New Worid

New Worid

無敗伝説へ

 1991年3月24日ジ・アンダーテイカーはレッスルマニア7に出場しました。これがテイカーのレッスルマニア初出場で、相手は”スーパーフライ”ジミー・スヌーカ。タイトルにこそ恵まれなかったものの、WWEでは大人気のレスラーでした。特に1983年10月17日MSGでのドン・ムラコとの金網マッチはまさに伝説の試合の1つといっていい試合で試合後ムラコに金網最上段からのスーパーフライ(フライングボディプレス)を披露。このとき観客として見に来ていたミック・フォーリーが大いに影響を受けたという有名なエピソードがあります。とはいえもうこの頃はすでに全盛期を越えておりこの一戦はテイカーを売り出すための試合といっていい試合です。結果はテイカーの快勝。さすがにアンダーテイカーのキャラクターを始めて日が浅いためかまだまだ怪奇派としての雰囲気が薄い感じです。とはいえ攻守のバランスの良さと身体能力は抜群です。そしてスヌーカ戦の勝利からテイカーのレッスルマニア不敗神話が始まることになりました。
 ここからテイカーの快進撃が始まります。サマースラム91は不参加でしたが1991年11月27日サバイバーシリーズ91にてハルク・ホーガンとの世界王座戦が実現しました。WWEデビューからちょうど1年、テイカーがいかに活躍したかが伺えます。試合はテイカーが終始ペースを握る展開になりました。大型でしかも身体能力がずば抜けているテイカーはホーガンにとって初めて手に負えない相手でしょう。終盤ようやくホーガンがペースを掴むもポール・ベアラーの妨害などで混乱状態になります。そこへリック・フレアーが登場してテイカーをアシストします。最後はフレアーが用意したイスの上にホーガンをツームストンドライバーをきめて勝利。見事1度の挑戦でWWE世界王座を獲得しました。
 1週間後のPPV”チューズデー・イン・テキサス”にてホーガンに敗れて王座を失います(王座は結局空位)。とはいえホーガンとの2試合はテイカーの実力をWWEファンに浸透させた試合でした。更にロイヤルランブル92でも存在感を示しました。こうした流れがそれまでヒールだったテイカーが一転ファンに支持されベビーフェイスにチェンジ。テイカーのキャラがファンに確立されることになりました。そして1992年4月5日レッスルマニア8にてジェイク”ザ・スネイク”ロバーツと対戦。新旧怪奇派対決を制してレッスルマニア2連勝となりました。



© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: