宇宙の光、炎、そして愛

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大浦のマリア

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大浦天主堂のマリア様

H21年11月長崎の大浦天主堂とグラバー園に向かう事になりました。

TAKESHIは中学生のころ長崎に住んでいたので、おおよその街並みはわかりますが、やはり30年以上たつと街の雰囲気も変わるものですね。

最初に向かったのは、もちろん浦上天主堂、マリア様のもとに直行です。

狭い階段を上っていくと、見上げるようにマリア様が立っていらっしゃいます。

少し憂いを含んだ表情で私たちをやさしく迎えてくれます。

実はこのマリア様、非常に意味深いマリア様なのです。

それは、皆さんもご存じのように、日本は江戸時代になると鎖国政策の一環として、キリスト教弾圧しました。

この長崎というのは、天草四郎でも知られるように、とてもキリスト教の信仰が盛んであった場所でした。

そのために、多くのキリスト教徒(日本人)が、改宗を迫られ、踏絵や虐待などの宗教的弾圧を受けたのです。

もちろん改宗をかたくなに拒み、命を落とす人達もいました。

しかしやがてキリスト教徒は影をひそめ地下にもぐることになりました。

キリスト教は仏教に形をかくし、マリア様も観音様の姿に似せて作られ、「マリア観音」という独特の像を生み出しました。

しかしキリスト教徒たちは、江戸時代の間、ずーと息をひそめて生き続けたのです。

長崎が開国の為に出島を作り、出島に出入りする外国人達の為に、フランス寺とよばれた大浦天主堂が出来るまでは・・。

大浦天主堂は現存する日本最古のキリスト教会です。

ここに外国から神父さんがやってきて、祈りをささげていると、地元の農民たちがやってきて、自分たちはキリスト教信者であることを告げたのでした。

実に250年の間、7世代にわたって、イエスとマリアに対する深い信仰は、まるで嵐を耐え忍ぶ1輪の花のごとく、長崎の農民の心の中で生き続けてきたのです。

このことは、キリスト教世界にとっても、「信徒発見」という奇跡の物語として、扱われています。

大浦天主堂の横にある展示館には、その当時の様子を偲ぶ文書や宗教的な道具なども展示してあります。

中でも、傷ついたマリア観音の像にはその崇高さとともに、傷つき倒れた多くの信者たちの魂をいとおしみ、涙を流すマリア様の表情が伺えます。

私のもとに、初めてマリア様が現れてから4年以上の歳月が経ちました。

私はもともと長崎で育っていますので、勿論大浦天主堂や浦上天主堂にも参拝させていただいておりますが、このときはじめて、本当のマリア様に出会ったような気がします。

そして大浦天主堂でイエスを抱くマリア様の像と向かい合って静かな時間を過ごさせていただきました。

おそらくH22年から始まる、マリア様、観音様の新しい祈りを作るために必要な時間だったのでしょうね


次回はこの時のマリア様のメッセージをお送りします


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