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以前に荒らし行為を受けて以来、徹底した態度を取らせていただいています。それに対し、ご意見を頂いていますが、悪質な行為には徹底するのは当然のことです。こちらでは個人名などは分かりませんが、どの方が書き込んでくださっているかは大体分かります。100%ではないかもしれませんが、分かります。もしも「どうしても間違っている」と仰る方は、フリーメールではないメルアドをください。確認に必要とします。個人情報を他に漏らすことは一切ありませんので、ご安心ください。また、意見が違うというだけで削除しているわけではないのは、過去の皆さんからのコメント欄をご覧頂ければ、分かっていただけるはずです。結果的に、安全性を第一に考えている方は堂々とされているから、多重人格を装ったりされないだけです。偏って削除したり、書き込みが出来なくなっているわけではないのです。ですから、『対立した意見だから』というだけで削除はしていません。事実、削除されていない私への批判、反論も沢山残っていますし、いまだに書き込みが出来る方もいらっしゃるはずです(継続して書き込んでいらっしゃらないだけです)。あと、今回個メッセージで『新聞の取材も採用されなかったと思います』と2度も寄越された方にとっては、もしかしたら新聞に扱われるのが最大の公平だとおもわれていらっしゃる、そのような価値観の方でしたら、そうおもわれるのかとおもうのですが、私は新聞・マスコミこそが偏っているのではないかとおもっていますので、私はそのときには話題の一つとして話しましたが、忘れていたくらいの話でした。そんなわけで、気になさらないでくださいね。「裁判が終わったのに~」と、これは私を批判する方からはよく言われます。世の中、裁判を終えた後からこそ、活動されている方は多くいらっしゃいます。医療問題に限らず、あらゆる被害者の会なるものは、裁判を終えた方が多く支えていらっしゃいます。裁判も大きなことですが、事実以上のものではありません。そもそも、助産院の安全性を問うことに対し、私が裁判を経験しているか否かは無関係ではないでしょうか。問題提議に、条件が必要なのでしょうか。墨東病院で奥様を亡くされた旦那様が『病院を訴えることはない』とされた件を引き合いにだされ、更に私をなじってくださいますが、問題があまりにも違い過ぎて、根本的なところから見直していただければと願うばかりです。また、助産院の安全性を問い続けることがそんなにも可笑しなことだとするならば、同様に病院の問題、安全性を問う方たちにも同様の問題定義やご批判をされているのでしょうか。私自身は病院の問題や安全性を問うことも大事だとおもっております。医療の問題が時には話題に出ることもありますが、それを中心とした展開をすることを、このブログではしません。お手数をお掛けしますが、再度当ブログのタイトルをご覧ください。大変失礼な言い方かもしれませんが、本来ならお相手せずに済ませようとおもっておりました。しかし、私への批判も含め、ご意見くださる方の名誉のためにも、悪質な方の書き込みは削除するという意見をしっかりと提示したいとおもったから表明した次第です。次からはまたブログの本題に戻りますので、この件へのご意見はくださらない様、皆様にお願い申し上げます。
2009.04.27
先日の其の一にコメントくださったちくわさんとななこのなさん、お二人共に、ホメオパシーと子どもの問題がありました。医療ネグレクト予防接種についての問題。確かに、副作用の問題はあります。確率が0%ではないので、だから受けさせるかどうかを考えるのは大事だとおもっていますが、予防接種が全く意味のない行為だともおもえません。重症化しないことが多いといっても、しない確率も0%ではないですから、安易に『受ける・受けない』は言えないのが私の気持ちです。私の場合は、リンズはアレルギーがあると分かったので、主治医さんに相談したりしました。結構悩みました。というのも、色々な出会いの中で、副作用で人生が変わった方たちもいますので、その方たちから学ぶこともありましたから、打つと決めるときに、葛藤もありました。だから、私は打たないという選択肢もあるとおもうのですが、でも最近の“それが素敵な自分作り”のような安易な判断を目にすると、ぞっとします。助産院や自宅出産を検討される際に、『母子の命・安全が第一』となっているのが当たり前のことであることを祈っているように、予防接種に関しても、親の判断が子供の安全を第一優先としていることを願うばかりです。(身内に重度の後遺症者がいたりすることもありますので、気になる方は医師に相談するべきだとおもいます)先に述べた通り、ホメオパシーを子供の健康・生活の中心にするのは大反対です。子どもは言葉や表現が確実ではありません。新生児や幼児となれば、言葉はありません。顔色や泣き方で分かるというかもしれませんが、私たちの目や耳はそれほど確かでしょうか。『親の勘』というかもしれませんが、病気や怪我を前にして、勘だけを頼りにするべきでしょうか。生意気を言うようですが、ホメオパシーに限らず、非医療に熱心な方に伝えたいのは、『病名を確定してもらったり、必要な場合の投薬(手術)も親の愛情ですよ』という余裕です。ちょっとした発熱でもなんでも行くべきだとおもってもいません、経過観察や家庭で出来る手当てをして治癒出来ることもあります。ただ、実際に行くことは少なくて済むとしても、『行くべきではないか』と常におもいながら経過観察をするべきだとおもっています。最近、ダンジが中耳炎になり、耳鼻科に通院しています。レメディだけで乗り切る方がいるようですが、私はそれは、やはり親のエゴのようにおもいます。“レメディを飲ませているのだから、ネグレクトではない”とおもっている方もいるとおもうのですが、私は子供が痛がっているのを、時間をかけてゆっくりと…なんて、それだけでも可哀相におもいます。この点、前述のCさんがとっても理解ある方というか、「痛みは身体の負担になるんだから、それを早く解消してあげることも大事」と仰っているので、自然派志向の皆さんにこの言葉を贈りたいです。Cさんは好転反応についても、「痛いだけでも辛いんだから、あれ(好転反応)もどうだろうか、痛いこと(痒み等含)は少しでも避けた方が良い」と仰っています。私も同感。だから、レメディだけでなんとかしようなんて考えないで欲しい。でも、熱心な方には伝わらないだろうな…NATROMさんの『NATROMの日記』よりホメオパシーと医療ネグレクト更新された頃も拝読し、関するブログ等も拝読していましたが、当ブログで紹介させてもらうのは初めてになります。一応、一度は受診を考えて行動していたそうですが、子どもが眠ったので一旦安心となったのか、それにしても、心の経過が完全に非医療で、読んでいて不安になります。好転反応だとしても、痛いのは可哀相ですよ。それだけでも可哀相とおもってあげましょうよと、心の中で何度も叫んでしまいます。新生児にっていうのも、K2シロップの代わりにK2レメディなるものがあるようですが、これをどう解釈するのか、助産師会もホメオパシーを薦める内容の講演会を多数開催しているようで、本当、どう解釈しましょうかね。“非医療”の意識の生産をしているのが助産院であると言われても仕方がない。助産院って、やっぱり民間療法内ってことでしょうかね。勿論、ホメオパシーを取り入れず、非医療ではない助産院もあるはずですから、全ての助産院や助産師を言うつもりはありません。ただ、残念にも、そういう助産師の方たちが目立っている。私は兎に角、子どもには親以外の知識や技術を持つ方の存在は重要だとおもっています。そして、子供の健やかな日々や、少しでも過ごしやすい状態を望むためにも、非医療にならず、病院を遠い存在にしないで欲しいです。助産師こそが必要な存在だと仰るかもしれませんが、非医療という偏った状態をつくるきっかけであるならば、その存在を問題視されるのも当然ではないでしょうか。親自身は『自己責任』で済ませられますが、子どもは違います。ホメオパシーを取り入れている病院というのも、『基本的には経膣分娩、でもいざとなったら即帝王切開』という、ダブルセットアップ体制のようなものと信じたいです。
2009.04.14
最近、助産師会主催でホメオパシーを扱う、もしくは推奨するような講演会がある等の話を見聞したり、また、実際に助産師の方でホメオパシーを助産院で取り入れているというのも多く目にします。私の好きな方でも、ホメオパシー(レメディ)を薦める方がいます。私は代替医療を真っ向から否定しません。しかし、中には悪質なものもありますから、“石橋を叩いて渡る”のが、私にとっての代替医療です。そして、私がとっても幸運だとおもえるのは、琴子を妊娠する前からお付き合いくださっている代替医療の施術者の方(以後Cさん)は、“非医療者”ではないということです。「まず病院に行って」と念を押します。そのCさんが、いよいよホメオパシーを私に薦めてきました。琴子を妊娠する前に、私はホメオパシーで婦人科系の病気を治癒したという方に出会っていました。それから数年後、ホメオパスになることを目指しているという方に出会いました。でも、私はCさんの考え方が好きなので、ホメオパシーの存在を知りつつも、手を出す気持ちにはならないでいたら、ここ数年であっという間に広まり、今では『自然派志向』の必須アイテムのような存在にまでなりました。それまではただ傍観していたような気持ちだったのですが、Cさんが薦めてきたことにより、ホメオパシーを知るべき時がきたのだろうなぁと感じました。何よりも、助産院との関係が多くて、無視出来なくなっていました。琴子を天国に預けている、天国があると信じている、神様は存在している…このようにおもう私は、“科学で証明されることだけを信じる者”ではない。特に、琴子を亡くしてからは、神職の方に精神的に救ってもらっているので、宗教は大きな存在です。でも、そこで一つ線を引きたいのが、『営利目的』か否かです。そして、営利目的の前に、“やたらな”を付け加えさせて貰いたい。人間は生きていくのにお金が必要だし、税金だって払っていかなきゃいけない。だから、営利目的が悪いだなんて言いません。問題におもうのは、“やたらと高額な”ものです。Cさんに、ホメオパシーについての疑問を投げ掛けました。・どうしてホメオパシーは高いの?・ホメオパスへの相談料が高いのは何故?Cさんは自身がホメオパスではないこともあって、面白いもんで、同じ疑問を抱いていました。だから、『どうしてなんだろうね、そこが残念だよね』という答えでした。「これは家の薬箱程度におもうべき」だと、何度も言っていました。「私がホメオパシーに興味を持ったのは、かのガンジーが貧しい人でも出来るっていうので広めたっていうから」というのが、Cさんがホメオパシーに興味を持ったきっかけだったそうです。そして、私が「貧しい人でもっていうのがガンジーの薦める理由だったのに、今の(日本の)ホメオパシーはお金のある人じゃないと出来ないですよね」と更に聞いたら、「私も今の高額な在り方はおかしいとおもう」と、更に同意見でした。また、「ホメオパシーが人類を救う、万能薬だというような発言が多くある」というような話になったときには、「それが本当なら、発祥の地ドイツや、イギリスやインドなどの国々に病人がいなくなるはずだし、発祥の地ドイツ人の多くが東洋医学を頼りにしている現状をみれば、そうではないことが分かる」となりました。それでもホメオパシーに興味を抱き続けているのは、やはりガンジーの魅力のようです。私がCさんに惹かれているのと同じことでしょうね。日頃より、「緊急の事態はすぐに病院に行き、投薬をしてもらうなり、処方なり、そして手術なりの施しを受け、もしも薬の副作用があった場合には、気持ちの良い手法でそれを和らげられるとおもっていれば、気持ちも楽なんじゃないか」と、Cさんが言う。そのCさんを好きな私、“食わず嫌い”ではなく、食べた結果で話そうとおもい、遂にレメディを購入してみました(はっきりいって、実験。経費で購入という気分。でもって、ネットで調べて最安値を探して購入)。私の場合は主な症状で便秘-効いたか効かないか…まだ分からないです。多分、私は慢性といっても、そんなに酷い方ではないし、琴子を亡くしたという経験は大きいけど、それ以後は大きな病気もしていないし、常に体調は快調だと言えないし、花粉症っぽいけど、寝込むほどでもない。風邪もひくけど、日々が忙しくて寝込めない、寝込むほどでもない-レメディのお陰だとおもえるほどの症状がない?でも、この程度のお付き合いが大事なんだとおもう。何かをこれ一つで治そうとおもったらいけない。Cさんのところで、『レメディのお陰で花粉症が改善した!』と話す方に会いました。でも、レメディのお陰かを立証する術はなく、もしかしたら、花粉がそんなに飛んでいないのかもしれない。たまたまなのかもしれない。横で、Cさんも何度か言っていたのが、『たまたまだったとおもう程度にしましょう』。助産院に『自然なお産』を求めていく方の中には、『科学的根拠がないと信用できない』という方は少ないとおもいます。そういう方に、どんなに“科学的に効果が立証できない”と言っても、それは意味のないことだとおもいます。だって、“科学的に効果が立証できないことだから”と、そこに信憑性があると感じるからだとおもいます。私は先に述べたとおり、天国の存在を信じる以上、科学的根拠だけを絶対視するわけにはいかない方に入ります。また、Cさんの施術の中には鍼灸もあるので、科学的根拠がないとされるものでも、場合によっては受け入れています。でも、最近のホメオパシー支持者の中には、『非医療』の発言が多いので、私はホメオパシーで効く程度の症状があるとしても、どんどんと『非医療』へと導かれていくような状態には警鐘を鳴らしたいです。「ホメオパシーを問題におもう」と、ある助産師の方に申し上げたところ、『ホメオパシーに関しては専門団体があるので、あくまでソフトに対応されたほうがいいと思いますよ』と、メールで返答がありました。脅し? とおもえたのですが、人の命を預かるような方たちが、批判を受けることに対して“ソフトな対応”じゃないと駄目だなんて、一体なんなんでしょうか。こういう発言を目にすると、何を目的としている専門団体なのかと、疑問ばかりが残されます(この助産師の方への疑問ともいえますが)。あと、助産院でレメディを出すっていうのも、違法ではないのかもしれませんが、いかがなものでしょうか。それが“非医療”なのだとしたら、やはり助産院も『非医療分娩施設』とするべきですよね。何度も言いますが、Cさんが非医療者ではないので、全ての民間療法を非医療とはおもっていない私としては、言葉の選び方が非常に難しいのですが、多くの民間療法が非医療へと繋がっていることから、どうしても非医療の代名詞的に使われるため、この際だけは「民間療法=非医療」として、助産院や自宅出産は民間医療の分娩施設だとするべきなのかもしれません。そうすれば、多くの疑問が解消されるような気がします。『嘱託医がいる』と、非医療ではないような装いをしつつ、内情はホメオパシーを薦めていたりして、非医療とおもわれることが多いから、疑問や問題が生じるのではないでしょうか。こうすることで、これから出産をする方が選択しやすくなるような気もします。ホメオパシーは非医療ではないと仰る方もいるかもしれませんが、ホメオパシーの書籍を読めば一目瞭然、非医療の内容が多いです。病院で処方される薬の毒が体内に残っているからとか、色々な表現であります。ブログ内でも何度か言っていますが、過剰な医療介入は私も肯定していません。でも、必要な医療があるということをしっかりと伝えないと、“病院はすぐに…”で始まる言葉に、私たちはどんどんと流されていって、いつしか離れ孤島にいて、医療から遠退いてしまうのです、病院に行くべき判断を出来ないでいることになる。実際に、お子さんの病気をレメディで治そうとされた方のブログがありました。中に『子どもがレメディを欲しがるのは、体が求めているからだ』とありましたが、あれはどうでしょうか、レメディって凄く甘い(砂糖の塊)ので、うちの子供たちはおやつの粒だとおもっています。だから、いつでも「あれ飲みたい」と言います。今回だけでは表現しきれていません。私の表現に対し、反論をお寄せくださる方がいるとおもいます。そのご意見に頼る形で、また其のニ、其の三と、続けていけたらとおもっております。一応、今回のまとめとして…家の中で何とかできる症状もあります。ちょっとした発熱、風邪かなと思えるときなどは、私は病院に行かないで済ませることの方が多いです。でも、ちょっとした発熱から始まった大病の話も聞くし、その他、家の中では済ませない症状があることも覚悟しているので、病院に行くべきかを必ず考えます。そんな私たちに対して、医療行為に垣根を作って、病院からどんどんと遠退かせるようにしているような内容に出会うことが多く、場面として、助産院や自宅出産を推奨する方の文章や、ホメオパシーを熱心に薦める方、信じている方の文章に多いです。『過剰なまでの医療介入に対する批判』が『過剰なまでの医療行為への批判』になってはいませんか?
2009.04.09
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