水子供養。



手のひらにおさまりそうなちっちゃなお地蔵さんを買って、
奉って、手を合わせた。
そのちっちゃなお地蔵さんさえかわいくて、持って帰りたかった。
あの命が存在したことを、何か、形のあるもので、目に見えるもので、
手元に置いて、いつでも確認したかったから。

これで、へこむのは終わりにしようと思った。
お寺には、人がたくさんいて、ちっちゃな子どももいっぱいいて、
もしかしたら、あんなふうに存在してたんだと思うと、
切なくて、歩いてて、泣きそうだったけど、必死でこらえた。
あたしは泣ける立場じゃないでしょ?!
生きる義務があるの、って自分に言い聞かせた。


中絶してから、2週間ずっと、あたしは彼に当たり散らしていた。
困らせた。苦しめた。責めた。
必要以上に。

あたしが求める、困らせたり苦しめたりする無理難題に
応える彼の姿を見て、
あたしは自分の存在を確認していた。
それだけが自分の存在を確認する唯一の方法だと思っていたから。

でも、彼と子どものことを話してる時に、
彼の口から「俺の子ども・・・」っていうフレーズがこぼれて、
心のつっかえが取れた。
もう、いいや、苦しめるのは。
この人は充分過ぎるほどに、きっと解ってる。ごめんね。
そういう自分の確認の仕方は、もう終わりにしようって思った。

あたしの頭の中は、
子どもことを考えていいのか、
今、しばらくは考えないようにしたらいいのか、
とても迷っている。

こんなふうに、胸を締め付けられるような痛みは、
ずっと忘れないだろうし、忘れたくないけど、
それにすがらず、しがみつかず、
生きる義務があるから、ちゃんと生きていかなくちゃ、と思う。

文字で記すように、心の中は簡単にはいかないけど。
でも、心が感じるままに、心の声ばかり聞いて、
生きていたら、きっと前に進めない。
だから、たまには心の声をなおざりにして、
状況から変えていくことも必要。

状況と時間が、自分を助けて、創ってくれると信じて、
ちょっとだけ、動いてみようと思う。


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