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自分でかってに「ふるさとの散歩道」と称して、地元、地域の名所旧跡に関することを時間があるときに少しずつ調べています。テーマの中にあった江戸時代の有名な浮世絵師「安藤広重」の「「東海道五十三次」には静岡県内のたくさんの場所の浮世絵が書かれています。今回は、そのうちの一つであるわたしの住む「安藤広重の東海道五十三次 見附」の浮世絵について調べてみました。自分の整理のために有識者の皆様の見解等をお借りした寄せ集めみたいになってしまいましたが、その前提でお読みいただければ幸いです。
出典:主に wikipedia から引用させていただきました。
<安藤広重>
歌川広重(うたがわ ひろしげ、寛政 9 年( 1797 年) - 安政 5 年 9 月 6 日( 1858 年 10 月 12 日)は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。かつては安藤 広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓・広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない
江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。
<東海道五十三次>
『東海道五十三次』は安藤 ( 歌川 ) 広重による浮世絵木版画の連作。 1832 年、東海道を初めて旅した後に作製したといわれている。東海道は、将軍在所の江戸と、天皇在所の京都を結ぶ道で、かつての日本の大動脈であり、江戸時代の主要道路であった五街道の中でも、最も重要な街道であった。五街道は、将軍を中心とした国家支配を強化する目的で、江戸期に整備されたものである。
旅の風景は、広重に強い印象を残した。彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描いた。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、第 1 回目の版を出した。最終的に、このシリーズは 55 枚の印刷となった。 53 の宿場に、出発地と到着地を足したものである。
現在では上記のようには、広重は実際には東海道を旅しておらず、広重が、『東海道五十三次』を製作する以前に描かれた絵を模写し、『東海道五十三次』の浮世絵を製作したという説が有力である。幕府に同行を命じられる以前の 1832 年 3 月には、隠居していることが判明し、同行は不可能と考えられているからである。 京都の三条大橋の巨大な橋を、 200 年前の姿で描いている。石に変更されたはずの橋桁が木製のままになっていることや、京都に近くなるほど、以前に描かれた「東海道名所図会」の挿絵と似た作品が増えること。などが理由にあげられる。 最初の版は、保永堂と仙鶴堂とを版元とする共同出版であったが、以降の版は保永堂が単独ですべてを取り仕切った。このスタイルの木版画は通常、それぞれ 12 - 16 銭で売られた。わらじ 1 足、あるいはうどん 1 杯とほぼ同じ値段である。『東海道五十三次』の成功により、広重は江戸期で最も成功し最も有名な浮世絵師となった。
<東海道五十三次 見附>
東海道五十三次 見附には 3 枚の「木版画」がありました。それぞれの解説資料を見つけるまでに至りませんでしたが、天竜川の中州の風景を描いた「木版画」をよく見ます。

[
手摺り浮世絵木版図 ]



<天竜川池田の渡し>
1000 年も前から続いていたと記録される、天竜川で行われていた池田の渡し。
近くの「歴史風景館」
徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示され、池田の渡船の歴史が分かりやすく紹介されています。
(
天竜川渡船場跡 )
すぐ近くの河川敷には豊田池田の渡し公園があり、下流側の堤防沿いには渡船場の跡を示す「天竜川渡船場跡」の碑があります。かつて対岸の浜松市の中ノ町村との間は、この「池田の渡し」が結んでいました。
この場所には、明治 16
( 1883
)年に架けられた池田橋がありました。橋は、昭和 8
年に取り壊され、現在は対岸に渡るには下流の天竜川橋と新天竜川橋を使います。
池田の渡し場は上中下の 3
箇所があり、この写真の付近は「上の渡し」でした。
普通は下流の「下の渡し・中の渡し」を使い、増水時に「上の渡し」を利用したそうです。
池田は、古東海道時代は物流も盛んで、宿場として栄えていました。江戸時代は、渡し場として栄え、茶屋や宿屋もありました。
かつての天竜川は暴れ川で、平安時代は池田の東側を流れていたといいます。
15
世紀末に池田の西側に流れが変わり、その後も流路を変え続けました。
(
出典 :
風人社の窓 )
[ 池田の渡し歴史風景館 ]
古くから、池田の渡船関係者が、武田軍が攻めて来た時に徳川家康に味方したことから、今から約440年前の1573年天竜川渡船権のお墨付きをもらいました。
1878年(明治11年)に木の橋が完成するまで、「池田の渡し」は東西交通の役割を担ってきました。こうした池田の渡しの歴史を模型などで展示紹介し、徳川家康が池田の渡船衆に与えたとされる朱印状のレプリカなどが展示され、池田渡船の歴史が分りやすく紹介されている。
(池田の渡しにある歴史風景館)
また、天竜川の堤防にでる右手に「池田橋の跡」の石碑がある。池田橋は明治16年(1883年)に架橋された賃取橋であった。堤防を歩き南下すると「池田の渡船場」を河川敷に再現した池田の渡し公園があり、長藤祭りに渡船体験イベントが行われる。
~あとがき~
ふるさとや自分の家族が住む場所は住めば住むほど愛着が湧きます。地域の名所旧跡にはナンバーワンではないかもしれませんが、私たち住む者にとっては誇るべき「オンリーワン」の大切な場所です。昔はどうだったのかと思いをめぐらせるのは楽しいことですね。歴史に残る方々、例えば「徳川家康」が戦った「一言坂の戦い」、家康が鷹狩などに来て休んだと言われる「中泉御殿」など今は石碑などが立っているだけですが、戦いの喧騒や鷹狩風景などの映像が浮かんできそうです。以上
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