせた。OKをとるまでの間に、自民党の政調会、長老議員、それから防衛関係委員会など、幾つかの場で議論を自民党本部でやった記憶が残っています。
最後は、沖縄がこれしかないと言っているんだから、これに対応しなければ沖縄米軍基地問題は大変なことになるようなことで合意を得たようです。
それはやっぱりすごい力です。つまり、大田知事の県民とのつながり、95年から始まった、県民のあの高まり、怒り、これを無視できなくなったということでしょうね。
沖縄政策協議会ができることを前提に、それでは沖縄開発庁をなくすならなくしていい、次どうするかと、県庁の中で議論をした。そのときに、「2つの案」が出ました。A案が、再構築された沖縄開発庁、沖縄公庫を沖縄県に置くということ。B案は、特別自治構想です。これは県庁の職員の議論の出発です。
まず、今の仕組みをどう改良していくかということから始まりますからね。しかし、このA案というのは大変です。今、沖縄振興開発金融公庫法の中に、本部は沖縄の那覇に置くことになったんです。だけど、沖縄に理事長はいないでしょう。本部ではない東京に理事長はいる。中枢は向こうにあるんです。なんで? 法律があっても、あんなことをやるんです。だから、そういう意味では例えば、沖縄開発庁をなくすと言うんだったら、東京に置かないで沖縄に置くということです。おもしろい発想ですよ。発想としてはおもしろいけど、国の機関をなくすという方針と変わらないのです。
そういう意味では、A案はおそらくここは県庁の職員が担当している部長、次長の皆さんが、沖縄開発庁との間で、相当綱引きをやった結果だという気がします。沖縄開発庁の事務次官以下は沖縄開発庁廃止反対なんですから。それは沖縄県が何を考えているのかというのは大変な興味を持っていたときですから。これはしかし議論したという例で、これが一つないと、一つのペーパーがないと国に対して説明がつかないということなんでしょうね。
また、沖縄県の中でも、どの政党ということは言いません、いわゆる革新政党の中でも沖縄開発庁廃止反対というのを強烈に声を大きくして言う政党もあったようです。実は、私が副知事再任をダメになった理由の一つがそれだと聞いています。当事者の議員が言っていましたから間違いないでしょう。そういう意味でも、これは県民の中でもすごく大きな関心を呼んだことです。
私たちは特別自治構想、特別県政を持ち込もうということで、このB案を知事調整をし、最終的には庁議決定しない中で、官邸との間で詰めの作戦をやっていました。
橋本内閣の中で、この橋本行革の専任担当大臣が置かれていまして、そのことの詰めがやられていくわけです。最終的には当時の自由民主党の総務会長をしていました、塩川正十郎、前の財務大臣、あの塩爺です。いかなるものでも自民党の総務会を通らなければ自民党はOKしたことにならないという仕組みです。自民党側の行革担当者、内閣府の行革担当大臣、そしてこの塩川さんが中に立って、早朝からという形で、精力的な詰めをやっていったんです。
私の関心は、沖縄が特別県政に移行するまでの間、今までより、今までというのは沖縄開発庁の機能、これより充実したもの、つまり言葉を変えて言えば、「米軍基地問題」も所掌事務に入れるということを前提に、内閣府にきちっと位置づける、その上で沖縄政策協議会、これをつぶさないということであれば、かなり機能するという見方をしました。
そこに、「沖縄の21世紀のグランドデザイン」を持ち込む。国際都市形成
構想、そして3次振計の後期、「5年間の計画」の中身を整理し直していく、見直していくという作業に間に合わそうということでした。そして、「ポスト3次振計」にきちっと乗せていこう、そしてそれは基地返還アクションプログラムも意識した、基地の跡利用を連動させていく。最大の課題は2001年を想定していた全県フリーゾーン、県内10経済団体がやっと自主的な議論の中で全会一致でまとめた、2005年実施。準備期間として4年ずらしてくれということがありましたので、県議会との議論を経ながら、2005年に実施をずらした。
さて、なぜ2001年と2005年の話をした。実は、国際都市形成構想、基地返還アクションプログラム、これを突きつけていく、そして全県フリーゾーン、これをやる場はその手段としての、沖縄県、これでは不十分だ。ということで特別県政、これをいつから走らせるかというと、橋本行革が実施される、同時に検討している分権、つまり機関委任事務の廃止、地方自治法の改正、その時期を頭に置いて、「沖縄県のあり方」を変えていくとを戦略的に考えていた。
沖縄県が、ただ書類を間接的に流す程度だったら困ります。わかりやすく言えば、沖縄開発庁をなくし、開発庁の出先機関で総合事務局、外交と防御と裁判を除いて全部沖縄県に取るということです。法律も、権限も、職員も、組織も、一本化する。そのときの形はどうなるのか、だから琉球政府を思い出してくださいということで、沖縄政府と言ったり、琉球政府と言ってきたんです。
琉球政府を思い出してください。立法・行政・司法もあった。独自で植物防疫もやり、検疫もやっていた。出入管理もやっていた。税関もあった。
一つの国の仕事を琉球政府でやっていた。もちろん、アメリカ民政府、高等弁務官、ずっと先には元締めであるアメリカ合衆国があるのですが。10年ほど前の県庁の課長以上はあの頃法案づくりの準備をしたり、走り回っていたのです。ですから、「琉球政府のようなものをつくろう」と、言ったらわかりやすいんです。そういう意味で、この橋本行革と、沖縄の特別県政との関係は、流れとして理解してください。
そして、それはこの国際都市形成構想の実現と、その仕事と、基地返還アクションプログラムに基づく返還跡地の計画的な返還と、返還跡地の開発と言うんですか、利用、それと、県民のこれから経済的な基盤としての東アジア全体の中における全県フリートレードゾーン、全県自由貿易、これを全部まとめて一種の特別区にしようじゃないかと。今、総理大臣が、小泉さんが言っているからこの言葉は最近使わなくなったんですが、いわゆる「行政特区」、「経済特別区」、「一国二制度」です。
この「一国二制度」という話を、何回か東京でやっていたものですから、これにはさすがに自民党さんも頭にきたようです。一国二制度は認めない、こう言ってきたんです。彼らが描いている一国二制度はどこを見ていたのかわかりませんが、そういう世の中がくるという理解さえなかったかもしれない。
でも、私は反論しました。私たちは27年間も一国二制度でいたのに。何の疑問もない、やれますと。日本政府はあのころ、「日本政府援助」として国庫、国の財政を琉球政府に出したのであり、これと同じ仕組みを考えればいいんだと。一年間にかかわる必要な金は、国が出すべき分は一括して沖縄県に出す。沖縄県が、特別県政がそれを使うという形でいいんじゃないですかと説明したら、大体わかったという話になってきたんです。
そのときに、最後に問題になったのが、じゃあ幾らかという話になったんです。幾ら欲しいのかという話が出まして、いや実は、この種の話というのは行政組織の話のようで、実は究極のところ、全部財政の話なんですよ。これだけは覚えておいてください。きれいごとじゃないです。かすみを食って生きていけないというのは、本当のことです。たけど、政治の場であれほど露骨に金の話をされるというのがまたびっくりです。当時、沖縄開発庁の予算規模が3,000億円。それでいいかという話が出ました。私はYESとは言っていなかったが、「吉元はOKした」というので、また2つ目の、私を批判する理由に使われました。
行革担当大臣がその種の非公式発言をしたということで問題になったんですが、しかしいずれにせよ、財政の国の出し方と、それから沖縄側がどうイメージして特別県政を構想するかということとの関連は、これでおわかりだと思います。このことを議論した結果、それではということでまとめて出てきたのが、3ページのB案。これはもうほとんど自治労が出しています特別県政の中身と似たようなものですから、これを3ページの一番最初の行にありますよね。県庁の企画開発部の企画調整室を中心とするワーキンググループをつくって、そこで過去25年間の沖縄振興開発の総括をしたんです。書いてあるとおりです。
この1.屋良建議書の評価と、評価の背景と概要というところが、その前のページに書かれている文章です。それはわかりやすいので読んでもらったほうがいいと思います。あとは、この手持ちの部分に、このあれには全く入れていませんが、かなり詳細に批判的に分析しています。例えば、2.沖縄振興開発計画の評価とか、それから復帰措置の評価の問題とか、金融公庫の果たした役割とその問題とか、特に5の部分なんか、かなり開発庁、各省庁との間で問題になった部分をすごく細かく提起されています。
そして、6に、何でこんなプロジェクト名が出てきたかというと、先ほどから言っているように、実際に当面やる大きな仕事は何なのかということを並べて、これを展開していくために必要な内容、つまり特別県政の中身を最低限とらないといかないだろうというようなところから出たんです。
7の財政面の総括は先ほど言ったような流れがありますが、3,000億という話は、約束した覚えはありません。それを形にしたのが、このB案という形で載せてあります。あと、3ページの下は、これはホームページにも少し使ったんですが、読んでもらえればわかると思います。
そこで、少し飛ばします。5ページの「米軍基地との共生を拒否する沖縄」という表現で、これはグランドデザインの3つのプロジェクト、事業、施策名、これを中心に書いた部分ですが、特にこことの関連で大事な部分は4のところ、都市国家沖縄の将来像ということで、「3つの理念」と「9つの整備方針」という部分があります。ここは、関心を持っていただきたいと思います。平和・共生・自立です。
そして、ここでも同じように、復帰にあたっての日本政府の声明を大前提に据えながら、どう展開したかをひとつ整理した上で、新しく21世紀の沖縄グランドデザインを組み立てている、ということです。沖縄の新しい方向性ということで、脱軍事基地云々という、下まで書いてあります。あと、国との関係では、新たな協議機関としての「2つの協議会」を継承させるということが一番重要になっています。
大筋で説明する課題はそういうことなんですが、もう一度元に戻って、メモを見ないでちょっと話をさせてください。
復帰段階で屋良建議書にあらわしたのは、まさにこうあるべき、あってほしいであった。それは無視されていた。
それからもう1つ、本当に復帰してよかったのかということが真剣に論議されたのは、2次振計策定の段階、つまり1980年前後、80~81年なんです。琉大の先生なども、いわゆる自治構想とか、自治州構想とか、幾つかの提言をだした。7つか8つぐらいだされています。これも県庁のグループは詳細に勉強しています。その上で絞り込んでいって、手の届く範囲、背伸びすれば到達しそうだなということで、自治労が提起した特別県政に、県庁のワーキンググループも到達したのです。
私が副知事だったから、それに合わせたというのではなくて、それならば可能性があるというところで、彼らはそこに到達したようです。しかし、それさえ実現するには少し時間がかかる。そのときに決定的なのは、既に準備していた「国際都市形成構想」とか「基地返還アクションプログラム」と「全県自由貿易地域」(経済特別区)とかが準備されていた。これに橋本行革が重なった。それに到達するまでに、いつ、今の沖縄県を変えればいいのか、機能を強化すればいいのか、「分権」すればいいのか、その範囲はどこまでかと、こういう議論に到達したということです。これは従来、80年代まで議論してきたこととは全く違うんです。こうあるべきだという議論とはちょっと違うんです。望ましいあり方ではないかもしれない。だけど、最低限そこまではいこう。そのためには相当の決意がいると、いうことで到達したワーキンググループの結論です。
それをもって国との非公式の協議に入るわけですが、それとてかなり問題でした。少し甘えているんじゃないかという声が、関係省庁から出たようですね。だけど、95年の少女暴行事件も時系列に言うと、それ以前から大田知事は代理署名を拒否しているんです。県民大会、そして沖縄問題、このまま置いておくわけにはいかないなという流れと、もう1つ大きな力になったのは、「地方制度調査会」なんです。このあたりはかなり重視しました。50年代から地方制度調整会が何を議論してきたかということです。
つまり、道州制につながる都道府県の合併の問題、それからもう1つは、関西経済界あたりも割と力を入れて議論をしてきたいきさつがありますし、九州もそうです。西日本新聞社が中心になって、かなり密度の濃い議論を「九州は1つだ」という意味でやっています。遅まきながら、それに火をつけられたというよりは、それを無視していたけど、いわゆる全体的な流れの中で、九州知事会が「後乗り」したという形です。それに沖縄県が態度はあいまいなままに参入した形で、事務レベルでは進行しているというのが現段階のことなんです。
この流れの中で、どの県も将来の姿を描いていないところに、問題があると思います。いや、幾つかありますよ。その中で私は少し興味があるのはやっぱり北海道です。2回、北海道に呼ばれて、「特別県政」や「琉球諸島自治制構想」について説明を求められました。ところで橋本行革の頃に、「特別県政」という言葉はもう使うなというアドバイスをしてくれたのが、下河辺さんです。じっくり聞いてみますと、あの人は結論を先に言って、反応を見た上で自分の説明をするものですからね。結局、この名称では全国的な了解というのは得にくいので、それよりは「政令県」という用語を使えというのです。「えっ?」と思った。政令県、これならばそう難しくない形で中身が取れると。下河辺アイデアの1つですね。
2つ目は、それをどう仕掛けるかの話です。沖縄は基地問題があるから、まあ考えてみようというのは長続きしない、47都道府県の中で他にどこがあるのかと探せという。私は北海道だって言った。じゃあ、北海道とそのための知事サミットを入れようということになった。これが、下河辺さんから出た2つ目の提案でした。これはかなり密度の濃い形で、水面下で北海道知事サイドとの調整をしました。
当時の堀北海道知事、北海道は北海道大学の山口先生などを中心に、かなり関心は高かったものの、行政の中ではまだこれといった形で突っ込んだ形での、例えば、プロジェクトチーム、ワーキンググループなどはまだできていなかったようです。沖縄からの働きかけ、あるいは下河辺さん的な働きかけがいろんな形でいったんでしょうね。堀知事も動き出してみたんでしょう。
知事サミットという形で日程調整まで入った段階で、悪いことには例の地方公務員、自治体職員のヤミ出張、カラ出張、ヤミ手当、あの問題が噴出して、もうそれどころじゃないということで行き詰まってしまう。結局、知事サミットはあの段階で不発に終わりました。やれれば非常によかったと思います。急遽、副知事サミットということも検討されたが、北海道は都合が悪いということで、これもダメになりました。
つまり、橋本行革の97年段階で、もう一歩突っ込んで、ウチナービケンではなくて、日本の中でこことここは先行させますよという形がとれればということが、下河辺さんの戦略だったようです。加えて、特別県政という、もう労働組合のつくった名称ばっかり使うなと僕に言っていました。
政令市が県レベルの仕事をする規模の大きい市です。ですから、政令市の中には沖縄県の人口より大きいところがあります。
だから、政令県というと、国の許認可権、これを大幅に移せるというのが、下河辺さんのねらいだった。下河辺さんがどこまでそのことについて、自民党や官邸や、あるいは官僚や関係省庁をまとめていたのか、それは今日まだ聞いていません。いずれ早いうちに聞こうと思っていますけど、そういう意味ではあの段階でやり残したと言いますか、ちょっと手が打てなかったのが残念です。
これからやろうとするとき、何が問題かということです。市町村合併がここまできました。沖縄が一番不発に終わったところが多いようですね。国は2カ年の合併特例法の延長をしました。ですから、2006年度までの2年延長。その延長線上に、都道府県の合併を打ち込んでくるのです。地方自治法の改正をする、やろうと思えば早くできる。
地方制度調査会が3月1日から動き出した。2年間の任期です、この間の動きを見てみますと、都道府県合併の問題を先にやろうという形で議論が早まっているようです。そこのところを早めないと、実は北海道の小泉行政特区、北海道の自治特区が、形ができないという北海道側の思惑、何か政治的な思惑もあるみたい。最初は北海道は、小泉首相に知事が呼ばれて、いきさつは知っていると思うのではしょりますが、やれと言われて、そうですかと持ち帰った。わからなかったんでしょうね。通産官僚から知事に当選した方ですが、「通産官僚」が自分の権限を都道府県に持っていくということ等考えられないことですね。各省庁の中でも全く考えられないことですよ。
でも、そこを小泉さんは狙った。だから、「通産省の出先を全部持っていけ」と、こういう言い方を知事にやっているんです。本人はびっくりして、東北3県と相談したんですね。そしたら「いやいや、私たちは」という話になって、結果的には北海道は庁内での議論が始まったんですが、北海道庁のホームページを見れば詳細にわかります。ここにきて、北海道開発局が巻き返しをしている。これはすさまじい。北海道開発局がなくなった場合、北海道は「これだけ損します」ということを、それぞれの分野で数字で示しているんですよ。失業者数まで出しているんです。これをつくってバーッと北海道に配ったものですから、「えっ?」という形で、いいことばかりではなくて、悪いことばかりあるのかという話が出るようです。完全に北海道庁は戦略的にミスったなという感じがします。
しかしいずれにせよ、小泉「行政特区」はもう走っているのですから、そこで政治的な妥協として官邸主導で北海道の行政特区、自治特区を内閣府に委員会を設置していこうということにした。それで動き出していくと、1,000万円の予算はつくってありますから、仕事は進むだろうけれども、どの段階で具体的な姿が出てくるのかちょっと読めません。多分、年越しになると思いますがね。
沖縄問題に移してきます。2006年11月が次期知事選挙です。その次の知事選挙は2010年です。2010年までは待たないと思います。だから、結果としては2006年の知事選挙に向けて、もうそろそろ動き出さないといけないということで、私が焦り始めているのです。
そういう意味では、このお手元にお配りした7ページ目、もう一度めくってほしいんですが、この下のほうの段、3.沖縄のこれからというところの、2の実現したい3つの課題とあります。自立する沖縄をつくる、沖縄県から自治政府へと、ちょっとしか書いていませんが、実はこれは、それのことなんですね。ですから、運動と言うんですか、先ほど、島袋先生からも出ましたけど、市民自治の発展と挫折の問題は出たんですが、前向きにとらえるとするならば、市町村段階で自治基本条例をと言っても、今日まで皆さんの努力と、あるいはそれに触発されて地域の動きも知っていますが、沖縄人的な体質からしますと、なかなか動かないですね。
私はこう思います。今度、県議会で当選した議員の中で、議会での所属会派抜きにして、個人規模で、議員個人の手を挙げて、これについての研究会をつくってみたらどうですか。議員の研究会。それを広げてみたらどうですかと言っているんです。ある政党の、あるところからそれが発信されていくと思います。
でも、これでは政治の中央の動きの中で、派閥が抑えたり何やかやということで、あまりうまくないと思います。幸いに、2月定例会で野党議員の質問に応じて、県執行部に、「庁内組織」をつくるということで、すでに発足したようですから、県庁の中でも道州制へ向けての資料集めと議論が始まります。それを理由に、県議会でも勉強会をつくったらどうかということで、働きかけているのです。
しかし、県議会レベルで終わらせたら意味がない。広げるべきだと思います。そういう意味では、行政とか、議員とかという形と離れて、率直に言わせていただければ、「この場から発信」して、より広いと言うんですか、各界ですか、有識者を網羅していけるような場をつくってみたらどうかという気がします。これはかなり押しつけがましい言い方で申しわけないんですが、そういう段階にきているという気がします。労働組合出身である私が行政をやっていたというだけで、それを言っていても、あいつは大田県政の副知事だったから、前から言っているから、あいつが言うのは大体わかるよと、これで話が終わってしまったら困るんです。それなりの役割は果たしますが、やっぱり違うところで、新しい動きで必要なことを提案し、勉強していく。
そのために、例えばの話ですが、「沖縄100人委員会」をつくったらどうですか、と私は提案しております。その気があれば、後で持ってきている100人委員会の組織要綱を1枚つくってありますので、お渡しすることはできます。それが出発ではないかと思います。市町村合併で失敗続きだが、次にくるのは、当然のこととして延長・合併特例法では、知事が合併を勧告するのです。従来より強く尻をたたかれていく、と思います。沖縄は一番それに弱いのです。今までは「自主的」にという形で、県も知らん顔(?)をしているけど、裏では相当市町村の尻をたたいていますよ。
でも、うまくいかない。2005年4月からは法律に基づいて知事が、しかるべき手続きをとって、勧告するから、ほぼ強制的に合併に追い込まれていくだろうという気がします。それでもうまくいかないのが、沖縄における市町村合併です。そのときに何が起こるかというと、財政が厳しく締め付けられていきますから、じゃあ、首長は賃金5割カット、それで済めばいいけど、それはもう既に5%とか、10%とかというのは、県内市町村でも出ているわけです。すでに県庁や、那覇市や、幾つかの市レベルで、「退職時の特昇」が廃止されています。次はそのたぐいでは終わらないでしょう。石垣市もそうですが、職員に対する賃金カットが出た。これは広がっていくでしょう。
与那国町の例を出しますが、これは与那国に行って話し合ったんですが、どこまで我慢すれば、リストラすればいけるんですかと聞いてみたら、「5割です」と言っていました。5割でも少し甘いなという表現を、私はしたんです。だから合併すればどのぐらい残れるのか、という議論にもまだつながっていないんです。
つまり、市町村合併というのは、市町村合併が目的で終わるのではなく、次にくる「道州制」、都道府県の合併というものがあって初めて一つの形ができあがってくる。それを政治的に言うと、新しい日本の「国づくり」と、いわゆる都道府県の「行政のあり方」をセットにしていこうという、そういう言い方もできるけど、本当の流れはそうかもしれない。でもそれ以上に、2000年4月からの地方自治法の改正との関連で言うならば、まさに何をどうするかは「自分らの考え」(自治)ですから、「構想力」とそれから「財政問題」をどこでどうかみ合わせていくかという問題で苦悩している。市町村自治体に単独で頑張れと言っても、頑張りきれないのが実態だと思うんです。
だったら、その場にどういう勉強の場をつくり、参加してもらえるかということだと思います。私はそう意味では、今度の県議会の選挙結果を、一つ若返ったという意味では、政党のきつい垣根が薄らいだというように見ていいんじゃないかと思います。変化が出始めた。それは大きな流れで、次の市町村の選挙には大きく影響していく、これからの2年、次の県知事選挙までの間には、大きな首長選挙もありますから、2006年の3月、4月は。そういうことまで捉えていくと、かなり大きなインパクトは与えることができる節目になるだろうと思っています。
与那国でこんな話をしてくれと言われて、この間使用しているレジュメをそのまま持ち込んだら、「うん、聞きたかったのは、それだ」と言うんです。元町長いわく、「台湾はどうなる」かという質問です。「うーん、いや台湾独立はあり得ないよ」と言ったら、「じゃあ、我がほうは独立しよう」と、こう言うんです。
つまり地域のリーダーが言っているのは、行政特区というものを通り越して、いわゆる「一国二制度」を与那国という単位でとろうという意味です。それがなぜあの地域で、あの与那国というところで出てきたのかというのが、ひとつ無視できない要因だと思います。隣は国境でしょう。尖閣を前にして、中国と台湾の問題が起こると、あの96年みたいにミサイルが与那国の近くにまで落ちるのですから、そういう意味では国境というところに住んでいる行政と住民が、それがカウントされていない国の仕組みというのはおかしいんじゃないのかという質問をしたそうです。そうしたら、「うん、わかった」と。「自衛隊を派遣しよう」と言ったって。(笑)その話を聞いて、「あっ、それでこの間、新聞に出たのか」と言ったら、「いや、あれとは別だ」と言っていましたけどね。自衛隊は国境警備のために、あるいは中台紛争のとき、宮古島と石垣島と与那国に合計7,000名の「陸上自衛隊を配置」すると、マスコミがリークしました。防衛庁が意図的に出したんでしょうが。
そういうのを見ていますと、やっぱり沖縄は46都道府県とは違う形で、「沖縄はどうする」ということを、過去の歴史もあることですから、そこはきちっと自らがその枠組みを頭に置いていいんじゃないか。その枠組みを頭に置いたら、その中身についてどこまでとれるかということは、過去にやってきたその流れから、より一歩進めて次のステップに踏み込んでいくということが求められているんじゃないかと思うのです。
結論です。4つの節目にかかわってきた者としての結論は、九州とは別であり「沖縄一つ」という形で、そのときに目の前にある軍事基地を人質にするような運動は用意しなくてもいい。だからもうなくなっていくものですから、それぞれの政治の場、自治体首長の場で、例えば、普天間5年以内と言っているなら、それを実現するような形での全体のサポートが必要だし、その上に私は海兵隊を10年までに出て行けと言っているわけですから、それもターゲットになるはずです。海兵隊が沖縄からいなくなると、沖縄本島の基地面積の74%が減ります。兵力の数で言いますと63%が減ります。凶悪犯罪で言うと90%余りが減ります。
この最後の部分は言うなと言われていますけど、ここですから言わせてください。「本筋でない」地位協定問題に県民あげて、行政あげてぶち込んでいますけど、それも大事ですけど、ちょっと違うんじゃないですか。本来だったら、犯罪をなくしていく、今まで戦後の60年やってきているのになくならないんだから、「兵力をなくす」、「基地は出て行け」と、これ一本で勝負ができるにもかかわらず、なぜ地位協定にその方向を向けて、すりかえているような気がします。そこにうまく日本の政治が、(政府じゃない)乗り始めています。
イコールになるかどうかは知りませんが、いずれにせよ、渉外知事会全体が、地位協定の抜本見直しについて意思一致をしたわけですから、そういう意味では、日本政府も、アメリカも無視できなくなったから、テーブルにはのるでしょうけども、それで、基地問題が解決できると思わないでください。
少ししゃべりすぎました。終わります。ありがとうございました。
○島袋純 どうもありがとうございました。
10分ぐらい休みにしましょう。それから2部で次は質疑応答、ディスカッションです。
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