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2006.06.28
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先日からの続きになりますが壬申の乱で大海人皇子に負け、自ら命を絶った大友皇子ですが生存伝説があります。
これが面白いことに足跡が残っているのが近江から遠く離れた房総半島、千葉県の君津市です。
乱に敗れた大友皇子は偽の首を検分させ自分は瀬田川から難波、尾張、下田、相模に辿り着き最後には君津に入って御所を作ったとされています。
その御所のあとにたったのが現在の白山神社、その後大友がこの地に逃れたことを知った大海人に屈する形でここで自らの命を絶ちます。
その大友の亡骸を葬った古墳も残っていますし、彼の妻である藤原鎌足の娘「耳面刀自」と従者を祀った十二柱神社、彼の正妃である十市皇女を祀った筒森神社があります。
(十市皇女に関しては哀しい伝説が残っていて彼女は難産のため亡くなったとされています)
不思議なことに大友の生存伝説は他にも残っていて、愛知県名古屋に彼の陵と言われるオトモ塚、神奈川県伊勢原市に墓と伝えられる石塔が残っています。
まぁ、ここではその伝説の真偽のほどは置いといて、こういう伝説が各地に残っていること自体が面白いですよね。
大体こういう伝説は時の権力者に抹殺された人への哀悼で生まれる場合が多くありませんか?

民間伝承の話になると先日書いた「扶桑略記」には不思議な記載があります。
日本書紀に拠れば天智天皇は近江京で亡くなったと記載されていますが、「馬で山科に行ったが行方がしれない、履いていた沓(くつ)が落ちていた場所を陵としよう」とあります。
これは謎な文じゃありません?
死んだのか生きているのかもわからないこの文章から暗殺を指摘する人もたくさんいます。
暗殺犯が大変力がある人でその人が暗殺したことを書けなかった…
真実の話ができるようになるまでその一族の力が弱まるまでの時間を待たなくてはならなかった…
だから成立年代が平安時代に入ってから(王朝交代があってから)成立したこの扶桑略記には正史では抹殺された真実を記した、ってな具合です。
こういう話は余程の発見が出てこない限り真実はわかりませんが、大友皇子に対する同情の念はもしかしたら暗殺された父天智天皇に対する気持ちもあるのかな?と思ったりもしますがこの時代に民が朝廷(大王家)を敬ったり同情したりした?って疑問もありますし、逆に情報が通じてなかったのにどうして遠く離れた国に伝承が残っているのか不思議なところもあります。
先日の「鬼の城伝説」以来各地の伝承に興味を持ち出した私にとっては好奇心を刺激される話題です♪


☆ここでティータイム☆
今日も寒いです

先週の土曜も頭が痛いを通り越して頭痛が痛く、首はこってて、四十肩もズキズキ痛い…これって毎年そうなんですが冷房病の典型的症状です。
隙を見て設定温度を24度に上げるのですがこれがすぐバレる
社長と違う部屋で仕事したいよ~って感じです。
何か良い対策がありますでしょうか????


今日、明日と試合がお休みですね!
ここでたっぷり睡眠をとっておかなくては!
しっかし、ロナウドを目覚めさせた日本には風当たりが強かったりして
これで通算得点の新記録ですね!
準々決勝はフランス大会決勝再びのフランスvsブラジル!
ジダンがゴールを決めて盛り上がってるフランスと同じく決めるべき人が決めて盛り上がってるブラジル。
ロナウドやロベカルは敗戦を忘れてないでしょうし、フランスはジダン引退も絡み見逃せないですね~!!!!!!!!!





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Last updated  2006.06.28 12:54:40
コメント(29) | コメントを書く
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Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
会社は寒いです~~~~

<当社ではクールビスを実行中です>と張り紙のあるわが社・・冷房の温度はそんなに低くはないんですけど、寒がりの私にはこたえるわ~~~

ひざ掛けだとたったり座ったりには不便なので、冬に使用する足元のヒーターを時々スイッチオン!!
制服なので寒いときはガーディガンを羽織ります。

自己防衛以外ないですね!!

冷房病には気をつけてくださいね。私の場合は<膀胱炎>が怖いです。 (2006.06.28 13:11:49)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
バルパパ  さん
厚着するしか手は無いか・・・

腹巻と毛糸のパンツ、靴下で対処します?

(; ̄▽ ̄)ノ”ハハハ

(2006.06.28 13:37:42)

白山神社  
キリ1968  さん
君津にある神社は確かに祭神が大友皇子と菊理比売命ですね。旧田原神社が加賀に本山がある白山神社に統合されたかたちのようで。例祭が九月二十九日なので大友皇子がこの日に死んだか、関わりがあるかのどちらかでしょう。お祭りを見に行けると何かわかるかもしれませんけどね。とはいえ、千葉には香取神宮がありますし、その関係で蝦夷への備えに大友皇子の名が使われた可能性もありますね。 (2006.06.28 15:06:48)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
うちの会社の事務の女の子は皆制服の上にニットのカーディガン着たりひざ掛け使ったり工夫してますよ~
でも、部屋を出たり入ったりしてると絶対身体がおかしくなるよね・・・w
(2006.06.28 17:19:05)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
同じ君津市の(虎が逃げて大騒ぎになった)神野寺があります。寺伝では「推古天皇6年(598)聖徳太子の開山により始まりました。」とりありますがどうなんでしょう。疑わしいような?
それに古い時代は都からは船を使って安房を中継として香取に至るルートが考えられ、君津に寺を建立した意味がわかりません。
それとも「甲斐の黒駒」でとんできたとも言うのでしょうか。(笑)
聖徳太子信仰のテーマとしてはいいかも。
(2006.06.28 18:07:17)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
組長~!  さん
私も、冷房がキツイのは苦手~~。

夏はどこへ行っても冷房が効いているから、必ず薄手の上着持参です。

でもうちの職場は節減とかで、冷房なかなか入れてくれないの!これもまたキツイ!!


(2006.06.28 19:55:13)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
ぷくぷくままさん
-----
コメントありがとうございますo(^o^)o

>会社は寒いです~~~~

><当社ではクールビスを実行中です>と張り紙のあるわが社・・冷房の温度はそんなに低くはないんですけど、寒がりの私にはこたえるわ~~~

場所の問題もありますよね!
直接くる位置だとかなりつらくありません?

>ひざ掛けだとたったり座ったりには不便なので、冬に使用する足元のヒーターを時々スイッチオン!!
>制服なので寒いときはガーディガンを羽織ります。

>自己防衛以外ないですね!!

私も長袖しか着ないのですが上から冷風がくるので上から調子悪くなっていくのでしょうね(T_T)

>冷房病には気をつけてくださいね。私の場合は<膀胱炎>が怖いです。

そうなんですよね、症状がいろいろ出てきてしまいますものね。
お互い気をつけましょうね‥‥

(2006.06.28 20:21:27)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
バルパパさん
>厚着するしか手は無いか・・・

>腹巻と毛糸のパンツ、靴下で対処します?

>(; ̄▽ ̄)ノ”ハハハ
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/
そうなんです♪一時期毛糸のパンツをはいていたのですが外へ出る時一々脱がないとダメなのが面倒でやめてしまいました。
ずっと社内なら良いんですけど‥。
なんて面倒くさがってはダメかぁ(^^; ....

(2006.06.28 20:24:23)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
誰か-、ブラジルを止めてくださいよ-。(^^♪。!(^^)!。

アルゼンチンとドイツ・・・これがもったい無いですよね-。両方とも、ブラジルとぶつかれば、面白い試合が見えたかな-。(・・?。

ぜひ、今回は、欧州に頑張って欲しいな-。(^^♪。

で、四十肩・・・・お大事にして下さい。(^.^)。 (2006.06.28 20:24:37)

Re:白山神社(06/28)  
jasmintea7  さん
キリ1968さん
-----
コメントありがとうございますp(^-^)q

>君津にある神社は確かに祭神が大友皇子と菊理比売命ですね。旧田原神社が加賀に本山がある白山神社に統合されたかたちのようで。例祭が九月二十九日なので大友皇子がこの日に死んだか、関わりがあるかのどちらかでしょう。お祭りを見に行けると何かわかるかもしれませんけどね。とはいえ、千葉には香取神宮がありますし、その関係で蝦夷への備えに大友皇子の名が使われた可能性もありますね。

お祭りを見に行けると何かわかる、ですか。
そういう発想が出てくるなんてすごいですね~。

蝦夷への備えですか?
負けた大友でも(大友皇子さん、ごめんなさい)備えになるでしょうか????

(2006.06.28 20:28:34)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
σ( ̄、 ̄=)ぜっちょんさん
-----
コメントありがとうございますo(^o^)o

>うちの会社の事務の女の子は皆制服の上にニットのカーディガン着たりひざ掛け使ったり工夫してますよ~

わーい♪女の子と一緒になってるところが嬉しかったりして~!!!!!

>でも、部屋を出たり入ったりしてると絶対身体がおかしくなるよね・・・w

そうなんです。真夏は中は18度とかで外は34度とか‥差がありすぎですよね(T_T)(T_T)

(2006.06.28 20:30:39)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
たぬきヴィーンさん
-----
コメントありがとうございますo(^o^)o

>同じ君津市の(虎が逃げて大騒ぎになった)神野寺があります。寺伝では「推古天皇6年(598)聖徳太子の開山により始まりました。」とりありますがどうなんでしょう。疑わしいような?

え?聖徳太子の開山ですか??
時期的にもアヤシイような感じがしますが、、、

>それに古い時代は都からは船を使って安房を中継として香取に至るルートが考えられ、君津に寺を建立した意味がわかりません。

そう言えば比羅夫は確か日本海側から蝦夷征伐に行ったんですよね。
太平洋側の航路も確立されていたのでしょうか?
支援した人は誰だった?なんてマジメに考え出すとこの説自体が疑問がつきますよね。
でも伝承が残ってるってどんな意味なのかな?なんて考えたりします。

>それとも「甲斐の黒駒」でとんできたとも言うのでしょうか。(笑)
>聖徳太子信仰のテーマとしてはいいかも。

「聖徳太子」っていつ頃から浸透したのでしょうかね?
千葉にまで??ってもうちょっとあとの時代の人が創作したような感がありますがどうなのでしょうね。
(2006.06.28 20:38:50)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
組長~!さん
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/

>私も、冷房がキツイのは苦手~~。

>夏はどこへ行っても冷房が効いているから、必ず薄手の上着持参です。

そーなんですよ(T_T)去年9月に明日香に行った時関西は冷房が強いのでビックリしました。
電車は必ず弱冷房車に乗りまーす♪(←アハ♪変換が海苔まーすってされて1人うけてしまいました!)

>でもうちの職場は節減とかで、冷房なかなか入れてくれないの!これもまたキツイ!!

夏の暑い盛りに冷房ナシはキツイですよね!
今年の夏も猛暑なのかなぁ???

(2006.06.28 20:41:47)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
ヨッシ-の詩さん
-----
コメントありがとうございます(*^o^*)

>誰か-、ブラジルを止めてくださいよ-。(^^♪。!(^^)!。

ブラジル、あまり調子は上がってなかったのにね、、、
誰の責任だ???(爆)

>アルゼンチンとドイツ・・・これがもったい無いですよね-。両方とも、ブラジルとぶつかれば、面白い試合が見えたかな-。(・・?。

ドイツがアルゼンチンに勝てるのかこれは興味ありますね!

>ぜひ、今回は、欧州に頑張って欲しいな-。(^^♪。

はい♪アズーリに!!!!!

>で、四十肩・・・・お大事にして下さい。(^.^)。

ありがとうございます。
一時期良かったのに冷房が入ってからすっかり逆戻りです(T_T)

(2006.06.28 20:44:23)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
ple-plus  さん
ところが、その古墳も一般に信じられている大友の最後、山崎(京都と大阪の境)での自害説同様、「影武者」説もあるようです。
勉強不足ですが、壬申の乱後、天武はすぐに大和に戻っていないようですし、大友が生存して逃げ延びた可能性がありますね。 (2006.06.28 21:13:05)

正解は??  
griffon さん
非業の死を遂げたと言われる人に、生存説があるのは何故なんでしょうね。その人個人に人望があったから、非業の死を悼んだと、素直に取れれば良いのですが・・・(^_^;)あいにくどうも僕は性格が捻れてるもので・・・。


その人物の末裔を名乗ることや、その名を出すことによって、何らかの利益を得たい人が、お話しを作った。大友皇子縁の壷を売りたいとか、賠償請求したいとか、お寺作って一発あてたいとか(笑)

生存説を捏造した時の現政権を転覆させたい(もしくは批判したい)。自分達にこそ正当性があるんだと言いたいけど、表立って言うのは怖いから過去に遡って悪口を流布することで風評被害を狙った。

非業の死を遂げさせちゃったから、ごめん生きてたことにしとくから許してねと、遂げさせた側が話を作った。

権力者に殺された人だから、人望の有無・正当性の有無に関わらず、面白そうだから判官贔屓な妄想話を語ったら、何故か広がっちゃった。

本当に非業の死だったので、可哀想だから(復権させてあげたいから)妄想話を語ったら、何故か広がっちゃった(もしくはガンバって広めた)。

本当に生きていた。


他にも色んなパターンがあるかと思いますが、どれが面白そうかな、なんて考えてしまうのは・・・捻れた性格のせいでしょう(^_^;)
事実は小説よりも・・・と言いますから、もっと複雑に要素が絡んでるのかなぁ。
誰か本当のことを教えて下さいっと、言いそうになるのですが、わかってしまうと「なぁ~んだぁ」になるのも怖い気がします。
(2006.06.28 22:57:02)

不明を恥じるのですが(汗)  
凛太郎 さん
天智暗殺説はよく聞きますね。おっしゃるとおり扶桑略記の沓が落ちてたという記述から暗殺だろうということですが、僕はそんなアホなと思っていたんです。姿が消えたということについては道教の影響も言われていますし、扶桑略記が400年も経ってからで、天武朝がついえた平安初期なら為政者が替って言えなかったことが言えた、ということでしょうがこれは末期、そんな話が出てくるには遅すぎると思っていたのです。もちろん暗殺される理由はありますけれどもね。
そんでコメント書く前にちょっと天智と大友の年齢が気になってウィキペディアを見ましたら、扶桑略記の一文「以往諸皇不知因果 恒事殺害」が引かれていました。殺害ですか?! いや扶桑略記にそこまで書かれていたとは知りませんでした。なんでも孫引きはいけませんね(ウィキも孫引きですが^^;)。
暗殺説といい生存説といい、民間伝承と言ってしまえばそれまでですが、何故に伝承が残ったのかをあれやこれや考えることが歴史好きの悦楽ですねー。

今日は寝不足解消日ですね(笑)。 (2006.06.28 23:26:59)

Re:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
NAO さん
白村江へ派兵できたということは、そのときは国内に拮抗した勢力はなかったってことですよね。
でも壬申の乱ではたくさんの人が大海人皇子を支持した。。。

大友が即位していたにもかかわらず、生き延びていても問題なかった、なんて背景の可能性もおもしろいかも☆ (2006.06.29 09:55:01)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
ple-plusさん
-----
コメントありがとうございます♪

>ところが、その古墳も一般に信じられている大友の最後、山崎(京都と大阪の境)での自害説同様、「影武者」説もあるようです。

うわー、影武者の影武者ですかぁ??
メチャ複雑ですね…。
そう言えばこのあと簡単に大友が自害するならここまで逃げるか?って単純な疑問はわきますね。
うーん、、、、、

>勉強不足ですが、壬申の乱後、天武はすぐに大和に戻っていないようですし、大友が生存して逃げ延びた可能性がありますね。

確か5ヶ月のタイムラグがあったみたいですね。
その空白の5ヶ月(違ってたらごめんなさい)を日本書紀が何も書いてないからますます謎が深まるようで。

(2006.06.29 12:49:55)

griffonさん♪  
jasmintea7  さん
コメントありがとうございます♪
昼休みにresをupしたのですが何だか慌てて書いてひどい文章なのでm(_ _)m書き直しました。


もう少し生存伝説にこだわってみたくて今日は幸村と家康を書いてみました。
生存伝説は本当に不思議ですね。
流布した人にとってどんな意味があったのかは興味があるところです。
確かに末裔を名乗ることによって利益を得たい人もいるかもしれないですね~。
生存伝説が流布された時代がいつだったか?がキーポイントかもしれません。
しかし、歴史は勝者にしか書けないですから物言えぬ敗者の歴史が伝承に残っていたりするって側面もあるでしょうね。
公式には書けなかったことが民間伝承に残されて案外真実に近い形で伝えたのかもしれません。

あとは、やはりあくどい手を使っても勝った勝者の贖罪の意味もあったかなぁ??
大友の話しと天智暗殺はどうもリンクしているような気がしてならないのですがgriffonさんは如何ですか?

(2006.06.29 20:49:57)

Re:不明を恥じるのですが(汗)(06/28)  
jasmintea7  さん
凛太郎さん
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/

>天智暗殺説はよく聞きますね。おっしゃるとおり扶桑略記の沓が落ちてたという記述から暗殺だろうということですが、僕はそんなアホなと思っていたんです。姿が消えたということについては道教の影響も言われていますし、扶桑略記が400年も経ってからで、天武朝がついえた平安初期なら為政者が替って言えなかったことが言えた、ということでしょうがこれは末期、そんな話が出てくるには遅すぎると思っていたのです。もちろん暗殺される理由はありますけれどもね。
>そんでコメント書く前にちょっと天智と大友の年齢が気になってウィキペディアを見ましたら、扶桑略記の一文「以往諸皇不知因果 恒事殺害」が引かれていました。殺害ですか?! いや扶桑略記にそこまで書かれていたとは知りませんでした。なんでも孫引きはいけませんね(ウィキも孫引きですが^^;)。

このお話はビックリしました。
扶桑略記の原文なんて読んだことないですからね‥
現代語訳されたものしか見ていませんのでそういう中途半端な書き方なんだと思っていました。
そっかぁ、、「殺害」って物騒な言葉が入っていたんですか。。。。。
しかし、私は孫引きどころか曾孫引きかも(/o\)ハンセイ‥

>暗殺説といい生存説といい、民間伝承と言ってしまえばそれまでですが、何故に伝承が残ったのかをあれやこれや考えることが歴史好きの悦楽ですねー。

おっしゃる通りです~!
こういうことをゴチャゴチャ考えるのは楽しいですよね!!!!!!

>今日は寝不足解消日ですね(笑)。

はい♪また明日からハードですからね(^_-)

(2006.06.29 20:54:14)

Re[1]:大友皇子生存伝説と天智天皇暗殺説(06/28)  
jasmintea7  さん
NAOさん
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/

>白村江へ派兵できたということは、そのときは国内に拮抗した勢力はなかったってことですよね。

うーん、この白村江に派兵した勢力は今、あちこちの文献で探しまくっています。
日本霊異記によれば備後と伊予、筑後、讃岐の名前が見えるようです。
(その後捕虜となってた人が帰されたときにこの国々の名前が日本書紀にも出てるらしい)
これって意味深ですよね。
(と、これ以上書くと妄想も過ぎるかもしれないので‥)

>でも壬申の乱ではたくさんの人が大海人皇子を支持した。。。

こう書いてはまた「どアホ」と言われるかもしれませんがこの戦いが外国勢力を巻き込んでの戦いだったとしたら大海人側の勝利は当然のような気がします。
NAOさん、どう思います???

>大友が即位していたにもかかわらず、生き延びていても問題なかった、なんて背景の可能性もおもしろいかも☆

もし、この前に書いた推論が成り立つなら大友が生き延びても支障がなかった気がします。
大海人の目的が大友ではなく大友のバッグの勢力だった????なーんちゃっておばさん♪

(2006.06.29 21:03:08)

勝者の綴る歴史  
griffon さん
でも実際書いてるのは、ゴーストライターと言うか・・・執筆者は勝者その人ではないんですよね。だからこそ、「○○○の暗号を解く」的なお話しもあるわけですが。何処にそれを見出すのか、どう解釈するのか、そのあたりは事実を目の当たりに出来なかった者に残された楽しみと言えるかもしれません。
(2006.06.29 22:23:22)

で・・・僕の妄想ですが・・・  
griffon さん


僕個人としては、天智帝を暗殺してまで朝を手に入れたがった者が、大友を見逃すはずがないのではと思うのです。将来に禍根を残さないためにも、根絶やしにするでしょうね。
簒奪と言うのは、やはり重いものだと思うのです。それだけに覚悟を決めて着手してるはずですから、情けをかけるはずもない。
もしも暗殺者が天武の手の者なら、どこかで情けをかけてしまったのか、それとも手を誤ったのか・・・天智の一族が生きているのは大失敗といえるでしょう。特に大友皇子は是が非でも亡き者で会ってもらわねば・・・結局、天武は後に逆転されてます。
僕は天智帝を暗殺したのは、中臣ではないかと・・・。掌から出ようと試みる天智一族や、天智その人は、壬申の乱の時にはすでに不必要になった駒となっていたのではないか。それを斬り捨てて、しかも天武追い落としのネタにすり替えたのではと・・・。
であるなら、暗殺者にとって大友もその一族の生死もどうでも良いことになります。利用できますから。生きて復讐をするもよし、消えていれば面倒なことが一つ減る。うまく使えば、天武を後ろから刺すネタになる。と言うことですよね。生存説の噂の流布も気にしなかったのでは。
実際に、壬申の乱収束と同時に噂があったとしても、それを書くには何百年も必要だったのか、それとも書かれた時代にこそ、その噂があることに意味がある・・・大友皇子が生きていたり、天智は暗殺されたのだと人が知ることで、得をした誰かが居たのかなぁ。懐風藻の書かれた時代の背景を細かく調べると何かが出てくるのかもしれませんね。

うぅ~ん・・・ブラックな話になってしまいました・・・すいません(^_^;)

(2006.06.29 22:23:56)

Re:勝者の綴る歴史(06/28)  
jasmintea7  さん
griffonさん
>でも実際書いてるのは、ゴーストライターと言うか・・・執筆者は勝者その人ではないんですよね。だからこそ、「○○○の暗号を解く」的なお話しもあるわけですが。何処にそれを見出すのか、どう解釈するのか、そのあたりは事実を目の当たりに出来なかった者に残された楽しみと言えるかもしれません。
-----
コメントありがとうございますp(^-^)q
そうなんですよね♪
古人が入鹿暗殺のあと韓人が殺したってビビってたみたいな書き方のところは「誰がそんなこと見てきたのよ~~」なんて思わず突っ込みを入れたくなるような(*^o^*)
書き手によって随分ニュアンスも違うでしょうし藤家の例のお方もかなり修正を加えたでしょうし、オブラードに包んでしまったところを考えるのが本当に楽しいです♪
(2006.06.30 21:30:32)

Re:で・・・僕の妄想ですが・・・(06/28)  
jasmintea7  さん
griffonさん
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/

>天智帝暗殺はあったと言う前提でですが・・・
>僕個人としては、天智帝を暗殺してまで朝を手に入れたがった者が、大友を見逃すはずがないのではと思うのです。将来に禍根を残さないためにも、根絶やしにするでしょうね。
>簒奪と言うのは、やはり重いものだと思うのです。それだけに覚悟を決めて着手してるはずですから、情けをかけるはずもない。

そうですよね。おっしゃる通りです。
天智も殺しておいて大友を見逃すはずがないですね…。

>もしも暗殺者が天武の手の者なら、どこかで情けをかけてしまったのか、それとも手を誤ったのか・・・天智の一族が生きているのは大失敗といえるでしょう。特に大友皇子は是が非でも亡き者で会ってもらわねば・・・結局、天武は後に逆転されてます。

そうですね。でも大友がいなくても天智の系統を根絶やしにする気が天武にはなかった‥
川島や志貴にも自分の皇子とかわらないよう教育していますし何より自分の子供には天智の皇女を娶わせていますから‥。
ある意味自分の妻と、息子の妻と女系は完璧なまでに天智の系統なんですよね。



(2006.06.30 21:39:28)

griffonさんへ その2  
jasmintea7  さん
>僕は天智帝を暗殺したのは、中臣ではないかと・・・。掌から出ようと試みる天智一族や、天智その人は、壬申の乱の時にはすでに不必要になった駒となっていたのではないか。それを斬り捨てて、しかも天武追い落としのネタにすり替えたのではと・・・。
>であるなら、暗殺者にとって大友もその一族の生死もどうでも良いことになります。利用できますから。生きて復讐をするもよし、消えていれば面倒なことが一つ減る。うまく使えば、天武を後ろから刺すネタになる。と言うことですよね。生存説の噂の流布も気にしなかったのでは。

あら、、後ろから刺すなんて物騒な(*^o^*)
ただ、鎌足の方が天智より先に亡くなっていますしまだ不比等は小さい、定慧も亡くなっているのでこの頃の中臣は誰が握ってたのかわかりません。
大嶋や意美麻呂(←この字で良かったでしったっけ?????)では役不足ですよね~。
そうすると田辺氏かなぁ??????

>実際に、壬申の乱収束と同時に噂があったとしても、それを書くには何百年も必要だったのか、それとも書かれた時代にこそ、その噂があることに意味がある・・・大友皇子が生きていたり、天智は暗殺されたのだと人が知ることで、得をした誰かが居たのかなぁ。懐風藻の書かれた時代の背景を細かく調べると何かが出てくるのかもしれませんね。

>うぅ~ん・・・ブラックな話になってしまいました・・・すいません(^_^;)

ブラックな話し、面白いです~♪
ありがとうございましたm(_ _)m (2006.06.30 21:40:06)

こんな邪道な話、書いて良いのかなぁ  
griffon さん
そうなですよね。中臣鎌足が既に亡く、長子も亡い。後のフィクサー不比等はまだ13歳。誰が中臣・・・既に藤原姓を賜ってますが・・・を操っていたのか。
天智・天武・藤原の三つ巴の暗闘があまりに激しかったため、表には絶対に出られない誰かがいたのか?
ここから先は、読み物的な妄想と言う事で・・・(笑)

13にして六韜や遁甲を操る史は、実兄定恵(定恵も鎌足の息子ですから、色々と裏の顔が。しかも鎌足の実子ではない史は兄定恵を憎んでいたりなんかして・・・)をそそのかし唐仕込みの暗殺技で実父である天智をも暗殺し、それをきっかけとして天武一族と天智一族の血で血を洗う闘争を裏で糸を引き、日本そのものを破壊しようと試みる。
天武の息子である大津皇子・草壁皇子との暗闘の末、完全に葬り去られたかと思いきや、暗闇から二人に手を伸ばして失脚させ、自身は不比等と名を変え、後ろ盾となるような豪族の娘を誑かし、のし上がり、我が世の栄華を手にする・・・。
少年なのに謀略家にして暗殺家。人をただの駒としてしか見ない冷血な暗い目をした少年、藤原史・・・なんてね(笑)
なんのバックボーンもない説・・・とも言えないので、たんなる妄想ですが(^_^;)

正当に歴史を見よう、楽しもうと言う人からすれば、邪道中の邪道な楽しみ方してますね(^_^;)僕は。
こう言う人も、たまにはいるんです、はい(^_^;)

(2006.07.01 13:50:32)

Re:こんな邪道な話、書いて良いのかなぁ(06/28)  
jasmintea7  さん
griffonさん
-----
コメントありがとうございます\(^o^)/
ここ壬申の乱ではエアポケットのように藤原空白の時代なんですよね。
でも私も空想炸裂ですが、私は壬申の乱は外国勢を巻き込んでの対立、新羅派が百済派影響力を排除したのかな?と思っていますのでその中に藤原氏もいたんだと思います。
壬申の乱の藤原氏を見ていると田辺大隈(あれ字が違う気がするのですが‥)だけが大友側についてあとは積極的に動いてないですよね。
普通なら近江について当たり前なのに。
鎌足が亡くなってたのを逆手にとっていたような気がしてこの時代の中臣のリーダーは誰なのかすごく不思議なところです。

で、史が不比等って改名したのはいつのことでしったっけ????

しかし後半部分はgriffonさんらしい世界が炸裂していますね♪
(2006.07.01 22:47:47)

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