ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

第十三話 出版から映像へ

第十三話 出版から映像へ




レコード会社とのタイアップから始まった

ローラースケートを履いたグループ、光GENJI全盛のころです。

ポニーキャニオンレコードが売り出した光GENJIビデオが売れました。

ようやくビデオの値段が一本3,800円ぐらいまで下がった時代です。


ある日、ポニーキャニオンレコードから打診がありました。

スキーのビデオを作って欲しいとのことです。

もちろん、例によって二つ返事です。

「やらせて下さい」


ところがビデオなんて作ったことがありません。

ビデオデッキもまだ高価だったので、我が家にはありません。

「大丈夫、何とかなるよ。作れるところを探せばいいんだ」

友だちの友だちは、友だちですから、すぐに制作スタッフを集めました。

主な出演モデルも決めてヨーロッパへ派遣です。


このビデオが売れに売れたそうです。

レコード会社の部長はニコニコです。

私は請負制作ですからせいぜい100万円程度の利益です。



お宅がメーカーなんじゃない

このことで、映画と音楽が中心だったビデオソフトにスキーが加わりました。

もちろんアンダーグラウンドでは、アダルトビデオの潮流はありました。

私をけしかけた連中がいます。映像制作会社などです。

「ポニキャンさんだけだよ、大儲けしたのは。一緒にやりましょうよ」

安いギャラしか払っていなかったのです。

彼らも面白くありません。


おだてと誘惑に弱いのが私です。

それに制作ノウハウは全て把握しました。

さっそく行動開始です。

そして出来たのがビデオ付きの本でした。

3点作り、これもそこそこ売れました。


さあー、もう止まりません。

さらに今度は、アルファレコードからスキービデオの制作依頼がきました。

よし、ヨーロッパへ撮影クルーを派遣だ。

予算は十分もらえそうだ。

経費はアルファ持ち、ついでにウチのビデオも撮影してこよう。


「伯父さんとこ凄いじゃん。ビックリなんてもんじゃないよ」

自前のビデオの制作費も他社の経費で賄ってしまいました。

そしてこの時、本邦初のスノーボードビデオもちゃっかり作りました。

徐々にビデオのラインナップも揃って来ました。


大学受験のために姪っ子が茨城県から出てきました。

試験を受けるために山手線に乗ったそうです。

全車両、全ての中吊り広告が私の会社のビデオ広告です。


実はこれ、広告代理店から泣き付かれたのです。

普通だと数千万円です。

「一週間後に穴が開いた。助けてくれ」

まさに悲鳴です。

「いいよ。でもオレが出せるのはこれくらいだよ」と十分の一の金額です。



広告宣伝費も格安で

『即断・即決・即行動』 短時間で対応できるのは私のところしかなかったのです。

同じようなことは新聞広告でもよく利用しました。

広告の版下を先に作っておいて広告代理店に預けておくのです。

キャンセルなどで広告に穴が開きそうなときに使わせます。


「明日の朝刊分、お願いします」

夜中に電話が架かってきます。携帯電話の普及した今の時代とは違います。

ようやくポケベルです。

前日の夜に連絡が取れて、即断できるのは私ぐらいです。

夜中でも事務所で誰か働いていて、私は近くで飲んでいます。

おかげで新聞広告は建値の三分の一、中吊り広告は十分の一でした。


そんなことを繰り返していたある年、暖冬に襲われました。

お正月だってのに、主なスキー場に雪がないのです。



スキービデオからヒップホップダンスビデオへ

スキー関連の本もビデオも返品の山です。

売上げは激減しました。

さあ、火の車です。

猛烈に頭を回転させました。

普通の人は頭が真っ白と表現しますが、私は真っ赤っかです。


「ビデオはイレースして別のビデオにしようよ」

イレースとは録画したものを消去する作業です。

当事はビデオカセットそのものが高かったのです。

本は消して印刷し直すことなんて出来ませんが、ビデオは可能です。

さて何のビデオに吹き替えるか。


当事、流行りはじめたディスコに目をつけました。

そう言えば、私の独立のきっかけも志賀高原のディスコパーティです。

「○○さんの、それじゃ盆踊りだよ」なんて冷やかされていたときです。

「オレ、ちょっと相談に行ってくるよ」と事務所を飛び出しました。



第十四話 ヒットチャートに載っかった


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