僕の生きてた生きてる生きる道

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あなたはあなた

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「 あなたはあなた わたしはわたし 」  

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 私たちは人を支配するのでもなく、人に隷属するのでもないのです。このことに大きなヒントを与えてくれた詩が紹介されていました。これは、うつ病から回復した老婦人が、落ち込むたびに、立ち直る力を与えられた詩です。



「 私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。


  私は、あなたの期待に答えるために、この世にいるのではない。


  あなたも、私の期待に答えるために、この世にいるのではない。


  あなたはあなた。私は私。


  もしも我々が、たまたま触れ合うことがあれば、


  そりゃあ、すばらしいことだ。


  しかし、もしも心が通わなかったら、


  それも、しかたのないことさ。   」


                  (フリッツ・パールズ)  


もしかしたら、冷たく感じた方もいらっしゃるかもしれませんね。誤解しないでください^^ この詩は、実に不思議な力を持っているのです。


今まで、落ち込みっぱなしだった人が、この詩と出会って見事に立ち直ることがあるようです。というよりむしろ、この詩が理解できたとき、その人は直り始めているのだと言えるのかも知れません。


人が、自分の期待したようにしてくれない時、私たちは怒ったり、ひがんだり、いじけたりする。それは、

「 この人は、私の期待に答えるべきだ 」

という思い込みの結果なのです。相手が自分の支配に服さなかったことへの怒りなのです。


また逆に、相手の期待に答えようとして答えられなかった時は自分を責め、自己嫌悪に陥る。これは、

「 私は、この人の期待に答えるべきだ 」

という思い込みの結果なのです。つまり、自分が相手に高く評価されなかったことへの怒りなのです。そして、これは抑うつにまで至るものだというのです。


自分の期待に答えることを相手に要求するのは「 支配 」であり、相手の期待に答えることを自分に要求するのは「 隷属 」なのです。


どちらも「 愛 」ではないのです。



では、「 愛 」とはどういう関係のことか・・。


次のような関係ではないでしょうか?


たとえば、妻が夫に「良き夫」にあることを期待したとする。しかし、妻の持っている「良き夫」のイメージは、夫の「良き夫」のイメージと違うところもある。


だから、夫は、彼女の期待に100パーセント答えるわけにはいかない(答えられない?)。そこで、夫も共感できる部分においてだけ、彼女の望みに合わせるのです。しかし、それさえも夫の能力不足のためにできないところもある。


そういうわけで、妻が夫に10を期待しても、3しか答えられないかもしれない。しかし、彼女はその「3」を感謝して、あとの「7」は自分の期待とは違うままで受け入れていく(受け入れてみる)。


もちろん、夫も妻に対して、同じようにする。お互いに期待に答えられる時と、答えられない時がある。しかし、そのことは二人の交わりにはなんの影響もない・・というのです。


これが、愛の共同体なのかもしれません。


もちろん、子どもに対しても同じように考えるのです。親が願っている子どもの理想の将来がある。そうなってほしいと思う。


しかし、子どもが親の期待通りになるかどうかは分からない。それでも少しもかまわない。


親も子どもが期待するような「 理想の親 」になることはできないかもしれない。それでも、自分を責める必要は無いのです。夫婦も、親子も、行いと関係なく受け入れあっていくのである。


「じゃあ、子どもをしからないのですか?」そういう質問がある。


もちろん、親なのだからしかることがあるだろう。しかしそれは、行いと無関係に受け入れているからこそしかれるのである。行いと関係なく、受け入れられているから、子どもはしかられても傷つかないのです。


このパールズ(上記)の詩が、さらに多くの人々の役に立つことを願って、この詩を、この本の著者なりの理解で少し変えてみたようです。



「私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。


 私は、あなたの期待に答えるために、この世にいるのではない。


 あなたも、私の期待に答えるために、この世にいるのではない。


 あなたはあなた。私は私。


 もしも我々が、お互いの願いに答えることができたら、


 それはすばらしい。


 しかし、たとえお互いの願いどおりの行動ができなくても、


 我々が良き友であることに変わりはない。   」



*私に言われているようだった。まさに自分は、人が自分の期待したようにしてくれない時に、怒ったり、ひがんだり、いじけたりしていた。・・「 この人は、私の期待に答えるべきだ 」という言葉のように、相手が自分の思い通りにならなかったことへ いじけたりしていたのです。


そして逆に、相手の期待に答えようとして答えられなかった時に、自己嫌悪に陥いっていました。・・「 私は、この人の期待に答えるべきだ 」という言葉のように、自分が相手に高く評価されなかったことへの不快感をあらわしてしまうのです。



あぁ、なんて自分は弱い人間なんだろうって思いました。


そして、ある人を、傷つけてしまった・・?と思いました。

反省中なのです。

本当にゴメンナサイ。


「もしも私たちが、お互いの願いに答えることができたら、

 それはすばらしい。

 しかし、たとえお互いの願いどおりの行動ができなくても、

 私たちが良き友であることに変わりはない。  」


そうありたいと願っています。

ホントに大切にしたいから。


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