流儀

えっと。家庭教師歴6年くらいです(・_・)<唐突
途中で会社員ブランクがありますがー。
中学と高校の教員免許を持っていたり(・_・)
けれどもなぜか、小学校で非常勤教職員したこともあり(爆)
(普通の人がやらない変なバイト経験が他にも・・・)

でもって、家庭教師してると貧乏です(爆)
なぜなら、私の場合、年間最大で3人くらいの生徒さんしか持たなかったからだったり。
(それじゃ食えないわなー、と思う今日この頃)

「ばか」とか「不登校」とか「進学なんか無理だ」とか、散々なことを言われている子達ばっかりを、
好んで担当するせいだ~とも思わなくもないですが。

本当に「ばか」なんだろうか?
「不登校」の理由をちゃんと把握して解決しようとしてるのか?
進学なんか「無理だ」というけれど、本当に無理なのか?
とか(・_・)

今までの経験上、そういった子達に接して思うのは、みんな「学校」や「先生」、「親」に対して、
不信感いっぱいなわけですね。
面倒なものには関わりたくないのが人情なので、爪弾きに遭遇するんでしょうね。

「教師というものは、授業を円滑にすすめる能力だけがあればいい」
「教師は、勉強だけを教えていればいいものであって、子供の内面に踏み込んではいけない」
なんてことを、平気で言う学校の先生が多いのも事実です(・_・)

でもぉ?
それって「教師」か?と思うわけです(・_・)
教師じゃなくって、 単なる説明係 でしょ(ノ-_-)ノ⌒┻━┻
私が思う「教師」とは、「生徒のために命張れるかどうか」で決まるんではないかと。
そういう点では、私はぜーーーーーーんぜん教師ではありません。冗談じゃないっす。

「授業」といいますが、それが私は嫌いです(・_・)
業なんぞ授けられても嫌ですよ(-_-;;;;
生きていく上で、業なんて満載なんだもん(爆)

家庭教師(他に言いようなのかね)の場合、「指導」というのが一般的です。
私が今までやってきた「指導」では、勉強を教えたことなんてありません(爆)
それは、私が「ばか」だからかもしれませんが(^-^;)
勉強なんて、教えられてやるもんじゃないでしょう、と思うわけ。

「自分はものすごく優秀な教師だ」と錯覚している人の度合いは、
なんか、ものすごく中学校の教員に多いように思われます(・_・)
高校まで行くと、下手すりゃ子供の方が強いですし、
小学校だと、どうしても子供を保護する必要に迫られるので、こうなるのかなぁ、と。
無責任な人ほど「自分は優秀な教師だ」と言っているような気がしなくもない(爆)

こんな無責任な人が多いおかげで、教育産業が成り立つわけですが(-"-;


学校で爪弾きに遭うタイプほど、よく「大人」を見ているなぁ、と感心させられることが多かったり。
だからこそ、不信感が募るし、鋭い指摘もするんではないかと。
ま、「ばかは、ばかって言われると怒る」みたいな(爆)「先生に向かって何て事を言うんだ!」みたいな。
そんなわけで爪弾きヽ(´・`)ノ
学校で学べることなんてのには、限度があって、それがそもそも一生役に立つとは思えません。
本当にしっかりした基礎があれば、応用なんて簡単なわけで、
小学校だけで充分なんじゃないの?なんて思ったり。
後は、本人の向学心次第ってことで。
(でも、今は指導要綱がめっちゃ改訂されて、今では中学までがっつり勉強しないと、
基礎はやばいかも?と思いますが(-_-;;;;)

よく考えるタイプであるからこそ悩むし、「大人」のずるさや間違いにも気付く。
しかも、根が真面目過ぎたりするがゆえに、「あんな大人になりたくない」とか思う、
でもって、やる気をなくし、学業不振になるんじゃーないかと。

なので、爪弾きに遭うタイプの子ほど、「頭いいんじゃないの?」と思っていたり(爆)
自分でまともな判断が出来ずに、すべて鵜呑みにしているタイプより、
よっぽど頭の回転はいいんじゃーないの?と思うわけです。

私の場合「いかにやる気にさせるか」に重点を置いちゃうので(タイプをえり好みしてるから(爆))
大抵の家庭では、「勉強、進んでますか?」と最初は不安がられます(核爆)
「どうして大人はずるいのか」とか、「大人の特権と弊害」なんてのを、最初にどばーっと、
包み隠さずゲロってあげるわけですね(爆)
「ふん。そんなもんか」とわかってしまえば、後はいかにお尻をぺちぺちするかです(笑)
とりあえず(・_・)「進学できない」と言われていた子は、特進コースに入ったし(爆)

学校で先生に「ばか」と言われ、「学校なんて」と言っていた子は、
「サクッと答えてやったら、先生びびってたよー」とか、学校行き始めたし。
「あなたと先生と、どっちがバカか、クラスのみんなに判断してもらったらどうよ?
 話聞いてる限りじゃ、先生の方がおバカだと思うけどー?」
「でも、大人に勝てるわけないじゃん」
「そんなことを人に言う人の、どこが大人よ。判断基準は幼稚園レベルなんじゃん?」
なーどと毒を吐いたら、学校へ行くわ、成績はバンバン上がるわで、
「う、この数学の問題難しいね・・」とか、後で私が困ったり(核爆)←学力ないのね・・・。

中3で小学校からの基礎もままならないような子もいましたが、
「わからん」というので、関連する小学校レベルの問題を解かせ、
できないようなら、きっちり補完し、自力で解けるようになったところで、
「できるじゃん♪」と、誉め殺し(爆)
「わからん」と言った問題を持ってきて、「これね、今解いたやつに毛が生えたやつよ」
といって解かせると、99%できちゃったりなんかします(・_・)


「先生」という職業には学力も重要でしょうが、それ以上に、
観察力とか分析力、雑多な知識が重要なんじゃないだろうかと(・_・)
「せんせー?大仏の頭のボツボツって何個あるのー?」なんて質問されて、
「そんなの自分で調べなさい」というか、「うーん、何個だろうねぇ。調べてみよう!」というか。
言い方一つでかなり違うんだけれども。
その子の好奇心の芽を摘むか、育てるか。

・・・私のように「あ?それ、螺髪って言ってね、108個あんのよ。」とか即答するのもどーかと思いますが(爆)
さすがに目を丸くされてしまったので、「何で108個か調べてみる?」とか聞きましたが(^-^;)
「除夜の鐘と一緒だー!」「それはね煩悩の数なんだよー」「ぼんのうってなにー?」
「ううう、それはね(-_-;;;;」とか、墓穴掘るのが特技だったりしますが(爆)←あほですねぇ

で。タイトルの「流儀」ですが(^-^;)
「こんなおバカでも大人にはなれます」と恥さらして見せちゃうのが、私の教育流儀です(苦笑)
教科書に載っていること、参考書に書いてあること、そんなのは、
誰だって教えられるし、自分で学ぶことだってできる(・_・)
暗記するだけの「勉強」なんて、そりゃーつまらんわ、自分で「考える」から楽しいんじゃん。
と、思っていたり(・_・)
なので、私は「勉強」なんぞ教えません。「学習は楽しいぞ♪」とは教えますが(笑)



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