信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

「トルコ虐殺事件」解説その3

「トルコ虐殺事件」 の解説( 「その2」 )の、続きです。

 私の大テーマ<十字架の逆説>解明への道筋になるように工夫しながら、フォーサイスの問題点を指摘しています。初期フォーサイスにおいては、「十字架」あるいは「苦しみ」は、「記述する対象」となっている。それは、時に危うい。

    マイナーは記述してはならない。
    マイナーが、記述するのだ。

という警句を、思い出させる、そんな「問題点」です。

 後に、フォーサイスはこの「問題」を乗り越えます。「十字架」“を”ではなくて、「十字架」“から”全てを見るようにななります。

 しかし、その際の「十字架」とは、<十字架の逆説>であって、観念化されている分、別の問題が生じ始めている・・・と議論を進めると、例の論文の大きさになってしまいます。

*********************************
3.フォーサイス神学理解への意義

以上、フォーサイスの説教 「トルコ虐殺事件」 の内容を把握し、その背景を確認した。この説教が持つフォーサイス神学理解への意義とは何か。

(1)「レスター会議」論争の意味

 1877年の「レスター会議」に参加したことを以て、当初フォーサイスは「自由主義」であったとし、それが「回心」して「正統主義」あるいは「新正統主義」的立場へと移行した、と見る立場がある。それは、優れたフォーサイス研究を表したブラッドリー及びブラウン両者に共通する、有力な見立てである。そして、それはその後の多くの研究に引き継がれたフォーサイス理解である。しかし、ブラッドリーとブラウンの二人のフォーサイス理解に対しては、以下のような批判も呈されている。


新正統主義神学への深い共感を示すブラッドリーとブラウンは、
他の資料から獲得してきた自らの立場を固めるために
フォーサイスを利用しようとする傾向が、いささか強すぎる。
二人の著述を読んでも、
フォーサイスがその著『パルナッソス山上のキリスト』で言い表した事柄の
重要性を読み取ることはほとんどできない。
これは重要な点である。
もしフォーサイス博士が今日生きていたら、
彼が古い自由主義の立場から転向して行ったように、
新しい正統主義の立場からきっぱりと転向していくのではないかと、
正直なところ私はそう思っている。

既に述べたとおり、「レスター会議」は「神学的」な論争であったというよりも、むしろ「教会的」な論争であった。即ち、教団の政治的影響力の維持拡大を期する中央集権的機構改革に反対する動きと「レスター会議」とは結びついていたのである。

 我々はここで、「レスター会議」に参加した「初期フォーサイス」が何に反対し、何を主張しようとしたのかを確認する必要がある。

 しかしその前に、本稿が主題として扱っているフォーサイス最初の説教が語られた教会について、確認しておかねばならない。シプリー会衆派教会(あるいは、「サレム会衆派教会 」)は、教会ごと、ヨーク州会衆派教会連盟から除外されていた。しかし、それはフォーサイスの教会が孤立した単立教会であったことを意味していない。1876年11月20日日曜日から始まる一週間、シプリー会衆派教会は教会の設立記念行事を行った。地元の新聞はその様子を以下のように叙述する。


今年の記念礼拝は特別に興味深いものとなった。
この教会の開設を記念する祝典において、
この教会で礼拝を執り行うフォーサイス氏が広く一般に知られる機会となったからだ。
フォーサイス氏が去る6月にシプリーで牧師職に就いて以来、
毎週毎週その雄弁で徹底した福音の説教を聴くべく、
多くの見識豊かな会衆が大勢集まっている。
活況を呈している状況と、集まった会衆の意見を鑑みるに、
フォーサイス氏の働きは極めて成功裏に進んでいると言えるだろう。
(“Shipley Congregational Church,” The Shipley and Saltaire Times , 25 Nov. 1876.)

この記事によると、記念行事として、日曜日(20日)の朝と晩に礼拝が執り行われ、木曜日(24日)には学校を会場に茶会が開かれ、夕方には教会で集会が催された。日曜日朝の礼拝はフォーサイスに按手礼を授けたニュー・カレッヂ学長ニュースが説教をし、夕方はフォーサイスが担当した。木曜日の茶会には200人が参加、夕方の集会には席が足りない程多くの参加者があった。多くの来賓の中にはブラウンをはじめとする多くの著名な人物がいた。

 即ち、フォーサイスは当時、会衆派教会内のあるネットワークの中にいた。ニュー・カレッヂの学長ニュース(Newth, Samuel, 1821-1898.)、シプリー会衆派教会の設立者ピクトン、そして会衆派教会随一のモーリス主義者ブラウンと言った人々は、それぞれ少なからぬ影響力を持った人物であった。こうしたネットワークを、ビンフィールドは「自由主義ネットワーク」と呼ぶ。

 「初期フォーサイス」は孤立していたわけではない。この点は、「初期フォーサイス神学」が何に反対し何を主張したのかを考える時、重要になる。


(2)教会の「神学的」一致の希求

 フォーサイス最初の説教から知られることは、「政治への敏感」と「政治的であることへの距離」ということである。

 フォーサイスは政治的判断に利己主義が持ち込まれたことに厳しい批判を向けている
(訳文 下線 c 教会や宗教の領域に利己主義が持ち込まれること以上に、政治の領域に利己主義が持ち込まれることを、フォーサイスは重大な問題として見ている。フォーサイスは優れて政治に対して敏感であったということである。

 しかし、フォーサイスは「しかし、第一歩目を踏み出す責任は、我々の側にあります。我が国の政府にあるわけではありません。」
(訳文 下線 v と断言している。政治的活動よりもむしろ、各個人の良心的活動を、フォーサイスは信用している。この姿勢から、フォーサイスが「レスター会議」において何に反対したのかを推測する手掛かりを得ることができる。即ち、「神学的」理由による一致を措いてでも「政治的」理由による一致を優先させる当時の連盟に対し、「神学によらない一致」を希求する「レスター会議」があった。そのどちらを採るかという時、フォーサイスは「レスター会議」支持を選択した。それはつまり、フォーサイスが「政治的一致」への否を唱える為の選択であったのではないか――我々はそう考える。

 フォーサイスは「レスター会議」を擁護する文書の中で、次のように述べている。教会は聖餐式において一致するのであって、神学において一致するのではないこと。それにも拘らず、聖餐式の神学的理解の一致がないために一部の人を聖餐から排除する誤りが横行していること 。この過ちを避けるために、教会は一致をもたらす為の「最小限充分」あるいは「より単純でより真実なもの」を見出し、そこに「キリスト教徒の交わり」という「教会」を形成することが必要であること、である 。


(3)「贖罪論」におけるフォーサイス神学の変化

 「教会」の一致の為に、「最小限度」を希求すること。これは、最初の説教の中でも見られる姿勢である。即ち、「キリスト教にとって、第一の、そして根本的な特徴は、自己放棄なのだ」
(訳文 下線 b という主張である。

 最初の説教と同じ年の11月に、フォーサイスにとっての「最低限度の要素」とは、「事実としての受肉と復活」であるとし、この「最低限度の要素」こそ、数え切れないほどに繰り返し説教で語ってきた事柄であると述べている 。

 そして、「レスター会議」を擁護する文書において、フォーサイスは「贖われた世界」という「世界理解」の回復が、教会理解の回復へとつながることを述べている 。

 以上を纏めると、次のように言えるだろう。「自己放棄」と「事実としての受肉と復活」を核とした「贖われた世界」という教会理解――これは、フォーサイスがその最初の説教において取った「立場」にピタリとあてはまる。即ち、「我々は贖われた人類の一員なのです。甦られたキリストの霊の影響下、はるか遠い未来の兄弟達との完成された絆を理解するべく召し出された人類の一員――それこそが、我々なのです」
(訳文 下線 q という言葉に表れた「立場」である。この「立場」を、「初期フォーサイス神学の贖罪論」としておく。

 「初期フォーサイスの贖罪論」については、以下のような表現も与えられている。


人生における終わりのない悲しみが私の前に立ち塞がった時、
これらの思想は私を力づけた。
その光の前に、悲しみはパトスとなり、
「悲しみの無限性」は「悲しみの神性さ」に由来するものとなる。
大いなる悲しみは大いなる犠牲となる。
大いなる運命は大いなる喜びの約束となる。
この大いなる喜びは、断固たる、畏敬すべき、重大な歓喜の勝利である。
人生は戦いの中に置かれている。
しかし問題は既に除かれており、信仰の目には確かな結末が見えているのだ。
苦闘が生命である。
苦しみこそ日々の糧である。
十字架の結末は空虚な墓である。
(“Shipley Congregational Church,” The Shipley and Saltaire Times , 25 Nov. 1876.)

即ち、「初期フォーサイス神学」においては、“「空虚な墓」に帰結する「十字架」”が語られている。苦しみよりも、苦しみの先にある勝利に、焦点が合わされている。言い換えるならば、「十字架」よりもむしろ「復活」が中心となっている。これは、1906年に「十字架の決定性」という明確な表現を与えられる、後のフォーサイスの贖罪理解とは、重心を異にする贖罪論である。苦しみよりも、苦しみが齎す効能に注目を寄せるという、フォーサイス最初の説教の特徴は、この「贖罪論」に由来するものと見てよい。また、苦しみが齎す「我々への効能」に注目する故に、そこに展開されるその神義論は終始英国人の道徳的向上やキリストへの接近という視座から展開することとなる。

 そしてその裏面に、「虐殺事件」を捉えて「人種」の問題としてしまう粗雑さが顔を出すこととなる。

 石島三郎は、フォーサイス神学の限界性について、その「時代性」と「英國性」を挙げている。例えば石島は以下のように述べている。


英国の實際的經驗的な点が、
彼の透徹と徹底とをさまたげてゐる場合がある様に思へてならない。
教會の實際的問題や、社会の問題についての実行態度などに(一例をあげれば)、
そうした所が見られる様に思ふ。
(石島三郎「フォーサイスの研究について」『フォーサイス研究』33号、1935年10・11月合併号。)

上記の批判については、具体的に「教會の實際的問題や、社会の問題についての実行態度」を一つ一つ検討しなければならないものと思われる。しかし、「初期フォーサイス神学」について言えば、上記の批判は当っていると言ってよい。すると、フォーサイス最初の説教から「初期フォーサイス神学」を考え、そのフォーサイス神学全体における意義を検討する結論として、次のように言えるだろう。「初期フォーサイス神学」において見出される「教會の實際的問題や、社会の問題についての実行態度」は、「十字架の決定性」を見出してゆく過程において、どのようにその「限界性」を突破して行ったか。この課題が、「初期フォーサイス神学」の検討から浮き彫りにされてくるのである。

(おしまい)


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: