帰って来たかえるのへや



    「カンナがKaeruに与えてくれたもの(書き下ろし)」

カンナの子供たち
カンナの子供達。


ここではカンナの事というより、わたしがカンナとの関係で得た
かけがえのない収穫を(本当に個人的な問題ではあるが)書き留めておきたい。

まず第一に得たものは自分の自然な感情に対する信頼。
わたしは感情、特に怒りを直接誰かにぶつけた事、
ましてや暴力をふるった事など、それまでかつてなかった。
自分が誰かを怒ることで相手に嫌われては、等の保身以前に
自分が相手を破壊してしまいそうな恐れがあり、
たやすく怒りを放出できなかったのだ。

だが、わたしが怒った事で(理由はわからないが)カンナはむしろ安定した。
カンナはむしろ愛情を深めた。

いくら怒ったってわたしはカンナを壊さなかった。
わたしはそんな無茶な理由で怒ったりもしないし
理由があるからと言って相手を破壊するような際限のない怒り方はしない。
わたしはどこまでもちゃんと制御が効いた。
わたしの相手への理解、判断は、わたしの怒りは、自然と湧き出る感情は、
そんなに狂ってはいない。悪いものではない。

怒りという一つの感情を押さえようとすると、他の感情も全般に押さえがちになるものだ。
最近も友人に言われたが、わたしは「感情にフタをしている」ヒトだそうだが、
自分では正直よくわからない。
人にあまりぶつけている方でないのは確かだと思うが、
今もまだフタがあるのか、
それはまた一つフタが開いた時に自分自身に判明するんだろう。
ともかく自分としては表に表出するか否かの前に
自分自身感じないように押さえ込んで来た感情を
この時から自分自身には、そしてカンナには隠さずに認めてあげられるようになったと思う。
そしてたまにはオットなどとは対決する。
これは相手を破壊するという恐れがあってはできない事であった。
自分がすべてぶつけてみることで、何かいいことが産まれる可能性も
ありうると言う希望を持つ気持ちがなくてはできない事だ。
この自分への信頼あってこそ
気難しく被害者意識に陥りがちなゴウ(犬)に対しても
自分はそんなに過酷な事はしていないと自分を信じて、
揺るがず必要な事をやり続け、相手の変化を待つ事ができた。

わたしの怒りに極端に怯えた人はいた...な。
それを見てわたしは自分の怒りを恐れた。
だが、実際には怒りを制御できないのはわたしではなくあの人達の方だった。
そしてあの人達にはおそらくわたしに怒られて当然の後ろ暗い理由があった。
良く取れば、呵責の念に怯えていた。
あの人達は自分が他人にしているような事をもし自分がされたら、けして相手を許さないだろう。
だからわたしがあの人達を許さないときっと思っているんだろう。
.............閑話休題。

次に得たもの。
ありのままの自分を受け入れ、認めてもらえる体験。
カンナは気分で怒鳴ったりもするようになったわたしになぞ頓着せず、
ごくエゴイスチックに他を拒否し、
私だけを大事にして私だけを求めてくれた。
他のあれこれのお宅を物色したあげく、
カンナの求めるこれだけは外せない、これだけあれば後はどうでもいい、というものを
Kaeruに見い出してくれていたように思っている。
カンナの側に何かKaeruを失えない理由があったのだ。

だからわたしはその愛に甘えました。
避妊手術をし、おしっこちびるほど怖がる車に乗せて引っ越しにつき合わせ、
何よりゴウを家に引っ張りこみました。
カンナはイヤでイヤで家にいられず、一時はそのために食事量が減って
体力を落とし、持病を悪化させてもKaeruへの気持ちを断ち切れず
高齢もあったのだろうが、放浪しまくっていた昔のようには家を離れられなかった。
そしてKaeruがゴウを愛し、カンナに手を抜くのを見ていた。
わたしは他人にそれまでそんなワガママを押し通した事なぞないと思う。

母がわたしに伝えたメッセージは「自分に手をかけさせたりしたら承知しないよ」だった。
あの人が見ているものは、いつもわたしではなかった。
いつもわたしの方が合わせるしか相手にしてもらえる道はなかった。

わたしに踏みつけにされてもわたしを愛してくれる、わたしの栄養になってくれる、
...............カンナこそがわたしのお母さんでした。









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