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第十二章 何で、お前まで行ってしまうの
第十二章 何で、お前まで行ってしまうの
こりゃ、大儲けできるかも
ミョウガが生えてきた。トンちゃんが言ってたとおり、薮蚊が凄まじい。
手も足も、Tシャツの上から背中やお尻までも刺されてしまう。
虫除けスプレーを体中に吹き付けてあるのだが、余り効かないみたいだ。
特に、丸坊主にした頭を、集中的に狙われる。
「せーの」と、勢いをつけ、ミョウガが群生する斜面へ踏み込む。
手当たり次第ミョウガの芽をむしり取って、バケツに放り込む。すぐにバケツ一杯になった。
その日から、ミョウガの味噌汁に、ミョウガを卵でとじた澄まし汁の日々が始まった。
竹の子同様、1週間ほどは「うめー」「うめー」と食べていた。
そのうち、ミョウガの匂いがしただけで食欲がなくなってしまった。
たまには食料を仕入れてこよう、とスーパーへ出かけた。
《1パック 80円》
「幸ちゃん。ミョウガって、こんなに高いの?」
「大儲けできるよ。半日で2000個は採れるから、8万円だよ」
「卸は3割くらいじゃないの。それにしても2万4千円の儲けかー」
「元手はタダなんだから、それでも十分だよ」
帰ってからトンちゃんに相談したら、
「ダメだよ。農協の組合員でないと、扱ってもらえないよ」
「それに、卸値なんて、もっともっと安いよ」と、まったく相手にもされない。
やっぱり、いい話なんて、そんじょそこらに転がっていない。
やっぱりまた、東京へ持っていって、知り合いに配るか……。
翌日から、スーパーのビニール袋に100個くらいずつ小分けして、配り始めた。
余りの多さに、みんなビックリするが、「こんなに一杯、どうすればいいの?」
「うーん。残ったのは捨ててよ」
何か、ゴミを配っているみたいで、気が引ける。
「ミョウガ。有難うございました」
「一杯あったので、酢漬けにしたけど、美味しいわよ」
ある出版社のミナミさんから、意外な言葉を聞いた。
ミョウガを酢漬けにするなんて初耳だ。
「へえー、酢漬けにできるんですか?」
「ラッキョウと同じよ。結構いけるし、保存もできるのよ」
捨てるしかない、と思っていたミョウガの使い道ができた。
後日、ミナミさんちでミョウガの酢漬けをご馳走になった。
「うめー、うめー、うめー」の3連発だ。酒のつまみにもピッタリだ。
チビクロの様子が、おかしい
白い犬が塀の外からこちらを覗っている。
2軒ほど先の家で飼っている犬だ。
毎日夕方になると放してやっているようで、夕方には必ず顔を出す。
口笛を吹いて呼ぶのだが、遠く離れてこちらを覗っている。
「ウーッ、ウワァン」
一声吠えて、猛烈な勢いで庭に飛び込んだ。
「ギャオー」
いけない、チビクロが危ない。
黒い塊が、バサバサという草木のぶつかり合う音を立てて、庭の中を転がりまわっている。
「こらー」
庭の中だけの追走劇だが、とうてい追い着けない。
かろうじて、チビクロは納戸の桟へ飛び乗った。
犬も、駆け寄る私を怖れて、庭の外へ逃げ去った。
「チビ、大丈夫か」
「もう大丈夫だよ」
降りてこれない。チビクロの体が、すっぽりと桟の隙間に挟まってしまった。
恐怖の余り体が硬直してしまったのだろう。引っ張り出そうとするのだが、抜け出せない。
椅子を足場にようやく引っ張り出したが、口から白い泡を吹いて、ぐったりしている。
それでも弱弱しい力で私の腕にしがみ付いてくる。
こんなことのあった二、三日後。
チビクロの様子がおかしい。
エサを食べない。牛乳さえも飲まない。
今年は特別、残暑が厳しいせいかもしれない。
それとも、犬に襲われたショックから、まだ覚められないのか。
散歩にも付いてこなくなった。
いつもは残りご飯だけを与えていたのだが、奮発してキャッツフードを買ってきた。
2、3かけらは口にしたが、それ以上は食べられないようだ。
さらに2、3日、様子を見ていたのだが、良くなる気配はまったく見られない。
やせ細ってきた。納戸の横の、じめついた地面にグッタリと横たわったまま、動かない。
ここが一番涼しいのだろう。
もうこれ以上ほうってはおけない。電話帳で犬猫病院を探し、連れて行くことにした。
「ネコは健康保険も利かないから、高いよ。7、8万は取られるよ」
「前に、俺が飼っていた犬を連れていったら、12万円も取られたよ」
幸ちゃんや清ちゃんが、私の懐具合を心配するのだが、そんなこと言ってられない。
「いいよ、クレジットカードのキャッシングで借りるよ」
「ほっとけないよ」
クレジットカードのキャッシングで10万円借りて、清ちゃんに付き合わせて、恐る恐る、犬猫病院を訪ねた。
「ウーン、これはキツイな~」
お医者さんは、チビクロを一目見るとつぶやいた。
「お宅の猫ですよね」
「いいえ、野良猫です」
「いいんですか? レントゲンも撮らなければならないし、その費用がかかりますよ」
「いいんです。可愛そうだから……」
お医者さんは、丸坊主で、汚いカッコをしたチンピラ風の私を怪訝そうに振り返った。
カルテを書いているお医者さんの手元を見ていると、患者欄に『ノラ猫様』と書いていた。
犬猫病院のお医者さんも大変だ。
チビクロの口の中を覗こうとした。
それまでグッタリしていたチビクロが、最後の力を振り絞るように、やおら暴れだした。
お医者さんの手の甲に噛み付いた。
お医者さん、みみず晴れが出来て、血が滲んだが、かまわず診療を終えてしまった。
レントゲンを撮るなど、人間さま並みの診察だ。
「やはり、難しいですね」
「原因は何なんですか」
「それは分からないんですが、多分、生まれつきの奇形ですね」
「ほら、ここで、内臓を圧迫しているんですよ」
「残念ですが、ほとんどのノラ猫は、2、3年しか生きられないんですよ」
「飼い猫なら寿命は10年以上なんですが……」
「今じゃいろんな病原菌が世界中から入ってきているみたいですね」
「猫さえも表の世界、自然の中で長生きすることは、難しいんです」
自然の中で生きることが、昔に比べて難しくなっているなんて、知らなかった。
「楽にさせてやることも出来ますよ。万が一にも助かるということもあるし……」
「可能性に賭けますよ。きっと助かります」
「体力が弱っていますので、点滴を打っておきます。薬も用意します。面倒見てやってください」
ようやく診察を終え、「お幾らですか?」と恐る恐る訊ねた。
「1万4千円で宜しいですか?」
「いいんですか? 高いのは覚悟してきたんですが」
「だって、あなたの飼い猫じゃないんでしょ」
「余り役にも立てなくて、請求するのが辛いくらいですよ」
いい人だ。チビクロに噛まれて包帯を巻いているお医者さんに感謝して、犬猫病院を後にした。
チビ、どこへ行った
少しは元気が出たようだが、納戸の横の地面にグッタリと横たわったまま、動かない。
日差しを避けて、少し移動するくらいしか動かない。目だけが、私を追いかけている。
「良かった。まだ生きていた」
毎朝、目が覚めて裏庭を覗くたびにホッとする日が、数日続いた。
水さえも飲めないのに、必死で頑張って、生きている。
「チビがいないよ。幸ちゃん見かけなかった?」
いつもの場所から、チビクロが忽然と姿を消した。
「縁の下あたりで死んでいるんじゃないの」
1日がかりでチビクロを捜し求めたが、どこにもいない。そして次の日も……。
チビクロ砦も、廃車の山も、裏山も、いつもの散歩コースも。ありとあらゆる所を捜し求めた。
異臭がすると、チビクロの死骸があるんじゃないかと草むらを掻き分けた。
カラスの死骸と、野ネズミの死骸は見つけたが、チビクロは発見できなかった。
「これ以上、迷惑をかけたくなかったんだよ」と、清ちゃんが慰めてくれる。
しばらくチビクロに忙殺されて、溜まっていた仕事を片付けに東京へ向かった。
夜、真っ暗な佐倉の家に帰り着いた。
暗闇からチビクロが飛び出してくることを期待したが、物音ひとつ聞こえない。
何で、お前まで居なくなるんだ。
「この家、任意売却出来そうなんだけど、いいかな」
「立ち退かなきゃならないんだ」
「中村さんには了解してもらいにいくよ」
チビクロが居なくなって1週間ほどたった夜半。トンちゃんが、覚悟を決めたように言い出した。
いずれは出て行かなきゃならないことは分かっていた。
ピー助もいないし、チビクロもいない。
ここを出て行くときは、チビクロを連れて行こうと思っていたのに……。
突然、田舎暮しに幕が降りてしまった。
未練もないな、出て行こう。急に都会が恋しくなってきた。またガムシャラに仕事をやるか。
ちょうど、ある出版社のM&Aとその後の経営を手伝うことを頼まれた。
その日のうちに、荷物を片付けてしまった。
しばらくは、千葉駅近くの中村さんのアパートへ転がり込んでいよう。
チビクロがいないんじゃ、どこだって同じだ。
千葉駅からなら東京へ通うのも便利だし、房総の田舎暮しの拠点にもなりそうだ。
第十三章 ムジナに見送られ、街へ帰る
につづく
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