信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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近代日本の形成とスコットランド


「『近代日本の形成とスコットランド』― 東北学院・宮城学院創立者 押川方義の『東北をして日本に於けるスコットランドたらしめん』をめぐって ―」に、行って来ました。



先週土曜日、ある大学の講義を聴く機会を得ました。
すばらしい講義でした。
スコットランド史と日本の近代を論ずるもの。
私の専門がスコットランド人神学者・フォーサイスなので、
期待して講義に臨んだのですが、
私の期待を遥かに超える講義が展開されました。

英文学を専門とされる先生のご講義らしく、
ヒューモアに富んだ語り口は、本当に洗練されていました。
その洗練された語りにおいて、
スコットランドとイングランドの歴史が語られ、
そしてスコットランドと明治期日本の繋がりが語られた。

スコットランドは、イングランドと長い間戦い続けました。
しかし、長い長い闘争は、1707年の合併という形で終結を迎える。
実際には、イングランドによるスコットランドの吸収、という事態となる。
それに納得がいかないスコットランド人は、何度も蜂起しますが、
その度に、イングランドの圧倒的な勝利がもたらされ、
いよいよ、スコットランドはイングランドの属国・属地扱いとなる。

「敗者」となったスコットランドは、しかしながら、死なない。
臥薪嘗胆。100年単位の艱難辛苦に耐え、
19世紀には、イングランドを内側から食い破って行く。

18世紀の産業革命時代、英国の産業革命は、スコットランドに中心を持った。
エジンバラ、グラスゴー、そしてアバディーン。
こうした都市が、産業革命の核となって行った。

そして、遂にはスコットランド人が英国を主導するに至る。

政治においては、スコットランド人の首相が誕生。
思想界においては、スコットランド人の哲学である経験主義が主導し、
スコットランド人の経済学である自由主義が大英帝国を拡大発展させる。

なぜ、そうなったのか。
イングランドのスコットランド統治方法に、秘密があります。

イングランドは、スコットランドの政治と経済を支配した。
でも、
スコットランドの教育と宗教を、自治に任せた。
「スコットランド人」は、
「スコットランド人」として英国内に育成され、
そして、艱難辛苦に耐えた。

「スコットランド」という異質なものを内側に取り込み、
その「異質」なものを存続させたのが、
大英帝国に繁栄をもたらす最大要因となった。

これは、凄いことを気づかせられたと思います。
今、考えていることがあります。

「死」と「生」。
真逆なものがそこに並存することで、
「いのち」は現出する。


ということです。
このことだけで、相当数の文字数を要しそうですから、
また改めて書きます、というか、
「信仰者の夢」の方で、このことは、書きます。

でも、要約すると、こういうことです。

「勝者」が「敗者」を生み出す。
それは避けがたいこと、この世の常、です。
でも、「勝者」と「敗者」が並存することで、
「繁栄」が生まれる。
「勝者」のみでは、程なく行き詰る。

きっと、レコンキスタ後のスペインの盛衰を考えると、
この論件はもっと厚みを増すでしょう。

中世の西欧で「異民族」と共存を余儀なくされたスペインは、
蛮族扱いをされたといいます。
しかし、その多様性故に、軍隊は強化され、人材に傑物が生まれる。
「チェーザレ」という漫画は、その辺りの消息を見事に描いています。

しかし、レコンキスタ終了後、
つまり、イベリア半島から「異民族」であるイスラム教徒を駆逐した後、
スペインの繁栄は終焉を迎え始める。

スペインは、異文化の坩堝でした。
イスラム教徒と共存せざるを得ない地理的条件から、
ユダヤ人も、イベリア半島に安住の地を得た。
キリスト教とイスラム教の抗争の谷間に、
ユダヤ教徒はつかの間の安息を得たのです。

そして、見事な異文化の共存が、
偉大な文化的発展を、イベリア半島にもたらした。
スペインはその文化の上に乗って、国力を増し、
当時の世界最大の国となった。

世界最強の国となったスペインは、
その国力を「レコンキスタ」に向けた。
その強大な力で、多様性を押しつぶし、キリスト教世界の拡大を企画した。

そして、それは「成功」します。見事な程に。

イベリア半島をキリスト教一色に塗りつぶした後、
遠く大西洋を越えて、スペインは南アメリカ大陸に侵出、
徹底的な暴力の行使の結果、広大な大地をキリスト教一色に染める。
見事な、徹底的な、「レコンキスタ」です。

しかしそれは、自国の力の源泉を枯渇させる行為でした。
巨万の富を抱えながら、スペインは没落を始める。
そして、
スコットランドという「他者」を内側に抱え込んだ英国が、
このスペインを破り、世界の覇者としてその後の世界に君臨する。

「敗者」を内に温存させることが、
スペインと英国の「その後」を決めた、
そんな風に見えてきます。

さて。

スコットランドと近代日本を論じたご講義は、
この「敗者」スコットランドの栄光を見た一人の日本人に焦点をあわせます。

押川方義(おしかわまさよし)という人。
1852年1月7日に生まれ、1928年1月10日に没した人物。
東北学院と宮城女学院の創設者。

伊予松山藩出身のこの人は、こう言いました。

>東北をして日本に於けるスコットランドたらしめん

押川さんは、この言葉を、ただ一回、文書に表したのみ、だとのこと。
しかし、「たった一言」が、すごいチカラを持つことがある。
この言葉は、そんな言葉です。

ご講義は、この押川さんの言葉に焦点をあてる。

この言葉が語られた時、
すでに明治政府は、英国を捨ててプロイセンに範を求め、
スコットランド人の「お雇い外国人」を、次々と解雇していた。
そういう趨勢がはっきりした時に、
押川さんは、この言葉を吐いた。

そこには、反骨がある。
「敗者」の力が、ある。

佐幕に立った為に辛酸を舐めた伊予松山藩。
最後まで抵抗し続けたために、その後植民地的扱いを受けた、
奥羽列藩同盟の、「東北地方」。
そして、「敗者」の力を世界に知らしめた、スコットランド。
この三者の打ち鳴らす響きが、
押川さんの「言葉」に凝集している。

大切なのは、
この「敗者」を、「勝者」の枠組みの中に、温存させること。
「敗者」は腐らず、「勝者」は驕らず、
互いを「他者」と見て、嫌いあいながらでも、共にいること。
それだけが、活力の源を確保する途なのでしょう。

学問の世界では、「批判」ということが重要視されます。
私の師匠は、口を酸っぱくして、
「批判こそラブレターだ」と、私に教えてくださいました。

昨日、嬉しい手紙が届きました。
私の論文の抜き刷りを読んでくださった方からの、お手紙でした。

>久しぶりに読書の楽しみを覚えました

と、ものすごい、お褒めの言葉を頂いたのです。

でも、本当に嬉しかったのは、
ご批判の言葉をいただけたことです。
それは、動揺するほどに鋭いものでした。

まったく予想しない点に、致命的な錯誤があることを、
お手紙はご指摘くださった。
これは、本当に嬉しいものでした。

自分の気づかない点に、気づいてくださる方がいるということ。
それは、私の不明を見事に暴き立てるものです。
私は、「錯誤がある」ことにすら、気づかないほど暗愚である。
このことを指摘するご批判に、私は、すばらしい先行きを予感します。

「他者」を確保するということ。
これは、きっと、本当に得がたい事柄なのでしょう。
どうしても、私たちは
「他者」を敬遠してしまう。
「他者」の方も、時に辛辣になり過ぎて、共存する基盤を破壊してしまう。
そんなものです。

学問、というものは、多分、
そういう「他者」が共にいる作法のことをいうのだろうと、
そんな気がしてきます。
それは、たぶん、
先日の「家族」の話に通じる。

「他者」なしには先細りになる、私たちは、
しかし同時に、
「他者」と上手に共存できない、弱さを持つ。
この、自己撞着。
それを解決するための「作法」。
それが、「家族」であり、「学問」である。

但し、問題が一つ。
「家族」と「学問」は、閉鎖空間です。
そこに入場しようとする人に対して、
入り口で、審査が行われる。

血縁や地縁を、「家族」はその入り口で調べます。
教養や学識の有無を、「学問」はその入り口で調べます。

誰であれ、その基準に適っていないと判断された場合は、
「家族」や「学問」の中には入れない。
間違って入っても、排除されてしまう。

誰でも入れる「作法」は、ないものか。

たぶん、それが、「宗教」なのだと思います。
第一級の「宗教」がその真価を発揮したとき、
全ての人のための“「他者」と共にいる作法”が、
アクセス可能の状態で開放される。

でも、それはまた、別の話。
その前に、「信仰者の夢」で、「死の肌触り」ということを、
この後、書きます。


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