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2019.03.13
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カテゴリ: 60歴史

ちょっと固い話から外れてみますね。 TV や本などを読んでいて少し整理したものをブログに載せてみたいと考えました。よく登場する歴史上の人物はいつ頃の方か、例えば徳川将軍は 15 代ですが、この件は誰の治世か、また TV の捕り物ドラマで、大岡忠相、遠山金四郎、長谷川平蔵は誰が一番昔で、当時の将軍は。江戸時代の文人で親しみのある方々の世は、浪曲や講談、映画などによく登場する江戸時代の 客ももうちょっと詳しく知りたいと思い、時代順に並べてみました。

自分は素人ですが、歴史は縦 ( 時代推移・ながれ ) と横(その時代の様々な出来事、日本・世界)を縦、横の関係で見るのが大好きですね。『学ぶ・活かす、深める・広める』です。歴史も深堀したり、広げたりすると立体的見えて楽しくなります。さらに先が見えてくるので、なかなか興味がつきることはありませんね。



1.徳川歴代将軍シリーズ

よくドラマでも、だれの治世の出来事か調べたいときがありますが、誕生年と没年を調べてみました。

初代 徳川 家康( 1543 1616

2 代 徳川 秀忠( 1579 1632

3 徳川 家光( 1604 1651

4 代 徳川 家綱( 1641 1680 ) 

5 代 徳川 綱吉( 1646 1709

6 徳川 家宣( 1662 1712

7 代 徳川 家継( 1709 1716

8 徳川 吉宗( 1684 1751

9 徳川 家重( 1712 1761

10 代 徳川 家治( 1737 1786

11 代 徳川 家斉( 1773 1841

12 代 徳川 家慶( 1793 1853

13 代 徳川 家定( 1824 1858

14 代 徳川 家茂( 1846 1866

15 代 徳川 慶喜( 1837 1913

2.奉行シリーズ
江戸時代に活躍した「奉行・取り締まり方」の年代を調べてみた

<大岡忠相  1677-1752>
大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第 4 代当主で、 9 代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。

★徳川吉宗治世

<長谷川平蔵  1745-1795>

長谷川 宣以は、江戸時代中期の旗本。火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。家督相続後は父・長谷川宣雄と同じく平蔵を通称とした。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。

★寛政の改革松平定信

<遠山金四郎  1793-1855>

遠山 景元は、江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行、大目付、後に南町奉行を務めた人物である。テレビドラマ『遠山の金さん』及び『江戸を斬る』の主人公のモデルとして知られる。幼名は通之進、通称は実父と同じ金四郎。官位は従五位下左衛門少尉。

★天保の改革 水野忠邦

3. 江戸時代の文人シリーズ

古い順

1, 松尾芭蕉 1644 1694 俳人(伊賀出身)

2. 与謝蕪村 1716 1784 俳人、画家

3. 池大雅  1723 1776 画家、書家

4. 小林一茶 1763 1828 俳人

同じ俳人である、芭蕉と蕪村は一緒の時代がなかった、また芭蕉と一茶は誕生年でみると 100 年以上の間隔あるのは驚きでした。

4.   江戸時代の  シリーズ

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1. 幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和 8 年( 1622 年) - 慶安 3 4 13 日( 1650 5 13 日)あるいは、明暦 3 7 18 日( 1657 8 27 日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材となった。本名は塚本 伊太郎(つかもと いたろう)。妻は口入れ屋の娘・きん。

2. 大前田 英五郎(おおまえだ えいごろう、寛政 5 年( 1793 年) - 明治 7 年( 1874 年) 2 26 日)は、江戸時代末期に活躍した侠客。栄五郎とも書く。本姓は田島。大場久八、丹波屋伝兵衛と並び「上州系三親分」とも、新門辰五郎、江戸屋寅五郎と共に「関東の三五郎」とも呼ばれて恐れられた。昭和期に好まれ、任侠ものの映画の題材とされた。

3. 新門辰五郎(しんもん たつごろう、寛政 12 年( 1800 年) ? - 明治 8 年( 1875 年) 9 19 日)は、江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番である。父は飾職人・中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘の芳は江戸幕府 15 代将軍・徳川慶喜の妾となる。「新門」は金龍山浅草寺僧坊伝法院新門の門番である事に由来する。生年月日は寛政 4 3 5 日( 1792 4 25 日)という説もある。


. 国定忠治( くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化 7 年( 1810 年) - 嘉永 3 12 21 日( 1851 1 22 日))は、江戸時代後期の侠客である。「国定」は生地である上野国(上州)佐位郡国定村に由来し、本名は長岡忠次郎

時代江戸時代後期生誕文化 7 年( 1810 年)死没嘉永 3 12 21 日( 1851 1 22 日)別名国定忠次子大谷刑部国次(粕尾村浄楽寺の僧。還俗し、出流山挙兵に参加

後に博徒となって上州から信州一帯で活動し、「盗区」として一帯を実質支配する。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として、講談・浪曲や映画、新国劇、大衆演劇などの演劇の題材となる。「赤城の山も今宵限りか」の名文句は有名である。 群馬県伊勢崎市国定町の金城山養寿寺と群馬県伊勢崎市曲輪町の善應寺に墓がある。

現在まで残っている彼の肖像画は、足利の画家である田崎草雲の手によるもの。茶店で一度すれ違っただけだが、そのときの印象を絵に残したとされる。

. 清水 次郎長(しみずの じろちょう、文政 3 1 1 日( 1820 2 14 日) - 明治 26 年( 1893 年) 6 12 日)は、幕末・明治の侠客、博徒。本名、山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)。次郎長伯山と異名をとった三代目神田伯山の講談から広まり、広沢虎造の浪曲(ラジオ放送、レコード)、その映画化で「海道一の親分」として取り上げられ人気を博する。虚像の部分は→清水次郎長伝の項。

大政、小政、森の石松など、「清水二十八人衆」という屈強な子分がいたとされる。

6. 関東綱五郎 (かんとうつなごろう、 1822 - 1886 11 月)は、日本の侠客である 。村上元三の小説『次郎長三国志』に同名で登場 、清水次郎長配下の「清水二十八人衆」に数えられる大瀬の半五郎(おおせのはんごろう) と同一人物であるとされる。 本名は鈴木 綱五郎(すずき つなごろう)、出生名は鈴木 綱之助(すずき つなのすけ)。関東の綱五郎(かんとうのつなごろう)ともいう。

. 会津小鉄(あいづのこてつ、本名:上坂 仙吉(こうさか せんきち)、 1833 7 7 日(天保 4 5 20 日) - 1885 年(明治 18 年) 3 19 日)は、京都の侠客。浪曲化され 、京山幸枝若により大ヒットした。

行友李風の『近世遊侠録』によると背中の文身は小町桜(小野小町が桜の下にいるとされる)。 1872 年(明治 5 年)に妻( 1851 ? 1919 年)を迎え 1 子を儲ける。

8. 飯岡助五郎 ( いいおか すけごろう 寛政 4 年( 1792 年) - 安政 6 4 14 日( 1859 5 16 日)) 寛政 4 年、相模国公郷村山崎(現在の神奈川県横須賀市三春町)で半農半漁を営む石渡助右衛門の長男として生まれる 。講談では、助五郎は遠州榛原郡相良藩で田沼意次に仕えた家臣・青木源内の一子で本名を助之丞と称していた武家階級の出身としているが、これは助五郎が晩年に講釈師の神田伯童子を江戸から呼んで自身を過大に宣伝したフィクションの可能性が高いと言われている

文化 7 年( 1807 年)、相模国に地方巡業に来た友綱部屋の親方・友綱良助に大力を見出され、懇意にしていた名主・永島庄兵衛に相談して自身の名前を公郷村の人別帳から抹消した後、友綱部屋に入門し、相撲取りの道を歩む。しかし、親方の良助が急死したことで 1 年も経たず力士になる夢をあきらめて廃業。同年、当時地引き網で大漁景気に沸いていた九十九里浜に流れて、上総国作田浜の網元・文五郎の漁夫となる。更に文五郎死去の後は、鰯漁の豊漁地である下総国飯岡(現在の千葉県旭市飯岡)に出稼ぎに出て、この地に定着した。相撲の修業時代に磨きをかけた大力で、飯岡の玉崎明神祭礼の奉納相撲で名前を売り、この地に流れ着いて横暴を働くやくざ者を叩きのめして男を上げて、当時銚子から飯岡にかけて広大な縄張りを持っていた銚子の五郎蔵の代貸となった。更に文政 5 年( 1822 年)には五郎蔵から飯岡一帯の縄張りを譲り受け、正業である飯岡の網元の事業も成功させて、名実共に房総半島の大親分となる。飯岡の漁港を整備する事業にも着手し、台風や大時化で漁船が頻繁に遭難し、飯岡の成人男子人口が壊滅しかかった時には、生まれ故郷の公郷村や三浦半島一帯から漁師の二男や三男を大量に移住させ、また護岸工事にも積極的に取り組むなど、飯岡の復興にも尽力した。

9.笹川繁蔵 ( ささがわのしげぞう 文化 7 年( 1810 年) - 弘化 4 7 4 日( 1847 8 14 日)) この頃、利根川流域の笹川(現在の千葉県香取郡東庄町)に勢力を持つ 15 歳年下の笹川繁蔵と知り合う。初めのうちはやはり相撲取り上がりである繁蔵との関係は極めて良好だったが 、やがて関東取締出役制度が整備されて助五郎が銚子飯沼陣屋から関八州見回り役人を道案内するために十手取縄を託され岡っ引になると 、両者の間が徐々に険悪になっていく 。繁蔵の勢力が拡大して助五郎の縄張りと隣接するようになると、両者の子分たちによる抗争が頻繁に発生し、両者の縄張り内にある 35 村の村役人が関八州見回り役人に事態の解決を訴え出た 。そして遂に天保 15 年( 1844 年)、十手を預かる助五郎に対して繁蔵逮捕の命令が下される。助五郎は子分 20 数名 ( 笹川方によれば約 50 名の説もあり、 を引き連れて、同年 8 6 日に繁蔵逮捕に赴くが、事前に助五郎の襲撃を察知した繁蔵方の奇策を用いた反撃に遭い、笹川方の死者は用心棒の平手造酒一名 、飯岡方は半数を失うという大敗北を喫する ( 大利根河原の決闘 )

この逮捕失敗に面目を潰された幕府により助五郎は入牢という屈辱を味わう。一方、繁蔵は逮捕を免れるために逃走して奥州各地を旅していたが、弘化 4 (1847 )7 4 日、故郷に戻ったところを、助五郎の子分である堺屋与助、三浦屋孫次郎、成田の甚蔵の 3 名に闇打ちされて絶命した。大黒柱を失った笹川一家は飯岡一家への復讐に奔走するが、関八州捕吏の助けを借りた助五郎一家に次第に追い詰められていき、嘉永 2 年( 1849 年)、繁蔵の跡を継いだ勢力富五郎が東庄金毘羅山で 52 日間、役人と飯岡一家に包囲されて自殺したのを最後に消滅した。

その翌年、嘉永 3 年( 1850 年)には宝井琴凌により嘉永版『天保水滸伝』がまとめられ、繁蔵は美青年で悲劇の若親分、助五郎は悪知恵をはたらかせ権力を振りかざして繁蔵を亡き者にする悪親分という図式が全国に広まることとなった。しかし、晩年の助五郎は近所の子供たちから「川端 ( 助五郎の住居があった地名 ) のおじいさん」と呼ばれて親しまれる好々爺だったという。安政 6 (1859 )4 14 日に 67 歳で病没した。繁蔵一家や国定忠治など、同時代の侠客がいずれも非業の死を遂げた中にあって、天寿を全うした助五郎は、地元では「畳の上で死んだ侠客」と呼ばれている。

あとがき
どうしても、自分自身専門的に知識があり、かつ深いわけではありませんので、詳しい方や詳しくまとめられた資料をもとに、自分自身が勉強しながら、まとめていくことになりますが、その際、どうしても引用、転載させていただくことが多くなります。出典、引用先など記載し、読まれる方が原文を確認できるように考えております。






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最終更新日  2019.03.13 05:38:48
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ちょっと調べたシリーズ!江戸時代(03/13)  
俳句拙作人 さん
連日の調べ上げられた深い知識の公開、大仰天です。下準備してのまとめての投稿は、学生、学者の専門分野のようの研究心・好奇心の無尽蔵の引き出しには、大絶賛です。テレビ放映番組の物知りクイズが多いですが、高校の時の日本史の暗記授業・受験詰め知識では、読書熟読大好きの女房と違って、単に名前、僅かの人となり程度の浅学、将軍名すべて・順番に言えません。社会得意科目も、あらゆる事柄は、子供以下ですので、筆者に見習って、新春に心機一転の終活脳活を家族第一に何か形残すようスタートします。いつも有難うです。 (2019.03.13 11:44:19)

Re:ちょっと調べたシリーズ!江戸時代(03/13)  
学び活かす  さん
俳句拙作人さんへ
コメントありがとうございます。ジャンルがあっちこっちで定まりませんが、歴史シリーズは前々から、スマホのマイデータブックに入れていたものを整理したものです。みなさんが知っていることばかりですが、まとめようとすると、結構生年月日などもいちいち調べる必要がありますね。歴史は縦と横をみれるように考えていますが、テーマがたくさんあり、少しづつ楽しみながら取り組みたいと思っています。 (2019.03.13 14:42:19)

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