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ブライアン・メイ

ブライアン



父ハロルド・メイと母ルース・メイの長男として1947年7月19日に生まれる。
ミドルセックス州ハンプトン出身。
小さいころから、ラジオから流れる音楽に非常に興味を持ち、
そして、音楽好きな父の影響でウクレレを弾きはじめ 7才の時に両親からアコースティック・ギターを買ってもらう。
ブライアンは、父の手を借りこのギターに自作のピックアップを取り付け、
ラジオにつなげ、エレクトリック風のサウンドが出せるようにし、
ギターの練習に励んだ。
ブライアンはハンワース・ロード小学校在学中の11才の時ロンドン有数の名門校、
ハンプトン・グラマー・スクールへの奨学金を受けて進学し、
学業の傍ら、ギターの練習も続けたが、 しだいに自分のプレイをきちんと表現できるエレクトリック・ギターが欲しくなってきていた。
そして、経済的な理由から、自分でギターを作る事を思いついた。
父の手伝いもあり、完成までに2年かかったが、ブライアンはこのギターに非常に満足した。
(後になり、レッド・スペシャルと呼ばれる事になる伝説のハンドメイド・ギターである)
そして、ハンプトン・グラマー・スクールに在学中、最初のグループ "1984"を結成した。
"1984"は学業の合間をぬって、小さなギグを続けていったが、
1965年、ブライアンが天文学の勉強を続ける為インペリアル・カレッジに、
又、ヴォーカリストのティム・スタッフェルがグラフィック・デザインの勉強の為イーリング・アート・カレッジに進学する為、バンドは解散した。
しかし、二人の交際はグループ解散後も続き、新しいバンドを結成しようと考え、
インペリアル・カレッジの掲示板に「求む、ミッチ・ミッチェル、ジンジャー・ベイカー・タイプのドラマー。 当方、新バンド」と貼り出した。
そしてそこに現れたのが、当時歯科医大の学生だったロジャー・テイラーだった。
3人ともジミ・ヘンドリックスが大好き、ということで意気投合した。
そして結成された新しいバンドの名前は"スマイル"。
"スマイル"はインペリアル・カレッジやロジャーの地元コーンウオール周辺で数えきれない程ギグをこなし、カレッジ・バンドとして知られていった。
又、そのころティムはイーリング・アート・カレッジの新しい友人、
フレディ・マーキュリーを皆に紹介した。
"スマイル"時代には、マーキュリー・レコードとレコード契約もはたし、
シングル盤(A面『EARTH』 B面『STEP ON ME』)も発表しているが、
成功には至らなかった。
1970年、ティムが脱退したことにより、"スマイル"は解散した。
そして、そのころ自分のバンド"アイベックス"が解散していたフレディが、
ブライアン、ロジャーと共にクイーンを結成することになる。
1973年、クイーンが正式にデビューしても、成功をおさめるまでしばらく
ブライアンはインペリアル・カレッジの大学院で天文学の学位を修得する研究論文を書きながら、教師をしたりしていた。
初期クイーンのハード・ロック的部分の屋台骨を支えていたのはブライアンであり、
ハードなナンバー『炎のロックン・ロール』、『ナウ・アイム・ヒア(誘惑のロックン・ロール)』等は、彼の作品である。
また、初期クイーンのアルバムにはNO SYNTHESIZERSとクレジットされていたのにもかかわらず、一部の評論家、ファン等からシンセサイザーと間違えられるような、
独自のトーン、ハーモナイズされたギターを弾きだしている。
1974年に発表された『キラー・クイーン』のオーケストラル・ギターでは、
彼自身も「完成した曲のプレイ・バックを聞いてぞくっとした。」というほどの見事なハーモニー・アレンジが完成されている。
また、アルバム「クイーン II」以降「ザ・ゲーム」までは、各アルバム中、1~2曲はボーカルも担当しており、独特の甘い歌声のファンも多い。
その後の楽曲、『タイ・ユア・マザー・ダウン』、『ウィ・ウィル・ロック・ユー』、『ファット・ボトムド・ガールズ』、『ハマー・トゥ・フォール』等、
ハードなナンバーにはブライアン作が多いが、一方で、 『手をとりあって』、『セイヴ・ミー』、『スウィート・シスター』、『リヴ・フォーエヴァー』等、
メロディアスな作品も数多い。
フレディ・マーキュリーの死後、クイーンの活動停止を余儀無くされたブライアンだが、
その後、2枚のソロ・アルバム、ソロ・バンド名義のライブ・アルバム、フランス映画「フーリア」のサウンド・トラックの発表を続け、また、数多くのセッションにも参加している。




ブライアン・メイ使用機材

自作ギター "レッド・スペシャル"

「フェンダーやギブソンを買うお金がなかったから」という理由で、
父との共同作業により、約2年の時間をかけて作った、
まさにオール・ハンド・メイドのギターである。
ブライアンはクイーンのアルバムの「98%はあのハンド・メイド・ギターを使ってる」というほど気に入っており、ソロ・アルバムやセッションでもいくつかの例外を除き、このギターを使っている。
この"レッド・スペシャル"が百年以上前の暖炉の木から作られたのは有名な話。
その他、トレモロ・ユニットのバランスを取る為には、パンサーのバイクに使われていたバルブのスプリング、アーム・バーには編み物棒を使い、
そしてポジション・マークには母からねだってもらった真珠のボタンを使用している。  
唯一ピックアップだけをバーンズから1個3.15ポンドで3つ購入したが、
これもブライアン自身がワイヤーを4000回巻き直し、
アラルダイトの接着剤でハウリング防止の処理をしている。
ピックアップ・セッティングも、各ピックアップのON,OFFと各ピックアップの位相(フェイズ)を切り換えるスイッチが3つづつ付いている。
このON,OFFスイッチとフェイズ・スイッチの設定により、
市販のギターでは得られない、13通りのサウンドを選ぶ事ができる。
ブライアンは
「他にギターを持っていなかったので、普通のギターのピックアップがどういう状態で接続されているかわからなかった。自分でいろいろ試してみて、自分の好きなサウンドが得られるよう接続した結果 、このスイッチ設定を思いついた」と語っている。
その他、中音階のレンジを共鳴させることにより、フィードバック効果を強化するアコースティック・ポケット(セミホロー構造)や、
トレモロ・アームを使った時の摩擦とテンションを少なくするローラーサドル等を設計し、この"レッド・スペシャル"に組み込んでいる。

VOX AC-30

30cmスピーカーを2つマウントした、ビルトインタイプの真空管アンプ。
1960年代中期には、ザ・ビートルズ、ザ・ヤードバーズ等ほとんどのブリティッシュ・ミュージシャンが使っていたが、
その後、マーシャル等の大型スタック・アンプの台頭により、あまり見られる事の少なくなったアンプである。
しかし、ブライアンはクイーンのデビュー前から現在に至るまで愛用している。
「AC-30には、定評のあるブースト・チャンネル(ブリリアント・チャンネルの事か?)があるんだけれど、ちょっとノイジーなので僕は使わない。ノーマル・チャンネルをフルアップにして、細かいコントロールはギター側で行うんだ。」との事。  
ブライアンは後述のトレブル・ブースターをAC-30に接続する事により、
サスティン豊かなディスト-ション・サウンドから、
全く歪みのないクリーンなサウンドまで、ギターのボリューム一つで自在に操っている。

ディーキー・アンプ (DEAKY AMP)

クイーンのメンバー、ジョン・ディーコンが作った小型のトランジスター製のアンプ。
その為、ジョンの愛称(DEAKY)から"ディーキー・アンプ"と呼ばれている。
「僕のギター("レッド・スペシャル")やトレブル・ブースターと一緒で、
廃物利用の産物みたいなジョンのハンド・メイドなんだ。
インプット・ジャックがアンプの真裏にあるっていう変テコなアンプで、
ちょっと一般のアンプでは得られない、独特のストリングス系やトランペットのようなブラス系の音も弾きだせる。」との事で、
『フェアリー・フェラ-の神技』(「クイーン II」収録)から『ウインターズ・テイル』 (「メイド・イン・ヘヴン」収録) まで、トランペットやトロンボーンのように聞こえるサウンドもすべて、"ディーキー・アンプ"を使ったものだとか。
ブライアンいわく「まさに魔法のアンプだよ!」

トレブル・ブースター

ブライアンは、トレブル・ブースターの使用について、「AC-30をフルボリュームにした状態よりも、さらにオーバードライブさせて、ディスト-ションとサスティンを増すのに最高の手助け」と語っている。
AC-30の歪みだけでは不明瞭になりがちな低音の粒だちをシャープな輪郭のはっきりしたサウンドにする事に加え、
ゲインをアップすることで容易にフィードバックを得られるようになっている。
最初の物は自作(「トランジスタが1個とベースを適当にカットするコンデンサーとトレブルを巧く抑えるワイアリングをして、そんなものを自分で詰め込んでみた物」との事)であったが、
'75年以降はピート・コニッシュ氏(イギリスの有名なエフェクタ-関連のエンジニア)製のものを使用し、
現在はオーストラリアのギタービルダ-、フライヤー氏("レッド・スペシャル"のレプリカ3本を作り、本物の"レッド・スペシャル"のリペアも担当した。)の物を使用している。




ギタリストとしての ブライアン・メイ

●ギター・オーケストレーション

まずは、彼のもっとも得意とする(『プロセッション』、『キラー・クイーン』、『ボヘミアン・ラプソディ』、『グッド・カンパニー』、『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』その他多数で聴かれる)ギター・オーケストレーションだが、
彼自身、「最初は、ジェフ・ベックの『ハイ・ホー・シルバー・ライニング』を聞いて、影響を受けた」 「僕の持論では、各パートが主張を持ってそれぞれが相互に作用しないとだめ。ギター・ラインをただ並行させるとつまらないものになってしまうが、この二つのラインが触れあったり、離れたりするようにするとテンションが生まれ百万倍よくなる」と語っている。

●サウンド・オン・サウンド

『ブライトン・ロック』等で聞かれる、一人二重奏法であるが(のちに、一人三重奏にまで、発展させている)、
これは、ディレイ・マシーンを使って、一度弾いたフレーズが遅れてリピートされるのを利用して、自分の演奏に伴奏または、ハーモニーを付けたりしているのだ。
普通、一台のアンプで上記の様な演奏をすると、両方の音がまざってしまい、
汚い音になってしまうが、ブライアンは、ギターからのダイレクト・シグナル用のアンプと、ディレイ音のアンプを別々にすることで、クリアなリピート音を再現している。
今でこそ当たり前になっている、ダイレクト音とエフェクト音を別のアンプでアウトプットする方法を、ブライアンはクイーンのデビュー当時から採用しているのだ。
(その為に、ステージではVOX AC-30を9台も並べている。
これは、ドライ音とディレイ音1、ディレイ音2という風にアウトプットを別にし、
AC-30を3つのブロックに分けているためであり、AC-30の出力不足を補う為ではない。
通常使用しているのは、真ん中の1台だけである。残りの2ブロック×3台は、「ステージ上で乗りまくりたくなった時に使う」のだそう。)

●その他

◆ライト・ハンド奏法

エドワード・ヴァン・へイレンの衝撃的なデビューで、今や当たり前のテクニックになっているライト・ハンド奏法だが(フィンガリングに左手だけでなく、右手も使う奏法)、ブライアンは、アルバム「世界に捧ぐ」(1977年発表)の中の楽曲『イッツ・レイト』でエディより早く(ヴァン・へイレンのデビューは1978年)ライト・ハンド奏法を披露している。
『イッツ・レイト』では、俗に言う「タッチ」というライト・ハンド奏法のみであったが、それ以降も3連トリルなどの複雑なライト・ハンドにも取り組んでいる。

◆ピッキング

ブライアンは一般のギタリストのように普通のピックを使わず、
現在流通していないオールド6ペンス硬貨をピック代わりに使っている。
これは、「とても幅広いサウンドがだせる。ハードにプレイする時は弦に擦りつけるようにする。そうするとコインの回りのギザギザがガリガリと擦る事になって、鋭い音がだせる。そして、とにかく硬くて弦をヒットした時に曲がる事がないので、手の動きを完全に弦に伝えられる」からであるとのこと。
また、やわらかいサウンドをだす時には、右手人さし指で指板の上から弦をやさしく弾くようにピッキングして音色を巧みに切り替えている。




ブライアンのセッション

1975年
Eddie Howell
フレディ・マーキュリーとマイク・ストーンのプロデュースによる、
エディ・ハウエルのデビュー曲『マンハッタン・ドリーム(Man From Manhattan)』に、ギター、及びコーラスにて参加。
ブライアンのオーケストラル・ギター、コーラス・ワークはもろに初期クイーン。

1976年
Ian Hunter
アルバム「流浪者(All American Alien Boy)」収録の楽曲『傷心のハイウェイ(You Nearly Did Me In)』に
フレディ、ロジャーと共にバック・コーラスで参加している。

1984年
Billy Squier
BILLY SQUIERのアルバム「サインズ・オブ・ライフ」の『(アナザー)1984』に参加。
一聴して彼だとわかる、独特の音色でハーモナイズ・ギターをプレイしている。

1986年
本田美奈子
本田美奈子(当時はアイドル歌手だった)へ楽曲、『クレイジー・ナイツ』の提供。
作詞、作曲、プロデュース、また、コーラスにも参加(ただし日本語版の歌詞は秋元康)。当然、ギターも演奏している。
『カインド・オブ・マジック』でも聞かれる、オーバー・ダビングによる、
2つのギターが追いかけっこしている様な彼独特のギター・スタイルを披露。
また、日本ではB面だった『ゴールデン・デイズ』というバラード曲も提供しているが、イギリスではこちらがA面としてリリースされている(いずれもブライアン作詞の英語バージョンである)。

1987年
Bad News
イギリスのパロディ・バンド BAD NEWSのデビューアルバムをプロデュース。
バック・コーラスにジョン・ディーコンを加え、『ボヘミアン・ラプソディ』をシングルで発表。

The Cross
ロジャー・テイラーが結成したソロ・プロジェクト THE CROSS のファースト・アルバム「夢の大陸横断」の中の楽曲、 『ラヴ・ライズ・ブリーディング』にて、
ワウを強烈にきかせたギター・ソロを披露している。
クレジットはされていないが、独特の節回しはやはり彼独自の物。

1988年
PRINCE'S TRUST ROCK CONCERT 1988 
ジョンと共にゲスト参加。ミッジ・ユーロズ・オールスター・バンドのギタリストとして、ピーター・ガブリエル、リック・アストレー、フィル・コリンズらと共演。
フィル・コリンズの歌う『恋はあせらず』では、ブライアンを含め、オールスター・バンド全員で、有名なプロモーション・ビデオさながらにサングラスを着用している。
ジョー・コッカーの『あの娘のレター』では素晴らしいギター・ソロを披露し、
トリの、やはりジョー・コッカーが歌う、『ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』では、念願のエリック・クラプトンとの共演も果たしている。

Anita Dobson
ブライアンの作詞、作曲、プロデュース、またギターでも参加。
タイトル曲『Talking Of Love』は、ブライアンには珍しく、打ち込み主体の楽曲だが、
オーケストラル・ギターは健在。
ちなみにアニタは現ブライアン夫人で、このデビュー曲の後、何作かを提供/プロデュースしてゆく。

1989年
Rock Aid Armenia
アルメニア地震救済の為のチャリティ・シングル『Smoke On The Water '90」に、ロジャーと共に参加。
リッチー・ブラックモア、デイブ・ギルモア、トニー・アイオミら、
そうそうたるギタリスト達と共演しているなかでも、ブライアンのギターはその音色とフレージングで目立ちまくっている。

Belinda Gillett and Ian Meeson
英国骨髄バンク推進連合設立へのチャリティとして、クイーンのアルバム、「カインド・オブ・マジック」に収録されていた自作、『リヴ・フォーエヴァー』を、
一般公募された2人の子供をボーカルにし、リメイク。プロデュースも担当。
ロジャーとジョンもパーカッションとベースで参加している。

1990年
ロンドン・キャストの舞台、「マクベス」の音楽プロデュースを担当。

1991年
スペインで開かれる EXPO '92 のイベントとして予定されていたギター・フェスティバル(GUITAR LEGEND) の中のROCK NIGHTの音楽監督を依頼され、
ドラムスのコージー・パウエル、ベースのニール・マーレイをはじめとしたバック・バンドの編成、客演するギタリスト(スティーヴ・ヴァイ、ジョー・サトリアーニなど)の選出までした。
当日は、自分の曲の演奏はもちろん、各ギタリストのジャム・セッションへの参加もしている。

1992年
Cozy Powell
コ-ジーの4作目のソロ・アルバム「ザ・ドラムス・アー・バック」の中の、『ライド・トゥ・ウィン』、『サムホエア・イン・タイム』というインストゥルメンタル曲に参加。
後者にはジョン・ディーコンも参加している。
両曲とも、のちにブライアンの作詞によるボーカルが加えられ、
タイトルも『華麗なる復活』『ブルーな気持ち』と改題され、
ブライアンのソロ・アルバム「バック・トゥ・ザ・ライト」 に収められた。

以上、主だったセッション参加等であるが、その他、現在に至るまで、数えきれないほどのセッションに参加している。


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