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2012.04.04
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カテゴリ: 戦争映画
第五福竜丸.jpg


戦争が終わり、平和条約を結んだ日本に
再び明るい平和が蘇ったかのように思えたが
米軍は爆撃機に搭載可能な実用兵器としての
水爆を実験していた。

1954年、ビキニ環礁の水爆実験にてマグロ漁船
第五福竜丸等の船舶が被曝し
広範な範囲が放射性物質で汚染された。

戦争が終わっても惨劇は続く日本の不安を
1959年に大映が公開した戦争映画が


昭和29年3月1日 午前3時42分
遠洋漁業に出ていたマグロ漁船「第五福竜丸」の
23人の船員たちはビキニ環礁の辺りで
夜空に輝く閃光とキノコ雲を目撃し
空から降ってきた灰のようなものを浴びた。

漁夫たちは故郷に妻や恋人や親たちを持ち
船長・笠井太吉は僅か22歳の若さで
船の実権は漁撈長の見島民夫(稲葉義男)が握っていた。
苦労人の無線長・久保山愛吉(宇野重吉)は
乗組員たちの信任を得ていた。

日が経つにつれ、船員たちは肌が黒ずんで

どうやら原爆に遭遇したらしいと気づく。

それはアメリカが警告なしに実施した水爆実験だった。

しかたなく漁を中断して3月14日に焼津港に帰港。

焼津協立病院外科主任・大宮医師(永井智雄)の診断により
一同が原爆症と判り、放射能が検出された

事件は大きく表面化した。

日本中が大騒ぎとなり、23人の船員たちは
隔離病棟に収容され静岡県知事が全面的な協力を約束する。

報道は世界中に打電されアメリカから専門家が
調査にやってきたが彼等は何故か積極的な協力を
日本側に与えようとはしなかった。

23人の漁夫たちは東京の病院に移され
日本側医療科学陣の総力をあつめて治療が進められ
船員たちは快方に向かい出す。

回復してゆく若い船員たちだったが
年配の久保山愛吉無線長だけは病状が悪化する一方だった。

被曝から半年、ついに久保山は、妻(乙羽信子)
母(毛利菊枝)船員、医師らに見守られながら
息を引き取るのであった。

こうして原子力研究とは何の関係もない
漁夫たちに突然襲いかかった悲劇は今なお続いている・・・

この映画は監督:新藤兼人が反核を訴えた作品であり
反核というイデオロギーを超えてなお
映画作品としても傑作となっている。


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Last updated  2012.04.04 22:18:43
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