1960年代には、
邦楽は洋楽に比べて音楽的に劣る という認識が一般的だった。
その原因として、当時の専属作曲家制度というものがある。すなわちこの時代にレコードを出すためには
レコード会社の専属作曲家にならなければならなかった。自由にく曲を作って発売するといった
今日では当然の自由が認められていなかったのである。
自由競争のない世界では必然的にレベルは低下し、質の高い音楽を求めるものは
洋楽へと流れていくことになる。しかし多くの人は歌詞がわからない。
TVでは洋楽のカバーを日本語の歌詞で日本人に歌わせた。
これが ザ ヒットパレード という番組なのだが、このテーマ曲はどう聞いても
ヒッパレ ヒッパレ としか聞こえない。(いま日テレでやってる 夜もヒッパレ はこれをパロっている)
こうした状況に風穴をあけたのが GS すなわち グループサウンズ であった。
もちろんブームに便乗しただけのものもあったが、今聞いても音楽的な古さを感じさせないものが
たくさんあるから当時としては革命的な音楽だったに違いない。というか
現在のJ-POPの源流が作られたといってもいいだろう
タイガースの沢田研二やスパイダースの堺正章などがその後長く芸能界で活躍したことや
なんらかの形でGSにかかわってきたひとたちが70年代、80年代のJ-POPの主役であったことを
考えると、日本の音楽文化の土台が築かれていった時代であったともいえる。
(タイガースの 花の首飾り の作曲者はドラクエでおなじみの すぎやまこういち である)
GSと並んで60年代後半の大きな流れとして、西と東でおきたフォークブームも無視できない
東では歌謡曲に近いサウンドで多くの人にアピールしたカレッジフォークがあり
西では政治的な主張を盛り込んだアングラフォークがあった。
カレッジフォークは電波に乗りメジャーなレコード会社から発売されたのに対し
アングラフォークはアングラレーベルと呼ばれるマイナーなところから発売された
(今のインディーズに似ているがもっと認知度は低かった)
ところが このアングラレコードから日本初のミリオンセラーが誕生するのである。
オリコンチャートにおけるミリオンセラー第1号で68年の年間売上第2位。メンバーは
加藤和彦、北山修、はしだのりひこ の男性3人
上にもかいたけど、すぎやまこういち の作曲で
GSの代表的ヒット曲、68年の年間第6位
今聞いても このころのGSの曲は当時 歌謡曲 といわれていたものにくらべて時代を先取りしていた
もちろんつまらない曲も山ほどあったけれど 現在まで歌い継がれている曲は多く ぜひとも今の若いアーティストにカバーして欲しい
そういう意味で 以前 ガレージ という番組でやっていた企画や 市井&中澤の FORKSONGS 陽水の UNITED
COVER など
60年代や70年代の名曲を現在の20代 30代の人に聞いてもらういいきっかけになると思う
GSのヒット曲としては、他に
をはじめ10曲が50位以内にある。50位以内にはないが
は最近 THE GARAGE によるカバーが出た
歌謡曲よりのPOPSとしては
がミリオンセラーで年間第3位
じゃこの年の年間第1位は?なんと66年3月24日発売の・・・・・・
星影のワルツ(千昌夫)
このころは1年以上もかかってチャートを上がっていくことも珍しくなかった
ひいきのアーティストがチャートを上がって行く楽しみを味わったことのあるものにとっては
初登場が最高位で、あとは落ちて行くだけ っていう最近のチャートの動きは淋しいものがある
この年はGSブームも下火になって 演歌・歌謡曲勢の巻き返しが目立つ
のようにムード歌謡に近いものが多くなる。
洋楽が案外好調で j-POPは一休み といった年だった
しかし この年 後の 井上陽水 が アンドレカンドレ という名で
カンドレマンドレ
という曲を CBSソニー から出すが 売れなかった
ほかにも 60年代末期には チャートにこそ登場しないが
岡林信康 高石ともや 高田渡 加川良
など
アングラフォークとよばれる人たちがJ-POPの源流をつくっていたし ラジオの深夜放送が若者の音楽文化を支えていた
そんな中で
五つの赤い風船
とか
赤い鳥
などは一般層にも浸透し やがて70年代前半のフォークブームへつながる