New Worid

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ザ・クリック

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 レッスルマニア10でのラダーマッチで活躍したことによってWWE世界王者候補の1人となったショーン・マイケルズにある企画をやることになりました。その名も”ハートブレイク・ホテル”。内容はというと、かつて”ラウディ”ロディ・パイパーがやっていた”パイパーズ・ピット”、のちにクリス・ジェリコの”ハイライト・リール”、エッジの”カッティング・エッジ”のようなトークコーナーのことです。大体1年位やっていたんじゃないかな。
 その間に1994年8月28日ディーゼル(ケビン・ナッシュ)と組みWWE世界タッグ王座を獲得します。ロッカーズ時代に獲得できなかったタッグ王座を親友ナッシュと組んでようやく手に入れることができました。しかしサバイバーシリーズ94でナッシュと仲間割れし、そのナッシュがWWE世界王座を獲得したためタッグ王座は返上。ショーンとナッシュの抗争がスタートします。1995年ショーンはロイヤルランブルでのランブルマッチに1番目で参加。なんと最後まで残りレッスルマニア11でのメイン出場権を獲得しました。ちなみにこのときショーンは片足を付いていながら失格とならず両足を付いたら失格というルールを生み出すことになりました。
 1995年レッスルマニア11にてついに念願のWWE世界王座戦に出場となりました。しかし試合はメインで行なわれず、バンバン・ビガロVS元NFLのローレンス・テイラーとなりました。ショーンもナッシュも不本意でしたがその分試合で盛り上げました。残念ながらショーンは敗れましたが前年に続いて実力を見せつけることに成功しました。その後ナッシュと和解しこの年からスタートしたミニPPV”イン・ユア・ハウス”の2回大会(7月23日)で3度目のインターコンチネンタル王座獲得に成功しました(相手はジェフ・ジャレット)。
 「クリック=派閥、いかにもショーンが考えそうな名前だ(笑)」-ビンス・マクマホン
 大体1993年から1995年頃にショーンを中心とする派閥が発生します。その名も”クリック”。ショーンの他にナッシュ、レーザー・ラモン(スコット・ホール)、1・2・3・キッド(ショーン・ウォルトマン)そして1995年にWWEと契約したばかりのハンター・ハースト・ヘルムスリー(トリプルH)の5人です。
 「”よし入れ、面倒を見てやるよ”奴はそういったそうだが、俺の記憶では奴の答えは”そりゃ素晴らしい”。確かに親切だったが面倒を見るとまでは言われてない(笑)」-トリプルH
 クリックはリング外でのグループで常に行動を共にしていました。当時キャリア3年弱だったトリプルHはドライバー役だったそうです。リング上ではトリプルH加入時の1995年ではトリプルH以外の4人はベビーフェイス、後半キッドがヒールに転向します。それ以前はショーン、ナッシュがヒールでホール、キッドがベビーと立場を入れ替えることでリング上やバックステージを支配しようと目論んでました。
 そんな中95年11月頃事件が起こります。ニューヨークでの興行が終わりバーで寛いでいたショーンはちょうどバーにいた海兵隊員数人と揉めて乱闘になり負傷してしまいます。このとき一緒にいたのはキッドだけで他の3人はショーンが負傷したと聞いて驚いたそうです。結局保持していたインタコンチ王座を返上。サバイバーシリーズは無事出場しましたが、12月のロウでのオーエン・ハート戦で突如脳震盪を起こし倒れるという事態が。
 実はこれは演出だったということがショーンのDVDで告白されました。当時はマジで信じていたので正直驚きましたが。なんせビンスが心配そうにショーンの様子をみていた写真があったので。それはともかくこうして1995年が終わりショーンにとって最良の年となる1996年が始まります。



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