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インフルエンザに罹った私に、心温まるコメントくださり、有難うございました。メールでも有難うございました。皆様にご心配頂き、それが薬になりまして、家族全員、元気に過ごせる日々を頂いております。本来なら、インフルエンザで寝込んでいた日々の間に確定申告の準備を終えるはずだったのですが、それが叶わず、今は病床中に終えられなかった仕事と共に、必死に準備に追われています。大したことはないはずなのに、貧乏は何故か暇がないんですよね。不思議です。我が家がA型に感染して免疫をつけた頃、「A型が終息に向かい、B型が流行り始めるかもしれない」という報道。私は今までが幸いだったのでしょう、家族にもインフルエンザに罹った人を持たず、私は一族を代表して、初めてのインフルエンザ患者となりました。実は、旦那もです。ですから、「こんなに節々が痛いなんて…」などと、いちいち驚いていました。また、家族全員が同時に発病した為、私は自分の熱を計ることもせずに、必死になっていましたので、高熱は出ていたのだろうけど、その苦しみが記憶に残ることがありませんでした。これは不幸中の幸いともいえるけど、二度とごめんだ…。昔に、知人が妊娠後期にインフルエンザに罹ってしまい、入院、点滴を受けたと聞いたことがありました。症状が悪化してそうなったのか、妊娠中に罹ると念のために入院させるのかは分かりませんが…確かに、インフルエンザは辛いですね、あの体の痛みは辛かった。布団並べてウンウン唸って、異様な光景だったとおもいます。過ぎ去れば…で、今は鼻水と咳も殆ど出なくなりましたし、思い出化していますが、うがいと手洗いをもっとしっかりとしようと、心掛けております。ご心配くださり、有難うございました。またこれからも宜しくお願いします。
2008.02.27
2月はリンズの保育園土産が多く、胃腸炎やらに私も感染した上に、先日からは家族揃ってインフルエンザA型に感染しました。リンズからのお土産では文句も言えず…久々のキーボードが重く、今日はリハビリです。皆さんから頂いている書き込みも、いつも以上に読解力がなく、返事はもう数日時間を頂きたい。だいぶ良くなっていますので、日常生活もすぐに取り戻せそうですが、荒れ果てた部屋の掃除と溜まった洗濯物、やっつけないといけないことが山積です。皆様はお元気でありますように…
2008.02.21
時々、このブログを読んでの感想を頂いております。どんな内容でも、殆どの方が琴子のことを忘れないと書き添えてくださいます。それが何よりも嬉しいことです。「生きていて良かった!」とおもえる瞬間そのものです。琴子の亡骸を抱きながら、助産院から帰る車の中で「このまま死のうよ」と旦那に頼んだ私がそうおもうのですから、とても嬉しい瞬間なのです。琴子や私だけじゃなく、小さいままに死んでしまった子供たち、特に戸籍に載せてもらえない子供たちの親には、「早く忘れなさい」とよく言われています。私もよく言われました。それは善意なのかもしれないけれども、実はとても厄介な善意でして、忘れられるわけない親の想いや切なさの全てを否定されているような心境になります。でも、私にメールで励ましをくださる方や、このブログに書き込んでくださる方たちの「琴子ちゃんは私の中で生きています」という言葉を目にすると、琴子が誇らしげに笑っているような気がして、とっても嬉しくなります。皆さんの中での琴子は笑っていますか?会いたいなぁ。皆さんの中にいる琴子にも会いたい。助産院を選択したことで亡くなってしまったけれども、今は楽しそうにしていますか?琴子を忘れないとくださる皆様に感謝しています。有難うございます。
2008.02.14
どこからの情報かなどは伏せますが、会社勤め中の妊婦さん(妊娠中期)が帰宅中に突然の腹痛におそわれ、救急車に乗ったままで2時間、搬送先がみつからず、お腹の中の赤ちゃんは亡くなってしまったそうです。かかりつけ医は勤め先とは県境を越えるそうで、救急隊にかかりつけ医への搬送をお願いしたそうですが、それが出来ないと言われたようです。(救急車を呼んだ場所はまだ、県境を越えたところだった)確実に、私たちの当たり前とおもっていたものが崩壊しているんだとおもいました。当たり前とおもっていた私たちにも問題があるんだとおもいます。こういうことを教えてくれるのがとっても小さな命だということが辛くてたまらないのですが、その命を無駄にしないために、搬送がどれほど難しいことなのか、身近な人たちとどんどん対話していくべきだし、もしも近くに妊娠している人がいるときには、問題がない(今回の方も、亡くなってしまった胎児ちゃんには問題がみつからないそうです)と安心していても、遠出を控えること(かかりつけ医が近いからって、必ずしも全てが円滑にいくとは限らないことも同時に)などを話していきたいとおもいました。※誤解しないでください、妊娠後の仕事の選択はそれぞれの生活・家庭の問題だとおもいますので、それについての是非を問うつもりはありません助産院や自宅出産を選択した方も、もう一度よく考えてみてください。助産院からの搬送だ、助産師からの要請だということで優先されることはないとおもいます。嘱託医が手術や緊急搬送にきちんと対応しているのか、よくよく確認してみてください。今日のお話の天使ちゃんのご冥福をお祈りし、天使ママさんの日々が少しでも過ごしやすくあることをお祈りしています。
2008.02.13
先日の当ブログ『お産革命』 で紹介しました『戦後日本の自然出産の流れと女性と助産師との関係』をきちんと読みました。(太文字引用箇所)『つまり、「ひと」が産み、「ひと」が生まれるということは、安全に生まれればよいという以上の意味を孕んでいるということです』は色々な感情を通り越し、悲しみしか残りません。これは私からすると、『母子は無事に生まれる』ことしか頭にない人だから言えること。あと、以前にこのブログでも何度か『自然(出産・分娩)とは一体何なのか』という問い掛けが誰彼問わずにありましたが、この資料からすると、医療を否定するためのものであると感じられました。自然という言葉があえて使われるのは、不自然なお産があるからだということでしょう。ですから、今まで私は経膣分娩をも自然分娩(出産)とおもっていたけれども、分娩という言葉を使うこと事態が医学的であり、自然という枠からは外れるようですから、吸引や会陰切開を含む経膣分娩は全て、自然ではなくなる。まぁ、確かに既にそうなのかもしれないけれども、こういう考え方に強く縛られることによって、子供には無事に生まれて欲しいとか、なるべく母体にも傷が残らないようにという、当たり前のように願う想いからして不自然とされてしまうのか。助産院で無事に産めた人の話ばかりを並べては、もう語ることはしないで欲しいです。同時に悲しいお産になった方のお話も、各助産院、必ずや1件はあるでしょうから、その話もきちんとしてください。母子が無事に済んだお産だとしても、危険な状態に陥ったので搬送になった、危険な状態になりそうだったから搬送になった、判断が甘かったのか、搬送を決断するのに時間を要してしまったとか、少なくとも1件はあるはずです。自分を大事におもうのは皆一緒ですが、助産院の中で、助産師は自分のプライドとか利益とかよりも大事にするべきは母子の安全なのですから、それを何よりも優先してください。助産院や自宅で産むと考えている方には、是非、助産師の方たちの経験全てを伝えてください。「あれは産婦の息み方が悪かった」「食生活が良くなかった」とかで片付けないでください!産んだ私たち母親のせいにばかりしないでください!!!体つくりはばっちりで、それでも悲しいお産になった方もいますし、私も、琴子、リンズ、ダンジと3人共、妊娠中の体つくりはきちんとしていましたから。(他にも搬送、嘱託医の問題とか、本当に考えるべきこと、改善されるべきことは山積みなんですから)最後に、琴子の妹(リンズ)と弟(ダンジ)を、私は病院で出産しました。ダンジを出産したときに、リンズは待合室で旦那と一緒に待っていました。立会いは選択しませんでした。しかし、リンズは生まれてすぐのダンジを目にして、「可愛い~!!!」と、連呼して、すぐに「抱っこしだい!」と言い、病室に移ってからも、「抱っこしたい、抱っこしたい!」と騒ぎ、入院中も何度も抱っこしてくれて、すぐにお姉ちゃんになってくれました。そして、リンズもダンジも生まれた直後の写真から、とても穏やかな表情をみせてくれています。どこで産んだとかは関係ないと思います。見る人の考え・見方が問題なのではないでしょうか。
2008.02.08
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2008年1月14日の当ブログ『警鐘すら鳴らせずに苦しんでいる方たちがいる』にくださった、フィッシュさんのコメントを紹介させてください。太文字がフィッシュさんからのコメントより引用部です。ちなみに、フィッシュさんのご職業は、病院勤務助産師です。私が助産師になった頃は、ちょど「お産革命」の影響で病院分娩に対する反省や改善が出始めていた頃でした。立会い分娩や母児同室などを取り入れる病院がぼちぼち出てきていました。出産も、女性が受身ではなく「主体的に」迎えるように産前クラスできちんと学ぼうという意識が高まった時期でした。ですから、この時期に助産師になった人たちは、多かれ少なかれ、この時代の影響を受けているのだと思います。こういう時代があったんですね…『お産革命』で検索したら、本がありました。絶版されているようですが、古本で探してみます。そして、検索した中で、『戦後日本の自然出産の流れと女性と助産師との関係』を知りました。印刷して読みます。ざーっと読んだ限りでは、自宅出産、助産院での出産ももっと増えるようにしたいってことなんですが、搬送の話はないようです。“助産院で、よりよい出産体験をした女性たち”という言葉が何度も繰り返し、使われています。よりよい出産をこれだけの人がしたのだからと、助産院での出産がいかに素晴らしいかを語られたいのだとおもいますが、“助産院・自宅出産でこれだけの辛くて悲しいおもいをした人がいるのだ”ということもお願いしたいです。この「自然なお産」へのイメージに対して、病院でもさまざまな改善がされてきたと思います。陣痛室から分娩室まで夫や子供が立ち会えるようにしたり、入院中も夫が赤ちゃんと過ごすことができたり、分娩方法も画一の姿勢ではなくしたり・・・。20数年ほどで、病院での分娩環境も相当改善されたように思います。何より周産期医学が進んで、リスクの高い母子(正常な経過でもいつでも誰でも危険な状況になることも含めて)への治療が進歩して、たくさんのお母さん、赤ちゃんが助かったと思います。そして、日本は国民皆保険で守られているので、治療費も心配しないでいられます。何をもって「満足なお産」とするのか。助産師側から「病院VS助産院」のような対立を招いてはいけないと思います。自分の技術(助産)に過度の自信を持ってもいけないと思います。昔の日本や、今世界中で医療機関にアクセスできない地域の人であれば、助産師単独による出産介助もあり得るでしょう。帝王切開を受けるのにも何時間も移動しなければならなかったり、手術に使用する点滴を家族が自費で買わなければいけないような国もたくさんあります。1960年より前は、日本だってそんな状況だったのですから。産科医や小児科医がいつでも母子を見てくれる恵まれた医療システムを守っていくことが、「満足なお産」の一番大切なことだと思います。フィッシュさん、いつも貴重なご意見をくださり、有難うございます。助産師の方から、『産科医や小児科医がいつでも母子を見てくれる恵まれた医療システムを守っていくことが、「満足なお産」の一番大切なことだと思います』という言葉を伺えるのは、とても嬉しいですし、フィッシュさんのいる病院で出産に挑める方が、羨ましいです。私は琴子を出産するまで、目の前にある医療は当たり前のものであって、私がSOSを出せば、いつでも当たり前のように助けてくれる、“何かあっても死ぬのは最後”だという、甘い考えが沢山ありました。死は人の最期ではあるけれども、年齢から考えるとまだまだ先のことのような気がしていて、でも実は目の前にあるかもしれず、それがましてやお産という、これから人が生まれてくるという場面で、一番若いはずの子供が死ぬことまで、具体的には全く想像が出来ずにいました。私が無茶な生活をすることで、今一番に医療を必要としている人から医療を奪ってしまうかもしれないとか、考えが至らないことが多くありました。くださったご意見から、色々と沢山のことを考えております。今日も整理がついていないままなのですが…
2008.02.01
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