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その5
第三章 本当になくして困るものって何だろう
求む、ベストパートナー
「いくらなんでも洗いざらいシャベリ過ぎだよ」
一緒に働いている息子に注意された。
出版社だから主な仕入れ先は印刷所ということになる。
そして主な売り先は出版取次だ。
会社の現状や資金繰り状況など、確かに聞かれもしないのにペラペラと話してしまう。
根がおしゃべりなせいもあるが、商品の仕入れ先も売り先も、私にとっては大切なベストパートナーだと考えているためだ。
お互いが利益を上げてこそ、付き合いを続けられる。
相手の状況がわからなければ仕事の上での組みようもなくなる。
今では印刷代金の支払いなど、本当に長期の延べ払いで、それも先に紹介したようにいっさい手形などは切っていない。
自分の会社の状況を説明して、それでも協力してくれるところにだけ発注することにしている。
見せかけだけの信用で仕事をすることに疲れたせいもある。
あまり取引きはしていないが、時どき一緒に飲みに行く社長がいる。
私の会社の債権者集会の時に初めて会った人だ。
私のところの手形が裏書きされて回った先の社長で、債権者集会で、「再建なんてやる必要はない。整理解散してすこしでも配当すべきだ」と発言した。
それでも債権者集会の終わり頃には、すこしふてくされながらも、「ほかの人たちがこれだけ再建に協力すると言ってんのなら、わかりましたよ、反対はしません」と言ってくれた。
失礼だが、顔も言葉遣いもあまりガラが良くないために、最初は敬遠していたのだが、付き合ってみると人が良い。経営方針も一家言持っており、話を聞いているだけで勉強になる。
この人は、『与信』という言葉を良く使う。
銀行でもあるまいにと思っていたのだが、それが商売に失敗しないコツだそうだ。
相手の会社の状況を調べ、相手の話も聞いて、その会社に対する自社の与信枠を作る。
そしてその与信枠の範囲内でしかお付き合いしない。
相手企業が上場企業であろうと、有名企業であろうと、頑固に持論を変えない。
一部上場の家電メーカーの部長に対して、「お宅へのウチの与信枠は八百万円です。今回のお仕事をやらせて頂くと、与信枠をオーバーします。前の分を先払いしてもらうか、それが出来ないようならどうぞ他へ回してください」と言い切ったのには脅かされた。
実は、倒産して半年もたたない私の会社へは、「五百万円以内ならいつでも仕事をしますよ」と聞かされていたのだ。
まだ二、三回同席したことがあるだけだというのに。
自分が設定した与信枠の範囲なら、たとえ相手が倒産して未回収金が発生してもジタバタしない。
いい勉強になったと言うだけだ。
最近あった例だが、長らく取引きをしていた取引き先が倒産した時、与信枠との差額を夜逃げ資金として相手の社長に渡したこともあった。
長い取引きでこれくらいは儲けさせてもらったからだと平気で言う。
ベストパートナーであっても、仕事は仕事、頼り合い、もたれ合いだけは避けたい。
それぞれが、自分の目で見て判断して、自分の足でしっかりと立って、その上で協力し合うことが大切だろう。
ある大手ゼネコンのヒ孫請けくらいの下請けをやっている内装工事屋さんが、ついに赤字続きの経営で立ちゆかなくなって、自己破産の相談で見えた。
話を聞いてみると、ここ二、三年ほど、請ける工事のほとんどが赤字だったそうだ。
材料代を何とか捻出できる程度の請負い金額で、職人さんの人件費など出てこないという。
それならばなぜ請負ったのかと聞いてみると、元請けさんのほうで、「次の仕事では儲けさせるから、今回だけは面倒を見てくれ」と言われて、断れなかったらしい。
長期にわたる不況が続いているのに、建設工事だけは相変わらず多い。
不況対策の公共工事だけでなく、今が買い時と土地を買いあさる会社や宗教団体が多いとも聞いている。
しかし、大手ゼネコンも土地投機の失敗などで経営が苦しい。
おのずから請負い代金も下がらざるを得ない。
採算の採れない分を、元請けは下請けへ、下請けは孫請けへ、孫請けはヒ孫請けへと転化せざるを得なくなる。
『系列』という名の下請けシステムは英語にもなっているそうだが、日本の大手企業は関係する企業の仕事の流れを独占することによって、下請け、孫請けの命綱を握り、みずからの利益を確保してきた。
命綱を握られているだけに、赤字覚悟の仕事も受けざるを得ない。
景気の良い時には多少の利益も、お下げ渡しとなるが、もともと自分の会社あっての系列だ。
不況が続けば、背に腹は代えられないということになる。
どうも系列に入ってしまうと、親会社の顔色ばかりを窺がい、世間が見えなくなってしまうらしい。
この社長、数年前までは資産もそこそこあり、その時点で廃業していたならば、その蓄えで余生をのんびり過ごせたものを、何もかも失ってしまった。
ビジネスには必ず、切り上げ時というものがあるようだ。
切り上げ時は親会社の担当の顔色からは判断できない。
命運を元請けに握られているような請負い仕事であればあるほど、世界の流れまで見て、切り上げ時を常に念頭に置いておくことが必要だろう。
それにしても、系列という名の請負い仕事、ベストパートナーには程遠いように思える。
あくまでも対等であってこそベストパートナーになれるように思うのだが。
自己破産がいいですか?
自分のことを棚に上げて、よそ様の相談に応じる機会がドンドン増えてきた。
調子良く付き合うものだから、何かと相談しやすいらしい。
そうすると、自分の分身みたいな危なかしい経営者が次々と登場してくる。
危なっかしくて、とてもじゃないが目が離せない。
中には、俺でさえもそこまでやらなかったぞ、と思うような経営者がいる。
こうなればボランティアそのものだ。
女房や息子からは、「何でそこまで面倒見るの。自分とこのほうがもっと大変なのに」と責められる。
実は彼らを見ていると、もしかしたら私が倒産した時に面倒を見てくれた人たちは、今、私が彼らを見ているのと同じような目で、私を見つめていてくれたんじゃないかと思う。
要するに、みんな冷静さを失っているのだ。
良かれと思いつつ地獄へ向かって突っ走っている。
歯止めが利かないのである。
手段だけが先行して、何のために事業を続けるのか、家族のためなのか、従業員のためなのか、それとも今まで協力してくれた取引き先に迷惑をかけないためなのか、一体誰のために働いているのか見えなくなっている。
事業をつまずかせれば、取引き先にも保証人にも迷惑がかかる。
そんなことは当たり前だが、延命策のみを考えるものだから、取引き先にはより多くの買掛け金を作り続け、保証人には新たな保証を依頼する。
金融機関からの借入れも増え続け、金利負担も重くなる。
『債務の拡大再生産』に邁進しているに過ぎない。
債務が増え続けるようなら、事業拡大による打開策よりも先に、思い切った事業の方向転換か、任意整理を考えるべきなのだ。
極端な話、事業の健全化のためには自己破産さえ有効な手段となる。
そのほうが、すでに迷惑をかけ続けている債権者や取引き先を、地獄の底までも引きずり込まなくて済むのではないだろうか。
以前、ある出版社の社長から、倒産にどのように対処したらいいのか書いてくれ、本にしたいと持ちかけられたことがある。
お金もない時なので、すこしでも原稿料が入るならと自分の経験と、この間手掛けたいくつかの事業整理や再建、自己破産などを元に書いてみる気になった。
原稿を書き始めてはみたものの、そんなノウハウなど、書くほどに空しくなってくる。
人に見せると「凄い、これ売れるよ」と言ってはくれるのだが、単なる手口の解説でしかない。
裏返して読めば、極端な話、詐欺にも使えるのだ。
結局その原稿は捨ててしまった。
方法ではない考え方なんだ、と今も思っている。
まして同じ事例などあるわけがない。
手段はいくつもあるが、自分がどのようにしたいのかが一番大切なのだ。
誰のための自己破産なのか
私は余ほどのことがない限り、自己破産は勧めない。
自分でも、どのようなことがあろうとも自己破産はしないと決めている。
法律の陰に逃げ込むのはあまりにも卑怯だと、頑固に思い込んでいるせいなのかもしれない。
国によって自己破産に関する法律も千差万別だと聞いたことがある。
日本の自己破産の法律の原型は、明治の頃、生活破綻によって一家心中や娘の身売りが相次いでいた頃に作られたそうだ。
当時の世相を反映してか、あるいは外国との不平等条約を解消することを悲願としていた時の政府の意図を反映してか、比較的、自己破産を申請した本人を擁護する内容になっている、とも聞く。
それでも、何件かの相談を受けている中で、これは自己破産のほうが良いと判断した事例もいくつかあった。
私は、任意整理で再建するにしろ、あるいは解散するにしろ、原則として債権者が公平に扱われなければならないと考えている。
しかし往々にして、街金など一部の強引な債権者は、家族などへの嫌がらせや脅迫によって、自分のところへ優先的に払わせようとする。
誰しも生身の人間である。自分はともかく、保証人や家族へ危害が加えられることには耐えられない。
何とかここだけは先に処理しなければと新たな借入れに走ったり、無理をしても優先的に支払ってしまう。
結局は人のいい、紳士的に対応してくれる債権者が、その余波を食らってわずかさえも回収できなくなるのだ。
そのような街金などが絡んだ事例では、事業が立ち行かなくなって解散を決意した時には、わずかばかりの売掛け債権などの資産だけでも、すべての債権者に公平に分配するために自己破産もやむを得ないと思う。
ただし、自己破産は裁判所費用や弁護士費用などの経費もかかることも考慮に入れる必要がある。
できれば余分な経費を払わなくてすむ任意整理で済ませたほうが、すこしでも多く返済に充当出来るのだ。
まずは任意整理で努力してみて、悪徳金融や強引な債権者などがいて収拾がつかないと判断してから自己破産へと進むことを考えておくべきだろう。
完全免責になるからといって、自分の責任を一切放棄して法律の壁の向こうに逃げ込むのでは、その時はそれで済んでも、将来必ず禍根を残すことになる。
きのうの続きがきょうであり、きょうの続きがあすである限り、周りの人たちとの人間関係をすべて断ち切って、新たな人生を始めることなど出来ないのだ。
たとえ自己破産もやむを得ないとなったとしても、最後のギリギリのところまで努力したなら、周りの人たちだって好意的に迎えてくれると思う。
それにしても、やむなく自己破産する場合でも、一番迷惑を受ける人たち、保証人や家族、従業員とは、前もってキッチリと話し合っておくべきだ。
ある日突然という例が多過ぎるように思う。
突然、自己破産されてしまえば、その人たちの迷惑は計り知れないのだ。
相手も一時的には感情的になって、非難の怒号の嵐を一身に受けることにもなるだろうが、人としての最低のスジだけは通すべきだろう。
債務からどう逃れるかではなく、迷惑をかける債権者や、従業員や、家族のために、どのような方法がよりベターなのかを判断基準にして欲しいと思う。
中途半端は一生の不覚
おかしな話だし、私の会社の債権者の人たちには叱られそうだが、私は自分の会社の倒産の引き金になったA社の社長には感謝している。
再出発のキッカケを与えてくれたのが彼だからだ。
もしあの時、先方の会社が倒産しなくて、私の手元にあった手形が不渡りになっていなくても、まず今日までの間には間違いなく倒産していただろう。
それどころか翌月に倒産しても不思議ではない、せっぱづまった状況だった。
振り返ってみると、それほど危うい経営をしていたように思う。
『資金繰り病』『背に腹は代えられない病』『事業ダボハゼ症候群』と名付けたのは、何のことはない、自分が陥った症状のことなのだ。
でも幸いなことに、金額の大きな被害だったので、その場で諦めもついた。
また、その現実を受け止めて、やるっきゃないとも思うことが出来た。
もし数百万円の被害だったら、何とかその場を取り繕い、今頃は倍ぐらいの負債を抱えてのたうち回っていただろう。
一回だけの不渡りで何とか体制を立て直した企業や、取引き先からの未回収金を抱えながら悪戦苦闘している企業も多く見てきた。
採算が採れていないのに辛うじて生き続けている企業も目にする。
本当にそれでいいのだろうか。
すこしずつでも改善されていれば、何も言うことはないのだが、相談を受けて実態を覗き込むと、今すぐ辞めなさいと言いたくなる例のほうが多いのだ。
反転攻勢に出るキッカケが、なかなか掴めないのも良くわかる。
第三者的に見ると、採算が採れなくなった時点で事業整理の時期が来ているのだ。
我慢しさえすれば何とかなるだろうと自分に言い聞かせていても、そうじゃないことは本人が一番良く知っているはずだ。
キッカケは自分で作るしかない。
ある意味で、毎日がそのチャンスだからタイミングが掴めないのだ。
相談に乗ったある企業の話だが、責任感の人一倍強い社長の性格を考えると、「今すぐ債権者集会を召集して任意整理に入りなさい」と言っても聞き入れられないことが予想出来た。
別にこれといった理由はなかったのだが、一カ月先の、「○月○日以外に整理できる時はありませんよ」と言ってから、その理由を説明した。
その日ならば、規模の小さい取引き業者への支払いも一段落するので、連鎖倒産を引き起こす心配が少ないなどの、いわば日にちを区切りたいための、こじつけの理由だった。
説明も何もあったものではないのだが、それでもそこの社長は納得して決断をした。
債権者集会を開き、主な債権者に七十パーセントの債権放棄で了解してもらい、銀行への返済も長期に組み替え、今では内整理もほとんど終えて健全な企業になりつつある。
タイミングは早ければ早いほうが良いとしか言えないのだが、期日が決まっていないことを決断するのは勇気のいることだ。
それでも思い切った決断と、やる時は将来の禍根をすべて絶つぐらいのことが必要なように思える。
とはいえ、サゼッションをした私のほうが思い切った手も打てず、いまだに自分の債務を整理しきれていないのだから、まったくだらしない話である。
金があれば出来る仕事は、誰にでも出来る仕事
もっと自分に自信を持ってもいいんじゃないだろうか。
不渡りを一度出してしまえば、もうお仕舞いだと思っている経営者が多い。
返済を滞らせて銀行に相手にされなくなれば、二度と融資が受けられなくなる。ブラックリストに載ればもう駄目だ、などなど。
そうだろうか? もちろん例えどのような約束でも、守るのは当然だとは思う。お互いが約束事を守るからこそ人間社会は成り立っているのだ。
しかし現状を冷静に見詰めると、約束を守るために借金をして、その借金を返済するためにまた別のところから借金をする。
経営者ならサラ金地獄の多重債務者のような馬鹿なマネはしないだろうが、結局のところあまり変わりがない。
ねずみ講と同じでいつかは行きづまる運命にある。
もう借金出来なくてもいいじゃないか。
それよりも溜まりに溜まった負債を、キッチリと計画を立てて返していく。
一時的には取引き先にも、保証人になってくれた人にも迷惑をかけるかもしれないが、そのような状況にあっても、本当に一番良い結果を導くためなら決断すべきである。
経営者が孤独なのは当然なのだ。
すべての責任を負っているのだから、何よりも大切なのは最後の、そのまた最後の結果である。
たとえ泥を被っても、周りの叱責を受けても、侮られ卑しめられようとも、亡くなった後に「やっぱり、あいつは凄かった」「責任感のある奴だった」と語られるのが経営者の勲章ではないだろうか。
規模の大小でも社会的影響力でもなく、生きざまで示すしかない。
誰に何と言われようと、自分の生き方を貫くしかない。
融資が途絶え、手形の割引きさえも出来なくなれば、資金手当てが出来なくなると思う経営者が多い。
そんなことはない。受取り手形も期日がくれば現金化出来るのだ。
だいたい入金よりも仕入れ代金を先に支払わなければならないような仕事を、資金もないのに始めるほうがおかしい。
出資で金を集めるのならともかく、借金依存型経営そのものがこれからは通用しなくなると思う。
とはいえ、従来の借金依存の経営体質と資金繰りはすぐには変えられないような状況もわかる。
だからこそ、従来の銀行や借入れ先には毎月の利益の範囲内での返済に組み替えてもらう。
支払い先にも長期分割で納得してもらうほかない。
たとえ相手が出来ないと言っても、それしか方法がないのだから呑んでもらうしかないのだ。
銀行だって、「一度まとめて返済していただければ、もう一度貸しますよ」などと言っておきながら、必死で周りから借金して返済しても、「お貸しするつもりでしたが本部の稟議がおりません」などと出鱈目を言って出資を断り、資金回収に走っているのが現状である。
不良債権になりそうな案件を、別のところへ押しつけているだけに過ぎないのだ。
相手もそのように出てくるなら、こちらも対抗せざるを得ない。
キッチリと返済するにはどのようにすればいいかを見極めて、その条件で呑ませるしかない。
『貸し渋り』に対抗するための『返し渋り』だ。
それでも強硬手段を取ってくる相手なら、誠意を尽くして説明した後は、たとえ銀行の前に座り込んでも納得させるしかない。
経営の方向転換のためには、これぐらいの覚悟と実行を伴わなければ現状は打開できないのである。
資金がなければ出来ない仕事なら、やらなければいい。
資金がなくても、こちらの努力と、誠意と、今まで培ったノウハウを高く評価してくれる人は必ずいる。
もっと自分に自信を持って欲しいと思う。
ある倒産『未遂』と再建の顛末
事件は突然飛び込んできた。
一番最初に電話をしてきたのが前述の私の裁判で親身になって力を貸していただいた弁護士さんだったのか、あるいは友人で出版社の社長をしているI氏だったのか覚えていない。
はるか以前に私もあったことがある人物F氏が出版社を経営していたのだが、きょうの決済が出来ないという。
保証人にもなっている私の友人、I氏のところへ飛び込んだが、これといった手が思いつかない。
思い余って弁護士さんのところへ相談に行ったらしい。
彼の会社がつまずけば、I氏の会社も連鎖倒産の憂き目にあうと言う。
ノンバンクやサラ金、果ては暴力金融にまで手を出している。
それも手形帳がないので、ほとんどが先付けの小切手を差し入れている。
ほかにも業者さんへの支払いに多額の先付け小切手を振り出していた。
それこそ、一度でも不渡りを出したら収拾がつかなくなる。
いくら弁護士さんでも、これでは手の打ちようがないので自己破産を勧めるしかないのだが、それではI氏の会社も連鎖倒産を免れない。
「後は、Iさんもご存じの、高石さんしか相談出来る相手はいないでしょう」
と弁護士の先生が言ったということで私のところへ相談に来た。
概要を聞いてみると、いくつもの難関はあるものの、何とか整理出来ないでもない。
時間もないので知り合いの古書の卸し問屋の社長に協力をしてもらうことにした。
無茶な言い方だが、「今すぐ○○万円用意しておいてくれないか。事情は後で説明するから」とだけ電話で話して、すぐに飛び込んだ。
古書の卸問屋の社長も何がなんだかわからずに、それでも頼んだ金額を用意してくれた。
説明のために私は残り、F氏は現金を掴んで銀行へ走って行った。
「悪いっ、もし返せなくても、彼のところの商品は古本市場で捌ける商品だから面倒を見て欲しい」
当座の手当てが出来てすぐ、次の段取りにかかった。
すぐにも次の決済が押し寄せてくる。
一息入れる時間もなかった。
F氏が銀行から戻って来ると、さっそく主な取引き先へ電話を入れさせて、アポを取る。大口債権者から順に回り始めた。
「このままではすべてがなくなってしまいます。ぜひ協力してください」
「事業継続が出来れば全部とは言えませんが返済の方法もあると思います」
なんで私まで頭を下げなければならないのかと思ったが、ほかに説得のしようがない。
期日を定めて債権者集会を開催した。
「私も役員に入って責任を持って再建します。そのためには皆さんのところへ出回っている先付けの小切手を返してください。もし一枚でも残っていて、それが回ってくるようでは再建の見込みはありません。
でも私も自分の会社を持つ身です。私が名を連ねている会社が倒産しようものなら、せっかくここまで頑張ってきた自分の会社への影響も出てきます。
一枚でも先付けの小切手が市中に残るようなら、残念ですが私は手を引かせてもらいます」
半ば脅迫に近い言い方だったかも知れないが、なんとかそれで債権者の方たちも了解してくれた。
最初に相談に伺った、一番の大口債権者の出版物流会社のHさんが、率先してまとめ役になってくれたことが、合意を取り付けられた最大の要因でもある。
「わかりました。協力させてもらいましょう」
債権者集会に集まってもらった取引き先の人たちの了解は得られた。
暴利の違法金融は弁護士さんに動いてもらい処置をした。
次にはノンバンクやサラ金の処理が控えている。
ノンバンク・サラ金とはいえ上場しているようなところばかりなので、金利が高いとはいっても法定利息や出資法ギリギリ、不渡りも出していないので思い切った手は打てない。
そうかと言って高利の借金を残していては再建のメドも立たない。
なんとか金を作って、債務を消すしかない。
そこで目を付けたのがF氏が遺産相続で所有している静岡の土地だ。
細長くて地形はあまり良くないうえに十七坪しかない。
それでも売れれば借金の穴埋めになる。
その時、私の両親の土地が競売になった時に落札したのがお隣さんだったことを思い出した。
まず隣の土地の持ち主に交渉しよう。
これ以外にすこしでも高く売る方法はない。
さっそく連絡を入れさせた。
隣の土地の持ち主は静岡でも有名な実業家で、静岡名物の駅弁の会社や、マグロを乾燥させたツマミなどを作っている会社、それ以外にもいろんな会社を経営しているらしい。
何度かの連絡の末、私とF氏、さらには最初に私のところへこの件の相談を持って来た友人のI氏の三人で出向くことになった。
先方はあらかじめ売りたいと申し入れた土地の謄本も取り寄せてあるらしく、サラ金業者の担保が付いているのも知っていた。
さらに、「この辺の評価額を知っていますか」と聞いてきた。
相場は、こちらの言い値の半分以下だと、暗に語っていた。
まともな交渉なら、かないっこない。
率直にこちらの状況を説明して、協力してもらうしかない。
F氏の置かれている状況を説明し、
「売りにくい土地だということも重々承知しています。また今のままだといずれ競売にかけられるような状況になるのも目に見えています」
「競売になれば評価よりはるかに安く手に入れられるでしょう。今はただお願いするしかありません。彼は千七百万円どうしても必要なんです」
延々とこの間の経過を、何度も、何度も繰り返して説明した。
私の話を聞きながら、しばらく考えていた先方の社長は、突然、
「わかりました。その金額で買いましょう。前に住んでおられたお隣さんの奥さんは、毎朝私の土地の前まで落ち葉を掃いてくれたと息子に聞きました」
「そのお隣さんの息子さんが困っておられる。それに、聞けば大したお付き合いでもなかったというのに、こうやってお二人さんがF君のために静岡くんだりまで頼みに来る。同じ静岡の人間として協力させてもらわんわけにはいかないでしょう」
気の短い方なのか、事務員に向かって、早速「小切手を切るように」と言い出した。
「いやそれは、正式に書類を整えてからでないと」と辞退して席を立ったが、本当に嬉しかった。
静岡の駅へ向かい、F氏の友人と待ち合わせて居酒屋に入ったのだが、一緒に来たI氏も涙を流さんばかりに喜んでいる。
「たぶんこのことは永久に忘れられないよ。次から新幹線で静岡を通るたびに思い出すだろなあ」
後から合流したF氏の友人も、「良かった、本当に良かった。皆さんのお陰です。何とかこの後も彼のために協力してやってください」。
彼自身もF氏のために多大の被害をこうむっているにもかかわらず、何度も頭を下げてくれるのだ。
帰りに今日会った先方の社長の経営する駅弁会社の『鯛めし』を買って新幹線に乗り込んだ。
その後、静岡の社長のところへは一度も出向く機会がないが、あともうすこしF氏の会社が軌道に乗ったら、ぜひご挨拶とご報告に伺いたいものだと思っている。
第三章後半へとつづく
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