僕の生きてた生きてる生きる道

僕の生きてた生きてる生きる道

その1

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「 はじめに 」  小さな子育入門 1

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 私は20代半ばで家内と知り合い、結婚しました。そして新しい職場の働きがスタートしました。結婚してまもなく、家内は妊娠しました。当時、その職場の近くにあった病院でお世話になり、そこで初めて男子を出産しました。病院からの連絡で、わが子に会いに行きました。産室で自分の腕に抱いた感覚は、今でも忘れません。


一緒懸命にこの子を育てよう!と、決意を堅くしました。病院から退院した日が東京では珍しい大雪であり、真っ白くなった新宿の街を、田舎から上京してきた母親と共に、生まれたばかりの赤ん坊を連れて、家に帰ってきたことを覚えています。


 それから間もなくして、私たちは職場を転任することになり、その頃から、本格的な育児が始まりました。


 ある夜、子どもが4ヶ月になった頃です。泣き声がだんだんと激しくなってきました。ミルクをあげたばかりなのに、まだたらなかったのかしらと思いミルクを造り作り、口に含ませました。ところが、子どもは口をあけようとせず、さらに大きな声で泣き出すのです。これまで聞いたことのない泣き声に、私たちはウロウロするばかりでした。背中に何か刺さっているのかと考え、着ているものを脱がせ裸にして探しました。


 しかし、そこには何もなかったのです。子どもは更に大きな声で泣き続け、今度は体を動かしながら泣くのです。私たちはパニックになってしまいました。受話器を取り、救急車が来てくれるように連絡しました。子どもを抱き、あやしながら今か今かと救急車を待っているといつの間にか子どもは、スヤスヤと安らかな寝顔で寝てしまったのです。


 後で聞いて分かったことですが、そのときの泣き声は眠くなった泣き声であっただけなのです。それなのに無理に口をあけようとしたり、裸にしたりしたので、安らかに眠れなくて怒って泣いたんだと知りました。そんな時は、静かに抱いているだけでよいのだということを学びました。(子どもは泣きながら寝るのです。)


 こんなこともありました。息子(実は私:お恥ずかしい話です 笑)は、三歳頃まで健やかに育ってくれました。しかし、一つだけ親にとって心配がありました。それは、いつになっても「おねしょ」が直らないことでした。他のお子さんの事を聞いてみると、だいたい3歳頃にはみんな「おねしょ」はしていないと話しているのです。確かにそのように見えるのです。


 息子は昼の間、自分で小便するし、失敗もしたことがなくとてもお利口さんなのです。でも夜になると毎晩決まったように失敗してしまうのです。これは大変困りました。何とか直さなければならない、いや直してあげなければならないと、家内とも相談しいろいろなことを試みました。寝る前には水分を取らせない。寝てから2時間過ぎた頃、起こして便所に行かせておしっこをさせる。


 しかし、どれも成功せず、「おねしょ」はそのままでした。
 あまりにも変化がないので、今度は強制手段を取りました。「おねしょ」をしてはいけないということを体に覚えさせようとして、朝起きた時に体罰をしたのです。


 その時の私たちは、4歳までに何とかしなければならないとの気持ちになっていたのです。少しあせっていたのでした。しかし、彼はどんなに叱られても、泣いて「もうしません。」と言っても、次の日の朝には同じように漏らしてしまうのです。私は疲れてしまって「もうどうでもいいや、なるようになれ。」とさじを投げ出してしまったのです。そうして何もしないでいるうちに、いつの間にか「おねしょ」をしなくなってしまったのです。(「おねしょ」は病気ではなく、子どもにとっては自然現象なのです。)


 今までの努力は何だったのかと、自信を失ってしまいました。そんな中で、学んだことがあります。「おねしょ」はひとりで終わってしまう。何もせずに、見守るだけで良いということです。


 このように、私の最初の経験はお世辞にも立派だったとは言えないものでした。あせっていたのです。




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