Joyful life

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『空白の2ヶ月間』 その3




○回復へ向けて  6月~



隔離病室、またの名を牢屋と言う場所から出所して2週間

俺は順調に回復している…ような気がしていた



   もーすぐ退院なんじゃないか?

   もーすぐ薬も減るんじゃないか?

   もーすぐ開放病棟へ移動できるんじゃないか?



そんなことを思いながら、日一日が『ゆっくりゆっくり』流れていることを感じていた

出所してから期間も過ぎ、閉鎖病棟での共同生活にも大分慣れてきている。

あれほど痛かった腰の調子も随分とよくなってきたw

日ごろの『ヨガ』の賜物であろう(嘘)





閉鎖病棟でも毎日のように主治医は巡回しているが、俺のところに毎日くるわけではない
2、3日おきに俺の様子を見に来るだけだ。。。

フリースペースに俺がいるのを見つけてこっちへくることもあれば、

一瞥するだけのこともあった。




この頃、俺は患者のおじさんと一緒に『将棋』なんぞをやってヒマつぶしをしておりましてw

まー、これがまた小学生以来の将棋だったと思うんですが面白い 爆

それで、相手のおじさんがすげー強くて強くて中々勝てないんですね 死

そこがまた面白いわけなんですが…







昼間中に将棋を指している最中に主治医が様子見にくるんですよね 汗

そして何も言わずに盤面をじっと見つめるんですよ 滝汗

せ、先生っ!緊張して打てません 死

俺、回復してますよーってアピールしたいのは山々なんですが…

先生の方が無言なので何も喋れません 爆








…で、相手のおじさんに…





王手飛車取り!!!







言われまして 死



先生見てるから緊張して気がつかなかった 涙

結局、その勝負負けまして。

一局終わったあとに、主治医とちょろっとお話ししたんですよね…










K氏  『JOYさん、まだまだ落ち着きが足りないよーですねぇ…』





(;´Д`)ノ








   『そんなことだから…






よく考えもせずに王手飛車取りなんてされて負けるんです!






   もっと落ち着きなさい』
















ちょwwww

先生見てるから緊張してたんだってば 死 



おもきし逆効果 涙



てか、躁病と将棋の勝負関係なくないか? 爆








そんな感じで、毎日毎日将棋に明け暮れる日々を過ごしましてw



あ、Aちゃんとの話ですけどね…

なんだか、ナースの間であの二人仲が良すぎるんじゃないのー?みたいな状態になってたみたいでして…






二人同時に、お互い注意するよーに!





と、厳重注意されますた 死

ちゃんと、ルールにのっとって『おさわりなしよー』だったのに 爆

そんなこんなであんまり話もしない時期でしたね



























○深夜病棟 役得秘話 爆




この時期も相変わらず、睡眠薬は飲んでたんですが夜、変な時間に起きちゃったりするんですよね

つか、今も睡眠薬は飲まされてますが 死



そんで始めの時期は睡眠薬飲んでも寝れない寝れない思ってたんですが、

出所してからは悩みも軽減されて順調に寝れていたんです

ところがこの時期に、また夜変に考え込んじゃって寝れなかったんですよ

睡眠薬で意識は朦朧として体は睡眠しようとふらふらの状態なんですが、

それでも意識は覚醒していまして




よーするに、いろんなことが不安だったんでしょうね、当たり前ですけど

考え込んじゃって寝れないと




そんな夜、ナースステーションに行ったんです

丁度、担当のナースさんいましてね。

かくかくしかじか事情説明しまして、睡眠薬を追加で飲んだほうがいいかと尋ねまして

相談にものってもらいまして



結局、追加睡眠薬は飲まなかったんですがね

ここでナースステーションを出ようとしたらば

























ブラックアウト演出! 爆







ホッしたんだかなんだか、急にめまいがしまして歩けない 汗

どさり、と崩れ落ちる俺






















しっかり俺を抱きとめてくれるナースさん Ktkr





















ここぞとばかりに抱きついておきました 爆









意識はあるあたりがミソ 死

体はほとんど動かない 爆

正しく言えば、足腰が立たない 爆





ほーら、両腕は自由自在


…て、特になにするわけでもありませんが(アタリマエ)

抱きついたってより、抱きかかえられたってもんだし

それでも役得だなw



















で、部屋のベットの上まで搬送される俺…





















































そこで都合よく下半身が復活するわけもなく(馬鹿









そんな都合いい展開あるわけなくw

ナースさんによって寝かしつけられました 爆





























○欝になるということ   6月10日~



何かこの時期、俺は変だったんすよね

今も変だろ?とかはナシにして 爆

今までの俺じゃないぞ?ってな雰囲気でして

自分自身もなんだかおかしいなー思ってまして…





簡単に行ってしまえば無気力なんですよね 素

以前は退院したらアレがしたいコレがしたいスロが打ちたい(え?)

と、いろんな目標あったわけですが

何だかどーでもよくなってきまして 汗




俺自身、こんな気持ちは初めてでしてね 素

無気力化しちゃいまして…

ただただ時間を浪費してボーっとする時間

これが牢屋に居たときは当たり前だったんですがこのときは妙な気分だったんですよね




出所してからもうすぐ一ヶ月

進展のない治療経過

明確でない治療プラン




そして、何を考えているのかさっぱりわからない主治医

このままずーっと病院にいるのか俺?

退院なんてずっと先なんじゃないか?

そんなことを思っていたんですよね






そんな感情、すげー嫌なもんで将棋やら会話やら新聞やらテレビ番組やら

ある程度の娯楽にまったく反応しなくなっちゃいまして






















あ~、コレが『欝』って感覚なのかなぁ…






と、漠然に考えていましてね



でも、病棟にいる欝病患者の人はもっともっと酷い症状だったりするしなぁ

などと思いながら数日間過ごしていたんですよ












そして、無気力人間になっており、ナースさんに相談しようかしまいか悩んでいた日

この日のことは今でもハッキリと覚えています



昼食前、主治医が俺のところに来て、普段ならば立ち話のところを椅子にどっかり腰掛ける






K氏 『JOYさん、最近落ち込んでませんか?』

















はぁ、落ち込んでますね… 多分


とか、そんな答えしましたね

完全に無気力でしたから 死









K 『あなたの病気はね、治療の過程で欝になってしまうリスクがとても大きいんです


  だから、それを一番心配して治療を進めてきています

  今、あなたはとても欝になっているようなので大事な話をしておきますね…』












そう言って主治医は話始めた…



























なんでもっと早くはなさんかい!爆








いや、正直、このときは嬉しかったですよ


なんたってあのドクターが20分近く会話してくれたんですから 汗

一回平均数十秒の忙しい先生が20分!!

桁違いってのはこのことですよ!爆




で、


  俺は順調に回復していること

  経過を見て開放病棟行きを決めること

  安心してのんびり、欝になることは避けるべきだということ






躁病の対極に位置する欝病

躁を押さえつけようとするあまりに欝になってしまうと、その反動も大きいとの説明をされた。



おそらく、俺は軽い欝状態だったのでしょう

それをわかって主治医も話に来てくれたのでしょう








正直なところ、話の内容もさることながら…

なにが俺をもっとも安心させて、また救ってくれたかといえば



主治医が事の重大さを知って時間を割いて説明してくれたこと

ナースが俺の調子がおかしいということをしっかり察知してくれていたこと



なんだか、嬉しくなりました 素









この主治医との面談によって俺は復活し、軽い欝状態を脱出したのでした










































○別れ 退院 そして始まり   6月後半







6月後半、俺は主治医から解放病棟行きを許可された

このときの喜びも大きかった。

出所してから40日あまり、閉鎖病棟での生活も正直飽きていた




さらに、開放病棟行きと同時に言われたことがあった

入院形態を『任意入院』に切り替えるということである…



簡単に言えば、『いつ退院してもいい、本人の意思での入院』である



























よーやく俺の時代が来たか 爆








ながかった、本当に長かった 涙



でも、ここまでくると『すぐに退院します!』というのもあれだったので開放病棟で1週間だけ生活することとなりました。



病棟を移動すること、共に生活してきた患者さんと別れること、

とりわけAちゃんと別れること 爆









その他にもたくさんのお世話になった人がいた。




































むちゃくちゃメーワクな阿呆もいた 爆















それでも思い出の詰まった閉鎖病棟との別れは、なぜだか名残惜しいものがあった 素

閉鎖病棟ではいろんな人に助けられ、本当に沢山のことがあった。

詳細はここには書かない

俺、素で泣いたこととか数え切れないから恥ずかしくて書けない 爆



あれほど退院したいしたいと思っていたのに、いざとなると妙に懐かしい感覚に襲われる
実際、退院した今でも時々思ったりもする 爆








そして、開放病棟での生活を1週間送る

開放病棟ではとても快適な日々を送った

なんでだか知らないが、フリースペースにこち亀やらゆうゆう白書やら懐かしい漫画が沢山あったので暇つぶしになったww

閉鎖病棟以上に将棋好きな人が多くて、またもや将棋漬けの日々だったりもしたwww






















そしていよいよ退院…








最後、退院するときAちゃんが見送りに来てくれた

なんだか、また寂しい気持ちでいっぱいになったりしたw




































久しぶりの実家はとても懐かしい感覚でいっぱいだった

すべてはここで

俺はここで育ってきたなぁと感じた

これからまたしばらく実家で暮らすのかぁと変な感覚だった

思えば実家で暮らすのも3年ぶりだな…と












7月2日、俺は退院して自宅に戻ることができた


思えば4月から、たったの3ヶ月間である


この3ヶ月がなんと濃密なものだったことだろう



俺は、普段ならおおよそ縁のない世界に足を踏み入れ

自分自身も『新しい自分を見つけて』いろいろな物を得ることが出来ただろう










また、この病気を再発させないように

むしろ躁病という『ハイテンション』を上手くコントロールしていけるように

入院中に歯がゆい思いだったことを忘れないように

苦しい時期があったんだからこそ

『当たり前』が一番楽しくて幸せであるということを忘れないように






そんな思いで、闘病日記書いてみました

人生楽ありゃ苦もありますよねw








 fin


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