オトキチ日記

靖国神社と北朝鮮

靖国神社と北朝鮮

靖国神社に行つた。
幾度か行つたことはあつたが、遊就館（資料館）には入つたことはなかつた。
遊就館を見ることと靖国グッズを買ふことが目的である。

遊就館に入り、まづその雰囲気が意外だつた。
ひと言でいへば「モダン」な造りである。
その名前と靖国といふことから重々しい雰囲気を想像してゐたのだ。

神武天皇から始まつて、日本の歴史が展示されてゐる。
ひとつひとつを観てゐるうちに眩暈のやうな感覚が襲つてきた。

この感覚は、さう、北朝鮮で味はつた感覚と同じではないか。

展示物を観ながら、私は傍らにキムさんがゐるやうな錯覚を覚えた。
「ペリーは黒船で威迫し、わが国に不平等条約を結ばせました。そのため、攘夷の声が全国から
湧き上がりました」
そんなふうにキムさんが解説してくれてゐる錯覚を覚えたのだ。

朝鮮歴史博物館や国際親善展覧館と遊就館は似てゐた。
観てゐるうちに頭がくらくらしてきた。

この感覚は前半続いた。

来場者はずゐぶんと多い。
老人もたくさんゐたが、家族連れも多い。
渋谷を歩いてゐるやうな女の子もゐた。

後半、大東亜戦争の展示に進み、遺影の展示室へと進むと前半の感覚は消えた。
夥しい遺影、遺書が展示されてゐる。
遺書を読む。
遺影を見る。

「私はお母上の言ひつけはきちんと守りましたよ。酒と女には気をつけろでしたね。
　酒は少しはやりましたが、女はいままで知りません。
　思ひ残すことはなにもありません」
飛行服を着て飛行機の前に立つ特攻少年兵の、その笑顔の明るさ、爽やかさ。

数々の遺書を読み進むうちに、涙がこぼれてきた。
みつともないので部屋の隅に行つて涙をぬぐつた。

洟をすする小さな音が聞える。
他にも泣いてゐる人がゐるのだ。

展示されてゐる遺書はとても全部を読むことはできなかつた。
泣き崩れてしまひさうだつたから。

遺影の部屋々々のあと、東京裁判の展示があつた。
「ママ、ちよつと来て。この人だけは覚えてゐて」
男性が、奥さんと子供を呼んでゐる。
「この人がパール判事、東京裁判で全員無罪を主張してくれた人なの」

ああ、かういふ日本人がゐるんだ。

明治の昔、日本に向つてゐたトルコの船、エルトゥールル号が遭難したとき、和歌山県の漁民が
全力で救助した。生存者を日本国政府はトルコまで送り届けた。

100年後、イラン・イラク戦争のとき、イラクのフセインは48時間ののちはいかなる国の飛行機であ
らうと撃ち落すと宣言した。脱出をしようと諸外国人は空港に殺到した。しかし日本政府の対応は遅
れ、日本人215人がテヘラン空港に取り残された。期限まで残り10時間を切つた。
そこにトルコの特別機２機が到着し、日本人全員を乗せて脱出に成功した。残り僅か１時間ほどの脱
出劇だつた。
トルコの外交筋は言つた。「エルトゥールル号のときのお返しをしただけです」

日本人は、100年ののちであらうと、インドにはいつかお返しをしなければならない。
そのためにも語り継がねばならない。
パール判事の正義と勇気を。

遊就館を出て、売店でビールを買つた。
ベンチに坐り、ビールを飲んだ。
売店の前で男の人がハーモニカを吹き、連れの女の人が歌つてゐる。
戦時歌謡だ。
素朴なメロディ。
うららかな天気だつた。

戦時歌謡をハーモニカで聞き、緑を眺めた。
ここはどこなのだらうと私は思つた。
ふたたび私は錯覚を覚えた。
ここが北朝鮮であり、キムさんに案内されてゐる錯覚をである。

靖国神社と北朝鮮は同じ地平にあつた。

咲いてゐる花の姿は違ふかもしれない。
しかし、土は一緒なのだ。

私は参拝はせずに靖国神社をあとにした。
いままでも参拝をしたことはない。
大鳥居の向うから一礼するだけだ。
参拝をするほどには私の気持は「清く直く」ないと思ふがゆゑである。

（17.9.6記す）

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