2013年03月03日
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というメールをいただくことがあります。

実際、このホームページは海外の大学の講義のテキスト

として使用されております。海外からのリンクは16ヶ国

になります。オックスフォード大学のアーカイブは、

ユネスコの「源氏物語」の英語版を入力している関係上

よく意見の交換をしております。

かつて、「帝の衣の色」についての講義があるので、

関係する原文を公開してほしいという要望をいただきました。

そこで公開していたのが、「2000円札の冷泉帝」です。

2000円札の表に「紫式部」裏面に「源氏の君と冷泉院」の

「親子対面の場面」が描かれています。

冷泉院は、冷泉帝の譲位後の院号です。

その冷泉帝は、「大原野」に行幸しております。

「行幸(みゆき)」の巻の原文には、

「そのしはす(12月)、大原野行幸にて」

「雪ただいささかうち散りて」

と記されています。(「行幸」は「御幸」とも書く」)

冷泉帝は、桐壺帝の女御で先帝の四の宮・

藤壺中宮を母として生まれました。

本当の父は、源氏の君です。

冷泉帝は、大原野行幸に源氏の君を誘いますが

源氏の君は断ります。自分が本当の父であるということを

言い出すことができない遠慮があったからです。

冷泉帝のその美しさについて、「源氏物語」

「行幸」の巻では次のように記しています。

下の原文の写真9行4字目から10行末尾まで。

「みかど(帝)のあか(赤)色の御ぞ(ころも)奉(たてまつ)りて、

うるはしううごきな記(き)御かたはらめに、

なずらひ聞(きこ)ゆべき人なし」

冷泉帝の御幸2a

現代語訳は次の通りです。

「冷泉帝は、赤色の衣(ころも)をお召しになり、

端整で麗(うるわ)しいご様子で、

凛々(りり)しいそのお姿は、世に並ぶ者がないほどです」

冷泉帝の御幸2a拡大

平安時代、晴れがましい儀式のおりの、

天皇は赤色の衣(ころも)をお召しになられます。

原文の7行3字目から10字目まで。

「にし(西)のたい(対)のひめ君」

と記されております。

「西の対の姫君」とは、夕顔を母とする玉鬘(かずら)の姫君です。

玉鬘の姫君の視線から冷泉帝のお姿が描かれております。

オックスフォード大学の学生たちが

このホームページの原本を読んでおります。







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最終更新日  2013年03月03日 11時39分58秒
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