POOhさん日記

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きずかなかった幸せ


小さい時から気の強い性格だったようで、兄が近所の子にいじめられて泣いて帰ってきたら、仕返しをしてくる!と言って、自分より年上の子に向かって行ったと、よく、亡くなった祖父に聞かされていました。兄ちゃんと性格が反対やったらいいのに・・・と、よく、言われました。それだけでなく、兄ちゃんは色白で可愛いのに・・・・なんても、よく、言われました。それほど、おてんばで勝気な女の子だったみたいです。

特に何事もなく、小学生、中学生と大きくなり高校に入学したころ、原因不明の発熱が続き、若年性関節リュウマチの疑いで地元の病院、京都大学付属病院、大阪第2日赤病院と、転々として高校は中退することになっってしまった。
その間、私の事を心配して通ったり泊まったりしてくれた母の病気がわかり、年末だったこともあり急遽、母と一緒に地元の病院に戻ったが、それから、3ヶ月後、母は他界した。
父が自衛官、定年退職の年でした。当時、50才で定年。いまから、思うとまだまだ若い年。

私がしばらく、父の食事の支度や身の回りのことをしながら、生活をしていた。

兄の中学生の時からの同級生で親友のような存在だった男性と縁があり、私は結婚しました。
21才。父にしたら、まだ、若いと思ったに違いないが、家から自動車で15分のところに住むということと、父もよく知っている人というので、ある意味、安心して嫁入り支度をしてくれたと思う。その頃には、父も再婚し新しい生活を始めた。母が亡くなって、4年目のことだった。

私も、優しい旦那さまと幸せな生活を築いていた。長男が産まれ、次男が産まれ、三男が産まれ、あわただしいけど幸せな時期だったんだなあと、今になって思う。


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