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脳の内部には身体の空間的な位置を監視する領域が備わってます。方向定位連合野といって、右耳の上、少し後ろ側にある右の側頭葉と頭頂葉、後頭葉の境目のあたりにあります。その機能は“私は世界の中のここにある”、言い換えれば、“世界との境目は自分の皮膚である”というような感覚を担っています。ここに磁気刺激を与えることで機能を落とすことができるんです。そうすると、なんと脳は瞑想しているときの状態に近づきます。自分と世界との境界がなくなり、宇宙の一部なんだと感じるんです。方向定位連合野の働きによって便宜的に自分と他者の境目を作ることで、私たちは有限の時間を効率よく生きるために最適化されています。これが停止すると、前に書いたジルボルトテイラーさんの様な状態がおこってくるのです。
2025.02.25
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真名井御前は、如意輪法を修したとありましたので、今に残る如意輪法を読んでみました。中院流三十三尊法如意輪観音と一体となる行法と思います。真名井御前が神呪寺の如意輪観音としてあらわされたのも、彼女が如意輪観音であるからその様な像が残されたのだと思います。これは、仏をその身に降ろしていく、巫女の能力と共通するところがあり真名井御前自体、丹後の伊勢神宮外宮の豊受大御神の出身の神社の一族ですからその能力を幼少から有した能力者ではないかと思います。理趣経の最後にある 明妃と金剛薩埵の関係、真名井御前(天皇の妃)と淳和天皇の関係が重なります。観音を調べていくと、白衣観音は明妃であるとの記述があります。この真名井御前の夫であった淳和天皇も、権力から距離を取ろうと臣籍降下を申し出たとの記述もあることから、権力欲は少なくそれが逆に天皇の位が転がり込んだようにも見えます。それは弘法大師への強い傾倒がみえられ逆に仏教への信仰につながったように見えます。
2025.02.24
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お釈迦様が亡くなられた100年後、戒律の解釈で大きく二つに分裂したのですがこの問題は、亡くなられる直前に弟子のアーナンダに告げました。「私の死後、数多い私の定めた戒律の中で、お前たちがもし望むなら小小戒は廃止してよい」そう言って亡くなられたのですが、そのときアーナンダは「尊師よ、小小戒とはいったいどの戒律のことを指すのですか?」と質問しなかったため、「小小戒とはどの戒であるか」という定義がわからない状態であったのです。これに困って、第一回の結集ではこの戒をそのまま続けて行くという合意で、仏教がはじまったのですが、その100年後にこの問題が起こったのです。この件についてはアーナンダがブッダに尋ねなかった過失として第一回結集の時に、教団の長老たちに厳しく叱責されています。その答えは、もはやお釈迦様に聞くわけにはいかないのです。でもあの人がそこまで考えてなかったのか?と思えるのです。わたしには、もう答えを言っているようにみえてしょうがないのです。おまえ達がという所ではないのでしょうか?わたしにはそう見えてしまうので第一次結集においては、おまえ達が変えないと決めたから、変えなかったでもこう言ってしまうと、ではこれは変えるべきだという事が出ると、第二次結集による根本分裂になってしまいます。時間と共に分裂し、そうならざるを得ない構造をもっています。ある意味、それが発展、変化の余地を持っている様に思えます。あくまでこれは私の考えであります。
2025.02.24
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ジルボルトテイラーさんが述べるこの領域はエクスタシー(快感、恍惚)を伴う幸福感であり神のような喜びと安らぎと静けさがあるとても美しい時間の幅を失い、今というその瞬間を知覚している、それはとても美しい孤独でも無く、さみしくも無く、無限の海の中で歓喜に心を躍らせながら流れる水、大海に漂うものそこには心のおしゃべりは無い瞑想や祈りにおいて、神と一体となった感覚自分を個体としてやめ流体として(宇宙と一つになる)感じる彼女は8年間この領域にいて戻ってきて書き残しています。ここで、彼女は戻った後も、この領域へのアクセスが出来ているそこが何か、どこにあるか、どういう物であるか知っているからです。瞑想を通じて、どうもそれらしい物があることは気がつきました。さらに進めてみるとしかし、この領域へのアクセスの方法がもう一つ考えられます。深いオーガズムです。ヨーガ、後期密教をみてそう思われるのです。
2025.02.19
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1回 精髄が強まり (気力が高まる) 2回 耳、目が冴えて (耳と目が良くなる)3回 身体の病が消え (不調が改善していく)4回 心の平常心がうまれ (五臓の調子がよくなる)5回 血の巡りがよくなり (血と気の流れがよくなる)6回 性器に新しい力が芽生え (腰と背中が強くなる)7回 ふともも、お尻に張りがでて (尻と股の力が増加)8回 全身が健康になり (肌に輝きが出る)9回 寿命が延びる (寿命が延びる)10回 (仙人の道がひらける)クンダリーニ瞑想で会陰から背中に回し、一気に頭まで回転して持ち上げます。数回ですが確かに目がさえてきて、元気さが出てくる様です。(玉房秘訣)より
2025.02.18
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なぜこの書籍の事を書いているかと言うとこのジルボルトテイラーさんは、脳の左半球の脳卒中により大変な事態に陥りおそらく数年前であれば、生き返ることすら不可能であったと思われます。また生き残ったとしても、それを伝えることなど出来ずにそのまま死去しただろうと思えます。しかし彼女は戻ってくることが出来ました。奇跡的にです。しかし、その証言は前に書いていますが、これは瞑想の超高度な状態を表しているのです。そっくりです。強制的に何年も(8年くらい)その状態に居ざるを得なくなったと言えるのだと思います。言語や、比較する能力を失う事、未来、過去の時間を失うこの事は瞑想で言われている事そのものです。言語(ことば)というものを嫌がります。ひかくする事など(いいとかわるいとか)未来の不安過去の後悔など、それに対して今という物しか無いのだと常に言われている事を思い出します。宇宙と一体となったとか、自他の境界が無くなってくる薄れるとかよく出てくる話しです。またそれらの事は、実はこの病気によって作り出された物であり、よみがえるに従って戻ってきたということは、作られた物であることがよくわかるのです。人々の根底にあるものがなんで有るかという事をよく示しているいるとおもえるからです。またこの状態は、人間であればその根底に誰もが持っている物であると教えています。神の国、涅槃、天国、など様々な言葉で書き現れています。これは全ての人の根底にこれがあるのだと教えてくれて居るのです。またこれがあるなら、これに近づく方法も当然あります。其の発現は大なり小なり、全ての人が今このときにも実は発現しているはずです。この領域は、常にあり、あたかも雲に覆われている状態です。これも常に言われている事です。でもこの雲が晴れる姿、一瞬でもそれを観ることが出来るだろうと思えるのです。だれでもです。わたしはそう思っています。このことは、あなたはほんとうは海のようなものであり、それが沸き立つ波を本当の自分と思っている。けどその下にある大きな海が本当のあなたなのです。またこのようにも、あなたは大海にいる魚、そのまわりには多くの水に囲われているのにそれに気がついていないなど、多くの話が残っています。
2025.02.14
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遠く遙か彼方から月が微笑むように過去からつづくはかなさ静にうつしだされて伝えられないもどかしさ抱きしめ空を仰いで祈るよmoonlight 変わらずにいてmoonlight 逢いに行く きみに穏やかな日々と寄り添う幸せ過去と未来が交差するmoonlight 駆けのぼり きっとmoonlight もういちど逢える月の光 道しるべ迷わずに歩いてゆくもしたどりついたなら遠い記憶にさよならmoonlight 変わらずにいてmoonlight 逢いに行く 君にmoonlight 駆けのぼり きっとmoonlight もういちど逢えるmoonlight 変わらずにいてmoonlight 逢いに行く 君にmoonlight(勝木ゆかり)
2025.02.13
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脳科学者のジルボルトテイラーの著書については以前書きましたがその内容です。脳内出血により左脳が停止しはじめると、特徴的な事が現れます。誰もがこれが自分だと思っている脳内のおしゃべりが消えてしまいました。このことは、このおしゃべりは作られた物で、ほとんどの人はこれを自分であると誤解しているのです。これが消えていくと、その根底にあるものが現れてきます。平和な感覚、あたり一面の平穏な幸福感、神の恵みの様な感覚に浸り、心が和んでいきます。宇宙と融合して一つになる感覚、過去の記憶と未来の夢は消え、何も無い文字は認識されず画素を寄せ集めた織物のように見える肉体的な境界を感じることができなくなっています。(方向定位連合野の消失です。)言語も消失していきます。(ブローカ野からウェルニッケ野の言語中枢の消失)肉体の境界がなくなり大きな鯨が静かな幸福感で一杯の海を泳いでいくかのように魂のエネルギーが流れているすばらしい至福の時、意識はさわやかな静寂の流れにあります。わたしの知覚できるものは、今ここにあるもの それはとても美しい広がる虚空にうっとりと魅せられる 生まれて初めて生を謳歌する自分の体と本当に一体となった左脳が作り出す言葉を失い、数字などの計算の技術を失い、そして体を形成する感じすらも失っていきます。時間の感覚もなくなり、あるのは今という瞬間しか焦点をあてることが出来なくなっていきます。しかし、その場所は静けさと開放感と、穏やかで、守られ、祝福され、しあわせでそして全知であるような感覚の虜となったとあります。
2025.02.09
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当麻曼荼羅は中国製であるという傍証の一つとして則天武后の時代、道教から仏教へ国家の信仰が変わっており、その時に素晴らしい仏教芸術が創作されています。その多くはその後の安禄山の戦火などによって多数失われたと言われています。この曼荼羅は則天武后の時代に造られたのではないかと自分は推定しています。則天武后を調べていくと、皇帝となったとき弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』を創り、これを納める「 大雲経寺」を全国の各州に造らせたとあります。弥勒菩薩は、阿弥陀如来、釈迦如来に続く未来に続く如来となる物なので強い関連があり、これに祈ることは、則天武后への祈りにつながる構造になるからです。その細密な製造から宮廷の専用工房で作られ、その周辺に存在していた物ではないかと思われるからです。
2025.02.08
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中国において唯一女性で皇帝となった人物です。非常に長寿で当時(唐の時代7世紀~8世紀)としては81歳で亡くなっています。頭脳明晰で、当時の女性には珍しく決断力に富んだ人物だったといわれています。当時には珍しく高い教育も受け、道教の道士として修行を行っています。また皇帝となったとき仏教への傾倒から、このとき多くの仏教芸術が花開いたことは前も書きました奈良の当麻寺の当麻曼荼羅が作られた時代です。その長寿法については、新しく歯が生えてきたという逸話があるくらいですから相当な事をしていたのだと思います。おそらくそれは採陽補陰ではないかと思われます。この逆のパターンはよくいわれていますが、これを行った事例と思われる例は睡眠が深くできるようなり、睡眠薬などが不要になった肌つやが良くなり、若返ったように言われる化粧ののりがよくなり、髪も増えて来たと言われるエステではフェイシャルする前からできあがってくると言われた前から書いていますが、身体のこの状態から心が作られてきますので様々な面で、精神的にも良い結果が得られる様です。女性は根源的には男性より強く造られていますので、この方法はそれを増強するものでしょう。ただこの方法は相当能力の高い相手が複数必要になります。簡単には出来ないのですが、女性については方法論がわかりました。
2025.02.08
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この身体と心の関係については、有名な言葉があります。色、受、想、行、識というよく書かれている言葉です。わたしはこれを色(身体)→ 痛(反応)→ 想(思い)と捉えました。痛(いたみ)おかしいのではないかと思われますが実は中国の漢字文化圏に初めて、仏教を伝えたのは 安世高と言われています。(西暦148年に後漢の都の洛陽に来場 20年にわたり翻訳を行う)彼が、初めて色、受、想を翻訳したとき、この受を痛と漢字に翻訳したのです。これは安世高の翻訳ミスだと言われているのですが、どうも私にはそうは見えませんでした。(以前書きましたが)この受(vedana)を痛と書くことについては、その他の研究者も誤訳であるとの説明を見つけました。確かにサンスクリット(推定)で書かれた原本を訳すなら、受を痛は間違いなのですけどそう書いたのにはなにか深い意味があるのでは無いかと書いてあります。その記述の中には、この様な事も書いてありました。そしてその様な身体感覚は、安世高が「我」(attana,atman)をほとんど全て「身」で、あらわしている所から窺われるとありました。がまさにこれもそうです。びっくりです。(わたしという自我は身体がつくりだしてるんですよ)
2025.02.04
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前回のリベットの実験から、私の心に先行して脳が動き出しており、それが私を作り出していると書きました。この事は前も話していますが、私の心を作り出しているものがあるという事になります。それは、この自分の身体であると考えています。自分の身体が先で、それが作り出す私(自我)という構造です。とすれば、心をなんとかするには(調心)、この身体(呼吸を含めて)を先になんとかすべきとなります。この構造は、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだと言えると思います。怒るときに、肩を怒らせて怒るとよく言います。肩を怒らせる身体反応が、心に怒りを呼び起こしていると考えています。一つの出来事が起こっても人によって、怒り方が違うのも身体反応の差と考えています。いつも怒っている人は、体が硬くすぐに怒る様になっている物です。それが癖になっているとも言えます。いつもそうでは健康にも良くないでしょう。苦しいことです。そこで出てくるのが、身体操作としての、ヨガなのです。人の色々な想いや感情は、微妙な物です。それが微妙であれば、身体変動も小さい物のはずでほとんど気がつかないはずなのです。それに気がつき、そのこわばりとでも言う反応が無くなるようになれば楽になります。その反応は非常に小さいもののはずです。だから、ヨガにおいて簡単な動作ほど必要のはずで、難しいポーズは出来ればよいでしょうが無理をする必要がないのは、この理由です。そして、ヨガにはこの身体と心の関連性を見る瞑想が、セットになって行かないとマズいことが理解できると思います。つまり、調心、調息、調身の三点はセットにならざるを得ない意味がここにあると思います。これを行なっていくには、常に三点を気をつけている必要があることが理解でいるはずです。コツは、マズイ心が起こる前に、体が微妙に変化していませんか?これを続けて行けば、とても静かな楽な自分が現れて来ると思います。(頭に来ることはありますけれど)
2025.02.03
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運という訳のわからない物についての研究があり、その結果として以下の4つの結論となった。新しいことに常にチャレンジして行う出来事を前向きに捉える心を持つ(チャレンジに失敗しても、それを次への経験として捉えて。次のチャレンジに向かうことができる)まわりの人への感謝を持ち、親切を心がける直感を信じ活用する以上のことは訓練して身につけることができる。そうなれば運を引き寄せる様になるしかし、このことは全て心の問題であることがわかり、また瞑想などがそれを促進する訓練の一つである事がよくわかる。自分を振り返ってみると、これに沿っている様に思える 恐ろしいほど運が良いとおもう。それは新しい一歩を踏み出したことから始まったように思う。
2025.02.02
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この瞑想法について、どのように行うかという資料を見ることができた。その内容は驚く方法であった。やり方は白隠のなん蘇の法とそっくりなのだけど、甘露降浄法と呼ばれ、チベット密教(後期密教)の秘法とされている。その方法は、此処に書ける内容では無いしかし後期密教の特色である性的な力を生命の力に変換するとはどういうことか明確にわかった。この根源の力こそ、次の生命を生み出すとても力強いものを、変換するとは頭上の光輪、なんと力強い
2025.02.01
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