曹操閣下の食卓

戦略学講義☆





 日本では「策を弄する」と言う文句の通り、一般には個々人の行動原理や公的な政策論争を含め、戦略的な発想法を印象の悪いものと決めつけたり、合理的な思考方法を回避して、きちんとした理論をふまえた説明もしないのが当然だとする習慣がある。

 すべてのことが「好き・嫌い」という感性上の判断で生活上のことを決めていたら、おそらくその人は自分自身を向上させる勉強の喜びとか、何かに全身全霊をかけて打ち込む情熱とか、周囲の人々を納得させるような成功はほとんど得られないであろう。
自分を向上させたいと思ったら、やっぱり将来は役に立つ知識や技能を身に付けたいと思うであろう。

 ところが現在、非常に有望で役に立つと思われている知識や技術は、将来には全く役に立たないかもしれない。
 そこで心も知れない他から言われて、「将来の世の中はこうなる」と勝手に信じ込んで安心したり、「日本はダメだ」と失望しているよりも、「本当にそうだろうか」と疑問を持ち続け、世の中の情報に敏感になっていく。そこに本当に人間としての向学心の第一歩があると思う。

 まず自分のために役立つ知識を求め、それが世の中にも将来は役に立つと確信しうる選択にこそ、猛烈な知識欲と向上の志が生まれてくるはずだからである。
 すでに気づいているだろうが、《戦略・ストラテジー》というものは、良かれ悪しかれ、自立した個人の自律的な将来を展望した時、自然に生まれてくる思考方法である。
 しかし、それと気づいて、きちんと専門の方法を学ぶ場合と、ぼんやりとして行き当たりばったりの判断をしていく場合と、どちらが望んだ通りのゴールにたどりつける可能性が高いだろうか。
 あなたが浜辺で貝ガラを拾う子供であったとしよう。きれいな貝ガラを探そうと思っていても、どれがいいのか迷っているうちに、浜辺の高波が貝ガラをどんどん押し流してしまう。そこでふと立ち止まって、「きれいな貝ガラとは何か」を自問自答してみる。すると、自分の宝として貝ガラを集めるならピンク色の小さな貝を集めよう、お父さんには白い大きな貝、お母さんには紫色の貝ガラがいいかな。そう目的がハッキリと定まると、「ここにもあった」とチャンスを見つける可能性は大きくなるのではないか。

 そして、こうした明確なモデルがあれば、「こういう貝ガラがあったら教えてね」と、周囲の人々にも頼んで探してもらうことができるではないか。
 そして相手に伝わったモデルの印象と記憶が明確に一致していればいるほど、他の人に頼んで良い結果が得られる確率が高まることが想定できるであろう。

 どうすれば、目的を達成し、成功の確率を高めることができるか。これは戦略法の一部で「作戦展開を考える」という初歩的な段階であるけれども、要は合理的な頭の使い方だと簡単に理解してほしい。

「人にものを頼んで確実に目的を達成する」というのが、経営組織のリーダーシップの原則であることを再認識すれば、こうした一つ一つの心の改善の積み重ねが組織経営の修行になることに思いあたる。
 そして小さな子供が「お父さんにふさわしいもの」や「お母さんが好きそうなもの」を思いやって心を砕くような姿にこそ、マーケティングの原点があったりするのである。

 私は字面だけで、海外の新知識だとか、何も現場で検証していない情報を切り売りするような学問のあり方には反対する。

このページを開く貴方・貴女たちが、本当の実感をもって、「戦略法は役に立つ」という内容に仕上げたいと思っています。



ban_kanzaki

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