無色透明

無色透明

2006.03.25
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カテゴリ: スピリチュアル
「価値観[1]」の続き


次は、小犬のロンさんですね。

「様々な価値観が、わたしが生きる世界の光景を創り上げているのだと思います。
意識できるものも意識できないものも含めて。
わたしが『これが世界だ、世界そのものだ』と思っているのは、実は単なる『世界観』だったりします。
kimiさんの言葉では、それが『思い込みワールド』でしょうか。

それに気づかせてくれるのは、日々の行いの中で、何がしかの『価値観』が解けた時です。
一つ一つ、一枚一枚、たまねぎの皮が剥けるように剥がれていきます。
そのたびに、世界が違って見えてくる。

その連続のわたしの歩みです。
だいたいが、躓きから、間違いから、学んで歩む小犬のロンでした。

(二回目の回答)

わたしにとって、この一週間は、激動の毎日でした。
長いブランクから戻ったばかりのわたくしでしたが、数々の色んな方々の、もごとの、お導きにより、幼子のように、嬉々として目の前の瞬間瞬間に向き合い生活を送りました。
『大人になってなくしたもの』のワークには間に合わず、しかしみなさんそれぞれののワークに学びながら、心は既に小躍りしていました。
やっとのことで、『記憶』のワークに初チャレンジ。
思いの外、そこでは素晴らしい気付きとヒントをいただきました。
そして、振り返り、『価値観なしで生きられるか』のワークが、並行して与えられていたことを知りました。
ぴあのさんのお達しで。

わたしが取り組めなかった、『大人になってなくしたもの』『幼子』のワークから生れた二つのワーク。


振り返ってみると、『子供のように生きる』『今の瞬間瞬間に生きる』のワークに、混同するほどに何度も回帰していました。
『価値観なしで生きることは可能か』。
わたしは、日々の生活の中で、目の前の事象に向き合うことで、そのワークに取り組んでいました。
何度も躓き、『あれー、とほほ』と言いながらも、何度もそのたび戻って来ていました。

瞬間瞬間の今に向き合い生きていくことが、価値基準の判断にとらわれず、嬉々として生きていくことにつながっていることを、身をもって体験した一週間でした。


いつもなら、焦って昨夜、夜更かしをしてでも、ワークの報告を書くところでしたが、もうくたくたで布団にもぐりこみました。
すると今朝、ステキな夢と共にすがすがしい朝を迎えていました。
ちょうど6時のことでした。
そしてここへ参り、姉さんのワークに感動しつつも、自分の回答に取り組みました。
久々に、流れるように言葉が出て来ております。
抽象ごとで、具体の少ない回答となりましたが、今日は先ず、これくらいで。
個々の事象を挙げると、切りがなくなってしまいそうで。。。

えっ?答えになっていない?
ああそうそう、『わたしには価値基準なしで生きること』は可能でした。
それは思わぬ僥倖で、嬉々として今に生き、童心に回帰する体験でした。
とても深きところで、魂が快感を覚えています。

~あー、気持ち良かった~。
このめぐり合わせに感謝いたします。
ありがとうございました。
ではまた、日々の現実、日常生活の冒険に戻ります。」

気づきの世界は、タマネギの皮剥(む)きに似ています。
剥いても剥いても出て来る。

気づくほどに涙も出てくる。
どんどん剥いていくと・・・
何もなくなってしまう?

皮とは、価値観であり思い込みです。
それらのものに気づいて外していくと、自由になり楽になっていきます。
しかし、皮は厚く、何層にも何層にもなっています。
あまりにも厚くて、いったいどれくらいあるのかわかりません。
どんどん剥いていくと、最後には何も残りません。

タマネギとは、自我です。
皮は価値観や思い込みです。
それらに気づき、外していくと・・・
自我は消えてしまいます。
なぜなら、元々ないものですから。
単なる思い込みです。

自我は、思考によって創られた架空の存在です。
イメージという幻です。
価値観も思考が創った思い込みワールドのパーツです。
自我を構成している主要部品です。
まるで自動車みたい?

自動車はいろんな部品を組み合わせて造ります。
しかし、その部品を一つずつ外していくと、自動車の形は消えます。
あるのは部品だけ。
そう、個々の価値観や思い込みがあるだけです。

人間の体も分子や原子からできています。
分解すれば何も残りません。
色の世界のものは、すべてそうです。
あるようでない・・・
確固として存在しているようで、なんとなくあやふや・・・
色の世界は、空の世界の一時(ひととき)の現れ。
あると言えばある、ないと言えばない・・・

価値観は思考が創り上げているものです。
思考の次元にのみ存在します。
それは人が思考の次元で生きる時の支えです。
しかし、思考の次元を超えれば、無用の長物となります。

小犬のロンさんにとって、貴重な一週間の体験だったようですね。
まあ、肩の力を抜いて、これからも楽しんでください。
瞬間瞬間が煌めくように・・・

次は、ぴあのさんですね。

「ここ一週間、自分を注意深く見つめながら生活していましたが、特に、価値観らしき価値観はありませんでした。

日々、目にするもの、感じるものに、価値観を付加しようとすればいくらでもできますが、物事をただストレートに見、ただストレートに受け止め感受すれば、そこには何の価値判断もありません。
その物事、現象が ただあるだけ です。

正邪も善悪も優劣も、私の意識の片隅に両者区別されたものとしてあることはありますが、そこに、何かの判断も わざわざの比較もしません。
良いも悪いも、美しいも醜いも、そのままを受け取ります。
そして、それらは、主観的なものであるため、いつどのように良いが悪いに、美しいが醜いに変化するかもしれません。
そうしたら、そのときにまた、それらをそのまま受け取り、感じるだけです。

過去の記憶や思考から自由になって物事に接するとき、見るとき、価値観 という条件づけられたものからも自由になれると思います。
事実を 曇りのない意識でストレートに見て、ただ純粋に感じるとき、価値観というものの入る領域はないように思います。
よって、価値観なしで生きることは可能 だと思います。」

思考の世界から離れ、思い込みワールドを見守りながら生きれば、価値観に振り回されないということでしょうか。
時間を要しない道は、それしかありません。
一つ一つ気づいていって、タマネギの皮がみんな剥けるまでは自由ではない?
それをやり出すと時間がかかります。
永遠に終わらないかもしれません。
それは時間の道です。
つまり、思考の次元。
それをやっている限り、不自由とも言えます。

一気に思考の次元を飛び超えて、見守りの次元へワープするしかありません。
そうすれば、潜在していた価値観が出てきても、それに振り回されずに生きることができます。
一瞬、心が動揺したり、揺らいだりするかもしれません。
しかし、次の瞬間、あるいは同時に、それに気づき、その動揺を見守ります。
動揺そのものにならなければ、自分を見失うことはありません。

意識が動揺の方にあるか、見守りの方にあるか、それがポイントです。
色の世界を生きるとは、両方にあるという感じでしょうか。
見守りつつ、価値観や囚われや思い込みを外していくのですね。
それらがあるのは事実。
事実は否定しないで認める。
でも、それらに縛られない。
出てきた時に、手放す。
気づいた時に、離れる。
現れてくる価値観や囚われや思い込みにこだわらなければ、即座の自由が可能です。

それは相対的な自由ではなく、絶対的な自由です。
気づくことによって、だんだんと楽になる相対的な自由ではありません。
気づく・気づかないにかかわらず、すべてを見守る絶対的な自由です。
片足を色の相対の世界に置き、残りの片方を空の絶対的な自由の領域に置きます。
今を生きるとは、そういうことではないでしょうか。

自分の中に潜在する価値観や思い込みに気づきつつ、すべてを見守りながら生きてくださいね。

最後は、えっちゃんですね。

「価値観を把握できなくて、結局把握できない答えを遅ればせながら提出します。
何処まで価値判断というのでしょう?
好き嫌い、気分、記憶、感性・・・感動にいたっては、私に染み付いた価値観が、自分の内側から湧き出てくる・・・
幼児は、価値観を持たないとしても、判断基準も価値観内とすると、危険度もキャッチ出来ず、道路にふらふら飛び出し、小さな川にでも溺れる・・・

価値観がイマイチ確定できなくてこのホームワークは難しい。
けれど、感動すら価値観で湧き出るとしたら、私は価値観なしはいられないし、断基準も含まれるとしたら、一歩も歩けないし、思考は物差しを失くしてさまよう・・・。」

思い込みから感情が生まれたり、感動が生まれたりすることもあります。
同じ価値観の人と意気投合するとか。
一緒にいて楽しいとか。
でも、逆の場合は悲惨ですね。
ことごとく対立してしまいます。
それが人間ドラマですね。
えっちゃんが日々演じている世界です。

その世界は悲喜交々(こもごも)。
まさにこれまでの人類史そのものです。
ハイ、これまで通りの人生を選択しますか。
それは戦争と悲惨の歴史です。
ハー、平和主義者の辛いところですね。

思考の世界で、いくら平和を叫んでも、平和はやって来ません。
なぜなら、個々の価値観が異なるからです。
異なるところでは、必ず争いが生じます。
自己を主張し、相手を認めなければ、残るのは争いしかありません。
平和という価値観で統一できる?
ところが、方法論で争うのですね。
それがこれまでの平和運動の歴史でした。

思考の世界の平和は、相対的な平和です。
戦争があっての平和。
戦争に反対するが故の平和。
自分や身内の命が惜しいがための平和です。
自分を守るために戦争するのと、そんなに違いません。
ベースが自己保存である限り、真の平和は訪れないでしょう。

心が平和でないと・・・
心の結果の平和でないと・・・
平和が目的の間は、平和は訪れないでしょう。
心が平和であれば、世界は平和になるしかありません。
平和を求めている間は、心は平和ではないということです。
平和は求めるものではなくて、自分の中に実現するものです。
心の中に平和が存在すれば、その結果として自然に世界の平和が実現するでしょう。

価値観の世界を抜け、思考の次元を抜けないことには、平和は遠いでしょう。
自分の中にある価値観を、ゆっくり見守ってみるといいでしょう。
具体的に一つ一つチェックしてみるといいでしょう。
それが自分を構成しています。
それによって自分が左右されています。
自分の元を理解した方がいいのではありませんか。
理解しない限りは、それらに振り回されるのですから・・・

思考の次元を超え、ハートベースになる時に、真の平和が訪れるでしょう。


『価値観は 思考の世界の 思い込み 思いの中で 生きているだけ』

『価値観が 認められれば 嬉しくて 認められねば 嘆き悲しむ』

『価値観が 喜び悲しみ 創り出す ものの見方で コロコロ変わる』

『価値観が なければ評価も あり得ない 正邪・善悪 優劣もなし』

『価値観が 違えば互いに 反目し 争い合うのが 人類の歴史』

『価値観が 自分そのもの 価値観を ベースに生きる 思い込み世界』

『価値観で 世界を判断 解釈し 自分本位に 順番付ける』

『思い超え 思考を超えて 価値超えて 行き着く先は 見守りワールド』

『人類の 真の平和を 望むなら ハートベースに 変わるしかない』

これが448日目の心境です。






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Last updated  2006.03.25 21:58:51
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今ひとつわからない事・・・  
えっちゃん さん
ほとんど、国語辞典の解釈みたいだすが、
価値観という言葉をわかっていないのかも知れませんが、心が平和な生き方を選ぶ事は、それに価値を感じるからではないのでしょうか?

自分の価値観に囚われたり、人に押し付けたりするわけじゃなくても、
今、この瞬間に生きるという生き方を選択することでも、そこに生き方としての価値を感じるから、そう生きようと思うわけではないのでしょうか?

瞬間を生きるということがすばらしい生き方だと意識するのは、それは何でしょうか? (2006.03.26 01:22:55)

ちょっと横道  
えっちゃん さん
昨日友達と話してて、地球に今大異変が起ころうとしていることは、
横暴な人類への戒めかな?っていうことに対して、
友達は地球は、そんなこと考えていない。
地球も生き物だから、単に自分の傷を自分で癒そうとしているだけ・・・

そうかあ、地球も私たちも存在としては対等で、
それぞれがそれぞれの、ベストの状態を維持するということで、全体のバランスをとっているわけで、
その時それぞれのベストの状態、
かなりキャパシティのあるベストの状態を崩されると、本能的自己保存の作用が起こるということなのかな。

価値観というものにもキャパシティがあって、
本能的価値観を超えると自我の価値観となって、
それがお互いどうバランスをとるかで、世の平和、
自分自身のベストな生き方・・・に影響するってことなのかなあ。

自我の価値観を無くしても、本能的価値観レベルのお互いいのちあるもののバランスというもので、
世の中が回っているというような感じ・・・
引力みたいなもの・・・
ないでしょうか?

本能的価値観というようなものは、ないのでしょうか?
例えば、農夫は土を掘る。
一生懸命土を掘る。
牧童は、土を触って欲しくない。
大平原のままがいいと羊を放つ。
地球自身はどうならいいのだろう?
キャパシティ内ならお好きにどうぞというところか。
農夫と牧童が、お互い譲り合ってバランスを取れば
価値観も静かに存在できる。

蜂蜜をくまも人も採る。
蜂は守ろうとする。
これも、価値観のキャパシティ内なら、全体は維持できる。

こういうレベルの価値観はそんざいしないでしょうか?
本能的価値観・・・それに相当するようなものもないのでしょうか? (2006.03.26 09:28:08)

ありがとうございました  
今回もまた、一人一人への素晴らしいアドバイス、ありがとうございました。

何度も読みました。
読むたびに、私の中が、またひとつ、またひとつ、クリアになっていきました。

ワークに取り組む日々は、とても充実しています。
私なりに自分を精一杯見つめて そして見つめたことを打ち込み始めると、
自分が とても深い意識に沈んでいくのを感じます。

ですが、まだまださらに深い奥があることもまた感じ、
そこに到達できていない自分もさらに感じ、
また、見つめたことを表現する 言葉 という手段にとても手間取ること、
なかなか自分の奥で感じたことをそのまま文字に 文章に 表せないこと
そのことにはがゆさを感じ・・・

皆様のワークを読み、kimiさんの皆様へのアドバイスを読み 
さらなる奥深いところを感じられない自分にもやもやしていたのが、
霧が晴れていくように その靄が拭い去られていく感動を味わっています。

透明な水晶を見るような感覚を 自分の中に感じます。

kimiさん、
kimiさん、すごすぎです。
kimiさんに出会えてよかった。
ありがとうございます。

(2006.03.26 16:02:20)

Re:今ひとつわからない事・・・(03/25)  
光のkimi  さん
えっちゃんさん

価値観とは、思考が創り出したものです。
自分の人生経験から判断して、創っているだけのもの。
それに基づいて生きる指針です。
本能的価値観などというものはありません。

心は平和を求めるとは限りません。
戦争の時は平和を求めますが、平和が続くと戦いを求めます。
頭で平和を求めれば価値観になります。
ハートには価値観などはありません。

瞬間・瞬間生きることも、それが価値があると判断すれば思考が創り出す価値観です。
それでは別の価値観と対立するだけです。
価値観を超えるしかないでしょう。
思考の次元を超えることですね。

(2006.03.27 16:35:30)

Re:ありがとうございました(03/25)  
光のkimi  さん
ぴあの@サファイアさん

ホームワークは、その名の通り、自宅の日常生活の中で自分自身を見つめることです。
それによって起きる気づき、見守ることによって生まれる見守る意識。
そういうものを大切にしたいですね。

それが時代を変え、社会を変え、地球を変えるでしょう。
人類自体が、自身の更なる意識の深みに気づく時なのです。
そのための日記です。
見守りながら楽しんでください。

(2006.03.27 16:42:56)

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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
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