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【鞆渕八幡神社】




鞆渕八幡神社
京都の石清水八幡宮の別宮で、もとは友渕荘16ヵ村の氏神でした。安貞2年(1228)に石清水八幡宮から神輿が送られました。
現存する日本最古の神輿である「沃懸地螺鈿金銅装神輿」は平安後期の傑作で歴史的、美術史的価値も高く、国宝に指定されており、秋祭りに一般公開されます。

真国川の北岸八幡山の南麓に鎮座している現在の本殿は寛正3年(1462)に再建され、以後20~30年ごとに正遷宮が行われています。社蔵の文書では、南北朝時代から民衆の鎮守として信仰されていたと記され、国重要文化財に指定されています。
大日堂は神社境内の右よりにある、神宮寺当時の名残と思われる堂々とした建物。室町時代前期の建造物で、解体修理以前の写真では、軒もなく茅葺屋根となっています。
堂内に和唐折衷の須弥壇を設けて、屋根をつくらない三間厨子が置かれています。これも本殿と同じく、室町時代前期の制作と考えられ、国重要文化財となっています。

神輿にまつわる伝説
鞆渕の里にある兄妹がおりました。妹は鶴姫と言い、絶世の美女だったと言います。
そんな二人に対し、教育熱心な父親は勉強をさせようと厳しく接しました。頭の良い兄に対し妹は思うようにはいかず、いつも叱られてばかり。そんなある日、ついに父親は怒りのあまり、妹めがけて木の枕を投げました。枕は柱にあたって割れてしまいました。居たたまれなくなった妹は割れた枕の片割れを持って家出してしまいます。

月日は流れ、やがて京都に当時の天皇に寵愛を受けているたいへんな美女がいると評判が上がりました。しかも、どうやら紀州の人らしいとのこと。うわさを聞き付けた兄は、残されていた枕の片割れを持って京都を訪れました。身分の違いから難儀もありましたが、ようやく会う機会を得て、二人はお互いの枕を合わせて確認し、涙の対面となったのです。

この麗しい兄弟愛を耳にした天皇は、二人で紀州に帰り、地元、鞆渕の地を納めるように言ったとのこと。その土産にと与えられたのが、この沃懸地螺鈿金銅装神輿。この神輿を京都から山越え谷越え運んだことは、大変な労力であったことでしょう。道中には神輿が通ったことを示す地名も多く残っています。

和歌山県紀の川市中鞆渕58
電話 0736-79-0198



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